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ふと気づけば、景色は一変していた。
ここは……丘の小道に入る前にいた辺りだろうか。
真っ暗、というわけでもない。
太陽は沈んだあとのようだが、空の様子を見る限り、まだ日が落ちてすぐくらいの時間だと考えられる。
俺たちはその頃から、別次元の空間へと入り込んでいた。おそらく、そんなところなのだろう。
周囲を見回す。
俺がいて、クリオネがいて、ツチノコがいる。
うるるとエリカの姿は、やはりなかった。
「ジョン! うるるとエリカを返せ!」
天を仰ぎ、叫ぶ。
答えはない。
うるるとエリカは、戻らない。
「くっ……」
足から力が抜けていく。
その場で崩れ落ちるように両膝をつき、四つん這いの状態で悔し涙を流す。
俺は守れなかった。
うるるとエリカを助けられなかった。
「ごめん……うるる、エリカ……」
せっかく、ふたりが手を伸ばしてくれたのに。
戻ってきたいと、思ってくれたのに。
「俺の気持ちが、足りなかったのか……?」
そんなことはない。
俺はうるるとエリカを失いたくなどなかった。
「時間が、足りなかった……?」
だったら、俺に責任はない……とは言えない。
もっと早く手を伸ばしていれば。
ふたりが諦め、運命として受け入れていることにもっと早いうちに気づいて、対処できてさえいれば。
「うるる……エリカ……」
どんなに後悔しても、過去は戻らない。
幼馴染みのふたりは、戻ってこない。
理性という名のダムが決壊した俺の両目からは、大粒の雫がまるで滝のように溢れ出し、地面を深く暗い悲しみ色に染めてゆく。
「うるる……」
『ダイナ、泣いちゃダメなの~』
「エリカ……」
『しっかりしなさいな、男の子でしょ?』
呼びかけに応えるように、ふたりの声が聞こえてきたような気がした。
幻聴か。
もしくは、ふたりの思念が微かに残っているのか。
どちらにしても、夢や幻の一種であるのは変わりない。
「そんなに落ち込まないでほしいの~」
「というより、落ち込むことはないっていうか……」
いや。
幻聴にしては、やけに近くから聞こえる。
夢や幻にしては、やけにハッキリと耳に届いてくる。
顔を上げる。
そこに――、
ふたりがいた。
うるるは一点の曇りもない笑顔で。
エリカはちょっと恥ずかしそうに頬の辺りを指で掻きながら。
すぐ目の前の地面にしっかりとそれぞれ二本の足をつけ、平然とたたずんでいる。
状況はよくわからなかった。
だが、俺は反射的に立ち上がり、ふたりに抱きついていた。
「うるる! エリカ!」
春の日差しのような温もりが感じられる。
ふにょん、ペッタン、という対照的な感触も、確実に伝わってくる。
これは、夢なんかじゃない。
まごうことなき現実だ!
「ダイナ~! あたしたち、ここにいるの~!」
「うんうん、間違いなく存在してる! ふにょんって、存在してる!」
「ふにょん~? なんか、おっぱいだけしか認識されてないみたいで、ちょっと微妙なの~!」
「そんなことない! うるるは、おなかや太ももや二の腕だって、ふにょんってしてる!」
「そ……その言われ方は納得いかないの~!」
うるるは少し不満顔になる。
一方のエリカも、笑顔ながら眉をつり上げ、文句を飛ばしてくる。
「ちょっと、そんなにしがみついてこないでよ! 鬱陶しいわね、まったく!」
「なんだよ、エリカ! いつもは自分から俺に絡みついてくるくせに! このこの!」
「頭をつつかないでよ! 髪の毛が乱れるでしょ!?」
「いいじゃないか、髪の毛くらい! エリカは性格からして乱れてるんだから!」
「な……なによ、それ!? わたくしって、そういう認識をされていたの!?」
騒がしさが、心地よい。
うるるとエリカは、ここにいる。
ここに存在してくれているんだ!
「ふたりとも、消えなかったのねっ! よかったよっ!」
「うん、よかった。ふたりとも、お帰り……でいいのかな?」
クリオネとツチノコも、穏やかな口調でふたりを迎える。
「ええ、ただいま」「ただいまなの~!」
うるるとエリカも、素直に答える。
よかった。本当によかった。
しかし、どうしてだ……?
「う~む……。ふたりとも、跡形もなく消滅させる予定だったのだが、どうやら失敗してしまったみたいだな。それだけ、お前たちの気持ちが強かったということか。いやはや、生物の意思とは思った以上に奥の深いものだ」
不意に、ジョンの声が響く。
姿は見えないが、俺たちの様子はどこか近くから眺めているのだろう。
「まぁ、こうなってしまったら仕方がない。うるるとエリカ。お前たちふたりには、このままこの世界に留まってもらうことにする」
この世界に留まる。
ふたりは今後も、俺のそばにいられる。
邪神がそれを認めてくれたのだ。
「ジョン! ありがとう!」
俺がお礼を述べると、ジョンはそれを否定してきた。
「勘違いするな。お前は今後、うるるとエリカを同時に等しく幸せにしなければならない。いわば最大級の困難が待ち受けているとも言えるのだからな」
うるるとエリカを同時に等しく幸せにする。
そんなの、当たり前だ。
困難でもなんでもない!
「ふっ、頼もしいな。はたしてそう簡単にいくか。見届けさせてもらうぞ。せいぜい我を楽しませてくれたまえ」
俺の心を読んだのか、最後にそう言い残すと、ジョンの気配は完全に消え去った。
消え去ることなく残ったのは、俺の腕に包まれた幼馴染みのふたり。
春の日差しのような笑顔がまぶしい、ちょっとトロくてぽっちゃり気味のうるると、
つり目から繰り出される視線が鋭い、強がりの鎧を身にまとった臆病者のエリカ。
ふたりは今、ここにいる。
いてくれている。
俺は力と愛情を込めて、うるるとエリカの体を執拗に抱きしめ続けた。
もう二度と離れていくことのないように、強く、深く、がむしゃらに。
「ダイナ、ちょっと痛いの~」
「もうっ! 鬱陶しすぎるわよ!」
文句を言いながらも、ふたりは抵抗など一切せず、俺の腕の中で温もりに身を委ねてくれた。