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あれから何度か陸から連絡があったのだが、海人の頼みという訳でもないが、美鈴自身仕事が忙しく陸と会うことは暫くなかった。 その忙しさもひと段落ついた頃、美鈴はいつものように裕助の家へと遊びに来ていた。裕助も丁度一仕事終えて、自宅へと戻ってきていたのだった。 二人が夕飯の準備をしていると美鈴の携帯が鳴った。
「俺、陸だけど。いい加減空いてないの?」
陸の言葉に思わず美鈴は笑ってしまった。
台所にいた裕助は、掛かってきた相手が分かったらしく声を掛けた。
「陸だろう。呼んだらどうだ?
海人の方も落ち着いているみたいだし、家なら問題ないだろう」
裕助の言葉に美鈴は頷いた。
「今、裕助の家にいて酒盛りしようと思っていたんだけど、よかったら来ない?」
「酒盛り…って、俺、行ってもいいの?」
珍しく少し戸惑った声が聞こえる。
「大丈夫だよ。おいでよ。
今どこにいるの? 裕助の家、目黒なんだけど駅着いたら迎えに行くよ」
「分かった。 今、新宿だから駅着いたら連絡する」
「了解」
美鈴がポケットに携帯をしまうのを見ながら裕助は言った。
「実はこの間、海人の所で会ったんだよ。16って言ってたが確かに冷めていて尖っていたな」
裕助は、楽しそうに言う。
「美鈴さんが、苦労する訳だ」
美鈴は、苦笑いしてしまった。
「でも、悪い子じゃなかったでしょ」
「そうだな。 だが、良い子って訳でもなさそうだったぞ」
皿を余分に出しながら裕助は笑う。
「さて、車でも出すか。まだ飲んでなくて良かった」
「さっき、新宿って言ってたから早いだろうね」
「そうだな、途中で一応ジュースでも買っとくか」
裕助は、車のキーを持つと美鈴を見た。
「そうだね、一応ね」
美鈴も笑ってうなずいた。
「すげぇ…。昭和初期の雰囲気だ」
陸は、裕助の家を見て興奮したようだった。
都心にあるのだが裕助の自宅は木々が多く茂り趣があり閑静であった。
「気に入ったか? 俺の親父が、開いていた武道場もあるし古い和風建築の家だからな。
だが、陸の家も和風の造りだろう」
裕助は、家の方に足を向けながら尋ねた。車で家に着いてから陸と一緒に敷地内を一回りしていたのだ。
「全然違うよ。裕助さんの所は、自然と一体化しているけど俺んとこは造られた庭と家じゃん。
それに俺が言うのも何だけど柄が悪いよな」
裕助は、苦笑いしてしまった。
「住んでるヤツの人間性がでるよな。まあ、俺んとこは仕方がないんだけどね」
陸は、何か冷めた目をして言った。
「陸には、何か理想の家ってもんがありそうだな」
裕助の言葉に陸は少し黙ったが首を振った。
「ないよ。そんなもん」
陸の様子を見ながら、裕助は陸の心の奥にある何かを感じたが何も言わないでおいた。
言ってもきっと陸は今のように誤魔化してしまうであろう。
「…そうか」
裕助は頷くと時計を見た。
「そろそろ行くか。腹も減っているだろう」
「美鈴、待たせてるもんな」
二人は急ぎ足で家へと入って行った。
食事をしながら話をしていると時間もあっという間に過ぎ、夜も11時を過ぎていた。
「今日は遅いし二人とも泊まっていけよ。部屋空いてるし着替えも俊の服があっただろう」
裕助の言葉に美鈴も頷く。
「そうだね。 何枚か置いてあったと思う」
「裕助さんがいいならそうさせてもらうけど、俊、って誰?」
陸の問いに裕助は美鈴の方を見た。
「前言ってた兄だよ。裕助と友達なんだ」
陸は頷いた。
「そっか。 …今日は来ないの? 仕事?」
「うん、そう」
美鈴の言葉を聞きながら、陸はふと言う。
「会ってみたいな。 どんな人?」
「俊に?」
予想外の言葉に美鈴は戸惑うが、裕助が笑って答えた。
「あいつは忙しいからなかなか会えないよ。でも、美鈴さんに似ているよ」
「へぇ…。 何か、想像つかないな」
裕助は、笑っただけだった。
「そういえば、海人のヤツはどうしている?」
「別に変わらないよ。 最近は、色々忙しいみたいだから話もしてないけど明日から出掛けるって、兼松 が言ってたかな」
「そうか。 兼松さんも一緒にか?」
「いや、残るみたいだよ。 留守任されるみたいだし」
「そうか」
二人の会話を聞きながら、美鈴はふと尋ねた。
「そういえば、海人さんって結婚していないの?」
「してないよ。 海人、女ったらしだから一人の女に絞るなんてしないよ」
陸の言葉に裕助は苦笑いした。美鈴としても、聞いておきながら次の言葉に困る。
「そうなんだ。 でも、海人さんカッコいいもんね。 モテそう」
陸は何か嫌な顔をした。
「美鈴も兄キみたいな男がいいんだ。女って、優しくしてくれる男に弱いよな」
裕助は、陸の言葉に笑った。
「陸も、モテるみたいじゃないか。海人から聞いたぞ」
「まさか。 俺は優しくないし愛想ないもん」
「でも、陸も背が高くてカッコいいよ」
美鈴の言葉に陸は、更に嫌な顔をした。
「でもって何だよ。否定はしてくれない訳?」
美鈴は、どうも自分に絡んでくる陸に渋い顔をして言った。
「否定してもらいたいなら、優しく接して欲しいな」
陸は、鼻で吹くように笑った。
「もっと女らしかったら優しくするよ」
美鈴の表情は、更に渋くなる。そんなふたりをみて裕助は、笑って間に入った。
「分かった、分かった。もう、お終いにしてくれよ。おふたりさん」
美鈴は、ぶっと膨れっ面をしていたが、陸はいつも通りシレっとした表情でいた。
「まったく、ガキふたりで参ったよ」
裕助は、笑いながら酒の入っている器に口をつけた。
「確かに大人げないとは思ったけど、アイツ美鈴には容赦なく言いたいこと言ってくんだよ…」
加納俊は、ため息をついてやはり酒の入っている器を空ける。
「気を許しているからじゃないのか? 素で接することができる相手なんだよ。
まあ、それと自分を気に掛けてほしいって言う悪ガキ心理かな」
「嬉しいのか、嬉しくないのかだな」
裕助は笑うと酒の瓶を持ち俊の器に注ぐ。
「すぐ顔に出るから、陸もかまいたくなるんだよ」
「それは言われたし分かっちゃいるんだが、流せないんだよな。…自分もガキで参るよ」
そういうと、反対に裕助の器に酒を注いだ。
二人が酒を酌み交わしているのは縁側であった。日中は日向ぼっこ、夜には月見にとリビングの次に佐波家の居心地の良い場所であった。そんな場所で、二人は月見酒をしていたのだ。
突然の、床の軋む音に二人は振り返った。音がした廊下にいつの間にか陸が立っていた。
「あ…すみません。声がしたから、ちょと覗いてしまって…」
裕助は、器に口をつけて笑った。
「いや、別に大丈夫だよ。 うるさかったかな」
「いや…トイレに起きただけだから…」
陸は、月明かりに照らされて飲んでいる二人を何か夢心地の気分で見つめていた。
一人は裕助であったのだが、もう一人の男は誰であろうか。穏やかな雰囲気を纏っていて自分の知っている人物に似ていた。もやがかかった頭で考えていると、男が小さく笑って言った。
「もう寝た方がいいよ。おやすみ」
「…おやすみ…なさい」
男の言葉に陸も返すと、小さくおじぎをしてその場を離れた。
行ってしまった陸を見送ると裕助は、器を床に置きながら笑う。
「驚かせてしまったかな」
俊は、外の月を見上げながら笑って言った。
「まあ、夢を見たということで…」
次の日の朝、美鈴は裕助の家の庭を一人で散歩していた。ヒンヤリとした空気が少し肌寒かったが気持ちよくもあった。そのせいか、いつもは行かない武道場の方まで足を延ばした。裕助の家は何度も来ていて勝手知ったる我が家のようであったのだが、武道場はほとんど入ったことがなく恐る恐る中を覗いた。たまに裕助が使っていると聞いたことがあったが、中は少し黴臭かった。シンと、張りつめた冷たい空気が何か心を引き締める。
「美鈴」
突然の声に驚いて振り返ると、武道場の入り口に陸が立っていた。
「裕助さんが、飯にしようって」
入り口の方へ戻りながら美鈴は頷いた。
「もうそんな時間か。手伝わないとね」
武道場を出てから美鈴は、眠そうな陸に尋ねた。
「眠れた?」
陸は頷く。
「そっか、じゃあよかった」
二人は、暫く無言で落ち葉の積もる庭の小道を歩く。まるでちょっとした山の中の林道を歩いているようだった。
「そういえば昨晩、誰か来ていた」
突然、陸がぼそりと言った言葉を聞き返すように美鈴は陸の顔を見た。
「たぶん、美鈴の兄キだと思う」
「………」
陸の言葉に美鈴は何も言わずにいた。
「あ…いや、たぶんだぜ。 月明かりで見ただけだったから、はっきり分からなかったけど
似てたからそうかなって…」
「ふーん」
「美鈴が知らないって事は違ったのかな」
美鈴は、視線を前に戻すとぽつりと言った。
「たまに二人で飲んでいるから仕事帰りに寄ったのかもね」
美鈴の言葉に陸は小さく頷いた。暫くして、陸はぽつりと言った。
「裕助さんちって居心地いいな。 何か落ち着く」
美鈴は、静かに笑った。自分も同じ思いだったのだ。
「たまに、来させてもらったら?
裕助と話したりするのも楽しいよ。色んな事知っているし」
陸は、頷いた。
玄関へと着くと、陸は思い出したように言った。
「そいうやあ、今度店に来ない?」
「…この間、行った店?」
「そう。 今度は開いている時にさ。あそこグランドピアノが置いてあるんだけど、海人が弾くんだよ」
「本当? 海人さん、ピアノ弾くんだ。すごいね」
さすがに美鈴も驚いてしまった。 海人がピアノを弾いている姿は想像がつかなかった。
「まあ、毎日弾きには来ないけど結構人気があるんだよ。 海人目当てに女の客も来るし」
海人は、美形で華やかな顔立ちをしている。人目を惹くのも分かる気がした。
それに陸が言っていたように女性客に優しく接してくれるのであろう。
「聞いてみたいね」
美鈴の言葉に陸は頷いた。
「今度来る日を聞いとくよ」
「うん、じゃあお願いします」
二人が家の中に入ると台所からは、食欲をそそる良い香りがしていた。
「いい香り。 何作ってくれてるんだろ」
「昨日も裕助さんの手作りなんだろ」
「うん、そう。 美味しいよね。 私も教わったんだけど、なかなか同じようにはいかないんだよなぁ」
美鈴は、笑って言う。
「俺も作るけど、和食は作んないからな…」
「へぇ…、陸は何作るの? パスタとか?」
「うん、洋食系が多いかな。 あと、マスターに教えてもらったつまみ系とか」
「すごいね。 陸、器用そうだからな」
美鈴が褒めると、陸は嬉しそうな顔をした。そんな陸に美鈴の何か安心した。
口では大人っぽい事や冷めたことを言うがやはり16歳の少年なのだ。
二人がリビングへ入ると、裕助が土鍋で何かを煮ているところであった。
「ただいまっ。ごめんね手伝うよ」
美鈴の言葉に裕助は笑う。
「大丈夫だよ。たいしたもん作ってないし」
陸は、台所にいる裕助の方へと行くと興味深げに何か聞いている。自分で料理もすると言っていただけあって好きなのだろう。美鈴はソファに腰を下ろすと机の上に昨晩から置きっぱなしにしていた携帯を見る。何度か同じ人物から着信があった。美鈴は八時過ぎを指している壁掛け時計を見ると携帯を持って廊下に出た。
「もしもし、怜? ごめんね、今大丈夫?」
『…美鈴か? ああ大丈夫だよ』
携帯の着信があった相手は、WIで一緒であった朝舞怜であった。
美鈴が仕事を離れてからはお互い連絡を取ることはほとんどなかったし控えていたので本当に久し振りであった。
「珍しいね、どうしたの?」
『ああ、かなり久し振りだもんな。今日、仕事は大丈夫なのか?』
「短期の仕事が終わったんで今はフリーだから大丈夫だよ」
『そうか、じゃあ丁度よかったかな』
「どうしたの?」
美鈴は再び問いかけた。そんな美鈴に小さく笑うと怜は話し出した。
『実は、藤原のことなんだが…』
「夜理ちゃん?」
『ああ。 何て言うのか、俺にはどうしようも出来ない事なんでね…』
「うん?」
美鈴は、次の言葉を待った。
『実は、藤原の話相手になってくれないかな』
「話相手?」
『ああ』
「…それは構わないんだけど、何かあったの?」
『いや、何もないんだが、アイツ美人で頭いいだろ。 スタイルもいいし人目を惹くよな』
「うん」
怜の言いたいことが分からず美鈴は次の言葉を待つ。怜は、笑いながら言葉を続けた。
『周りが皆、お前みたいに鈍感だったら藤原も気にしないんだろうがそんな事ばかりじゃないだろう』
「…怜、鈍感だったとしても傷付くんですけど」
どうも最近、散々の言われようである。怜は美鈴の言葉をスルーして続けた。
『で、あいつ一人でいる事が多いんだよ。俺もそうそう一緒にはいてやれないし俺といる事でやっかまれ ても可哀そうだろう』
「それは、怜が日頃女の子と遊んでばかりいるからのような…って言うか、分かった。
でも、何か会うきっかけを作ってもらえるとありがたいかな」
『そうだな、分かった。 じゃあ、また連絡するよ』
「うん、待っている」
美鈴は、元気に言った。そんな声を聞いて怜は穏やかな声色で言った。
『お前も元気そうで、安心したよ』
「私はいつも元気だよ。 大丈夫だって!」
自分の事になると、つい照れくさくなり笑って誤魔化してしまう。
『そうだな。でも何かあったら言えよ』
怜は、何だかんだ言いながらもいつも優しかった。WIにいる時も文句を言いながら自分の面倒を見てくれたのだ。そのお礼も出来ないうちに先に辞めてしまった美鈴であった。
「ありがとう」
美鈴は、素直にお礼を言うと電話を切った。