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注意*お話の中で未成年者の飲酒表現が出てきます。
お酒は二十歳になってからどうぞ。
美鈴が陸に連れられて来た場所は飲食店が立ち並ぶ通りであった。まだ時間も4時過ぎと早い事もあり通りは人もまばらで静かであった。陸はその中の一軒のバーへと入って行った。入り口は数段下りた場所にあり半地下になっているようであった。陸は階段を下りて行くと店の扉を開けた。中は薄暗く人の気配がなかった。しかし、扉の音を聞きつけて奥から40代くらいのオールバックの男性が出てきた。男性は陸と美鈴の姿を見つけると眉を上げて少し驚いた仕草をした。
「誰かと思えば陸か」
店の照明を点けると男性はカウンターから二人を改めて見た。
「マスター、何か飲ませて」
陸の言葉にマスターは苦笑いした。
「挨拶もなしにそれかい」
「マスターに何言えって言うんだよ。『コンニチハ』とでも言えばいいの?」
「相変わらず可愛くないヤツだな、お前は」
どうやら男性はこの店の店主らしく陸とは親しい間柄のようであった。美鈴は二人のやりとりを聞きながら店の中を見回した。中は思っていたより広くて明るい。清潔感のある店内は女性客も入りやすそうであった。断り切れずにここまで来たのだが、どんな場所か不安もあったので店内を見て少し安心をした。
「美鈴座んなよ」
陸の声に我に返ると陸はすでにカウンターに座っていた。
「どうぞ」
マスターもにこりと大人の笑みを向けると美鈴が着ていたハーフコートを受け取り陸の横の椅子をすすめてくれた。
「ありがとうございます」
戸惑いながらもお礼を言うと美鈴は腰をかける。マスターからはオーデコロンがふわりと香り何か場違いな場所に来てしまった気がして落ち着かなかった。
「開店前なのに大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。兄キの店だし」
美鈴の戸惑いに気にもせずに陸は言う。
そんな美鈴の様子を気に掛けてくれたのはマスターであった。
「大丈夫ですよ。簡単なものしかだせないけど気にしないで」
「すみません。その…おかまいなく」
赤い顔をしてお辞儀をする美鈴を見て、マスターは微笑む。
「そういやぁ、兄キは今日来る?」
「海人さん? さあ、どうだろう。今日は何も聞いてないな」
マスターの言葉に陸は面倒くさそうな顔をした。
「そっか。じゃあ持って帰らないと駄目か」
陸は、ポケットからUSBメモリを出すとカウンターの上に無造作に置いた。
そんな陸の様子に美鈴は心配になる。
「大丈夫? 大切なものなんでしょう?」
陸は小さく笑う。
「俺に頼むくらいだからそんな大切なものじゃないよ」
陸の言葉に美鈴は戸惑ってしまった。
「そんなことないと思うんだけど…」
陸は美鈴を見た。
しかし突然鳴りだした携帯の呼び出し音に顔をしかめ、面倒くさそうにポケットから取り出す。
「もしもし、…何? うん、大丈夫だよ。
今? マスターんトコ。 えっ!いいよ。 後で持っていく。じゃあ」
陸は携帯を切るとポケットにしまった。
「海人さんだろ。いいのか?」
マスターは、少し意地悪く聞く。
「いいよ」
陸はつまらなそうに答えると肘をついた。
そんな二人の会話を聞くと美鈴も黙ってはいられなかった。
「陸くん、先に持って行ったら?お兄さんが待っているんでしょう。
それやっぱり大切なものだと思うから」
美鈴の言葉に陸はため息をつく。
「陸でいいって言ったよな。
つーか、嫌なら帰っていいよ。無理に連れてきたようなもんだしさ」
陸の苛立った言葉にさすがに美鈴もムッとしてしまった。
「分かりました。じゃあ、私は帰ります。その代り陸もちゃんと渡してきなね」
美鈴は、立ち上がると驚いた表情のマスターにお礼を言うと店を出た。
マスターは、出て行ってしまった美鈴から陸の方をみた。陸は渋い顔をしていたが、自分の顔を見ているマスターを睨み付ける。
「何も言わなくていいからな」
「まあ、何も言わないけど彼女コートを忘れていったんで追いかけたら?」
マスターは、眉を少し上げて見せた。
陸はそんなマスターの態度に嫌な顔をしたが、立ち上がると店を出た。
美鈴は外に出てからすぐに店にコートを忘れて来た事に気が付いた。
足を止めたが、捨て台詞のような言葉を言って出て来たのに「コートを忘れました」と言って戻るのは恥ずかしい。しかし、戻らない訳にはいかない。
仕方なく向きを変えると、丁度陸が店から出て来るところであった。陸も店の少し先に立っている美鈴に気が付いて顔を上げた。お互い気まずい空気が流れたが、陸が先に言った。
「ごめん」
美鈴は驚いて陸の顔を見た。
「先に渡してくるから店で待っててくれる?20分くらい待たせるかもしれないけど」
ポケットに手を突っ込みながら渋い顔をして言う陸。言葉遣いや態度で受けた印象より悪い人間ではないらしい。
「聞いていい?」
「何を?」
陸は真っ直ぐに美鈴を見る。
年上の美鈴のほうが何か戸惑ってしまうような視線であった。
「どうして誘ってくれたの?
嬉しいんだけど、私、陸より年上だし女としての魅力、あまりもってると思えないから」
陸は美鈴の言葉に吹き出した。笑う陸に尋ねた美鈴も恥ずかしくなる。
しかし、疑問に思ったのだ。陸はきつい顔立ちをしていたがルックスも良く格好がよかった。背も高く人目を惹くのでモテる筈だ。そんな陸が初対面でどちらかといえば地味な性格の自分に声をかけてきた理由が分からなかったし気にもなったのだ。
「別に深い意味なんてないよ。まあ、最初はあったかもしれないけど、今はただなんとなく」
笑いながらだが陸は正直に答えてくれた。
「安心した?」
陸は少し意地悪な顔をして笑って言ったので美鈴の顔は赤くなる。
どっちが年上だか分かったもんじゃなかった。
二人が店に戻ってくとマスターは笑って迎えてくれた。美鈴としては気恥ずかしかったが何も言わず頭を少し下げた。陸はカウンターに置いたUSBメモリを手に取った。
「マスター、俺が戻ってくるまで美鈴の相手しててくれる?」
マスターは、肩をすくめた。
「喜んで、と言いたいところだが、海人さんが直々に来るとさ」
「えっ!何で?」
「それはお前が一番よく分かっている事じゃないのか? 美鈴さんと店にいろってさ」
マスターの言葉に陸は苦い顔をしたが、それ以上は文句を言うことはなかった。
美鈴は二人の様子を黙って見ていたが、何かを思い出したように慌てて携帯を取り出すと表情を曇らせた。
「ごめんなさい。もしかしたら、私のせいかもしれない」
美鈴の様子にマスターが問いかけた。
「どうかしたの?」
陸も美鈴を見る。
「渡した後、連絡するように言われていたのに忘れていました」
美鈴の恐縮した顔にマスターは、おかしそうに笑った。
「なるほど。携帯にその人から連絡がきてたって訳だ。
携帯にもでないし、かかっても来ないので心配して海人さんに連絡を入れたってトコかな?
陸も戻って来ないしね」
マスターの言葉に陸はそっぽを向く。
美鈴は小さくため息をついた。自分は何をやっているのだろうか。
二人は店で大人しく海人を待つことにした。
陸はかなり不満な様子でカウンターに肘をついて座っていた。お世辞にも愛想がよいとは言えない顔が更に仏頂面になっていた。これから自分の兄が来るのだから仕方がない事であろう。マスターは、二人にソフトドリンクとスナック菓子を出すとカンウターの中で開店準備を始めていた。
「佐波さんって、彼氏なの?」
陸は、ジンジャーエールの入ったグラスを指で触れながら尋ねる。
「違うよ。友達なんだけど、保護者の方が近いかな」
「ふーん」
陸はうなずく。
特にこれといった関心があって聞いたわけでは無いようであった。
きっと落ち着かないのであろう。美鈴も何か落ち着かず、お説教を待つ子供のようであった。
「マスター、俺、酒がいんだけど」
「海人さんが来るのに出せるかよ。それで我慢しろ。車で来るだろうから15分もかからない
だろう」
陸は、ため息をつくとポケットから携帯を出したが特に何をする訳でもなく、ちらりと画面を見るとカウンターの上に置いた。
「兄キもわざわざ店まで来るぐらいなら俺に頼まなくてもよかったのに」
ぼやく陸にマスターは少しあきれ顔で見たが何も言わなかった。
「ごめんね。私が連絡忘れたせいで皆に迷惑かけてしまって…」
「別に美鈴のせいじゃないだろ。どいつもこいつも過保護で心配性なんだよ。」
陸の言葉を聞きながら美鈴は陸の兄がどんな人物なのか気になった。この店の経営者という事は陸と年齢が離れているのだろうか。何か派手な容姿の男性が美鈴の中に浮かぶ。
「お兄さんって、いくつなの?」
「兄キ? 29だったかな。 年離れてんだよ」
「そうだね。結構離れているね」
陸の答えは案の定であった。しかしひとまわりも違うとは思わなかった。きっと歳の離れた
弟を心配しているのであろう。何か微笑ましく思える。そんな事を考えていると陸が笑い
ながら言った。
「美鈴って人がいいって感じだよな。
なんかぼんやりしてるし、思っている事全部顔に出るだろ。今も顔が緩んでる」
突然の言葉に美鈴は固まってしまった。
陸の言う事は大当たりであったのだが言われて嬉しい事ではなく美鈴は自分の顔が熱くなるのが分かった。そんな二人の様子を見ていたマスターが口をはさんだ。
「お前なぁ、俺らはお前がどんなヤツか知っているけど、彼女とは初対面なんだろ。
どうして相手を傷つけるような事言うかな。珍しく店にまで連れてきた子なのに…」
「うるさいな」
陸は、ムッとしてマスターを睨み付けると立ち上がった。
「行こうぜ」
美鈴の腕を乱暴に掴むと出て行こうとしたがすぐに足を止めた。扉の方から階段を下りてくる数人の足音が聞こえてきたのだ。陸は大きくため息をつくと美鈴を掴んでいた手を離した。扉はすぐに開きスーツ姿の男性が入ってきた。どう見ても一般人とは違う強面の男達であった。最初に入ってきた二人の男は店の中をさっと目を通すと後から入ってきた男に前をあけた。美鈴はその男から目が離せなかった。他の男達とは違い、その男は若いのだが存在感があった。男は美鈴と目が合うと口元に笑みを浮かべた。動揺してしまうような大人の笑みであった。
「出かけるのか?」
美鈴の横で不満そうな顔をしている陸に男は問いかけた。
陸は男の顔を見たが、マスターのように文句を言えるような相手ではないらしい。
「そうだよ。預かったものは、カウンターの上に置いといた」
二人の会話にやっと美鈴の思考が回りだした。どうやら陸の目の前にいる男性が兄の海人らしかった。
陸の言葉を聞いて、海人の横にいた男がカウンターの上にあるUSBメモリを取りに行き海人へ渡す。海人は男から受け取ると再び美鈴を見た。
「早瀬さんだね」
男性の問いかけに、美鈴は男性を見上げた。少し癖っ毛なのだろうか緩くウェーブがかかった黒髪で目鼻立ちがはっきりとして美形という言葉が似合っていた。
「陸の兄の高野海人だ」
「早瀬美鈴です」
美鈴は頭を下げた。
海人は笑って頷くと気さくに話し出す。
「佐波の知り合いらしいね。連絡は入れた?
父親のように心配していたよ」
美鈴の顔はみるみる赤くなった。今日は、こんな事ばかりだ。
「すみません。ご迷惑をおかけしました。連絡は入れたので大丈夫です」
海人はうなずく。
横で黙っていた陸は、口を挟んだ。
「もういいだろう。行くからな」
海人は、陸を見るとため息をついた。
「ああ、いいよ。 彼女を困らせるなよ」
海人の言葉に陸は何も答えず、扉の方を向いたまま美鈴に向かって言う。
「行こうぜっ」
そう言うと歩き出した。
美鈴は、コートを渡してくれたマスターにお礼を言うと海人にお辞儀をして陸の後を追った。二人の後姿を見送りながら海人は隣に立っている角刈りの男に言った。
「困ったヤツだな…」
「反抗期でもありますから」
角刈りの男が言う。
「年中反抗期のような気がするよ」
海人の苦笑いに男も小さく笑った。
外はすっかり陽が落ち空の闇が覆い始めていた。
駅周辺は、先程に比べて人通りも多くなっていた。そんな人通りを陸は美鈴より少し前を黙って歩いていた。陸の歩幅は広く美鈴が合わせてついていくには少し苦労したが今は何も話しかけずに陸の気持ちが落ち着くのを待っていた。
高野海人は何者なんだろうか。会うまでは飲食店の経営者とばかり思っていたのだが、それはどうやら副業のようであった。美鈴に対して紳士的な対応をしてくれたが、周りにいた男達の様子からして雇いのボディガードとは違い彼は男達の「ボス」であった。
では「何の」ボスであるか。
そんなとりとめもない事を考えていると、陸が急に足を止めた。いつの間にか人通りの少ない場所まで来ていたのだ。
陸は、振り返ると美鈴を見た。
「やっぱ、人がいいよな。 俺についてくんなんてさ」
突然に言った陸の言葉に、美鈴は自分より背の高い陸の顔を見上げ笑ってしまった。
「まあ確かに人がいいって、よく言われる」
陸も素直に笑う。
「あと、ごめん。俺、思っている事平気で言っちまうから」
陸の言葉に美鈴は店での事を思い出し苦笑いしてしまった。
「うん、そうだね。ちょっと傷付いた」
陸は、肩をすくめた。
素直に謝ってきた陸に今更怒る気もなかった。美鈴は、気を取り直すと言った。
「お腹空かない? 私、お昼食べてこなかったからお腹すいちゃって。
近くに美味しいお店があるから、よかったら行かない?」
美鈴の言葉に、陸は驚いたようだった。
「お洒落なお店とは、ちょっと違うんだけど雰囲気がいいから気に入っているんだ」
美鈴の言葉に、陸は頷いた。
「うん、いいよ」
「じゃあ、行こう。今の時間ならまだ空いてるよ。夜のお客さんが来るには、まだ早いから」
そう言うと今度は美鈴のほうが先になって歩き出す。
陸は、少し遅れて歩き出したが美鈴の横へ来るとぽつりと言った。
「美鈴は、何も聞かないんだな」
「何が?」
美鈴は、前を向いたまま尋ねる。
「いや…兄キの事とかさ」
美鈴は、小さく笑う。
「聞いて欲しかった?」
「いや…別に」
陸の視線は、少し下へさがった。
「まあ、確かに気になるといっちゃ気になるけど、陸が話したかったら話してくれればいいよ」
陸は、小さく頷いた。
そして、横を歩いている美鈴を見た。
「美鈴、変わってるな」
陸の言葉に、美鈴は苦笑いした。
「う…ん、まあ今どきの女の子と違っているのは認める」
「そう言うんじゃなくて、なんて言ぅのかな。
いい意味で他のヤツとは違うって、言いたかったんだけど」
美鈴は、陸を見た。
陸は、自分の気持ちを上手く言葉にできないらしく何か難しい顔をしていたが、美鈴が自分を見ていることに気が付くと気まずそうに視線を反らす。
「じゃあ、ありがとうでいいのかな」
美鈴の言葉に、陸は少し照れたようだった。
「別にいんじゃないの」
陸の言葉に美鈴は笑った。
そんな美鈴の笑顔が、陸には何か嬉しかった。