12
腕の傷も随分とよくなった美鈴は、俊の姿になって気晴らしに街へと出掛けた。
特に店に入るでもなくぶらぶら歩いていると高校生くらいのカップルが楽しそうに歩いている姿が目に止まった。陸と同じくらいであろうか、人目も気にせず手をつなぎ体を寄せ合って仲良く歩いている姿に思わず小さく笑ってしまった。しかし俊の顔からすぐに笑みは消えた。家で大人しくしている陸を思い出したからだ。 あれから何度か電話で話したのだが、まだ海人の方も落ち着いていないようであった。
俊は、小さくため息をつくと自宅へと向きを変えたのだが、携帯の音に足を止めた。表示画面には、『相模』の文字が出ている。
「…もしもし」
『ああ、加納』
いつもと変わらない低音ボイスが聞こえた。
『今、外か?』
「そうだけど…今度は何だよ。今は、高野さんとは会ってないぞ」
ついつい八つ当たりをしてしまったのだが、相模は気にする様子もなく俊の言葉を無視して自分の話を続けた。
『6時に、前に教えてやった店に来れるか?』
腕時計を見ると5時過ぎであった。
相模の言う店とは、以前に陸と一緒に行った店のことであった。
「大丈夫だけど」
『じゃあ、6時にな』
そう言うと、相模の電話は切れた。
俊は暫く黙って携帯を見つめていたが、ポケットにしまうと駅の方へ歩き出した。
約束の店に入ったのは6時前であったのだが、すでに相模は来ていた。
「早かったんだな」
俊は、カウンターにいる相模の隣へ座った。
相模の前には、生ビールとつまみの乾き物が置いてあった。
「15分ほど前に着いたんで、先に飲んでいた」
「別にそれは、かまわないけど…えっと、生ビール一つ」
俊は、店員に声をかけた。この店は、裏通りにあり15人も入れば満員になるような小さな店であった。料理が安くて美味しいのでいつも混雑しており、今日もオープンして30分も経っていないのだがすでにほとんどの席が埋まっていた。
「怪我をしたのか? 腕を庇っているようだが」
相模は、ビールを飲みながら俊の方を見ると尋ねてきた。俊としてはそんなつもりはなかったのだが無意識に完治してない腕を庇っていたのかもしれなかった。鋭い相模は、それに気が付いたのだ。
「…ちょっとね。でも、もう治ってる」
俊の言葉に相模はそれ以上何も聞かなかったが、小さく鼻で笑っている。すべてお見通しなのだ。
カウンター越しに、注文した生ビールが出されると俊はジョッキを持ち上げ相模を見た。
「とりあえず乾杯」
俊の言葉に相模は、やはり小さく笑うと「ああ」と短く返した。
暫く無言で二人は飲んでいたのだが、あたりめを齧りながら俊はぽつりと言う。
「なんか今日の相模、いつもと違うな」
「そうか? 何も変らないがね」
たばこを取り出しくわえる様子を俊は目で追う。
「なんだろう。何か、空気が柔らかい。嫌味も言わないし」
俊の言葉に、相模は可笑しそうに笑いだした。
「酷い言われようだな」
そんな事を言って笑っている相模自体やはりいつもと違うのだ。いや、正直に言えば2年くらい前から徐々に変わってきたような気がする。相模とは6年の付き合いがあったのだが、出会った頃は近寄りがたい雰囲気を持っており話すこともなかった。しかし、おかしなもので今ではこうして酒を一緒に飲む関係にまでなっていた。相模とはここ1年以上会っていなかったのだが、わざわざ電話で呼び出してまで忠告してきた訳が知りたかった。
「なあ、聞いてもいいか」
相模は、何も言わない。
「相模は、高野さんの抗争に何か関与していたのか?」
相模は、俊の方に顔を向けた。
「お前は自分の仕事内容を人に話すか?」
「……」
俊は、黙ったまま相模の顔を見た。
相模は、小さくため息をつくとグラスに視線を落とした。
「お前に関わると、とばっちりがくるんだが、もう終わった事だしな…」
独り言のようにつぶやく。
「世話になったヤツの頼みで、高野海人がどういう男かを見に行った。それだけだ」
「…見に行った…だけ」
「まあ、その時お前を見かけたんだがな」
聞いておきながらこんなにもあっさりと教えてくれた事に話しの内容以上に驚いてしまった。何か次の言葉が出てこなかったが、何も関わっていないならそれでよかった。
「焼き鳥の盛り合わせ、ひとつ」
「ありがとうございます!」
相模の注文にカウンター越しに店主が気持ち良い返事を返す。
ジョッキに口を付け前を向いたまま相模は言葉を続けた。
「人の事よりお前の方はどうなんだ? 組織を抜けたはずなのに何をしてる? 忠告したよな。
どうせその腕の怪我も、余計な事に首を突っ込んでのことじゃないのか?」
「別に…仕事はちゃんとしているし変な事はしていないよ」
しかし、怪我の事は何も言い返せない。誤魔化すようにビールを飲む。
「まあ、そういう事にしとこう」
相模は、鼻で笑うとビールを飲んだ。
その後たわいもない話をしながら飲んでいたが、相模は突然携帯を取り出すとチラリと見てからポケットにしまった。そして、財布から一万円札を取り出すと俊に渡した。
「用が出来た。 悪いがこれで一緒に払っておいてくれ」
俊が返事をする前に相模はもう立ち上がっていた。
「ああ、分かった。ごちそうさま」
小さく手をあげる俊に、口元だけで笑うと相模は店を出て行った。
店の中は、いつの間にか満席になっており酒が入った客たちの声で賑やかであった。
そんな賑わいに飲み込まれるように俊の頭の中は朦朧とする。
(海人さんの事で相模は特に絡んでいなかったのか…。
じゃあ、心配して来てくれたんだ)
「お連れのお客さんは、何をされている方なんですか?」
突然の声に、ハッとして顔を上げると店主が俊に向かって話し掛けていた。
「え…」
愛嬌のある店主の顔を見ながら、俊は少し目を丸くした。
「かなりのイケメンですよね。俺と違ってモテそうだ」
笑って話す店主につられて俊も笑ってしまった。
「何をしているように見えます?」
「何だろう。会社員ではなさそうだし、だからといって水商売系でもなさそうだしなぁ」
店主の言葉に再び笑ってしまった。ここで「元殺し屋です」なんて事を言ったら店主は信じるであろうか。きっと冗談を言っているとしか思わないだろう。映画かドラマでの話のような事なのだから。
しかし、それ以上に俊の存在自体信じられるようなモノではなかった。自分は、遺伝子の研究によって生まれた人間なのだから。まるでSF映画のような話。
「残念ながら、俺もよく知らないんです」
「おや、そうなんだ。それは残念だな」
店主と暫く話していると、携帯のバイブレーションが鳴った。裕助からであった。
俊は、立ち上がると幾分静かな洗面所の方へ行くと電話をとった。
「もしもし」
『俊か? 今どこにいる?』
「飲み屋にいるけど、どうした?」
『実は、今陸が家に来ているんだ。その事でちょっと話しておきたい事があるから後で
来てくれるか』
「分かった。これから行く。どうせ一人で飲んでたんだし」
『そうか…悪いな。じゃあ』
俊は、携帯を切ると勘定を済ますと店を出た。
それから公衆トイレに入ると能力であるテレポーテーションを使い裕助の家へととんだ。
リビングには、裕助が一人でソファに座っていた。
突然に入って来た俊に驚くこともなく「ああ」と短く言っただけであった。
「ごめん。インターフォン鳴らさず入ってきたし能力も使ってきたな」
俊の言葉に裕助は小さく笑って首を振った。
「大丈夫だよ。それより悪かったな」
いつも通りの表情で俊を見上げると言った。
「いや、全然大丈夫だけど…陸は?」
「今は奥の部屋いる」
「何があったんだ?」
裕助の向かいに座りながら俊は尋ねた。
襲撃事件以来、陸はずっと家で大人しくしていた。最近では随分と元気になり話していても以前のように減ら愚痴を口を叩くくらいであったのだ。
裕助は、真剣な顔で自分を見ている俊の顔を見ると口もとを少し緩め話し始めた。
「海人とすれ違ったんだよ」
「すれ違ったって、兄弟喧嘩ってこと?」
俊の言葉に裕助は笑った。
「可愛いく言えばそうだがな…」
裕助の話によると、今まで対立していた坂口組が高野組の傘下に入るということで今まで長引いてきた騒ぎが収まったということであった。そこでの話し合いにどのような取引が行われたのかは部外者である裕助に海人は語らなかった。しかし、それは陸にもであった。陸としてはそのような結末には当然納得がいかなかった。今まで大人しく我慢をしていた気持ちを海人にぶつけ家を出て来たらしかった。
「…難しいな」
俊の言葉に裕助はうなずいた。
「海人さんには、ここにいる事話したの?」
「ああ、連絡はした」
「そうか」
俊は、ため息をついた。
「裕助は、どうするつもり?」
「どうするもこうするも、陸がいたいだけ居させようと思っている」
「そうか…」
安心したように頷く俊を見て裕助は言った。
「なあ、俊。 陸と会ってみたらどうだ」
俊は裕助を見た。
「今は無理だと思うが、落ち着いた頃に遊びに来てくれればいい。
…俺から陸にあれこれ言うつもりはないんだ。 俺からだと上からの立場になってしまうし諭すような言 い方になってしまいそうだからな。 今の陸はそういう事に反発してるんだろ。だったら内情を詳しく知 らない歳の近い俊がいいと思ったんだよ」
俊は黙ったままでいた。
「心配なんだろ」
裕助の言葉に顔をしかめる。
「最後にそのひと言を持ってくるなよ」
文句を言いながらも俊は立ち上がり言った。
「分かった。 内情を知らない美鈴のお兄さんでお前の友達ね。
んじゃあ、また連絡入れる」
それだけ言うとリビングの扉まで行き裕助の方へ振り返った。
「陸のことよろしくな。じゃあ」
そういうと裕助のいつもの笑みを見て出て行った。




