魔女⑥
なんで大人はみんな魔女の話をするのか。
静かな森の中で、聞こえるのは落ち葉を踏みしめる音と、たまに鳥の鳴く声だけ。
少年は辺りをきょろきょろと見回しながら、頭の端のほうで考えてみた。
さっきの男もそうだが、町の大人たちにもよく魔女の話を聞かされた。もちろん、作り話だ。子どもが間違って森に入ったりしないように、脅かす目的で作られた話で、子どもに言って聞かせるのが昔からの風習らしい。と、誰かに聞いた気がする。
それでも、今の森はもう昔ほど危ない場所じゃないとゲンジが言っていたし、だいいちもう魔女を怖がるような年でもない。
ゲンジはあほだからまだしも、さっきの男にまで「魔女に喰われる」なんて言われたのには驚いた。
(そういえばさっきのおじさん、見たことない目の色だったな)
そう、例えるなら……曇り空みたいな灰色。
そんなことを思っていると、目の端に、緑でも茶色でもない色が移りこんだ。それは小ぶりの山葡萄で、よく見るとずっと奥の方まで広範囲に自生しているようだった。
少年は山葡萄の実を一番大きな房から一粒取ると、口に放り込む。それを奥歯で噛み潰すと、思ったよりも強い酸味が口に広がった。少年の口元がみるみるへの字に曲がり、眉間に小さくしわが寄る。
(食えるけど)
見た目に反してあまり甘くない葡萄たち。
食べられそうなら、少し持って帰ろうと思ったのに。どうやら取って食べるには時期が早いようだった。
すると今度は、山葡萄の根元に隠れるようにして、小さな白い花が咲いているのが目に留まった。当然白い花では糸を染めることはできない。少年が目を付けたのは、その鮮やかな紫色の葉の方だった。
その葉を一枚摘み取ると、おもむろに鼻に寄せる。その瞬間、今さっきまでの葡萄の甘酸っぱい味も香りも、一瞬にして吹き飛んだ。
「くっっっさぁぁぁぁぁ!!!!」
鼻が曲がるというのはこういうことかと、少年は身を以って思い知ることとなった。
悪臭を放つ紫色の葉を投げ捨てると、片方の袖で鼻を覆いながら、少年はまた歩き出す。
紫色の葉はにおいが強すぎて使えそうにないことは見当がつくが、山葡萄を採って帰らないのには理由があった。
少年は赤い色を探していた。山葡萄よりももっと鮮やかな赤い色を。
少年とその五つ下の弟は、二人とも青色の腕飾りをしていた。市場で売っている糸染め用の染料で染めたものだ。
もし弟だったら、三人仲良く青色というのもよかったけれど、妹ができたなら女らしい色にしてやりたいと思っていた。
市場に売っている染料の中でも、赤は特に高価な色だ。
ふと顔を上げると、自然と歩みが止まる。
少年は自分の目を疑った。思わず何度か瞬きをする。
(家……?)
少し先の開けた場所に、少し古い造りの、けれど立派な家が、確かに建っていた。屋根の上に風見鶏が揺れている。
山葡萄の道からまだたいして歩いていないのに、足元ばかり見ていたせいでまったく気づかなかった。
(あ……!)
建物のすぐ側。小さな赤い実をつけた背の低い木が、何本も並んでいた。
まさに探し求めていた、鮮やかな赤。
庭か畑か、どちらにせよあの家に住む人のものに違いない。
少年は迷わず走り出した。軽快に地面をけって前に進んでいく。
そういえば、さっきまでは足元が滑って走りにくかったのに、いつから固い土に変わったんだっけ。と、そんな考えが一瞬、頭の中をかすめたが、三歩進んだ頃には消えてなくなった。