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クッキー

作者: 竹仲法順

     *

「これ、あげる」

「何?」

「開けてみて」

「うーん、何だろうな……?」

 裕巳(ひろみ)に渡したものは別にプレゼントなんかじゃなかった。彼が小箱を開けた後、中からあたしの焼いた手製のクッキーの入った袋を取り出す。そして言った。

「クッキーだな。君が焼いたの?」

「うん。今日のコーヒータイムのお供にと思って」

「ああ、済まないね。俺もつい最近、お菓子かと全然買ってないし」

「今からブレイクしましょ」

「分かった。……今、お湯沸かすから」

 裕巳がそう言ってあたしから離れ、ゆっくりとキッチンへ歩き出す。十一月で週末の休みでも冷え込む。彼の部屋に来ていた。マンションだけれど、独りで住むには幾分広すぎる。だけど、あたしと裕巳が付き合っているのは皆知っていたのだし、休日はお互いゆっくりし続けていた。 

     *

 彼が淹れてくれるコーヒーは、いつもいくらか苦い。常にエスプレッソのようだった。確かに会社での勤務中はコーヒーをブラックのまま飲んだりすることがある。だけど、稀にガムシロップやミルクなどを入れているのだった。基本的に苦いのはダメだ。

 ビールもオールフリーの物しか飲まない。味は全くないのだけれど、別によかった。ビールもなければないで構わない。必要なものは朝食べるサラダ用の野菜とハム、それに炊飯ジャーで炊く米と、それにプラスしてインスタントコーヒーぐらいなものだった。いつも買うのはその程度である。

 裕巳の部屋はお洒落だった。窓を開けると、街が見渡せる。バルコニーが付いていて、洗濯物やベッドのシーツなどが干せた。実に快適で理想的なマンションである。

侑紀(ゆき)、コーヒー淹れたよ」

 スマホを覗き込んでいると、彼が言ってきた。付け合せのクッキーは皿に盛りつけてある。コーヒーはインスタント式のようだったけれど、香りがあった。

「裕巳、普段お仕事忙しいんでしょ?」

「うん、まあね。……何でそんなこと訊くの?」

「机の上に資料とかが山積みされてあるからよ。会社の会議とかで使うんでしょ?」

「ああ、よく分かったね」

 裕巳も机の上は散らかしていた。いつもそうだ。彼の部屋に来るたびに、雑然としたものを感じる。きっと今、机の上に置いているノートパソコンを持ち歩いていて、作ったデータをフラッシュメモリなどに落とすのだろう。プリントアウトしたものは、フォルダーなどに入れているようだった。だけど、机の上は何だか散らかっている。雑然としていて。

     *

「コーヒー飲みながら、ゆっくりしましょ」

「ああ。……でも、本当に俺たちよく続いているよな」

「当たり前よ。人間関係の基本が出来てるんだから。お互い年齢は行ってるけどね」

「まあ、確かにな」

 裕巳があたしの持ってきたクッキーを一つ摘まみ、齧る。いつもは甘い物をあまり食べないようで、

「これ甘すぎない?」

 と言ってきた。あたしも齧ってみて、

「そうかな。あたし、これぐらい普通だと思うけど」

 と言い、一瞬口の中で噛みしめた後、笑顔になる。そして噛んだクッキーを飲み込んだ後、 

「普段甘い物食べ慣れてないから、そう感じるんじゃない?」

 と言った。彼が、

「そうかも。俺も糖分っていうのをほとんど取らないからね。疲れにはいいって言うけど」

 と言い、コーヒーのカップに口を付けて、口の中の甘みを喉奥へと流し込む。裕巳が、

「ちょっとベッドの上で休もうよ。今コーヒー飲んで、神経は冴え渡ってるけどさ」

 と言った。

「ええ、分かったわ」

 頷き、立ち上がってベッドへと入る。彼も追って入ってきた。ゆっくりと、である。

     *

 一度ベッドインにすると、キスから入り、絡み始めた。裕巳があたしを抱きしめてくる。体中を丹念に愛撫され、絶えず感じているのだった。腕同士を絡ませ合う。甘い蜂蜜を食べた時のような想いを感じているのだった。

 そして存分に抱き合った後、お互いベッドの上にしばらく寝転がる。三、四か月前の夏のような暑さがない分、初冬は幾分冷え込む。だけど、互いに気にしてなかった。これから冷える季節になる。冷たい風に吹かれて、会社に出勤する日が続く。

 混浴した。彼は香りがいいシャンプーを使っていて、あたしも困惑している。髪や体を洗い合って、体に付いていた脂を洗い落してしまう。普段から裕巳もシャワーだけのようだ。冷える季節でも、そうしているらしい。

 入浴後、濡れていた髪を借りたタオルで拭きながら、リビングへと向かう。彼もリビングを通り抜け、キッチンの冷蔵庫へと向かった。開けてから中を覗き込んでいる。いつも見慣れている場所だからだろうか、既視感があった。デジャブは誰にでもあるのだ。特にこうやって休日同棲している場所だと。

 リビングにいると、彼がビールを一缶持ってきた。

「飲むだろ?」

「ああ、ありがとう。……これ、オールフリーね?」

「うん。君の健康も考えてだよ」

「そう?ありがとう」

 受け取ってからプルトップを捻り開け、呷る。体内に急速に水分が入っていき、満たされた。何せ、入浴中はかなりの程度、水分が失われるからである。体から抜けてしまった水分を補給するのは必然だ。本当ならミネラルウオーターでも構わないのだけれど……。

     *

「まあ、焦らないで、ゆっくりすればいいよ」

「うん。そうするつもり」

 笑顔を見せる。裕巳もビール缶を持っていて、呷った。互いに何も言わなくても、愛し合えていれば通じる。特に愛に言葉を要する必要はないと感じていた。一つ一つ着実に愛情を育んでいくつもりだ。それが成熟した男女のカップルの恋愛の基本である。相手に感情移入するという、愛し合うには一番オーソドックスな方法を身に付けていた。だから、あたしたちは長く続くのである。愛ある男女同士として。

 タオルにはシャンプーの香りに加え、地肌のにおいも付いて残っていた。それが妙に鼻の奥に残っていて離れない。何かしら愛おしいと思えた。まあ、あたしもそういったことを感じてしまう年齢になったのだ。特に抵抗なく。一口に受容というけれど、まさにその通りだった。相手を受け入れるという。

 夜は長い。明けるまでには相当な時間が掛かってしまう。だけど、そういった時も常に傍にいてくれるのは彼だった。あたしも思っている。裕巳の心強さを。

                          (了)


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