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5話 カラオケルーム

「――あなたと生きたい~♪ キラッ☆」



 マイクを持った夢菜が、嬉々として踊っている。

 僕は歌は苦手だ。たいていカラオケに行くと、タンバリンを音楽と馴らしながら鳴らしている。いわゆる合いの手ではなく、同調させている。合いの手を入れるのは自分を主張するみたいで、なんとなく気恥ずかしい。

 夢菜は8曲連続で歌っていった。

 汗が水滴となって、跳ねるたびに宙を舞う。前髪はおでこにピタリと張りつき黒い線となっていた。友達と行くカラオケでは控えめにしているらしく、その反動がいまここで発揮されているのだろう。じつに楽しそうなその笑顔に僕まで頬が緩む。


 曲が終わり、息をつく夢菜。

 つぎの曲はまだ入れていないらしく、CMが流れ始めた。


「ごめんお兄ちゃん、ちょっとお手洗いにいってくるね」

「おう」


 カラオケルームから出ていく夢菜。

 

 照明を落とした部屋の中央には、半透明の扉とテレビから漏れてくる光にてらされたテーブルが、ぼんやりと浮かんでいるように見える。明瞭な視力ならば問題ないだろうが、僕は残念ながら鳥目だった。電気をつけようかと思って入り口に視線を向けると、半透明の扉のむこうに人影が通る。

 半透明。

 僕は鶏の死骸を思い出した。


 血生臭い小屋。赤く汚れた土。三つ並んだ鶏の生首。樹脂化した身体。


 ……あれは、なんだったんだろう。

 教師たちも戸惑っていた。パニックや風評被害を恐れてアレを隠すのは正しい対応だろう。

 丹波は忘れようと言った。彼は前向きに生きている。無為な記憶は、思い出として消えていくのだろう。

 僕はどうだろうか。

 あれを見た瞬間、僕は茫然とした。吐きそうにもなった。


 けど、どこかで納得していた気がする。

 あれは不自然じゃなか(、、、、、、、、、、)った(、、)

 そんなふうに思えたような気もするのだ。


 吐き気を覚えたのは、それが正しい反応だったから。だから吐きそうになった。

 僕はあの光景を、どこかで見たことがある――


 そんな気さえしてくる。


 コンコン。


 と、扉がノックされる。


「あ、夢菜? 入っても大丈夫だよ」


 思考から現実に引き戻されて、僕は扉のむこうに声をかけた。

 とりあえずいまは忘れよう。夢菜との時間は大事だ。

 だが、半透明の扉に映った影は動かない。


「夢菜?」


 ……いや、違う。

 あれは夢菜じゃない。

 十五年見てきた夢菜のシルエットじゃない。


「おじゃまします」


 入ってきたのは、凛々しい立ち姿の少女だった。

 すこしばかり釣り目で、いかにも強気な顔立ち。整った風貌にはナイフのような鋭さがあるが、それよりも目につくのは顔に浮かぶ笑みだろう。余裕さえ感じられるその表情は、自分に自信があるやつしか浮かべることができないものだ。


 雛菊姫子だった。


 入学生代表であり、雛菊財団のお嬢様だという。ひかりが劣等感を感じていた相手……。

 そんな彼女が、なんの用だ。

 雛菊は部屋に入って、後ろ手で扉を閉めた。


「鏡先輩」


 声は清涼だった。研ぎ澄まされた槍のように精錬だった。


不躾ぶしつけかと思いますが、挨拶ははぶかせて頂きます。先輩にはひとつお聞きしたいことがありまして、参りました」


 口調こそ丁寧だが、威圧感がある。こちらを睨む目つきを見ると、威嚇ともとれる。

 僕はどうやら警戒されているようだが、身に覚えはない。そもそも僕の名前を知っていたなんて驚きだし、ここにいることを知っているのも腑に落ちない。


「ちょっと待って。きみ、初めましてだよね? せめて自己紹介とかしようよ」

「ええ。ですが挨拶は抜きにすると申しました」


 理屈が通じない。

 気圧された僕を見てすかさず、雛菊は隙を突いてくる。


「質問があります。先輩はイエスかノーで答えてくださって結構です。無回答はイエスと判断させてもらいますので、沈黙に意味はありません」

「えっと、あの、きみはなにを――」


 と。

 雛菊は遠慮など一切なく。

 悪意も敵意も害意もなく。

 ただ、疑問符を浮かべて言った。


「先輩は、鏡ひかりのことを、本当の意味で(、、、、、、)ご存じですか?」


 ……意味がわからない。


「きみは、なにを言ってるんだ?」


 意味が全くわからない。

 僕にとってひかりは、生まれたときから妹で、なにをするときも妹で、周囲とのコミュニケーションが苦手で自分からは動こうとしなくてお化けとか幽霊とかが怖くて野菜が嫌いで牛乳が嫌いで猫アレルギーで携帯電話のアドレス帳には家族以外の連絡先はなくてネットもできなくて小説が好きで漫画が好きで空想が好きで、でも、じつはお風呂が一番好きで、夢菜には遠慮して文句は言わないけど、僕にだけはけっこう口が悪いかわいい妹だ。それが、ひかりだ。


「ひかりのことなら、よく知ってる。僕は兄だから」


 だから、雛菊の質問はよくわからなかった。


 しかし。

 雛菊は大きく嘆息した。


「それは本当ですか? 自信を持って言えますか?」

「もちろん」

「胸を張って言えますか?」

「ああ」

「理解者ということですね?」


 念を押す――というよりは、あきれているようでもある。

 僕がうなずくと、


「……わかりました。ありがとうございます」


 あきらかに、失望した表情を浮かべた。

 なんだろう。

 僕は心の底から澱んだ気分になる。

 べつにひかりをバカにされたわけでも、否定されたわけでもない。

 だけど今の視線には、あきらかに侮蔑ぶべつが含まれていた。

 いったい、なにが聞きたいのだろう。いきなり入ってきて、いきなり質問して。


 きみこそ、ひかりのなにを知ってるって言うんだ。


「きみこそ、ひかりの――」

「では、失礼します」


 雛菊は、僕の言葉なんて聞きもしないで、きびすを返した。

 半透明の扉がバタンと閉まると、とたんにテレビの音が大きくなったような気がした。

 ……意味がわからないうえに、失礼なやつだ。

 やはり最初の印象は間違っていなかった。


 僕はすこしだけ憤慨して、椅子に座りなおす。

 そのあと夢菜が戻ってきて、無垢むくに楽しむ彼女の姿を見ながらも心の隅にもやがかかったようで、素直に微笑むことができなかった。

 夢菜はそんな僕の変化には気付かず、ただひたすらにはしゃいでいた。


 数時間のカラオケを、僕は途中で抜けた。

 夢菜はまだ楽しみたいと言っていたから、お金だけを渡して先に帰った。あまり遅くなるとひかりが怒ってしまう。


 ……それにしても、雛菊姫子か。

 帰ったら、ひかりにどんな子なのか聞いてみると決めた。

 

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