第五章「終末の日の翡翠」
最終的に、全員が博士の構想に賛成を示した。
「計画はこうだ」
と、博士は古びた黒板にチョークで書き込んでいく(前世紀からの習慣で、これが一番説明に適している、と博士は主張した)。
〈玲瓏城〉の“崩壊”は、物理的にも社会的にも複雑な要因が絡まっているが、その根源にあるのは〈結晶樹〉の荒廃であり、その原因となるものを博士は突きとめたという。
「一種のウィルス的なものが、〈結晶樹〉に感染し、それを機能不全に陥らせている。〈結晶樹〉のあるものは脆くなり、あるものは異常増殖する。さらに人間や〈獣人〉のみならず、仮想生命たちの深層心理的に影響を及ぼす特殊な“ゲシュタルト”を生成するようになる。迷宮の構造や天蓋に作られた星の格子模様もそれらの一種だ。
私は原因である結晶樹に感染するウィルス的因子について、その正体を突きとめた。精巧にデザインされた、微小な硅素化合物だ……」
それらを除去する“対ウィルス”を作るために土蜘蛛の甲殻に含まれる希少金属が必要であり、伝播させていくメカニズムを知るために〈具象化された欲望〉のような疑似生命を培養することが必要だった、ということらしい。
「対抗策は十分に練られていると?」
ヒズミが尋ねる。
「概ね、な。“崩壊”の事実に気づいたときから、それを阻止することを考えてきた。君たちの協力があれば、ずっと早く取りかかることができる」
作業の能率がネックだったが、それは〈悪夢〉の計算能力と、修繕した〈自動人形〉によって補うことができる。〈獣人〉と“囮”がペアになれば、より多くの土蜘蛛を狩ることができる。
「想が囮になるのは、危険すぎるんじゃない?」と、ヒズミが気づかったが、それについては十分な防御装備を与える、ということで、決着がついた。ジョシュアがいれば心配することはない、と博士は言った。強い信頼を置いている、ということのようだ。
「問題は、そもそも結晶樹を蘇生させ、玲瓏城を復活させることなのだが……異論はあるかね?」
博士は、全員の顔を見まわした。
「俺は異論はない」
と、ジョシュアは軽くうなずいてみせた。
ディモルフォセカは黙っていた。〈自動人形〉はただ命令を遂行するだけで、それ以上の意志決定を行う権限はない、と思っているのかも知れない。
「私たち〈悪夢〉にとって、〈玲瓏城〉が存続するか否かは死活問題よ。〈玲瓏城〉外に脱出する方法もあるけれど、成功確率は確実とは言い難い。〈玲瓏城〉を復活させられるというのであれば、〈悪夢〉の総意として、計画には協力させていただくわ」
ヒズミは力強くうなづいた。
皆が想の顔を見つめた。
「僕も協力します。……他の人々に比べれば、できることは少ないけれど」
想は、静かに微笑んだ。
その日は既に遅く、みな疲れ果てていたので、各自研究施設の入浴設備を借りて身体を洗い、揃って遅い夕食を食べた。博士の簡単な修復によって、作業用の腕をとりつけられたディモルフォセカは意外な器用さを発揮し、全員分の食事を調理した。素材は研究施設に貯蔵してあった合成食品だったが、料理人の腕前に、博士やジョシュアは「久々に食事らしい食事をした」と喜んだ。ヒズミは食事をすることができなかったが、食卓で博士や想を相手にしゃべり続け、ときおり博士をむせさせた。
翌朝から計画の準備がはじまり、全員が割り当てられた作業をとりおこなった。
ヒズミは、作業の合間にメンバーを座らせ、スケッチブックにデッサンと称して抽象的な絵を書き殴っていた。
混沌とした木炭の塊のようになってしまった自分の姿を見て、
「これが俺かよ!」
と思わず、吹きだしたジョシュアに対し、
「モデルとして粗密はあれど、どんな“リアリティ”にも、それなりの基礎があるのよ」
と、笑いながら答えていた。
「博士は分かるけど、ジョシュアは、なんで〈玲瓏城〉から出ようとしなかったの?」
ある時、想は尋ねてみた。
「恋人が死んだんだよ、ここで」
ふと、ジョシュアの赤い獅子の眼が翳ったように見えた。
「博士の妹で、彼女も〈獣人〉だった。俺よりはだいぶ人間に近かったが。誰よりも美しかったよ。彼女と二人でいろんな場所を旅してまわって、最後にここに落ち着いた。博士もいたからね。ある日の朝、ベッドの中でこときれている彼女を見つけた。理由は分からなかった、博士にも、俺にも」
入りくんだ坑道の一角には、どういうわけか、せせらぎの聞こえる川と、そのほとりの小さな林があり、ジョシュアと想は二人でそこに立っていた。木々は結晶樹の高い天井から放たれる明るい燐光によって育ったものらしい。
「実は、それまで博士と、俺はあんまり折り合いが良くなかったんだ。二人で何も言わずに亡骸を葬った後、ほとんど言葉も交わさなかったのに、いつの間にかうち解けていた。たまに博士が頼み事をして、俺がそれをやる。逆の場合もある。出ていこうなんて、思いもしなかった。あの日から時間が止まってしまっていたんだろうな。
正直、博士があんなことを考えていたなんて、意外だよ」
薄明るいせせらぎの中を、一羽だけ残った翡翠が飛んだ。