第三章「迷宮の花」
目的地である坑道の入り口に着き、三人は車輌を降りた。ジョシュアは袋に入れられた土蜘蛛の脚を担いだ。
「気を付けろよ。ここの〈結晶樹〉はまだ生きてる」
先頭に立ったジョシュアが声を掛け、手提げ式の液体ランプに明かりを灯した。
想の父である、新城智之が開発した〈結晶樹〉は硅素を素材に作られた、生きた建材だった。自己複製・自己修正を行い、プログラムを変更することで自在に構造や性質を変えることができた。〈玲瓏城〉のような巨大な建築物がごく短期間で建設され得たのも、この建材の性能に拠る部分が大きかった。
坑道内の結晶樹の壁はしっとりと濡れた緑色をしていて、道はいくつにも枝分かれしていた。まるで翡翠でできた迷宮のようだった。
「ときどき勝手に道が変わってしまう。だいたいの位置は見当はつくし、幸い大きく変化することはないんだが……」
「それは大丈夫よ。私に任せて」
ヒズミがうなずいた。
「プセウドスフェア経由で、この坑道のプログラムにリンクしたから、道筋はたどれそう」
「ほう。〈悪夢〉ってのは便利なんだな」
「まあね」
にやりと笑って見せた。
足を負傷している想は二人に支えられながら、坑道の坂道を下っていった。分かれ道に辿りつくたびに、ヒズミが一方を選び、二人はそれに従う。
「最下層までの中間地点に、その博士とやらの研究設備があるらしいわね」
「そういうことだ」
ジョシュアが肯定する。
あと分かれ道が三つほど、と、ヒズミが言った時、何か濡れたものが這いずるような異様な音が聞こえた。
「何、あれ?」
ヒズミが不快そうに顔をしかめる。
ジョシュアは舌打ちして、自動小銃を構えた。
「博士のやつ、また何かしくじったな」
視線の先には、なにやら粘液状のものが灯に照らされて蠢いていた。
ヒズミが悪寒を覚えたように身体を震わせる。
「博士ってのは何、バケモノの研究でもしているわけ?」
「まあ、それに近いかも知れんが……。あんたや俺だって、ある意味、バケモノに近しい存在だろう?」
「近しくなんてないから、あんなのと。一緒にしないで」
「ちょっと待って」
想は、言い争う二人の間に割って入り、通路の奥の方を指さした。
「あれ、たくさんいるみたいだけど、いったい何に群れているんだ?」
ジョシュアが示された方向に光を動かす。そこには数多くの粘液状の不定形物体が押し合うように群れていて、その合間から人の腕が突き出ていた。
三人は一瞬ぎょっとして身を固くしたが、よく見ると人間ではなく、マネキンのように人型をした無機物に群れているようだった。
「人形?」
「そうだな、古い〈自動人形〉のようだ」
〈自動人形〉とは、ロボットの一種で、言葉を発しないもののことを指す。姿形もあえて人間よりはマネキンのように無表情でぎくしゃくしたものに作られることが多かった。
「ロボットか。故障していないなら、助けてやるべきかな――」
「でも、どうやって? 土蜘蛛とは違うから、銃弾が効くかどうか分からないでしょ?」
「確かにそうだが……」
三人が思案していたとき。
――べたり。
と、頭上からそれが降ってきて、ちょうどヒズミの真上に覆い被さった。ヒズミが悲鳴を上げる。
「ヒズミ!」
叫んで、想とジョシュアが追い払おうとするが、粘性を持った物体は容易には引きはがせない。そうこうしているうちに、通路の奥にいた粘液状のもの達が予想外に俊敏な動作でつぎつぎに飛びかかってきた。三人は瞬く間に粘液まみれになってしまった。
支えを失った想は倒れ、覆い被さってくる粘つき相手に格闘していたが、視界の縁に、さっきの自動人形が関節を軋ませながら、ゆっくりと立ち上がるのが見えた。
人形は指先を真っ直ぐに伸ばし、想に組みついた粘性のものに向けた。次の瞬間、人形の指先から三条の光の矢が走り、粘性のものを貫いた。粘性のものは矢に穿たれた部分から、まるで糸がほつれるようにバラバラと蒸発していき、後にはわずかなしたたる水だけが残った。
ほっと想が一息つく。人形は休むことなく、つぎつぎに他の粘体を蒸発させていく。想の次には、ジョシュアが自由になり、ヒズミに覆い被さっていたものも追い払われた。数体は逃げ去ったようだったが、三人はどうにか解放された。
「助かったぞ、自動人形! 言葉は分かるか?」
ジョシュアが大きな声で呼びかける。
自動人形は歯車の音を立てながら、意味ありげに首を縦に何度か振った。真っ白な陶器の仮面のような顔には、髪も鼻も口もなく、ただ黒く眼窩の孔が空いているだけだったが、どこか誇らしげな表情を浮かべているようにも見えた。
想は傍らで倒れていた、ヒズミに呼びかける。
「ヒズミ、君は大丈夫か――? ヒズミ?」
様子が妙だった。何とも表現しがたいが、身体の輪郭がぼやけているように見えた。呼びかけても返事が無い。視線はどこかあらぬ方向を見すえ、表情には不気味なまでに生気がない。
「なんだこれは? どういうことだ?」
ジョシュアが駆け寄ったが、ただ呆然と見下ろすだけだ。
実質、情報空間上のソフトウェアでしかないはずの〈悪夢〉は怪我や病気とは完全に無縁で、「身体」に異常を来すはずがなかった。
プログラムの異常を除いては。
はっとして、想はヒズミの腕を強く掴む。波打つように、実体が無くなりかけている。
「ナビゲートのために、坑道のプログラムにリンクした、って言ってたな。もしかしたら、坑道のプログラム経由で、君のデータの所在が粘体共にばれたのかも知れない! ヒズミ、一度、接続を切れ! やつら正体は分からないが〈悪夢〉と同じような、仮想生命体かも知れない」
痙攣するヒズミの身体を抱き上げる。手に触れたヒズミの身体はゆるりと溶け落ちていきそうな、不安定な質感になっていた。プセウドスフェア上のプログラムからの制御が失われかけているようだった。
「ヒズミ! ヒズミ!」
何度も名前を呼ぶ。
「ヒズミ、接続を――」
「OK、もう大丈夫」
ヒズミの口が無機質に動き、ひび割れたノイズ混じりの声が洩れた。
「――探知されて攻撃されそうになったけど、偽のアドレスを掴ませて凍結させた。その後、敵のプログラム削除。ぬかりはないわ。少し、てこずって身体の制御がおろそかになってたんだけど」
ヒズミは意識をとりもどしたというような表情で、立ち上がり、数回軽く跳ねてみせた。さらにくるりと一回ターンしてみせる。
「大丈夫か? 良かった……」
想は安堵のため息をついた。
車輪の回転する音がして、通路の奥から自動人形が近づいてきた。人形の上半身は球体関節人形のように人間を模したものだったが、腰から下は車椅子のように、車輪が取りつけられているものだったらしい。足場が悪い場所でバランスを崩しているときに襲われたのだろうか。左腕の肘から先が破損してなくなっていた。
「レメディオス・バロのホモ・ローデンスみたいね」
と、ヒズミが呟く。
「痛々しいな。博士なら修理できるかも知れん。連れて行くか」
と、ジョシュア。
よく見ると、人形の胸には華麗な紋様と「Dimorphotheca」という文字が浮き彫りしてあった。
「ディモルフォセカ。これはあなたの名前?」
ヒズミが尋ねると、自動人形は軋みながらゆっくりとうなづいた。
「難しい名前だね」
「花の名前、非州金盞花のことよ。いい名前じゃない。じゃあ、ついておいで」
ヒズミはジョシュアをふりかえる。
「ところで、ジョシュアさん。私はセキュリティ上、ナビゲートするのはここまでにしておきたいんだけど、辿りつけそう?」
「安心してくれ。もう、すぐそこだ」