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巨神族の長は鏡の中で恋をする

掲載日:2026/11/01



 巨神族とは、巨人族を司る神である。

 遥か上空、雲のさらに上へと突き抜ける巨大な山に、その里はある。

 グーバという名の里であり、雑に踏み固めた大地に、約十五〜二十メートルほどもある石の家が点々と建ち、空にいちばん近い畑では、人間の家ほどもある麦の穂が風に揺れている。

 住むのは、身の丈十メートルを超える、灰色の肌の神々だ。彼らは地上の巨人族に祈られ、ときどき雲の切れ間から下界をのぞきこみ、平和に暮らす巨人たちを眺めては、のんびりと暮らしていた。


 里長である俺、グスタフの家には、一枚の姿見がある。高さ十三メートル。巨神の全身を映すための、とてつもなく大きな鏡だ。

 いつからそこにあるのか、その鏡を所有する俺ですら知らない。

 伝記によれば、父である前任の里長の家が建つより前からあったと記載されていた。そして、違う伝記には、鏡のまわりに里ができたのだと書いてあるものもあった。


 その朝、里長の俺は、いつものように鏡の前で髭を整えていた。

 赤く長い髭は、巨神族の長である証だ。一本の乱れも許されない。毎日、山羊の脂を少量塗り、艶を出し、残りを髪に使いヘアセットを行う。これが毎日のルーチンであり、これをしないと俺に朝は来ない。


「……ん?」


 鏡の中の俺が、まばたきをしなかった。

俺は、もう一度まばたきをした。鏡の中の俺は、目を見開いたまま、じっとこちらを見ている。


 ―――いや、違う。


 見ているのは、鏡に映った自分ではなかった。鏡の中の、見慣れた自分の家の、見慣れた部屋の中にいる、見慣れない人影が、こちらを信じられないものを見たかのような顔で覗いていた。


「......なんだ、これは」


 俺は、鏡に手を伸ばした。

 指先が鏡の面に触れた瞬間、冷たい水に手を突っこんだような感触がした。


 ―――そして、世界がひっくり返った。




♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢




 気がつくと、俺は自分の家の床に転がっていた。起き上がって、あたりを見回す。机も、棚も、壁にかけた斧も、すべて自分の家のものと同じだ。

 ただ、明らかに違う所があった。

 それは、何もかもが左右逆になっている所だ。

 右にあるはずの暖炉が左にあり、棚の取っ手はすべて反対側についている。誰かが、勝手に模様替えしたわけではないだろう。


 振り返ると、自分の家にあるものと同じ姿見があった。鏡に映る自分の姿は、いつもと同じだ。髭はキマっているし、髪型も申し分ない。完璧な男の姿だ。


「......出たわね!」


 扉が開く音が聞こえ、背後から声がした。

 振り返ると、部屋の出入り口に一人の娘が立っていた。灰色の肌に、燃えるような赤い髪。巨神族である証だ。肩まであるその髪は、ウェーブがかかっている。背丈は、俺よりも少し低いくらいだろうか。左手に、身の丈ほどもあるホウキを握っている。


「あ......あなた、鏡から出てきたわよね。お化けでしょ!?」


「お化けとは御挨拶だな。俺はグーバの里長、巨神族のグスタフだ。決して、お化けなどでは――」


 一歩で距離を詰めてきた女は、俺の頭にホウキを振り下ろす。ホウキが俺の頭を直撃し、完璧にキメたばかりの髪型がホウキで押し潰される。

 巨神族の里長が、生まれて初めてホウキで叩かれた瞬間だった。


 叩かれたホウキ越しで奥を見ると、扉の向こうにはみっともなくしゃがみ、頭を抱え震えている男の姿があった。

 鏡に吸い込まれる直前、自分だと思って見ていた人物だろう。臆病な性格なのだろうか。女に戦わせるなど呆れたやつだ。


 俺はホウキを掴んだ。女は掴まれたホウキを引き剥がそうと必死に力を込めるがビクともしない。やがて、諦めたのかホウキから手を離し、その場にへたり込んだ。


「......煮るなり焼くなり好きにしなさい」


「いや......食べるつもりなど毛頭無いが」


 名前を聞くと、女の名はシャンディといった。

 鏡の向こうの里の、長の妹だという。そして、奥で怯えていたのが里長のフタスグという男らしい。なんとも呼びにくい名だ。

 彼女たちは、自分たちの里を「バーグ」と呼んでいた。グーバを鏡に映して、逆さに読んだような名前だった。そう考えると、ディンシャという女がグーバに居るのだろうか。いや、そんな女は聞いたことも見たこともない。


 バーグの者たちは、みな灰色の肌と赤い髪をしていて、彼らは自分たちをルビン族と名乗った。

 そして、おかしなことにバーグの者たちにとっては、俺の方こそ「鏡の中から来た者」だったのだ。

 バーグの長の家にも、同じように姿見があり、その鏡の中から、ある朝いきなり灰色の男が飛び出してきたのだ。それは怯えて逃げ出しても仕方がないだろう。


「ねぇ、鏡の中の妖精さん。なんで勝手に人の部屋に上がり込んできたの?」


 おばけから妖精へと進化を果たした。進化なのかは疑問だが。


「そんな盗賊みたいに言わないでくれ。上がり込んだというより、吸い込まれた感じなんだ。いつものように、身だしなみを整えていると、そこの男と鏡の向こうで目があって、それで―――」


「御託はいいわ盗賊さん。目的を話しなさい。」


 妖精から盗賊へ退化を果たした。


「御託を並べているつもりはない。俺だって何が何だかわからないんだ。とりあえず、お互い状況把握の時間を設けないか?」


 シャンディは、「......わかったわ」と告げると、外へと案内してくれた。




♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢



 バーグの里も、グーバと変わらず石造りの家が建ち並んでいた。しかしやはり、全てが反転した風景だった。そこで、辺りを見回しながら、ある違和感に気づいた。


 道に落ちている石を拾い上げる。いつもは爪の先で持たないと摘めない物が、指先で摘むことが出来るサイズへとなっていた。それだけではない。木が......俺より大きいのだ。


「―――なんだこの木は......!」


「何って......普通の木じゃないの?」


「普通なものか!明らかに巨大じゃないか!」


「巨大って......あんたの里の木はどんだけ小さいのよ」


 試しに家へと戻り、姿見に触れてみる。すると、指先から鏡に吸い込まれ、そのまま自分の部屋に戻ることが出来た。


 振り返ると、シャンディとフタスグが鏡の向こうからこちらを見ている。俺は手を振って、外へと出た。外に出て最初に行ったのは、木を見ることだ。


 ―――うん、やはり小さい。


 里にある木を見て回る。

 俺と同じ背丈か、やや小さいほどだろう。俺の身長は、十二メートルだ。つまり里にある木は、十メートル〜十二メートルほどだということだ。


 しゃがみ、石を拾い上げる。石は、バーグとは違い、爪の間に入るほど小さかった。これが、俺にとって当たり前の光景なのだ。



 つまり、これは............どういう事だ?



「つまり、鏡の向こうのあなたは大きく、こちらへ来ると、背が縮むのよ」


 鏡の里に戻り、シャンディと向かい合わせに座っている。シャンディは腕を組み、右手を顎に当てて考えるポーズをとっている。

 指先は細くスラリと長い。爪は手入れが行き届いていて、ボロボロでも気にしない俺とは大違いだ。ウェーブのかかった髪はツヤがあり、窓から差し込む朝日に照らされ輝いていた。


―――美しい


そう思いながら見惚れていると、


「という事は、姿見を通れば、私も大きくなれるということね。......って、聞いてる?」


「......あ、あぁ。すまない、つい見惚れてしまった」


「み、見惚れ......っ!」


 シャンディの顔が真っ赤に染まった。髪の毛との境目がわからないくらいに。


「―――バッカじゃないの!私だけ考えてどうすんのよ!あなたも考えなさいよ!」


 耳まで赤いシャンディは、頬を膨らませ、腰に手を当てプンスコと怒っていた。なんと愛くるしいのだろう。


 それから、二つの里の行き来が始まった。

俺が、バーグの里に来ると身長二メートルに縮むのに対し、バーグの里の者が、グーバに来ても大きくはならなかった。

 シャンディは、百八十六センチの身長のままだ。踏み潰さないように注意しないとならない。

 ともあれ、やはり危険なので、基本はバーグの元へこちらの人間が向かうだけに留めた。


 各々やるべき仕事が終わり、暇を持て余した者は、バーグへ行き、畑を耕したり、子どもと遊んだり、酒を飲んで、意気投合した者たちと歌っていた。


 少し苦労したのは、字が左右逆だった事だ。

最初はその事に気づかず、読み方を教わっていたが、なんのことはない、巨神族の文字が鏡写しになっているだけだったのだ。気づいてしまえば後は早かった。慣れるだけなのだから。


 俺は、地面にグーバの文字で「よろしく」と書くと、シャンディは首をかしげた。手鏡に映して読み、「あー、なるほどね」と理解すると、お互い握手を交わしてから腹を抱えて笑った。


「あなたの字、全部裏返しだから困っちゃうわ」


「シャンディの字が裏返しなんだよ」


「もう、どっちでもいいわよ、そんなこと」


 シャンディは、そう言って笑っていた。

 笑うシャンディを見て俺も笑う。しかし、俺には、ひとつだけ気になることがあった。


 彼らは巨神族ではなく、ルビン族と呼ばれる種族らしい。そのルビン族からは、魔力の気配がまるでしなかったのだ。いや、魔力だけならまだ良い。魔力が無い者はちょくちょく見かける。


 しかし、ルビン族はそれだけではない。そこに居ないように感じるのだ。まるで、ポッカリ穴が空いているように。そこに存在感を感じない。気配が無いと言うべきか。


 神である巨神族はもちろん、地上の人も獣も、ふつうは多かれ少なかれ気配を持っている。生きる為の生命の音だ。血が流れ、心臓が脈動し、筋肉が動き、骨が身体を支え、呼吸をする音。けれど、ルビン族にはそれがない。


 目を離すと、そこにいることを忘れてしまいそうなほど、彼らの気配は全く無かった。

 それでも、彼らは確かに生きていた。笑い、怒り、泣き、そして、腹を減らしていた。


 別にそこに問題があるわけでは無い。気にしなければ良いだけなのだ。実際、俺と同じように気づいている者も居るだろう。しかし、わざわざそれを口にする者は居ない。


 一年が経ち、俺とシャンディは惹かれ合い、毎日を共に過ごすようになっていた。

 里長であるフタスグは、お前なら妹を任せても良いと太鼓判を押してくれている。

 しかし、俺はシャンディと手を繋げてすらいないのである。




♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢




 シャンディが手料理を振る舞ってくれた。シャンディの料理は、俺の好みである濃い味付けだ。そして、色鮮やかな食材が使われ、盛り付けも華やかだ。

 当の俺はというと、シャンディの時間をかけた気遣いに全く触れず、ガツガツと料理を平らげた。

 そんな俺に、シャンディは怒りもせず、「気持ちの良い食べっぷりね。作りがいがあるわ」と嬉しそうに微笑んでいた。


 お礼に、シャンディをグーバへ連れて行き、案内した。俺の部屋に来たシャンディは、家具、寝具、扉、窓、全てにおいて目を見開き驚いていた。この表情が、巨体の俺からはよく見えなかったのが悔やまれる。


 身長十二メートル対百八十六センチだ。住む世界が全く違う。

俺はシャンディを両手に乗せ、割れ物を運ぶように大切に運んだ。

 外に出て、掌の上のシャンディは俺の指の一つにしっかりと捕まり身を乗り出した。上、下、右、左とあちこちに首を動かし、キャッキャしている。お願いだから、もう少し安定した場所に移動してほしい。


 風を気持ちよさそうに浴びているシャンディは、後ろ姿しか見えないにも関わらず、息を呑むほど美しかった。

 好きだ好きだ大好きだと、心の中で連呼する俺は、手汗が滲み出ていた。

 手汗に気づいたのか、シャンディは振り向き、俺の顔を見た。

 イタズラ顔でニカッと歯を見せ笑う彼女に、俺の心臓は体内で一、二メートルは跳ねていただろう。


 風が強く吹き、シャンディはフラついて落ちそうになる。俺は両手で包み込み、バーグへ戻った。


「あー、楽しかった!形は一緒なのに全部が大きいんだもの!小人になっちゃった気分だわ!」


 俺にとっては、さっきまでのシャンディは小人なのだが、今目の前にいるのは、俺と身長が十四センチしか変わらない大人の女性だ。


 外に出ると、シャンディが俺の方に右手を差し出した。手を繋ぎたいのだろうと察した。

 しかし、俺の手は前に出なかった。目線を逸らし、モジモジしていると、シャンディが口を開いた。


「さっきまで、私の全身を触ってたくせに手も繋げないの?」


 イタズラな微笑みを俺に向ける。この顔を見るのは何度目だろう。俺は情けない男だ。

 俺は震える手でシャンディの指先に触れ、シャンディは、俺の手を掴んで引っ張った。




♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢




 コーンコーンと鐘がなる。真っ白の教会に、花の飾りがあちこちに装飾されている。バーグの里の、少し離れた丘にそれはあった。


 俺たちグーバの里に住む巨神族は神である。故に、教会などという建造物は、こちらの里には存在しない。しかし、これを見て俺は、良いなと思った。このように、祝い事に使う建物として建てるのも良いかもしれない。


 雪のように純白なドレスに身を包み、うつむいているシャンディのベールを、俺はゆっくりと上げる。

 ドレス、装飾、髪飾りに至るまで真っ白のそれは、赤い髪をより美しく引き立てていた。斯く言う、俺も真っ白のタキシードに赤髪なのだが、彼女のように輝いてはいないだろう。

 こちらを見つめるシャンディの顔は、化粧をしているのか、頬は少し赤く染まり、日の光を浴びてキラキラと瞬いていた。


 俺は、ポケットから白い封筒を取り出し、中の手紙を開く。

 出会ってから今に至るまでの二年間、やってきた事、思っていた事、そしてこれからの事。赤裸々に綴られたそれを、グーバ、バーグの里の全員が見守る中、読み上げた。

 終わると同時に、拍手が巻き起こる。拍手に包まれながら、俺は手紙を仕舞い、シャンディを見つめる。彼女は涙を流し、少しだけ背伸びをして目を閉じた。

 俺は、シャンディの両肩を引き寄せ、唇を合わせた。温かく、心地いい。リップを塗っているからか、いつもより滑らかで柔らかくて良い香りがした。


 ずっとこうしていたい。いや、これから先、ずっとこうしていられるのだ。お互いのどちらかが、寿命で亡くなるその時まで。

 寿命......そういえば、ルビン族の寿命はいつなのだろうか。




♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢




 俺は今、生命の誕生を目の当たりにしている。

シャンディから出てきた生命は、大きな産声をあげ、目の前に現れた。シャンディは産婆から子どもを受け取ると、愛おしそうに眺めた。


 俺も産まれたばかりの我が子を笑顔で眺めているが、内心穏やかではない。

 俺の右手は今、感覚を失っているのだ。

 骨が折れているかもしれない。シャンディの力みと同時に俺の手は軋みを上げた。灰色の肌がドス黒く変色している。

 父と腕相撲をした時でさえ、ここまで腕にダメージは負わなかった。

 シャンディを怒らせないようにしよう。そう、俺の右手と契約を交わした。



「ほら、あなた。男の子よ」


 薄橙色の肌に赤みが帯びている。そう、薄橙色だ。なぜか、巨神族と、ルビン族の間に産まれた子は薄橙色なのだ。グーバ同士、バーグ同士なら灰色の肌で産まれる。このような事がなぜ起きるのか、それは今もわからない。別に、わかる必要もない。肌の色がなんであれ、里の者は皆、無償の愛を注いでいる。


 俺は、我が子を受け取った。あの時、シャンディを包んだ時のように、割れ物を扱うように優しく丁寧に。


「名前、何にする?」


 我が子を抱いて右手の痛みと幸せが格闘している俺は、その言葉で我に返る。そういえば、決めていなかったのだ。


 我が子が俺の顔をじっと見ている。自分の一生を掲げる名が何になるのか、気が気じゃないのかもしれない。

 俺も子の顔を見つめ返し考える。グスタフとシャンディの名前をとって、グフディ?

 なんか違うな......。

シャンタフ?は、言いにくいし......。

スタディ?


「ラビリス......は、どうですか?」


「ラビリス?えっと......その心は?」


「今、頭にポンって浮かんできたの。えっと......そうね。由来は......強そうだから?」


由来は、後付けらしい。俺はプハッと吹き出して、命名した。ラビリス。それが俺たちの子の名前だ。



 ラビリスを、グーバに連れてきても、大きさは変わらなかった。つまり、シャンディの血が濃いのかもしれない。

 手のひらの上で、小さな寝息を立てる息子を見て、俺は微笑む。巨神の手のひらは、赤子にとって、広すぎるほどの寝台だった。


俺は、姿見を通ってバーグへ戻る。この、戻る時がかなり難しい。入った場所から身体が縮み、それに合わせて持っている物の持ち方を変えなければならない。流石に数年経った今では、慣れたものだが、今は物ではなく生命であり大切な我が子を抱いている。面構えが違う。


 鏡を通ると、シャンディがおかえりと迎えてくれた。実験でラビリスを通しただけなので、ついさっき、いってらっしゃいを言ってくれたばかりなのだが。

 もうここは、里長の家ではなく、グーバとバーグの者が行き来する通り道として建て替えられている。


 シャンディが腰に腕を当て、ドヤっという顔で大声を上げた。


「名前の由来、思い出したの!」


 思い出した?ポンっと浮かんだと言っていたので、なぜ浮かんだのかがわかったという意味だろうか。シャンディが指の先で、ラビリスの頬をつついた。


「ほら、昔話してくれた、刃が二つある斧の名前をラビリスって言ってたでしょ?」


 背中合わせに二枚の刃がついた、巨神族の古い斧の名だ。どちらを向いても、同じ形の刃がある。


「あー、確かにそうだな」


「ね、あれ鏡みたいでしょ」


 シャンディは嬉しそうに笑いながら続けた。


「こっちとあっち、二つの里をつなぐ子。ラビリス」


ラビリスが、返事をするように俺の指をぎゅっと握りしめた。負傷している俺の右手の指が、みしりと鳴る。


「……なぁ、シャンディ」


「なに?どうしたの?」


「ラビリス、力が強すぎないか」




♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢




 ラビリスは、すくすくと育った。

 朝はシャンディの家で川の字で眠り、昼はグーバの祖父、つまり俺の父に字を習った。夕方にはまた鏡をくぐって、夕飯の支度を手伝う。


 鏡の前で、ラビリスは毎回同じことを言っている。

 どっち側にいても、入る時は「いってきます!」そして、鏡をくぐった向こう側で「ただいま!」


 そうやって一日に何度も、ラビリスは二つの里を行ったり来たりした。ラビリスはグーバに入っても身体の大きさが変わらないため、必ず俺か、俺の両親が付き添っている。でないと、いつの間にか踏み潰されてしまうだろう。

 シャンディが来る時は、必ず俺が付き添う。掌に乗せたり、肩に乗ったり、頭の上に乗ったりで楽しくお散歩デートを満喫している。



 成長につれ、ラビリスはバーグのルビン族ではあり得ない行動を見せた。

 巨神の子どもが両手でやっと抱える岩を、ラビリスは片手で持ち上げてみせたのだ。


シャンディは尻もちをつき、俺は腰が抜け、打ち付けた拍子にギックリ腰を起こした。


「ラビリスは小さいのに、なんで力持ちなの?」


 とシャンディが聞くと、


「なんでだろ?僕と同じ肌の色の子でも、身体が小さい子はみんな、岩は持てないもんね」


 と返した。本人でも分からないそうだ。まぁ、それはそうであろう。

 俺の血が、筋肉にだけ影響したとかだろうか。他のところは、シャンディに寄っていると感じる。

 シャンディに似て美しく整った顔、シャンディに似て艶やかで滑らかな髪、そして、シャンディに似て、興奮状態になると白目が黒くなり、瞳が鏡になる。


 ラビリスは、岩を持ち上げた次の日、虫を殺して遊んでいた友達に本気で怒った事がある。その時、ラビリスの目は変色し、殴りかかった。俺はラビリスの拳が友達に到達する前に、受け止める事ができた。かなりの力で、俺でも止めるのに必死だった。あのまま友達を殴っていたら、間違いなく死んでいただろう。

 その変色した目が、シャンディと同じなのだ。俺もシャンディを本気で怒らせてしまった時に、同じ目をされた事がある。当時の俺はびっくりしたが、シャンディの目が鏡で反射し、俺を映していたので、マッスルポーズをとると笑って許してくれた。キラキラして綺麗だと伝えると顔を真っ赤にしていた。




♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢




 ラビリスが十歳になった日、盛大な宴が開かれた。グーバの里の民は、全員バーグの里へ集結していた。飲み、食い、踊り、歌い、子ども達は遊びまわる。


「十歳か......早いもんだな」


 俺は友達と走り回るラビリスを見つめ、シャンディを肩に抱き、酒を飲んだ。シャンディも俺に身体を預け、ワインを飲んでいる。


 ラビリスが友達と鬼ごっこをしている時に、なにやら揉め事が始まった。聞けば、タッチした、してないという不毛な喧嘩だった。


 ラビリスが拳を握りしめて、殴りかかろうとする。俺は、その手を掴んで止めた。


「ラビリス。前にも言っただろう?こういう時、どうするんだっけ?」


「......離れて、深呼吸」


「そうだ。良い子だ。吸って、吐いて。その調子だ、あと三回しよう」


 ラビリスの目が、白に戻っていく。


「ラビリス、お前の力は俺に似て強すぎるんだ。お前の力は、仲間ではなく、仲間を危険に晒す敵から守るために使うこと。わかったな?」


 ラビリスはコクリと頷いた。


「よし!お前は最高の息子だ!!俺の酒が切れたから、グーバから取ってきてくれ!」


「もう!子供に酒を持って来させないで!」


 シャンディが俺を叱る。


「良いよお母さん!僕取ってくるから!」


「気をつけてなー!」




♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢*♢




 ラビリスは、いつものように姿見を通ろうとする。すると、鏡の右下の隅に、髪の毛のように細い線が走っているのを見つけた。ひび割れている。


「うわっ、大変だ。お父さんに伝えないと」


 とりあえず、酒を取って渡す時に伝えようと思い、ラビリスは鏡を通った。


 鏡を通り抜け、酒を探す。


「あった!これだ!」


 お父さんがいつも飲んでいる酒、ウイスキーというらしい。これをお父さんはいつもコップに注がずそのまま飲んでいた。


 手に持ち、姿見へと戻る。その瞬間、姿見の斜めに走っていたひびから、無数の細いひびが枝分かれして、蜘蛛の巣のように鏡一面に広がった。


 そして、崩壊した。崩壊したのは姿見だけではない、地面も崩れていた。土台を失った建物は落下しながら瓦礫と化し、植わっていた木もそのまま真っ逆さまに落ち続ける。夜の帷は完全に落ちており、真っ暗な闇の中を延々と落ちる。


「お父さん......!お母さん......!」


 返事はない。落ちながら風を切る音と、瓦礫がぶつかる音しか聞こえない。冷たい風の中を、まっさかさまに落ちていった。


 上を見上げると、光の雨が降っていた。あれは、砕けた鏡の破片だろうか。それが、流れ星のように尾を引きながら空いっぱいに散らばって、地上のあちこちへ落ちていく。


 砂漠へ、森へ、山へ、そして街へ。

ひとつの破片が、遠い砂漠の真ん中に落ちるのが見えた。落ちた場所から光の柱が立ちのぼり、それはみるみるうちに、雲を突き抜けるほど高い塔の形になった。


 別の破片は、どこかの街の、小さな家の中に吸いこまれていった。のちに人々は、一夜にして現れたそれらを、「ダンジョン」と呼ぶことになる。


 その最初のひとつが、雲の上の里にあった一枚の姿見だったことを、知る者はいない。


 そして、ダンジョンが現れたその日から、地上には、気配のない化け物たちが姿を見せはじめた。

 魔力を持たず、そこにいることさえ忘れてしまいそうなほど影が薄く、それでいて、恐ろしく力の強い者たち。

 人々は、彼らを「イルジオン」と呼ぶようになる。ラビリスはまだ、それを知らない。人々が「イルジオン」と呼ぶそれと、自分が同じ存在であることに。



 ―――ラビリスは気を失った。



 目を覚ますと、森の中だった。

 背中の下で、太い木の枝が何本も折れていた。雲の上から落ちてきたというのに、体はどこも痛くなかった。これが、お父さんの血の力だろうか。


「お父さぁーーん!」


 返事はない。

 森の鳥たちの声が聞こえるだけだ。


「お母さぁーーん!」


 鳥が一羽、飛び立った。

 見上げた空には、森の背の高い木と、隙間から覗く青い空だけしか見えなかった。

 裸足の足の裏に、湿った土が冷たかった。


 それから、ひと月。

 あてもなく森をさまよい続けたラビリスは、ある日、小さな家の窓から真っ赤なリンゴを見つける。


 ひどく、お腹が空いていたラビリスは、そのリンゴへ一目散に駆けつけかじった。



 ―――それが、毒の入ったリンゴだとも知らずに。




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