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十七歳の逆襲

 湿った油の匂いと、埃っぽい布の繊維が鼻をくすぐる。

 午後九時。四畳半に二段ベッドが二つ押し込まれた、女子寮の「私の陣地」。上段のベッドに潜り込み、耳栓代わりのイヤホンを深く差し込む。


「……はぁ」


 スマホの画面が網膜を焼く。

 おすすめに流れてきたのは、同じ17歳の、どこかの女子高生のリール動画だった。

 放課後の教室。西日が差し込むなか、制服のネクタイを少し緩めた女の子が、友達と笑いながらダンスを踊っている。画面の向こうは、フィルターでキラキラと輝き、彼女たちの肌は陶器のように滑らかだ。


「……別の生き物だな、これ」


 自分の指先を見る。

 一日中、ミシン針と格闘し、硬いデニム生地を回し続けた指。あちこちに小さな針跡があり、指先は摩擦で硬く、爪の間にはどんなに洗っても落ちない濃紺の染料がこびりついている。


 ――同じ十七年を生きているはずなのに、どうしてこんなに世界の色が違うんだろう。

 彼女たちが「期末テスト最悪ー!」なんて言い合っている時間に、私は一時間に数百本の裾上げをこなす。彼女たちがマックで新作のフラペチーノを飲んでいる金額で、私は実家への仕送りをあといくら増やせるか計算する。


 三年前、父親が事業に失敗して蒸発した。

『もも、ごめん。せめて高校だけでも行かせてやりたかったが……』

 泣き崩れる母の前で、私は「勉強、嫌いだったからちょうどいいよ」と笑ってみせた。

 そのまま、ろくに卒業式も出ずにこの田舎の縫製工場へ。中卒。十六歳で社会に放り出された私の世界は、ミシンの轟音と、この狭いベッドの上だけで完結している。


 現実を忘れるために、動画サイトを開いた。

 再生したのは、今、圧倒的なカリスマとして君臨する十九歳のシンガー『キリカ』の最新MVだ。激しいギターの歪みと、すべてをなぎ倒すようなドラム。キリカの叫びが、イヤホン越しに私の脳髄を震わせる。


「……この曲、何回聴いても飽きないな、キリカすごいなぁ」


 MVが終わり、画面が暗くなる。


 数秒後、自動再生で次の動画が始まった。

 それは、キリカのこれまでの歩みを振り返る独占インタビュー動画だった。


『――キリカさん。今やチャートを席巻しているあなたですが、すべては一年前にSNSに投稿された、あのたった一曲の楽曲から始まりましたよね。あの衝撃的なサウンド……一体、どんなスタジオで、どんな機材を使って生まれたものなんですか?』


 画面の中のキリカは、つまらなそうに鼻で笑って答えた。


『機材? そんなのあるわけないでしょ。一年前の私は、大学を辞めてバイトで食い繋いでて、その日の飯代にも困ってたんだから』


 心臓が、ドクンと跳ねた。


『あの曲は、このスマホ一台で作ったの。今ってすごくてさ、「SONIC-BEAT」ってアプリがあって無料で作曲できるんだよ。それだけ』


 インタビュアーが絶句する。キリカはスマホをカメラに突き出し、不敵に笑った。


『世の中、金がないと表現できないと思ってる奴ばっかだけどさ、そんなの嘘だよ。

 楽器が買えない? 環境がない? 

 ――あんたのその指先、ただ画面をなぞって「いいね」を押すためだけに付いてんの?』


 キリカの鋭い視線が、画面越しに私の「汚れた指先」を射抜いた気がした。


『今やスマホがあれば自分の思いを、熱を世界中に届けられる。

 叫びたいことがあるなら、行動するんだ。……言い訳して死ぬより、マシでしょ?』


 気づけば、私はアプリストアで「SONIC-BEAT」を検索していた。

 手が震えている。

 インストールボタンをタップし、プログレスバーが伸びていく数秒間、私は祈るように自分の指先を見つめた。


 インストール完了。

 アイコンをタップすると、無機質な波形がモニターに現れた。

 使い方も、音楽の理論もわからない。

 でも、私は衝動のままに、画面上の「DISTORTION(歪み)」と書かれたボタンを押し、仮想のギター弦を乱暴に掻き切った。


 ジャ、ギャァァァァァアン……ッ!


 鼓膜を劈く、暴力的なまでの重低音。

 それは、昼間、工場の天井を震わせていた工業用ミシンの振動に似ていて――けれど、決定的に違った。


 これは、私の音だ。

 誰の許可もいらない。ノルマも、学歴も、親の借金も関係ない。


「……あの子の制服、切り刻んで」


 私は布団を頭から被り、ボイスレコーダーに向かって、今日一日頭の中で鳴り続けていた「呪い」を吐き出した。


「私のミシンで、縫い合わせて。

 誰も着られない、クソみたいなドレスを、世界に着せてやる」


 スマホの中で、ドラムのビートが加速する。

 劣等感。羨望。そして、腹の底で煮え切らない怒り。

 そのすべてが、アプリを通じて電気信号になり、爆音のロックへと変わっていく。


 下段のベッドから「ちょっと、もも! うるさいわよ!」と先輩が壁を叩く音がした。

 けれど、私は笑っていた。

 

 見てろよ、世界。

 この汚れた指先一つで、あんたたちの耳をつんざくような歌を、放り出してやる。


 令和の片隅。十七歳の逆襲が始まった。

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