表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『海辺のしるし』  作者: ふぁーぷる
【プロローグ(今)】
4/7

【第3章 別れの海】

 クゥは、すくすくと育った。


 朝には洗面器が狭すぎて跳ね回り、夜にはチャーリのベッド下から溢れそうなほど、体が伸びていた。


「クゥ、もう魚肉ソーセージじゃ足りないよ……」


 最近は食べたがらず、代わりにチャーリが釣ってきた小魚を丸飲みするようになった。


「お風呂場も、……泳ぎにくそうだね」

 ベッキーが小声で呟いた。


 ある夜、ふたりは決心した。


 ──クゥを、海に連れていこう。


 * * *


 夜中の漁師街は、ひっそりとしていた。


 月明かりを頼りに、浜辺へ向かうふたり。クゥは毛布にくるまれ、チャーリの胸の中に静かに抱かれていた。


「……喜んでるのかな」


「ううん、たぶん……わかってるんだよ。やっと、広い場所に行けるって」


 浜辺に着くと、クゥは静かに身体を伸ばし、ヒレを月光にかざした。


「すごい……」

 ベッキーが息をのむ。


 クゥの体は、いつの間にか半透明に近い青に変わり、背びれが波を受けるようにゆっくり揺れていた。


 チャーリはゆっくりと砂の上に膝をつき、毛布をほどいた。


「行こう、クゥ」


 クゥは、彼の手からするりと抜け、波打ち際へと進む。


 その瞬間だった──


「誰かいるぞ!」

 背後から、怒声が響いた。


 チャーリとベッキーが振り返ると、懐中電灯の光がいくつも揺れていた。


「……街の消防団!?」「やばっ!」


 実はその数日前──


 深夜の川辺で巨大な“青い魚影”を見たという噂が広まり、それがついに市長の耳にまで届いていた。


「子どもが怪しい生き物を育ててる」「村の安全が脅かされてるかもしれない」

 噂は尾ひれをつけて膨らみ、消防団、町内会、さらには市長の命令で捜索隊が組まれていたのだった。


「逃げよう!」

 チャーリがベッキーの手を引く。


 浜辺の隅に走り込んだそのとき──

 ザパァンッ!


 月光を切り裂いて、クゥが大きく跳ねた。


 捜索隊の誰もが動きを止めそれを見つめた。

 海面に浮かび上がった青い影。

 それはまるで、夜空の星が海に落ちたように美しかった。


 クゥは一度、振り返る。

 チャーリとベッキーに向かって、静かに──


「……クゥ」


 ふたりは息を呑み、涙をこらえた。


「ありがとう、クゥ……!」


 その声に応えるように、クゥは波を蹴り、大きく旋回したあと──

 やがて、深い夜の海へと消えていった。


 しばらくして、町の人々は“幻だったのかもしれない”と口を閉ざすようになった。


 だけど、チャーリとベッキーは──知っていた。


 あれは幻なんかじゃない。


 あの夜、たしかに竜が、海へ帰ったのだと。



【第4章 しるしの再来】


 潮風が、夏の終わりを告げていた。


 定年を迎えた主人公は、再び、あの浜辺へと足を運んだ。

 記憶の中にだけ残っていたはずの場所。けれど、足元の砂の感触も、波音も、かつてと同じだった。


「……変わってないな」


 そう呟いた声は、風にさらわれて消えた。


 少し歩くと、薄い霧が海岸を包み始めた。

 波の音は遠のき、世界がゆっくりと沈黙に包まれていくような感覚。


 視界の端で、何かがきらめいた。


 ふらっと、足を滑らせる──


「うわっ──」


 乾いた砂の斜面が崩れ、主人公はバランスを崩して倒れそうになった。

 とっさに岩に手をついたが、胸の奥に微かな恐怖がよぎる。


 ──そのときだった。


「……クゥ」


 遠く、どこからか聞こえた声。

 まるで、水の奥底から湧き上がるような──懐かしい音。


 はっとして顔を上げる。


 霧の向こう、水面に、淡い青い光が揺れていた。

 まるで、海そのものが呼吸しているかのように。


 目を凝らすと、微かに見えた。

 それは、あの頃と同じ──青い背びれ、滑らかな光沢、そして、あの優しい眼差し。


「……クゥ……なのか?」


 主人公が呟いた瞬間、霧が風に吹かれて動いた。

 海が一瞬だけ、鏡のように静まり返る。


 その刹那──青い影が、こちらに向かって、ひとまわり、弧を描いた。


 まるで、“もう一度、忘れないで”と伝えるように。


 主人公は、胸の奥でなにかがほどけるのを感じた。


 だが、次の瞬間、霧が再び濃くなり、影はその中へと溶けていった。


 ……波音だけが、残された。


 * * *


 しばらく、主人公は砂の上に座り込んだまま、何も言わずに空を見上げていた。


「……幻、なのかもな」


 けれど、左手のひらが濡れていた。

 見れば、小さな青い鱗のようなものが、そっと貼りついていた。


 風が吹く。

 潮の香りとともに、どこかで──微かに、また声が聞こえた。


「……クゥ」


 記憶でも、幻でもいい。

 あの“しるし”が、たしかに今、ここに再び現れたことだけは、何よりも確かな現実だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ