自然児とキャンプ。
キャンプが大好きな父と、そんな父にどこまでもついてのいける母の元へ生まれたらどうなるかって?
ありとあらゆるサバイバルを経験させられます。
雨でもテントを張り、台風でも中で眠る。
暑い日差しの下、火起こしをするし、蛇をうっかり踏んでも薪を的確に選んで持ち帰り、ある時はドラム缶風呂を自作した父に勧められ、おっかなびっくりしながら入った。(安心して下さい。水着は着ています)
そもそも私の生きている環境で、他の子もサバイバルだった。
山に入って野葡萄、自然薯、むかごもアケビも取ってたし、猿のように桜の木に登って、一度付いたら二度と落ちないサクランボのなりかけのような実を食べていた。そして近くの海で素潜りして突きん棒で魚を捕り、貝を捕り、その辺でタバコを吸っているダイバーからライターを借りて火を起こして焼いて食べていた。
‥‥って、文にしたらものすっごいな?
でも当時はそんなものかと思っていた。
そして貝は石によって上手に採れるのを教わった私は、コツコツと貝の周りを慎重に割って、鋭利な石で隙間に差し込んでは貝を採ってバター醤油にして食べた。素潜りも根性で会得してからは、貝を採ってまたバター焼き。食べてばっかりだ。
もちろん子供のする事だから‥と、お目こぼしもあったけれど、随分と地域も優しかったと思う。それでも割と珍しい部類の立ち位置だったな‥と、今ならわかる。
そしてそんな私、海にも山にも特化していると自負していますが、安心して下さい。
私は海外で湖と川も体験し、マイナス二十度以下の極寒の地でクロスカントリーしたら迷子になって、凍傷一歩手前で生還した女です。ちなみに凍った湖でスケートもすれば、タイヤに乗ってあちこち滑ってもいました。
ともかくサバイバルというか、自然の中へ放り込まれ、ただただ自然のデカさを毎回「すげーなぁ!」と感心感激感動し、優しく‥時に痛い目に合いつつも遊んでもらった子供でした。そんなキャンプの素養がある私なので、当然父に言われるんですよ。
「キャンプに行くぞ!!」
‥お父さん。まだ弟は3歳、妹は2歳です。
しかし思い立ったら吉日、即決即断即実行!の父。
かくて私はキャンプの道具を突っ込んだバンに一緒に載せられ、ものすごいガタガタ道にシェイクされながらど田舎ゆえ、誰もいないシンとした場所へ連れて行かれ、テント設営。私、当時10歳。
食事はレトルトなんてそんなになかった時代なので、当然火起こしをして簡単に作れる物。と、いっても父も母も美味しい物が大好きなので、アルミホイルに切っておいたジャガイモ、玉ねぎ、そして牛肉の塊を入れて塩胡椒したものを火の側でじっくりと焼くのだ。
父と母はちゃっかりコーヒーを飲みつつアルミホイルを突きながら喋る横で、私は弟と妹の面倒を見ながら夕陽をぼんやり眺め‥、「今日のアニメ観たかった」と思ったさ。
「出来たぞ〜」
と、ウキウキした顔でアルミホイルを開いてお皿に乗せて渡してくれた。
テントを組んだ労働のお陰かもしれない。ハフハフと熱さと戦うが、あんまり食卓には出ない牛肉を齧れば「キャンプもいいもんだ」と思うんだから、単純!本当に単純だ!!でも美味しいんだよね。
父と立てたテントに横になれば疲れもピーク。だがそんな娘に父はにっこり笑い、
「星を見よう!綺麗だぞ!!マシュマロも焼いたぞ」
「食べる」
星よりも食い気。
私は眠い目を擦りながら焼きたてのマシュマロをもそもそ食べながら空を見れば、一面の星空。ものすごく綺麗。でも、ど田舎だからうちからもこの光景見えるよ?と、思ったけれどそこは黙っておいた。マシュマロをもっと食べたいという欲が勝った。
かくてマシュマロを食べつつ、父に星座の話を聞きつつ、何度もお代わりをした。炭火で焼かれたマシュマロって美味しいよね‥。
そんな環境だったので、都会では出会うことのない、上も下もわからない闇夜も、冬でも天の川が見える夜空も、泣きたくなるような朝焼けや夕焼けも、呼吸のリズムのような海の波の満ち引きも、鼻の中が凍りそうに冷たい空気も、全部私の一部と、思えるくらいあまりにも自然は私の近くにいた。
あまりに近くにいて、上京した時、夜空に星が見えない事も、明るい空に満月でも気が付けないことにも驚いたし、寂しくなって、ハイジのように山に帰りたい!ならぬ、海を見たい!になって、有明の海へ行ったら当然汚くて、愕然としたけれど、「潮の匂いは同じ‥」と自分を慰めた。
今は都会の隅っこに住んでいるので、自然は割と多く、キャンプをしようと思えばできる。できるけど、私は多分あの時のあの空気を見たいんだよなぁと思うと、どうにも腰が上がらず‥。けれど時々、満月を見てはアルミホイルに野菜と牛肉を入れてじっくり焼いて食べてみる。
やっぱりマシュマロも必要だった‥と、噛み締めながら。