色鉛筆とスイマー。
小説をずっと狂ったように書いているが、実は絵をずっと描いていた人間でした。
齢一歳にして鉛筆やクレヨンでそこら中落書きをしていたらしく、気が付いたら画鋲の小さな面にまで顔を描いていたそうな。
最初はただ紙に見たものを描いていたが、そのうち物語を創造しては絵に描き、やがて漫画を知り、コマわりし、線を引き、やたら頭がでかく、でも足は長く、体のバランスの悪い人間を描いては満足していた。
「紙と鉛筆さえあれば牢屋の中で一生を暮らしても良い」
と、齢10才で宣言するくらい楽しかった。
勉強も食事もお風呂に入る時間も、寝る時間も要らないと思っていた。流石に数学の教師が担任だったのに、十点を叩き出した時は先生に泣かれた。ごめんね先生‥、数字とは中学以前にソリが合わないだけです。多分、先生の教え方が悪い訳ではない‥と、思う。
とにかく夢中になると寝食全てがどうでもよくなるので、家族がいなかったら、私は紙に埋もれてとっくに天国へ帰っていたと思う。
それくらい絵を描くのが好きだった私にサンタクロースが色鉛筆四十八色プラス水彩画セットという大盤振る舞いのプレゼントをくれたのだ。(ちなみにそれ以降はメモ帳だった‥)白と黒の世界しかなかった私にとってはものすごいプレゼントだ。
意気揚々と画用紙に色を塗るが、「‥なんか下手?」と、自分の表現したい塗り方もわからないくせに、下手くそっぷりだけはすぐにわかってしまった。他の漫画家さんが塗っている色はすごく綺麗なのに、なんで私のは下手なんだろう‥。
だが比べている人がそもそも間違っていた。
成田美名子先生は別格中の別格だ。
今なら言える。その素晴らしい才能に溢れた絵と比較するな私。
常人が逆立ちしても辿り着けない上手さだぞ‥。ともかく、コミックの表紙を見ては「なんでこんな綺麗に描けて、塗りまで完璧なんだろう」と。
私は何度も絵を見て真似ては、自分の下手さに絶望していた。
諦めが早い私は早々に色鉛筆を仕舞った。
切り替えが早いとも言う。
それでもどこかで「綺麗な色を塗りたいな‥」と、美麗な絵を見ては羨ましく、どうやったら描けるのだろうとずっと心の隅っこで考えていた。
そうして、たまたま本屋に寄った時、きたのじゅんこさんの本を見て目を見開いた。
めっちゃ綺麗!!
そして素敵!!色鉛筆?これ色鉛筆で描いたの!??
気が付いたら少ないバイト代でお買い上げ。
家に帰って仕舞っておいた色鉛筆を出して、速攻で模写させて頂いた。なにせ絵を習いたくても我が家は妹や弟の学費でヒーヒー言っていた時代。
手元に資料があるって大事ですね‥。
資料なんて呼ぶのもおこがましいけれど、ともかく素敵なイラストの本をそれはもう穴が開くんじゃないかと思うくらい何度も見ては描き‥、寝食は完全に忘れた。
楽しくて何枚も描いては、上手に出来たと思ったものを母に見せれば、
「色が薄い。濃淡がない」
「‥お母さんの原色ましましの絵と違って繊細なんです」
と、反論したが、母は幼き頃に絵を習っていたので問題点をバッチリ抑えたアドバイスをくれただけだ。だが、心はガラスのハートのお年頃。
「うるさいやい!私は淡い色合いが好きなんだい!」
などと、見せた割には意見を聞かない子でした。
それからしばらく「やっぱり下手なのかな‥」と、思って色鉛筆を仕舞っておく日々。いつの間にか仕事が忙しくなり、ほどなく疲れ果てて筆を置き、すっかりペンだこが無くなって普通の手に戻ってしまった。
私のアイデンティティーが‥なんて思っていたそんなある日。
疲れ切ってカラカラの大地の私の心が、ふと色鉛筆に手を伸ばした。そしてただただ無心に描いていると、心が水気をたっぷり含んだ地面に変わっている感覚に驚いた。
あれま、私は随分と好きな事をしてなかったぞ?!
寝食忘れるくらい夢中で描いていたあの日々を急に思い出し、私はその日夢中で絵を描いて楽しんだ。やっぱり楽しい事をしてないと人間はダメだな。
いつの間にか疲れていた私の心のリハビリに色鉛筆の存在は大きかった。
好きな色で好きなものを描き、好きに表現する。
私しゃ表現するのが本当に好きなんだな‥と、あんだけ描いてたのにうっかり忘れてた。どうも私は全てにおいて気付きが遅い。
そうして今は時々疲れると、色鉛筆を取り出して、ちまちまと色を塗る。
静かに自分の世界に潜って、ゆったり泳いで段々と頭がクリアになれば、やがて現実へ顔を出す。そして大事なリハビリ友達をそっと仕舞う。
で、今度は小説の世界に潜って‥って、結局ずっと泳いでいるんかい!!と、自分で突っ込みつつ、私は今日もぶくぶくと創造の世界へ潜り続けている。
寝食を忘れるのに体重は減らないな〜と思ったら、睡眠って大事なんですね‥。
しっかり取らないと太ってしまうなんて‥体って不思議だ。