鏡の中の私。
今までずっとファンデに付いている鏡を使っていて、私の家には鏡がなかった。
ちなみに自分は決してミニマリストではない。
ただ単にズボラだったのだ。花も実もある乙女だってのに鏡は前髪と顔の状態をちょっと確認すればいいやくらいの人間だったのだ。花も実もあるなら全体を見ろって話ですね。その通りです。
けれど遊びに来る友人はそんな私を見て、
「鏡を買え。一個くらい買え」
と、至極真っ当なことを言う。
返す言葉もございません。時々、面倒だけどお風呂場にある鏡を見て確認したけれど、そろそろ限界だった。花も実も落ちる前に買おう。
百均に行って、結構お洒落な鏡を買って壁に掛ければ「あ、雑誌で見た感じのお洒落な部屋になったな」という感想。まず顔を見ろ、顔を。
私の隣に誰かいればツッコミが入っただろうに、残念ながら誰もいない。
セルフツッコミをしてからまじまじと自分の顔を見ると、いつの間にか小さなシミの予備軍がいたり、喧嘩して妹に引っ掻かれた傷が薄っすら残った跡があって、老いを自覚せざるを得なくなる‥。鏡を見ただけなのに辛い。
それよりもお風呂上がりの時の自分が至高‥って思うんだけど私だけだろうか。
ほかほかの湯上りの私。
ほんのり頬も血色良くて、濡れた髪も良い感じ。この時にハッとするほどの美丈夫に見初められ、恋が始まっても良いと思う。今すぐ来いよ!って思うけど、家に鏡がない女にそんなボーナスタイムはない。
そんな自分をどこかぼんやりと見ているから、人の顔もぼんやりとしか覚えてない。
大概、「あの人は美味しいパンをお裾分けしてくれる」とか「この人は酒豪!」とか、まぁふんわりした空気で友人達を覚えている。
そしてふとした時、友人の顔をまじまじと見て、
「あ、こんなに可愛い目元してたんだ」とか、
「こうやってニコニコ笑うとますます可愛いなぁ」とか、
新しい魅力を発見できる。
なので私はいつも結構幸せな発見を楽しめるお得な感じの人間だ。家に鏡がない女だけど。
でもつい最近実家に帰って、母の顔を見た時に驚いた。
「死んだ爺ちゃんにそっくりになってきたな〜〜!」
と、血の濃さを実感。
同時に小さくなった肩。余計な事を言いまくる口元の皺が目に入る。
人って年を取るんだな‥と、至極当たり前のことなのに親を見て実感する。しかし母は私の顔を見て、
「嫌よね〜!皺とかシミとか!でもあんたも私と同じで皺ができてない?ほうれい線よね、それ」
「‥‥まだピチピチです」
死語に近い言葉で反論するけれど、何故年を重ねても言葉のエッジは鋭利なままなのだ。年を取ったらマイルドな鋭角になっても良いと思う。それこそ鏡でも見て直してくれ。
大きくため息を吐いて、横を見れば素敵な木枠に収まった鏡が飾ってあって、
「お母さん、こんな鏡あった?」
「あ〜、それ?お父さんが熱海の骨董屋で買ってきたのよ!」
「へ〜‥‥」
その鏡の向こうに何か見えるんですけど、どう考えてもやばいヤツなんですけど。ちょっとだけ気配を察せる私は急いで母に「なんかヤベーのが見える!」と、訴えたが母は聞かず、父に至っては「せっかく買ってきたのに!」と、文句を言ってた。
勝手に鏡から人様の家を覗き見してくる奴なんて怖いでしょ!
そう訴えたが、娘の言葉はあぶらとり紙より軽い。結局、私よりもっと見える母の友人が「鏡の中にいる存在が怖くて家に入れない!」と、訴えたらようやく壁から渋々外された。
そうして鏡は除霊だ!と、素人の私によって太陽の下へ。
プラスちょっとお高い天然塩をこれでもかと相撲取りのように撒いた。言っておきますが、素人のしている事ですから効果はわかりません。とりあえずお日様と塩かな?という考えです。
ともかく鏡の中から人様の家の中を覗く奴なんて失礼極まりないんだから、お日様で目でも潰されておけってもんです。
「滅せよ!!ていうか、失せろ!バーカ、バーカ!!」
と、三歳児も驚きの言葉で散々罵倒もしておいた。(安心して下さい。万が一を考え離れた場所からの罵倒です)
そして丁寧に三日三晩天日干ししたのち、使い古しのタオルでグルグル巻きにして「捨てておいてね」と言い含めて帰りました。ちなみ先日帰ったら、まだ倉庫に置いてあった。だから捨ててってばーー!!
とにもかくにも見える人曰く、「鏡と時計はよくないのが入りやすいから中古で買うな!」と、いう言葉を胸に刻み込んだ一幕だった‥。皆さん、中古はダメ!絶対!一人暮らしの基本です!
と、いうわけで急に怖い話になったけれど、今は百均の鏡しかない我が家。
安心安全だと、自分の顔を最近まじまじ見たら、ほうれい線‥。
は、母の呪いだ!!と、慌てて「顔、皺、改善」と検索して、自分の顔をあちこち伸ばし、揉みまくった。こんな年を重ねたら顔もストレッチする必要があるなんて知らなかった。そう考えたら鏡‥いる?
しわは嫌だけど、将来は魔女の宅急便のニシンのパイを作ったお婆ちゃんになりたい。と、話したところ「その隣のバーサでしょ」と言われました。どうも箒に跨る婆ちゃんです。