ハヂメくん 後編
そこは地元の妖怪たちが集まるお店『GAO』。
「ここは知らないな、新しいところ?」
私鉄のとある駅前商店街を一筋奥に入って、さらによく目を凝らしながら歩くとお店に出会えます。漆黒の扉に小さな鉄細工の文字でG・A・Oと貼り付けられただけで、その部分がランプで照らされています。
奥村さんはそれを一歩離れて眺めています。
更にその一歩後ろでハヂメさんは困り顔です。ハヂメさん自身も、少し前に人に連れてきてもらったので、お店の成り立ちまでは知りません。
「新しいかどうかは僕にはよく分からないです」
実はハヂメさん、妖怪としても新米なんですよ。猫又になって初めての人としての暮らしなので、何事も手探り状態。だから『GAO』に来て、いろいろお世話になっているんです。アドバイスを貰ったり愚痴を聞いてもらったり。
奥沢さんに促されて、ハヂメさんがドアに手を伸ばしました。
「いらっしゃい!」
お店に入るといつも通り、そこはとても賑わっていて、炉端焼き居酒屋さんなので炭火の煙の臭いがしています。換気はしっかりされてるので、美味しい香りと音が食欲を刺激してきますね。
扉を開けたハヂメさんを見てカウンターの奥にいる大将が笑顔で迎えてくれましたが、続いて入ってきた奥沢さんの姿を見るとお店にいた皆さんはやっぱり固まってしまいました。
「なんで奥沢慎之介がいるんだい」
妖怪が集まっていますが、みなさん人の姿のままでお店でも過ごされています。
その中の誰かが言った言葉に、ハヂメさんはどう答えようか悩みました。
「えーっと、仕事で……」
ハヂメさんがなんと説明しようか一瞬言いよどんだ隙に、奥沢さんがすっとハヂメさんの前に出ます。
「私もお仲間なんですよ、ほら」
そういうや否や、奥沢さんの姿が見る見る変わっていくではありませんか。人の姿のままなのに、大きな白い耳が頭の上に現れたと思ったら、背後にも大きな白いもふもふがたっぷり。尻尾と思われるそれは、ゆらゆらと動いていますが、目を凝らすと九つあるのが分かりました。
「きゅ、きゅ、…………九尾の狐!!!」
お店に先に来ていた方々の内のお一人が思わず叫ばれました。
九尾の狐といえば、大妖も大妖、歴史にまで現れる大物です。
「知ってくれはってて嬉しいわぁ、お若い皆さんに恐縮ですけど、今夜はよろしゅう頼みますね」
お店の皆さんもハヂメさんも固まるのを通り越して、腰を抜かしそうですね。あらあら、無意識に変化が解けかけている方までいますよ。
それから皆さん大慌て、大慌て。
人の姿に戻った奥沢さんをおもてなしです。ハヂメさんは奥沢さんが何の妖怪がまでは確認せずに連れてきたので、今まで以上に恐縮して使い物にならなかったので、お店の皆さんがアレコレやっています。
「おい、ハヂメ! しゃんとせんかい」
常連の近所のご老人。固まるハヂメさんの背中にバシッと一発。
「そうよ、ハヂメちゃん。こんなお店に連れてきた責任とらなくちゃ」
この方も常連のOLさん。叩かれたハヂメさんの背中をさすさす癒してくれます。
「こんなとは失礼ですね、これでも自慢の店なんですから」
『GAO』の大将さん、忙しく料理やお酒を作りながらも聞き捨てならなかったみたいですね。
しばらくして料理もあらかた出し終わって、好奇心旺盛なお客人の幾人かが奥沢さんのお相手をしているころ、ハヂメさんは少し復活されました。
「あっ、ハヂメ君。ようやくお目覚めかな」
大将さんがハヂメさんの前に生ビールを運んできました。ハヂメさんはそれを一口飲んで、やっと人心地ついたようです。
「……まさか奥沢さんがあんな大物だとは」
「何にも知らずに連れてきたのかい?」
大将さんは苦笑いです。
「いや、妖気が強いなってのは分かったんですが、それに気後れしちゃったというか、逆らいがたかったというか」
「僕たちの中には危ない思想のもいるから気をつけないと」
「スミマセン!! お店に迷惑掛ける気はなかったんです」
しゅんとするハヂメさんの横に活きのいいご老人がどかりと腰を下ろしました。
「店のことを言ってるんじゃねーよ、ハヂメがアブねーことにならないようにって言ってんだよな、大将」
「そうですよ」
妖怪の中でも新人のハヂメさん。皆さんになんだかんだとイジられながらも、可愛がられながら学んでいます。
猫又という妖怪はもとは人に飼われていた猫が長い時間をかけて妖力を得てなることが多いのです。ハヂメさんもそのクチなんですが、飼い猫時代の記憶はおぼろげで、最後の飼い主さんのことくらいしか覚えていないんです。
しかもその飼い主の方まだご存命だったりするんですよ。ハヂメさんの猫又人生歴はその飼い主の方のお孫さんと同じくらいなんです。
初めての人としての生活なので、不慣れなことが多いのです。
長く生きていることの多い妖怪の世界ではなかなか稀有な存在なので、ハヂメさんを見守っている妖怪のお歴々は結構いらっしゃるんですよ。ハヂメさん本人はあまり気付いてないですけどね。
「私は別に彼に危害を加えようなんてこと、これっぽちも思ってやいませんよ」
いつのまにやらハヂメさんの後ろに立っていた奥沢さんが、目だけ獣のそれに変えてにやりと笑って言いました。
「九尾殿、それでは説得力にかけますぞ」
『GAO』のお客さんの中でも長老のような翁が苦笑しつつ、探りを入れました。
ここにいる皆さんは不思議でならなかったのです。なぜそんな大妖がこんな田舎の街の飲み屋にやってきたのか。
「九尾殿はどのような理由があってこんなところに来られた」
カウンターにいたハヂメくんの隣りに座った奥澤さんのさらにその向こうに翁さんも座られました。
「理由ですかえ? 人の世に長くいるのもつまらんでな。たまには同胞と話したいと思ったまでよ」
ケラケラ笑う奥沢さんの言葉をそのまま納得する方は誰もいませんね。長老翁が年の功か怯まずに続けます。
「同胞でしたら、東京にもいますだろうに。それにあなた様の地元はここではなかろう」
「そうですなあ、我故郷に帰るのもまた大層なことになるさかい。これくらいの距離が噂も聞ける上、あっちにいろいろ気付かれずにちょうどええんよ」
奥沢さんはグイっと杯を空けられました。
「ここでは皆、人型なのだな。元来の姿の者はおらぬのか?」
空いた杯にすかさずお酒を注ぐのは、小柄なサラリーマン姿の中年くらいの方ですね。確かこの方は狐の血筋の方ではなかったでしょうか。ハヂメくんの脇からお酌をすると、まるで消える様にその場からいなくなりました。
ハヂメくんが驚いて、お店の中をキョロキョロするので奥沢さんはクスリと声なく笑われます。
それを見詰めながら翁が質問に答えました。
「おりますよ。今の世では人の出入りのない場所などほとんどないが、人と上手く共存しているものたちがおります」
「ここには来ぬのか?」
「ここも田舎ではあるが、地方都市といわれるくらいには栄えておりますからな。異形の姿では簡単に来ることはできますまいて」
「そういう者たちにも会いたかったのお」
寂しさを含んだ声色に、後ろで席でその会話に聞き耳を立てていた一人が声を上げました。
「会いたければこちらから出向いていけばいいんですよ」
お調子者のあやかしが素晴らしい助言でもしたかのように胸を張っていますね。その周りで様々な反応で皆それぞれが失言だと思っているようですよ。
そしてやっぱりそれは失言なんです。
なぜかって、田舎のそのまた田舎でひっそり暮らしている妖怪たちにとって奥沢さんのような少々派手好きの大妖様は毒にはなっても薬にはならぬってもので、つまり絶対に来て欲しくないと思っているということなんです。それを行けばいいなんて言うのは迷惑極まりないんですよ。
でも、そんな心配しなくても奥沢さんはちゃんとわきまえておられました。
「皆そのような顔せずとも押しかけたりはせぬ」
綺麗な顔で笑っておられましたが、その顔がハヂメさんにはなんだか寂しそうに見えました。
奥沢さんは自分の存在がどういうものか、周りに及ばす影響が幾ばくのものなのか、ちゃんとわかっておいでなのです。
それでも今回ハヂメさんを少々脅すようにして店にやってきたのは、なにか思うことがおありだったんでしょうね。力がおありになるというのも苦労が多いということなんだと思います。
そんなことを何となく感じたハヂメさんでした。
ちょっとセンチメンタルな空気の後ですが、陽気な『GAO』の常連さんたちはそんなことを物ともせずに、こんなチャンスはないとばかりに奥沢さんに質問の雨を降らせました。
芸能界のこと、昔のあやかしこと、それから自分たちの奇妙な芸を見せては審査してもらうという遊びまで。
こうして夜もすっかり更けきっていきました。
そして妖怪たちもそろそろ寝静まりそうな頃、お店はようやく明かりを落としました。
ホテルまで歩くという奥沢さんを送るため、二人で夜道を歩いている途中、ハヂメさんは店での会話を思い出して心配になってきました。
「雑誌にインタビュー記事が載ったらばれるんじゃないですか?」
国に帰ると大層なことになるならば、近くに来ていたことが知れてしまえば、それもまた何かまずいことになるのではとハヂメさんも思えたのです。
けれど奥沢さんはさも承知という様子です。
「奥沢がウチやって知ってはるのはごく僅か。それらに知れるのもウチがあっちに帰ってしもうたあとやから構わんよ」
そう言ってにっこり笑うと、まだ何か聞きたいことがあるならばとハヂメさんを促しました。実はハヂメさん、『GAO』にいるときからずっと思っていたことがあったのを奥沢さんに見抜かれていたんです。
でも奥沢さんに敵うことなんか一つもないと分かっているハヂメさんは戸惑いながらも素直に白状します。一応あたりに人影がないことを確認して。
「あの……九尾様は女の人ではないんですか?」
「オナゴでもぎょうさん過ごしてきたえ、今はたまたまオノコの姿というだけじゃ」
「そのお姿でそのじゃべり方は、その、全然慣れないのです……」
奥沢さんは驚くほど大きな声で笑い出しました。本当に驚いたハヂメさんは目を白黒させています。奥沢さんと会ってからハヂメさんはほとんどそんな感じですけどね。
ひとしきり笑った奥沢さんはハヂメさんの頭をポンポンと優しく撫でました。
「アヤカシとはもとよりそういうものぞ、今更じゃな」
ハヂメさんはコクコク頷くだけが精一杯でした。
「やはり良いな、来て良かった」
「それは……良かったです」
「ハヂメくんには迷惑だったかな?」
「い、いえ」
「いいんだよ、でもね元の姿を全て晒さずとも理解してもらえるというのは実は貴重なことなんだ。それだけで私は嬉しかったよ」
確かにハヂメさんは九尾様の狐のお姿は一目も見ていません。尻尾が九つあるのは見ましたが、それも幻覚のようなものでした。
それでも奥沢さんが九尾の狐様だと信じたのは、今までハヂメさんが人型として出会ってきた妖怪たちがそうだったから。ハヂメさん自身も完全に人型を保っていられるようになってからは、猫又の姿になることは稀と言えるほど。一人で部屋にいるときも人の姿のまま。現代ではその方が生きやすいんです。少し寂しいですね。
「そういえばハヂメくんは飲んでも手ぬぐいを頭に乗せて踊ったりはしないんだね」
猫又はそうやって酔いを楽しむとよく言われるが、手拭いがどこの家にもある物ではなくなってしまったので、ハヂメくんはそんな気持ちになったことはないのですよね。
「今はあまりいないですよ。でも……僕の先生は踊ってましたけど」
奥沢さんは愉快そうに笑い出しちゃいましたね。
「そうか、そうか、それの方は私と話が合いそうだな」
「そうかもしれません」
ハヂメさんは、その光景を想像してどうしてだかちょっと気恥ずかしくなり、苦笑いして頭をぽりぽり掻いてしまいました。
あまりにリアルに想像できてしまったので二人がハヂメさんのことを肴にお酒を飲みそうだなんて思ったからでしょうね。
「ハヂメ君は元の姿は嫌いかい」
「いいえ、わりと好きです」
「ならばいつか互いの本当の姿で宴でもしよう。皆も集めてな。それまで精進しなさい」
人としての人生の先輩としての重さと、大妖としての貫禄と、それときっと元より持っている大きな優しさを感じたハヂメさんは精一杯背筋を正して深く深く頭を下げていました。
「はい! 頑張ります」
「ではまたな、ハヂメ君」
ハヂメさんが頭を上げるとすでに奥沢さんの姿はありませんでした。
まさに狐につままれた格好のハヂメさん。自分のアパートへの道すがら今日の一日を振り返り、家に辿りついた頃に夢の様な日だったと締めくくってベッドに潜り込み、あっという間に本物の夢の世界へ落ちてしまいました。
とっても疲れていたんですね。
お疲れ様、ハヂメさん。明日もファイトです。
お読みいただきありがとうございました!