ハヂメくん 前編
猫又の目加田ハヂメさんは今日もお仕事にお出掛けです。
人間の世界に紛れて、人のふりをして生活していて、職業は雑誌の新人編集者です。雑誌と言っても地方都市で発行しているフリーペーパーのタウン誌のですけど。
ハヂメさんの住む街は人口30万人を超す都市ですが、自然と文化と歴史と街とが様々に交じり合ったところです。身近に四季折々の草花や歴史の風情、昔の趣などがいつでも感じられます。ただなかなか渋滞が多いなんて言う一面もありますね。
今日のハヂメさんの仕事はそんな地方都市のタウン誌には似つかわしくないほど有名な大物俳優にインタビューすることなんです。
いつもは地元のグルメやレジャーを目玉にしていて、地域に密着しすぎるほどの雑誌なんですよ。ゲストインタビューなんかも農家のおじさんやお洒落カフェの店員さんだから、全国区の有名人なんか稀過ぎるというか前代未聞。どうしてそんな事になったのか、ハヂメさんもびっくりです。
でもインタビューを取り付けたのはハヂメさんなんですけどね。
その俳優さん、奥沢慎之介さんというんですけど、その方がここの出身だと知ったハヂメさんが何かの話のネタにでもなるかと思って、断られること前提で奥沢さんの所属事務所に依頼の電話をしてみたんですよ。そして予想通り断られたんです。
そう、きっぱり断られたんですよ。
それがどういうわけがそれから数日後なんと改めてオッケーの返事がきたんです。
ハヂメさんの編集部はもう上へ下への大騒ぎ。大わらわの中、スケジュールやインタビュー内容の打ち合わせが進められていったんです。
当初のインタビュアーはハヂメさんではなく、編集部内でもベテランの方がやることになっていました。
ハヂメさんはまだぺーぺーですからね、だからこその無謀なチャレンジでも平気でできたんです。だからハヂメさんも自分がやれずに悔しいなんて微塵も思わなかったんですよ。むしろほっと安心したくらい。
だってそんな大物と言葉を交わすって考えただけで、緊張の汗が滲んじゃうんです。事務所への電話には直接そんな方が出ることはないはずですから、いくらでも依頼電話はできる勢いは持ってるんですけどね。
ハヂメさん大胆なくせに小心者なところもあるんです。
それでも自分で企画したも同然の仕事ですから、それなりに忙しくなっていました。
ところが本番の数日前にまた事務所のほうからインタビュアーにハヂメさんを指名してきたんです。理由は、最初に電話してきたのがハヂメさんだからって、奥沢さん直々の御達しということでした。
ハヂメさんはもうその日から寝る間を惜しんで奥沢さんの出演されている作品をできる限りみて猛勉強の毎日でした。
小心者ですからね、失礼がないようにできるかぎり準備しないと不安だったんです。当日はもともとインタビューするはずだった方が作った原稿を基にすることになっていますから、余ほどの事がない限り問題は起こらないはずなんですけど。事前にその原稿を事務所の方に目を通してもらって了承のサインを貰っているので、原稿以外の質問さえしなければ大丈夫というわけなんです。
そしていよいよと今日がその日。
ハヂメさんは昨日は当然よく眠れませんでした。それも仕方ありませんね。
そのおかげで幸い寝坊せずにすみました。なにせ寝てないので、起きる必要もなかったんですね。
本来ならばハヂメさん側が出向いていくのが礼儀なのかもしれませんが、これも奥田さんの方から久しぶりの里帰りってことでわざわざやってきてくれました。
お着きになるのはお昼過ぎ。駅までお出迎えです。
ハヂメさんと編集長さん、それに雑誌を発行している会社の社長さんも一緒に駅のホームで到着を待ちます。
そして時間通りにやってきた新幹線の車内から降りてきた奥沢さんを見た瞬間、三人とも時が止まったように固まってしまいました。
何がすごいって、そのオーラです。
目に見えるのではないかと思わさんばかりのオーラ。それなのに威圧感ではなく、むしろ惹きつけられる、引き込まれそうなほどの色香です。
ポーと見蕩れていたハヂメさんは、よくそれで新幹線なんか乗れたな、なんて思ってしまいました。
大御所というほどの年齢ではなんですが、中堅というには少しおこがましさがあって、でも若々しく気迫さえ感じるほどです。
綺麗に切りそろえられた髪を今日はラフに整えられていて、服装もジャケットは羽織っておられますが、カジュアル目です。
テレビや映画で拝見する奥沢さんはさまざまな役を演じられていますから、いろんなファッションを目にしていますが今日も含めてどれもお似合いです。
ハヂメさんはつい足先から頭の先までゆっくり見上げてしまいました。
ハヂメさんの身長は標準ですが、奥村さんは頭ひとつ分くらい高くて、それだけでも目立ってしまいそうです。
でもそれ以上に目力がすごい。彫が深くて少し切れ長の目。その瞳に鏡のようにハヂメさんが映っています。
その瞳がスッと細められてハヂメさんはやっと我に返りました。
「は、はじめまして! フリーマガジン『CO-BIRU』の目加田ハヂメです」
突然言葉を発したハヂメさんに驚くこともなく、優しく微笑んだままの奥村さんは慣れた様子で手を出します。
「奥沢慎之介です、よろしく」
ハヂメさんの大音量で緊張の篭もった挨拶と対照的な穏やかでそれでいてさわやかな奥沢さんの返し。
ハヂメさんも慌てて手を出してしっかり握手です。
ぎこちなく慌てるハヂメさん達を奥沢さんが促す形で駅を出て、編集部が用意した車に乗り込み、湖畔のモダンなカフェまでしばドライブが始まりました。
運転手はハヂメさん。ハヂメさんは運転が大好きなので、ハンドルを握っている間になんとか平常心を取り戻しました。
車内には奥沢さんとそのマネージャー、その他に事務所の方がもう一人。もちろん編集長と社長も同じ車内で、自己紹介や世間話で到着するころには和気あいあいとした雰囲気になりました。
目的のカフェに無事到着し、インタビューもつつがなく始まりました。予定していた質問に雑談を交えながら、ハヂメさんは順調に進行しています。
ところが中盤を過ぎた頃ハヂメさんは背中に嫌な寒気を感じたのです。何かと思って後ろを振り返りますが何もありません。
不思議に思いながらも奥沢さんに向き直ると、なぜか不敵な笑みを浮かべていらっしゃいます。
「……ど、どうかしましたか?」
ハヂメさんは思わずそう声をかけてしまいました。どちらかといえばハヂメさんの方が不振な様子なので、周りのスタッフは訝しげな表情をハヂメさんの方に向けています。
けれど奥沢さんだけは違ったようでした。
「いえね、ハヂメ君はなかなか面白いと思ってね」
「面白いですか……」
ハヂメさんは嫌われたりするよりはマシかという感じだったんですが、それでも意味ありげに笑う奥沢さんが気にかかりましたが、まだインタビューの残りも残っているので頭を切り替えて進行していきました。
「ハヂメくん、」
インタビューが終わり、次はジャッケット撮影のため準備の合間の休憩中、奥沢さんの方から話しかけてこられました。
「ハヂメくんはさ、嗅覚ってある方かな」
「嗅覚……ですか?」
ハヂメさんは思わず鼻をひくつかせました。
それを見て奥沢さんはクスクス笑います。
「実際の嗅覚ではなくて、何かを察知する能力とでもいうのかな」
またも奥沢さんの雰囲気が変わります。
ハヂメさんと奥沢さんの周りには他にもスタッフが何人もいたのですが、なぜだか二人のことを気に掛けている人は誰もいないのです。
さすがに鈍いハヂメさんでも奥沢さんのそれを感じることができました。
「あの、それって――」
ハヂメさんが冷や汗をかきながら言葉を発しようとした瞬間、それまで二人が見えていないかのようなそぶりだったスタッフの方々がやってきて、ハヂメさんが右往左往している間に撮影が始まってしまいました。
奥沢さんも何事もなかったかのような顔をしていますね。
ひとり動揺していたハヂメさんも必死に仕事だと心の中で唱えながら、カフェに呼んでいたカメラマンの方となんとか撮影のできを確認していきます。
それでも前半より手間は悪かったですね。
どうにかこうにか、インタビューに同行していた先輩記者や奥沢さんのアシストに助けられ、最後を迎えることができました。
どっと疲れに襲われたハヂメさんでしたが、奥沢さんに今回のお礼と挨拶をするために立ち上がり、奥沢さんの前まで伺います。
「今日はインタビューをお受けくださり、ありがとうございました。多々つたない点があり申し訳ありませんでした」
この時、ハヂメさんはさっき言いかけた事を蒸し返すつもりは全くなく、むしろ触らぬなんとかに祟りなしとばかりに忘れた振りを決め込むことにしていました。
でも奥沢さん、そんなハヂメさんを見抜いた上で、にっこり笑って決定打を打ってきました。
なんとぐわっと大きく口の端が裂けて、立派過ぎる牙が鋭く光ったではありませんか。
ハヂメさんは背中にゾワゾワとした嫌なものを走らせ、身震いまでしてしまいました。色素の薄いハヂメさんの髪が脅えた猫のしっぽのようにぼっと膨らむほどの恐怖に近い感覚です。
そしてハッとして辺りを見渡します。
でも片付けをしているスタッフはまたしても二人を見ている人は誰もいません。
再び奥沢さんに向き直ると普段テレビで見ている凛々しく色香の漂う笑みに戻っていました。
ここまで姿を見せられてしまっては、ハヂメさんもさすがに無視することはできず意を決しました。
「不躾な質問で申し訳ないんですが」
奥田さんは目に愉快さを滲ませて先を促しています。
ハヂメさんは思い切って、単刀直入に尋ねました。
「奥沢さんって、もしかして妖怪ですか?」
「そうだよ」
至極あっさりしたものです。ハヂメさんのドキドキした気持ちを楽しんでいるかのようです。
「君の行きつけに連れて行ってくれる?」
「え?」
ハヂメさんは本当に意味が分からずに思わず聞き返しただけなんですが、奥沢さんの目が急に獣のそれに変わっていました。
「あるでしょ、行きつけ」
ハヂメさんはますます背中に冷や汗をたらたら流して、それでも耳やしっぽが飛び出しそうなほどの動揺をなんとかこらえながら、仕事の挨拶を終えカフェを後にします。
もちろん奥沢さんもついてきます。
ハヂメさんは断ることもできず、その“行きつけ”のお店に連れて行きました。