第2話
「君が転入生の橘ユウマくんね。よろしく」
教室に入って最初に声をかけてきたのは、40代半ばくらいの女性教師だった。
短く切りそろえた黒髪に角張った眼鏡、首から下げた青いIDカードには「理論波動学教授」と書かれている。
彼女は教壇の前に立ち、俺を紹介した。
「今日から特別推薦で転入してきた橘ユウマくんだ。皆さん仲良くしてあげてください」
「よろしく」
俺は簡潔に言って、指定された席に向かった。
クラスの生徒たちは一様に冷静な視線を向けてくるが、距離を取っているような感じがする。
おそらく「特別推薦」という言葉が影響しているのだろう。
席に着いて教室を見渡すと、後方の窓際に一人の少女が座っていた。
濃紺の長い髪が肩に優雅に落ち、左側の前髪を銀色のクリップで留めている。
鋭い水色の瞳は窓の外を見つめ、他の生徒との交流を一切持とうとしない雰囲気を漂わせていた。
完璧に着こなされた制服と緊張感のある姿勢。
朝礼で見かけた彼女だ。
クラスメイトたちはしばしば彼女の方をちらちらと見るが、誰も話しかけない。
彼女の周囲には文字通り「冷気」のようなものが漂っていて、一定の距離感が保たれていた。
◇
昼休み、ナギサが俺の席にやってきた。
彼女の明るいエネルギーは、この整然とした教室の中で異質に感じられた。
「ユウマくん! 一緒にお昼食べよ?」
彼女の声は少し大きく、何人かの生徒が振り返った。
その視線の中には、リオのものもあった。
一瞬だけ俺たちを見たが、すぐに視線を外に戻した。
「ああ、いいよ」
校庭の木陰で昼食を取りながら、ナギサは学院の話をしてくれた。
彼女の話し方は手振りが大きく、感情表現が豊かで、この学校では珍しいタイプだということが分かる。
「ところでさ、さっきの『氷姫』こと神崎リオのこと、もう少し教えてくれない?」
俺は何気なく聞いてみた。
ナギサは箸を持つ手を止め、少し声のトーンを落とした。
「私たちは幼馴染なの。リオは、小さい頃はすごく明るくて感情豊かな子だった」
彼女の目が少し遠くを見る。
回想に浸っているようだ。
「海辺で貝殻を集めたり、星を見に行ったり……リオはね、人一倍感情豊かで、特に星が好きだったの」
彼女はスマホを取り出し、古い写真を見せてくれた。
そこには確かにリオらしき少女が写っていた。
だが、今の彼女からは想像もつかないほど明るい笑顔を浮かべている。
真っ青な海を背景に、両手いっぱいの貝殻を抱えて笑う少女の姿。
「でも10年前、あの事故から彼女は変わってしまった……」
「事故?」
ナギサは少し躊躇したが、話し始めた。
「リオのお父さんは、この学院で最も優秀な科学者の一人だった神崎教授。彼は『星の光』についての研究をしていて……ある日実験中に大事故が起きたの。お父さんは行方不明になって、リオのお母さんは重傷を負った。リオも実験室にいて……」
彼女は言葉を切った。
「その後、リオは感情を完全に閉ざしてしまったの。『感情があると力が制御できない』って言って……そして、いつしか『氷姫』と呼ばれるようになった」
ナギサの表情に悲しみが浮かぶ。
彼女は本当にリオのことを心配しているようだ。
「何があったのか知りたければ、彼女が毎晩行っている実験室を調べるといいわ。西棟の使われていない研究室よ」
彼女はそう言って明るい笑顔に戻り、話題を変えた。
まるで昔の親友を取り戻す手助けをして欲しいという無言のメッセージを送っているようだった。
◇
午後の授業は「超能力実習」だった。
広い実習室には様々な装置が並び、センサーや計測機器が壁一面に取り付けられている。
空間全体が青白い光に包まれ、空気が微かに振動しているような感覚がある。
「今日は各自の波動パターンを計測し、効率性の評価を行います」
指導教官がそう言いながら、一人ずつ中央のプラットフォームに立つよう指示する。
学生たちは順番に自分の超能力を発動し、壁面のスクリーンにはデータと波形が表示される。
ほとんどの学生は青白い光を手のひらから放ち、それが幾何学的なパターンを形成するとともに、数値化されたデータが画面に表示される。
皆、冷静で精密な制御を行い、感情の起伏はほとんど見られない。
リオの番になると、教室内の空気が変わった。
彼女が中央に立つと、周囲の温度が数度下がったような錯覚を覚える。
彼女の指先から美しい青い光が広がり、完璧な対称性を持つ結晶のようなパターンを空中に描き出した。
壁面のスクリーンには「S級 効率性98.7%」という驚異的な数値が表示される。
「さすが神崎さん、完璧な制御です」
教官が称賛するが、リオの表情は無感動のままだ。
ただ、俺には彼女の超能力の中に、微かな不安定さが見えた。
その美しい青い光の中に、時折赤い閃光が混じるのは俺だけが気づいているようだった。
そして俺の番。
「橘くん、中央に立って、能力を発動してください」
正直なところ、どうするべきか迷った。
養父からは「能力の全てを見せない方がいい」と言われていたが、何も見せないわけにもいかない。
程々にしておこうか。
プラットフォームに立ち、目を閉じて集中する。
手のひらから「量子共鳴波」と呼ばれる超能力を発動させる。
青白い光が広がるが、よく見ると微かな色彩が混じっていて、波のように流れるような動きを持っている。
壁面のスクリーンが一瞬フラッシュし、データ表示が乱れた。
「奇妙なパターンですね……計測不能な要素があります。もう一度試してください」
再度集中するが、結果は同じだった。
俺の超能力には、この学院の計測システムでは分析できない要素があるらしい。
それは無意識のうちに混じり込んでいる「魔法的要素」だと気づいていた。
教室内が小さなざわめきに包まれる中、ふと視線を感じて見上げると、リオがじっと俺を見つめていた。
彼女の瞳には驚きと……そして別の何かが浮かんでいる。
◇
放課後、ちょうど荷物をまとめていたとき、教室のドアが閉まる音がした。
振り返ると、リオが一人立っていた。
午後の日差しが彼女の横顔を照らし、髪がより濃い青に見える。
「あなた、力を隠しているわね」
彼女の声は低く、冷静だが、その中に微かな震えがあった。
「何のことかな?」と装ったが、彼女は一歩近づいてきた。
「あなたの『量子共鳴波』……普通じゃない。魔法的要素が混じっている」
鋭い。さすが「Sランク」の彼女は、俺の力の特異性に気づいていた。
「まあ、確かに少し変わっているかもしれないな」
あまり勘繰られると面倒なので、俺は話題を逸らすことにした。
「ちなみにあんたの力には、不安定さがあるみたいだね。よかったら俺が調整してみようか?」
それは正直な気持ちだった。
彼女の超能力の中にある微かな乱れを、俺なら調整できるかもしれないと思ったんだ。
リオの瞳が驚きで見開かれ、次の瞬間、怒りに満ちていた。
「余計なお世話!」
彼女の声が教室に響き渡る。
そして突然、彼女の周りの空気が歪み始めた。
指先から青い光が制御を失ったように放射され、窓ガラスにヒビが入る。
彼女の顔が苦痛で歪み、「止まって……」と呟いた。
どうやら彼女の超能力の暴走したらしい。
「悪い、余計なことを言ったかな」
そう言って引き下がろうとしたが、彼女の能力暴走は悪化の一途をたどっているようだった。
机や椅子が浮き始め、天井の照明が明滅する。
「ったく、面倒なことになった……」
ため息をつきながらも、俺は迷わず彼女に近づいた。
両手を彼女の肩に置き、自分の「調和の力」を少しだけ発動させる。
「落ち着いて、大丈夫だから」
金色がかった光が、俺の指先から彼女の体へと流れ込む。
それは彼女の乱れた超能力の波動を整え、徐々に安定させていく。
教室内の異常現象が収まり始め、彼女の呼吸も落ち着いていく。
暴走が完全に止まると、リオは俺の手を振り払った。
彼女の顔は怒りと恥と混乱が入り混じっている。
「だから俺が言っただろ、不安定だって」
「余計なお世話よ!」
彼女は怒りに震えながら叫んだ。
その瞳には涙が浮かんでいるようにも見えた。
「私のことは放っておいて」
そう言い残して、彼女は教室から駆け出した。
立ち去る背中に、俺は何も言えなかった。
手のひらには彼女の肩の感触と、思っていた以上の冷たさが残っていた。