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元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第1章

元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第1章(6)騎士団との緊急クエスト

作者: 刻田みのり

 夜。


 建ち並ぶ石造りの倉庫の遥か上にぽっかりと白い月が浮かんでいる。雲一つ無い夜空は月明かりによって星の輝きを薄くさせていた。空気がやたら冷たくノーゼアの冬の厳しさを否応なく痛感させる。


 しかし、まだまだこんなものではないことも理解していた。


 もうじきこの街にも本格的に雪が降るのだ。そうなればより厳しい冬と向き合わねばならないだろう。


 俺たちは目的の倉庫から少し離れたツブレータ商会とは別の商館跡地にいた。建物中はがらんどうで壁は崩れてこそいないものの小さな亀裂がいくつも入っている。床も数カ所穴を塞ぐように大きな板が重ねられていた。


 窓にはガラスどころか雨戸すらない。


 窓から外を眺めていた俺に部屋の奥にいた数人の騎士のうちの一人が声を上げた。


「あんまり窓から顔を出すなよ。誰かに見られたらどうする」

「……」


 俺は謝罪の代わりにうなずいて頭を引っ込めた。


 禿げ頭のウィッグ・ハーゲンギルドマスターから直接下された緊急クエストは「先日のホワイトワイヴァーン襲撃事件の容疑者アジトに突入する騎士団のサポート」というものだった。


 役割も立場も異なる冒険者と騎士団には明文化こそされていないがその仕事内容に大きな隔たりがある。通常、騎士団が冒険者のサポートを受けることはないし、その逆もない。もちろんそこにプライドもあるだろう。よほどのことでもなければ両者が共闘するなどあり得ないのだ。


 だが、今夜の作戦には騎士団の中に俺たち冒険者が加わっていた。


 目的の倉庫を囲うように四方に騎士団が配置されていた。俺たちの他に三つのパーティーがそのサポート役として傍についている。


 冒険者側の参加メンバーはいずれもランクC以上。現在クエストのためノーゼアを離れているパーティーを除けば万全の面子だった。


「……にしても」


 銀色の鎧に身を包んだ騎士団の一人が不満を隠そうともせずに吐く。


「よりにもよってこいつと組まされるとはな。麗しのエミリア様と氷のキャロル様には悪いが運に見離されてる気しかしないぜ」

「おい、知ってるか?」


 と、別の騎士。しゃくれた顎が特徴的な大男だ。


「こないだうちの副団長がエミリア様に求婚したら『私は既にこの身を捧げていますので』って断られたんだと」

「おおっ、副団長も撃沈かぁ」

「抜け駆けするから罰が当たったんじゃね?」

「しかしその断り文句は何だ?」


 まわりにいた騎士たちが口々に言ってくる。


 しゃくれた顎の騎士が言った。


「まあ聞け、その後副団長がキャロル様に振られた話をしたら『あ、それは冒険者のジェイ・ハミルトンのことですね。もうあの子は神への信仰よりジェイのことしか考えられなくなっていますよ』って言われたんだとさ」


 それを聞いて騎士たちが殺気を俺に飛ばしてきた。どうやら俺の素性はバレバレのようだ。


「くっ、おのれジェイ・ハミルトン」

「我らが麗しのエミリア様の純潔を汚すとは万死に値する」

「てか、何か適当な罪をでっち上げて投獄してやりてぇ」

「……」


 いや、罪をでっち上げたら駄目だろ。


 というかその副団長は後でぶん殴る!


 俺が拳を握りながら決意していると隣で目をつぶっていたイアナ嬢が目を開いた。


 彼女は精神を研ぎ澄ませて広範囲の気配遮断用の結界を維持していた。もちろん他の三チームでも同じような結界が展開されている。


「……ったく、男どもはどいつもこいつも。シスターに求婚したって無理に決まってるじゃない」

「……」


 うおっ、こいつ怒ってやがる。


 頼むから集中を乱して結界が解けるなんてヘマは止めてくれよ。


 ちなみにウィル教の修道女(シスター)修道士(ブラザー)と異なり結婚を許されていない。彼女たちには定められた修行期間がありそれを終えてようやく婚姻の資格を得るのだ。


 なお、通例修行期間は七年とされておりよほどの事情がなければ期間は短縮されない。


 つまり、俺のお嬢様はあと五年は誰の物にもできないのだ。


 あ、ついでにシスターキャロルも独身のままだな。どうでもいいが。


「あ、あたしはもう僧侶(プリースト)だから結婚できるんだけどね」


 ちらちらとイアナ嬢が横目で俺を見てくるのだが、俺の顔に何かついてるのか?


「合図があったら四方から同時突入だったよね」


 シュナが訊いてくる。


 彼は窓を挟んで反対側に立っていた。


「突入するのは騎士団がやるとして、僕たちは後方からの援護とバックアップチームの護衛。なーんか僕のやるような仕事じゃないよね。これってもっと低いランクの冒険者でもできるんじゃない?」


 シュナはギルドマスターから依頼されたときから納得できていない様子だった。


 今回の緊急クエストを受けたのは俺のわがままだ。シュナとイアナ嬢はそれに付き合ってくれているにすぎない。


 俺はこの緊急クエストの裏にライドナウ家筆頭執事の意思を感じた。俺の父親がシスターキャロルあたりに暗躍させたのだろう。騎士団に情報を与えて恩を売り、その一方で俺や自分の配下を使って事件解決の確実性を上げる。


 きっと目に見えないところに配下の者が紛れているのだ。ひょっとしたら冒険者パーティーや騎士団の中にも息のかかった人間がいるのかもしれない。


 たぶん、シスターキャロルはいないはずだ。あいつはお嬢様の護衛任務があるからな。騎士団と直で関わる面倒くささも嫌だろうし。


 リーダー格の騎士である顎のしゃくれた男が片手を上げ、全員外に出る。さらに突入組が俺たちから離れた。鎧姿の騎士に混じってローブ姿の男がいるが彼は魔導師師団から派遣された人員だ。


 突入組は容疑者のアジトの間近まで接近し作戦決行の合図を待つことになっている。


「次代の聖女殿」


 顎のしゃくれた騎士が念を押した。イアナ嬢に対して丁寧な態度をとっているのは彼女が次代の聖女だとシスターキャロルから聞いているからだろう。お嬢様を陥れた原因のメラニアをシスターキャロルが聖女候補として認めることはまずあり得ない。だから彼女の中では次代の聖女はイアナ嬢なのだ。


「作戦が開始されたら予定通りこちらで待機してください。防御結界程度でしたら我々の魔導師も扱えますので」

「あたしならこのあたり一帯に結界を張れるけど」

「いえ、その必要はありません。それにたかが一人の魔術師相手にすでに過剰とも呼べる人員を割いています。次代の聖女殿にこれ以上お手を煩わせることもないでしょう」

「……わかったわ」


 あまり納得できていない声でイアナ嬢が返す。


 俺は騎士団がさして危機感を抱いていないようだと判じていた。情報によると容疑者のランバダは一人でアジトにいるらしい。危惧していたモンスターの存在は確認できなかった。いないものだと騎士団が判断しているようだが油断してはいけないと俺は思っている。


 とはいえ、俺の探知でもモンスターのモの字も引っかからないんだよなぁ。


 ホワイトワイヴァーンくらいでかい魔力のモンスターなら絶対に感知できるはずなのに。


 うーん、もしかして高レベルの探知阻害でもかかっているのか?


 そんなことを考えていると苛立たしげな声がかかった。


「ジェイ・ハミルトン。お前も突入組について行ってサポートしろ」

「ん? 俺たちは後方からの支援とバックアップチームの護衛をするんじゃないのか?」

「それは次代の聖女殿ともう一人がいればいい。お前はあっちへ行け」

「……」


 あれか。


 自分の傍に俺を置いておきたくないから適当な理由をつけて追い払いたいってところか。


 いやはや、嫌われたもんだな。


 俺は嘆息してイアナ嬢とシュナを見た。


 目だけで「行ってくる」「後は任せて」「いいなぁ、僕もそっちがいい」といったやりとりをこなす。


 俺は足音を立てぬよう注意しながら突入組の方へと急いだ。


 *


 俺が近づくと突入組の騎士の一人が舌打ちした。


「ちっ、冒険者なんてお呼びじゃないっつーの」


 槍を持った騎士が宥める。


「まあ、どうせタリアさんが厄介払いしただけだろ」

「だからって前線に送ることもないだろうに」

「なぁ、あんた防御結界を張れるか?」


 槍を持った騎士に問われ俺はうなずいた。


 その騎士が脇にいた魔導師の男に笑みを向ける。イアナ嬢より若そうに見える童顔の魔導師だ。


 フードを被っているが長い銀髪が覗けている。


「だとさ。よし、それじゃキルドはオフェンスだ。じゃんじゃん魔法をぶっ放していいぞ」

「あ、うん。頑張るよ」

「……」


 おいおい、ずいぶんと頼りなさそうな魔導師だな。


 こいつ大丈夫かよ。



 **



 俺は騎士団のリーダー格であるしゃくれた顎の男(タリアという名前だっけ?)に命じられて突入組の方へと回された。引き続きイアナ嬢とシュナは後方からのサポートとバックアップチームの護衛だ。


 俺たちはツブレータ商会の敷地の壁沿いに一塊になって容疑者のアジトである倉庫の様子を伺っていた。


 建物の奥に一つだけ反応があるがそれ以外はない。


 俺は念のために探知範囲を広げて調べてみたが結果は一緒だった。俺たちや他のチームを除けば気配は一つしかない。情報通りなら容疑者のランバダだろう。


 槍を持った騎士が俺に訊いた。


「その探知能力はどこまで信用できるんだ?」

「そこいらの奴らよりはアテになると思うぞ」

「そうか、それは心強い」

「……」


 おっと。


 騎士団の中にもまともな奴はいるようだな。


 俺が感心していると槍を持った男は童顔の魔導師に声をかけた。


「キルド、一発目にブリザードをやってくれ」

「えっ」


 キルドと呼ばれた童顔の魔導師が声を裏返した。


「ででででもランスさん、下手したら容疑者が死んじゃうよ」

「安心しろ」


 ポン、と槍を持った騎士ことランスがキルドの肩を叩く。


「仮に死んでもそれは不幸な事故として処理できる。むしろ面倒な手間をかけて処刑に持ち込まずに済んで万々歳だ」

「……」


 あーあ、キルドが固まっちゃったよ。


 まあランスの発言はめっちゃ乱暴だからな。


 気持ちはわかるが、騎士団の人間がそういうこと言ったら駄目だろ。


「……なんてな、冗談だ、冗談」


 豪快にガハハとランスが笑う。キルドの緊張をほぐそうとしたんだろうがかえって逆効果になってないか?。


 俺は話を変えるために尋ねた。


「なあ、こっちの騎士団にはカール王子の話とか入るのか?」

「ん? ああ、少し遅くなってからだがその手の情報は入るぞ」

「カール王子がノーゼアに関心を示していたりしていないか? あるいはペドン山脈に」

「ふむ」


 ランスが考えるように顎を撫でた。


「春先の大規模討伐のときに、カール王子主導のドラゴン退治をペドン山脈でやるって噂がある。どうやらお妃がドラゴンの魔石を欲しがっているらしい。あの王子は妃にめろめろだからな」

「ドラゴンの魔石」


 そんなものをメラニアが欲しているだと?


 俺は何となく嫌な予感がした。


 魔石はいわば魔力の塊だ。大きさによってその蓄積量も変わる。もちろん大きければ大きいほど魔力は豊富だ。そして純度が高ければ高いほど強い魔力となる。


 成体のドラゴンともなれば巨大で高純度の魔石を宿しているだろう。


 そんな物をメラニアが手に入れたらどうなってしまうのか。


「……」


 俺はそこである可能性に思い至った。


 メラニアは本当の聖女になろうとしているのではないか。立場や権威といったものではなく実力的な意味で聖女になろうとしているのではないか、と。


 そのための力を得るためにドラゴンの魔石を必要としているとしたら……。


 想像するだけでも冷や汗が浮かんだ。


 精霊の力を使えない者が魔法を発動させるためには呪文や魔方陣を用いなくてはならない。


 さらに、俺のように無詠唱での魔法を可能にしたければ精霊をその身に取り込まなくてはならないのだ。


 ただ、これは俺が怒りの精霊を身に宿しているのとは訳が違う。


 その方法は一方の意思を完全に無視しているのだ。人間と精霊、そのいずれかというか取り込まれた方は確実にその存在を失う。精霊の方が強ければ人間の方が消えてしまうのだ。


 その危険さ故にこの方法は禁術とされていた。


 神の加護などあるはずのないメラニアが本物の聖女になろうとしたら相当に無茶な真似をしないといけないだろう。


 それこそ神クラスの精霊かドラゴンの魔石の力を取り込むくらいのことをしないと。


「そんなことをしてあいつは堪えられるのか?」


 俺が独りごちるとキルドが頭に疑問符を浮かべた。


「えっ、何の話?」

「いや、こっちの話だ」


 俺が適当にごまかすとキルドがこてんと首を傾げた。


「ドラゴン退治自体は前にも行われているな」


 ランスが中空を見遣った。


「ええっと、ダスタード山のフレイムドラゴンとかも王宮の指示で討伐されたんじゃないか? ジャミリエンの呪竜も倒したのは冒険者だったが討伐依頼を出したのは王宮だったはずだぞ」

「……」


 え。


 ひょっとして、結構前からドラゴンの魔石を集めてる?


 嫌な予感が確信に変わり始めた。


 しかし、動揺する俺のことなど嘲うように事態は動く。


 ごく小さな鈴の音が聞こえ、その場にいた全員が表情を引き締める。風の精霊の力を使った味方だけに聞こえる合図だった。この音があと二回鳴ったら突入だ。


 後方からのサポートにより気配遮断の結界は張られていた。だが、ランスは声を低める。


「キルド、まず俺たちの進路を確保しろ」

「は、はい」


 ランスは俺にも向く。


「あんたは防御を頼む」

「わかった」


 俺はうなずいた。


 全員が一度壁から離れるとキルドが早口で呪文を唱え始める。イアナ嬢ほどではないがなかなかに早い詠唱だ。


 他の騎士たちも指示を受けて武器を構えた。鎧や盾が擦れて金属質な音が響く。息巻く騎士たちの声が戦意を盛り上げた。後方にいるイアナ嬢の結界がなければ全て聞かれてしまったかもしれない。


 だが、結界によって音が漏れることはなかった。


 魔法的なものでなければチーム間での伝達もできなかっただろう。


 風の精霊の力による鈴の音がし、誰かが生唾を飲んだ。


 キルドが呪文の詠唱を終え、発動のタイミングを待っている。


 俺はいつでも結界を展開できるように気を引き締めた。耳の奥で心音がどくんどくんと響いている。


 三回目の鈴の音がして……。


「キルド!」


 ランスが叫び、キルドが壁に向けて魔法を発動させた。


 キルドの正面に青い光が発生し、瞬時に数本の氷の矢が形成されて放たれる。


 一直線に氷の矢は飛んで壁に命中した。破壊音とともに砂煙が舞い上がる。


 キルドは攻撃を緩めず再び作られた氷の矢で今度は倉庫の壁に穴を開けた。ぽっかりと開いた穴は大人の男が三人横並びで入れるくらいの大きさだ。


「よし、突入!」


 ランスの号令とともに騎士たちが駆けだした。おそらく他のチームも突入を開始しているだろう。


 *


 倉庫への侵入は拍子抜けするほど容易だった。


 これといった抵抗もなく突入組の騎士たちが奥へと進む。俺とキルドが少し遅れて後に続いた。俺は倉庫に入ってからも探知をかけていたがランバダ以外に引っかかるものはなかった。本当にランバダだけしかいないのかもしれない。


 最奥に辿り着くとそこは中央に魔方陣を描いてあるだけの広い空間だった。ギルドのロビーの十倍は余裕でありそうだ。照明の類はなく魔方陣の発する青白い光だけがぼんやりとあたりを照らしている。


 魔方陣の傍には男がいた。


 長身でくすんだ灰色のローブを身に纏っている。幽鬼のように少し透けて見えるのは気のせいだろうか。


 俺たちとほぼ同一のタイミングで他の三チームがやって来た。一気に倉庫内の人気が増して暑苦しくなる。


 ランスが大声で問う。


「ランバダはお前だな」

「……」


 男がランスを一瞥した。返事はない。


「先日のホワイトワイヴァーン襲撃事件の件で身柄を確保させてもらう。大人しく縛につけッ!」

「……断る」


 男がそう言うと魔方陣が輝いた。


 一気に魔力があたりを包み、同時に俺の探知があり得ない大きさの反応を感知する。


 俺は防御結界を展開した。だが、この場にいる四チームを全員守ることはできない。せいぜいランスたちをガードするのが限界だ。


 ランバダが喚く。


「この前は冒険者どもが相手だったが今度は騎士か。まあいい」


 発行する魔方陣の中で影が形を成す。


 長い首、翼のような前足、でっぷりとした胴体を支える太い後ろ足、そしてやはり太い尻尾。


 トカゲを思わせる頭部には王冠のような金色の角が生えている。鋭い目が獲物を品定めするように細められた。その瞳が妖しく赤く光る。


 真っ黒な体躯は影のようだ。


 シャドウワイヴァーン。


 俺の記憶の中にその名はあった。だが、遭遇したことはない。あくまでも知識としての記憶だ。


「抵抗はやめろッ! さもないと……」


 ランスが警告し終えぬうちにシャドウワイヴァーンが予備動作もなくブレスを吐いた。



 **



 以前読んだ本によるとシャドウワイヴァーンのブレスは黒いガスを放射状に広げるようにして吐いてくるらしい。


 俺は防御結界を展開できたが守れる範囲には限界があった。


「うわぁぁっ!」

「ぎゃあーっ!」

「うおぉっ!」


 カバーできなかった他の突入組から悲鳴が上がる。彼らは防御が間に合わなかったようだ。


 結界の外側が真っ黒に染まり視界が遮られる。シャドウワイヴァーンのブレスは黒いガスなのでそれが晴れるまで被害状況の把握は不可能だ。


 ただ、大人しく視界が開けるのを待ってもいられなかった。


 ガツン、と正面から衝撃音が響く。


 ブレスを吐き終えたシャドウワイヴァーンが襲ってきたのだ。体当たりか尻尾の攻撃かはわからないがとにかく攻めてきたということだけはわかる。


 俺は呆然としているキルドに怒鳴った。


「ボケッとするな! ガスが晴れたら反撃するぞッ!」

「は、はい」


 我に返ったキルドが慌てて呪文を詠唱し始める。


 てか、先んじて魔法を準備しておけよ。


 俺は内心舌打ちしつつ結界を解除するタイミングをうかがった。


 気配遮断の結界と違い防御結界の内側から攻撃魔法を放つことは非情に危険なのだ。そんなことをしたら逆に結界内で暴発してしまう。


 黒いガスが薄れ、周囲がクリアになってくる。


「行くぞッ!」


 ランスの号令に騎士たちが雄叫びを上げた。ほぼ同時に俺は結界を解く。


 金色の粒子が一瞬表れて消える。結界から飛び出したランスが槍をシャドウワイヴァーンに突き出し、他の騎士たちが左右に回り込んで首目がけて剣や槍を振るった。


 ランスの槍がシャドウワイヴァーンの鼻面を突き刺し、他の騎士たちの剣と槍が首に食い込む。


 やったか?


 俺がそう思った刹那、すぐ傍で青白い光が生まれた。そこから氷の矢が何本も発射される。


 痛手を負ったシャドウワイヴァーンが悶えるように暴れ、その胴体に氷の矢が全て命中した。


 おっと、これは俺の出る幕がないな。


 俺はそう思いながらも素早く周囲の状況を探った。俺たちはブレスを防げたが他の突入組はどうなった?


「……ッ!」


 ワォ。


 何てこった。


 三チームいた突入組のいずれもその場から消滅していた。肉体だけでなく武器防具すら消えている。これは熱で焼かれたとかそういう類ではない。


 もっと別の、極めてやばい奴だ。


「シャドウワイヴァーンのバニッシュブレスを防ぐ奴らがいるとはな」


 ランバダの声。


 卑屈そうに笑むとランバダは片手を上げた。その指先が青白く光る。


 俺は防御結界を張り直すことにした。


 シャドウワイヴァーンの目が赤く輝く。


 さらなる一撃を加えようとしていたランスが飛び退いた。


 他の騎士たちは暴れるシャドウワイヴァーンを斬りつけている。変化に気づいたのはランスだけのようだ。


「全員下がれッ!」


 ランスが叫んだが遅かった。


 シャドウワイヴァーンがブレスを吐き散らす。


 俺の防御結界の中に辛うじてランスは入れたが他の騎士たちは駄目だった。再び黒一色となった視界の奥で怒号のような悲鳴が上がる。ランスが仲間の名を呼ぶが返事はない。


 今度はキルドも呪文を唱えていた。声が震えているが俺は聞かなかったことにする。動揺で魔法を使えなくなるよりは遥かにましだろう。


 黒いガスが薄れ、俺が結界を解くとキルドが氷の矢を連射した。鈍い衝撃音を響かせていくつもの氷の矢がシャドウワイヴァーンに突き刺さる。


 身をよじって苦痛の咆哮を上げるシャドウワイヴァーン。しかし、ランスもキルドももう油断しなくなっていた。


 俺も防御に専念するのをやめて身体強化の魔法を発動させる。全身に力が漲り、感覚が鋭さを増す。


 さらに「それ」の力も借りた。


 両拳に黒い光のグローブが現れる。どくんどくんと波打つ黒い光は決して聖なるものではなかった。むしろ邪なものと言えるだろう。



『マジンガの腕輪(L)のスペシャルパワーを解放しますか?(はい・いいえ)』



 突然、俺の頭の中で声がした。とても中性的な声だ。


「え?」


 思わず声が漏れた。すっげえ間抜けな声だったのでちょい恥ずかしい。


 俺の戸惑いなど全く気づいていない様子でランスとキルドがシャドウワイヴァーンに猛攻をかけている。その激しさはシャドウワイヴァーンがブレスを吐く暇もないほどだ。


 それでも気は抜けない。予備動作なしでブレス攻撃できるシャドウワイヴァーンがいつブレスを吐くかわからないからだ。



『マジンガの腕輪(L)のスペシャルパワーを解放しますか?(はい・いいえ)』



 俺が答えなかったからかさっきと同じ質問をされる。声音に変化はない。


「……」


 まず、マジンガの腕輪という名に聞き覚えがなかった。


 とはいえ、これはたぶんお嬢様から貰った腕輪のことだろう。何となくそんな気がする。


 では、スペシャルパワーとはなんだ?


「……」


 あれか、マジックパンチのことか。拳を発射するとかいう。


 もう不安しかない。


 お嬢様の作った物だから大丈夫なんだろうけどそれでも不安だ。こればっかりはどうしようもない。


 視界の端でランバダが俺を睨んでいる。


 おい、こっち見んな。


 あ、何かブツブツ言ってる。呪文か?



『項目を選択してください』

『マジンガの腕輪(L)のスペシャルパワーを解放する(はい・いいえ)』



 あ、ちょっと質問が変わった。


 ランバダが俺へと片手を伸ばす。もちろん奴の位置から手が届くことはない。


 しかし。


 伸ばした手の指先が青白く発行した。


 瞬間、光線が放たれる。


 俺はサイドステップで回避した。これ身体強化をかけていなかったら当たってたぞ。


 危ない危ない。


「その魔力波動、ヒューリーかッ!」


 ランバダが大声で喚き、腕を横振りに払う。光の刃が現出し、俺へと飛んできた。


 俺はギリギリで躱すとランバダへと走った。シャドウワイヴァーンはランスたちと交戦中だ。今ならランバダを叩ける。


 何らかの方法でランバダがシャドウワイヴァーンを操っているのはわかっていた。


 それに魔方陣によってシャドウワイヴァーンは召喚されている。俺の探知にも引っかからない訳だ。その場に存在していないのなら反応はあるはずもない。


 そして、召喚によってモンスターを呼び出せるとなれば一体だけで済むという保証はない。


 となればランバダを潰さないとやばい。


 また別の、例えばもう一体シャドウワイヴァーンを召喚されたりしたら状況はかなり厳しくなる。


 つーか全滅しかねない。あの消滅のブレスは危険だ。


 トス。


 何かが足下に刺さり俺は急に足が動かなくなった。見ると王冠のような金色の角が俺の影に刺さっている。魔方陣の光だけが照明代わりだというのに俺の影はやけにはっきりとしていた。何か魔法的な小細工をされたのかもしれない。


 てか、あの角飛ばせるのかよ。


 そんなのどこにも書いてなかったぞ。


 いくら力を入れても縫い付けられているかのように足が床にくっついている。


 俺ははっとしてランバダを見た。


 卑屈そうな顔がにやついている。そこには勝利の色があった。


 ちっ、嘗めやがって。


 俺の苛立ちを感じて「それ」が煽ってくる。


 怒れ。


 怒れ。


 怒れ。


 ついでに中性的な声も聞こえる。



『項目を選択してください』

『マジンガの腕輪(L)のスペシャルパワーを解放する(はい・いいえ)』



 俺は腹をくくった。


「はい、だ」



『ジェイ・ハミルトンの能力を追加します』



 瞬間、俺の左腕にある腕輪が光り輝いた。


 暴力的な光の洪水があたりを真っ白に塗り替える。目を開けていられない眩しさに堪えられず俺は目をつぶってしまった。


 頭の中に中性的な声が響く。



『能力「マジックパンチ(L)」を取得しました』

『マジンガの腕輪(L)に魔力をチャージすることで左拳を発射することが可能となります』

『なお発射された拳の威力と速度はマジンガの腕輪(L)にチャージした魔力と熟練度によって変化します』

『魔力コーティングにより発射された左拳が破壊されることはありません』



「……」


 やっぱり拳を発射するんかい。


 それやったら俺の左手はどうなるんだ?


 迷いはあったが試してみるしかなかった。


 俺はマジンガの腕輪(L)に魔力を注ぐ。「発射」のタイミングは俺の意思で決められるようだった。何となくだが使い方を理解できた気がする。


 狙うのはもちろんランバダだ。とりあえず頭でも腹でもとにかく当たればいい。


 食らいやがれッ!


「ウダァッ!」


 俺の気合いの一声とともに「左拳」がブッ飛んだ。



 **



 黒い光を纏った俺の左拳が轟音を響かせて発射される。


 標的に誘導されるように左拳はランバダへと飛んでいった。その速度は思っていたよりもずっと速い。これなら大抵の人間なら躱せないだろう。


 左拳がランバダの胸に命中した。


 初めてのマジックパンチだ。正確に狙っていた訳ではないし顔に当たらなくても仕方ない。


 そう判じるより早く鈍い炸裂音がした。俺の左拳がランバダの身体を貫通したのだ。ものすげぇ嫌な音だった。モンスター相手じゃないから余計にそう聞こえたのかもしれない。


 俺はあえて左手首を見ないようにしていた。いや、だって断面とかグロそうだし。


 左手首に痛みはない。感覚も繋がっているようでランバダの胸を貫いたときの「手応え」もあった。どういった仕組みなのかは不明だ。きっと魔法的な何かなのだろう。


 左拳が戻ってきて左手首に接続する。さっきまで分離していたのが嘘みたいに元通りになっていた。


 頭の中に声が響く。



『アップグレードすることによりマジックパンチの連射が可能となります』

『なおダーティワーク発現中の身体強化が従来よりアップしています。ご注意ください』



「……」


 アップグレード?


 それにダーティワークって……?


 ええっと、いろいろとつっこみたいんだけど。


 俺が疑問符を並べていると胸に穴を開けられて仰向けにひっくり返ったランバダがゆっくりと身を起こした。


 え?


 俺は目をぱちぱちさせた。


 ランバダの受けた傷は致命傷のはずだった。胸に拳一つ分の大穴ができたのだ。即死してもおかしくはない。


 なのに、生きてる?


 立ち上がったランバダが卑屈そうに笑む。胸の大穴から流れているのは紛れもなく赤い血だ。それも流れるなんて表現では収まらないくらいどくどくと流れている。


 おい、どうして生きてるんだ?


「面白い攻撃だな」


 ランバダがつぶやき、俺を指差した。


 その指先に青白い光が宿る。


「だが、児戯だ」


 光線が放たれた。


 俺はシャドウワイヴァーンの角によって足を自分の影に縫い付けられているため逃げられない。


 無意識のうちに防御結界を張っていた。小規模で両手を広げたくらいの大きさの結界だ。


 辛うじて光線を防いだもののこの場から動けないのではいずれジリ貧となる。


 俺は結界を解いた。


 再び魔力を左拳に回す。今度は中性的な声は聞こえなかった。


 俺はランバダの顔面を狙う。


 死んでいなかったことには吃驚したがそれで良かったのだと思うことにする。ランバダは生きたまま確保して後は騎士団に任せよう。


 ……とか思った俺もいました。


 みるみるうちにランバダの胸が再生していく。破れたローブはそのままだがそれがかえって異様さを際立たせていた。


 俺はごくりと生唾を飲んだ。


 こいつ……化け物か?


 いやいやいやいや。


 待て待て、確かランバダはどこぞの魔導師師団の一員だったよな?


 てことは人間だ。


 つまり、あの再生能力にはタネがある。何かはわからないが人間にできる範囲の何かがあるに違いない。


 もしくは何らかの魔道具によるものか。


「とりあえずぶん殴って黙らせるッ!」


 せっかく生きていてくれてるのだ。


 ここは生け捕りにして、それからゆっくりと答え合わせといこう。


 俺は威力を調整してマジックパンチを放った。


 轟音とともに左拳がランバダへと直進する。マジンガの腕輪に注入した魔力を減らしたからかさっきより勢いが弱いような気がした。このあたりは要検証だな。それと練習も必要だ。


 ドゴッという打撃音を鳴らしてランバダが仰け反った。いい感じに顔にヒットしたらしい。威力の調整もちょうど良かったようで一発目みたいに致命傷にはなっていなかった。


 仰向けに倒れたランバダが動かなくなる。


「……」


 あ、あれ?


 当たり所が悪かったとかないよな?


 若干焦るが足を動かせないので近づいて確かめることもできない。


 俺はランスたちの方を見た。


 そういえばやけに静かになったな。


 見るとランスとキルドがぐったりした様子でへたり込んでいた。


 その傍らには全身に傷を負ったシャドウワイヴァーンが魔方陣の上で横倒しになっている。周囲に飛び散った血の量から考えても死んでいると判断していいだろう。


 おおっ、さすが騎士団員。


 俺抜きでも倒したかぁ。


 犠牲はあったがランバダも捕まえられるしひとまず落着だな。


 ……と、俺がうなずいたとき。


 豪快な音を立てて天井が崩れた。


 瓦礫と一緒に巨大な何かが降ってくる。


 それは見覚えのある蜘蛛型モンスターだった。蜘蛛型モンスターは八つの目を光らせてぐるりと一回転するとランバダと俺を視認したようにチカチカと目を点滅させる。


 こ、このモンスターは……。


「あーあ、ランバダの癖にだらしなーい」


 子供の声がした。


 ゲルズナーの横に緑色のローブを着た血色の悪い顔の子供が現れる。すうっと空間から滲み出るように現れた子供は俺に一瞬ぎょっとしてから強がるように口角を上げた。


「そ、そっか。やたら強い魔力波動があると思ったらヒューリーのお兄さんがいたんだね」

「何でお前がここに?」

「聞きたい?」


 ニヤリ。


 ケチャの口角がさらに上がった。


「でも教えなーい♪」

「なら力づくで聞くだけだ」


 俺は拳を構えた。


 マジックパンチを撃つべく左拳に魔力を送る。回数をこなすうちにだんだん容量もわかってきたぞ。やはり慣れは大事だな。


「モ、モンスターが増えた」


 キルドが絶望的な悲鳴を発する。


「くっ、新手か」


 ランスが槍を支えに立ち上がった。


 俺は素早く懐から二本の菓子を取り出すと布で包んだ状態のまま二人へと投げる。もしものときのためにと持ってきていて正解だったな。


「そいつを食え」

「えっ?」

「何だ、この黄色いのは?」


 包みを開けて戸惑う二人に俺は言った。


「いいから食え。説明なら後でしてやる」

「そんな暇与えないよぉ♪」


 ケチャが笑い、ゲルズナーが二人へと突撃した。


 くっ。


 俺は狙いをケチャからゲルズナーへと移す。即座にマジックパンチをぶっ放した。


 慌てたせいでちと魔力を余計に流してしまったが、まあいいか。ゲルズナー相手だし。


 黒い光の尾を引きながら左拳がゲルズナーの巨体を捉える。


 激しい炸裂音を伴って左拳がゲルズナーを打ち抜いた。大量の体液と肉片が飛び散ってあたりに落ちていく。


 ゲルズナーが魔方陣の上のシャドウワイヴァーンに重なるようにぶつかった。そのまま沈黙する。


「え」


 ケチャの唖然とした声。


「すごい」


 キルド。


「あのでかいのを一撃かよ」


 ランス。


 放心したようにキルドとランスが黄色い菓子を口に運んだ。


 シンクロしたみたいに二人の目がかっと見開かれる。


「えっ、何これ? 新しい回復薬?」

「体力が戻ってきたぞッ!」


 よしよし、ウマイボーが効いたようだな。


 さて、二人の体力も回復させたことだし俺もこの足をどうにかしないとな。


「ケ、ケチャのゲルズナーが」


 震える声でケチャがつぶやく。


!「や、やっぱりヒューリーはまずいよぉ」

「……」


 お、ひょっとしてびびってる?


 俺はケチャに拳を向けた。


「なぜお前がここに現れたのかは知らんが大人しくしてろ。でないと撃つぞ」

「……」


 ケチャが唇を噛んだ。


 その表情に余裕はない。だが、恐れもなかった。無表情だ。


「……それで? まさか勝ったつもりでいるなんて言わないよな?」


 不意に男の声が割り込んだ。ランバダだ。


 俺がそちらへ目を遣るとランバダが立ち上がっていた。


 ランバダの口の端が緩む。


 加減したとはいえ、こんなに早く目を覚ませるような攻撃をしたつもりはなかった。それなのにマジックパンチで殴られたランバダは復活している。しかも、ダメージもなさそうだ。


「こ、こいつ本当に人間か?」

「うーん、ケチャにはお兄さんもほとんど同類に見えるけど」

「俺は人間だ」

「そうか、ならお前はここで死ね」


 ランバダの声とともに周囲の魔力が濃くなった。


 突如、シャドウワイヴァーンとゲルズナーが倒れている魔方陣が青白く発光する。濃度の高い魔力の発生源はあそこだ。


 俺は怒鳴った。


「二人とも気をつけろ、何かやばいッ!」


 キルドが大慌てで魔方陣から離れ、ランスが槍を構えた。俺の防御結界のギリギリ範囲内だが、できればもうちょい魔方陣から距離をとってもらいたいもんだな。


 魔方陣から強烈な光が生まれ、シャドウワイヴァーンとゲルズナーを飲み込んだ。


 光の中で二体のモンスターが回転し始める。絡まり合うようにぐるぐると、混じり合うようにぐるぐると二体のモンスターは回り続けた。


 ランバダが叫ぶ。


「ここを墓場とするがいい。ヒューリー、邪魔はさせんッ!」


 やがて光の中でシャドウワイヴァーンとゲルズナーは一つとなった。


 二体のモンスターよりさらに大きなモンスターが光の中から飛び出してくる。


 それは真っ黒な体躯に長い首と一対の黒い翼、雲のような細い脚と爪のついた細い尻尾を有したモンスターだった。トカゲにも似た頭部だが口には蜘蛛を連想させる牙がついている。


 横並びした八つの目が一斉に赤く光った。


「ブラックデビルワイヴァーンッ!」


 ランバダが大声で命じた。


「こいつらを始末しろッ!」



 **



 ブラックデビルワイヴァーンが咆哮を上げる。


 耳をつんざくその吠え声は空気を震わせた。ビリビリと伝わってくる殺気が否応なしに強者の存在を意識させる。


 俺はぐっと拳を握って身構えた。


 煽るように俺の中の「それ」が囁いてくる。


 怒れ。


 怒れ。


 怒れ。


 黒い光のグローブが脈打ち「それ」の声に呼応する。これまでにない強い力が全身に漲っていくのを俺は感じた。


 ケチャが愉快そうにはしゃぐ。


「わーい、これならみーんな死んじゃうね。じゃあ、駄目押し♪」


 パチン。


 ケチャが指を鳴らした。


 それを合図に六つの魔方陣がケチャの周囲に現れる。緑色の光を放ちながら魔方陣は一斉にモンスターを出現させた。


 ゲルズナーだ。


 ランスが顔を強張らせる。


「くっ、こいつはきついな」


 キルドが泣きそうな声で呪文を唱え始めた。おっ、戦意喪失しないとは大したもんだ。


 ちょいと見直したぞ。


 俺は足下を見下ろした。


 シャドウワイヴァーンはいなくなったがその角は残っている。俺の影を床に縫い付け足を動けないようにしていた。このままでは回避もろくにできない。


 防御結界にいつまでも頼る訳にもいかないだろう。だいいちこれではこちらの攻撃手段も限られてしまう。


 ぐいと力任せに足を上げた。


 バキ。


 お?


 硬い物を砕いたような音を響かせてシャドウワイヴァーンの角が割れた。固定する力を失った俺の脚は簡単に床から離れる。


 妙にはっきりとしていた俺の影がぼやけた。どうやらシャドウワイヴァーンの角が俺の影に影響していたようだ。


「シャドウワイヴァーンの影縫いから逃れただと?」


 驚愕するランバダの声は無視する。


 俺は一つ呼吸するとブラックデビルワイヴァーンへと駆けた。全く未知の相手だが新たな力も手に入れた訳だし何とかなるだろう。


 とにかくぶちのめす。


 それだけだ。


 キルドが魔法を発動させ、氷の矢を発射する。数本の氷の矢がブラックデビルワイヴァーンを襲った。


 ブラックデビルワイヴァーンが尻尾を振るい、一つ残らず叩き落とす。砕かれた氷の矢野破片が床に散らばった。


「ウダァッ!」


 俺は走りながらマジックパンチを撃った。


 轟音。


 まっすぐ飛んだ左拳がブラックデビルワイヴァーンへと向かう。


 ブラックデビルワイヴァーンが尻尾で迎撃しようと振り下ろした。


 だが……。


 叩かれた左拳が勢いを失わずにむしろ尻尾を破壊する。中途で千切れた尻尾は床に落下した。


 左拳は軌道を変えることなくブラックデビルワイヴァーンの頭に命中し下顎より上を粉砕する。体液と肉がばら撒かれ一気に血の匂いが濃くなった。


 ゆっくりとその巨体が崩れ、仰向けに倒れる。衝撃で地震のような揺れが起こった。


 俺を含めた全員がぽかんとしてしまった。


 え?


 一撃なの?


 いや、だって結構強そうだったよ?


 ほら、出現したときだってかなりそれっぽかったし。


 なのに、あっさりやられちゃうの?


 俺は自分でも信じられずに立ち止まってしまった。いつの間にか左拳が手首と接合していたのも気づかないほど驚いていた。


 ランスが復帰する。


「と、ともかく一番やばそうなのは片づいたな。よ、よしッ!」


 ランスが槍をゲルズナーの一体へと向ける。ランス、すげぇ顔が引きつっているけど大丈夫か?


「ま、まだ負けるもんか。やられた皆の分も頑張らないと」


 キルドが決意のこもった言葉を吐いている。


 だが惜しい、そんなセリフを口にしている暇があったら呪文を唱えた方がいいぞ。


 ケチャは目を丸くしていた。


 こいつが固まっているからかゲルズナーたちまでピクリとも動かなくなっている。おいおい、俺たちにとってはチャンスだがお前らそんなんでいいのかよ。


 ま、せっかくだしこの隙に一発食らわせておくか。


 俺はマジックパンチを撃った。狙ったのはケチャだ。あいつがいるとゲルズナーを増やされかねないしな。あと、あいつ自身も厄介だし。


 ランバダが無言で地を蹴った。


 一歩が大きい上に素早い。ケチャの真ん前まで進むと片手を突き出して障壁のような青白い光の盾を形成した。ぶつぶつと何かを呟いていたからきっと呪文を詠唱していたのだろう。


 左拳はランバダの障壁に阻まれた。その衝撃が離れている俺にも伝わってくる。これ本当にどんな仕組みなんだ?


 左拳が俺の左手首に戻る。


 俺はランバダを睨みつけた。


 それを無視してランバダが言った。


「ケチャ、確認だが、あれの始末は成功したのか?」

「ごめーん失敗しちゃった」

「そうか」


 ランバダが嘆息した。


「まああちらはついでだしな。コサックの報告も受けたし一旦退くぞ」

「はーい♪」

「逃がすと思うのか?」


 俺はダッシュしてランバダたちとの距離を詰める。やけに身体が軽かった。身体強化の魔法を発動させているからではない。それ以外のプラスアルファのお陰だ。


 そういや、あの中性的な声はダーティワークがどうのと言っていたな。


 俺はちらと拳を包む黒い光のグローブを見た。


 こいつがダーティワーク……か?


 俺のリーチにランバダを捉え、卑屈そうな顔に一発叩き込む。


「ウダァッ!」

「おっと」


 至近距離からの一撃をランバダが片手で止めようとする。


 しかし、俺の拳はランバダの片手を粉砕し、その勢いのまま奴の顔面にヒットした。


 鶏の玉子を割るよりも容易くランバダの頭がぐしゃりとなる。飛散した血と肉が俺とケチャを汚した。手応えがすげぇ気持ち悪い。相手が犯罪者とはいえこの殺り方はきついものがあるな。


 ケチャが自分の唇についたランバダの血をペロリと嘗めた。


 にいっと笑みを浮かべる。


「ランバダ、このお兄さんまだヒューリーを使いこなせてないみたい」


 頭を失ったランバダに変じなどできるはずもなかった。


 しかし……。



『油断するな。こいつはブラックデビルワイヴァーンを一撃で仕留めている。攻撃力だけなら君主級の悪魔に匹敵するかもしれん』



「そう? ま、ランバダがそう言うなら」


 虚空からランバダの声がし、ケチャが自分の頭の左右に魔方陣を形成した。緑色の光を輝かせると一本ずつ触手が伸びてくる。


 先端には高熱を発した鋭い爪。


 俺はバックステップでその攻撃を躱し、拳の連打で爪の根元から叩き折った。先端を失った触手が逃げるように魔方陣へと引っ込んでいく。


 この短い攻防の最中にランバダが頭部の再生を終えていた。


 ランバダが早口に呪文を唱え、指先から光線を撃ってくる。


 至近距離からの一発は身体強化をさらにアップしていなければとても避けられるものではなかった。だが、黒い光のグローブを発現している俺の能力は向上しておりかなり余裕で回避できた。


 あの中性的な声は黒い光のグローブのことをダーティワークと呼んでいた。


 なら、今後は俺もこの能力をダーティワークと呼ぶことにしよう。


 俺がそう決めるとあの中性的な声が聞こえた。



『確認しました』

『ジェイ・ハミルトンの身体強化魔法と怒りの精霊による能力・ダーティワークを統合します』

『これにより身体魔法発動時は常にダーティワークが発現します』

『なお、ダーティワーク発現中は他に一つしか魔法を使用できません。ご注意ください』



「……」


 えっと。


 どうやらダーティワークと身体強化魔法が一つになったようだ。


 となると今後はこの黒い光のグローブのためにわざわざ「それ」に力を借りなくてもいいってことか?


 だとしたら、俺にとっては狂戦士化のリスクが減るので歓迎すべきことだな。


 まあ、ダーティワーク発動中に一つしか魔法を使えなくなるってのは辛いが。


 ……とか思いながらランバダの光線を躱していく。


 光線を連射するランバダだがずっと呪文を口にしていないと撃ち続けることができないようだ。小声でぶつぶつと呪文を詠唱している姿はちょい異様だな。小さい子供が見たら泣くぞ。


 ぶん殴りたいところだが光線のせいでランバダに近づけない。逆にどんどん奴から離れていく。


 マジックパンチを放ちたくてもその暇を与えてもらえなかった。マジックパンチを発射するために一度魔力を流さないといけないのだが、そのせいで発射までに少し時間がかかるのだ。これは後で大作を考えなくてはならないだろう。


 そういや、アップグレードがどうのって言っていたな。


 どうやるのか知らんが。


 と、俺が何十発目の光線を避けたときだった。


「ライトニングスラッシュッ!」


 声がし、、六体のゲルズナーとケチャ、そしてランバダが閃光に包まれた。


 駆け足とともに数人が近づいてくる。バックアップに回っていた騎士団員とイアナ嬢、そしてシュナだ。


「こいつらは聖女の浄化で倒せるわ」


 イアナ嬢が息を切らせながら告げた。


 彼女が防御結界を張ってくれたお陰で俺は光線から身を守れるようになった。俺自身も結界魔法は使えるがランバダがその隙を与えてくれなかったのだ。


「あ、僕の技でも倒せるよ」


 シュナが得意げに付け加える。


「というか、僕らを襲ったゲルズナーのほとんどは僕が片付けたんだからねッ!」

「はいはい。あんたは偉い偉い」

「ひどっ、せめて強いって言ってよ」


 シュナとイアナ嬢のやりとりをよそに俺はケチャたちを見た。


 六体のゲルズナーは消し炭と化している。相変わらずとんでもない威力の攻撃だ。


 そしてケチャとランバダは……。


「……っ!」


 そこにいたはずの二人はいなくなっていた。


 ご都合主義ウェポンのせいで消し炭すら残らなかったのか、それとも逃げられたのか。


 俺は後者だと思った。


 ケチャの強さは知っているしランバダも容易く倒せない相手だと理解している。何せ奴は頭を破壊されても再生させたのだ。ケチャと同様、いやもしかするとそれ以上の強敵なのかもしれない。


 きっとまたあの二人とやり合うときが来るだろう。いや、必ず来る。


 俺はぎゅっと拳を握り、呟いた。


「いいぜ、何度だってぶちのめしてやる」

 

 

 


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