道が分かたれたそのあとも。
『断罪後の悪役令嬢の身体を貰ったら、何故か義弟に押し倒されているのですが。』と同じ世界のお話です。そちらを読まなくても問題ありません。
「大好きよ、グローリア」
「私もディーナが大好き」
いつまでも色褪せない緑の瞳をきらめかせて幼い少女たちが笑う。
けれど同じ時に同じ顔で生まれても、その瞳の色のように変わらずにいることはできないのだと、まだ知らないままに。
◇
娘を引き取りたいと王都の商業地区にある我が家を訪れたミネルヴィーノ男爵を見た瞬間。十四歳の夏。唐突に前世の記憶が蘇った。
べたべたな異世界転生。しかも乙女ゲームの世界だ。何しろ双子の姉ディーナが乙女ゲームのヒロインだったのだから。
『天蓋のエリュシオン』は非常にスタンダードな、ある意味くせのない王道の乙女ゲームだ。男爵家の庶子であったヒロインのディーナが父に引き取られて、貴族ばかりが通う学院に入学。そこでまたお約束な王子を筆頭に、宰相の息子、騎士団長の息子、魔法師団長の息子、大商人の息子というベッタベタな相手と繰り広げられる恋愛シミュレーション。一応初代国王の残したと言われる宝を学院で探すうちに攻略対象との仲が深まる、というストーリーはあって、キャラによって追う宝が違ったりもするけれど、プレイする側からしたらただのフレーバーだ。
このゲームに特色を求めるとしたら、それは基本の五人は無料で遊べるが、課金さえすれば選り取り見取り、百花繚乱なものすごく大量の攻略対象が次から次へとDLできる。「必ずあなたの推しが見つかる」がゲームの売りであった。それはもう、年齢性格体型顔立ちがバラエティに富んでいて、共通点は「男性キャラ」ということしかないくらい。背景モブだって採用されているくらいだ。なので、あらゆるキャラの顔面偏差値が高い。ちなみに女性キャラの顔面偏差値も高い。うん、ヒロインも美少女なのだ。可愛い系の。
私の名前はグローリア。転生者であるとつい先ほど判明した。ディーナとは一卵性双生児だ。ゲームの中ではヒロインに双子の妹がいたとか出てこなかったけれど、実際に私がいるのだから、そこはリアルとの差というやつだろう。姉がヒロインで妹がモブ以前とか、姉妹格差にしてもあんまりではある。
私たちは男爵家に行儀見習いに行っていた母が、未婚のまま産んだ娘たちだ。正妻との間に子供が出来なかったから引き取らせて欲しいと頭を下げる男爵の髪と目の色は私たち双子と同じ。ハニーブロンドの髪に常緑の瞳。肌の白さも容姿の整い具合も平民ばかりの周囲とは隔絶していた。それに何より、私たちは魔法が使えたから、父親が貴族なのは確実だと誰もが分かっていたのだ。
「まさか双子だったとは」
男爵は私たちを見つめたまま、うわ言のように呟く。かつての恋人が女の子を産んだという噂は聞いていたらしいのだが、いざ迎えに来てみれば、そっくりな娘が並んでいるのだから、それは驚くだろう。同じ顔だから一人だと思われていたのかもしれない。
「一人分の受け入れ用意しかしていなかったのだが」
貴族で実の父親なのだから、一人だけ引き取ると、平民の私たちに命令すれば断れない話なのだけれど、この男爵はどうにも気が弱そうである。困り顔の実の父親。そして期待を抑えきれないディーナの表情。自然と私の口から飛び出す言葉。
「姉を連れていってください。ディーナの方が魔力があるので」
この王国では魔法を使えることが至上とされる。貴族であれば使えるのが当然。そして魔力が大きいほど尊ばれる。ディーナの魔力は、私がこれまで知る限りでは誰より大きかった。
「でも、グローリアは!?」
期待と不安に揺れる双子の姉に向かって微笑んでみせる。大丈夫、ディーナがヒロインなんだから、ちゃんと舞台に立たせてあげるとも。
ミネルヴィーノ男爵に引き取られたディーナは、半年間貴族令嬢として学び、十五歳になって貴族しか通えない学院に入学してゲームがスタートするのだ。それを邪魔する気は私にはない。
「私はこの店を継ぐつもりだから。今から知らない人ばかりの所なんて私には無理だもの。ディーナが貴族に憧れてたのは知ってるし、向いていると思うよ」
私たちが育ったのは母の実家の商家である。未婚の母となった娘に思うことはあっただろうが、祖父母は可愛がってくれたし、それなりに裕福で、苦労らしい苦労も知らずに育った。母は祖父母の勧めに従って、商家で目をかけてきた十歳ばかり歳上の男ラウロと結婚したので、私達には育ての父がいる。この父は私達を殊の外可愛がってくれていて、娘を手放したくないと男爵からの今回の話に一番最後まで反対していた程だ。なので男爵と実際に会っても、父と思う気持ちは微塵もない。
幼少時より双子の天使呼ばわりされるほど、実のところ、私達は相当に可愛い。祖父母とラウロ父さんなんか、可愛すぎて誘拐されるんじゃ、って心配するからほんのご近所までしか一人で出掛けたことがない箱入り双子になってしまった。
あえて言う。ディーナと私はものすごく可愛い。さすがヒロインの顔。
外見はまったく同じだが、少し一緒にいれば誰もが私達を見分けた。
夢見がちなのがディーナ。現実的なのがグローリア。
猪突猛進なのがディーナ。慎重なのがグローリア。
誰にでも愛想がいいのがディーナ。人見知りするのがグローリア。
誰にでも好かれるのがディーナ。人を選ぶのがグローリア。
そして、ヒロインなのがディーナ。モブなのがグローリア。
前世の記憶はまるで読んだ本の内容のようにどこか他人事で。グローリアとして生まれ育った意識が揺らぐことはなかった。だからこそ押し寄せる記憶に混乱もなく受け入れられたんだけど。
そして前世でも今世でも、私は目立ちたい方じゃない。ヒロインでなかったのには残念が二割、残りの八割は安堵で占められている。まあ、自分がヒロインだったらと憧れる気持ちは女の子なら絶対あるだろう。ただし、ヒロインとしての適性を考えると無理だと思ってしまう。適材適所ってやつ。正直、私がディーナだったらと考えてもゲームのようには絶対ならないと確信する。そもそも貴族って窮屈そうだし、今の生活を失うことに尻込みしてしまう。無理やり引き取られたとしても、攻略対象に話しかけることすら難しいだろう。
新たな視線で眺める双子の姉は。「さすがヒロイン。天然ものは違う」という感じ。人の善性を疑うことなく信じて、だからこそ相手からも善性を引きずり出す。とても私には出来ないことをやってしまう。そんなディーナが表舞台で主役を張れるよう、そっと後押しすることにした。
結局、本人の意思もあり、話し合いの末にディーナは男爵家に引き取られることになった。
当然、周囲に隠せるはずもなく、ディーナが旅立つ日には店の前の道が埋まるほどの人が集まって、それなりの騒ぎになる。平民の子供が貴族に迎えられるなんて、早々ある話ではない。
「良かったのか? お前が行った方が問題は起こさないだろう?」
ディーナの乗った馬車を見送る私の横に、いつのまにか青い髪を揺らした友人のイーヴォがいた。イーヴォは副都の出身だったが、魔力が大きいからと六歳で王都に移された子供だ。家の近所に彼の住む寮があって同い年だからよく一緒にいるようになった。イケメン揃いの乙女ゲームの世界だけあってか、彼もなかなか将来が楽しみな美少年だったりする。
「それってディーナが問題起こす前提?」
「これまでずっとお前らを見て来た俺が断言する。ディーナは絶対にやらかす」
「概ねは同意するけど。あの子絶対、身分とか考えずに突進するだろうし」
ヒロインらしいヒロインであるディーナは、いつだって困っている人、悩んでいる人を放って置けなくて突進していた。ディーナのことは愛しているが、それでも毎回突進の後始末をしてきたのは私だ。あの性格はきっと治らないだろうと思っている。
「なら何で止めなかったんだ?」
「ディーナはお姫様に憧れてたのよね。私は貴族に関わりたくないから丁度良かった」
何より、ディーナがヒロインだから。これは誰にも言えないけれど。
「それって、お前が力を誤魔化してるのと関係あるか? お前、本当はディーナと同じだけ魔力あるだろ」
「知ってたの?」
「故郷の塾に双子がいてさ。ぴったりおんなじくらいの魔力持ってたんだよ。だからお前らもそうなんじゃないかって」
ちなみに塾と呼んでいるのは『魔法制御塾』が正式名称。市井に混ざって貴族の血を引く子供たちを指導する機関だ。男と女のことだから、そういう混ざった子供もそれなりにおり、魔法を使える子供もその中で一定数存在する。貴族の家にまともに生まれた子供ならば家族や教師から魔法の制御を学ぶが、平民から生まれた庶子たちにそんな面倒を見てもらえる相手はおらず、しかし放置していては魔力暴走の危険があるため、塾で指導することになっている。指導は基本無料。その代わり、見込みがあると判断されれば魔法を使う仕事を強要される。
私とディーナも魔法が使えると分かった七歳からイーヴォと同じ塾に通わされていた。明るくて誰にでも好かれて人気者のディーナと違って、私にはそれほど友達がいないが、イーヴォとは何故か馬が合った。イーヴォもまた、片親が貴族だ。しかも幼くして家族と引き離されたせいか、少々ひねくれたところもあるが、塾では一目置かれる実力者でもある。
平民のために魔法を使えるからと、私達のような存在は重宝はされている。貴族は自分たちの領地に於いてはきちんと魔法を使って領民を守っているらしいけど、すすんで平民のために魔法を使ったりしない。だからまあ、庶民としては高給取りになる。イーヴォはもう塾から仕事を任されているし、彼には魔法使いとして生きる未来しかない。
「変に目を付けられたくないから魔力は隠しちゃったのよね。ディーナと違って、私は貴族に夢なんて持てない。ただ駒にされるだけなのも分かり切ってる。どの道、半分平民の子供がどんなに大きな魔力を持っていたって重用されるとかないし、家は魔法使いじゃなくても継げればいいんだから」
ディーナがその魔力の大きさを知られながら魔法使いとしての仕事を回されなかったのは、家がそれなりに裕福だから忖度されていただけだ。
魔法が使えることが大事な貴族たちは、貴族同士で婚姻を繰り返して、必ず魔法が使える子供が生まれるようにした。この世界では魔力が大気や水などに含まれているため、あらゆる生物が魔力を取り込んでいる。しかし、それを魔法として排出変換できるのはごく一部でしかない。
この国では魔法使いを優遇して貴族としているくらいで、平民のほとんどは魔力を持っているだけになる。だから、平民で魔法が使える者の片親は貴族であるが、次に生まれて来る子供が魔法を使えない可能性が高いために、貴族からは下に見られて相手にされなかったりするらしい。
「ディーナは、あんだけ魔力があれば下級貴族との縁組くらいはいけるかもな」
つまり、男爵家の跡取り娘として引き取られたディーナも、半分平民であるから、当人がどれほど優れた魔法使いであっても、「次の世代」を考慮して縁談を避けられる可能性が高い。ヒロインだから大丈夫、と私は確信しているけれど、誰にも言えない、根拠もない発言はできないけれど。
「ディーナは引きが強いから、きっと幸せになれると思うな」
「じゃあ、残ったお前は?」
「身の丈に合った幸せを探そうかと」
「お前も引きは悪くないと思うぞ? なんと言っても俺が友達なんだからな」
にやりと笑って見せるその表情が、どこか悪戯っ子のようでもあり、美少年がやるとなかなか破壊力がある。ディーナと道は分かれても、華やかなゲームの世界が覗けなくても、あまり先の不安がないのは、イーヴォのおかげもあるかもしれない。
「そうだね、じゃあこれからもよろしく!」
そう言って笑いかけると、イーヴォは少し目を逸らして「まかせろ」と答えたが、何故か耳が赤くなっていた。
◇
ディーナが男爵家へと去った後、私は引き続き塾で魔法を学び、家では商売についてのノウハウを学んだ。どちらも覚えることが多く、しかもこれまでのようにディーナの影に隠れるわけにもいかず、気を遣う日々を送る。四年なんてあっという間だった。
ディーナとはずっと手紙のやり取りをしていたが、その間隔も一週間が一月に、一月が二月にと随分と空くようになってきた。あちらもあちらで忙しいらしい。それでも、ディーナが忌憚なく本心を語れるのは私だけなので途切れることだけはなく続いて、私にゲームの世界を垣間見せて来る。定番の攻略対象者の名前が出て来ると、やはりドキッとしたし、リアルでもイベントがちゃんと起こることに感動もした。
けれど、ディーナが学院の卒業を迎えた後に送られてきた手紙を読んで、私は動かずにはいられなかった。
「どうしても会いたい。どうしても会って言いたいことがある」
そんな返事を書いて。
ディーナは、メインの王太子ルートを選んで、攻略を済ませていた。
◇
「グローリア! 会いたかった!」
男爵邸の一室で三年半ぶりに会ったディーナは、まさしくゲームのエンディング時の姿だった。美少女が孵化して美女になろうとするその狭間。
向かい合った私たちは今もまったく同じ顔なのに、身に着けているもののレベルが違う。実家は貴族相手の商売はしていないが、それでも商品を見続けていた私には、今ディーナが着ているドレスやアクセサリーが男爵家で用意できる範疇を軽く超えていると見て取れた。
「この度はご婚約おめでとうございます」
貴族令嬢のような礼はできないから、頭を深く下げる。
「やめて! グローリアは私の妹なんだから、そんなことしないで!」
抱き着いてきたディーナは多少の所作は向上が見られるものの、庶民的な言動は変わらない。
「じゃあ、普通にさせてもらうね。元気そうで良かった」
抱きしめ返して笑いあい、一体感的なものが二人の間に流れる。やはり私にとってディーナ以上に特別な人間なんていない。
「これまで何回も私が会いたいって言っても断ってきたのに、今回はどうしたの?」
無邪気なディーナ。天然ヒロインなディーナ。
「男爵令嬢になったディーナと平民の私では身分が違っちゃったから断ってた。でも、まだ会えるうちに会っておこうと思って」
「身分とか関係ないわ! グローリアは私の妹で私の半身なんだから」
「ディーナ、このお馬鹿。王家に入る人間が平民と付き合えるわけないでしょう。あ、間違っても家の店を御用達とかにしないでよね」
「えっ、なんで? 家だって助かるでしょう?」
「やっぱりそのつもりだったんだ。あのね、家は平民相手の商売やってるのよ。お貴族様、ましてや王家と取引できるような商品もないし、増やすつもりもないから。大手の御用達商家から睨まれて仕入れや売り上げの妨害だって考えられるし、正直、迷惑だから絶対やめて」
「父さん母さんもグローリアも喜ぶと思ったのに」
「喜ばない。迷惑。絶対しないで」
「……分かった」
「これだけでも今日会いに来た甲斐があったわ。やらかしそうだと思ったのよね」
ソファーに移動してお茶をご馳走になる。うん、いい茶葉だ。部屋からは侍女も護衛も外してもらっている。平民とはいえ女で、しかも身内であること明白だから許されたんだろう。護衛の鎧に見えたのは近衛の紋。もう既にディーナは王家の内にあるのだ。
「グローリア、怒ってる?」
「怒ってない。呆れてるけど」
「見捨てないでよね?」
上目遣いで涙を浮かべた美少女の懇願とか、それ双子の妹にやって効果があるとでも? ……あるのが困る。
「私はね。見捨てるのはディーナでしょう」
「そんなこと、するわけないっ!」
「じゃあどうして、よりによって王太子様と婚約したの? せめて同格の男爵家かぎりぎり子爵家のお相手なら絶縁することもなかったはずなのに」
私の発言をどれほど理解しているだろう。ディーナは頬を染めて目を逸らす。
「それは、だって、王太子様を好きになってしまったからだもの」
恋は落ちるものだし、その渦中だと理性も仕事をしない。にしても、周囲に止める奴はいなかったのか。王太子には婚約者もいたはず……あ、王太子ルートの悪役令嬢はあのアダルジーザだったっけ。そりゃ発言権もなかろう。
「なら仕方ないわね。ディーナは私や元の家族よりも王太子様を選んだのだし」
「だからって、絶縁とかしないわ! 家族は家族だから!」
本当にディーナはヒロインらしいヒロイン。誰にでも手を差し伸べるディーナ。でもこれからはそうはいかないのだと、分からせるために私が来たのだ。
「ディーナ。今日私はね、もう二度と一生会うことがないけど元気で、とお別れの挨拶にきたの」
「嫌よ! グローリアは大切な……!」
「だからよ。私と家族はあなたの弱点になる。私たちが攫われでもしたら、あなたその相手に逆らえる? そんなあなたの弱点は王太子様の弱点になってしまう。ここできっちり縁を切っておかないと私たちは、そうね、国内から追放されるとか、消される可能性も出て来るわ。さすがにそんな酷いこと、ディーナだって望まないでしょう?」
考えたこともなかった、という驚愕に大きく目を見開くディーナ。貴族教育どうなってるんだ。ちゃんと裏も教えておけよ、男爵夫妻。
「王太子様にお願いするから! 家族を守ってくださいって!」
「それが駄目なのよ。ねえ、あなた本当にちゃんと教育を受けたの? 街で暮らす私でさえ分かることなのに。王家に連なろうとする者がそんな分かりやすい弱点を持ってること自体が許されないことだって。
他にも理由はあるだろうけど、王家と婚姻を結ぶのが高位貴族出身なのは、自衛ができるってこともあると思うの。私たち平民は下位貴族にすら逆らえない。実父の男爵様だって、高位貴族に逆らえない。あなたを守るのは王太子様のお心だけ。そして王太子様ですら、婚約者の実家の力も財力も当てにできない状況で、どこまであなたを守れるのかしら。
ねえ、あなたと王太子様の婚約を反対する人は多いでしょう? 普通に考えてもこの婚姻は王家の力を削ぐことにしかならないって思うはずだから」
「グローリア! どうしてそんな酷いことばかり言うの!?」
周囲も思いとどまらせようとしたはずだ。いくらヒロインだからって、シンデレラ・ストーリーで本当に幸せになれるのはごく一部でしかない。恋なんて不安定で壊れやすいものに全てを賭けてしまえるなんて。それはおそろしく分が悪い。
きっと耳に入らなかったのだろう。王太子とふたり、聞き流して。権力で強引に進めたのだと簡単に予想できた。ならば私が言うしかない。半身の言葉ならば多少はディーナにも届くはず。殊更、強い言葉を選んでいこう。
「死にたくないからよ、ディーナ。あなたの立場ですら危ういのに、平民の私の命はもっと軽い」
「グローリア……」
うん、お茶菓子も美味しい。街で出回っているものとは素材からして違う。既に涙がこぼれているディーナの顔を横目に、これから告げることを整理する。感情的になってはいけない。うっかり同情して甘やかしたりしないように。今日、私はディーナの心に傷を作るために来たのだから。
「所謂、今生の別れってやつかしら。本当にこれが最後だから、言いたいこと全部言っておくから覚悟してね?」
◇
「私ね、王太子様と婚約したって聞いて呆れたけど、ちょっと安心もしたのよ。双子なのにいつだってディーナが正しくって私一人が薄汚い心を持ってるって、ずっと劣等感あったけど、ディーナも私と同じだって分かったから」
何を言い出したのだと、顔を上げて涙に潤んだ瞳が私を見据える。ディーナと双子に生まれて十八年。記憶が戻って四年弱。ヒロインに一番近い身内として生きるのに、それなりに溜め込んだ負の感情がある。
いやもう、劣等感がどれほど刺激されてきたことか。周囲の比較対象がヒロインだとか、私、それほどの業を抱えてたの、って言いたいくらい。顔がヒロインと同じでも、私の中身は至って普通だし、出来だって普通なんだよ。いやまあ、美少女な顔とスタイルとか、魔法的ポテンシャルとかは備わっているけれど、所謂対人的なコミュニケーションスキルの差とかで。周囲から「同じ顔なのに」と向けられる視線がどれほど痛かったことか! 前世チート? そんなものは精々計算能力くらいしかありません。
「いつだって困ってる人を助けようとしてきたディーナが、自分の欲を優先したじゃない。どう考えたって一番困ってて苦しんでいたのって王太子様の婚約者だったアダルジーザ様なのに」
『天エリ』をプレイしてたからね。王太子ルートの悪役令嬢のアダルジーザのことだって知っている。筆頭公爵家の一人娘に生まれて、莫大な魔力持ちでありながら魔法を使えず周囲から軽んじられてきた、血筋と内在魔力のために王家に飼い殺しにされていた名ばかりの婚約者。実を言うと、プレイしている時も、あまりの哀れさにヒロインよりも幸せになって欲しいと思ってしまったキャラだ。
「自分の恋を成就するためにあの方が不幸になるのを見過ごしたんだから。ううん、積極的に不幸に突き落としたんだもんね。卒業パーティーまでは、まだあの方が婚約者だったのに王太子様を浮気させちゃった。立派な裏切りだよね。あの方からしたらディーナは立派な泥棒猫だもの。私でもディーナの手紙読んだだけで(というのは嘘だけど)、アダルジーザ様が微妙な立場だって分かったんだよ? 近くで見てたディーナならもっと分かってたはずじゃない。手紙に書いてあった嫌味や嫌がらせ、昔、粉屋の姉妹にやられたことに比べたって可愛いものよね」
天使双子と周囲に褒めそやされていた十代のはじめ、それが気に食わなかった粉屋の姉妹に、ディーナとふたり目を付けられたことがある。過保護な父や味方してくれた周囲のおかげで無事に済んだけれど、彼女たちの嫉妬からくる虐めは結構えぐいものだった。あえて内容は思い返さない。思い返したくもない。
「もっと酷いことされたって不思議じゃないのに、あちらにはその権利があるのに、その程度で済ませてくれた人を追い落としたんだもの。たしか、一生幽閉だっけ? 真実の愛とかって、とっても女のエゴを感じるわ。昔のディーナだったら、困ってる人は男女関係なく助けようとしてたのに、素敵な王太子様との恋愛を優先しちゃって、あの方を見捨てた。ちゃんと汚いところも持ってたのね」
少女特有の潔癖な思考からすれば、婚約者のいる相手との恋愛とかありえない。普通ならしない。障害があるからと燃え上がる恋にかまけて、見えなくなっていたものがディーナには沢山ある。王太子? 奴はもっと罪が重いとも。いくら美形で血筋がいいからって、クズだと思う。ゲームじゃ楽しめてもリアルじゃ受け入れ難い。不敬罪になるから口にはしないし、直接言う機会もないだろう。その分、一生消えない罪悪感をディーナには負ってもらう。
そんなつもりはなかった、私達は恋におちただけ。そんなことを必死で口にして、ディーナは私が誤解していると言うけれど、いや私、ゲーム知ってるんで。むしろ渦中のディーナよりも設定的に詳しいかもしれないまである。
「責めてるわけじゃないって。自分本位なディーナが見られて私は嬉しいって言ってるの。それに、そういう面を持っているのは、これから役に立つじゃない。いずれ至高の存在になる王太子様の隣では、綺麗事だけじゃやっていけないはずだもん。罪人も罰するだろうけど、状況によっては罪なき人を裁くことだって、陥れることだってあると思うのよね。政治だとか派閥だとか色々あるんでしょう? ただの平民の私にだって、それくらいの想像力はあるのよ? 貴族としての教育を受けて学校まで行ったディーナの方がもっと知ってるはずよね。清濁併せ吞んでこそって、とっても王族らしいわ」
もちろん、私は知っている。ディーナにはアダルジーザへの悪意なんてなかったって。ただ初めての恋に浮かれて周囲が見えていなかっただけ。夢に見たような本物の王子様がお相手となれば、そうなっても不思議はない。それでも普通なら身分がーとか、世界が違うーとかで、下級貴族の庶子の分際で近づかないし近づけないはずなんだけど。まあディーナはヒロインだから、そういう部分はきっと抜け落ちてて、ただ愛のない婚約に悩んで困っていた王太子に突進しただけなんだろうけど。
ゲームなら納得できる結末も、私の立場だと現実として受け止めて対策を練らないといけない。これ以上関わると、本当に命が危ない。
「でもごめん。私にはそういう生き方はできない。これからは本当に住む世界が違ってしまう。もう手紙のやり取りもしないし、会うこともないからね」
「グローリア!?」
「多分、王家の方もそう望んでるんじゃないかな。必要以上に平民と関わって欲しくないはずよ」
「ちゃんと王太子様に言うから! 家族は別だって」
「それに。ディーナは分かってる? 今は情報だけで私が双子の妹だって知ってるかもだけど、実際に姿を見られたら、私は多分、ディーナの影武者として飼い殺しにされるって」
王太子がディーナを大切に思うならば、王族として生きてきた人間ならば、きっと私を利用する。そんな危険性、ディーナは絶対気付いていなかったとしても。
「お願いよ。私をグローリアのまま生きさせて。ディーナなら、妹のお願いは聞いてくれるでしょう?」
ディーナだって馬鹿じゃない。自分にそっくりな双子の妹に関わり続ければ私がどうなるか、きっと悟ってしまった。彼女は善性溢れるヒロイン。私を犠牲にした上での幸福を受け入れられるほど貴族に染まってもいない。
だから泣き伏してろくな返事も出来なくなったディーナをその場に残して、私は去ることにした。家族としての抱擁もキスもなしに。すべての未練を断ち切って未来永劫の決別を。命よりも大事な半身と離れても、互いに生きていくために。
◇
男爵邸を辞した私は、家に戻る前に塾に寄り、イーヴォを探しに行った。
思った通り、彼は塾内の図書室にいた。気に入りの窓辺の席でひとり、静かに本を読んでいる。窓からの夕方の光が、平民には少ない青い髪を輝かせて、すっかり青年になった彼の顔に影を落とす。顔が見えなくても、見とれてしまう景色だった。
うっかり部屋の入り口に立ち尽くしてしまった私の気配に気付いたのか彼が顔を上げてこちらを見た。
「グローリア? 今日はディーナに会いに行くんじゃなかったのか?」
「うん、行ってきた。で、色々すっきりしたところで、イーヴォに相談があるんだけど」
「相談?」
ディーナと縁を切ったらと考えていたことがある。いざ口にしようとすると、途轍もなく勇気がいった。早口にならないように、不自然にならないように。あくまでもさりげなくを心掛けて。
「私、外国に行こうと思ってるんだけど、一緒に行かない?」
「はあっ!? お前、家の商売継ぐんじゃないのかよ」
「ちょっと前に母さんがね、妊娠してるって分かったの。どうせ店を継ぐなら父さんと母さんの子供の方がいいもの」
うちの母が私達を産んだのは十五歳。この世界にあっても早い方だ。現在、三十をいくつか過ぎたとはいえ、前世の感覚からすればまだまだ若い。
「それに、私のこの顔。ディーナが王太子妃になったら、騒ぎとか起きそうじゃない? 一人で行くのはさすがに不安だから、イーヴォが一緒してくれると嬉しいなって。あ、でもイーヴォの負担にはならないようにするし! 一人で行く予定狂わしちゃうけど」
イーヴォは以前から国を出ると言っていた。この年まで残っていたのは、塾から強制の仕事があったからだ。所謂、奨学金の返済のようなもの。塾での教育と寮での生活費は無料という建前だが実際は違う。私の場合は父さんがさっさと金銭で支払ってしまったので、そういった仕事を回されなかったけれど。
「王太子妃と同じ顔だもんなあ。お前も国を出た方がいいだろう」
いつの間にか窓辺から、私のいる入り口近くまで寄っていたイーヴォの手がゆっくりと上がって、私の頬を撫でた。
「俺が一人で行こうと計画してたのは、お前を連れていけないと思ってたからだ。跡取り娘を攫ってくわけにゃいかんだろ」
ディーナがいなくなってから、実家の跡取り娘になっていた私。このまま父さんたちが決めた相手を婿にするしかないとずっと諦めていた。魔法を使うのは巧みでも、イーヴォは商売人には向いていなかったし、そういう修行もしていない。だからこれまで何も言わなかったし、イーヴォも何も言わなかった。お互いに言葉にも態度にも出さないようにはしていたけれど、鈍感主人公やヒロインではなかったので。母の妊娠とディーナの暴挙のふたつがあってはじめて、私にも希望が芽生えた。
「私、ディーナみたいに性格良くないよ」
「知ってる。あと、お前がディーナに色々拗らせてるのもな」
「知っててなんで」
「俺みたいにひねくれてると、ディーナの側って居心地悪いんだよ。こう、きれいな水に魚が住めないような感じでさ。お前くらいが丁度いい」
「それ、誉めてない」
「おう。誉めてねえ。でも俺はお前がいい。惚れてるから仕方ないな」
そう言って、至近距離で笑うイーヴォの耳が赤い。私の顔もさっきから熱くて仕方ない。心臓がうるさい。吐息がかかる距離が一挙に詰められて唇が重なった。
図書室の隅に置かれたソファーに並んで座って。肩を抱かれて、時折髪も撫でられる。今まで無理だった恋人の距離は、心臓に悪いのに離れたくないという葛藤を産んだ。彼の肩口にぐりぐりと頭を押し付けるのは、甘えたい気持ちと照れ隠しの両方がせめぎ合った結果。
「あのね、私、ディーナのこと嫌いじゃないんだよ」
家族だから、良い所よりもむしろ悪い所を見てしまう。愛しているけれど、それだけでもない。
「知ってる。でも、結構むかついてるだろ。ちょっとくらい不幸になれとか思ってる」
「……うん。でもちょっとだけだから! あんまり不幸にもなって欲しくないから!」
そんなに分かりやすいだろうか。でも本気で傷ついて欲しくない。そうね、寝ぐせが取れないとか、さかむけができやすいとか、箪笥の角に小指をぶつけるくらいでいい。
「難儀なやつ」
今、頭の天辺にキスしたよね!? なんでそっちばっかり余裕があるのよ! 思わず動揺に声が震える。
「だって、あの子、馬鹿なんだもん! なんでわざわざ王太子様なんて引っかけるかなあ? 王族なんてきれいなだけじゃ絶対すまないのに! ちょっと考えれば分かることなのに! 自分から不幸になりに行くようなもんじゃないっ!」
「ディーナだから、なんじゃね?」
「うん。ディーナだもんね」
そういう共通認識を持たれているヒロインってどうなの、とか思わないでもないけれど、それだけディーナがやらかしてきたということでもある。
「多分、お前はディーナと距離を置いた方がいい。そしたら、素直になれるだろ」
「なれるかな」
なれたらいいと思う。少なくとも、イーヴォの前では素直で可愛い女の子になりたい。
「とにかく、行ってみようぜ。この国以外だと魔法使いは極端に少ないらしいから、魔法使いの夫婦なんてどこでもそれなりに優遇されると思うぞ」
「ふ……っ、夫婦って!?」
今、恋人になったとこだと思うんだけど、いきなりすぎはしませんか。
「お前、自分がどんだけ可愛いか自覚あるか? ディーナがいなくなってから、あいつ狙いだった野郎どもも一斉にお前に標的変えてたしな。ラウロ小父さんや俺が睨みきかせてたから無事だったものの。たかが恋人じゃあ、国内ですら男が寄ってくる。外国ともなれば狙われまくるのが目に見えてる。それに何より」
リップ音を響かせて軽く耳に触れられて。更に耳から甘い毒が注がれる。
「とっとと俺のものになっとけ」
その毒に抵抗できる薬は異世界にもない。
何度も確かめるようにキスを交わして。その余韻を味わった後、おもむろに立ち上がったイーヴォに手を引かれる。
「じゃ、ラウロ小父さんに殴られに行くか」
「えっ、今から!?」
「ディーナの婚礼までに国出た方がいいだろ。ならさっさと準備しないとな」
王族の婚姻とか、平民と違って準備に時間がかかるから、多分一年以上先のことになると思うんだけど。そう分かっていても、あえて何も言わず、イーヴォの手を振り払うことなく実家へと戻った。
その後は。予想通りイーヴォは父さんに殴られて、そのまま夕食を一緒にとなった。
私達は何も言わなかったけれど、両片思いだったのは周囲にもバレていたようで。なので無理に私に縁談の話をしなかったらしい。いざとなったら私の子供に継がせるとかいう意見もあったとか。まあ、父さんが娘を取られたくないからと、よそから来る縁談も断り続け、あえて何も言わないイーヴォを焚きつけることもしなかったようだ。
さすがにディーナが王太子と婚約するとは誰も予想外で。けれど成婚するとなれば同じ顔の私が騒ぎに巻き込まれるだろうと、対策を家族で練っていたそうだ。当事者の私には告げずに。
当初は王都から離れたところに店を持つ方向だったらしいが、イーヴォからの求婚と外国行きの方が私の安全が見込まれるとなって、急遽三か月後、白いドレスを纏って式を挙げ、そのまま国を出ることになった。乙女ゲームだからね。ウェディングドレス文化は当然のようにあったとも。ふたりいたはずの娘がふたりともいなくなると、父さんは大泣きしていたけれど。
ディーナに、正確には実父である男爵に知らせはしたが、両名の出席はお断りした。その時にはもう、ディーナが王宮で暮らしていたというのもある。私だけでなく家族全員とディーナとの今後の絶縁も明確にされた。ディーナもどこぞやの侯爵家の養女になるらしい。男爵家出身の王太子妃はやはり厳しいのだろう。ディーナからの結婚祝いも丁寧に辞退した。ただ同封されていたカードだけは、こっそり荷物に隠したが、イーヴォは見ないふりをしてくれている。
◇
同じ時に生を受けて共に育った、鏡像のように同じ容姿の私の半身。私達は別個の存在なのに。分かちがたい。離れがたい。事実上の絶縁はディーナと私が生涯抱えていくであろう傷になる。
それでも、幸せを遠くから祈っているから。王子様と結ばれた後も、幸せに暮らしているとどうか信じさせて。本当にヒロイン力が必要なのはきっとこれから。
隣にいる人はお互いではないけれど。その相手に向けるのではない特別な気持ちをずっとあなたに抱き続けるから。
双子の相克(ただしわりと一方的)がメインテーマなんですが、乙女ゲームのヒロインの身内って大変そうだな、というところから。ディーナのかつてのやらかしエピソードもいくつか考えてはいたのですが、尺を取るだけなので省略しました。
『断罪後の~』のあとがきで裏設定をちょろっと書いてますが、ディーナのその後はあまり幸せではないように見えます。生まれた息子の魔力が少なかったために、夫となったコルネリオは王太子を廃されて臣籍降下されてしまい、ディーナと息子は寿命が元々の王族に比べて短かったためにコルネリオは長く一人で生きることになります。もっとも、王妃にならずに済んで、ディーナ本人は内心ほっとしていた模様。夫婦仲も悪くないままでしたので、外から見るほど不幸ではなかったかと。
ちなみに『断罪後の~』のアダルジーザとバジーリオはめっちゃ長命です。チート持ちになったアダルジーザが何かしたのか、コルネリオよりも長命。
グローリアの寿命もディーナと変わりなく、貴族より短命、しかし庶民よりもだいぶ長命。イーヴォとふたりで各国を放浪。子供ができたために小国に腰を据えて、夫婦して王家の相談役のような立場となります。そのため、生活に苦労などはありません。祖国の両親とはずっと連絡を取っていましたが、永らく帰国しませんでした。ディーナが王太子妃でなくなったと知った後には両親には会いに行きましたがディーナには会いませんでした。イーヴォとグローリアの子供たちは、当然両親の祖国には関心がなく、すっかり小国に馴染んで、子々孫々暮らすことに。ごく稀に見つかる魔法を使える人材を保護して導いたりもしましたので、祖国以外では珍しい魔法使いの集まる地となります。