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良い奴・嫌な奴展


 相談三日目。相談部の相場は知らないけれど、面倒臭がりの性格を加味し、失礼ながら相談一件に対して一週間を目処に対処すると心に決めていた。

 一日目が上履きの捜索。二日目が会話トレーニング。三日目が今日で、四日目過ぎて五日目にクラスメイトに話し掛ける。これで鎌取の相談は終了にするつもりであった。

 俺はスマホでメッセージを送る。

 そういえば昨日、帰宅途中。家からの最寄駅前に構えているショッピングモールに入り書店に立ち寄った際、友人との仲が深まる行動というタイトルの本を見つけた。俺はその本を手に取り読んでみたのだが、当たり前のことを難しい言葉や専門用語を使い、心理学的テイストにしたい魂胆が見え見えの内容であったため、あまり参考になったわけではないのだが、本の中で一つだけ気になるトピックを見つけた。それは、端的に言えば身体的接触が心の距離も縮めるというもので、鎌取が行なっていた手で目隠しする行動も分かってやっていたのかと考えたわけだが、しかし、どちらにせよ異性にするべき行動ではないため、改めて彼女の感覚のズレを再認識することとなった。

 ただ、もし仮にこのまま円滑に事が進み、来週から薔薇色の高校生活が鎌取に訪れたとして、クラスメイトの男子とも気軽に話しかけられる人間になったのなら、同じような接し方は危険極まりない。まず、された男子からしても、存在しない期待を抱き、不毛な時間を費やしてしまうことになる上、女子からも反感を買ってしまう。異性受けが良いというのは、角度を変えれば異性に媚を売っていると捉えられても仕方がなく、下手をしたら人物を指定しての嫌がらせが発生してしまう可能性もある。今回の上履き隠しのケースと違って、それは根深く、大した人間ではない自分にはどうすることもできない。

 だからまぁ、一応は鎌取にそのことを伝えるべきだろう。続かない関係を作ったところで、それは相談を解決したことにはならないだろうし、俺自身も申し訳ない。……ただ、勘違いしないでほしいことは、決して自分以外の男子生徒に同じ行為をしてほしくはないという理由で指摘するわけではないということだ。ほんと純粋な善意からで、未来を見据えてのことで。あくまで、客観的に言っているだけなのである。

 あ。

 俺はその瞬間、見てしまった。……ガラスに映る鎌取の姿を。

 教室前で待つこともできたのだが、それはそれで目撃者にいらない誤解をされるシチュエーションに思えて、図書室前に来てもらうよう連絡をした。そして、何となく外で青春を謳歌している運動部を眺め待っていたところ、ガラスの向こうで鎌取がジリジリと迫って来ていることに気が付いてしまった。おそらく、今日も目隠しをして驚かせようという魂胆だと予測できる。ハマったのかな。

 ガラス越しに彼女をじっと見る。足音を立てないことに集中してか、俺の視線には一向に気付く様子がない。何をそんなに真剣になっているのか。まるで獲物を狙う猫のようだ。

 しかし、気付いてしまったのに無抵抗にやられるというのは、何か恥ずかしい気がした。分かっていて手を出されるというのは、下心を隠せていないというか、むしろ罪悪感を感じてしまうというか。

 それなら、敢えてこちらから振り向いてやるか。鎌取も不意を狙っているわけで、少しくらい驚かしても機嫌を損ねないだろうし。

 俺は勢いよく振り向いてやった。

 「……では行こうか!」

 「ひょわっ⁉︎」

 気持ち強めに声を掛ける。すると、鎌取は素っ頓狂な声を上げた。

 しかし、俺は振り向いて気が付く。ガラス越しでは分からなかったが、お互いの距離がほとんどなかったことに。

 感覚を掴めていなかった。顔というか、唇がくっ付きそうな距離だった。

 「わっ、ごめ」

 まずい。お互い、慌てて距離を取ろうとする。……が、反射的な反応であったため、鎌取は足を滑らせ、前のめりに倒れ込む。俺を巻き込む形で。

 「……いっっっつ!」

 俺は悲痛な声を漏らした。被さってきた鎌取の重さもあり、想像以上の衝撃と痛みが走った。(鎌取の体重が重たいわけではない)

 ラブコメの主人公はこんな気分であったのかと、今じゃない感想が頭に浮かぶ。

 「ごめん、先に気が付いちゃったから驚かせようと。大丈夫か、かまと……りっ⁉︎」

 ゆっくり目を開けた途端、最大瞬間風速で血の気が引いた。

 「いたたぁ……。あ、春元さん、ごめんなさ……」

 そこで鎌取も気が付く。俺の右手が互いの体の間に挟まっていることに。……首とお腹の中間、つまりは彼女の胸に、俺の右手が密着していることに。

 「…………っ!」

 鎌取は驚異的な速さで立ち上がり、数歩下がった。さすがの彼女も、表情を真っ赤に染めており、かなり動揺していることが伺える。

 「……や、えっと……、あの……」

 やってしまった。何も言葉が出てこない。

 俺は魚のように口を半開きにしたまま、呆然としてしまう。頭の中では、手錠を掲げながらこちらに向かって、警察が走ってくる。相談どころではない。

 最後に女の子と手を繋いだのだって小学生の話だ。修学旅行のキャンドルサービスの時の。自分も幼かったし、その時の記憶はほとんどないけれど、多分それが直近。それなのに、多感な時期に女の子の胸を触ってしまうなんて、もしかしてこれがアダルトチルドレンなのか? 関係ないことを考えてしまう。

 ……いやいや、そんなどうでも良いことは置いといて、まずは謝らないと。でも、謝るって言ったって何て言えば良いんだ? 胸を触ってしまいすみません。いや、これは逆にセクハラ発言になってしまうのでは?

 頭はフル回転しているが、何の役にも立たない思考が巡っていく。俺は鎌取の次の言葉に怯えた。

 しかし有難いことに、自分の想像とは外れる反応が彼女から返ってくることとなった。

 「ご、ご、ご、ごめんなさい。嫌なものを触らせてしまって!」

 「あ、別にそんなことは」

 「で、でも、柔らかさには定評があって……って、友達もいないのに定評って。あっ、けど! え、えっと……」

 鎌取も相当取り乱している様子であった。目に見えてあたふたしている。

 「全然大丈夫だから。それよりも、今日は青色の眼鏡なんだね」

 何とかなりそうな流れであったため、俺は強引に話題を変えた。物凄い屑だった。

 「あ、はい。家にたくさん眼鏡があって、気分転換に時折色を変えているんです」

 「そうなんだ。確かに、コンタクトより眼鏡派の子って、眼鏡のスペアをいくつも持ってるって言うよね」

 俺は立ち上がり、誤魔化すように、歩き始めた。

 「……それじゃ、行きますか。良い奴・嫌な奴展」

 あらかじめ伝えておいた予定を、口頭でも確認する。鎌取は呼吸を整え後に続いた。

 この時、俺は鎌取の自己肯定感が低くて良かったと思い、さらに人間としての格を下げた。

 情けない人間だ、俺は。咄嗟の反応で人間の本性が分かるという定説を聞いたことがあるけれど、当たっていると思った。

 今まで自分を紹介する際は面倒臭がりを自称していたが、もはや屑と称する方が適しているのかもしれない。これからは、そう言おう。



 学年が上がり、新年度が始まってすぐの授業。うちの学校の生徒は全員、良い奴または嫌な奴について、一枚の小さな紙に例えを書くという課題が出された。ルールは良い奴、嫌な奴のどちらかを選んで書くこと。匿名であること。匿名であることの意義は、誰の作品か特定されることを避けるためで、自由で思い切った発想を望むためだとか。ただ、匿名ということは、それを良いことに特定の個人を中傷することや、見た人を不快にさせる内容を書くことが可能であるため、一応は教師の方で検閲はするそうだ。

 ちなみに、俺は嫌な奴を選択した。理由は、良い奴について、例えが思い付かなかったからで、何とも悲しく残念な消去法だった。

 「一年の展示は見に行きました? 私は今日初めて行くんですけど」

 「俺も行ってない。部活もやってなかったし、後輩の知り合いなんていないしな」

 掲載の時期は学年によって分かれていた。そりゃ、ひと学年で三百人近く在籍しているわけで、小さな紙とはいえ、一部屋に全てを掲載するなんて不可能だ。先週までで一年の掲載が終わり、今週から二年の掲載が始まった。

 廊下を歩いていると、文化祭の準備をしている教室をちらほら見ることができる。我が校は多少開催時期が早いとは言え、四月から準備に取り掛かるとは気の早いことだ。うちのクラスはまだ、何をやるかすら決まっていなかったはずなのに。

 「鎌取のクラスは文化祭の出し物とか決まった? 二年は確か飲食系の出し物をする決まりなんだっけ」

 一年はお化け屋敷やクイズ、迷路など、参加型の娯楽施設。二年は飲食系の出し物。三年は演劇をすることになっていて、強制ではないのだが、暗黙の了解となっていた。

 まぁ、分からなくもない振り分けだ。一年は初めての文化祭で勝手が分かっておらず、管理と手配の面倒な飲食系が二年になるのは理解できる。そして、三年は最後の年ということもあって、他クラスのメンツでも知り合いが多く、知っている奴が劇ではっちゃけているのを見るのは盛り上がるに違いない。

 スタッフとしては今年が一番負担が少ないため、俺的には今年が一番文化祭を楽しめるような気がしていた。

 「私のクラスは喫茶店です」

 「へぇ、喫茶店か。楽そうで良いな」

 「そうでもないですよ。オムライスにケチャップでメッセージを書いたり、何かおまじない?みたいなこともするそうですし」

 「おまじない?」

 自分の想像している喫茶店とは違った業務内容だな。コーヒー以外に食べ物が提供されるのは分かるけど、配膳以外にもサービスのある喫茶店って。今まで行ったことのある喫茶店にはなかったな。

 ……ん? いやあるぞ。

 「もしかして、十九世紀イギリスの使用人みたいな格好で接客したりする?」

 「そうですね。口調もなんか使用人のようにして接客をしなくちゃならないそうで」

 「……ほうほう」

 「鳩ですか?」

 何となく察した。まさか現実の文化祭でも存在するなんて。フィクションの世界だけだと思っていたが、クラスの女子もよく反対しなかったな。

 この様子だと、鎌取は自クラスの出し物のニーズを理解していないようだが、彼女自身は嫌じゃないのか。平然としている。

 俺は惚けるように頼んでみた。

 「へぇ、口調まで変える喫茶店って何だろう。変わった店だな。……良かったら、試しにどんな感じかやってみてくれない?」

 「……? 別に良いですけど」

 すると、鎌取はこほんと咳払いをして、誰かが憑依をしたかのようにコロッと表情を変えてみせた。

 「美味しくなっちゃえ! 萌え萌えー、キューン!」

 鎌取は胸の前でハートマークを作り、決めポーズを取ると、そのままウィンクを飛ばした。いくら俺以外には見られていないからと言っても恥ずかしくないのか。俺だって、一応は同じ学校の同級生だというのに。

 そして、ハートの形を作った手から射出されたハート型のエネルギー弾は、互いの間を真っ直ぐ進むと、ピンポイントに俺の心臓を貫くこととなった。……ぐふっ。

 「な、なかなか破壊力のある攻撃じゃないか……。恐れ入ったよ。君にこんなポテンシャルがあるなんてな」

 「え、これ攻撃じゃなくて労わりの接客なんですけど」

 鎌取は不思議そうに首を傾げる。さも自分のポテンシャルを理解していないといった顔だ。一見、俗っぽいことなど縁の無さそうな真面目な眼鏡っ子女子が、文化祭で見せる意外な一面。こりゃ死人が出るんじゃないか。

 俺はよろめき壁に手を突く。そして、当日は何が何でも行ってやろうと心に決めた。



 会場は保健室の隣の、何かよく分からない一室。部屋の広さは、教室よりかは広いけれど、理科室やコンピューター室ほど広くはない。中途半端で用途も不明。部屋の名称も第三教室と一、二が分からない前提の三番目となっている。

 まぁ、働かない蟻ならぬ働かない部屋ではないけれど、こういうイベントのために常時空いている部屋なのかもしれない。そもそも都合よく使い道と部屋の数が同じ方が違和感あるし、空き部屋がある方が自然な気もする。ちなみに、我が校の七不思議には何故かこの謎の部屋は入っていないのだが、良い奴・嫌な奴展はそんなこの部屋で行われていた。

 部屋の中央には簡易的な仕切りが設置されており、右側の扉から入ると良い奴展、左側の扉から入ると嫌な奴展となっていた。見た感じ、自分たち以外に人はいなさそうだ。

 特に意味はなく、俺たちは右側の良い奴展から回ることにした。

 「サードフェイズというか、本番前の最終チェックというか」

 「最終チェック……?」

 「勝手なことを言わせてもらうとね、鎌取は自分を低く見積りすぎ。まるで友人が作れないみたいに相談に来たけれど、君はコミュ障でもないし、嫌な奴でもない。なんなら俺の方がつまらない人間なくらいだ」

 「そんな、自分なんて……」

 謙遜……ではなく、心からの言葉のように鎌取は言う。

 「だから、明日はクラスメイトを昼飯に誘ってさ。そして、友人を作ろう。きっと上手くいくよ」

 どうしてか自信だけが欠けているように感じる鎌取。だからこそ俺は、最大限の気を遣って彼女の背中を押した。

 最初から必要だったのはそれだけだったのかもしれない。

 「いや、なんか偉そうなこと言ってるけど、ほんと何もしてないだけなんだけどな」

 「春元さん……」

 鎌取は思った。確かに、上履きを見つけてもらって、図書室でおしゃべりをしただけなのだけれど。それだけなのだけれど。相談部を訪ねて良かったと。心から思った。

 春元の言う通り、意外にも同級生と自然に会話ができていたが、鎌取は本当の本当に授業以外で会話をするのは久方ぶりで、それこそ小学生まで遡る話となる。

 あれから、もう五年くらい経つ。あっという間に五年が経った。

 実のところ、相談ではなく友達を作るために声を掛けるというのは今でも怖いもので、急に明日頑張ってみようと言われたところで簡単に首を縦に振ることは難しい。

 ただ、こうして他者から言ってもらえることがどれだけ嬉しいことか。どれだけ勇気をもらえることか。それは間違いがない感情だった。

 鎌取は今、心から春元に感謝をしていた。

 「はい。私、明日頑張ってみま……」

 その時だった。


 鎌取の視界の中。目の前に立っている同級生の春元と、作品が展示された第三教室。

 そんな二人だけしかいない……感じられないこの空間で。

 ……突如としてもう一つの気配が現れた。

 黒猫。見た目はただの黒い猫。それ以上でも以下でもなく、三毛猫のように模様があるわけでもない。

 何の変哲もなく、窓の隙間から侵入してきた野良猫だと言われれば、それまで。……しかし、その黒猫は明らかに不気味なオーラを纏っていた。


 そして、その黒猫は春元の身体を這い上り、肩の上で腰を下ろした。

 「……猫」

 鎌取は差し迫った表情で黒猫を見た。黒猫も蛇のように真っ直ぐに彼女の瞳を捕える。

 「どうした?」

 春元は鎌取を不審に思い、眉根を寄せた。合わない視線。いきなり変わった表情。顔を覗くように首を傾げた。

 反応を見るに、鎌取にしか見えていないと思われる。いくら鈍感な人間だとしても、肩に猫が乗ってきて気が付かないわけがない。

 幻? いや、疲れているのかな……。

 「…………え」

 すると、目を擦った刹那。目の前にいたはずの黒猫はテレビのチャンネルを変えたかのように、一瞬にして姿を消した。

 「鎌取……? おーい」

 「あっ」

 「急に遠くを見てどうしたんだよ? 怖いよ」

 「いえ……。……あの、今猫がいませんでした? 小さくて、真っ黒な」

 「猫? 野良猫でも見たのか? ここら辺で野良猫なんて見たことないけど」

 左を見ると、窓は隙間なく閉められている。鍵が掛かっていることも確認が取れた。

 「……」

 隣町は千葉有数の発展都市で、この街は家が多い。野良猫なんて見たことがない。そして、学校は道路に囲まれている上、駅が近く、野生生物が入ってくるには難しい立地だ。

 鎌取は少し考えた。今目の前で起こった光景を。しかし、考えても何も分かることはなく、一瞬のことであったため気のせいであったと結論付けた。

 「……あー、えっと。やっぱりホラー路線は受けが悪いですかね」

 「ん? ……あぁ、そうかもな」

 春元は不思議そうに、再び反対側に首を傾げた。



 カップルのように一緒に回り、感想を共有するのも悪くはないけれど、下心がある奴と思われても嫌なので、各々好きなように歩き回り展示を見ることにした。

 このイベントは参加型のため、入り口には赤色の丸いシールが置いてある。一人一つまでという決まりはないが、本当に良いと思った作品の空白部分にシールを貼り、視覚的に他者の評価が分かる仕組みとなっていた。匿名であり、クラスごとにまとまって展示されているわけではなくランダムな配置のため、このイベントでは忖度のない己への評価を知ることができるようになっていた。

 「最終決戦前、共に戦おうとする戦友の鳩尾を殴り、気絶させる人。……何でもありなんだ、この課題」

 気が付いた頃には遠く離れた場所を走る馬車の荷台に乗っていて、「あいつ一人で戦いに行きやがった……」という展開になるやつを指しているのか。仮に生還したとしても、感動の再会の前に腹パンのお返しをされて。よく映画であるパターンだな。

 ただ、明らかに現実にはいない「良い人」なのだが、検閲を抜けたことを考えると何でも良かったらしい。他のを見ていても、ちらほらふざけた内容の作品もあったし。割と真面目に考えていた俺が馬鹿を見たな。

 すると、鎌取がパタパタとこちらに向かって歩いてきた。

 「遅刻した時、昼飯奢りな!、と提案してくれる友達」

 友人に絞ったシチュエーションの作品を見つけてきたようだ。わざわざ駆け寄って口頭で教えてくれた。可愛い奴だな。

 「それは確かに良い人だな。遅刻した時、自分から飯を奢っても罪悪感が残るけど、友人に言ってもらって奢ると、何故か遅刻した事実がチャラになった気がするもんな」

 「赤シール貼ってきました」

 良い人の中でも、良い友人の作品もあるそうで、これならば尚更来た意味がありそうだ。

 ありがとう、教えてくれた姫野部長。

 「鎌取は自分の作品見つかった?」

 「はい、見つかりましたよ。予想外にも赤シールをいっぱい貼ってくれていたので、すぐ目に付きました」

 目立つほど赤シールが付いていたのか。確かに意外だ。失礼な話、人間関係の乏しい鎌取は、鮮明に例えを思い付かないもんだと括っていたけれど、閲覧者の心を掴むような作品が書けたのか。

 「これです!」

 鎌取は自分の作品を指で差した。彼女の言う通り、文章の下には六つほどのシールが貼られていた。

 「えーっと、文化祭の準備で買い出しを頼んでくれたクラスメイト……」

 「買い出しはサボり放題だし、楽な仕事を振ってくれるなんて、良い人ですよね」

 「……かもね」

 楽っていうか、輪に入れなくて可哀想だったから、気を遣って外に出されたんじゃ……。シールも他の作品と比べて綺麗に揃えて貼られているし、同情で貼ってくれた匂いがするぞ、これ。

 まぁ、鎌取が嬉しそうにしているから良いか。水を差す必要はないな。

 「春元さんの作品はありましたか?」

 「俺は嫌な奴の方を選択したから、こっちのブースにはないよ。見つけても恥ずかしくて言わないかもしれないけど」

 「変なこと書いたんですか?」

 そんなことはない。鎌取が想像している変なことが何方面に変なことなのかは定かではないが、別に誰かを不快にする内容ではない。それこそ教師の検閲が入るわけで、変なこと書いて通るわけでもないし、シンプルに言葉通り恥ずかしい作品ってだけ。ある意味、共感性羞恥という点ならば人を不快にさせるかもしれないけど。

 書いてる時は、匿名だし奇天烈な内容にしようとか思っていたけれど、数日後冷静になるとただの痛い奴だと気づいたパターンだ。俺の場合、それがよくある。

 「これとか、どうですか?」

 「ん? 先生が授業を忘れている時、呼びに行かないクラスメイト。……まぁ分かるけども、これ学校側としては良いのか?」

 先生にも学生時代はあったわけで、共感できるからなのか。でも、良い奴として展示されて後日実行して、怒られたとしたら理不尽な気もするな。

 「これも良いですね。語尾に『だべ』を付ける友人をそっとしておいてあげる自分」

 「……そっとしといてやれよ、最後まで」

 匿名だとしてもグレーだな。そして自分と書く勇気よ。

 「酔っ払っても『良い人』である人」

 「それ書いた人、大丈夫なんだよな? 飲酒してないんだよな?」

 「出席番号十五番の人」

 「どこまでが匿名かチキンレースしてるな」

 ……なんか大喜利みたいな作品多いな。そりゃ、新学期早々の授業なんてこんなもんか。

 鎌取は隣で熱心に目を通していく。俺は彼女の横顔をぼーっと見つめた。

 「あれ……? これってどういう意味なのでしょうか?」

 すると、鎌取はぐるんと首を回転させた。見つめていた俺は慌てて視線を逸らす。

 「何か面白い作品でもあった?」

 「いえ。これを見てください」

 言われるまま、俺は彼女の視線の先にある作品を見た。呟くように内容の文を読み上げる。

 「県立高校の受験に落ちた自分に、お疲れ様と声を掛けてくれた友人。そんなに良いか、 この作品?」

 「内容じゃなくて、ここです」

 鎌取は首を振り、注目箇所を人差し指で差した。

 紙の上部。教師が仕分けをし易くするための工夫として、結婚式の招待状のように、「良い奴・嫌な奴」と印刷された部分に、自分が書く方を丸付けるようになっていた。

 「貼る時に気が付かなかったのでしょうか?」

 そして、当たり前だが、ここ良い奴ブースには良い奴を丸付けている作品しか存在しないはずなのだが、どうしてかその作品は嫌な奴に丸が付けられていた。

 「これどう思います? 春元探偵さん」

 「探偵はやめてくれ」

 鎌取は興味津々といった様子で俺にそう言った。目をキラキラさせている。

 俺はその時、いつの間にか彼女がありもしない期待を自分に抱いていることを、その目を見て察した。勘弁してくれ、まじで。

 これだけの作品数ならば、丸付ける方を間違えた作品があってもおかしくはない。将来を左右する大事なテストでさえ、書く場所をミスする時があるのだから、こんな適当な課題なら尚更。

 しかし、鎌取が聞きたい答えはそういうのじゃないんだろうな。そういう表情で見てくる。

 「誰かがイタズラで消して書き換えたとか」

 「匿名で、推測できたとしても確証が得られないのに、そんなことしますかね? そもそも何のために。……っあ、この作品、丸の部分だけボールペン使ってますよ! 文の方はシャーペンなのに」

 ますます口角を上げる鎌取。まずいな。

 「確かにありがたいでしょうけど、お疲れ様って言われただけで、課題で取り上げるほど印象に残る台詞だったのでしょうか。言い方あれですけど、同じ状況では誰でも言うような気がします。そもそも、お疲れ様とか頑張ったねとか、色々な人が言ってくれそうで、私みたいにぼっちじゃなければ、特別感なんて感じないでしょうし。あと、『受験に落ちた時』で良さそうなのに、態々、『県立高校』と付けたことに違和感が残りますね」

 鎌取はいつの間にか助手のように情報を整理していく。必要な情報をピックアップする。

 こう煽てられると俺がホームズの役を強制されてしまうのだが、俺にそんな推理力はないため、もはや嫌がらせに感じられた。ちなみに、ホームズなんて読んだことはない。

 俺は腕組みして唸った。

 「急に良い奴の具体的な記憶とか思い浮かばなかったんじゃない? 事実、俺だって片方の良い奴は思い浮かばなかったわけだし。年度初めの授業なんてこんなもんだろ。適当に書いて、あとは睡眠学習よ」

 「それなら、なんで丸付けだけボールペンなんでしょうか?」

 「シャーペンの芯が切れたから、その代わりとか」

 「普通は丸を付けてから書き始めますよ。途中からボールペンに替えたのなら、中途半端に書いてしまった部分を消しゴムで消せますけど、初めにボールペンを使っていた場合、中途半端に書いてしまった文字を消すことができません。修正テープやペンなら消せますけど、見た感じそんな跡は残ってません。……春元さん、あんまりちゃんと考えてませんね?」

 図星を突かれ口籠る。……いや、逆になんでそんな小さな異変で想像を膨らませられるんだ、この子。

 「真剣に考えても良いんだけどさ。答え合わせができないかなって」

 まぁ、近所のガキが突然消えた話をした自分が言うのもなんだけれど、これとあれとは話しが違う。

 上履きを隠した犯人。ガキが消えた理由。これらは一応、身の回りで起こった話しであって答え合わせをする可能性が残っている。けれど今回に関しては、見ず知らずの事情な上、そもそも誰のものかも分からないため、答えを確認できる可能性は限りなく低い。

 これって、さすがに不毛な行いなんじゃ……。そう思った。

 「私、こうやって春元さんと答えを想像するの楽しいんですけどね……」

 すると、残念そうに鎌取はそう言った。

 「……」

 肩を落とす鎌取を見て、俺は何かを払うように首を振った。

 ちょろいな、俺も。昨日、姫野が部活初日に頼み事をしてきた時もそうだけれど、女の子に頼まれるとどうも断ることができない。耐性が全くない。

 面倒臭がりという俺のアイデンティティは、本当に優柔不断なものなんだな。

 「まぁ、答え合わせができないというのは、必ず納得して話を終えることができるということでもあるもんな。俺たちが、絶対そういうことだよ、って結論付けちゃえば良いんだから。モヤモヤが残らないのは良いよな」

 それに、と続ける。

 「現実では俺に難事件を解決する推理能力なんて秘められてないけど、妄想するだけだったらなれるかもな、探偵に」

 俺はキメ顔でそう言うと、鎌取は満足げに笑った。

 新たな個性。妄想探偵?



 「まさか、昼にも仕事してたのか?」

 本日の正午、活動日報の用紙を取りに部室を訪ねると、昼休憩にも関わらず放課後と変わらぬ姫野の姿があった。

 空っぽの弁当箱をデスクの隅に寄せ、体育館横に設置されている自販機で購入したと思われる缶のビタミン炭酸ジュースを、上品にストローで飲みながら、不規則でありながらも心地の良いタイピング音を響かせていた。

 「違う違う、これは文化祭準備。クラスの手伝いだよ。そこまでブラックじゃないんだからね、相談部は」

 勘違いしないでよ、と念押し。しかし、完璧超人の姫野が運営をしていて「そこまで」なら、俺が去年一人で切り盛りしていたら完全なるブラックな仕事量となりそうだと思っってしまう。もしそうであれば、学校側は姫野頼りというか、いくら彼女と言えど高校生相手に労いの気持ちがない気がするけど、認知はしているのか気になるところだ。

 まぁ、手伝おうとしても役割分担が大事なんだよ、と釘を打たれてしまったわけで、俺にはどうすることもできそうにないけど。

 「姫野が相談部で粒粒辛苦していることは、クラスどころか学校全体が知っていることなんだから、わざわざ昼を削ってまで貢献する必要はないだろ」

 「違う違う、それも違うよ。何もしないと文化祭の感動をクラスメイトと共有できないから、好きで手伝っているんだよ。ここ数日は放課後忙しいから、放課後の分を昼に持ってきているだけだし、そんな偉いことをしているわけじゃないからね」

 「そうなのか」

 すごい考え方だな。これに関しては姫野が天才というよりも、自分と彼女の性格の違いだろうけれど、俺には思い付かない考え方だ。理解できないと言っても良い。

 一応は更生という名目で入部した自分としては、勉強よりも姫野のこういうところを見習うべきなんだろうな。かけ離れすぎていて、まだ無理そうだけど。

 「活動日報の用紙を貰いにきた」

 「あ、用紙ね。りょー」

 用件を伝えると、姫野は小棚の引き出しを弄り、ピンク色のファイルから紙を一枚取り出した。俺は差し出されたそれを受け取る。

 「このファイルの中に紙があるから、これからは勝手に持っていっちゃって。それで、私も常にここにいるわけでもないし、書いたら私の机に置いといてくれれば大丈夫だから」

 「りょー」

 姫野と同じ返事で返す。まるで熟年カップルのようなやり取りだ。驚くことに出会ってまだ二日しか経っていないのに。

 ……いや、キモいな。長年の友人とか幼馴染とかで良いのに熟年カップルと例えるあたり、気持ち悪さが滲み出てるな。なんか自分に対して嫌悪。

 「相談は順調? 手伝えることがあったら言ってね」

 「……いや、むしろ君の手伝いをしたいくらいなんだけど」

 パソコン横を見ると、絵に書いたように資料やファイルが積んである。実物を見たことはないけれど、サラリーマンの身の回りのような惨状だ。こんな状態の人間に手伝いとか、死後地獄に用事のある人間くらいしか頼めん。俺を陥れる気か。

 「そうだ。俺のことは知っていたようだけど、鎌取の情報とかも知っているのか? もちろん、踏み込んだ情報じゃなくてさ」

 「え、スリーサイズとか? まったく、ほんと春元君は男の子なんだから」

 「……俺の話聞こえてないなぁ、こりゃ。どれだけ俺の素顔を捏造したいんだ君は」

 俺、出会う前に姫野に何かやらかしたのかな。彼女の中での俺は、めっちゃムッツリな人間じゃないか。否定はしないけど、一般男子高校生程度なんだけどな。

 「春元君こそ失礼じゃないの? プライベートに踏み込んだ情報って、まるで人のことを、弱みをチラつかせて従える横暴な生徒会長みたいに言うじゃない。漫画によくいる」

 「え? 俺が振られた話はなかったことにされてる?」

 知ってしまったならまだしも、本人を前にして発表されたんだけど。

 「鎌取さんについてかぁ。秘密……みたいなものは当然知らないけど、どんな人かは知ってるよ」

 「どんな人?」

 「彼女は良い人だよ」

 「……それも勘が言っているのか?」

 聞くと、姫野は掌をパタパタと振り、否定のジェスチャーをする。

 「昔……と言っても半年前の話なんだけど。私が愛飲するこのビタミン炭酸ジュースを買いに行ってみると、夏ということもあって売り切れで買えなかった日があったんだよね。私はお子ちゃまだし、肩を落として悲しんでいたんだけど、そんな時、鎌取さんが突然現れてさ、ポカリ買おうと思ったら間違えて押してしまったのであげます、なんて言ってビタミン炭酸ジュースを貰ったことがあったの。ポカリとは押す位置が違うからそんな筈はないのにね。でも、その時きっと彼女は良い人だろうなって思った記憶があるよ」

 そんなことがあったのか。

 「その時は、まさか友達がいないなんて思ってもいなかったし、知った今でもわざとらしく友達になるのは違うなって思うんだけど、無事クラスメイトと友達になれたら春元君には紹介してもらいたいなって思ってるよ」

 おそらく逃げるように立ち去ったんだろうな。ぼっちの鎌取からして姫野は正反対、雲の上の存在だろうし、接点はないのだからな。

 それなのに残念がる姫野を見て、譲るために声を掛ける精神を持っているなんて、確かに良い人以外の何者でもないな。その時の情景が容易に想像できる。

 分かっていたけれど、やっぱり鎌取は良い奴だよな。たまに悪気なく毒を吐くこともあるけど、根っこのところで誰かを傷つけようとは思っていない。だから、いじめを受けていると疑ってはいても、犯人を特定しようとする姿勢は見せなかった。そういう奴は救われるべきだよな。

 俺は姫野の頼みを快く承った。

 「了解した。ちゃんと紹介するよ」

 「うん。よろしくね」

 姫野は美人顔を崩すことなく、笑った。

 「あれ……? ということは、姫野は鎌取の人柄を知っていたのか。なら、相談に行く前に教えてくれれば良かったのに」

 「普通に紹介なら良いんだけどね。相談の場合は事前情報が枷となるかもしれないでしょ? 例えば、私がAさんのことを話しやすい人物だと言っても、春元君から見たら全く逆の印象を受けるかもしれない。良くも悪くも、人って誰に対しても同じ接し方をするとは限らないからね。だから、私は春元君が話してみて感じたままの印象で相談を受けてほしいなって思って、敢えて言わなかったの」

 確かに、姫野に対して無愛想だったり、塩対応だったりができる生徒はいないだろうな。俺の場合は、授業で隣の席の子に英語で話しかけてみようと先生が言っているのに、一向にこちら側を見てくれない時とかあるけれど。

 「ちなみに、春元君から見て鎌取さんはどんな人だった?」

 姫野が問い、俺は頭にあるままに鎌取のイメージを述べた。

 「おもしろい女……って感じかな」

 すると、姫野は生徒を褒めて伸ばす教師のような眼差しで、再び笑った。


 「うん。整いました」

 「なぞかけ?」

 「違います」

 俺はじっと作品を凝視し、読み取れる情報を確認する。そして、好き勝手に作者の顔とイメージを思い浮かべ、頭の中で再現VTRを流した。

 「俺の考えはこんな感じかな」

 ボールペンで丸を付けた部分を指で差した。

 「ここ。よく見ると、一度シャーペンで良い奴の方を丸を付けてる跡が残ってる」

 「わっ、本当ですね」

 初めはシャーペンで付けた丸を、消した後、ボールペンで書き直していた。ということは、順序としては良い奴として作品を完成させた後に、内容を変えずに題目だけを変えたことになる。同じ内容だが捉え方を変えたことになる。

 「作者の生徒は、どこかのタイミングで書き換えたと考えられるけれど、この用紙を見ただけで、そこまで推測するのは酷だな。授業中に何か思って書き換えたのか。それとも、展示がされた後に、ここに来て書き換えたのか」

 どっちでも良いような気もするが、俺の推測が真実であった場合、このタイミングの違いで作者の心情の変遷が変わってきてしまう。

 すると、鎌取が悩みを打ち破るファインプレーを見せた。

 「私、休み時間の時、担任の先生が仕分けしているのを見ましたよ。封筒が二つ用意されていて、それぞれ別の封筒に入れていました」

 「おぉ、それは有益な情報だ。つまりは、手間を省くために事前に仕分けをしてから集めていたわけで、その後に検閲を行なっていたということになるな。それなら、授業中に書き換えた線をなくなったな」

 回収前に書き換えを行なったのならば、丸付け通り嫌な奴の作品として扱われるはずだ。仮に検閲時、この作品は良い奴の方では、と疑ったとしても、匿名故に確認ができないため生徒に尋ねることはできないし、さすがに教師が独断で変更することもないだろう。

 となれば、回収されてから再び生徒の目に晒される今のタイミング。作者はこの部屋にて、展示がされた後に書き換えを行なったということになる。

 授業中、書いていた時は良い奴。しかし、その後に嫌な奴と書き換えた。

 まぁ、ここまで最大限情報を揃えたものの、ここからは答え合わせのしようがない、それこそただの妄想話になってしまうが。鎌取が聞きたいなら話してやろう。

 あくまで一つの仮説であるという前提を含ませて、俺は彼女に話し始めた。

 「当てつけだったんじゃないのかな」

 初めに結論を述べる。

 「当てつけ……? どういうことですか?」

 鎌取は疑問を浮かべるが、一旦置いておき、一から説明に入る。

 「まず、この生徒が、お疲れ様と、労いの言葉を受けっとったタイミングはいつか。これについてだが、作品の一文が事実なら、県立高校の『前期』受験の後だ」

 千葉県は県立高校の受験が前期と後期の二回に分けられている。一回落ちてもう一度同じ高校を受けるも良し、後期はレベルを下げて別の高校を受けるも良し。まぁ、二回に分けることで一回の受験における合格者数が変わるため、どちらが良いのかは分からないけれど、一応チャンスは二回設けられていた。

 そして、この作品では態とらしく『県立』と補足を付け加えている。県立を受けるのならば私立は滑り止め扱いとなるが、作者は私立受験ではないことを強調して説明している。受験に落ちた、で済む説明を態々冗長させている。

 ならば、この作者が切り抜いた瞬間は、前期受験の後だと断言できる。

 「この学校は県立検見浜高等学校だ。名前の通り、県立高校だ。ここが私立高校ならまだしも、県立高校となると、落ちるタイミングは前期しかあり得ない。なぜなら、県立高校に受かっているのだから」

 後期受験に落ちたのに県立高校に在籍しているのは普通ありえない。私立ならまだしも県立は二回しかチャンスがないため、落ちることができるのは必然的に前期だけとなる。

 鎌取は首を縦に振る。ここまでは彼女も分かっていたらしい。

 「ならば、おかしいとは思わないか? いや、失礼だとは思わないか?」

 「おかしい……?」

 お疲れ様と声を掛けた人物が、本当に友人であったのか。それとも仲の悪い同級生であったのか。それは分からない。分かりようがない。

 ただ、どんな人物であったとしても、このタイミングでのその発言が善意であったとは思えなかった。捻くれた性格の俺としては。

 「前期受験ってことは、まだ後期があるんだよ。チャンスはもう一度あるんだ。レベルは落とすかもしれないけど、合格したら入学しなければならないのが県立高校なんだから、消化受験なんかじゃない。前向きな受験なんだ。それなのに、お疲れ様って。……その台詞は普通、全てが終わった後の台詞じゃないか?」

 たとえ第一志望に挑戦するのは前期だけだと決めていたとしても、レベルを下げたはずの後期も落ちる可能性はある。それならば、何て声を掛けて良いのか分からず何も言えないことはあっても、お疲れ様なんて言えるわけがない。

 「ここからは尚のこと妄想の話になってしまうんだけど、この台詞を吐いた人は前期で受かった検見浜高校の同級生で、作者は当てつけとして書いたんじゃないかな。後から嫌な奴に丸を書き換えたのは、そいつの目に留まりやすくするためだったとか」

 俺はボールペンで付けられた丸を指で触る。ボールペンでは筆圧なんてものは分からないけれど、他よりも太いその線には、憎しみの感情が込められているように思えた。

 鎌取は関心……というよりは、驚いたような目でこちらを見ていた。

 「確かに、通いたい県立高校が第一志望だけで、第二志望が私立高校の人だって、第一志望の高校を二回受けるはずですもんね」

 その通り。二回とも落ちて私立のパターンや、初めから私立に行く予定で県立の試験を受けないパターンはあるけれど、一回だけ受けて私立に行くパターンは理由が説明できない。

 県立高校を前期に受験している時点で、後期受験は確定しているようなものなのだ。

 そして、千葉県は基本的に県立高校を目指す生徒が多い。体感八割の生徒が県立受験をするため、前期受験が終わった後も教室内の空気はピリついている。前期合格組は後期受験の生徒の気を遣って騒がない。

 それなのに、この、お疲れ様、と言う発言。同じ県民であるのなら、ありえない。

 俺は満足げに鼻息を鳴らす。

 「……良いですね」

 鎌取も納得した表情。答え合わせができない故のモヤモヤは残るが、間違いだと否定されることもないため、俺は矛盾をしているような達成感を覚えた。

 「良いですね、春元さんの推理。面白かったです」

 「いやいや推理って、それほどでも……あるけど」

 「もっと不思議がないか、作品読みまくって探してみますね」

 「……いや、もう良いんじゃないかなぁ。今のも結構、偶然降りてきたって感じだし」

 やんわりと断る自分。しかし、気にせずパタパタと歩き、嫌な奴ブースに向かった鎌取。俺は第二ラウンドがあるのかと、ため息を吐いた。

 ただ、その時。楽しそうにしている彼女を見て、素直に嬉しい気持ちになった。

 頭のおかしな話だが、何が原因で入部に至ったのかが分からない。そのために、どうすることで更生できたと言えるのかも分からない。正直。

 けれど、こうしている間にも何かが変わっている気がすると、そう思えた。

 俺は掛け時計で現時刻を確認し、軽快な足取りで彼女を追った。

活動日報 四月○日 水曜日


 姫野の提案通り、良い奴・嫌な奴展に行ってきた。途中生徒がチラホラと入室しては退出していたが、基本的には俺たち二人しかおらず、盛況と言える感じではなかった。

 でもまぁ、俺も鎌取も十分楽しめたと思う。これが彼女の自信に繋がったのかは定かではないけど、行ってみて意味があったと思う。というわけで、姫野には感謝感激雨霰。

 そんなイベントでしたけど、俺はそこで面白い作品を見つけた。折角なので共有しようと思う。

 「年下相手にカードゲームでイカサマをする高校生」

 なんですかねこれ? 懺悔ですかね? よく分かりませんけど、年下相手にイカサマで勝利して、虚しくならないんでしょうかね。この人。

 俺はカードゲームを嗜みませんが、年下だろうが年上だろうが、勝負事でズルをする人間ではありません。勝負は正々堂々、公平に。でなければ勝っても嬉しくない。

 俺は不正をする人間を屑であると軽蔑している。ですが、この学校にはそんな情けない生徒が潜んでおり、顔を隠して紛れ込んでいる。らしい。

 実は身近にそういった危ない奴もいるそうなので、姫野部長も気を付けて。

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