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上履き隠し①


 高校生にもなると己の誕生日が訪れても全く嬉しくはない。そう母親に告げると、若いあんたがそうなら、私はどうなっちゃうのさ。と返された。しかし、そういうことじゃないのだ。

 誕生日が訪れ、歳を重ねるということは、前にコマを進めるということなのだ。

 高校生がどれだけ願っても中学生には戻れないし、想像していた三十代になれず絶望していようが、残酷ながら夢に溢れていた二十代には戻れない。ゲームのように振り出しに戻るなんてマスは存在しないし、やり直しなんてできない。

 最近、十代のうちから活躍する人間をネットの記事でよく目にする。否、正確にはよく目に入るようになった。高校卒業してすぐ活躍するサッカー選手や、高校生にして大金を稼ぐ動画配信者。そういう記事を見つけてしまうと無意味と分かっていながらも自分と比べてしまう。それに比べて自分は何を成し遂げたのだろうかと。

 目標も成りたい将来像も描けないまま大事な時期を何となく生きる自分。年齢なんて概念がそもそもなければ曖昧にできたものの、数字として突きつけられると現実から目を背けることができない。そして、いつの間にか十八歳になり選挙権を持つようになり、気が付けば親の顔より見た野口英夫の当時の年齢を超えているかもしれない。

 俺は来月、誕生日を迎え十七になる。逆行できない時間の中で、充実した十七歳というシーズンを送ることができるのであろうか。不安で仕方がない。



 廊下を歩くと、自分の足音だけが校舎に響き渡る。厨二病という心の病を患っている俺は、「新たな世界が生み出された今、この世界に残っているのは自分だけ」なんて口に出したら共感性羞恥確定な妄想をしてしまう。

 ただ、別に妄想することは人に害を与えない。クラスの女子をいやらしい目で見るのは許されないこと……というかシンプルに痴漢になるけれど、勝手に好きな子とスイーツパラダイスに行く妄想をすることは罪には問われないし、誰も傷つけることはない。

 妄想はこの世界における救済なのかもしれない。もちろん隠キャにとっての。

 けれども、妄想と現実の境を見失うことは大問題であり、人生失敗させないためにもそこは注意しなければならないとだけ言っておく。

 「あれ、春元さん」

 C組の教室のある反対側の棟に渡っている途中、図書室の掲示板前にいた人物から声を掛けられる。

 「上田せ……西園寺先生」

 俺は、目の前の人物の名前を呼んだ。

 しかし、改めて見ても古風な県立高校の雰囲気とは混ぜるな危険といった服装を身に纏っている。どこかミステリアス且つ美人なこの人だからこそ成り立っているだけで、一般人であった場合普通に痛い人になってしまう格好だ。変人でも頭が良いだけで、その尖った部分が天才を形作る要素のように扱われるが、それと似た感じなのだろうか。

 西園寺先生こと上田先生は、背筋の伸びた佇まいで紙を体の前で抱えていた。

 「もう部活は終わったのですか?」

 「いえ、早速今日から仕事です」

 「そうですか。頑張ってください」

 淡白な対応。まるで養護教諭とは思えない人だ。ただ、近すぎて慕うことの出来なくなってしまう新米教師や、熱が鬱陶しくて避けたくなる体育教師よりかはマシというか、むしろ個人的には好みなタイプの先生であった。

 「何をしているんですか?」

 抱えている紙が気になり問う。すると、西園寺先生は無言で紙を一枚差し出す。

 「校則の改定を求める抗議のポスターを貼っているんです」

 「校則の改定……?」

 俺は貰った紙に視線を落とす。そこには黒文字で書かれた地味な文章とQRコードのみが記載されていた。

 明瞭簡潔。まさに抗議のためのポスターといった感じだった。

 「服装の自由を求めて戦っているのです。人生における時間は有限。ましてや若い頃は一瞬。それなのに一週間のうち七分の五を規制された服装で過ごすなんて我慢できません。だから私はこうして会話にならない教師陣に反旗を翻しているんです」

 先生は鼻を鳴らしながら不満を露わにする。

 俺から見るに、教師として十分に自由な格好をしているように思えるのだが、どうやら本人的には窮屈な思いをしているらしい。もしかすると、「教師として」という押し付けられた価値観を枷のように感じているのかもしれないが、凡人の自分にはよう分からん感覚だ。

 「でも、その格好もダメだけど着てきてるんじゃないんですか?」

 「この格好は教頭と口論した末、特例で許された服装なのでセーフです」

 勝ち誇った表情で鼻を鳴らす先生。想像するに教頭が面倒くさくなって折れただけなのではないのかと思ったが、心の中に留めた。

 「でも許されたのはこの格好までで、これ以上は許可が降りなかったんですよ」

 「これ以上? まだ何かあるんですか?」

 言うと、先生は空いている手を頭の上に持っていきジェスチャーをする。

 「カチューシャを付けたいんです」

 「え、カチューシャ? さすがにその年でカチューシャはきついんじゃ……」

 台詞の途中、急に体に寒気が走った。

 「春元君、私はまだ二十八歳です。……失礼なことを言うと呪いますよ」

 元から変わらない表情はそのまま。けれども、その表情からは確実に怒りの感情が伝わってきて、俺は体感したことのない恐怖を感じていた。

 「の、呪う……?」

 「行く先々で、必ず信号に引っかかる呪いです」

 「……すいません、失礼なことを言いました。カチューシャは先生のために誕生したものです」

 電車&自転車通学の俺としては、それは大変困る呪いだ。俺は急いで頭を下げた。

 「まったく。最近の子は思ったことをすぐ口にしすぎです。まったく」

 先生の方が……なんて言いたくなったが口を紡がせてもらう。次はなさそうだし。

 しかしこの人、童顔、ゴスロリの上に呪術まで扱えるなんて、個性強キャラすぎる。よく先生を知らずに一年過ごせたと思うよ。

 「それに私が可愛くなれば、ウィンウィンでしょうに。私は好きな服を着れて、見ている方だって目の保養になるんですから。存在が生徒を養うなんて、養護教諭の完成形ですよ」

 「は、は、は……、無敵ですね先生」

 圧倒的自信。もはや嫌味なんて感じない領域。確かに教師の理想像ではありそうだ。

 「あ、そういえば先生。鎌取って生徒、知っていましたか?」

 「相談用紙の子ですか。知ってましたよ。養護教諭ですから」

 誇らしげに鼻を鳴らす西園寺先生。全生徒のことは知っていて当然という顔だ。ただ、彼女の中で養護教諭がどんなイメージなのかは分かりっこないが、出会いの際自分のことを知らなそうにしていたのは忘れていそうだ。

 「彼女は数回、保健室を訪ねてきたことがあります。明るい子でしたよ、彼女は」

 「明るい子……」

 それだけの単語で鎌取について解釈することは間違っているが、しかしながら、自分が勝手に想像してしまっていた彼女とは少々異なった印象であった。明るい性格が、素なのか取り繕ったものなのかは分からないが、これから会う身としては気が楽になる情報だ。

 「姫野さんのように表面的にも明るい子ではありませんけれど、ノリが良さそうというか、話しやすい子ですね。彼女は」

 「話しやすい子ですか」

 気難しそうな西園寺先生が言うのなら、信憑性は高そうだ。

 「もしかして、これからお悩み相談を?」

 俺は頷く。

 「そうですか、やはり彼女は君に任せましたか……」

 すると、西園寺先生は小さな声でそう呟いた。

 彼女? 姫野のことか? やはりということは、俺が悩み相談を担当することは予測されていたという話か?

 ふと図書室の時計が目に入る。見ると、時間はすでに四時の五分前まで迫っていた。

 「それでは先生、これからよろしくお願いします」

 俺は丁寧に頭を下げた。

 ポスターの紙は丁寧に折り、鎌取の相談用紙が入っているポケットとは反対のポケットの中に仕舞った。姫野ほどではないが、この人もまた思考を読みづらく、なかなかに掴めない人だ。嫌な人ではなさそうだけれど。

 再びC組目指して歩き出す。

 「春元さん」

 横を通り過ぎた瞬間、掲示板を見つめたまま西園寺先生は名前を呼んだ。

 「はい……?」

 「姫野さんは少々変わった人ですが良い人です。仲良くしてあげてくださいね」

 先生は意味深にそう言うと、掲示板の方に向き直しポスターを貼り出した。

 この時、俺は先生の言っている意味を浅くしか捉えることができなかったが、今になっても、先生が変な人という単語を使ったことに違和感を覚えたのは間違っていなかったと思っている。



 程なくしてC組の教室前に到着した。扉を開ければ鎌取さんとご対面という所まで来た。

 しかし、こうして入る前に立ち止まってしまうと妙な緊張が込み上げてくる。相談部の部室に入る際は何も考えず扉に手をかけたが、冷静に考えれば初対面の女子生徒と会話をすることは簡単なことではない。一旦自己紹介のイメージトレーニングでも挟んでおくべきだろうか。

 こんにちは鎌取さん。自分は相談部の春元です。あなたの相談用紙を読んでここに馳せ参じた次第です。……いや普通だな。普通というか、堅っ苦しいというか。役所みたいだ。

 状況的に彼女はいじめの被害者であり、精神的に苦しんでいるのだ。もう少し、助けに来ましたって趣旨が押し出された感じの登場の方が婆面にあっているかもしれん。

 となるとやはり、気の利いた台詞を言いながらの登場か?

 ガラガラ。こんにちは鎌取さん。相談部である自分が助けに来ました。もう大丈夫です。彼女の瞳に写る男子生徒。根暗そう。あ…どうも。失意をチラ見せする鎌取さん。

 「……」

 今日、妙な妄想ばかりする。本当に何か精神的な病気でも患ったのだろうか。

 俺はすぐさま必要のなかったイメトレを止め、扉を開けた。

 「あれ? ……誰もいない」

 バンジージャンプほどではないものの、ある程度の勇気を持って扉を開けたのだけれど、教室内には誰もおらず、静まり返っていた。

 一応、黒板の上部に掛けられている時計を見るが、長針は十二の数字と重なっている。指定された時間通りの到着であることは間違っていない。もしかして呼び出した本人が遅刻でもしたのだろうか。それとも横読みは深読みだったのか。

 「まぁ、遅刻くらい気にすることないか」

 せっかく来たのだから五分程度は待ってみることにした。もしかしたら、トイレに行っているのかもしれないし、別に俺も忙しくはなかったので。

 誰もいないけれど、とりあえず「失礼します」と謝りを入れ、教室の中に足を踏み入れた。俺はゆっくりと歩き回る。

 教壇を前に横の壁には様々な掲示物。後ろの黒板には今週の日程を書く欄が作られていて、月曜から木曜は空欄、金曜には五限文化祭準備と書かれていた。

 思えばそろそろ文化祭の時期であった。うちの高校は受験生を考慮に入れ、毎年六月に文化祭が行われる。今は四月末。我らB組はまだ動いていないけれど早いクラスはもう準備を始めていても不思議ではない。このクラスはすでに動いているようだ。

 一体、このクラスは何をやるんだろうか。思春期男子高校生としてはぜひともメイド喫茶を出店してほしいものだが、現実は漫画やゲームとは程遠く、やらないだろうな。

 後ろ黒板。一週間の日程の横にはクラス写真が貼られていた。B組も二週間ほど前に撮ったが、うちのクラスは校門前であったのに対し、どうやらこのクラスはわざわざ屋上に出向いて撮影したようだ。校舎から川を挟んで向こう側は高いビル群が広がっているため、生徒たちの背後に写った風景だけを見れば、立派に都会の学校に思える。俺は写真に顔を近づけ、一人一人の顔を確認していく。

 鎌取さんとやらは、どの子なのだろうか。

 ヒシャリ

 「……っ⁉︎」

 突然、日常では聞くことのないオノマトペが耳に入り、妙な寒気が身体を覆った。

 誰もいない放課後の教室。途中に出会ったミステリアスな養護教諭。沈みゆく太陽。指定時間に現れない生徒。不気味な擬音。……一瞬で、今までのことが、ホラーゲームの演出のように思えてしまった。

 なんだ?

 確かこの学校にも七不思議があったはず。このシチュエーションで絞るのなら、テスト前にノー勉と言いふらし生徒の不安を煽りつつ、自分は高得点を叩き出す田中なんかが当て嵌まる。……いやでも、田中は七不思議の中でも穏健派だし、そもそも田中は実在する生徒。それなら誰になるんだ?

 高校生史上最大級の緊張が走り、今じゃない思考が頭を巡る。

 ヒシャリ

 音が先程より近い。おそらく今、異形の何かが俺の後ろに立っている。メリーさんのように。背後にピッタリと。

 俺は恐怖でクラス写真を見つめたまま硬直状態に陥る。視界は恐怖のあまり歪んでしまい、いつの間にか写真は顔なし人間の集合へと変貌する。完全に雰囲気に飲まれている。

 怖い。助けて姫野部長。

 そして次の瞬間、視界が一気に暗くなる。

 「…………だーれだ」

 身体に触れられ、堰が切れるように冷や汗が全身から溢れ出す。一気に緊張感が増した。

 やばい、もしかして死ぬのか? 俺の相談部物語は、まだ序盤だというのに?

 身体は震えたいのに、先に硬直してしまっているためだろうか、動けないまま妙に筋肉に力が入る。金縛りのようだ。怖い。

 そして、再び顔を覆った両の手は離され、視界が開かれるが、何をされるのか分からない恐怖から俺は無意識のうちに目を瞑ってしまう。

 くっそ、俺はこれから何をされてしまうんだ。どうせなら、エロい女の幽霊とかであってくれ……。

 「……えっ?」

 ……ん?

 俺は殺されるギリギリまで必死に助けを求めていた……が、いつまで経っても何かをされることはなく、代わりに気の抜けた声が返って来た。人間らしい声が。

 何が何だか分からなかった。しかし、その声を聞いた途端一気に平常心に戻り、俺は目を開き、凄い速度で振り返った。

 誰だ? 俺は背後に立った者の姿を目で捉える。

 すると、

 「ほぇ……?」

 そこに立っていたのは幽霊でもなければ妖怪でもなく、未来から来たロボットでもなければ表情筋の死んでいる宇宙人でもなく。

 普通で平凡で、うちの高校の制服を身に纏った女の子が。そこに立っていた。

 俺は思ったままに、浮かんが言葉を口から発した。

 「鎌取……さん?」

 しかし、目の前の女の子は恐怖を被った自分よりも混乱した様子で、手を口に当て、目を大きく見開いていた。顔面は蒼白だ。

 そして、女の子は自分を見るなり一言。

 「あなたは誰ですか?」

 ポカンと口が開く自分。

 この時、教室内はカオスに包まれた。



 赤縁の眼鏡に、肩辺りで二つに結われた艶のある髪の毛。自信のなさげな目元や校則に準じた膝下のスカートが、彼女の穏やかな雰囲気を形作っている。

 「ごめんなさい。他に部員がいたとは知らず……不快な思いをさせてしまって」

 彼女は謝罪の言葉を述べると、深々と頭を下げた。

 「いや、俺は今日からの新人だから。強いて悪者を挙げるのなら、それは相談部だ」

 一コマ置いて、目の前の女の子が鎌取さんであることには確認が取れた。

 「……うぅ、後ろ姿で気付くべきでした」

 まぁ、確かに相手を姫野と間違えたとて、初対面に目隠しとは中々な選択だ。常識人の発想からは逸脱していると言える。そして、その選択に関しては疑問を持たず、相手を間違えてしまった事実への反省をしている所を見るに、この人も変わった子なのかもしれないと思った。

 今日は変わった人に会ってばかりだ。完璧超人の姫野に、生徒に偽名を呼ばせる西園寺先生。女の子にさして免疫がない自分としては、変な子であればあるほど緊張が緩和されるので、とても助かる。

 「初日から仕事なんですね」

 「姫野はここ数日、彼女にしかできない仕事を任されていて手が離せないから、新人の自分が来ました。春元って言います」

 どうして姫野さんではなく自分が、と訊かれることを予知し、俺は先手を打つように経緯の説明をした。もちろん嘘の内容だけれど。

 姫野の有能っぷりは折り紙付き。その功績は学校中の人間が知っている。そう言っておけば説明はオーケーだった。

 「あ、鎌取です。呼び方は、眼鏡ちゃんでも、お下げちゃんでも、図書委員でも好きなように呼んでください」

 「図書委員なの?」

 「いえ。図書委員っぽい見た目じゃないですか、私って」

 自分で言うのかと胸中でツッコミを入れつつ、的確な表現に納得する。確かに窓際で本を読む文系少女っぽさもあるが、それよかもう少し話しかけやすい図書委員というのがぴったりだ。

 言い方悪いけれど、この子は少し根暗そうな雰囲気があるし、本人的に喜べるイメージなのかはわからないけれど、だいぶ自分の印象を理解しているのかもしれない。

 しかし、女の子をあだ名で呼ぶのはまだ自分には恐れ多い。

 「図書委員も良いけど、普通に呼ばせてもらうよ」

 「では、私も春元さんとお呼びします」

 鎌取は深々とお辞儀をした。

 「出会い頭に目隠しとは、地元ノリ的な?」

 訊くと、鎌取は恥ずかしそうに頬を赤く染めた。

 「……私、自分を変えたくて。いきなり手で目隠ししたら面白いかなって。ちょっとホラー要素を加えて」

 言いながら、鎌取は抑えるように小さく笑みを溢した。

 自分では、道半ば紆余曲折を経たとしてもその結論には至ることはなさそうだが、変な自己啓発本でも読んだのだろうか。中々攻めた出会いを演出したもんだ。

 しかし、だとしても、あの奇妙な効果音はどうやって出していたのか。疑問が残る。

 「まぁ、面白いかはさておき、だいぶ距離は縮まったよ」

 「それなら良かったです」

 まぁ、恐怖というか吊り橋効果的な縮まり方な気がするが、縮まったなら別に良いか。

 俺は心臓の動きが落ち着いたところで、一度深呼吸を挟む。

 「それと遅刻してしまってごめんなさい」

 「俺の中で数分の遅刻は遅刻に入らないから大丈夫だ。気にしなくて良いよ」

 女の子への気の利いたフォーロー……に見せかけて本当に自分の中で数分の遅刻は気にしないことにしている。いや、なっている。

 というのも、自分自身よく遅刻をしてしまうのだが、毎回重く受け止めてしまっては精神が疲弊してしまうため、自己防衛的に発生したのか、少し前から認識が書き換えられたのだ。集合時間とはプラスマイナス十分込みで設定。これならば自分の番でも、まぁ数分くらいならセーフか、というマインドに持っていけるわけで、非常に自己中心的な考えというわけだ。

 それならどうして集合時間ぴったりに教室にいなかった彼女を疑ったのかという話になるが、人は人、自分は自分というやつで、たとえ自分がそうであっても彼女がそのマインドを持っている根拠にはならないため、彼女の視点を持って考察したというわけだ。

 すると、彼女は釈明をするように言った。

 「あるものを取りに行っていたんです」

 あるもの?

 「お話ノートです」

 見ると彼女は手にノートを持っていた。

 「日頃考えている、お話になりそうなネタを書き記したノートです。初対面の人と何を話せば分からなくて頭が真っ白になった時に頼ろうかなと。これを先ほど視聴覚室に忘れてしまっていたことに気付いて取りに行っていたんです」

 所謂カンペみたいなものか。確かに自分含め、相手との思い出が何もない初対面の人間との会話は困難を要する。一言二言は考えていても話すことが次第になくなっていき、次第に時事的な話をしていき、気まずい空気に突入なんてのはよくあることだ。話す内容をストックしておく考えは有効だと思う。

 しかし、それをノートという目に見える形でその会話相手の前で召喚するとは、これまた変わっている。自然に会話をこなしていくという目的ならば、本末転倒な気もするのだけれど、鎌取は稀に見る天然さんなようだ。

 すると、鎌取はノートに視線を落としながらソワソワしていた。

 「…………まぁ、せっかく取りに行ってくれたわけだし、よかったら一つ、そのノートに書いてあることを話してくれないか」

 「あっ、はい!」

 嬉しそうに返事をすると、鎌取は身体の前でノートを開いた。しかし、姫野の時と同様、角度をつけてノートを開いていたため、自分の位置からは中身が見えなかった。

 どうやら、女の子は男の子にノートの中身を見せてはいけないルールがあるっぽい。もしくは、俺という個人に見られたくない可能性もあるが、それだったら潔く不登校になろう。

 鎌取は朗読でもするかのように静かに話し始めた。

 「私には彼氏がいます」

 「……え」

 「特別なことをすることはありませんけど、海に行ったり、祭りに行ったり、それはそれは充実した日々を送っていました」

 何? いきなりリア充自慢?

 「しかし、ある日突然彼が言ったんです。もうそろそろ会えなくなるんだ、と。今生のお別れを告げたのです。私は突然のことで混乱し、ひどく沈みました」

 「えっと……何の話?」

 疑問を投げるが、鎌取はお構いなしに話を続ける。

 「でも、これで幸せな時間を終わらせたくなかった私は会えなくなる理由を突き止める決心をしたのですが、調べれば調べるほど彼について何も情報が得られないことに気づきました。というか、よくよく考えると彼のことをあまり知りませんでしたし、彼の顔すら思い出せないことに気が付きました」

 「……?」

 「そこでハッと目が覚めたのです。周りを見渡すとそこは自分の部屋で、どうやら私は夢を見ていたことに気が付きました」

 夢の話だったのか。

 「壁に掛けられた時計を見ると時刻は午後の五時四十五分。彼氏どころか友人すらいない現実。その瞬間、私は夢との落差に打ちのめされたのです」

 「……えぇ」

 なんだ、これ?

 「予定のない休日でも『早起きは三文の徳』という笑い話です」

 「そんな、ためになる話みたいに言われても⁉︎ というか、絶対に笑い話のジャンルではないよな⁉︎」

 彼女は全くもってしんどそうには見えない表情で語り切り、満足そうにノートを閉じた。

 「どうでした、この話!」

 「んー、その話はちょっと暗いな……」

 ニコニコ笑顔の鎌取とは対照に、俺は何とも言えない表情で感想を述べる。

 「そうなんですか。ではこのエピソードトークは削除しておきますね」

 鎌取は肩を落とすと、立ったまま胸ポケットから取り出したペンで書き込みを入れた。

 ノートにはエピソードトークが記載されていることが判明したわけだが、一体どれほどのストックがあるのだろうか。どれほどの残念エピソードが書き込まれているのか。ものすごく気になる。そして、やっぱり中身は見えない。

 「昨日増やしたエピソードなんですけど、たまたま土を掘ってたら知らない人の名前が書かれた丈夫なスチール製の入れ物を見つけた話とかもあります」

 「へぇ、珍しいな。前にその土地に住んでた人が埋めたのかもな」

 「この学校の校舎裏の土の中から見つけました」

 ……うん、それタイムカプセルだ。掘り起こしたらダメなやつだ。

 「冗談ですよ。さすがに途中で気が付きました」

 「まぁ、一応はプライベートな情報だからな」

 タイムカプセルには、当時好きだった子へのラブレターだったり、未来の自分への手紙だったりを埋めるのが、あるある。天然ではあるけれど、ある程度の常識と倫理は持っているわけか。良かった。

 「中身は見るだけで、手はつけませんでした」

 「卒業生の皆さん、この子を許してやってください」

 常識も倫理もない天然であった。俺は軽く恐怖を覚える。

 「ダメでしたか?」

 「ダメダメです」

 俺は上がったテンションを下げるように、ため息を吐いた。

 「……いや、そもそも告白を受ける以外に校舎裏なんて行く用事が思い浮かばないんだけど。華の女子高校生が校舎裏で土を掘るって、鎌取は何でそんなところにいたんだよ」

 訊くと、鎌取は言いづらそうに下を向いた。どうしたんだ?

 「……はんを」

 はんを?

 「校舎裏で昼ご飯を食べてたんです。校舎裏って人が来なくて、ぼっち飯には最適地なんですよ。生徒の声も聞こえてきませんし」

 「…………そっか、昼ご飯ね」

 ……。

 俺は何も言えず、静かに俯いた。そのためのノートであったのに、ノートが原因で気まずい空気が流れていた。

 どうするの、これ?


 「春元さん」

 「なんでしょう?」

 「……私の相談はこの通りです」

 この通り。その通り。見た通り。……何が?

 「友達が欲しいんです。私」

 相談用紙では記していなかった明確な相談内容を、彼女ははっきりと口にした。

 相談内容がようやく輪郭を帯びる。

 「……あー、うん」

 お互い下を向いたまま。俺は静かに、了解です、と返事をした。



 変わり者の鎌取の功績により最短ルートで距離が縮まり、俺は早速本題に入るべくポケットの中から相談用紙を取り出した。

 「鎌取の相談は分かったけど、ここに書いてる上履きについてはどうする?」

 上履きについて、と言いつつ、真意はいじめについて。確かに友人が欲しいという願いは前向きなもので拍手を送りたいけれど、いじめという単語を用紙に書いた以上簡単に流すことはできず、気を遣った言い回しで彼女に問うた。

 「上履きも見つけてほしいです」

 上履きもって、二の次みたいな言い方だな。

 「あ……、上履きだけで良いのか?」

 「ん? お手数でなければ、上履きも見つけてくれれば……」

 「……分かった」

 真意に気が付いていないのか、再度訊いてみるがいじめについては触れてこなかった。

 まぁ、今は思い出したくないってことなのかな?

 「じゃあ、今日は上履きを見つけるか」

 しつこく訊くのも違う気がするし、これ以上訊くのはやめておくことにした。一旦保留で、また後日。

 姫野から詳しくは訊いていないけれど、おそらく相談に期限とかないだろうし大丈夫でしょう。

 「その時の状況を訊いても良い?」

 雑談から気持ちを切り替えて、俺は相談モードに入った。

 「分かりました」

 鎌取は淡々と当日の状況説明を始めた。


 「あらかた相談用紙に書いた通りなんですが、五時限目の体育の後、下駄箱にあるはずの私の上履きがなくなっていたんです。一応、探してはみましたが見つからなくて」

 「ちなみに体育は何をやってるんだ?」

 「テニスです」

 テニスか。この学校のテニスコートは昇降口を出た後、校庭と部室の並びを通り抜け、その先の体育館のさらに先。つまり、昇降口から一番遠い場所にある。休み時間にちんたらしていると思わず授業に遅刻してしまう場所で、俺も一年時、ギリギリまでスマホゲームに興じていたため授業に遅刻をしたことがある。確かその時は校庭にある倉庫からテニスラケットを持ってくるという罰を受けた。

 「あと、その日実は数学教師が他校に出張に行ってしまったので、急遽体育になったんです」

 彼女は補足を入れる。

 そうか。だから鎌取は犯人がC組の生徒だと判断したのか。当日変更された日程では計画的な犯行は不可能だもんな。

 「授業前はあって、帰ってきたら無くなっていたので。無くなったのは授業中かなって」

 鎌取は淡々と説明する。様子から判断するに、そこまで重く受け止めていないのかもしれない。

 「授業中、誰かが抜け出してたとかは覚えてない?」

 「その日上履きが無くなるなんて思ってもいなかったので、授業に集中していて他の人の出入りは気にしてませんでした」

 「そりゃそうか」

 去年テニスの授業があった自分の記憶を頼りにすると、テニスの授業は休憩が多かった気がする。正確には休憩というか、打てない時間だけど。テニスはコート数に限りがあるため、全員が常に打てるわけではなく、コート外で待機をしなければならない。

 テニスは熱のない生徒の味方な授業種目なわけで、たとえ一人くらいスッと抜けたとしても教師は気付きもしない。こりゃ困った。

 「痛烈申し訳ないです……」

 痛烈……?

 「いや、俺もいちいち他人の行動なんて覚えてないし、真剣に授業に取り組んでいるのは素晴らしいことだよ」

 「いえ。授業中は地面で一人丸罰ゲームに興じていました」

 なぜフォローを受け取らないんだ、君は……。

 「授業に参加するだけで、えらいもんよ」

 俺は小学生相手のようなフォローを再度入れた。

 「んー、どうしたものか。何も思い浮かばないな」

 俺は冴えない頭でゆっくりと考える。

 ……そうだ。こういう時は犯人の視点に立って考えると意外と浮かんでくる時があると聞いたことがある。試してみるか。

 コーンを置いてサーブの練習。一人三球打ったらローテーション。教師は下手くそな生徒に付きっきりで打ち方を教え、他の生徒はどんどん数をこなし上達していく。

 その隙に俺はコートを抜け出し、疑われる前に昇降口に向かう。体育館の横、そして部室棟を通り抜け、自転車の駐輪場を過ぎ、昇降口に到着する。

 ちょっと待てよ?

 「遠すぎないか? テニスコートから昇降口まで」

 「そうですね。校舎を右から回っても左から回っても遠いですよね。テニスコートは昇降口の対極に位置しますから」

 そうだった。休憩の多いテニスの授業で抜け出す行為は造作もないことだが、考えてみると距離的にかなりの時間がかかってしまう。昇降口に着いた後も、誰にも見つからないように慎重に物を隠さなければならないわけで、五分以上は取られるのではないのか?

 それに、普通に考えれば、テニスの授業ではペアを作らされことが想定されるため、長時間の離脱はリスキーすぎる。ペアの生徒がいじめを黙認している、または協力者のような関係性の可能性もあるが、わざわざテニスの時間にすることか?

 仮にいじめだとすれば、加害者はいじめのためにリスクを犯すことになるわけで、いじめは安全な時に行うのがセオリーなため違和感が生じる。

 「上履きが紛失した後、鎌取は結構探し回った感じ?」

 「えっと、掃除用具入れの中とか階段の裏とか下駄箱の周りとか。一応今日、他の教室や体育館にも探しに行きましたけど、見つからなかったです。もちろん、落とし物としても届いていないことは確認しました」

 変更された日程で行われたのなら犯行の引き金は衝動的なはずだが、にしては随分考えられている。いや、たまたま都合の良い作戦でも見つかったのかもしれないけれど、どちらにせよ中々やるではないか犯人という感想だ。

 授業中に抜け出し、一瞬で見つからない場所に隠す。しかし、下駄箱周辺で上履きは見つからず、そもそも昇降口までの距離が遠い。

 うん。俺なんかじゃ犯人の見当がつかないな。やっぱり頭の良い姫野が来るべきだったんじゃないのか。彼女なら、一瞬で三つくらいまで候補を絞りそうだ。

 「何で私なんでしょうか」

 鎌取は言った。

 「いじめの対象になりやすい人って、妬まれやすい人ですよね。母親には昔から変わってるとは言われますけど、妬まれるとは違う気がするんですよ。特技も特徴もない私の存在なんかが誰かを惨めにすることもないだろうし、どうして私なのか」

 落ち着いた口調で、そう話した。

 しかし、彼女の顔を見ると、肩を落としているようには見えないし、どちらかと言えばケロッとしているように見え、やはり重く受け止めているようには感じなかった。

 どうして私が……、と言うよりかは、まるで先生に解けない問題を教えてもらう生徒のような。只々、疑問を述べただけといった様子。

 「そうだな」

 言われて考える。

 正直自分も姫野と同じく、いじめだと断言するには証拠が弱い気もするが、俺は慎重に言葉を選び、鎌取の求める答えを返した。

 「ストレス発散かもな。いじめの対象に選定理由なんて最初からなくて、何かしらの理由でむしゃくしゃしていた生徒が、憂さ晴らしのために犯行に及んだとか。だから鎌取を選んだ強いていう理由は、大人しそうで大ごとにならなそうだと思ったからとか、そんなもんかもね」

 言いながら、俺はその理由なら救いがあると思った。

 「けど、もしそうならあまり思い詰める話ではないかもしれないな」

 「え? どうしてですか?」

 「だって、そいつは『大人しそう』という人間を選んだだけであって、君という人間を選んだわけではなかったんだから。言ってみればいじめの加害者は君に恨みも妬みもなければ、執着もなくて。仮に鎌取が担任に話してクラス会議にでもなれば、その犯人は次は絶対してこないと思うよ」

 俺は言い過ぎない程度にそう鎌取に伝える。自分で言うのも何だが、これに関しては中々具体的で現実的な推測だと思った。精神の未熟な高校生ならありそうな動機だ。

 しかし、

 「……そう……なんですかね」

 鎌取は焦点の合わない眼差しでこちらを見ると、どこか納得のいかないような表情でぼそりと呟いた。

 「……?」

 今までの話では淡々していたのに、いじめを否定する発言をした途端に不満顔。普通逆なのではと、俺は首を傾げる。

 何かを隠している? この時、俺はそう感じた。



 俺たちは近くにあった椅子を拝借し、腰をかけた。別に急ぎの用事もなく、焦る必要はないため、落ち着いて上履きの在処について考える。

 鎌取は一番前の列から椅子を持ってくると、自分の横に置く。自分の席であったのかもしれないが、わざわざ持ってくるとは律儀だ。

 「鎌取って部活とか入ってる?」

 「いえ、入っていませんよ。……あっ、今、やっぱり帰宅部なんだって思いました? 集団行動向いてなさそうですもんね、私」

 「……いや、自分も昨日まで帰宅部だったから、訊いただけなんだけど」

 被害妄想というのか。ネガティブすぎだろ、それは。俺が嫌な奴みたいじゃないか。

 「しかし、そうか。部活には入っていないのか」

 俺は一旦、情報を整理する。

 いじめの動機は自分が考えている通りだと思う。先ほどの話で友達も恋人もいないと言っていたし、部活動にも所属していないとなれば、人間関係でいじめに発展したケースではないというのが妥当だ。となれば、平凡な俺の頭では八つ当たりという動機が可能性としては一番高いという結論になるが、これは状況的にも現実的だと思う。喧嘩するほど仲が良いではないけれど、多少の関係値がなければいじめは起こらない。と、思いたい。

 次に捜索状況についてだが、彼女の話的に思いつきそうな場所はほとんど探してみたと考えて良いだろう。話をしている感じ、鎌取は真面目な人間に思えるし、体育館まで探しに行ったのなら、昇降口周辺は隅まで探しているはず。それに、どこを探したのか正確に聞いたわけではないけれど、他人の上履きを見つけようとしている俺の熱量と、当事者である鎌取の熱量を比べれば、今更自分が探しに行っても手間を二重に掛けることとなってしまう。つまりは単純な場所にはないと言って差し支えないとしよう。

 「やっぱり持ち帰ったんですかね? ……私なんかの上履きを持ち帰るのなんて、嫌でしょうに」

 「まぁ、その可能性も無きにしも非だが、その結論を出してしまうと終わってしまうから、それは見つからなかった場合まで残しておこう」

 八つ当たりの動機であった場合、おそらく関係値の低い鎌取の上履きをわざわざ持ち帰るとは考えずらい。捨てるならまだしも、持ち帰るのなら保管しなくてはならなくなるし、それは面倒臭いことだ。そうなると、案外まだ校内に隠されてある線も濃いと思うし、太陽に向かって走るがごとく無駄な期待というわけでもないだろう。

 「春元さんは、どうして相談部に入ろうと思ったんですか? 悪い人だとはもちろん思いませんけど、人助けが好きそうには見えないですけど」

 鎌取は質問を寄せる。悪びれもせず、純真無垢な眼差しで。

 「別に、人助けが好きな善人だけが入るわけではないんだよ、相談部は」

 結構失礼な質問だが、確かにその通りだ。図星も図星、ど真ん中。鎌取の直感は正しくて、俺は人助けをするタイプではない。

 しかし、この質問に対して、正直に、問題を起こしたから入部する羽目になったとは言うことはできない。もし言って仕舞えば、鎌取は問題児に大事な相談をしていることになってしまい、相談先である自分を信頼することができなくなる可能性だってあるのだ。

 相談部としての職務を全うするには適当言って誤魔化すのが正しい選択か。

 「実は家にいる時間があんまり好きじゃないから、なるべく遅く帰りたくて入部したんだ。部活に入っていれば、正当な権利を持って校内に残れるだろ。この部を選んだ理由は目標も競争もないからかな。営利目的ではない、公務員みたいな感じで」

 適当にそれらしい理由を述べる。家に帰りたくないというセンシティブな家庭の事情を匂わせておけば、それ以上踏み込まれず納得してもらえるだろうという寸法だった。姫野が来なかった理由といい、嘘を重ねて心が痛むけれど。

 「要するに、暇つぶしなんですね、私の相談は。……そうですか」

 「そんなことは言ってないじゃん……」

 「都合の良い女だったってことですか、私は」

 「その言い方は悪意を感じるな」

 鎌取は態とらしく顔を背ける。

 ノリは良いのかもな。西園寺先生の言うとおり。

 「逆に聞くけどさ。文武両道を掲げる自称進学校である我が校で、なんで鎌取は帰宅部を選んだんだ? 俺が言えることじゃないけどさ」

 すると、鎌取はこう返した。

 「他人が怖かったから……ですかね。長い間、友達がいませんでしたし」

 自分で訊いておきながら、そりゃそうか、と思った。……訊くべきじゃなかったな。

 「……でも、本当は気付いているんです。他人はそんなに怖い存在じゃないことなんて」

 しかし、その先の台詞は、鎌取らしからぬ前向きなものだった。

 「そうだね。現にこうして目の前で話している高校生は優しいし」

 「スルーします」

 スルーされた。

 「それこそ、人間は普通初対面には優しいもんです。初対面から威圧的なのはラッパーと面接官くらいと相場が決まってますから。それなのに構えすぎちゃって、いつの間にかタイミングを逃しちゃって」

 鎌取の言葉に、俺は小さく頷く。

 話はよく分かった。言い方あれだが、よくある話だ。

 だが、よくある話ではあるけれど、自分も入学後一ヶ月間誰かに話し掛ける勇気が出ずぼっち飯を食らっていたわけで、他人事とは思えない。たまたま同じくぼっちの生徒が昼飯に誘ってくれたおかげで友達ゼロ人状態を脱出できたが、世界線が違えば立場が逆転していたかもしれない。気持ちは理解できる。

 「ずっと、一歩が踏み出せないまま」

 「それは違うな」

 流すことのできない鎌取の見解に、俺は待ったを入れた。

 「一歩は踏み出したんだよ、もうすでに。鎌取は相談部に手紙を送って、ここに俺が来たんだから。それは十分すぎる一歩だ」

 そう。鎌取は自分の出せる限りの勇気を振り絞った。

 ならば、後は罪人である俺の仕事だ。

 「多分、俺の薄っぺらさが滲み出た台詞じゃ君の助けにはならないと思うから、一旦上履きを見つけ出そうと思う」

 鎌取はこちらに顔を向ける。

 「でも、まぁ……」

 正直、俺は奉仕欲なるものが人より少ない側の人間だと思う。

 一年前、各々の委員会を決める会議が帰りのホームルームで行われた際、担任から一番に決めろと言われていた委員長が全く決まらず刻々と時間が失われていったことがあった。そんな状況になってくると必然、やりたくはないが皆のために立候補してあげようかなという精神が生まれてくるもので、周りの連中もソワソワしだしていた。しかし、俺は十分経っても、三十分経ってもそんな思いが湧き立つことはなく、その時俺は誰かのためになんて考えは自分には薄いものなんだと思った。

 俺は人助けを面倒事だと認識してしまう人間。こいつは屑だ。

 けれど、今日相談部の部室を訪れる時、自分は釈然としない感情や鬱屈な気分に支配されることは一切なかったし、今だって面倒だとは思っていなかった。

 まぁ、だからというのも変だけれど、今自分が素直に彼女の助けになりたいと考えているのは自然な流れかもしれないし、痛くて臭い台詞を吐きたくなる衝動も仕方がないことなんだと思う。

 俺はまっすぐ目線を合わせ、鎌取に言った。

 「一週間後の月曜日、君は親に可愛いキャラ弁でも頼んでおくべきだな」



 閑話休題。

 かっこ良い台詞を吐き捨てたものの、上履きの隠し場所は全く持って思い付いていなかった。

 再度申すが、これは隠されていることが前提で回っている時間。俺は当然、隠されている場所だけを考える。おそらく鎌取も。

 「普段見ない場所に隠されたんですかね。そんな場所に隠してあったの?的な」

 ピンとこない自分を見て、鎌取は例を挙げてくれる。

 「下駄箱から近い場所にある職員専用トイレの掃除用具入れの中とか。入り口の受付窓口の部屋の中とか」

 「んー、違う気がする。職員用トイレと言っても掃除はするわけで、数日経って気が付かないのはおかしいし、受付窓口は職員がいたらバレるし、いなければいないで施錠されてるだろうし」

 鎌取は捻り出した可能性を即座に否定され肩を落とす。申し訳ない。ただ、普段見ない場所というのはポイントかもしれない。

 「そういえば、鎌取は相談用紙に最近相談部を知った的なことを書いてたけど、あれは横読みのメッセージを伝えたかっただけで、本当は知っていたんだよな?」

 横読みのための布石というか、気付かせるために敢えて違和感を作り出すための嘘。そんな感じに解釈していたのだが。

 「いえ、違います。相談部を最近知ったという部分は真実です」

 「え? 本当なの?」

 まさかの真実であった。

 「色々と活動してるじゃん相談部。全校集会でもよく前に立って話しているだろ。相談部というか姫野だけど」

 「全校集会は、いつもサボってますから」

 鎌取は誇らしげに自分の非行を暴露した。どういう感情?

 「サボタージュ?」

 サボってる? あれも一応授業にカウントされるから、いなかったら注意されるんじゃないのか? 学校という場は決められた規則の中で協調性を育む場であるのだから、そういう異端な行動は咎められそうな気がするけど。

 「大丈夫なんです。確かに担任は皆いるかーって雑な点呼を取りますけど、確認作業するのは生徒同士なんですよ。体育館での並び順だって決まってないですし、友達が見当たらなければ報告するくらいですので。……友達のいない私は誰からも告発されないってわけです」

 まさかの悲しい理由だった。……もう、どこが地雷原なのか教えてくれ。

 「確かに、それなら相談部の存在を知らずとも不自然ではないのか?」

 いやしかし、そんなことあるのか? 一年以上いて一度も相談部を目にしたことがないなんて。そもそも、一年の最初に部活動紹介だってあっただろうに。

 「それなら、いつも全校集会の時間はどこにいるんだ?」

 「教室に残ってます」

 教室?

 「教室なら途中廊下を人が通りかかっても、担任でさえなければ大丈夫ですから。図書室とかだったら言い逃れできませんけど、教室なら忘れ物を取りに来たとかで何とかなりますので」

 鎌取は鼻高々に話す。やはりどこか自慢げだ。しかし、そういうぼっちを生かした知恵は、彼女的には誇って良いものなのだろうか。

 「教室は生徒がいて初めて教室になるんですよ。教室に生徒がいなければ、そこはただの部屋です。教室に生徒がいるのは自然なことで、用務員さんとかだったら声すら掛けられませんよ」

 若干暴論に思えるが、なるほど。面白い発想だ。そこにあるのが当たり前なものというのは無意識に流してしまうということか。背景に溶け込むというか、それ込みでみなされているというか。俺も今度試してみようかな。

 「教室に生徒がいることは自然か。なんか虚を突いた感じでカッコ良いな」

 「実際はこれまで運が良かっただけかもしれませんけどね」

 「裏技というか、灯台下暗しというか。そこにはいないだろって感じ……で……」

 ……ん?

 「……? どうしたんですか?」

 急に訝しむように黙る自分を見て首を傾げる鎌取。俺は数秒間停止して思考に耽る。

 教室に生徒がいるのは自然。そして、そこに隠せたの?的な場所。

 先ほどの台詞が脳内を反芻する。その時、俺は一つの隠し場所を閃いた。

 ……もしかして、あそこか?

 「なぁ、鎌取って体育の時、結構早めに移動するタイプ?」

 「そうですね。さっさと着替えて移動しちゃうタイプです。休み時間が始まると、すぐにランチを済ませて図書館へ逃げ込むタイプです」

 「……そこまでは聞いてないけど。てか、君は校舎裏に直行するタイプでしょ」

 しかし、今の回答でより考えが固まった。それならば、タイミングはその時か?

 俺は彼女の言葉をきっかけに舞い降りたアイディアを脳内で再生する。

 「分かったかもしれない」

 「……え、それは本当です?」

 「ソカモナ‼︎ ……って、誰が分かるんだよこのネタ」

 鎌取は驚いた様子で目を丸くした。

 「上履きの隠し場所が分かったということですか?」

 「そう」

 鎌取は前のめりになりながら、無意識に体を寄せる。だから近いって。

 普段クラスメイトと接していないため異性との距離感を間違えてしまうのだろうか。さして女子への免疫力のない俺は反射的に身を逸らしてしまう。

 「誤解しないでほしいんだけど、あくまで隠されてた場合の可能性だから。あるかもしれないし、無いかもしれないよ」

 体を寄せられた動揺か、保険に走ったダサい台詞を吐いてしまう。その責任のなさこそ本来の自分だが、やはり最初からヒーローにはなれそうになかったらしい。

 「ちょっとついて来て」

 情けない台詞を誤魔化すように、俺はすぐさま立ち上がった。



 学校独特とも言える埃と砂の匂い。微妙な時間もあり、見えている範囲で他に人はいない。部活動の声と学校前を走る車の走行音は聞こえる。

 自分たちの正面方向には大きな木が一本伸びており、その樹木を囲むように校舎が建てられている。陽にも当たりづらいため、俺はここの空間が嫌いじゃなかった。

 数分後、俺たちは無事に目的地に到着した。まぁ、正確には到着という言葉も無事という言葉も嵌るほどに移動したわけではないのだけれど、一応は達成感というか冒険感を味わってもらうために、ここですデデンと言わんばかりに手を広げた。

 「昇降口?」

 鎌取は辿り着いた場所が意外であったのか、小声で疑問を漏らした。

 昇降口。そこは外靴から上履きに履き替える場所であり、校内で一番人の混雑が発生しやすい場所。そして、自分的に一番学舎らしいと思えるエリアで、高校生ながらノスタルジーを感じるのがここであった。

 しかし、その通り。鎌取の言う通りで、俺はここ昇降口に上履きが隠されてると踏んだのだった。

 「私、結構探しましたけど……」

 鎌取はこの場所に連れて来られたことに不満があるか、強めに己の事実を述べる。もしかすると、彼女は自身が真剣に探した事実を疑われたと解釈したのかもしれない。その反応は最もだ。

 ただ違う、そう言うわけじゃない。

 「教室に生徒がいるのは当たり前……、確かにそうだよな」

 「……?」

 「俺もそうは思うけど、さすがに教師が徘徊してきたらバレるんじゃないか?」

 鎌取は担任でさえなければサボりがバレることはないと言った。仮に教室に誰かが回ってきたのなら、忘れ物を取りに来たと弁解すれば大丈夫と話していた。けれど、実際はすぐにサボりだと気付かれてしまうのではないだろうか。

 なぜなら、大体の集会に持ち物なんていらないから。一応、ここに来る間に必死に考えてみたけれど、わざわざ抜け出して取りに戻らなければならない品なんて思いつかなかった。

 ではなぜ鎌取は一年もの間、集会をサボることが可能であったのか。自分が思うに、おそらく見つからなかったのではなく、見つけに来なかったからだ。

 「教室に生徒がいるのは当たり前。そう。だからわざわざ各教室には見回りに来なかったんだと思うよ。いちいちね。無意識に選択肢から外してたんじゃないかな」

 何かを探そうって時に、そこにあって不思議ではない場所はむしろ探さない。探すという行為は普通、当たり前ではない場所に目星をつけるものだから。それは多分、探している時点で当たり前は排除しているからこそなのだろうけど、そこが盲点になっていたのかもしれない。それに、全クラスを回っていては集会が終わってしまうと思うし。

 教師が来ても……ではなく、教師が来ない場所だったのだ。教室は。

 「まぁ、集会をサボれていた理由が変わったから何だという話なんだけどな。別に君の推測の間違いを訂正したいわけでもないし。そういうことじゃなくて。俺はそのことを考えた時、この場所を探したのかが気になったんだ」

 「……いや、昇降口は探しましたけど」

 「昇降口なんだけど、周り……じゃなくて、ここ」

 誤解を解くように、俺はそれを指で示す。…………目の前の下駄箱を。

 集会中、仮に見回りの先生がいるとして。サボりの生徒がいないか探しに行くのなら、理科室隣の準備室であったり、屋上入り口手前の階段であったりと、いるはずのない場所を探すのが普通だろう。そりゃ、いて当たり前の場所にいるはずがないと考えるのが自然だから。

 しかし、その無意識の決めつけが、新たな隠し場所を生み出しているのかもしれない。

 「考えてみたけど、やっぱりテニスコートから昇降口は遠すぎる。少なくも俺ならリスクを冒してまで授業中に抜け出そうとは思わない。ましてや、いてはいけない時間に昇降口にいてビクビクするのも嫌だし、そうなれば、授業前に嫌がらせをする程度が関の山だろうと思ったんだ」

 「授業前?」

 「そう。正確には鎌取が外履きに履き替えてから授業が始まるまでの間。その数分の間に上履きを隠したということだな。そして、そのタイミングだと仮定すると隠せる場所はさらに限定できる」

 鎌取が授業間の移動が速い生徒だということは確認した。鎌取が外に出てから、犯人が外に出るまでの間。犯行を行う時間は十分ある。

 俺は説明を続ける。

 「いじめとか嫌がらせってさ、その瞬間を見られると加害者の印象ってだだ下がるものだと思うんだ。俺だって人に害をなす人間と連もうとは思えないし、友人だった奴もいつかは自分も何かされるかもしれないと考えると、そいつから離れていくものだ」

 まぁ、シンプルに人に嫌がらせをする人間と一緒になんていたくないけれど。

 「そうですね」

 「つまり突発的な行動、周りに人がいる状況というのは、嫌がらせをすることが困難なんだよ。犯行の一部始終を見られる可能性が大きいからな。持ち出してどこかに隠すなんて、きっと誰かに目撃される。……でも、ここならきっと自然に隠すことができると思うんだ」

 教室に生徒がいることが当たり前であるように、上履きが入っていても当たり前の場所。そして、誰かが側から見ていても不自然には思われず、刹那の間に犯行を済ませることが可能な場所。

 ……当たり前だが、それは下駄箱だ。

 「A組、B組、C組と下駄箱が続いているけど、クラスの始まりは毎回一番上の段からになっている。A組もB組もC組も、出席番号の一番目の生徒は最上段になる。となると、組と組の間はキリが良くない限り基本空くことになり、使われていない箇所が二つか三つは存在する」

 そう言って、俺は使われていない下駄箱の扉を次々に開けていった。鎌取は呆気に取られたようにその場で立ち尽くしている。そんな身近にあったのかという驚きと、そんな身近にあったのかという落胆。そんな表情をしている。

 そして、C組とD組の間を確認すると……。

 「あった」

 何もないはずの下駄箱の中から一足の上履きが発見される。踵には名前が書かれていない代わりに、緑ペンで書かれたクローバーの印が見てとれた。

 俺は上履きを手渡す。

 「これ、私のです」

 「そりゃ良かった」

 鎌取は狐につままれたといった様子であった。裏返せば、それほど昨日今日と必死に探し回ったのかもしれない。そりゃ、上履きは簡単に失くすことはないし、見つからないとなれば親が一番にいじめを疑う物品だ。面倒臭がりな俺でさえ血眼で探すと思う。

 捨てられていた、持ち帰られていたという結末ではなく良かったはずなのだが、その彼女の表情を見て、俺は理不尽な罪悪感のようなものを感じた。

 ともあれ、鎌取の上履きは無事に見つかった。その事実だけは一旦喜ぼう。

 「まさか、すぐ近くにあったなんて」

 ハッとして、鎌取は深々と頭を下げた。

 「ありがとうございます。今日中に見つかっちゃうなんて。春元さんは名探偵ですね」

 「げっ、探偵……」

 探偵と呼ぶか鎌取。俺、探偵には良い思い出がないんだけどな。

 小学生の頃、探偵がテーマの仮面ライダーに憧れていた俺は、よく探偵ごっこなるものをしていた。

 落とし物ボックスに物が入っていれば、勝手に持ち出して持ち主を探した。電信柱に猫の捜索願のポスターが貼られていれば、日が沈むまで街中を走り回った。朝から先生の機嫌が悪かった時は、その理由を推察して、本人に答えを訊きに行ったりもした。もちろん、先生には怒られた。

 ただ、自己満足の厨二病みたいなものだったため、基本、誰かに迷惑を掛けることはなかった。その問題が解決しようがしまいが、探偵ごっこをしている瞬間が楽しかったから。けれど、一度だけ、人を傷つけてしまったことがあった。

 当時、学校にお菓子を持ってきてはいけなかったルールの中で、机の中から丁寧に包装されたチョコレートが見つかった。当たり前だが、それはバレンタインで女子が男子に送ったものであるのだが、たまたま持ってきた女の子を知っていた俺は、そのイベントの存在を認識していたにも関わらず、反射的に犯人の名前を言ってしまったことがあった。

 その後、俺はクラスの女子たちから避難を受けることなり、今でも探偵というものには苦手意識があったのだった。

 「どうしたんですか?」

 「いえいえ、何でもありゃせんよ」

 俺は誤魔化すように、首を振った。

 鎌取は履いていた来賓用と書かれたスリッパを脱ぎ、上履きに履き替える。

 「スリッパの返却場所がすぐそこなので、返してきますね」

 言いながら、鎌取は返ってきた上履きでパタパタと歩いて行った。その後ろ姿は小動物のようで、ちょっと可愛いなと思った。

 しかし、さて、これからどうするか。キリが良いとか言ったら悪いけれど、上履きも見つかったし、正直俺はもう疲れた。初日だし。とりあえず、適当な相談はしたくないし、しっかりと気持ちを入れてきて、明日から……。


 「嬉しそうだね、ご主人様」


 突然。前触れもなく。脈絡もなく。不意に。

……背後から声が聞こえた。

 「……っ⁉︎」

 訊き馴染みのある声に、俺は自分でも驚くほどの速度で首を回した。

 すると、そこには……一人の女の子が立っていた。

 「ご主人様……、呼びずらいかな? 主様、旦那様、マスター。うーん、違うなぁ」

 しかし、その姿は明らかに人間と呼べるものではなかった。

 肩まで伸びた水色の髪。宝石のように美しく、吸い込まれそうなほど魅力的な碧色の瞳。ここまではまだしも、背中から伸びた蝙蝠のような羽には説明をつけることができない。

 この雰囲気、話し方。……まさか。

 「君、もしかして前に出会ったドラゴンか?」

 俺がそう言うと、目の前の女の子は膨れっ面で言葉を返した。

 「だから、僕はドラゴンじゃないんだけどなぁ」

 対峙したのは、これで二度目。前とは違い、俺は唾を飲み込むと、急上昇してしまった動機をゆっくりと落ち着かせた。

 「少なくとも、ドラゴン呼びはやめてよ。愛菜って呼んで」

 「愛菜……?」

 異形の存在に似つかわしくない人間のような名前。

 あの日のことは、幻だと思いたかったが、こうしてまじまじと見ると幻にしては鮮明すぎる。まるで生の人間だ。

 「一体、君は……」

 「お待たせしました」

 被せるように声が。振り返ると、スリッパを返却し終えた鎌取が戻ってきていた。気のせいか彼女の表情もどこか嬉しそうに見えた。

 「今、誰かと話していましたか?」

 鎌取に反応した後、もう一度見るが、そこにもう女の子の姿はなかった。

 何者なんだ、今の子は。

 「難しい顔をして、どうしましたか?」

 「いや、何でもない。……今日はもう帰ろうか」

 まぁ、気にしてもどうしようもない。どうせまた現れるだろ。

 面倒臭がりの俺は考えるのを放棄し、鎌取は、そうですね、と言った。

 「そうだ鎌取、連絡先交換しない?」

 「ぼっちなのに、SNSには友達はいるんだって、馬鹿にされません?」

 「……もはや、その自虐は断り文句だと解釈しそうなんだけど」

 差し出したQRコードを彼女が読み取り連絡先交換が完了する。

 俺はすぐさま鎌取のアカウント名を『メガネっ娘』に変更し、ついでに姫野も『頼れる上司』に変えておいた。

 こうして、相談部の記念すべき一日目は終わった。……もう疲れた。

活動日報 四月○日 月曜日


 本日は第一回目の部活動の日。相談部は文化部?なのかは分からないけれど、こういった一種の記念日において、空が青かったことは大変嬉しいことだと思う。青春の始まりの予感というか、世界が背中を押してくれている感じというか。そんな爽快な出発ができた気がする。まぁ、もう少し早く入部しておけば、桜が咲き乱れ、より入部日和になっていたのかもしれないが、それは望みすぎってやつでしょう。

 ただ、出勤初日にして早速活動があったことには不満が残る。終わってみれば別にどっちでも良かった気もするけれど、それは結果論であって、予めの情報もなしに「さぁ行ってこい」というのは如何なものかと思ったし、今後もそういった無茶を振られる可能性を危惧しなければならないということは、先が思いやられてしまうもの。

 そんなわけで、第一回目の活動日報には一応、姫野部長が提示した初日勤務を引き受ける上での条件をここに書き留めておく。

 『一日、春元の言うことを何でも聞く』。こんな内容であったかな?

 けれど、この証拠を残しておくという行為は、仮に今後にも無茶振りがあった場合に、その分対価を払う必要がありますよ、という謂わば再発防止の策であって、別に『姫野への何でも券』をうやむやにしないための対策ではないことは分かってほしい。自分は、一度入部すると決めたからには真っ当に部活動に励むつもりであり、途中下車するつもりもなく、そういった長期間かけて関係を築いていく上でのメリハリを形として残したかっただけだということは心に留めておいてほしい。

 今は二年の四月だから、あと約二年間。これから卒業まで良好な関係を作っていければ幸い。これまで姫野と春元には接点なんてものはなかったけれど、決して自分は気難しい人間ではありませんので、仲良くしていただけるとありがたい。

 活動日報を初めて書いてみた感想としては、面倒臭いに尽きる。

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