第九話:彼女の贖罪(前)
「・・しもし、もしもーし?」
体を揺すられて晴輝は目を覚ました。見覚えのない部屋に白い枕。声がする方に目を向けると中年くらいの女性がいて、うちの学校の養護教諭だとわかった。
起き上がると、養護教諭はゆっくりとした口調で晴輝に語りかけてきた。
「階段から落ちたの覚えてる?自分の名前はわかる?」
「ある程度、覚えています。名前も分かります。一ノ瀬晴輝です」
「そう、よかった。骨折とかはなさそうね。でも一応心配だから親御さんに迎えにきてもらうように連絡したから。あと、1時間くらいで来るそうよ」
「・・はい、分かりました」
どうやら俺は20分ほど気を失っていたらしい。養護教諭曰く、事故現場近くにいたサッカー部の一年生に俺は運ばれたらしい。感謝しなければ。
正直に言えば、断片的にしか覚えていなかった。
「じゃあ私は職員会議があるからあとは若いお二人でー」
(若いお二人?誰かいるのか?)
養護教諭が出て行ったあと、晴輝を取り囲むカーテンがゆっくりと開けられた。
「お前・・」
そこには目と鼻を真っ赤にした岡村玲奈が立っていた。目に涙を浮かべながらじっとこちらを見ている。
今にも泣き出しそうだ。だが、本当に泣きたいのはこっちだ。
「本当にごめん。私のせいで階段から落ちちゃって。しかもあんな気に触る言い方して、ごめん・・」
と深く頭を下げられた。
そこまで彼女のことを知らないが、岡村にしてはストレートな謝罪だった。
「本当だよ。まだ頭は痛いけど、大した怪我じゃない」
「よかった・・。死んじゃったのかと思った・・」
そうすると、安堵したのか岡村の目に浮かんでいた涙が一粒こぼれた。
「もう大丈夫だから泣くなって」
そう宥めるものの、岡村の嗚咽は二人きりの保健室に響き渡り、彼女が心からの反省と自責の念に苛まれているのが分かった。
家族以外の前で泣いたのはいつぶりだろうか。しかも今回は、自分の機嫌が悪くて彼に八つ当たりをした挙句、階段から落ちて、彼に守られた。加害者が被害者に守られた。
誰がなんと言おうと私が100%悪い。なのに、こいつはどうしてこんな顔してるんだろ。
涙で視界がぼやけて彼の表情がよく見えない。でも、彼の声はとても優しかった。
「もう大丈夫だから泣くなって」
階段から落ちる前、確かに一ノ瀬は怒っていた。当然だ。一ノ瀬は何も悪くない。
玲奈は先ほど起こった出来事を思い出し、一ノ瀬への罪の意識と無事でよかったという思いで、涙を止めようとするのに精一杯だった。
「お前、先生になんて言った?」
「・・・え?」
「だから俺らが言い合ってたこと、先生に言ったのか?」
どうして今そんなことが気になるのか分からないが正直に答える。
「あの時は焦ってたから、『一ノ瀬君が階段から落ちました』としか言ってない・・」
「じゃあ、そのままにしといて」
「え、何で?」
「だって、大ごとになるだろ。面倒だし、こんなことで俺は有名人になりたくない。まあ、女の子を助けたっていうのはかっこいいかもな」
と言い、一ノ瀬は歯を見せて笑った。
(何それ)
私が悪いのに・・。あんた、階段から落ちて、気絶したんだよ?理不尽に怒られたんだよ?なのに、何で・・。普通ならもっと怒ってもいいのに。
(合宿の時も今回も助けてもらってばっかり・・)
一ノ瀬の笑顔を見ていると体の芯が熱くなる。心拍が速くなる。涙が止まらない。感情が溢れてしまう。
「それで、岡村は何で俺に『悩みはあるか』なんて聞いたんだ?」
「え、それは・・」
「悩みがあるのは岡村の方だったんじゃないか?それに俺は今、瀕死状態。それくらい言ってもらわないと割に合わないだろ」
返答に困る。まるで、心の中を見透かされているようだった。
「・・分かった。話す」
玲奈は制服の袖で涙を拭った。
今から話すことは未来や千尋にも話したことがない。この話は受け手によっては引かれ、怒りを買ってしまうかもしれない。
私は昔から『可愛いね』とか『将来は女優さんとかいいかもね』など、みんなよくしてくれた。正直、悪い気はしていなかった。小さな頃は褒められるだけで嬉しかった。
中学に入って、初めて男の子から告白された。その子は小学校から一緒で、昔からよくちょっかいを出されていた。
『玲奈ちゃん、君のことがずっと好きだった。小学5年生くらいにこの気持ちに気づいて、そこからは君に構って欲しくて意地悪したりもした。けど、俺らはもう中学生であの頃よりも大人になった。だから、玲奈ちゃんとの関係ももう一つ先に進んでみたい。だから、俺と付き合ってください』
そう言い放った彼がとても大人に見えた反面、耳まで赤くしている様は小学生のようにも見えた。
初めての告白をされて嬉しかった。彼も相当な勇気を振り絞ったに違いない。
『すごく嬉しい』
『てことは・・』
(だけど・・)
『だけど、ごめんなさい。私、あなたとはお付き合いできない』
『え・・、どうして』
『私、まだ彼氏ができたことないし、人を好きになったこともないの。最初はやっぱリ、好きになった人とお付き合いしたい。君のことは友達としか見れない。だから、ごめんなさい』
胸が痛い。心臓が痛い。
『・・・分かった』
明らかに落胆する彼の姿は私が傷つけた証そのものだった。
翌日から彼とは気まずくなり、そこから彼と言葉を交わすことはなかった。
私が彼を振ったことがどこからか漏れたのだろう。彼に好意を寄せていた女子から些細な嫌がらせを受けたり、根も葉もない噂を流されるようになった。
今まで私は何人もの男の子から告白されてきた。そして毎回、同様の理由で告白を断る。そして気まずくなる男子が増え、私を嫌う女子が増えていく。
この世の中は、告白をして振られた方が慰められる世界だ。葛藤して、勇気を振り絞って、自分に秘めていた思いを言葉にする。それは勇敢で立派だと思う。でも・・。
(だったら振る側は、この気持ちをどうすればいいの?)
振る側はその思いを退けなければならない。その強くて美しい思いにどうしても答えられない。
嫌がらせをされるより何倍も辛かった。
正直、妥協して付き合う手もあった。でも、一度それをしてしまうと私が私でなくなる気がした。
人を好きになるという感情はまだ分からない。だけど、私を好きでいてくれる人を傷つけてしまう辛さは誰よりも分かった。
(・・だったら、みんな私を嫌いになればいいのに)
それから玲奈は人(特に男子)とはできる限り話さないと決めた。そもそも好きになられなければ、私も誰も傷つかない。だから、関わりを断つしかない。
高校に入ってから、笑うことが少なくなっていた。未来と千尋と話し始めてからは幾分、マシにはなっていたが。
でも、男子に話しかけられると突っぱねるような態度をわざととってきた。
その成果もあってか、2年生の頃からは告白をされなくなっていた。1年生の頃は皆、かっこいいとか可愛いというだけで異性を意識し、交際に至ることが多い。そのため玲奈も数人から告白されていた。
だけど今日、久々に告白をされてしまった。
相手は3組の小牧亮。バレー部のエースで、身長も高い。女子からもかなり人気がある男の子だ。
それでも私の意志はそう変えられなかった。
『・・だから、そういう理由であなたとは付き合えない。ごめん』
『はぁ、やっぱりだめか。正直、答えは分かってたけどさ。じゃあ、玲奈ちゃんはどんな奴が好きなの?』
(どんな奴?好きな人のタイプってことかな)
『好きっていうのがあまり理解できてないけど、私を好きにならない人・・かな』
『え、それってむりゲーじゃん。意味わかんねぇ。それじゃ俺の気持ちは君にとってうざいってことだろ?玲奈ちゃんは結構告白されてるらしいけどさ、こっちだってそれなりの覚悟決めて言ってるんだよ?それはないよ。なんか冷めるわ』
『え・・』
『もういいや。とにかく君は恋愛向いてないと思うよ。じゃあね』
そう言い残し、小牧は部活があるからと言ってしまった。
故意に小牧を傷つけるつもりはなかった。正直な気持ちを伝えるといつもこうなる。
『とにかく君は恋愛には向いてないと思うよ』
小牧の言葉が心に棘が刺さったように痛む。
そんな発散しようのない思いを抱えて、教室に忘れた進路希望調査票を取りに行った。
ドアを開ける前に、誰かが教室にいるのが見えた。よく見ると、私の隣の席に一ノ瀬がいた。
合宿の時に助けてくれた彼には感謝している。ちゃんと礼を言ったわけでもないから、いつか言おうと思っていた。教室には誰もいない。一ノ瀬ならあまり気負わずに話せる気がした。
『ねぇ、一ノ瀬って、悩みとかあるの』
(あれ、何聞いてるんだろ)
『質問の意味が分からないんだけど』
『だから、悩みとかあるのかって聞いてるの。勉強の事とか人間関係のこととかで』
(あれ、そうじゃない)
『まだ意味分からないけど、そうだな。どこの公立大学に行けばいいのか、とかかな?』
『・・何それ、つまんない。もういい』
(ダメだ。このままじゃ泣いちゃう)
『おい、待てよ』
背中から怒鳴る声が聞こえてくる。怖い。あの時、助けてくれた一ノ瀬とは違う。
腕を掴まれて、恐怖とその場から離れたい思いで、反射的に腕を振り抜いた。
『えっ?』
『危ない!』
そして彼を、ありがとうと伝えなければならない彼を、本当は優しい彼を危険な目に遭わせてしまった。
いかがだったでしょうか。今回は前編ということで、後編も近日中に投稿しようと思っています。
様々な意見のメッセージも頂けると嬉しいです。




