第2話 (その4)
いつの間に寝込んでいたのか、弘明はドーンと機体が着陸する反動に目が覚めた。機内から安堵の息を吐く気配がしていたが、小さな窓の外は重苦しい曇天だった。
ヒースローはまだ午前11時過ぎにも係わらず、手が届き様な空の下で、初冬の様な薄ら寒さが感じられた。
それがロンドンの気候なのか、あるいは自分の心の憂鬱さに依るものか、疲れ切った弘明には判別出来なかった。
ロンドン空港のイミグレに並ぶと、アメリカとはまるで違った。空港の規模は小さく、青白い顔の髭を伸ばした職員が殊更目を見開いて弘明を見た。おもむろにパスポートと書類を渡すと、ゆっくり視線を落として呟いた。
「Naval Architect……」
確かに彼はそう言うと、弘明見て姿勢を直して何度か顔と写真を見比べた。
(また何かあるのか)
と、自虐的になる弘明は、機先を制して自分から口を開いた。
「I have an appointment with A&B shipping company」
別に正式なアポではないが、A&B社と面談するのは間違いない。ただ目の前の男が、二度の訪米で見えた強面には程遠く、組易しと弘明は開き直っていた。
だがその彼が次に発した言葉には、弘明も面食らった。
「Yes sir ――」
と、税関が襟を正す様に言うではないか。
(平民の俺にサーをつけるのか)
と驚いたが、それが造船技師に対するものか、あるいはA&B社への遠慮なのか分からない。ただ単純な弘明は誇らしくもあった。
かつて英国から造船を学んだ日本、戦後世界有数の造船大国にのし上がった。だが日本の造船技師は貴族扱いされるイギリスとは雲泥の差がある。
世界の海を席巻した英国海軍を支えた造船技師。衰退したと言っても権威は残っていると知り、弘明はその伝統の重さを知った。
思わぬ処遇に、弘明は胸を張って到着ロビーへ向かう。
一度大きく深呼吸をすると、気が晴れる思いがした。
(さあ乗り掛った船、ここが踏ん張り所か)
と自分に言い聞かすと、弘明は両手のバックを持ち直し、人の多い割には静けさの漂うロビーへ出て行った。
初めてのロンドン、出迎えの前を行いていく弘明は、人波の向こうで突出して立つ一人の男と目が合った。
「古賀さん……」
と、その日本人らしき男に口を開くと、
「おう君が山岡か」
と、訛りのある返事が返ってきた。
初対面とは思えぬ何かに、弘明はほっとするのだった。
(第2話おわり)
第3話、明日へつづきます。
船木