第2話 (その3)
ロンドンへ向かう機中、澱んだ空気の中で弘明は目を閉じて微睡むしかなかった。だが夢でも見るようにニューヨークの出来事が思い出され、心が萎えそうだった。
支店長が矢継ぎ早に繰り出す質問に、弘明は素直に答えた。
だが前任者の仕事だけに解答には限界があった。
「山岡がロンドンへ着いたらすぐ寄越せって、さっきA&Bから電話が入った。いったい君、何をしたのだ」
「さあ、私には何がなんだか……」
要領を得ない弘明の返答に、支店長は怒り心頭だった。
「今ロンドンには本社の社長がおられるのだ。英国支社の社長も何をやったと、電話でえらい剣幕だった」
(そんなことは知るか)
と、思わず怒鳴ってしまいそうになる弘明だったが、言えるはずはない。
ただ青い顔をしたまま拳を握らんばかりの弘明に、支店長もそれ以上は言わなかった。ただ横に立って話を聞いている前野の表情は、椅子に座って俯いていた弘明にも伺い知れた。
(あの社長が、選りにも依って今ロンドンか……)
2年前の入社以来、弘明が一度しか会っていない芙蓉貿易の社長、海軍少年特別兵上がりだという大村社長の顔を思い浮かべるだけで、弘明の憂鬱は倍増していた。
戦後神戸で創業した芙蓉貿易は、その後本社を東京へ移し、大村の義弟・藤原専務が神戸支店長を務めていた。船用品を生業とする芙蓉だが、藤原が新たに設立した技術部に弘明は所属していた。
技術部は村上部長以下十数名の組織で、弘明の入社後戸塚が辞めるなど出入りが多かった。それだけに人間関係は複雑だったが、倒産と破産を経て入った弘明だけに四の五の言う暇はなかった。
船乗り出身だった戸塚は優秀な技術営業で、村上部長と同じ商船学校の卒業らしく、定めた目的を実行する能力に長けていた。ただシステム設計となると門外漢であり、その点造船出の弘明とは馬が合ったのかも知れない。
A&Bの海難では戸塚自らが現場に赴き、金物の陸揚げから試験場での検査、そして修繕ドック中に代替品の納入までやってのけた。アルバムの写真はその顛末をまとめたもので、芙蓉に瑕疵がないことは明らかだった。
だが弁護士の言う通り、自社に問題がないのであれば、なぜ戸塚は辞めたのか、弘明にも分からなかった。
ただ弘明がたった2年で訪米出来たのは、戸塚のお陰だった。
(俺が戸塚さんを疑って、どうするんだ)
そう思うと、萎えそうな弘明の心は定まってきた。
(つづく)