第5話 (その2)
機体は波に揉まれる木の葉の様に揺れた。それこそ言葉通り、乱気流に当たればブルブルと震えて機首を上げ、乗り越えればハンマーで叩かれた様にガタガタと機首を下げる。それを繰り返しながら錐揉み状に落ちてゆく。
(これで死ぬのか……)
上半身を倒して両足の間に頭を埋める様にしながら、弘明は目を開けたまま耐えていた。突然機体に衝撃が走った時は絶叫が耳を劈いた。
だがもう誰も声を出さない、いや出せない。揺れる度にキャとかギャとかくぐもった声が上がるが、それも長くは続かなかった。
(南無阿弥陀仏……)
なぜか弘明の心の中に言葉が流れていた。
念仏など唱えた記憶はないのだが、ふつふつと湧いて来るのだった。
(もしこれで俺が死んだら、あいつらはどうなる)
と思うと弘明は、家で待つ妻に申し訳なかった。
会社が潰れた後、毎朝弘明は車で妻を県庁へ送り、その足で子供を保育園へ送った。あとは家でテレビを見るか、気まぐれにパチンコ屋へ行くか、時間を持て余した。
そんな毎日に嫌気が差し、親に金を借りてアメリカへ行った。
帰るなり前言を翻し神戸への転職を言い出した。
会社破産の半年後、弘明は神戸の芙蓉貿易へ転職した。その間幾つもの節目があったが妻には何も言わなかった。
何もかも自分で決めて、どんどん前へ進んできた。それから2年、ここで俺が死んだら……と弘明は悔やんだ。
だが何を悔やんでいるのか、心の中も混沌としていた。
ふと思いついた弘明は、胸ポケットから手帳とペンを取ろうと体を浮かした。その瞬間、またドーンと衝撃が走った。機内に煙が上がったと思ったが、それは違った。
ふと顔を上げると、オーバーヘッドロッカーの奥の間接照明が消えて、天井を稲妻がバリバリバリと走った。それはまるで白龍が尖った爪の手足を突っ張り、前方から後方へ駆け抜ける様に走った。それが二度三度……。
(負けてたまるか――)と、訳もなくいきり立った弘明は、闇雲に開いた手帳にペンで思いの丈を書き殴った。
(マリコへ、ごめん、すまん、ありがとう。子供を頼む)
カナクギ文字を見直すこともせず、ペンを手帳に挟んだまま胸ポケットへ仕舞い込むと、再び弘明は屈んだ。
あとはもう天に運を任せてと目を瞑り、どれ位経ったろうか、ふっと機体が浮いてドドドンと機は着陸した。
機内に安堵の声が上がるまで、暫く時間が掛かった。
(つづく)