第3話 (その3)
ロンドン支局の事務所は市内でもテームズ川沿いの旧市街にあり、半地下式の建物だった。弘明に取って英国と言えばシャーロックホームズにビートルズ、それにツイッギーだが、どこまでもトラッド的な街だと思っていた。
だが初めて見るロンドンの街は意外に地味だった。十代半ばの頃見たビートルズやツイッギーの印象から、さぞ街にはモッズやミニのファッションに身を包んだ人々が溢れているのかと思ったが、現実は平凡なものだった。
通勤客の服装は東京と左程変わらず、意外にもラフな姿でスニーカーを履き自転車に乗る女性が多かった。ニューヨークから着いた弘明には意外でしかなかった。
だが事務所へ向かう道すがら、旧市街の町並みは弘明の好奇心を満足させてくれた。街路樹に彩られた瀟洒なビル街は、刺激的なニューヨークとはまた違う。
ふとその路地からワトソン博士が出て来そうな気がして、うろ覚えだがミステリー小説の一場面を想い描いていた。
先を急ぐ古賀の横で弘明は能天気な自分に驚いた。だが決して開き直った訳ではない。事の重大さを認識していない訳でもない。
ただ今自分はロンドンにいて、先輩と共に会社の事務所へ向かうという境遇に満足していた。
「街を行く女の人は、みんなけっこう地味ですね」
シリアスな話の後だけに、何を能天気にと叱り飛ばされるかも知れないと思ったが、古賀の反応は平静だった。
「ここは事務所で着替える奴が多いのや。まあしかし、あんまり美人はおらんで、ニューヨークと違ってな」
そう言うと古賀は人懐っこい笑顔を見せた。
頼りがいのある親分肌の物言いに、思わず弘明の顔も綻んだ。
「ああ、あそこは凄い街ですね……」
と、話はそれで終わった。
「ここや――」
と言って、事務所へ着いたのだろう、古賀は階段を下りて行った。
「おはようございます――」
と、ドアを開けた古賀は元気に声を上げて奥へ入った。
弘明も後に続いた。事務所の中は薄暗い。奥へ続く通路の右手にカウンターを挟んで事務スペースがあり、その奥にドアが二枚、その内の手前のドアが開いていて中に何人かいるのが見えた。
カウンター奥のスイング戸から中へ入った古賀は、
「山岡が来ました」
と言うと、弘明を手招きした。
「おはようございます」
と言って弘明は頭を下げ、顔を上げた。
と、部屋の中の会議机の正面奥に座る、大村社長と真面に目が合った。
その途端、
「君が山岡君か……」
と言う社長の目は、据わって見えた。
(つづく)