第3話 (その2)
翌朝、弘明は古賀と共に最寄りの駅から電車で芙蓉のロンドン支局へ向かった。遠慮しつつも夫人の手料理を味わった弘明は、心身共にリフレッシュした。
ロンドン市内へ向かう電車は、市街地近くから地下へ潜った。
線路幅が日本と同じ狭軌のせいか車内も狭く感じる。朝の通勤時間だけに座ることは出来なかったが、明らかに日本の通勤風景とは違った。席は対面式の四人掛けで、中には新聞を広げる人がいるほど余裕がある。
電車も角張った車両が多い日本と違い、緩やかにカーブして内部もほとんどの角がRだった。ただ白人が主の車内はどこか殺伐として、弘明には馴染めなかった。
薄暗い地下鉄のホームから地上へ上がっても、空はやはり曇天。まだ9月だと言うのに朝の天気予報では摂氏10度を切っていた。
今更ながらロンドンの緯度は北海道の遥か北なのだと、身を以って思い知る弘明だった。
「やっぱりロンドンは寒いですね」
と背を屈めて弘明は、言わずもがなのことを呟いた。
通勤する人の流れに乗って歩きながら、古賀が答える。
「いやーこれから寒くなるばかりや。やっぱ日本がええ」
遠慮しつつ古賀の家で一晩過ごし、今朝も共に出勤したものの古賀は寡黙だった。ただ空港で出会って以来、あまり話はしていないが、どこか頼りになる先輩だった。
「そうですね……まだ日本は暑いかも知れません」
と答えながら、弘明は出発前に見た六甲の緑を思い浮かべていた。
阪神高速から見た山の緑は色濃く、稜線から迫り出した積乱雲が空の青さを際立たせていた。
(今夜はホテルから家に電話しよう)
急にそんな思いに襲われた弘明は、思わず首を振った。
「なんや、どないしたんや?」
急に変な動作をした弘明に、古賀が訝った声を上げた。
「あっ、すみません。いや武者震いです」
と、弘明は自分でも慮外なことを言った。
何を置いてもA&B社のことが頭から離れず、混乱していた。
「恐らくA&B社訪問は、明日の朝になる筈や」
古賀は弘明の思いを知ってか、事務的にそう言った。
「はい、覚悟しています」
「なにしろA&Bも、数十億円の訴訟になるらしい」
どこまでも冷静に、古賀は何の感情も込めずに言った。
覚悟していると言ったものの、流失コンテナの損害が数十億という事実を、弘明は初めて知ったのだった。
(つづく)