真実の愛に婚約破棄を叫ぶ王太子より更に凄い事を言い出した真実の愛の相手
今日は王立学園の卒業式。
無事に式が終わり、皆が次はパーティだぞと顔を見合って笑い合ったその時。
「皆の者! 聞いてくれ!!」
式の終わった壇上から聞こえてきたその声に、会場内にいる全ての人が視線を向けた。
そこにはこの国の王太子と、その胸にしなだれかかるように寄り添っている小柄な女性が居た。
「我、ガルシアム王国王太子、フィオルド・ジ・カルダムは、婚約者であるアトーシャン侯爵家令嬢、レミリナ・アトーシャンとの婚約を、この場を以て破棄する事を宣言する!!!」
「なっ!? 何故ですか?!!」
響きわたった声に一人の令嬢が舞台の前に躍り出た。
顔面蒼白で、悲痛な面持ちで王太子を見つめるその令嬢が王太子の婚約者であるアトーシャン侯爵令嬢だと皆が知っている。
そんな自分の婚約者を冷ややかな視線で見つめたフィオルド王太子殿下は、自分に身体を預ける令嬢の腰を更に抱き寄せると、見せつけるように令嬢に顔を寄せた。
「この私の"真実の愛"の相手、麗しきユイリーに非道な仕打ちをした事を忘れたとは言わせないぞ」
フィオルドに睨まれたレミリナは目を見張って両手を胸の前で組んだ。
その身体は小さく震えている。
「レミリナ・アトーシャン。貴様は私の寵愛がこのユイリーにあると知るとユイリーに暴言を吐き、彼女の地位の低さを嘲笑い、彼女の持ち物が安物だと馬鹿にするだけでは飽き足らず、彼女自身が怪我をするように周りの者に指示した。バレないと思ったか!」
「わ、わたくしはそんな事はしておりません………」
「嘘を吐くな! 直接手を下さなくとも貴様であればいくらでもやりようはあろう。子供のような嫌がらせならば目も瞑ろう………、しかし貴様はあろう事かユイリーの命までも取ろうとした!!」
王太子の言葉に会場は騒然とした。突然始まった出来事に、ほとんどの人は理解が追いついてはいなかったが、王太子の婚約者が誰かに危害を加えようとしていたのだとは理解した。
震えるレミリナに非難の目が降り注ぐ。
「なっ!? 何を仰るのですか?! わたくしは……っ!!」
レミリナは否定しようとするが、舌が震えて言葉がうまく紡げないようだった。
そんなレミリナに王太子は追撃する。
「貴様がユイリーを階段から突き落とした事は調べがついている!! 目撃者も居るのだぞ!!!」
「しっ、知りませんっ!! わたくしではありませんわっ!!!」
「醜い嫉妬に駆られ、人を殺そうとする女を国母になど出来ない!! 私はレミリナ・アトーシャン侯爵令嬢との婚約を破棄して、ここに居るユイリー、ユイリー・フフム男爵令嬢を新たな婚約者とする!!
私は彼女に"真実の愛"を見た!!
彼女こそ次期王妃となるに相応しい心根の優しい女性である!!」
そう宣言した王太子殿下に会場内は先程より更に騒然となった。
侯爵令嬢を捨てて男爵令嬢を王妃に!? 何を考えているんだ?! と、ほとんどの者が思った。
侯爵令嬢による殺人未遂の話よりも王太子殿下による婚約破棄の話に皆の関心は集まる。
その事にフィオルドは内心悪態を吐いた。
── 何故皆はレミリナの殺人未遂の話をしないのだ?! 婚約破棄など殺人未遂の前には些細なものだろう?! 一番の悪人を皆で責め立てて、被害者であるユイリーを庇うのが今の流れではないのか!? 下位貴族の令嬢が逆らえない悪女の魔の手から、愛する令嬢を守った俺を褒め称える場面では無いのか!?! ──
フィオルドは、ざわざわと騒ぎ自分へ不信感をあらわにした目を向ける者たちに苛立った。
「……では……」
そんな喧騒の中からレミリナの声が聞こえる。フィオルドは苛立たしげにそちらを睨む。
レミリナは震える身体をなんとか立たせ、鋭い視線でフィオルドを見ていた。その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「……ではっ! 婚約者がいるのに他の女性に現を抜かし、家と家の契約である婚約を、こんなやり方で破棄する貴方は、次期国王に相応しいと言えるのですか!!」
レミリナは叫んだ。
それが淑女らしくないなんて事は百も承知だ。だが今更そんな事を気にしていても仕方が無い。レミリナはフィオルドがユイリーを側に侍らせ始めた頃から、いつかこうなるのではないかと思っていた。フィオルドの心が自分から離れた今、自分が今までのように社交界で生きられるとは思わない。だからこそフィオルドの目を覚まさせる為にはなりふりなど構っていられないと思った。
自分はただ社交界から爪弾きに遭うだけだが、フィオルドは違う。王太子という立場でこれ以上間違いを犯せばどうなるか……、レミリナはそれが怖かった。
しかしそんなレミリナの心はフィオルドには届かない。真実の愛の相手だという男爵令嬢を公の場で抱き締め、離そうとしない。それどころかレミリナの言葉に不快そうに眉を寄せ、チッと皆に聞こえるように舌打ちした。
それを聞いたユイリーが可愛らしい顔を悲しげに歪めて胸の前で手を合わせた。
「フィオは悪くないの! 私が、私が彼を愛してしまったから……っ! 私が悪いのよっ!! ごめんなさい!レミリナ様!!」
ユイリーは涙を流してフィオルドを庇った。彼女の可愛らしい瞳からハラハラと流れる涙にフィオルドは気付き、怒りをあらわにレミリナを睨む。
そんな王太子であるフィオルドの反応より、会場にいた者は気になる事かあった。
今……愛称で呼んだ……? まさか………。そこまでとは……
婚約者でもない者が、それも男爵令嬢が、王太子を愛称で呼んだのだ。同性の友人ならまだしも、異性の令嬢が口にしていいものではない。それは正しく"2人の特別な関係"を証明する発言だった。
しかし、周囲からコソコソと囁かれる言葉はフィオルドの耳には届かない。
フィオルドはレミリナを睨みつけユイリーを抱きしめた。
「ユイのせいではない! 私が彼女を愛したのだ! それを祝福せず、醜く嫉妬してユイを虐めたレミリナが全て悪い!! なぜ! なぜ婚約者の幸せを願わない! それでもお前は俺の婚約者か!!」
怒りのままに叫ばれた王太子の言葉に、会場にいた人々は眉間にシワを寄せた。
何を言っているんだこの王子は……?
それが皆の思いだった。
婚約者でもない令嬢を愛称で呼び、その口で婚約者に対して「俺の婚約者」などと呼ぶ。どういう神経してるんだ?と聞いていた全ての人が心の中で思った。
そんな皆の不信感を背負ったかのようにレミリナは反論する。
「婚約者だからこそ不貞を見逃せないのです! わたくしと貴方の婚約は、ただの口約束ではないのですよ!?」
「不貞ではない!!
この愛こそ本物である!!!
不実なのはお前の存在だ! こんな婚約をむりやり結ばされた俺は被害者だぞ!!」
その言葉にレミリナは目を見張ってフィオルドを見返した。
「な!? 王命で無理やり婚約させたのはそちらです!! わたくしの気持ちを弄んだのはそちらではありませんか!!」
レミリナの叫びにも近い言葉にフィオルドではなくユイリーが動いた。
自分を抱きしめていたフィオルドの腕から抜け出すと、レミリナに向き合うように前に出る。
「やめてよ!! こんな不毛な争い!!!
レミリナ様! フィオを愛していないのなら、フィオを解放してあげてください!!」
レミリナは無理やり婚約させられたと言ったのに、その言葉を汲むことなくユイリーはレミリナを非難する。
それにレミリナは顔を赤くして怒った。
「そんな話ではないと言っているのです!!
この婚約は国王陛下がお決めになった婚約ですよ!!」
レミリナの叫びに、負けじとユイリーも声を張り上げた。
「だったらっ!
こんなおかしな婚約をさせた国王様が間違っていたのです!!!
真実の愛の前にはそんなもの無効です!!!」
ユイリーがそう叫んだ瞬間、会場中が静まりきった。
「…………え? ……な、なに?」
シンッと静まり返った会場に、ユイリーはたじろぎ数歩後ろに下がった。
トンッと当たったものを振り返ったユイリーの目に、困惑した目をしたフィオルドが映る。
「……ユイリー……、なんてことを…………」
ユイリーの肩に手を添えたフィオルドの顔からはどんどんと血の気が引いていくのが見て取れた。
レミリナは言葉もなく驚愕してユイリーを見ていた。
「………え?」
戸惑うユイリーの声が静まり返った会場内に響く。
それほどまでにユイリーの言葉を聞いた者たちは全員驚きの表情でユイリーを見ていた。
〜*〜*〜*〜*〜
静まりかえった会場内に、扉の開く音が響く。
開いた扉から、この国の国王が姿を現した。
その瞬間、全ての人が国王陛下に向かって最敬礼の姿勢を取る。そんな会場の中にコツ、コツ、と国王が歩く足音だけが響く。
ユイリーも慌てて王太子の後ろに控えて頭を下げたが、本来ならば男爵令嬢など壇上に居てはいけない存在であり、彼女が行く場所は王太子の後ろでは無く降壇して侯爵令嬢の後ろなどに控えるべきだった。
そんな事すら学園を卒業するというのに理解していない令嬢に、国王陛下の側近たちは眉を顰めた。
壇上に上がり王太子の前に立った父である国王陛下に、フィオルドは青褪めながら改めて一礼した。
「……何故、父上がここに?」
思った事をそのままに質問する。
「息子の卒業式に親として参列する事がそんなに不思議か?」
息子の質問に国王は冷めた声で答えた。
「いえっ! ……嬉しいです!」
「そうか……。何やら随分、羽目を外しておる声が聞こえたが、お前はアトーシャン侯爵令嬢との婚約を破棄してそこな令嬢と婚約をし直すと申すか?」
直球な国王陛下の言葉にフィオルドは体を強張らせて姿勢を正した。
背中に流れる冷や汗に気づかれないように真剣な顔を作って父である国王陛下の目を見つめる。
自分が真剣であり本気なのだと父に認めてもらう為に。
「っ!! …………はい!
私は、ここに居るユイリー・フフム男爵令嬢と結ばれたいと思っております!」
フィオルドの言葉にユイリーは顔を上げて瞳を潤ませた。
国王陛下はまだ他の者に声をかけていない。その中で顔を上げるなど、何を考えているのかと、国王陛下の近衛騎士は目付きを鋭くする。
フィオルドは自分の後ろにいるユイリーに気付いてはいないが、国王陛下はそのユイリーの仕草に呆れ、溜息を吐いた。
そして諦めたように頭を振り、顎を一撫でした。
「…………では許可しよう」
国王陛下の言葉にユイリーは歓喜して舞い上がった。笑顔でフィオルドと抱き合い「よかったね!」と顔を見合わせる。
そんな2人を余所に、国王陛下は会場内に目を向ける。
コホンと1つ咳払いして会場内を見渡した。
「皆の者、面を上げよ」
その言葉に会場内の全ての人が姿勢を戻した。
それを見てフィオルドは顔を強張らせる。自分は兎も角、国王陛下へ下げていた頭をユイリーは勝手に上げはしなかったか?嬉しさの余り抱きしめてしまったが、それはしてよかったことなのか?フィオルドはゾッとするような寒気を感じた。
しかしフィオルドの心配に気付く事なくユイリーははしゃぐ。黄色い声は小さくとも静かな会場内によく響き、国王陛下の前であるのに態度を改めないユイリーにフィオルドは生きた心地がしなくなった。
「…………」
国王陛下がユイリーを一瞥し、その目をフィオルドに向けた。
慌ててフィオルドはユイリーの口を塞いで頭を下げさせた。
モガッと、何をされたのか理解出来ずに小さく暴れるユイリーを見て、国王陛下は誰もが分かるほどに呆れて溜息を吐いて会場へと目を向けた。
「……今この場において、王太子フィオルド・ジ・カルダムとレミリナ・アトーシャン侯爵令嬢の婚約を破棄する。勿論、フィオルドの不貞が破棄の理由である。この責を取り、フィオルド・ジ・カルダムは王位継承権を剥奪し王族籍から除籍する。今この時より平民となれ」
「え……?」
フィオルドが唖然とした。
「同時に、王太子を誑かした罪により、ユイリー・フフム男爵令嬢の貴族籍を剥奪。平民とする」
「……え??」
次はユイリーが唖然とする番だった。
開いた口が塞がらない2人を置き去りにして国王陛下は続ける。
「さて、平民となった2人は"真実の愛"で結ばれておる。故にここで2人の婚姻を許そう。
フィオルド。ユイリー。
そなたらは今この時より夫婦となった」
自分を慈悲深い瞳で見てくる父である国王陛下の言葉の意味が分からずフィオルドは思考が停止した。
ユイリーも何が始まったのか分からない。
しかし国王陛下は止まらない。
「フィオルドはその血筋の為、子が出来ぬ様に処置する事となるが、2人が離れず暮らせるように、北にある大地に小さな家を与えてやろう。小さな畑もな。子が出来ぬとも2人の間に"真実の愛"があれば問題なかろう。幸せに暮らせ」
フィオルドの頭に王家が所有する北の辺境の大地が思い浮かぶ。隣国との国境が近く、人里は遠い。魔物が多い森が広がり、そもそも大地が荒れ果てていて畑を作ったところで作物が育つのか……。人が住みたがらない場所。人が住めない場所……。そんな所へ行けと父は言うのだ。
それは実質、追放と同じであった。
「皆も、これから苦難に立ち向かう2人に最後の祝福を与えてやってくれ。
新しく家族となった2人に盛大な拍手を」
そう言ってフィオルドとユイリーに目をやり、手を叩き出した国王陛下に、最初はみんな戸惑ったが、徐々に拍手の数は増えていき、直ぐに会場内が溢れんばかりの拍手の音で包まれた。
おめでとう、と言われても困ってしまう。
フィオルドとユイリーは互いに結婚する事を望んだが、それは平民となる事ではなかった。
フィオルドは王太子をやめる事など考えてすらいなかった。ただ性悪な婚約者に罪を認めさせ、真実愛する女性と結ばれようと思っただけだった。レミリナが反省するなら側室にしてあげるくらい譲歩してあげようとさえ思っていたのに。
蓋を開けてみれば何故か自分は平民に落とされて北の大地への追放になっていた。ユイリーと結婚出来ても全く1つも嬉しくない。
フィオルドは自然と震え出した体をどうにか立たせて、父である国王を凝視した。
しかし国王はフィオルドを見るのを止め会場内に目を向けると、その手のひらを胸の前にスッと立てた。
それだけで鳴り響いていた拍手は鳴り止む。
「さて、王太子の席を空席のままにはしておれん。順位に則り、第二王子であるヴィンセントが繰り上がる。皆そのように」
国王陛下の言葉に、会場中の皆が頭を下げて「御意」と返事をした。
茫然自失なフィオルドはそれすら理解出来ない。したくないと脳が拒絶する。
そんなフィオルドに抱きつきながらユイリーは心底混乱していた。なんでこんな事になっているのか理解出来ない。
「え? え? ……え?」
とキョロキョロと周りを見渡してユイリーは混乱する。
そんなユイリーを胸元にぶら下げたままで、フィオルドは後悔に呑み込まれていた。
何故、男爵令嬢を妻にしても変わらずその地位に立っていられると思ったのか。
生まれた時から周りの者たちが勝手に動いてフィオルドの良いようにお膳立てしてくれるのが当たり前になっていた。だから今回も、周りが勝手に自分の望み通りに叶えてくれると思ったのかもしれない。
フィオルドが望んだのだから、フィオルドの望みのままに世界は動く筈だったのに。実際はそうはならなかった。
フィオルドは視界に入ったレミリナに視線を向けた。
レミリナは体を丸め、両手で顔を覆っている。
小刻みに震える体から、泣いているのだと分かった。
レミリナの事を鬱陶しいと思い始めたのはいつからだっただろうかと、フィオルドは思考が定まらない頭でそんな事をふと思った。
〜*〜*〜*〜*〜
レミリナはこれからのフィオルドの事を考えて泣き崩れていた。
もう外聞を気にしていられる状態ではない。そもそも婚約破棄が成立した時点でレミリナには傷が付いている。今更恥をかいたとしても大したことではなかった。
それよりもレミリナは悲しかった。
だからあんなにも注意したのに、と。嫌われても、邪険にされても、罪を犯しても、フィオルドやユイリーをどうにかしようとしたのはあなた達の為なのに、と。何故、数年我慢して、側室となる未来を選んでくれなかったのかと、レミリナは泣いた。
そんな泣き崩れるレミリナを壇上から見つけたユイリーが、ハッとして目を見開いた。
そして思うままに口を開く。
「国王様っ!! なぜ私やフィオが平民にならなければいけないのですか!? 平民になるべきはレミリナ様です!!
だって私を殺そうとしたのですよ!!」
そう国王陛下を非難し出したユイリーに会場にいる全ての人が驚愕した。
この女は何を言い出したんだ!?
いち早く動いた近衛騎士を国王が手で制する。
しかしそんな事にも気付けないユイリーは、分かりやすい程にプクーッと頬を膨らませた顔を国王に向ける。
「レミリナ様は私を虐めて殺そうとしたのですよ!?
なぜその彼女にお咎めがないのですか!?
こんなの不公平です!!!」
ユイリーは当然の権利だと言わんばかりに国王へ向けて騒ぐが、そんなユイリーを国王陛下はとても冷めた目で見下ろした。
そしてため息と共に口を開く。
「……侯爵令嬢が下位の男爵令嬢に意見して何がおかしい。
むしろレミリナ嬢は侯爵令嬢でありながら自ら手を下すなどと、なんと心優しい事か。
現におぬしは死んではおらんだろう。たいして怪我をしているようにも見えんしなぁ……」
「え……?」
国王の言葉にユイリーは愕然とする。
「邪魔な男爵令嬢など侯爵家からすれば虫を払うかのごとく簡単に対処出来たであろうに。
レミリナ嬢は王太子の事を考えて行動しただけだ。
レミリナ嬢の言葉を聞いてフィオルドが己を律していれば次期国王になれたものを……
男爵令嬢を愛でたいだけならば側室に入れればいいものを、どう誑し込まれたのか、婚約者を蔑ろにして男爵令嬢を次期王妃に据えようなどと画策するとは…………」
こめかみを押さえて国王は目を伏せる。
国王だって、今まで大切に育てた息子を何の感慨もなく切り捨てられる訳ではない。
だが自分たちの立場は感情を優先していては立ち行かなくなる。むしろこの3年間、王太子でありながら男爵令嬢などを優先して可愛がる息子を長い目で大らかに見ていた方だ。婚約者を蔑ろにしていたが、国王という重責に耐える為に愛妾が必要なら仕方がないと、自分の責務を全うするなら婚姻前から側室候補を持つことも許そうと思っていたのに……
まさかそれが側室候補ではなく王妃に据えようとするなどと、誰が思うのか。
レミリナが何を躍起になって男爵令嬢を排除したがるのかいまいち分からなかったが、婚約者だからこそ先が見えていたのかと逆に感心してしまう。
国王陛下も、その周りの大人たちも、誰一人としてレミリナを責める気持ちにはならなかった。むしろそこまで追い詰めた婚約者であるフィオルドを責める気持ちの方が大きい程だった。
しかしそんな事をわかるはずも無いユイリーは怒りに肩を振るわせる。
「こんな……、こんな横暴な事って……っっ!」
胸の前で合わせた手を、爪が皮膚に食い込むほどに握りしめたユイリーは、目に涙をいっぱいに溜めて国王陛下を睨む。
そんなユイリーに国王陛下は呆れ果てて肩をすくめた。
「……おぬしはどこの国で育ったのだ?
この国は王政であるぞ。
なぜ王命を男爵令嬢如きの言葉で覆せると思ったのだ……」
ため息と共に言われた言葉にユイリーではなくフィオルドが反応した。
「愛が……、愛があるのです!!
私は彼女と運命の出会いを果たしました!!
この愛でこの国をもっと豊かにしたかったのです!!」
涙ながらにそう訴えかける息子に、国王陛下はやっぱり呆れる。
「愛で腹は膨れるのか?」
父からの思いもよらない優しい声にフィオルドは目を見開いた。
そんな息子に国王は続ける。
「愛を囁き合っていれば腹は膨れ、仕事は進み、国は安泰で他国は攻め込んで来ずに戦争は起こらないのか?」
その言葉にフィオルドは言い返せない。
「おぬしら2人が愛を囁き合っている間に、周りの人間が全てやってくれる事に、お前は何とも思わないのか?
お前が国王になっても、今まで通り何も変わらず国は平和を維持できたと本気で思っていたのか?」
反論してこない息子に、国王陛下は困ったようにやれやれと頭を振った。
「お前は神の座にでも生まれたつもりのようだが、王族もただの人である。
その地位に寝そべっているだけで、女のことしか頭にないような愚王など、直ぐに国が滅ぶだろうな」
「そんなつもりは……」
やっと発せられたフィオルドからの反論の言葉はそんな小さな囁きだった。
「もうよい。
これらを連れて行け」
国王陛下の命令で、即座にフィオルドとユイリーは近衛騎士に会場から連れ出されて行った。
ユイリーはまだ何か騒いでいたが、もう誰もその言葉に耳を貸さなかった。
泣き崩れていたレミリナも、同情した令嬢たちから優しく声をかけられ会場の外へと連れて行かれる。
その全てを悲しげに見つめていた国王陛下が、改めて会場内に目を向ける。
「場を騒がせた。
王太子となるヴィンセントにはちゃんと目を光らせると誓おう」
そう言って目を伏せた国王陛下に会場に居た全ての人々は頭を下げた。
「学園を卒業する者たちよ。皆の門出を祝おう。
愛は素晴らしいものであるが、愛に溺れ周りが見えなくなるのはただの愚行である。
皆は解っているであろうが、愛人よりも正妻の方が優遇されるのは当然であると肝に銘じよ。
愛されている方が上だと思うのならば、正式に契約してその地位を確固たるものにせよ。
それをせぬのに騒ぐのは愚者のする事ぞ。
この国の未来を担う者たちの中にそんな愚者が交じっていない事を私は祈っているよ……」
そう言い残して国王陛下は会場を後にした。
学園の卒業式なので当然ながら学生の両親もこの場に居る。一部の親たちは気まずそうな目をして自分の伴侶や子供から目を逸らしている。
そのわかりやすさに溜息を漏らす者もいた。
そんな会場内を見渡して、一人の男が壇上の真ん中に立つ。
国王の側近であるその人は、パンパンと手を叩いて会場内の注目を集めた。
「最後に」
皆の目が集まったと感じると側近は少し声を張って知らせを出した。
「本妻や本夫を冷遇して、愛人などを優遇する者に鉄槌を下すべく新しい法案を考えておりますので、心当たりのある方々はそのつもりで。
今 手を切っておけば咎められる事はありませんよ」
そう言い残して退場していった。
一部で小さな悲鳴が上がったが、それをかき消すように音楽が鳴り響き始めた。ざわざわと騒ぎが収まることのない会場を、そのまま卒業パーティへと強制的に切り替えるようだ。
動きを止めていた人々が慌ただしく動き出し、椅子などを片付けるガタガタという音も響き渡る。
その中で学園長が、もう人目を集める事も諦めて
「それでは、今から卒業パーティを始めよう。
今日この日より学園から飛び立つ若者たちに幸あらんことを!」
その声を聞いていた者たちがヤケクソだと言わんばかりに、ワッッ!と騒ぎ出し、その声を聞いた者達も今だけは忘れようと祝福の声を上げた。
数日後、元王太子と一人の元男爵令嬢が王都から姿を消した。
その令嬢が居た男爵家は、王太子を誑かした罪でお取り潰しとなった。
レミリナは傷心の為に領地へと帰った。
国王陛下は彼女の為に、優しく心のある、まだ未婚の男性を数名紹介させる予定である。
レミリナ自身は既に吹っ切れていて、国王陛下自ら「そなたは悪くない。愚息がすまなんだ」というお言葉を頂いたので、貴族令嬢として、次の婚姻に目を向けるのであった。
役所には顔を隠して訪れる貴族夫人が増えた。暴力で妻を従えようとしていた者たちも、どの立場の者であっても例に漏れず罰せられることになった。
国王は自他ともに認める程の一途な男で、側室を持たないと宣言している程だった。
それなのに長男が、アレ、だったので長男を罰した事よりも、自分の息子が一途では無いどころか不貞行為を真実の愛などと言い出す男であったことに心底落ち込んだ。フィオルドの気持ちに変化があった時点で誰かに相談していてくれればまた違った未来があっただろうにと思わずには居られない。
現国王と王妃も幼少期からの政略結婚で、フィオルドと同じ立場だった。それなのにその息子がまさか自分の立場を理解せず、好きな女を王妃に据えられると思っていた事が国王にはショックだった。教わっていないはずは絶対にないので、もうフィオルドの元来の性格に問題があったとしか思えない……
国王陛下は愛する王妃に膝枕をしてもらいながら、俺の息子なのになんであんな……、と鼻をすすった。そんな国王に、わたくしの教育が至らなかったばかりに…………、と王妃は悲しみに涙を流す。
そんな2人が慰め合った結果、1年後には第三王子が生まれた。
国は祝賀で盛り上がった。
フィオルドとユイリーは何もない大地にポツンと作られた平民の為の平屋と気持ち程度の畑を用意されて、そこに放置された。
直ぐに逃げ出したかったが、ここは国境が近く、国境警備兵が常に目を光らせている場所でもあった。
元王族と国王陛下へ不敬を働いた人間を自由に放置する訳がない。
2人は何もない所に放り出されはしたが、実際は管理される立場にあった。
牢獄でなくて良かったと思うべきか、衣食住が確保されている牢獄の方がまだマシだったと思うかは、2人次第であった。
2人は生きる為に死にものぐるいで畑を耕し、出来る事を何でもした。
井戸も有り、5日に1回は兵士が見廻りに来る事が分かっているので、欲しい物……というよりは、どうしても生きる上で必要な物は、頭を下げてなんとか手に入れる事が出来た。
死なない様に監視者が時々訪れるだけで、他はただただ2人だけでがむしゃらに働いたフィオルドとユイリー。
頑張ったところで荒れ果てた大地が豊かになる事もなく、なんとか小さな畑を維持するのが精一杯な状態だった。
……自分たちが考えていた「愛のある生活」は、愛があるだけでは何の役にも立たないのだと身をもって知った。
しかし今更知ったところでどうにも出来る事は無く。
いつの間にか「確かに愛していた」という思いだけを残して、フィオルドとユイリーは2人、どうにか足掻きながら生きていくしかなかった。
〜〜〜〜〜〜
国王様、ちょっと息子の卒業式見てくるわって学園に来て、自分が顔出すと式の主役が自分になっちゃうからってみんなにバレないようにコッソリ覗いて、うむうむ良い式であったとちょっと旧知の学園長と会話してたら息子がなんか始めちゃって、え?あいつ何やってんの??これどう収集つけんの??って思ってたら息子の選んだ側室候補が自分に喧嘩売ってきたから無視する事も出来なくなって、顔出さずに帰ろうと思ってた会場に、しかも静まり返った会場に自分が出ていくしかなくなった国王様の最高にいたたまれない気持ち、多分側近と近衛騎士しか気づいてない。
※誤字報告ありがとうございます。助かります。