探偵は膨らんで、かく語りき
「膨食家」に捧ぐ 寝袋男
警部は、そのよく肥えた男の死体を見下ろした。
この死体のお陰で、わざわざこの田舎町まで駆り出される羽目になったのだ。
昨晩まで降り続いた雨が止み、窓から差し込む陽の光が死体に降り注ぐ。まるで天使のお迎えだ。
「こりゃあ、デカくてあちこち見るのも一苦労ですね先生」
「大儀じゃよ…」
死体に比べて対照的に小柄な老医師は、加齢のせいか怯えてなのか、はたまたアルコールのせいか分からぬ震える手で、死体を検分していく。
「失礼します」
若く青い巡査が部屋に入ってきた。
青いというのは青二才という意味ではなく、文字通り顔色が悪く、肉付きの良い身体に不釣り合いだった。
初めての他殺体にびっくりして血液が何処かに逃げてしまっているらしい。
「では早速、報告を頼む」
「はい、遺体を発見したのは家政婦と庭師です。午前7時、こちらに出勤すると、部屋が荒らされていて居間で倒れている主人を発見したと言っています。それで家政婦がすぐに通報し、庭師は2階にいるはずの奥様の安否を確認に上がったと。奥様は眠っていたそうです。睡眠薬を常用していて、普段も家政婦が起こすまでは眠っているとか。無論、大変ショックを受けておりまして、今も自室でお休みです」
「そうなると、奥さんの証言も期待は出来ないか」
警部は頭を掻きながら天井を見上げる。
「家政婦と庭師にも、2階の談話室にて待機してもらっています」
「分かった、後ほど話を聴きに行こう」
その時ドタドタと激しい足音が玄関側から聞こえてきた。
「やっぱりここよ、匂いがするの」
「引っ張らないでっ」
女と男が部屋に飛び込んできた。
女は男のネクタイを引っ張り、男は苦しそうにしている。これではまるで下手な散歩だ、と警部は思った。
いやいや待て待て。
「君達誰だ?」
女が姿勢を正して答える。
「家政婦と庭師です」
「いえ、家政婦と庭師は2階にいます」
巡査が補足する。
「じゃあ誰だ?」
女が悲しそうな顔になって答える。
「被害者の姪とその婚約者です…」
「被害者に姪はいないはずです…」
またまた巡査の補足が入る。
「じゃあ一体こいつらは誰なんだ!?関係者じゃないのか!?」
「これから関係するところです」
女がすっとぼけた表情で宣う。
「そりゃ一体どういう意味だ」
「言った通りの意味です、彼は探偵です」
女は男のポケットから財布を抜き取ると、名刺を取り出して警部に手渡した。
「私立探偵…まぁ身分は分かったとして、どうやって入った。入り口に警官がいただろう?」
「これで入れました」
オモチャの警察バッジを二つ、女の手の中でキラリと輝く。
「どうなってるんだこの町の警官は…兎に角君たち、速やかに出ていき給え。ここはプロに任せて…」
「いいわ、悪魔御霊を御望みなら見せてあげる」
「デモンストレーションのことかい…?」
探偵が恐る恐る女に問う。
「分かっているならすぐやって」
女の右フックが探偵の二の腕を襲う。
探偵は腕をさすりながら一歩前に進み、警部と巡査を見つめた。
「警部は奥様が家出中でしょうか…そして巡査も夜遅くまでご苦労様でした。」
「な、どうして分かる!!?」
探偵は照れた様な素振りで言う。
「お決まりのパターンみたいで説明するのが恥ずかしいのですが…警部は仕立ての良いスーツを着ているのに、シャツが皺くちゃです。奥様が普段アイロン掛けしているのでしょう。巡査は昨晩の雨で、ブーツに泥が撥ねています。それと巡査は料理好きなんですか?良い匂いがします」
「ええ、まぁたまには」
驚く2人を差し置いて、探偵は遺体と部屋を見回し、本や書類をいくつか点検すると、窓から顔を出し首をぐるりと回してから元の立ち位置に戻った。
「ふむ、分かりました」
「なにっ!?犯人がか!?」
「いえ、ここで何が起きたかのパターンを全て把握しただけです。しかし、現段階では私は容疑者すら知りませんので、誰が犯人かはちょっと分かりません。絞り込まないと…」
「はっ、抜かしておる。良いだろう、片田舎でのボサッとした仕事だ!捜査参加を許そう。どうせオモチャのバッジが権力になる町だ!推理対決としゃれこもうじゃないか!!」
警部もヤケクソだ。
「片田舎で悪うございました」
よく通る声だった。声のする方に全員が向くと、階段を降りてくる1人の女がいた。
「被害者の奥様です」
巡査がうっとりとした表情で囁く。
警部は焦って取り繕う。
「その、失言でした…すみません」
「構いませんことよ、片田舎には相違いませんもの。退屈な町ですから、みんなはしゃいでるんじゃありませんか?」
肉感的な女性である。太っていると形容するには美しい。そう、美しく太っているのだ。豊満とはまさに彼女の為にある言葉と言える。巡査が見惚れるのも無理はない。
「アナタが探偵さんかしら?」
「ええ、まぁ…」
「ちょっと痩せ過ぎよ、何か食べないと」
奥方の指先が探偵の貧弱な胸板に触れる。
「私、気分を落ち着けたい時はたっぷりと料理を作るんです。如何です、少し召し上がりませんか?構いませんこと?刑事さん」
先程の失言もある、勝手に動くなとも言い難い。
黙って頷くと奥方は探偵を引っ張ってキッチンに消えた。よく引っ張られる男だ。
女はその後に着いていく。
「あんたらが遊んどる間に検分が済んだ」
気付くと老医師はスキットル片手に立っている。
震えは止まっている。
「刺殺じゃ。後ろから刺しておる。上手いこと心の臓を突いとるよ」
「抵抗の形跡は?」
「いやぁ、崩れ落ちた時についたであろう打撲以外は見られんな」
「分かりました。現場検証に移るとしましょう」
警部が破られたガラス戸に近づき、周囲を検める。
「ガラスの破片は内側にある。外部からの侵入に間違いない。破り方から見てプロだろう。割れ方が最小限だ。被害者は侵入者に気がついて、逃げようとした所を刺された、といったところか」
「部屋も荒らされていますし、物盗りですかね?」
巡査が部屋を見廻して言う。
「いや、そうとも限らん。何か紛失していればそうだが、奥さんに訊かねばなるまいよ」
部屋はかなり派手に荒らされている。
スタンドライトは倒れて割れ、本や書類が散乱、マントルピースから落ちたと思われる宝石箱からはアクセサリーが飛び出していた。
そうこう話していると良い匂いが漂ってきた。
キッチンだろう。
キッチンはよく整理されていた。
奥方はナイフホルダーの群からペティナイフを選ぶとと、鶏肉ときのこを切り、フライパンに投入した。
隣の鍋ではグツグツと美味そうなスープが煮立っている。
探偵は既に大きなボウルを抱えてサラダを食べていた。シャクシャクと小気味良い音が響く。
「それでお腹いっぱいにならないでよね、ちゃんと膨らむ?」
隣に座った女が探偵のくびれた腹を愛おしげに撫でる。
「ムッ、食事中は黙っててくれ」
探偵は続いてオムレツに取り掛かっている。
チーズ入りの様で、実に美味そうだ。
「あら、刑事さん達も召し上がる?」
誘惑に負けそうになるが、警部は被りを振った。
「いえ、結構。ところで、何か盗まれたものはありますか?」
「フフ、盗まれたものがある、というのは面白い表現ですわね。今丁度料理の合間です。見てみましょう」
奥方はタイマーをセットすると、落ち着き払った様子で荒らされた居間に向かった。端から一つずつ確かめていく。
「大変です刑事さん、画がない!!!」
言われてみれば、たしかに暖炉の上に空白のスペースがある。
「私、気が動転していて、全く気付きませんでしたわ…」
「どんな画が掛けてあったんです?」
「キップという画家が描いた【膨らむ男】という絵画です。とても値打ちのあるもので、主人共々大切にしておりました」
「なるほど、希少価値の高い美術品狙いとなると、鑑定の素養のある者か、この絵画が家にあると知っていた者でしょうな。心当たりはございますか?」
奥方は少し考えてから、
「うちの雇っている者は勿論、友人たちと、それと先日訪ねてきた保険屋さんとも絵画の話をしました」
と答えた。
「その保険屋というのは?」
「保険の営業で来られまして、主人が興味があると言って居間にお招きしました。とても感じの良い方で。その時絵について訊ねられて、お答えしました」
「なるほど、その保険屋の名刺などございますか?」
奥方は荒れた棚から保険のパンフレットを探し出し、警部に手渡した。
「そこに名刺も挟まっているはずです。あら、いけません、話に集中してしまって。そろそろ料理に戻らなくては…」
なんとも暢気な話である。
パンフレットを開くと、被害者の健康診断書と保険屋の名刺が出てきた。
保険屋に連絡する様、巡査に頼み、警部はキッチンに戻る。
「美味しい!!」
探偵はボウルに齧り付く勢いでスープを啜り、鶏肉ときのこのスパゲティを頬張った。
まるで顔付きはファイターが如く、真剣そのものである。
「これは隠し味がありますね…カルダモンですか?」
「ええ、よくお分かりになりましたね。流石探偵さん。それとバターとチーズをケチらないことがコツです」
思えばこの探偵、かなりの大食家である。
どれも大皿に盛られている上に、女は一向に手をつけず、探偵の腹を撫でている。
探偵の腹はいつの間にかくびれを失い、丸く膨れだしていた。細長い四肢に不釣り合いになりつつある。
「どんどん大きくなってる…」
女の声は無機質でありながら熱を帯び、
「食べづらいからやめてくれ」
探偵の声はモゴモゴとしている。
「君は彼の恋人なのか?」
「まさか、勘弁してほしいです」
女はサラッと言いのけて、少々艶かしい手つきで腹が撫でていく。
「じゃあ助手なのかね?ワトソン君みたいな」
「助手でもないです」
失礼だとでも言いたげな素っ気ない返事である。
「ちなみに、げふっ…ワトソンは助手ではなく、ん…ホームズの友人ですからねっ」
探偵が佳境だと言わんばかりにパンを齧って、スープを流し込みながら言及する。おい待て、更に膨らんでいないか?
「私は友人でもないけどね」
そう言いながら女はうっとりとした表情で探偵を見つめる。いや、探偵の腹を見つめる。
彼もまぁよく食べるが、奥方も随分と拵えるものだと警部は関心した。
「これだけガツガツと食べてくれると嬉しいものです。昔を思い出す…作りがいがあるわ」
奥方は恍惚とした表情で探偵を見つめている。
この異様な空間と押し寄せる料理の誘惑に耐えられず、警部は居間に戻ることにした。
警部が居間に戻ると丁度巡査が電話を終えたところであった。
「警部!どうやらこの名刺の男は在籍している様ですが、本日はお休みとのことで、こちらが住所です」
「よし、行ってみるとしよう。いや、待て、分担した方が良いな。君は保険屋を当たってくれ。私は家政婦と庭師に話を聴く」
「分かりました」
家政婦のマシンガントークで警部は蜂の巣であった。
最近夫婦の関係は険悪であったとか、主人は浮気していたに違いないとか、主人が女といるのを見掛けたなど、なかなか芳ばしい情報を連続で投げつけられ、警部の手帳はすっかり速記の様であった。後で読めるだろうか…。
反対に庭師はゆっくりと静かに話す男だった。
歳の頃は40歳前後と言ったところか、浅黒く精悍な顔付きをしている。体付きもなかなかのものである。
朝の発見状況も、巡査から聞いた話と相違なく、付け加えるとしたら、主人は奥様を大変愛していたということ、これは家政婦の話と矛盾する。あと主人は最近トレーニングをし出していて、庭師にアドバイスを請うていたらしい。
こちらは家政婦と打って変わって話が整理されており、非常にメモが取りやすかった。
巡査からの報告を待つ間、警部は手持ち無沙汰でまたキッチンに来てしまった。
奥方と女に挟まれ、探偵はデザートのパイに立ち向かっていた。しかもホールである。
ベルトとネクタイは緩められ、シャツもボタンが外れている。
腹が膨らんだせいで、テーブルが遠のき、パイは大皿ごと持って手掴みでムシャムシャとやっている。
合間に挟むミルクティーも、どうやら砂糖をサラサラと流し込んで飲んでいる様だ。警部はそれを見て段々と胸焼けがしてきていた。
「ところで探偵くん、捜査参加を許したというのに、君は食べてばかりじゃないか。いつまで、というか、どれだけ食べれば気が済むんだね」
「ちょっと、良いところなんだから邪魔しないでください」
女がキと睨む。奥方も心なしか冷たい視線を警部に向けている。
「もうすぐ…うっぷ…済みますから…」
探偵の額には汗が滲んでいる。
時折目をぐるりと回し、無心でパイを口に運んでいる様子だ。
「これが彼のやり方なんです。おっと、そろそろ空気抜く?」
「君がやると、全部出ちゃうからダメだ、ぐぷっ」
デカいパイの最後の一切れが探偵の腹に消えていった。
探偵は指先についたジャムを舐め取り、ミルクティーを一気に飲み干す。
重たそうな腹を抱えて立ち上がろうとするが、うまく立てず、警部が手を貸してなんとか立ち上がる。
「どうも…それで…ムッ…犯人が分かりました」
「なんだって!?」
「関係者を居間に集め…っ…集めてください」
居間には、奥方、家政婦、庭師、スキットル片手にソファーでウトウトしている老医師、遺体、警部、探偵と女が揃った。
「あの…巡査はどちらに?」
探偵が訊ねる。
「彼なら今外だが…」
「それはマズイなぁ…彼が犯人なのに」
探偵の暢気なトーンで全員が聞き流しそうになったところを警部がしっかりと追求する。
「一体どういうことだ!?巡査が犯人!?」
「ええ、んっぷ…彼が犯人…いや違うか…犯人の一部というか…」
「はっきりし給えよ」
「奥さんが刺したんです…それを巡査がっぷっ…」
探偵は今にもリバースしそうな顔で腹を抱えてバランスを取っている。
奥方を見やると半ば諦めた様な顔で微笑んでいる。
「仰る通り、私がやりました。手錠を」
まるで召使いに命じる様に手首を差し出す様はエレガントだった。とりあえず手錠をしてから警部はツッコむ。
「待て待て待て、そんなあっさり進めてもらっては困るぞ!何故食ってばかりのお前が真相に行き着くのだ!?」
説明しようとした探偵は限界が近いらしく、目を白黒させながら天井を仰いでいる。
女が人差し指を立てて喋り出す。
「説明しよう!彼は嗅覚、味覚、聴覚共にとても鋭く、それを基礎とした類まれなる洞察力はあらゆる物を感知します。故に情報過多で推理がままなりません。ので、その整理をする為に、満腹になる必要があるんです。胃に血液が集中してこそ得られる、朦朧とした状態がベスト!奥様、ナイスパスでしたわ!!」
女がウインクすると、奥方は手錠付きの手で両手の親指を立てた。
「探偵の身体の仕組みはわかった。で、さっさと事の真相を話し給え」
天井を仰いでいる探偵に警部がせっつく。
「だから…ムッ…奥さんが刺して…それをっぷ…巡査が来て…トドメっ…強盗に見せかけたんでぐふ…」
警部は溜まりかねた様に足踏みをする。
「だから!なぜそれが分かったのか説明しないか良い加減!君は探偵だろう!?探偵役の責務を果たせ!自慢げに披露し給えよ!!!私をアッと言わせてくれッ!!」
警部ももはや涙目になって探偵の腹に縋り付いている。間に女が割って入る。
「御言葉ですが、これは別にミステリではありませんよ?事件はおまけで、本編は食事シーンです」
「すごく良かったわ、彼の食べっぷり」
奥方は艶やかな視線を探偵に送り、自らの下唇に指先を這わせる。
「戻りました!」
巡査が男を連れて部屋に入ってくる。
「彼が保険屋です」
警部が保険屋を押し除けて巡査を問い詰める。
保険屋は勢い余って遺体と添い寝することに。
「巡査!君はこの事件に加担しているのか!?」
警部が「のか!?」を言い終える前に、巡査は膝から崩れ落ち、手首を差し出し泣き始めた。
「奥さんのことが好きだったんです…うぅ…僕がやりました…」
「一件落着!!!」
女が手を叩くと、見たこともない捜査員が2名入ってきて、巡査に手錠を掛けると、奥方共々そそくさと出ていった。サイレンの音が遠のいていく。警部の気も遠のく。
唖然としている警部の肩を女が叩く。
「警部もちゃんと最初からヒントを拾っていけば分かりますよ」
「よし、じゃあパーっと飲みに行こう!ワシの奢りじゃ!」
老医師はいつの間にかソファーから立ち上がり、意気揚々と残った者たちを煽動する。
「流石にもう食べられないよ…げふっ」
「まだいけるでしょー?」
案の定、酒場で探偵は全てをぶちまけた。
SNSでのお遊びが発端で書くことになりました本作。探偵ものだが、本編は食事シーンと、初の試みで期待と不安の中、書き上げました。
自分としては大変楽しかったです。
丁度メタ要素やアンチ要素のあるミステリーを書いてみたいなと思っていて、良い練習にもなりました。
彼や彼の友人らが楽しんでくれれば、幸い。