美奈子ちゃんの憂鬱 ヤクザとバイトと幽霊と
紆余曲折の末、家に戻ることを許された水瀬だったが、由忠の言いつけで家賃を支払うことになった。
月額10万円に水道光熱費。
支払いの管理はルシフェルだ。
正直、月10万の家賃が何に消えているかと言えば、まるまるルシフェルの小遣いに消える。
その上、水道光熱費はルシフェルの分まで含めた上で算定されるから、どれほど水瀬がまけろと言っても、ルシフェルには聞く耳すらもたない。
水瀬亭の特殊事情もあって、水道光熱費まで合わせた水瀬の支払額は月額20万に達し、結果として水瀬は独自に金儲けに走る必要に迫られる。
今回は、そんなきっかけから始まったお話です。
「?」
夜、廊下を何かが曲がった気配がして、ルシフェルは足をとめた。
じっ。と見るが、何もいない。
気のせいかと思い、部屋に入ると、何かが廊下を歩いているような気配がする。
襖をあけて見るが、誰もいない。
水瀬かと思ったが、ルシフェルの部屋は離れで、夜、水瀬は近づかない。
考えてみれば、ここ数日、こんなことが頻発している。
「……?」
明光学園の昼休み。
ルシフェルは一緒に昼食をとる博雅や美奈子達に、昨晩の出来事を話した。
「一瞬、泥棒かと思ったんだけど」
「心霊現象?」未亜は興味深そうに瞳を輝かせる。
「普通ではないな」
博雅は難しそうな顔で腕を組む。
「ルシフェルに姿が見えないというのが気になる」
「魔法で姿隠しているってのは?」
「ありえない」ルシフェルは言った。
「私、“姿隠し”の魔法対策の訓練受けているから、すぐ見破れる自信がある」
「うーむ」
「にゃぁ。博雅君が夜ばいに行ったわけじゃないよねぇ」
「ありえるか」
博雅は言った。
「夜中、断りもなく閨に忍び込むようなマネするか」
「求めりゃいいんだもんね」
「そういうこと―――黙れ信楽」
「ルシフェルさん。それ、水瀬君には言ってみた?」
「ううん?」
ルシフェルは首を横に振った。
「何か、水瀬君も最近おかしいんだよね」
「元からでしょ?」
「ううん?最近」
ルシフェルは、言って良いかどうか迷っている様子だ。
「言っていいよ?」
美奈子は言った。
「私達、友達でしょ?」
「―――うん」
ルシフェルは、覚悟を決めた顔で言った。
「最近、水瀬君」
「うん」
美奈子は真剣になってルシフェルの言葉を待つ。
「妙に、金離れがいいのよね」
金離れ。
つまり、水瀬がカネをもっているということ。
ルシフェルによると、つい最近まで公園の水道水を夕飯代わりにしていた水瀬が、昨日も家賃と水道光熱費計20万円をポンと支払ったというのだ。
そして、水瀬の金離れがよくなった途端、ルシフェルは家で不思議な気配を感じるようになったという。
「なにか―――ね?」
ルシフェルは言った。
「すごく、イヤな予感がするんだ」
「にゃあ……水瀬君のことだからねぇ」
未亜はさもありなん。という顔で腕組みをしたまま、何度も頷いた。
「きっと―――スゴぉく厄介なことしてるような気がする」
「例えば?」
「街角に立って、お姉さん誘ってるとか」
「……」
美奈子は、着飾ったお姉さんとむつみ合う水瀬の姿を想像し、慌てて首を左右に激しく振った。
「ちょっと!」
「水瀬君、年上のお姉さん大好きだしぃ?趣味と実益兼ねてるんじゃない?」
美奈子が未亜に言い返そうとした時、購買から戻ってきた羽山が、パンをかじりながら言った。
「なぁ、ルシフェルさん」
「何?」
「最近、水瀬、バイトしてるのか?」
「こんなところで?」
放課後、美奈子達が向かった先は、羽山のバイト先のすぐ近く。
繁華街のど真ん中だ。
ここ数日、この辺で水瀬の姿を頻繁にみかけるという。
「水瀬君なら料理人かなぁ」
美奈子は言うが、
「一ヶ月で20万稼ぐって半端じゃないぜ?」
羽山は言った。
「放課後のバイトだけで20はキツイぜ」
「……うん」
何だろう?
本当に風俗?
美奈子の考えがヘンな方向へと動く中、
「あっ」
声をあげたのは未亜だ。
「ほらっ!」
未亜が指さした先―――
繁華街を歩く通行人に混じるやたら低い背。
水瀬だ。
「ホントにこんなところにいた」
美奈子達の視線の向こうで、水瀬はしきりに立ち止まっては、何か本かノートのようなものを見て、場所を確認しているらしい。
あたりをキョロキョロした後、お目当ての場所が見つかったのか。
水瀬は古ぼけた酒屋の二階に通じる階段を登っていった。
「どこ言ったんだ?」
見ると、そこは4階建ての雑居ビルらしい。
二階は「大沢開発」と書かれているから、どうやら不動産屋らしいが、三階と四階は空だ。
二階にはミラー調フィルムが張られており、中をうかがい知ることは出来ない。
「あそこじゃねぇ?」
羽山が、何気なしに「大沢開発」と書かれた二階を指さそうとした手を乱暴に止めたのは、未亜だった。
「ダメだよ」
その声は真剣そのものだ。
「はぁ?」
「場所変えて説明してあげるから」
未亜が美奈子達と共に入ったのは、近くのファーストフードだ。
「……あのね?」
未亜は小声で言った。
「あの二階の不動産屋は」
言葉を句切った未亜は、もう一度、周囲を見回した。
周囲には自分達しかいない。
「―――ヤクザなんだよ」
「えっ!?」
皆が目を見開いた。
「な、なんで水瀬が!?」
「わかんないよ」
未亜はポテトを一つ、口に放り込んだ。
「不動産開発やってるけど、かなりの武闘派で知られているんだから」
水瀬君がヤクザと知り合い?
―――ウソだ。
美奈子は帰り道、泣きたい気分で歩いていた。
いくら人格に問題があるとはいえ、私、散々聞かせてきた!
つきあう人は選ぶようにって!
「……あれほど言っていたのに」
ポンッ
後ろから肩を叩かれた。
振り返ると恐ろしく目立つ美少女が立っていた。
瀬戸綾乃。
クラスメートにして恋のライバルだ。
「これから仕事なんですけど、ちょっと見かけたから……どうしたんです?」
水瀬の婚約者を自称する綾乃は、水瀬がヤクザの事務所に入ったという話に、さすがに驚いたらしい。
「……そんな。そんなこと……どうして妻の私にも何も」
「ムカつく言い方だけど、おかしいというか、信じられないでしょう?」
「……何故でしょうか」
「あのね?家賃と光熱費を支払うために、何か働いてるらしいの。でも、普通にバイトしたっていいと思うでしょう?」
「……そうですよね」
綾乃は頷くと、ハンドバッグから財布を広げた。
さすがトップアイドルというべきか。
中には、美奈子が見たことのない程、お金が詰まっていた。
「妻である私に言ってくだされば、いくらでも工面しますのに……どうして」
結局、誰にも話していないらしいことを知った美奈子は、自宅近くに戻った所で、街頭の影に見慣れた影を見た。
水瀬だ。
「……あれ?」
繁華街で見かけた時と同じだ。
本のようなものをみながら、しきりに場所を確かめて移動している。
周囲を警戒しているようにも見える。
「……」
美奈子は覚悟を決めた。
もし、水瀬がヤクザに言われて、お金欲しさに泥棒でも働いていたら?
止めるべきだ―――友達として!!
美奈子は、そっと水瀬の後をつけた。
水瀬は結局、ある一軒家の前で止まった。
二階建ての建て売り物件。
門は閉まっており、真っ暗なのに灯りもない。
美奈子は、その家が何年も前から借り手がつかない、いわくつきの物件であることをしっている。
水瀬は、その前に立つと、家の周りを一周してから、バッグから何か鍵の束のようなものを取り出すと、何本も門の鍵穴に差し込んだ。
ギィッ
きしんだ音を立て、門が開いた。
水瀬は、その門を開いたままにすると、建物の中へと消えていった。
「……?」
ヘンだ。
この家は、何年も人が住んでいない。
借りた人は数日で出ていくことから“お化け屋敷”といわれている。
そんな家に泥棒に入って、水瀬君はどうするつもりだ?
美奈子はそう訝りながらも、それでも水瀬の後を追った。
いかなる理由だろうと、水瀬がやっていることは不法侵入―――犯罪だ。
友達として、美奈子は止めようと思った。
門から玄関までは、誰も手入れしていないせいだろう。
鬱蒼と草が生い茂り、足の踏み場もないような有様だ。
庭の方は、不法に捨てられた粗大ゴミが散乱している。
美奈子は玄関まで来たところで、閉じられた玄関の向こう側でゴソゴソ動く音を聞いた。
玄関に水瀬がいる。
なら、話しは早い。
すぐに水瀬を捕まえて、こんなことをやめさせよう!
美奈子は意を決してドアノブを回した。
室内は漆黒の闇
よどんだ空気が肺に入り込んだ美奈子は、吐き出しそうになった。
「み……水瀬君?」
そっと覗き込んだ玄関。
真っ暗で室内の様子はわからない。
ただ、水瀬の姿がないことだけは確かだ。
「……」
ゾクッ
何故かわからない。
本能的なものだろうか。
ここは、いけない!
ここにいては、いけない!
脳裏にそんな警告が響き渡る。
背筋をぞくっとした奇妙な感覚が走り、美奈子は目をつむったまま、ドアをしめた。
ふりかえるな!
警告はまだ続いていた。
振り返ってはいけない!
だけど―――
美奈子が、この家から出るためには、振り返るしかない。
後ろ向きに歩いて門まで歩けるはずはない。
―――何もない。
そんな言葉を10回呟いた後、美奈子は振り返ろうとして、首筋になま暖かい息を吐きかけられた。
「っ!!」
思わずへたり込んで振り返った背後。
そこには、美奈子を見下ろすように、背広姿の男が立っていた。
真っ白い肌に感情のない顔―――違う、眼窩には目がなく、黒い虚ろな穴があるだけだ。
―――この世の存在ではない。
美奈子は、それだけはわかった。
その手が、美奈子に迫ってくる。
「―――っ!」
まるで美奈子の首を絞めようとするように伸ばされる両手を、声にならない悲鳴を上げて払いのけた美奈子は、力の入らない足腰を駆使して、その場から這って逃れようとした。
だが―――
背広姿の男には、仲間がいた。
ずらりと並んだ背広姿の男達は、一様に眼窩に目はなく、まるで美奈子にこれ以上進ませない。といわんばかりに二人ずつ、門のところまで並んでいた。
「……あっ……あっ」
美奈子は泣きながら逃れようとするが、足腰に力が入らない。
悲鳴でさえ、口から出てこない。
男達の手が、一斉に美奈子に向けられて動く。
グッ!
氷より冷たい腕に首を絞められた美奈子は、そのまま意識を失った。
「―――大丈夫?」
「……っ?」
美奈子が目を覚ました時、心配そうな顔が自分を覗き込んでいるのに気づいた。
水瀬だった。
「わ……わたし?」
驚いて起きあがり、周囲を見回した美奈子は、自分が近くの公園のベンチに横たわっていたことに気づいた。
「危なかったよ?」
水瀬は叱るような口調で言った。
「あんな所、素人が入って良いところじゃないんだから」
「だ、だけど!」
美奈子は驚いて抗議した。
「水瀬君がヤクザとつるんで泥棒しているから!」
「へ?」
水瀬は、きょとん。とした顔で美奈子を見た。
「僕が……何?」
「だ、だから」
美奈子は、今日一日見てきたことを話した。
ヤクザの事務所に入ったこと。
そして、あの家に入り込んだこと。
「……ああ」
水瀬はそこまで聞いて、ようやく合点がいったらしい。
ポンッと手を叩いた。
「そういうこと」
「だ、だから」
美奈子は言った。
「友達として、そんなこと、間違っているからと、止めようと思って……!」
「うーん」
水瀬は、少し考えた後、言った。
「友達として、僕が間違っていることしているから、止めようとしてくれたんだ」
「と、当然でしょ!?」
水瀬の嬉しそうな顔を見た美奈子は、何だか恥ずかしいような気がして、力んでいった。
「私、水瀬君のこと!」
「……」
「……えっと」
言葉につまった。
友達だから、止めようと思った。
それは間違いない。
でも、友達でいいの?
私は―――水瀬君の、友達?
違う。
違いたい。
その気持ちが、美奈子の胸の中をかきむしる。
「……その」
じっと見つめてくる水瀬と目を合わせることさえ出来ない。
二人きりの世界。
聞きたいことはいろいろある。
でも、まず、何が聞きたいのか。
それさえわからない。
クスッ
そんな音がした。
水瀬が小さく吹き出した音だ。
「な、何がおかしいの?」
美奈子は、精一杯の抗議をこめて、そう言った。
「おかしくはないよ」
水瀬は言った。
「……ありがと。そういいたかったんだ」
その瞬間、
美奈子は額に何か柔らかいものが触れたのを感じた。
自分が、何をされたのかはわかる。
あまりに突然すぎて、理解が遅れただけだ。
額へのキス
どうせなら唇にしてほしい。
そうは思う。
思った途端、美奈子は複雑な感情に囚われた。
額へのキスは、恋人ではなく、友達に対する感謝をこめてだろう。
つまり、一人の女の子に対する愛情表現としてのキスじゃない。
それが―――美奈子は悲しいほど判ってしまう。
「……とにかく」
幾度も泣きたいのを堪えながら、呼吸を整えた美奈子は、ようやく言った。
「何していたか教えて」
「……怒らない?」
「黙っていたら怒る」
水瀬は散々悩んだ様子で、美奈子の耳元で囁くように言った。
「……土地転がし」
要するに、こういうことだ。
カネが必要な水瀬は、自分の力をなるべく表沙汰にならない方法で金儲けにつなげようとした。
結果、考えついたのが、いわくつきの物件を安く買って、徹底的に除霊して普通の物件として販売し、その利ざやを稼ぐ方法。
鈴紀の紹介で不動産屋と業界内に腐るほどある曰く付き物件を紹介してもらい、萌子からの借金でそうした土地建物を買う。
最初は小さい物件ばかりで、借金返済が精一杯だったが、繁華街のある区画を売りに出した所、思わぬ収益となって、次々と土地や建物を買っては除霊して転売しているのだという。
不動産屋も水瀬の実力を鈴紀経由で知っている関係で、確実視して買ってくれるので、販売ルートも確立。
「それで……お金が貯まるのが嬉しくて……その……楽しくて」
「……売ってるのってヤクザ?」
「そういう人達もいるらしいけど?」
「今日、繁華街にある酒屋の二階のヤクザの事務所行ったでしょ」
「……ううん?今日は行ってないよ?」
「うそ!見ていたんだから!」
「僕が行ったのは三階と四階。不動産屋さんから頼まれて、除霊に行ったんだよ。?」
「……はぁ」
そう。
組事務所ではなく、その上の空き部屋に用があったのだ。
水瀬がヤクザと絡んでいないことを知った美奈子は、とりあえず安堵することにした。
それに、非合法の商売でもないし、水瀬は水瀬で、自分の力を活かした商売を見つけただけだと、思うことにしたのだ。
「……でも」
帰り道、美奈子は肝心なことを水瀬に訊ねた。
「除霊された霊って成仏出来るの?」
「出来るのもあれば、単に建物から追い出す場合もある」
「追い出す?」
「お札貼り付けて、建物に入れなくするの」
「……入れなかった霊はどうなるの?」
「知らない」
水瀬は言った。
「その辺、うろついてるんじゃない?」
「……あのね?水瀬君の家へ行ってる可能性、ない?」
「あるよ?」水瀬はこともなげに言った。
「あるけど、どうして?」
美奈子は、昼間のルシフェルの話しをした。
「……ああ」
ぽんっ。
「気づかなかった」
「……もっと、別な所に追い出しなさい」
「はぁい」
明光学園で幽霊騒動が持ち上がったのは、それからすぐのことでした。
合掌。
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