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怒りと魔法

「インベルまでどのくらいかかりますか?」


 魔法書を読みながら御者に声をかけた。読むといっても、字は読めないので描かれている魔方陣をせっせと記憶しているだけだが。

 集中は簡単に切れ、すぐに気分転換に移る。御者の後ろまで行くと、流れる景色に心が踊った。万緑の草原と畦道は御者からしたら飽きたものだろうが、現代人からしたらなかなかに情緒深く感じるものがある。


「雨に降られなければ……二月(ふたつき)くらいですかね?」

「えっ………」


 ふたつき………って二ヶ月!?


「長くないですか!?」

「長くないですよ。ラクスの蒸気列車じゃあるまいに……急ぎの用事でも?」

「いえ…そういうわけでは」


 考えてもみればそれくらいは掛かるものなのかもしれない。大陸のほぼ端から端への移動なのだから。


「街道からは外れちまいますが、あの森を突っ切れば若干は近道ですよ。

 入りますか?」

「……ええ、お願いします」


 御者が指差した森は鬱蒼とした森林だった。特にメイン施設があるわけではないため名前はなかったが、ゲームではモンスターが良く出る場所だったはずだ。


(まあでも、最悪魔法を使えば良いわけだし)


 森へは一応申し訳程度の道があるが、その質は低い。周りの低草より少しだけ背が低いお陰で見分けが付く程度だ。

 案の定道は悪く、非常に揺れる車内は途端に読書どころではなくなってしまった。


「……さん………ですか?」

「はい!?」


 車輪が小石と草牧を巻き込む音で会話もままならない。ほとんど聞き取れなかったがニュアンス的に独り言ではないと判断して大声で聞き返した。


「お客さんって、もしかして、どこかのお嬢様ですかい!?」

「いえ、違いますが!」

「いや随分羽振りが良いと思ったもんでね!」


 そんなことを言われて失態に気づいた。八割以上の人間が貧困層であるこの世界で、先の交渉はいささか軽率が過ぎたもしれない。

 いや、そもそも服が上質すぎるのか。美しく染め上げられた絹の黒衣はどう見ても一等品である。


「まあ、色々あって少しお金持ちになっただけです」


 多分に意味を含んだ『色々』に声が少し小さくなった。御者には聞こえなかったかもしれない。

 煩しい車輪の音も森に入ったら幾分かマシになった。森の獣なりモンスターなりに踏み固められた道はまさしく獣道なのだろう。

 馬車音に合わせて声を落とした御者がまた話しかけてくる。


「お客さん、すいませんねぇ」

「……?」


(ああ、訳ありかと思ったのか)


 何のことだか分からなかったが、すぐに見当がついた。良いところの出(と思っている)女が一人旅をしていることに何か勘繰ったのかもしれない。

 中年男の小さな気遣いに小さく笑いが漏れた。


「ああいえ、気にしないでください」

「いやぁ、そういうことじゃなくてねぇ」


 ねっとりと湿度の高い、纏わり付くような声音に背筋が震えた。

 気がつけば背後は薄暗く、森の外は伺えなくなっていた。時間的にはまだ明るいはずだが、森の中は夜のように暗い。木漏れ日も少なく、日は姿を見せないでいた。

 それに合わせたように馬車も速度を落としていく。


「どうかしましたか?」


 御者の声音と薄暗さに異様な雰囲気を感じ取った私は少し声を震わせた。後ろから見やる御者はニヤリと口角を上げたばかりで、返事は無い。代わりとばかりに馬車が止まった。


「お客さん、すいませんねぇ」


 同じ言葉だ。しかし、先程とは全くもって違った意味に聞こえた。


 私は意味も分からずに客車から降りる。履いている黒のローブーツに土が入り込んできた。

 同じく御者台を降りた男を見詰めるが、男は何も返さない。私の視線は厳しくなり続け、終いには睨む形になっていったが男はどこ吹く風だった。


「何のつもりです?」


 痺れを切らした私の声に返事をしたのは茂みの音だった。明らかに獣のそれではない音の主は狼のように目をギラつかせた男たち。


「うっひょー…マジで上玉じゃないすか!」

「スゲー美人。それにカラダも…」


 隠すことない下衆な視線に眉根が歪む。ナイフを携帯した男に(おのの)き、後ずさって気付いた………背後にも、いや既に囲まれていることに。


「そういうことですか…」

「そういうことですとも」


 客車を背後にしながら呟いた声をしっかりと御者は拾ったらしい。逃げられないと分かったからこそのネタばらしだ。


 以前、「アスアド」のプレイヤーは基本馬車を使わないと言った。それは勿論フィールドレベリングの意味合いもあるが、多くはその理不尽イベント―「盗賊」を面倒がってのものだった。


「お嬢さん、馬車にはねぇ、馬車業に成りすました盗賊も紛れてるもんなんですよ。無警戒が過ぎましたなぁ」


 御者、いや獲物を連れてくる役の男の言葉にどいつもこいつも下卑た顔を呵呵大笑とさせている。噛み締めた奥歯が不快な音を立てた。


「もういっすか?」

「俺らもう我慢できねっすよ」


 崩れているが敬語は敬語。声を掛けられた男は大柄でスキンヘッドの男だった。大きな戦斧を持っている。コイツが所謂「お頭」ってやつだろうか?


「楽しむのは良いが、おかしくなる前に家名だけは聞いとけよ」


 スキンヘッドはそう言って、顔の傷を撫でながらニヤリと嗤った。

 不快感に晒された背筋の震えは全身に行き渡る。が、不思議と恐怖心は無かった。粘り付くような視線がただただ不快だ。


 どの男が最初だったか……一人目が踏み出したのを合図に全員が歩みを寄せてくる。同時に私の中の何かにスイッチが入った………ような気がした。


(あゝ……不快だ)


「近寄るなぁ!」


 無我夢中で何をしたのか自分でも思い出せない。ただ、魔法を使ったのは覚えている。


 まず始めに聞こえたのは轟音だった。続いて鼻を刺す生臭ささ。目に映るは雷光。

 左手から出た閃光は逞しい樹木の幹を抉り飛ばし、鬱蒼とした森に天窓を造った。

 複雑な紫の幾何学模様が虚空に溶けていく。


 雷系攻撃呪文(アサルトスペル)――『ライトニングスピア』。ゲームでもよく使った、高威力魔法だ。


「ま………ほう?」


 気がつけば盗賊たちは皆ひっくり返っていた。幸い…いやこの場合は逆かもしれないが、紫電は盗賊には当たらなかったらしい。もし命中したら、確実に死んでいた。


 スキンヘッドが溢した言葉に仲間たちは目を見開いたままこちらの返事を待っている。御者も同様だ。

 返事は面倒とばかりに再度同じ手を突き出し、今度は水の魔法を用意する。電熱で焼け爛れた樹木を消火するためだ。

 使いなれた水弾は何の問題もなく発動し


――――焼け残った幹を消し飛ばした。


 「ひっ」と、くぐまった男の声がした。………まあ、結果オーライである。


「おま…おまえ、お前……」


 ガチガチと歯を鳴らしながら震える男を情けなく思いながら私は裾を翻した。

 この世界で魔法を使える者はかなり限られる。少なくとも、そこら辺のお嬢様が使えるものではない。一部地域や宗教では、禁忌として疎まれているほどだ。

 男たちも薄々私の正体に気がついているのだろう。認めたくないかのように首を振りながら後ろに這っていく男を尻目に、私は客車に乗った。

 そして自前の鞄から目的物を取り出すと、そのままの足で男たちの前に立つ。


「どうも『夜の魔女』です」


 魔女の帽子を目深にかぶり、なるたけ簡潔にそう言った。男たちにとって求めていなかった言葉で、想定していた言葉であろう。


 腰を抜かした男たちから見た私はどう見えているだろうか。



 それはもうサディスティックな顔をしていたに違いない。







「地図」


 少し屈んで偽御者に手を差し伸べる。無論、助け起こすためではない。

 白魚のごとき指を向けられた男はその身を震え上がらせた。全く情けないと思いながらも、仕方ないことであることも理解している。


 私の正体を知った盗賊団は蜘蛛の子のように散っていった。真っ先に逃げたスキンヘッドの尻を追う男どもは思い出すだけで笑える。

 逃げ遅れた偽御者が地面を這うのを見て、私は声をかけたのだった。


「命だけは………命だけは!」

「だーかーらー、地図を寄越せと言ってるんです!」


 額を地面にすり付け命乞いをする男に思わず声を荒げてしまう。今日は疲れることばかりで、気が立っていた。

 男は体を大きく震わせ、「すいません」と何度も言いながら懐から地図を取り出す。


「何でもしますので…」


 「お金を払うので」とか「何でもします」とか、聞いたことのあるような命乞いを続ける男を尻目に渡された地図を広げる。


(まあ、この状況で偽物渡す胆力はないよね)


 一応地図であることは確認し、折り目通りに戻した。

 視線を下げると、男はどこから出たかも分からない液体で顔面を濡らし、震えながら地面に手を着いている。『夜の魔女』の悪名は余程のものらしい。


(まるで私が悪者みたいだ)







 無事地図をゲットした私はそのまま御者台に乗った。

 もうじき日暮れだ。禿げた樹木から差し込む陽光は次第に角度を鋭くしつつある。日が落ちる前に少しでも進んでおきたい。


(…と、その前に)


 踞る男に目を向けた。思ったより眼光が鋭くなってしまったのだろうか。男はまた、「ひっ」と声を漏らす。

 思わず漏れたため息を隠しもせず、男に告げた。


「命はとりません…」


 一言、その一言を理解するのに男は随分と時間を要したようだ。まるで初対面の時のように時間をかけてから、「へっ?」とだけ呟いた。

 どうも、「夜の魔女」は随分と残虐な性格だと思われているようだ。まあ、事実かもしれないが。

 私のことであり、私のことでないそれに酷く心が荒れた。沸き上がった理不尽な怒りを鎮めるようにわざと静かに告げる。


「しかし、盗賊業からは足を洗うことをお勧めします。お仲間にもそう伝えてください」


 それだけ言って、私は見よう見まねに馬を叩いた。


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