初めての馬車
カルナ村から最も近い町は「港町ポルトゥス」だ。隣の大陸との交易によって栄えた町という設定であり、この大陸の交易の中心地でもあった。
「夜の魔女」に船を破壊され廃れたという設定もあったが、それは今から一年後の話。今は普通に賑わっている。
既に太陽は頂点を過ぎ昼から午後になりつつあるが、町の活気は衰えを知らないらしい。賑わう町の人々は喧喧囂囂と己の買い物に従事している。鮮魚の集まる魚市、豊富な品揃えを誇る八百屋、隣の大陸の小物をも扱う雑貨屋までどの店も商売繁盛といった様子だ。
そんな町の様子を横目に、私は町の外れに向かっていた。ゴーレムは既に解除し、膨れたリュックを引き摺っていく。買い物にでも洒落込みたい気分だったが、人の多さに負けてしまった。
私の目的は馬車だった。行ってみたい町があるのだが、かなり遠い。乗り物に乗って移動するのが吉であろう。
丁度視界に馬車乗り場と御者が映った。人気の少ない林道だ。表の入り口付近は混んでいたのでこちらを使うことにした。
「すいません…馬車の乗り場はここであってますか?」
「………」
返事がない。ただの屍………ではなく。
「おーい」
「…はっ!?
…これは失礼しました。…ええ、あってますとも。お金さえ頂けるなら、メグレスの何処にでもお送りさせて頂きます」
どうも私に見蕩れていたらしい。咥え煙草を落とした男はすぐにいかにもな揉み手を始めた。
馬車はゲームにもあった設定だ。
町から町に移動するにあたりお金がかかる替わりに一瞬で場面移動できる便利機能だったが、ある理由によりほとんどのプレイヤーは徒歩移動を選択していた。
「インベルまで行きたいのですが、送ってくださいますか?」
「い…インベルですか!?」
揉み手を止めた御者の驚き顔が目に映る。
インベルは都市の名前で、メグレス大陸でいうと、ここポルトゥスと丁度反対側にあたる。ゲームでも歩いて20分ほどは掛かる。
「やはり厳しいですよね……失礼しました、他をあたります」
「おお、お待ち下さい!
あまりの遠さに驚いただけでございますとも!」
嘆息した私が振り向くよりも早く御者は声を張った。紐に繋がれた馬が驚いたように鳴く。中年の御者はまたしても品のない顔を作り、こちらに寄ってきた。
「しかしですな、幾分距離が距離なもんでお駄賃が……
その………失礼ですがお手持ちは?」
「そうですね……」
私は引き摺っていたリュックから手を放し、肩掛け状態になったリュックに手を差し込んだ。
これは魔法書ではなく日用品や貴重品を入れたものであり、私が自分で運んでいたものだ。
手で探ると幾ばくも経たずに見つかった。薄紫の巾着を取り出し、中から一粒だけ石を取り出す。
「これでいかがでしょう?」
私が取り出した物は石は石でも宝石だった。
キラキラと七色の輝きを幻視させる透明の宝石。すなわちダイヤモンド。それも大粒のものだ。
「な…なな、なんと!?」
いやらしい商人顔をまたしても崩して寄ってくる。宝石を持つ私の手を掴み、目にいれても痛くないとばかりに見開いた目で宝石を凝視している。
「何と高価な……本物ですかな?」
「何なら鑑定してもらいますか?
この交易都市なら一人くらい鑑定士がいるでしょう」
「ご冗談を…」
これは後で知った話だが、この世界に宝石の贋物を作る技能などないため、鑑定士が行うのは真贋の見極めではなく価値の査定らしい。
そんなことなど露知らず、いい加減うさったくなった私は御者に宝石を渡して手を除けた。
「それで、どうです?」
「ええ、ええ、充分ですとも。
それにしてもお客さん、随分上品な巾着ですね。まさか他にも宝石が?」
御者のねぶるような視線に気持ち悪くなりながらも肯定の意を示した。
「…そうですが?」
「ああ、いや。羨ましいと思っただけですとも。是非うちをご利用ください」
「お荷物お持ちします」と言いながら魔法書の入った鞄を荷台に積む御者。変に焦ったように動く御者に「一つは客車にお願いします」とお願いすると、「いいから早くお乗りください」とだけ返ってきた。
「あー、いけねぇ!
すいませんねぇ、お客さん。ちょっと用足しの間待っててください。すぐ戻りますんで」
「ええ、分かりました」
宝石の入った懐を押さえながら走っていく御者は随分楽しそうである。だが、中年のスキップは気持ち悪かった。
◆
「それじゃあお客さん。出発しますよ」
「はーい」
客車に持ち込んだ魔法書を広げながら適当に返す。海と森林の匂いが心地好く、粗悪な座席が異世界情緒を際立たせていた。
(…悪くないかも)
空模様はよく、雨は降りそうにない。馬の鳴き声と揺れる客車、聞き馴染みのない馬車の音に年甲斐もなくわくわくしていた。