ヴェヌメアという女
「ヴェヌ……メア?」
ヴェヌメア、とは「アスアド」の中盤に出てくるボスの名前だ。黒く長い髪、高い背丈、グラマラスなボディで絶世の美女として描かれていた。「花の館」という建物型ダンジョンの主で、ゲーム内では「夜の魔女」と呼ばれている。
ヴェヌメアという名前は「花の館」の寝室ルームのドレッサー(つまりここ)に彫られていた『Venuemare』という文字からファンが付けたものだ。
ファン間では「ヴェヌメア御姉様」とか「KSW」などと呼ばれていた。
「てことは…もしかして」
ベッド脇の本棚の本の配列を弄ると、派手な音と共に本棚がスライドする。
(うわぁ、なっつかしぃー)
「アスアド」ではこのギミックは錬金装備『ランチャーソード』を使って本棚ごと破壊するのがセオリーだった。
しかし、生で見るとなかなか壮観だ。少年心を擽られる。壊すなんてとんでもない。
本棚のあった場所から埃臭い部屋に入ると、暗がりの中でもよく目立つ一振りの剣があった。黒塗りの刀身に赤い線が脈動する不気味なデザイン。
「うわぁ、本物の『魔女殺し』だぁ」
思わず喜色にまみれた声が出る。それほど、ファンとしては嬉しいことだった。
そう、ファンとしては。
『魔女殺し』はその名の通り魔女特効武器である。つまり、私を簡単に殺せる武器だ。
(まあでも『魔女殺し』は「花の館」でしか手に入らない錬金不能武器だし…逆に良かったのかな?)
ヴェヌメア―つまり「私」はゲーム内では最悪の初見殺しボスだった。
「花の館」ダンジョンの中盤にさも中ボスですみたいな雰囲気で出て来て、いきなり戦闘が始まるのだ。
しかも質が悪いことにこのヴェヌメア、異常に強い。『魔女殺し』を用いなければまず勝てない。そのうえ件の『魔女殺し』はダンジョン最奥にあるのだ。ならなんで中盤の部屋にいたんだよヴェヌメア御姉様。
「私もやったなー『魔女殺し』禁止縛り。魔王より強いんだもんなー、ヴェヌメア御姉様」
そんな昔を懐かしめるほど私は落ち着いてきていた。
(あれ、いや待てよ………私がボスってことは…)
「私、死ぬの?」
………………。
そんな当たり前の結論を受け入れるのに数秒を要した。途端、トラックに撥ね飛ばされた光景が脳裏を巡る。
ぐしゃぐしゃになった脳内、流れ出る冷や汗、乱れた呼吸が動揺を示していた。
(嫌だ………死にたくない)
誰でも持ちうるその感情を今、私こそが世界一理解している自信があった。巡る恐怖心から逃れたいとばかり考える。
「こんな屋敷、出てってやる…」
噛み締めた言葉に浮かれ気分など消し飛んでいった。