不敬虔な嘘
「……あれ」
いつの間にか途切れていた意識がいつの間にか戻ると、暖かい布団の中だった。
白く質素で清潔なシーツと、同じく真っ白な掛け布団。私の物ではない。
外は真っ暗だが、正確な時間は分からない。もしかしたら真っ昼間の可能性もある。
(ここは教会だ)
教会?
ああ…そういえば、行くべき場所がなかったから教会を頼ったのだった。
倒れてはしまったが、教会には付いていたらしい。
鳥の巣になっている髪に手櫛を入れていると、部屋の戸が優しく三度鳴らされた。
私のために鳴らしていることは分かっていたが、自分の部屋でもないのに返事をするのに一瞬躊躇ってしまう。
その隙に、扉は開かれた。
「あっ、目が覚めたんですね。失礼しました」
入ってきたのは美しい金色の髪をストレートに流した見目麗しい女性だった。
部屋着に身を包み、左手には燭台を持っている。
確か、マリアという名前の女性だ。ルルドさんが度々話題に出していたから覚えていた。
「マリアさん…ですよね?」
「はい。覚えてくれていて嬉しいです。もう数年経つのに良く覚えていますね。人間の体感する時間は年が若いほど長いと聞きますから、キアリスさんにとっては随分昔のことではありませんか? あっ、そもそもキアリスさんで合ってますか? もし違ったら申し訳ありません」
「……はい、キアリスです」
ルルドさんが、マリアさんは言葉数が多く、話しながら近付いてくる癖があると言っていた。
独特で面白い癖だなと思っていたがとんでもない。
正直に言うと、ちょっと怖かった。
(………怖いな)
珍しくエニグマと気が合った。
その双眸はあまりに純粋で、近距離から見られると心の奥底まで覗かれるようだ。
ルルドさんが容姿を絶賛していたのも頷ける。
美しいだけじゃない、内面の美しさまで滲み出ているような美しさだ。
「色々と聞きたいことのがあるのですが、まずは体調のことを。熱は下がっていましたが、倦怠感や頭痛、悪寒などは大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫そうです」
「それは良かった。それで、どうしてキアリスさんはここにお一人で? それとも皆さんも来ているのですか? それなら是非ルルドさんとお会いしたいです。ルルドさんがインベルを発ってから少しの間は文通していたのですが、今はもうめっきりなので」
「あっ…その……ここには一人で…」
「そうでしたか。なら何故ここに? そもそも何故お一人なのですか? ルルドさんと他の四人は今何処にいらっしゃるのですか?」
「あっ…う、あ……」
面倒臭い。
質問に質問を重ねられるから、どれから捌けば良いか分からない。
そんな質問攻めにあっていた私に救いの手が差しのべられた。
既に開いていた戸が再び三度鳴る。
「キアリスは目が覚めたばかりだ。そう捲し立てては可哀想ではないか」
「あっ…すいません神父さん」
「私に謝られてもね。それより、入っても良いかな?」
神父さんは雨のように言葉を降らせるマリアさんを御するその間、ずっとこちらに背を向けていた。
許可なく女性の部屋を見ないようにしているのだろう。
紳士……この場合は敬虔というのだろうか?
(敬虔な神父だったとしてもここまで細やかな気遣いはそう出来ない。紳士で合っているだろう)
…エニグマに諭されるのは納得がいかないが、そういうことにしておこう。
「あの、神父さん。助けていただき有り難うございました」
「当たり前のことをしたまでだから、寝ていなさい」
そう言いながら神父さんはベッドサイドテーブルにココアを置いた。
インベルは物価がかなり高い。ココアはかなり高いものだ。
しかし、今さら要らないと言っても仕方ないので有り難く飲ませてもらった。
「暖まったかな? 太陽の加護が消え、気温は下がる一方だ。体はなるべく冷やさないようにしなさい」
「はい…ありがとうございます」
「私はジェフ=ロール、この教会を切り盛りしている神父だ。いきなりだけど、キアリスのこれまでのことを覚えている範囲、話せる範囲で良いから教えてくれるかな?」
私は自然と首を縦に振った。
マリアさんと対比するようで悪いが、ジェフさんには話したくなる雰囲気がある。或いは、そういう話術なのかもしれない。
(話術とはまた不敬虔な表現だな)
確かに。それでは詐欺師のようだ。
「キアリス?」
「あ、すみません……といっても私も良く覚えていないのですが…」
そこでやっと気が付いた。本当のことを言う訳にはいかないということに。
教会に魔女の話題はタブーだ。当然魔法も。
転移魔法がどうこうという説明は出来ないので、どうにか嘘を吐かねばならない。
必死に頭を回転させて、矛盾のない嘘を作り上げる。
「私達はアプリコスで暮らしていたんです。それで、ルルドさんが買い物に行こうとしたときに空がああなって…」
「可哀想に。混乱しただろう」
「はい……でもそこからは良く覚えていないんです。気が付いたらインベルで倒れていて」
矛盾はない…はずだ。
神父であるジェフさんに嘘を吐くのは胸が痛んだ。
しかし自分を…何よりルルドさんを守るためだから仕方がない。
「それでこの教会を頼って来た、と…」
「はい…」
「なるほど。良く分かったよ」
要領を得ない私の言葉にもジェフさんは満足とばかりに頷いてくれた。
「さて、キアリスの体は雨でとても冷えていた。風邪がぶり返してもいけない。今日は布団でゆっくり暖まっていなさい」
「そんな…私は元気です…」
「ルルドさんのことは私の方でも探しておくから安心しなさい」
それも気にはなっていた。
しかしそれだけのことを言っている訳ではない。
「せめて何かお手伝いをさせてください。家事は一通りなんでも出来るので」
「……」
立ち上がろうとする私の肩を押さえて、ジェフさんは優しい笑顔で言った。
「ならばそれは明日からにしてほしい。今日はゆっくり休むんだ」
私も頑固だが、ジェフさんもなかなかなようだ。
結局私はお言葉に甘えて床に着いた。