黒い太陽
「では、ちょっと適当な街に行ってきます。手紙を出すだけなので一刻程度で帰ってくるので留守番お願いしますね」
「はい」
昼下がり、時刻で言えばだいたい一時辺りだろうか。
私は徹夜で仕上げた手紙を携えて、キアリスに言った。その手には『祝福の胚』が握られている。
ちなみに、ロベルトは『魔女殺し』を腰に佩びるために部屋へ戻り、アイリはダイニングルームの机で研究記録を熱心に呼んでいる。ニールは『覇竜の瞳』を片手に庭で魔法の練習をしていて、フィーはどっかに行った。
「……忙しないですね」
親が死んでも食休みという言葉を知らないのだろうか。
食べたら休む。
それが出来るほどは落ち着いていないのだろう。
その活力は羨ましい。
「じゃあキアリス、貴女も色々大変かもしれませんが、皆のこと頼みましたよ」
「はい。任せてください」
まあ別に、全員幼い子供というわけではないのだ。
先日のようなことはあくまで例外だ。
とはいえ、例外を経験してしまったからこそ心配になっているのだが。
「ルルドさん!」
「……はぁ」
大きな声を出したのは庭にいたニールだった。窓枠に手をかけて私を呼んでいる。
忙しないなぁ、と思う。
しかしまあ無視をすることも出来ないため、歩いて近寄る。
「どうしました?」
「空が、空が…」
「空?」
窓から身を乗り出して空を見上げると、そこにはなんの変哲もない夜空が広がっていた。
月はないが、心惹かれる星空が広がっている。
「…ん? 夜空?」
今は昼過ぎだ。頭上には太陽があるべきである。しかし現在、空には天を照らす太陽は愚か群青すら見えない。
これは明らかに異常状態だ。
「さっきまで普通だったのに、いきなり夜になって…」
「いえ、日が落ちたんじゃありません…日が食われたのです」
昼の夜空には殊更暗い部分があった。
本来太陽があるべき場所に、黒い丸が浮かんでいる。それはまるで、黒く塗りつぶされた太陽のように。
それには見覚えがあった。
多くのゲームプレイヤーにトラウマを植え付けたレイドボス。
百人単位でレイドしても五分五分とまで言われた最強モンスター。
「幻想種、日蝕み」
日を食べて現れるという設定のモンスター。倒すまで絶対に日は昇らず、ワールドマップが常に夜バージョンになる。
「魔王よりも強い化け物がなんでもう…」
ゲームでは、ストーリーを全部クリアしないとオンラインモードは解放されなかった。
故に幻想種は魔王が倒されるまでは現れない……そう思っていたのだが、見通しが甘かったらしい。
「いや、そんなことより逃げなくては…」
「逃げるってどうしてですか?」
「あの黒い太陽が見えるでしょう。あれが見えるということは“本体”が近くにいるということです。つまりここは、戦闘区域になっている…」
「せ、戦闘…? 前の巨人みたいなことですか?」
「あの程度では済まないかもしれませんがね。ロベルト達を連れてきてください。転移魔法でウンディーナまで飛びます!」
私の鬼気迫った様子に並々ならぬ気配を感じたのだろう。ニールとキアリスはそれ以上何も問わずに他の三人を探しに行く。
それを見送った私は、発動に時間のかかる転移魔法の準備を始めた。
「連れてきました!」
「ひっぱんなよニール。どうしたんだよいきな…えっ、夜!?」
「説明は後でしますから、全員魔法陣に!」
ニールとキアリスがロベルトとアイリの手を引いて来る。
「…フィーは?」
「どこにいるのか分からなくて…」
「あーもう、馬鹿みたいに広い館に住みやがって……魔法を破棄することになりますが、私が探しにいきます」
「いや、俺が探してくるよ」
言うが早いがロベルトが目にも止まらぬ速度で駆け出した。
「ルルドさん!」
「なんですか?」
袖を引かれてキアリスに目を向けると、キアリスの目は空を向いていた。
「た…太陽が…」
「太陽?」
見上げると、黒い太陽が脈動していた。
周りの黒を吸い込むように、力を溜め込むように脈動する。
それはゲームの攻略サイトで見たことのある予備動作だった。
「スキル攻撃……マズい、思ったより早い」
スキル『幻日光』
一定周期で黒い波動を放つ攻撃スキルだ。
超広範囲、防御不能、障害物透過と三拍子揃った鬼畜スキルで、範囲内に居ればどう頑張っても必ず当たる。
当たれば混乱状態にされ、耐性が低いと狂乱状態にされる。
「……ろー君!」
そのタイミングで、ロベルトが館から出てきた。その腕はフィーを抱き抱えている。
「急いで!」
「分かったって!」
ロベルトが陣の中に入ったのを確認し、魔法を起動する。
それとまったくの同時に日蝕みが一際大きく膨れ上がった。そして、眩いばかりの黒い光を解き放つ。
私の魔法と日蝕みの攻撃、どちらが早いか。
結論から言って、日蝕みの攻撃の方がタッチの差で早かった。
しかし、魔法事態は無事に発動した。
……いや、“無事に”というのは間違いだ。
転移魔法は非常に繊細な魔法である。
それを混乱状態で使えばどうなるか……それはもう、想像すらつかない。
私が混乱によって意識混濁から復帰すると、私の傍らには誰もいなかった。