(12)
「聞いたよ、あいつらに袋にされたって?」
苦笑する結美とは今、駅前の広場でベンチに腰掛けている。あいつらという言葉の端に、親しみと言うべきか、少々馬鹿にしたような馴れ馴れしさを感じた。
「何だ、知ってるのか、ヤツら」
結美は鼻で笑った。
「前から付き合いあるけどね。しつこいからしばらく連絡取ってない。まあ、あいつら、女に飢えてるから。ちょうどよかったんだろ」
ふうん、と言って考えた。俺は初瀬川と仲良くなったが、俺と彼らの人間を決定的に分けるものはやはりよく分からない。
「まあ、あいつら、別に俺とそう変わるもんでもないよ」
「そう思うの、ふうん」
結美はおかしそうに笑った。
「変わったね。浩樹は変わってないのに、全然違うように見える」
「結美も違って見えるな。軽いヤツに見えたのに、割と真面目だったんだって分かった」
また鼻で笑う。
「私が? そう見える」
そう言った彼女は息をついて上を向いた。陰りのない青空が開けている。
「あたしって、人間に対して本気になれないわけだけどさ、でも、嫌いにもなれないんだよね。みんなそこそこ幸せでいられたらいいって、そう思うんだよ」
俺は笑いかけた。今はもう、悪意が向けられていなければ、誰にだって本当の笑い顔を見せられる。
「なるさ、みんなそこそこに幸せに。善人であろうとして、よいものを求めていれば。あれだけ壊れてた俺だってなれたんだ。結美だって」
俺の方を見て真顔で目を見開いた結美に、何、と笑ったまま言う。結美は困ったようにうつむいた。
「何だよ、幸せになりやがってさ。あーあ、あのときの私の言葉を真に受けてくれたら、私とあんたも今のあんたたちのようになれたのかね」
「本気で言ってくれたらなったかもな。本気じゃなかったろ?」
結美は悔しそうに言った。
「半分本気だったさ。でも、本気になれないってさっき言ったね。そう、感情はあっても、考えははっきりしてないんだ。……浩樹はあいつとのこと、考えてるの?」
顔を上げて尋ねた彼女の横顔は、初めて見せる輝きを湛えていた。
「……本気で考えてるさ。感情だけではどうにもならない。感情がなくてもどうしようもない。だから思考と感情を込めて願うし、その実現のためにみんな行動するんだろ?」
「そう……そうだね」
結美の目には力がこもっていた。
「感情に思考が伴っていれば、結美なら大丈夫だよ」
「振った女にそういうこと言うか。なかなか卑怯だね」
舌打ちして見せた彼女は、しかし直後、笑っていた。
「まあ、いいさ。仲良くしなよ。付き合ってたってちょくちょく遊んでもらうから。デートを冷やかしついでに、ちゃんとやっているか、確認しに行くよ」
今の結美はちゃんと笑って見える。きっと俺も、もう形だけの笑い顔なんて、作らないだろう。
地味な水月だったが、しゃれっ気は人一倍あるようで、デートのたびに頑張っておしゃれしてくる。彼氏としてはそれだけで嬉しく、自慢したくなる。
傷が癒えた俺は、彼女を頻繁にデートに誘った。真面目な彼女は三回目のデート場所に自宅を選ぼうとし、俺を閉口させたが、結局一月後には、俺は彼女宅に上がっていた。
おじさんもおばさんも控えめで水月によく似ていた。おばさんは顔つきも彼女にそっくりだった。几帳面に新聞を折りたたむおじさんの仕草も確かに水月っぽい。
俺はふたりにもいい印象を持ったが、しかし、未だにおじさんと話すときは緊張する。どう思われているかとても気になるが、あまり目の前で聞きたくない。
水月にふたりのなれそめを聞いてみた。
「ひとりで絵を描いていたお母さんの側で、ずっと見つめていたみたい、お父さん」
「それは何と言うか、デジャブ……いや、だが俺は……」
「浩樹くんと出会ったとき、お母さんに話したら、お父さんじゃないかって言われたよ」
時は流れ続けるが、時代は回るし、運命も繰り返すらしい。
水月は置いて行ってしまった友人の家にも、お墓にも行けたようだ。
傷は完全には癒えないけれども、そういう行動は大事だろう。
俺も母親との溝は埋めきれないが、だいぶ距離は縮まった。
考えてみれば、俺たちは初めから傷を舐め合っていたのだ。周りからは馬鹿にされるような、はぐれ者同士惹かれあっているのかもしれない。
だが、それでもいい。傷を負ったものにしか分からないだろうが、傷ついたときに誰かがいてくれるのは、癒すのに必要な時間も、苦労も、だいぶ軽減されるのだ。
ふたり立ち直って、そして前に向かって歩いて行く。なんと建設的で素晴らしいことじゃないか。
俺も水月も明るくなった。その明るさが障壁を取り払ったのか、少しずつ近寄ってくる人も出て来ている。
俺はひとりではなかった。彼女がいる。親もいる。そして、周りの人間も。
ひとりを好まず、何ものも大切にすれば、きっと孤独は自ら去って行くのだろう。