マフィンの不思議で不可思議な物語 始まりの声
ようこそ、不思議で不可思議な世界へ。
素敵な出会いがきっと君を待ってる。
マフィンの不思議で不可思議な物語
キョナ
目を覚ますと、そこには神大な大地が広がっていた。人間界では見ることが出来ない、きっと存在もしないような美しすぎる大地だ。
人間は自分よりも偉大すぎるものを見ると言葉を失うらしい。今まさに僕はそんな状況だった。水は清きエメラルドブルー色に染まり、森は立派な濃い緑色に描かれている。それ自体が生き物のように命を帯びていた。
葉っぱ達は各々で鬼ごっこをしており、昆虫達はマラソンをしていた。
でも、それらはこの世界では自然であり決して矛盾、もしくは異常ではない。
そしてこの世界こそがマカロンというたった一人の普通な少女が作成した、
不思議で不可思議な世界なのだ。
「お気に召してくれたかな?」
僕の横に立つ少女は僕に笑顔をむけながら尋ねるように言う。
余りの衝撃に声がでない。返事ができない。
でも無言の僕を彼女は肯定と取ったらしく嬉しそうに微笑んだ。
「私の名はマフィン。私は勿論だけどこの世界も君の来場を心から待っていたんだよ」
この美しすぎる背景も僕をまっていたのだろうか。いや、そんなはずが無いと内心納得するが彼女の瞳から真実の思いが伝わり僕は唖然とする。
そして偉大な快晴の大空の下、彼女は僕の右手を両手でにぎりしめた。
僕の視線と彼女の視線が交差する。そこで僕はゆっくりと唾を飲み込んだ。
「いくら過去の世界が君を拒絶しても、この世界は誰も君を侮辱したりしないから。きっと素敵な出会いが君にも出来るよ」
彼女は続ける。
「ようこそ。不思議で不可思議な物語へ。この物語は昆虫である蝶々の私と人間の君との出会いの物語だから。きっとこの物語の主人公は君だよ。この世界は不思議と不可思議に満ちているけど、きっと住みにくい場所じゃないよ」
彼女は自ら自分のヘアバンドを外し頭部を露出する。常にヘアバンドをつけてるらしく、付けている部分が日光に当たらず変色していた。が、それよりもやはり強い衝撃をもたらしたのは長い折り畳まれた触角だった。解放された触角はまるで自由に会え、空を求めるように青空に向かって伸びていた。
そして彼女は僕から手を離し、手を後ろに組んで恥ずかしそうに笑った。
僕はその笑顔に見惚れてしまった。銀河のように美しい花のような笑顔に。
「君に一握りの幸せと溢れんばかりの不可思議を。」
僕はその声を聞いて深く脱力した。
それからこの世界に住み始めて少し経ち、僕はこの世界の現実と違う部分を沢山見つけた。
まずこの不思議で不可思議な世界に夜という世界は存在しない。ずっと昼で、眠くなったらそのまま寝るのだ。昼であろうといつであろうとこの世界では眠気が襲ってくる。
だから、きっとマフィンは夜空に映るあの美しいプラネタリウムを見たことが無いのだろう。
彼女にもし見せることが出来たらどれほどいい事だろう。きっと彼女の事だから大袈裟に驚いてくれるに違いない。
少しあざとい気もするけど、それが彼女自身ならば、僕はそれに心を込めるだけだった。
僕の部屋は十二畳一間なのだが、箪笥もないしソファーもないから酷く殺風景なのだ。残りのお金も確実に減って来ているため、そろそろバイトも始めなければならない。
取り合えず自分の部屋をもっと落ち着く部屋にするために、僕は取り合えずベットを布団に変えようと決意した。ベットは比較的高く買って貰えるので、それでもかなりお金を稼ぐことが出来るだろう。
そんなとき、部屋のインターホンが一回小さな音でなった。どうせマフィンだろうと思って遠目から返事をする。
「はい」
返事はない。どうしたのだろう?と思いながら僕がドアを開けるとそこには見たことのない一人の少女が立っていた。両手には紙袋のような掛けられている。
「ええ…と君は?」
「私は…」
少女の言葉は続かない。このマンションの住人の一人だろうか。
僕は取り敢えずその娘を家に招き入れ、マフィンに電話をかけた。いつもはコール数回で返答を返すのに、今日は全然出ない。なぜこの子は肝心な時に役にたたないのだろうか。
「あの…」
ようやく彼女は声を発する。僕はその声をを逃さないように耳を傾けた。
「新しい住人さんですよね」
「え、ええ。新しく住ませて頂いてます。あなたは?」
「わ、私はこの階のオーナーの未豆嬉と言います」
「ミズキさんですか。よろしくお願いします」
彼女は小さなバックから大きな大きな箪笥を取り出した。一瞬幻かなと目を疑ったが、これを現実と化すのがこの世界なのだろう。まだやっぱり慣れない。
「これを渡しに来たの」
彼女の前には大きな大きな箪笥。僕にくれるのだろうか。
「くれるの?」
「ルームサービスの一つ。他に何か欲しいものはあるかな?」
どうやらこの箪笥はこのマンションのルームサービスらしい。随分と気前のいいものだ。
「では冷蔵庫を頂けると光栄です」
「れ、れいぞうこ?なんですかそれは」
え?冷蔵庫って存在しないのだろうか?
「知りませんか?物を腐らせないように保管する物なのですが」
「ク、クサラセナイ、ですか?えっと。箪笥ではなくて?」
駄目だ。全く伝わってない。
「そういえばこの世界では物は腐らないんでしたっけ?」
「え。あ、そうなんですよ!クサラナイんです。この世界では!」
必死に知ったかをする彼女に心を凄く痛めながら僕は話題を変更する。
「ところでミズキさん、ここにきた用事はそれだけですか?」
「あ、そうでしたね。あと私はミズキと呼び捨てで構いませんよ」
正直名字を教えて欲しい。
「では遠慮なくミズキ。で、本当の用事は何ですか?」
「三日後、私の部屋でパーティーを開く予定なんです」
「何のです?」
「そりゃあ君の在住許可だよ」
在住許可?在住出来ない場合もあるということだろうか。
「マカロンさんは在住を許可しない場合もあるんですか?」
「滅多にないよ。まずこの世界に到着したことが奇跡なんだから」
「もし許可されなければどうなるんですか?」
「現世に送り返されるよ」
送り返す?
「あとこの世界で罪を犯してもね。帰りたい?君は」
そんなに簡単に現世に帰れるということか。なら僕の想像通りこの世界に住む人々は皆この世界に満足しているとなる。
「いえ、もう二度と帰りたくありません」
それは本当だ。僕はマフィンに会った時、心から彼女を救世主、もしくは女神と思ってしまった。それと同時にか彼女なら僕を助けてくれると。今性格を知ってしまったので過去の僕は確実なバカであったと断定できるが、彼女にここに連れて来られる迄は僕はあの時の世界を憎み狂っていた。だからそんなときに僕はあの薬を飲んだのだ。
キボロメンチゼン4975
流石にマフィンの話にその薬が出てきた時は驚いた。彼女もその薬によってこの世界に来たのなら、きっとこの世界の在住者は皆かつて…
「どうかしましたか?」
パッと僕は顔をあげた。どうやら僕は悩みこんでしまっていたらしい。
「なんでもありませんよ」
「そう、来てくれるかしら?パーティー」
一体何のパーティーなのかまだわかっていない。
「分かりました。行きましょう」
「嬉しい。あと私達を含めてこの階には計7人住んでいるんだよ、」
「七人もですか、会ったことないです」
「おかしいなあ。一人ぐらい会っててもおかしくないと思うんだけど」
そういって彼女は自分の頬に手をあてた。
「ところでそのパーティーには皆さんは来る予定なのかな?」
僕の質問に彼女はゆっくりとこたえていった。
「そうだね…6人は確定なんだけど他の一人はどうなのか分からないなあ」
「じゃあマフィンは来るんですか?」
「まあこのパーティーの創始者はマフィンちゃんだしね」
初耳だ。
「あいつ、そんなこと企んでたんですか」
「企んでるって……もっといい言い方は無いの?少しでも君になじんでもらいたいという彼女の良心から出来たというのに」
「ならいいんですが」
本当に裏がなければいいのにと思う。するとびっくり噂をすれば影。僕のドアは急に規則的なノックの音を鳴らしはじめた。
「マフィンちゃんかな?」
「ええ、きっと」
僕はそう言ってミズキを置いてとびらの鍵を開けにいった。するとそこには想像通り彼女の姿があった。
「誰かいるの」
凍えるような声だ。何故だろう。何か悪いことをしただろうか。
「いや、あの。」
「入るよ」
彼女は僕を押し退けて中に入って行く。彼女は今日何故こんなに機嫌がわるいのだろうか?
「わあっマフィンちゃんだ」
ミズキが部屋の中からマフィンを見て手を振る。マフィンは一瞬ぽかんとした様子だったがすぐにミズキに納得したように笑って見せた。
「どうしてミズキちゃんがここに?」
僕はマフィンに同じ質問を返してやりたい。
「パーティーの件を伝えに来たんだよ。マフィンちゃん言ってたでしょ?」
「え、あれ採用するの?」
「ええ!?しないつもりだったの?私の今までの努力は一体…?」
ミズキはわざと大袈裟に頭を抱える。早く帰ってほしい。
「とりあえず採用は出来たの?したよー、皆来るかは分からないけど」
「ミズキちゃんが裸エプロンで参加したら沢山くるんじゃないかな?」
「ええ!?やだよー!」
「ジョークだよジョーク」
一体何のジョークなのだろう。見た感じ目が結構ガチだった気がする。
「まあ長居は悪いし用件も伝えたし私はそろそろ帰ろうかな」
ミズキはゆっくり立ち上がり、体を伸ばした。ついつい視線が豊満な胸部に移ってしまうが、後ろから昆虫少女がレーザー光線の如く鋭い視線を送り付けてくるので僕は背筋を伸ばして目をそらす術しか出来なかった。多分背中のシャツは汗でベトベトだと思う。
「私は来たばっかだからまだいてもいいよね?」
「あ、いえ、帰ってください」
「はて何と?」
「どうぞお好きに」
マフィンはまるで宜しいとでも言うように胸を張る。ミズキと事異なり正直何も膨らむこともなく洗濯板のようだから逆に視線の行き場所に困ってしまう。そこでミズキはまたねと言って去っていった。ひとまず難が去ったと安心していると何故かそれを機会にマフィンの表情が崩れて行った。そして悲しそうに僕に話しかける。
「君、ミズキとももう会ったんだね」
「はい」
「どんどんと慣れてきてるんだね」
彼女は少し淋しそうに笑った。
「どうかした?」
「君もいつかはこの世界に快感を覚えるんだろうなあって思ってさ」
「それは駄目なことなのかな?」
「駄目じゃないんだけど…」
何だろう。今日の彼女はすごく含みのある話し方をする。
「君がそうなればそうなるほどどうしてか少し淋しくなっちゃうんだ」
「…」
「少しでも君の側にいたいのに。なんだか君が他の皆と仲良くなればなるほど私はすごく昔みたいな大きな寂しさに打ちのめされるんだよ」
彼女は下を向いて力無く笑ってみせた。
「わたし。君が他の人に取られてしまいそうで今は少し淋しいんだ」
「そうですか…」
「この世界には君以外にも沢山友達はいるんだけど、君を失ったらどうしてか昔みたいに戻ってしまいそうなんだ」
彼女はすごく淋しそうだった。こんな顔はもう見たくない。彼女にはずっと幸せでいてほしい。そして、ずっと笑顔でいてほしい。
彼女はそこで舌を出して笑った。
「こんなのただの醜い独占欲だよね。ゴメンね、私って本心はこんなにも醜い存在だったんだよ。…嫌われちゃったかな…?」
彼女は僕を求めている。僕が彼女の物となれば全てが合点がいく。彼女ももう悲しむ必要なんて無くなるのだ。そしてそれは僕の…
「マフィン」
「え?」
僕は少しうろたえる彼女を自分の胸に抱き寄せた。彼女は僕の胸の中で顔を真っ赤にして小さな悲鳴を上げた。
「…ど、どうしたの」
「もう何処にも行くな」
彼女の独占欲を余裕で上回る独占欲を僕は持っている。誰よりもこの世界よりも僕は彼女を求めている。どんな矛盾もこの事実をひっくり返すことは出来ないだろう。
何故ならこれは醜く汚い、だが僕にとって太陽のように眩しい
初恋なのだから。
「もう淋しい思いなんて二度としなくていい。僕がマフィンの愛の欠如を溢れる思いで埋めてやる」
「君は…」
マフィンは僕の胸元から上目づかいで僕をみつめた。その目は涙で潤んでいる。
「淋しくないの?」
「淋しくないさ。僕の過去はこんな世界とは比較することさえ許されないほどの酷いものだったからね」
僕は彼女を強く抱きしめた。彼女は恍惚な表情を浮かべて僕の胸に顔を埋めてきた。
人間と昆虫。これは禁断の恋になるだろう。
でも僕は思う。
愛にリミットなんて物は存在しないに違いないと。
彼女を欲しかった。一目見た時から、彼女が僕を救ってくれた時からずっとずっとそう思っていた。
僕は幼い頃、サンタにも誕生日にもどんな祝い事にも僕は何も求めなかった。何も必要なかった。何も欲しくなかった。
でも僕はその度に少し寂しい思いをした。僕にはそのころ欲望という感情は存在しなかったのだ。
でも今なら胸を張って言える。
僕は彼女を求めている。
彼女の全てを。肉体を、心を、夢を、感情を、髪の毛の一本一本まで抜けなく僕は欲しいのだ。
僕の胸の中で彼女は小刻みに震えた。僕は何も言わず彼女を抱く力を強くした。今は彼女を尊重しよう。
すると、彼女は一言僕に向かって発した。僕はその言葉に目を見開く。
「君の鼓動が…聞こえる。私と君は繋がってる」
我慢出来なかった。彼女を自分の物にしなければたまらないという醜い願望がそれを制御しようとする感情を粉々に粉砕する。僕は彼女の両肩を持って自分の前に突き出した。彼女はびっくりしたように瞬きをぱちぱちとしている。
「もう少し君の胸の中にいたかった」
彼女の後悔の声ももう僕には聞こえない。全ての感情はシャットダウンしたが、ただ欲望という感情が僕から溢れるように出て来た。
何も聞こえない。何も視界には入らない。
ただただ僕の空白の視界の中に映る後ろ姿の青年が僕に向かって「後悔はもうしないな」と尋ねてきた。
僕は「当たり前だ」と返す。
すると、少し満足そうに彼は笑った。
「そうか」と返事が来る。
彼が誰かなんて分からない。でもこれはこの不思議で不可思議な世界で僕にとって最も大切なもののように感じた。
そして僕はその声に確かな聞き覚えがあった。必ずこの声はかつてどこかで聞いた事がある。
何処で聞いただろうか。
部屋でもショッピングモールでも。どこでも僕は何時でも聞いている声だった。
なぜならその声は僕のものなのだから。
僕自身が僕に向けて最後の確認をしてきたのだ。
信じがたいが全てを覆すことができるこの世界ではそんなことは日常茶飯事に違いないだろう。
「僕はもう後悔なんてしない。前回の命のように」と僕は心のなかで呟いた。
するともう一人の僕は静かに笑った。「おめでとう」と掠れた声で言っているのが確認できた。
そして今僕は彼女と対面している。
彼女は恥ずかしそうにしているが決して僕の腕を振りほどこうとはしてこない。
僕は唾を飲んだ。
「私は何処にも行かないよ。その約束を守るか破るかは君の肩に乗っかってるんじゃないのかな」
「そんなことないさ、君もだってそうだろう」
「私は一途だからね。君は先に他界したりしないでよ?」
僕は軽く笑った。
「しないよ、少なくとも僕が君を愛してる間はね」
「…え?」
僕は微笑んで倒れるように彼女に近づいた。もう一人の僕はもう側にはいない。この部屋にいるのは僕と僕の恋する彼女だけなのだ。
――――そこで僕は強引に彼女の唇を奪った。
マフィンは次の日の朝自分の部屋のベットに仰向きに寝そべっていた。そして昨日の出来事を思い出す。
「しないよ、少なくとも僕が君を愛してる間はね」
「んんーーーーッッ!!」
思い返しただけで頬が緩む。彼の唇の感触は一夜過ぎた今でも思い出すことができた。
まさか彼が自分の事を好いてるなんて知らなかった。私が今までいくら視線を送っても彼は何とも言えないような表情をしていたからだ。それどころか私は嫌われているのではないかと自負していた。
でもそんなことは馬鹿な事だった。
彼は自分を好いてるのだ。何も迷うことはない。これからは私は彼の彼女なのだ。
「もう何処にも行くな」
「もう淋しい思いなんて二度としなくていい。僕がマフィンの愛の欠如を溢れる思いで埋めてやる」
駄目だ。表情の制御が出来ない。他者から見て私はすごくだらし無い表情をした女に見えるのだろう。でもそんなのどうだっていいことだ。
ただ彼が私を愛してくれるなら。
彼は人間で私は昆虫だけど、きっとこの愛には限界がないだろう。
禁断の恋なのは分かっている。でもそれを止めなければならないという法律はどこにもないのだ。ましてや、この世界には限界はないのだから。
近頃、マフィンちゃんに結婚の許可を得て来よう。彼が私に欲求不満になった時に許可をとってないと困るからだ。少し話がいきすぎだろうか?
でもそういえばマカロンちゃんはかつて言っていた気がする。
無変化高知脳型と完全変態究極型は結婚は出来ても子供は出来ないと。
…。
そうなのかもしれない。
確かに私には一度もその前置きとなる女の子固有のイベントが来ていない。
今度マカロンちゃんに聞いて見よう。うん、それがいい。
そう思いながらまた寝返りをうっていると、在住カードが音を上げた。どうやら誰かから連絡がきたらしい。
「誰だろ」
私は身体を起こさず手を伸ばし、カードを引っ張ってきた。するとそこには彼の名が。
「嘘」
付き合い始めてから記念すべき一度目の連絡だった。私は起き上がりどきどきしながらメールという名の手紙を表示する。
そこには小さなデートの誘いの連絡が書かれていた。
「んんーーーーーーーーッッ!!」
枕に顔を押し付けて感嘆の大声をあげるのを防ぐ。大声をあげたら隣の彼に聞こえてしまうかもしれないからだった。
場所はマカロンちゃんが開いた久しぶりの夏祭り。今日の午後6時から11時までだった。そのうち彼は花火が飛ばされる10時を含む8時から11時を勧めてくれていた。
断る理由なんてない。まず何が起きても断らないつもりだった。もし急にこの世界が消えたりしたら話は別だが。あ、でもそれでも断らないかもしれない。というより断らないだろう。
顔をトマト色に染めながら片手でカードの画面を操作する。そして何時でもいいという内容を添えて返信をした。
そしてしばらくするとまた返信が帰ってきた。彼だと思ってテンション高めに確認したが、その連絡の送信者はミズキちゃんだった。
その内容は、彼と同じく一緒に夏祭りに行かないかという誘いの連絡だった。
いつもなら即了承なのだが、本日は世界一大切な彼との約束があるので断ろうとすると、メールの語尾に「彼も連れてこの階層のメンバーで」と書かれていた。
少し唸りながら迷ったがやはり彼との二人きりでのデートというインパクトが他全てを圧倒したため、やはりその誘いを断ろうと決意した。
彼氏と行くからごめんねという内容を記し、ミズキちゃんに向けて送信する。そして彼女からの返信を待たず私は立ち上がる。今日の夜のお祭りを私は強く待ち遠しく感じた。
そして折角お祭りデートなのだから袴を着て行こうと思い、私はかつて使用していた服の貯蔵箱を探し出した。
そこで私は可愛い可愛い袴を見つけた。腕を通し、鏡の前に立つ。すると、そこには頬を少し紅めた着物によりいつもと違う印象を持つ私が立っていた。
今僕の前には405の住人である点滴という名の青年が嬉しそうに座っていた。
彼は僕に手土産で甘い甘いショートケーキを持ってきてくれたので僕たちは丁度それをつっついていた。まず久し振りのこのまともな食事に僕は強く感動して号泣しそうだった。
ところでなぜ今日僕の部屋に一度も会ったことの無いはずの同階の住人がいるのか。
それに関して少し長くなるが彼が来た過程に遡ろう……。
僕はマフィン以外にもこのマンションで仲の良い人は何人かいた。そのうちの一人が716の住人であるササヤカさんである。それの理由を書けば文章が長くなり訳が分からなくなるだろうから書かないがとりあえず僕は天体観測という同趣味を持つ彼女とは良く話すことがあり、マフィン程とは行かないがかなり仲は良いのだ。そして彼女は完全変態究極型のモデルスパイダーであった。蜘蛛の人間が何を出来るのかは少し興味があったが聞き出すことも出来ず僕はのうのうと毎夜を彼女とマンションの屋上のフリースペースで過ごしていた。
すると前夜、彼女は僕に言ったのだ。
「明日、夏祭りみたいだけど君は行かないの?」
「夏祭り…ですか」
正直初耳だった。マフィンの奴教えてくれたらいのに。
「行ってみたいですね」
「そう、でも残念ながら私はもう別の階層の子と行く約束を立てているからいけないや。新しく在住した見たいだけど友達はいる?」
「いますよ」
彼女は不思議そうに笑った。
「誰?」
「言わないといけませんか」
彼女はまた空を眺めて言った。
「私は住んでから何年たっただろうか。それほどの高齢者だからね。全員わかるよ」
「はあ、なんの理由づけにもなってませんよ」
「焦らすのはいいから。で、誰なのよ?」
僕は彼女のように上を向いて呟いた。
「マフィンです」
「ああマフィンちゃんね。可愛いわよねあの子」
「そうですか」
「可愛いわよ、その娘と行ってきなさい」
彼女は何の躊躇いもなくそういってのける。僕は苦笑いして小さな声で呟いた。
「それができるならやりますよ」
「ならやればいいじゃないの、失敗はしないと思うわよ」
「!!」
僕は彼女を向く。
「聞こえてましたか」
「私は常人の290倍耳がいいからね。聞こえないものは無いといっても過言じゃ無いさ」
「いいですね耳がいいのは。僕は生まれつき少し耳が悪いです」
「ま、それも一つの長所なんじゃない?」
僕は怪訝そうに彼女を見る。
「短所でしょう?」
「君にも何時かわかる日が来るよ」
「どういうことですか」
彼女はふっと笑う。
「ところでどうするのよマカロンは」
「誘えたら誘います」
「では頑張って下さいな」
彼女はそういって最後にすこしかすかに笑って帰っていった。
それにて夏祭りがあることを知った僕はササヤカさんの思惑通りマフィンを誘う事にした。マフィンならすぐに返信が来るだろうという期待を込めて。
すると、メールではなくすぐに部屋のインターホンがなった。マフィンがどうせ僕に会うための口実をこのメールとして会いに来たのだろうと少し自惚れながらドアを開けると、そこには一度も見たことのない青年が立っていたと言う訳だ。
先程も言ったが彼の名は点滴という。本人いわく不思議型で(どうみても不可思議型である)能力は右手の人差し指を患部に付けるだけで傷は不可能だがウイルス、癌などの内科病気なら治るらしい。いわゆる一種の医者ということになる。
そんな能力が貰えるなら欲しい。
そんな彼だが性格は非常に人間じみており、ぼくにとってそれほど嬉しいことはなかった。しばらく人間じみた人と話していなかったので、この出会いはひどく新鮮な物に感じた。
「君とは会ってみたかったんだけどね、仕事の都合上なかなか顔をだすことが出来なかったんだ。申し訳ないと思ってるよ」
「いえいえこちらこそ。僕も全く階層の住人に挨拶をしに回ることもなく生活していましたので」
「まあお互い罪はあった。それを認め合うということでいいかな?」
はいと心のなかで叫ぶ。
「あ、そういえばマフィンが君の歓迎会を開くという事は聞いたかい?」
「ええ聞きましたよ。あいつは本当に色々やってくれてもう感謝しきってもしきれません」
彼は大きく笑った。
「大袈裟だなあ。まあ、彼女は昔はあんなんじゃなかったんだけどね」
マフィンが?
「その話、詳しく聞いても宜しいでしょうか?」
「ん、いいよ。マフィンは君がきてから急変したよ。性格も表情も輝くようになった」
「そんな馬鹿な」
「信じる信じないは君次第だよ」
彼はもう一度ゆっくりと話しはじめた。
「僕の趣味はなんだと思う?」
「仕事関係ですか?」
「15点だ。僕の趣味はコミュニケーションを他人と取ることなんだ」
素敵な趣味だと僕は思う。
「コミュニケーションですか。素敵な趣味ですね」
「そうかな?人間にいわれると嬉しいね。まあ取り敢えず僕の趣味はそうなんだ」
彼はショートケーキを半分ほど食べ終え、満足そうにお腹付近を擦る。
「特に新たな在住者と話すのが好きなんだ。だから今みたいに僕は在住者が来る度僕はその子の家に行って話すんだ。話すのは楽しいし隣人との友情も深まるしで一石二鳥だったからね」
「はあ」
「新たな在住者は僕をいつも歓迎してくれた。僕はミズキに次ぐ四階層の責任者だから皆も話したいと思ってくれていたのかもしれないね」
彼は余った牛乳を喉に流し込み、コップを机に置く。
「でもそれはたった一人の例外を除いてね」
「まさか」
「そう、それこそあの子だ。君に忠告をしておく。これはがせでも噂でもない真実なんだ」
彼は僕の瞳を真っ正面から捕らえる。その瞳は真剣そのものだった。
「彼女はあの小さな胸にこの不思議で不可思議な世界の全てを包み被せることが出来るぐらいの巨大な闇を抱えている。暗くて淋しい、きっと過去の厳しいトラウマだ。君はその闇を取り払う義務がある」
「彼女は一体…?」
「それは彼女にしか今は分からない。そして最悪な場合、彼女も自分自身をわかっていないかもしれないんだ。もしそうなら、彼女を分かってあげれるのは君しかいない」
彼が深刻に厳しい言葉を言う。
「どうか、どうか彼女を救ってあげてくれ」
僕は彼の頼みを深く辛いものと感じてしまった。彼女がそんな辛い不治の病にかかっているなんて知らなかったのだ。それに、僕は自分自身、彼女を救えるという自身がなかったからだ。
「お待たせ」
約束時間の5分前彼女は袴姿で僕の前に現れた。僅かに火照った頬、少し潤んだ瞳に普段つけているヘアバンドの横に重ねられた花柄のリボン。そして何より恥ずかしそうに笑う彼女の笑顔。僕は余りの衝撃にうううと謎のうめき声を発した。
「どう、かな?」
彼女ははわざわざ恥ずかしそうに顔を近づけて聞いてくる。僕は恥ずかしくなり目をそらした。
「可愛い…と思う」
そういうと彼女は幸せそうに微笑んだ。
「そう、嬉しい」
僕はゆっくりと歩きだす。すると彼女は僕の右腕に両腕を絡ませてきた。そして左頭部をぼくの肩につける。
「私彼氏とこうやって歩くのが夢だったんだ」
「…行こうか」
なるべく平然に発する。すると彼女は笑うように言った。
「うん、行こう」
くっつく二人の間を真夏の暑い暑い熱風が走り去って行った。僕らには聞き取れないように怨み声を呟いて。
「僕だって闇はもってるさ」
僕はあの日の真夜中意識も覚醒しない時間にその言葉を十回、二十回と連呼していた。血眼になってまるで何かに取り付かれたかのように。
This will be continued....
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