ぼうしさがし
「今日は暑いし、ついてない」
首長竜のおれにしても今日の熱さは辛い。さらに悪いことに海竜だし。
知らない街に資格試験に来た。で、ドヤドヤしていた内に気に入っていた
帽子を会場である大学の構内でなくしてしまった。
なんてこったい。
大学へ向かう時にはバスを使ったが、恐竜型は場所をとるし、ケモノ型の高校生に
ブツブツ文句言われるしで散々だった。
毛並みがヌメるって。
だから帰りは気晴らしもかねてゆっくり駅まで歩くことにした。
「知らない街を歩くのは好きだし」
ペットボトル飲料を道々のコンビニで買わなければならないが
普段見ない街の写真を撮りながら歩く。
道沿いのほとんどは商店だ。
クリーニング、蕎麦やラーメン。
寿司の店。何と伝書鳩・レース鳩を扱う鳩屋まである。
生きていくためにはみんなが仕事をしている。
でも本当に仕事に生きがいを感じているのはごく一部だ。
だから密かに今日も抵抗して、自分の向かいたい人生の部品を集める。
どんな人生ができるのか、おれの場合はどうせ駄作だろう。
「5キロ・・・1時間くらい楽だって思ってたけど、運動不足かな」
視界に世界が緩慢に動く。
そりゃあ、だって、半分、這ってるし。
古い商店。ゆうパックの立て札がある。
長い事、同じ店で働いているのだな。
瓦がはがれて外壁の木壁は黒ずんできている。
暗い店の中にはコンクリート敷の土間に商品棚と古い雑誌が変色して
積みあがっている。
商店の化石だ。
またしばらく行くと土蔵がある。
石造りの外壁に鉄造りの扉。家の名前か、店の名前を変形した
紋が刻まれている。レンガのヒビから雨水が入り込み、防火のための外装が
削り取られていく。
モルタル製の4階建てビルの雨どいに木が生えてきている。
何年掃除していないのだろう。
古風な店構えの整体院。元は商店だったのか。高い建物に挟まれているが
横の壁にはかつてあった隣の建物の跡がくっきりと写っている。
露光時間数十年の写真だ。
1994年開業のビストロ・タコ。いいバイクが止まっている。
マフラーの青いさび色が好きだ。
フランス料理かぁ。食べてみたいかも。
でも、今日はコンビニのパンでいいや。
何日も徹夜で勉強してたから食欲がおかしい。
商店街を通っているから当たり前だけれど、世界は仕事とその成果でできている。
好き嫌いにかかわらず、その成果でうず高く積み上がっていく。
それで世界がもっていておれもその空気を吸っているし、その中で生きている。
何だろう。この八方塞がりな感覚。
それに、なんだっけ?そう、帽子。キャスケットも探すんだった。
これだけ大きな街ならいい店の一つや二つくらいあるだろう。
街並みのビルがだんだんと大きくなり、空を覆い隠していく。
駅に近いと段々と大きな建物が増えていくようだ。
十字路の先に百貨店がある。
交差点を足の悪い犬型のご婦人が娘さんだろうか、同じような毛並みの女性に付き添われて
横断歩道を渡ろうとしている。
足が大きく振り出せないのか歩みは遅い。
信号が変わりそうになる。車の人たちも見守ってくれているが彼女たちはまだ道路の
真ん中にもたどり着いていない。それに4車線のために道のりは長い。
「大丈夫ですか?よければ、背中に乗ってください」
「一人くらいなら平気です」
おれも人のことを言えないほどノソノソしているが、何だか放っておけなくて。
婦人は少しばかり躊躇したものの、助けられて背中に乗ってくれた。
おれも首元をくわえて持ち上げる。
大丈夫。今日は暑いから背中も乾いている。
多分、後でヒリヒリするだろうけど。
パタパタと道を赤信号状態で渡り切り、店舗前で下してあげた。
婦人はしばらくキラキラした顔をしていたがすぐさま上品な元の表情へ戻った。
「どうもすみません」「ありがとうございました」
うやうやしくお礼を述べる彼女はしっかりした家の人なのか物腰が丁寧だ。
「よかったらこれ、どうぞ」
バッグからモソモソと取り出したボトル茶をいただいた。
熱中症対策に持っていたものなのか、すこし温まっているがこの体にはうれしい。
彼女たちを見送ってから百貨店の中に入った。
二重扉が開くとヒンヤリした空気に迎えられる。
百貨店の中、1階から4階までまさかのすべて婦人服。
男性と女性の衣服に対する執着の差なのか。
エレベータに乗りたいが、何故か見当たらない。
おれの体ではエスカレータの一区画を占領する形で背後に行列を作りながら
登っていくため、とても申し訳ない気持ちがする。
それに到着近くで下腹が挟まれそうでいつも怖い。
最終平たんラインに入る直前に軽くジャンプして前へ進むのがコツである。
帰りも帰りで目線は高いものの、体の重心をなるたけ後ろに持っていきたいので
また怖い。
紳士服・スポーツ服売り場。帽子コーナーらしき所まではたどり着いたが
キャスケットは見当たらない。
キャップ。メッシュキャップ。パナマ帽のような帽子から
ニット帽。ハンチングなどがあるが、目的の形に行き当たらない。
店員さんによると男性・女性用の中間にある帽子らしい。
フランスの新聞配達少年のイメージしかなかったが、1階の婦人用帽子コーナーに
比較的近いものがあった。
ただし、フリル展開! と 凝ったボタン装着! 以外は。
周りは婦人用ばかりなのであまり見回る気にもなれず、すぐに外に出た。
ブティックのような店も見たが、寸でのところの色違いが見つかったくらい。
それにやっぱり小さなお店は値段が高い。
無くした帽子を買った実家のある街の店は商店街の中にある半分スポーツ品店。
あの軽い感じのキャスケット。
気に入ってたのにな。
なくしてみて、中々、手に入らないものだったと気づいたとき。
すこし悲しくなってきた。
遠くのビルの向こうの空に、高層雲がやや茜色になりかけてなびき、自分と似たような
形の飛行機が飛んでいく。
細いエンジン。細い胴と翼。A330だ。
すこし、ジンっとしてくるじゃないか。
そう思っていると、日差しを背に、一人のたぬき型の女の子が近づいてきた。
手には、そう、無くしたキャスケットが握られている。
「よかった」「まだ、駅まで行ってなくて」
「はい、あなたの帽子でしょう?」
どこかで見たような。
確か、試験会場までの案内プラカードを持っていたひとだ。
年から見て臨時のスタッフになっていた学生さんだろう。
茶色いカーブがかったボブカット。丸い耳。
目元は下がり気味で、全体にふんわりしている。
いわゆるかわいい子だ。
「おおっ」「少し探したのですが、見つけられなくて」
「ここまでわざわざ届けに?」
彼女は笑顔で帽子を頭に乗せてくれた。
くたっとした慣れたキャスケットの感じが心地よい。
「帽子を探していたのをみてました」
「なんだか、寂しそうだったので見つけたら届けてあげようと思いまして」
「あとかたずけをしていたら休憩所のソファーの間にありましたよ」
彼女がほほ笑むとふさふさの尻尾が揺れる。
あんまり揺られれるとクシャミが出そうになる。
「それに、気になってたんです」
「海竜型なのに電気関係の資格を受けに来られたなんて」
つっけんどんな切り出しに引いてしまう前に試験直後からか、
おれを二重絶縁しなきゃなと考えてしまう。
確かに、湿気厳禁な工事もあるし、おれの皮膚が抵抗率ρ低めなのも一目で分かる。
少しシャクではあるが、まぁ、当然だろうか。
「そのうちに」「作りたいものがあって」
「将来は自分の家も造りたいし」
彼女の眼が輝いた。
見開いた目に空の色が反射する。
「それ、とっても面白そうですねっ!」
「じゃあ、建築士も持ってるんですか?」
彼女が一歩、歩み寄る。近い。少し暑い。
「まだ、その前にいろいろ」
「お金ためながらまた勉強してとるつもり」
彼女は わぁ っという表情になる。
駅までは一緒に歩いて行くつもりらしい。
道々、面白い街並みに出会うとデジカメを取り出して写真を撮ると彼女も
モニターを覗いてくる。
遠慮がないのか、この子は。
ただ、その反応はすさまじく素早い。
アルバムキーを押してカメラを渡すと毎日、登校しているはずの道なのに
その違った切り取られ方にいちいち感動している。
スプレー落書きのある暗い路地からその奥に臨める夕日に輝く高い電波塔。
土蔵の古い紋章。
お宮の朱色の門に続く商店街の丸い街灯を並べた道。
それらのなかにも、子供と手をつないで歩くドワーフ(ネズミ)型のひと。
カブを修理するパグ型のおじさん。
ブティックの前を通る狼型のファッショナブルなあんちゃん。
寂しくない。
いろんなひとがそこにいる。
駅までたどり着くと何と彼女も帰る方向は同じらしい。発車時刻も丁度よく、
8番ホームにおりると、もうオレンジと深緑の車体が到着していた。
臨海鉄道線。2両編成のディーゼル機関車。
ガラガラとエンジン音を立てている所が電車と違って生き物に近い気がする。
電車だったら3相交流モーターなのかな?
デルタ結線、スター結線・・・。
頭の中に今日の問題を回していると直線席の隣に彼女も座った。
ボックス席は高校生でいっぱいだったし。
部活帰りなのか弓、薙刀を紺色のカバーで覆って歩く鹿型の子達。
向こうの席にはワニ型と大型類人猿型の子がレスリング全国大会について話している。
しばらく列車が走り、市街地を抜けると窓の外を広大な畑が夕闇の中を流れていく。
そういえばまだカメラ返してもらってなかったな。
でも、なんだか、じっくり見ているし、まだいいか。
整理するのが面倒になってしまった写真がまだメモリーの中に大量に保存されていた。
カメラの十字キーを押しながら彼女がつぶやくように言う。
「あなたには夢があるんですね」
「それも、たくさん」「うらやましいです」
「自由だな~」
モニターには職場での花見の写真。
空港近くで撮影された航空機の写真。
旅の写真。
どこか高いところから写された高密度の大都市。
それらの写真が次々と進んでいく。
「わたしにはこれといった目標がありません」
「毎日がこまごまして、それを追いかけているうちにすぐみんな過ぎて行ってしまいます」
「あなたや、この写真を見ていると、違った人生の作り方とか進み方があるんだなって
少し楽しくなります」
すこしムズムズするというか、そんなにいいモノじゃないんだという気持ちが湧いてくる。
「自由と孤独は一セット」
「自由でも、安定した毎日でも、結局そのままでは苦しいから、寝返りをうつように
どっちかに振って行くことが大事なんだけど」
「困ったことに、深入りするとうごけなくなる」
彼女はそっとカメラのPOWERボタンを押てからそれを返してくれた。
すこし、そのまま持って行ってくれてもいいかなと思い始めていた。
「あなたも苦しんでいるんですね」
「だって、さっきはとっても悲しそうだったしそれに」
「あなたの体、傷だらけだから」
そういわれると、忘れていた背中のヒリヒリする痛みが動き出す。
室内なら問題ないが、やはり直射日光となるとこの体は耐えられない。
海竜・海獣型向けにヤマトフィルムから乾燥防止・UVカットの薬が出ているが、
持って数時間ってところだ。
ヒレに古い裂傷。やけどの跡。首にも小さい傷跡があり、そのほか昔事故でできた
古いすりむき傷と挫滅のあともある。
それに最近は空気が乾燥しているせいか、喉の調子もおかしい。
それに首長竜の喉カゼは悲惨である。
数日前まで昔もらった抗生物質と総合感冒薬のあまりを飲んでいた。
たしかに、おれは無理をしている。
それにそろそろ、この体も付き合いきれなくなって来るのかもしれない。
最近は勉強のための徹夜が思うようにできなくなっていることを痛感していた。
まあそこは仕事の後であることが大きいのだろうが。
「どうして、あなたは苦しい方にいくのですか?」
「楽に生きることだってたくさんできるのに」
おれは人生の中で停止している時間が長いと不安になってくる。
毎日、今も、何か意味のある時間にしたいと思っている。
それは、自分の人生が意味のないもので終わってしまう怖さがあるためだと思うけれど。
「おれには追いたい奴らがいる」
「昔の、まあ色んな学校に行ったけど、その同級生たちだ」
「あいつらは今では素晴らしい道を進んでいる」
「おれも同じ道に行けるとは思っちゃいないが、肩を並べたいとは思っている」
「だからあがいている」
「誰もいない海の真ん中を泳いでる感じ」
いつ岸につくのかわからない。が、岸があるのだけははっきりわかっている。
でも、最近気づくようになった。
自分の深いところでもう苦しみたくない。
だれか、おれを殺してほしいと叫んでいる自分がいることを。
突然、ふわっと柔らかい毛並みが触れた。やはり少し暑いが柔らかい。
手の肉球がヒレの傷に触れる。
もう治っているが、傷がウニウニ逃げようとしないか心配になった。
「わたしも一緒に泳ぎますよ!泳げないけど泳いで見せますっ!」
「いや、ダメ!」「それ沈むっ!」
「・・・・あうっ・・・」
即答した後に何だか凄まじい後悔が押し寄せる。
そう、そういう意味なんだ。そこじゃなくてそういう意味なんだ。
いろいろ互換性すっ飛ばしているがそういうことなんだ。
長い喉のおくに赤い鉄さび臭い液体が登って来るのをしばらくこらえなければならなかった。
目の前にある綺麗すぎる瞳がさらに心臓の動きを不安定にさせる。
「わたしは泳げないからだめかなぁ~」「やっぱり」
いや、それもそういうことじゃないと思うのだが。
なんとか波を処理してゆっくり彼女の手を傷からどけた。
やはり体感温度が違うためか暑い。
「おれはバカだぃ」
「こんなやつにかかわるとあんたもくたびれてしまう」
「もし、何かこう、自分の打ち込めるものと道を見つけて、それでもおれが気になるなら
それでもいいけれど」
「でもまず、あんたが安定飛行することなんだ!」
力説を聞いているのかどうなのか ぽけっ とした表情で彼女はおれを見つめる。
そう、やっぱりかわいい範疇に入るひとだ。
むかし、レースに出ていたことがある。夏の高い山。
その頂上に早くたどり着けば、酸欠で何だか視界が狭まってくるけど、
周りが昼間なのに薄暗く見えてくるけど、
一生懸命頑張れば誰かが頂上で迎えてくれる。
そんなくだらないことを考えていたこともあった。
まさか本当に迎えに出てきてくれるなんて。
一瞬で断ってしまったが。
抱きしめたい衝動にも駆られた。
しかし、この前肢だと す巻き になってしまうのでできなかった。
車体が減速し、ホームに収まる。いつの間にか周りには誰もいなくなっていた。
畑の中の寂しい無人駅。
「まず何かを始めてそれで、世の中で競ってみる」
「色んな人に出会って色んな世界を知れば、また新しい世界が見えてくる」
「もっとも、そればかりやりすぎると、おれ状態だけれど」
「バランスも大切だけど、なんでも、力の限り戦ってみることなんだ」
「はいっ!」
「わたし、強くなります!頑張ってみます!」
ファイティングポーズを決める彼女。
一瞬、格闘方面にすすんでしまった筋肉質の彼女の姿が脳裏に浮かんで怖くなった。
ただ強くなるって、何だかズレている気がするのは気のせいだろうか。
何だろう。この違和感は。
違和感といえば、今、どのあたりまで来ているのだろう。
おれは終着駅でいいのだが。
車体のドアが閉まり、次の駅へ出発するところだ。
「あれ?今、どの辺」
「ひがしつかさ?」
「!?っ」
隣震源の振動が一回起こった。
「乗り越しちゃいました」
「あらあら」
「あなたがいい話するから」
「おれ?」
「おれかぁ~」
「ああ、おれのせいならしょうがないね」
他人とタイミングが合わないのには自信がある。
ここ、納得していいものだろうか。
「次で降りるしかないよね」
西の地平線から黄色、オレンジ、紫、青、紺のグラデーションが東まで続き、東の空は
夜になりかけている。
午後7時20分。
「戻りの電車、一時間に1本くらいしか来ないんですよここ」
単線・二両編成・ワンマンディーゼル機関車。これだけで説明がつく。
「歩こう」
「6キロくらいありますよ」
「夜なら調子いいし」「それにお腹すいた」
「食べ物のお店、ないかな?」
「少し戻れば小さいイタリア料理のお店があったような」
「そこにいこう」
「帽子のお礼もしたい」「いや、させてください、おねがいします」
長い首を曲げて頭を下げると彼女が鼻先をなでる。
「ええ、許可します」
本当に何もない所だった。
無人駅、ロータリー。電灯の切れかけた公衆電話。
屋根のボロボロになった駐輪場。
その向こうにはシャッターを降ろして数年経つような元デイリーカワサキの店がある。
その前を通る果てしない国道は所々に白色街灯を付けて長々と畑の丘の向こうまで
続いている。
畑・林、所々に民家。まるで北海道のような風景だ。
「時にお嬢さん」「お乗りになりますか?」
掛けていた帆布製の鞄のバンドを短くし、首の前に移動させて背中をあけた。
「背中、痛くありませんか」
優しく背中をさすってくれる。実は首の後ろ辺りがヒリヒリ痛い。
「乗り越してしまったのはおれのせいですから」
彼女は じゃあ、と断ってひょいと背中に横かけで飛び乗った。
片手を首に添えて体を支える。
衝撃は無かったが、四肢にググっと荷重が乗る。
「まいりましょう」
「そうしましょ」
夜道をパタパタ歩き出す。
お世辞にも速くはないが、夜風が丁度いい温度の今の時期には気もちがいい。
時より、街灯のない区間がある。その分、月のない今夜は星がはっきり見える上に
夏が近いため、天の川も存在感を増している。
西の方に大都市があるためか、そちら側は薄いオレンジ色で星が減っていた。
「体力があるんですね」
「もしかして、軍の方とか?」
「むかし技術士官の試験を受けましたけどダメでした」
「親も猛反対で」
「どうして、軍に?」
「違う世界が見たかったのとその他は色々と」
「軍のひとって怖いひとばっかりだと思ってました」
「色んな奴がいたけど、そこまで悪そうなのはほとんどいなかったかな」
「理解できないから怖いのは当然だけど、それはとてももったいないよ」
「あなたは優しいひとです」
「ただそれだけじゃなくて色々な魅力も持っている」
「そう、その運用がまた大変なのだ」
丘を越えた向こう側に民家と商店の並びが続く。林の中に大きな門のお宮がある。
門がライトアップされ、装飾が薄暗い中に浮かび上がっている。
古い仏閣などの装飾の塗料などは朱色を除いてみな少し原色からズレた色をしている。
金属・鉱物、植物から色を抽出する時に使う触媒や添加物の種類が違うのだろうか。
「昔は今より大変なことが多かったですから」
「みんな別の世界に助けを求めたんですよね」
「それを利用するうまい奴らもいっぱいいたと」
「たしかに、でもかつては信じるしか心を壊さない方法がなかったんじゃないかと
思うんです」
むかし、父の書斎で見た絵巻辞典で道端で朽ちていくひとや内臓を流れ出させて
戦場にうずくまる武士たちの姿に怖い思いをしたことがあった。
「そう、心は自分で思っているほど強くはないから」
「そういえば今日の試験会場は人文科学科?」
「わたしはその学生です」
「人文科学とは?」
「政治・経済・歴史・哲学」
「人の悩んで築きあげてきた世界の総称です」
「おれもその海の隅っこの方でジタバタおぼれているのだな」
「わたしはその背中にいます」
「ちゃんと泳いでください」
「沈みますよ」
ペシペシと背中をたたく。
イタイイタイ。そこ、痛いから。
まぁ、おれは潜水した方が高速なのだが。
「よーそろー!」「全速前進、ゆれますぜ!」
少し駆けだしてみた。
実際、長くは走れないが、ある程度の速度になるとヒレと胴体の
間にある空気のクッションでほんのわずかだが対地効果が作れる。
つまり、気のせいくらいだが地面スレスレに飛んでいるのだ。
「わわっ」
「うわっ!すごい」「ははっ滑ってるみたいじゃないですかっ!」
「あんまり持たないけどね」
「あの交差点を過ぎたらすぐですよっ!」
「わっ今、少し滑空した!」
背中が騒がしいが、喜んでいるみたいなので良いことだ。
首を伸ばして下り坂を駆けていく。ヒレにやや迎え角をとらせると確かにほんの少しだが、
着地がソフトになる気がする。
店はキットのログハウスのようだった。
キャッチを付けるなら
〝あなたにも建てられる!200万円以下で作れるウッドデッキ付き小店舗”
というところか。DIY雑誌のメインページを飾りそうだ。
空腹よりも自分で建てたのか店主に訊きたくなったが、
屋根から突き出た耐熱塗料で黒塗りの煙突からいい匂いがしてくるとお腹が鳴った。
少なくともおれの胃は脳より正直者だ。
実は恐竜型の場合、体に脳が二つあるんだけど。
「あんまりお客さんはいないみたい」
「どうせなら、おいしいのを期待する」
デッキの入口に小黒板があり、本日のおすすめなどが書かれてある。
あんまり外食はしないので少し高めなのにひるんだ。
彼女は軽やかにデッキを駆けあがる。
ドアをあけると鐘がなる。
カラコロなるやつだ。
何故かアメリカンなBGMとともにいい匂いの濁流が流れ出す。
「いらっしゃい」
ヨークシャーテリヤ型の主人と赤いバンダナを巻いたパンダ型のおばさん。
夫婦だろうか?失礼ながらすごいコンビだ。
まぁ、こっちも言えたことではないが。
山と海が揃って来たようなものだし。
店はそれほど大きくなく、カウンター席の奥にテーブル席が一つ
あるだけの小さなものだった。
客はテーブル席に少しくたびれた感じの人間型の大男がこちらに背を向けて
厚い本をめくりながらグラスを傾けている。
店の中央部は薪オーブンに占領されている。
かすかであるが、揺らぐ炎の気配と熱気が伝わって来る。
棚にはお酒は飲まないのでよくわからないが、かっこいいラベルのワインが
ずらりと並んで裸電球のオレンジ色をピカピカ反射させている。
席に着くと自分だけお冷がポットごと現れた。
たしかに。そう。たしかに。
「ピザとパスタ」
「ピザは分けて、ほかに何か頼んでいいですか?」「ドリンクも」
「おおせのままに」
彼女は少し迷いながらもメニューを手早く選択した。
きらびやかなメニューのなかから何かを選ぶ作業は少しワクワクする。
最近は行きたくない飲み会などで忘れかけていたが、そう。
外食は本来、ワクワクするものなのだ。
「おれ、エビのリゾットだけでいいや」
「うん」「決まりました」
彼女はおれを気遣ってか、シーフードピザと自分用に
爆弾のように膨れ上がったハンバーグの乗ったスパゲティーを注文した。
彼女曰く、スパゲティーはもともと、前菜。ピザも軽食やワインのつまみらしい。
どちらもこの国ではメイン級の威力があるが。
おれは食後に飲むように、バックから薬の袋を取り出す。
二錠ほどパックから取り出した。
「なんの薬ですか?」
どこか悪いのですか?と覗き込んでくる。
あいかわらず容赦なく遠慮ない。
結構、ナイーブな個人情報だっての。ここ。
「成長抑制剤」
「おれ、フタバスズキリュウ型の亜種なんだけど、やっぱしデカくなるんだ」
「狭い社会で生活するなら成体ギリギリサイズの方が都合がいいし、医者によれば
体が大きすぎない方が心臓にやさしくて長生きするんだってさ」
「まあ、長生きしても大してしたいことないんだけど」
彼女はじっと薬を見つめていた。オレンジと白のカプセルと薄ピンクの錠剤。
なんだか表情が硬くなる。
「あなたは海にいればもっと自由で、それに傷つかずにすむのに」
「あなたの中のあなたは本当は今でも苦しんでいるんじゃないですか?」
「怒るかもしれませんが、あなたは海に帰るべきだと思うんです」
顔がとても真剣だった。
また何てまっすぐな目でひとを見るのか。
まとう空気がいきなり変わるので驚いてしまう。
「また唐突に切り込んで来たな」「あんたは」
「うん、実家のかーちゃんと同じこと言うんだ」
ああ、この子は何でもお見通しってわけかい。
そう、前にも同じような子がいたっけか。
むかし学生時代に親子野外活動の手伝いをしていた時のこと。
小さな黒猫の女の子に別れ際に あなた、とても寂しそうなひと と指摘されて
少し呆然としたことがあった。
何か、大切なモノを追い求めてきたけれど。
実際、おれの中にはがらんどうな空間が広大にあるのかもしれない。
それを見たくないから、またエネルギーを消費して頑張ろうとする。
まぁ、そんな所だろう。
頭の中がグルグルしているうちに料理が来た。
何故か普通のリゾットが 〝おおもリゾット” に進化している。
おばちゃん、戻り際にウインクして行った。
ああ、おばちゃんもですかい。やれやれ。
それに店内のBGMがビートルズのゲットバックに。
マスター!?まさかあなたも!?
何なんだこの展開は!?
あうあう言っていると彼女の料理もできてきた。
彼女の注文したメニューは確かに爆弾だった。
フォークで突くと油で光る薄金色の肉汁がとめどなく流れ出す。
そっちもおいしそうだ。
長い夜更かし生活のせいで停止しかけていた胃が再起動し始める。
リゾットが雑炊の一種のためか、とても食べやすい。
バターの脂っこさが強かったら気持ち悪くなる所だが、
あくまで風味だけという立場におさまってくれている。
しばらく、だまって食べ続けていた。
自分でも自分の空腹具合の深さに驚いた。
なるほど、こんなに空腹になるまで放っていたのかおれは。
ピザもつまんでみる。
磯というか塩というか、しっくりくる要素が口から鼻腔に広がる。
体の中にある海が反応している。
BGMもビートルズメドレーから変わってシャンソンがかかっている。
曲も歌詞も分からないが、歌手の声にパワーを感じる。
パワー、パワーと思っていたら、しばらくして
パワー トゥ ザ ピープルがかかった。
うそっ!?
え?なに?ご主人、まさか、無表情なのに心が読めますとか。
イタリア料理にロックっていいのかな?
なんだかごちゃまぜのようなきがするが。
しかし、率直においしいし、感覚外の空腹も回復できたようなので許すことにしよう。
「そういえば、駅から学校まで歩きなので?」
「朝は走ってますよ」
「サークル的な?」
「勝手にシャワー室とか使ちゃってる感じですけど」
一瞬、これだけの毛並みを乾燥させるとなるとどのくらい時間がかかるのだろう?
と思った。
何Wh?ヒーターは力率が良いとはいえ電気代を学校に総負担とはしたたかな。
とにかく、朝には強いのだろうなこの子は。
「帰りは歩いたり、バスだったり」
「付属高校の子たちでぎゅうぎゅう詰めなので大抵歩いてますけど」
「5キロを毎日往復とはすばらしい」
「あなたも、わたしを乗せてあんなに軽く走れるなんてすばらしいですよ」
「ほんの100メートル弱だけど目が回った」
その内にじゅるじゅるとソフトドリンクが底をついた。
時間はそろそろ10時になろうとしている。
終電は11時だがそろそろ不安になって来た。
「行きますかい」
「ごちそうさまでした」
「たいへんおいしくいただきました!」
帽子代としては意外とかさんだお勘定を払い、外へ出た。
先ほどより街の明かりが減ったためか凄まじい量の星が空を覆っている。
店の中ではおばさんが笑っていた。
「彩葉ちゃん、また大物釣っちゃってまあ」
「色々無理をしているひとみたいだけど」
「男は無茶をするもんさ」
「今まで生きてきた世界は一度だけでも出てみるもんだ」
「でも、あんたは帰ってきた」
「おまえがフルパワーでおれを連れもどしたからな」
壁の上の方に写真がある。ふるい有名人のサインの横に6切りサイズの航空写真が
飾ってある。富士山の俯瞰図だ。
ご主人は固定翼機のパイロットだった。色々冒険もしてきたらしい。
「あんたがウダウダしてるのが見てられなかったのさ」
「戦って傷ついて、何かを得たり、得なかったり」
「いつかはどこかに着地する」
「・・・もう、あんたは飛ばんのかい?」
いままでページをめくっていただけの男が口を開いた。本は今年のAIM-J。
「もう、審査も通らんよ」
「ありゃスポーツだ」
「一瞬のカンが大切だ」
「みんなで編隊を組んでかなり経つな」
「20年ってところか」
「寂しいじゃないの」
「・・・・」
またシャンソンが流れている。
そろそろ閉店時間だ。
おばさんがテーブルの男に店じまいを予告する。
「さて、あの娘は針に掛けた魚を上げられるかどうか」
「ここからが難しいのよ」
窓の外の暗い空を衝突防止灯を光らせて旅客機が通り過ぎていく。
あの光り方はB747。かつては多くのひとを運んだ大型機も
もうこの国には貨物機型しかない。
車も少なく、空はさらににぎやかになってきている。
あまりに暗いと空の方が薄青く発光して見えるほどだ。
「あっ今流れた」
視界の隅にオレンジの光が崩壊しながら通り過ぎた。
あれも、長い旅の終わりの一つだ。
もう20分そこそこ歩けば前の駅に戻ることができる。
彼女はまた、背中の上にいた。
「いつもの風景も、いつだって綺麗なのに忙しいと何も綺麗と思えなくなってしまう」
風景はただ美しく変わらずそこにある。変化しているのはこっちの方だ。
勝手に変化して、風景の色が見えなくなって
勝手に絶望する。
やれやれだ。
彼女の手が不意に左ヒレの付け根あたりに触れた。
しばらく、探るようにその場所をなぞっている。
そこには古い傷がある。
「この傷は」「自分で切ったのですね」
「・・・なんで、わかるの」
「わたしにもあるから」「消えてしまいたいと思った事」
「この程度じゃあ死ねない」
「ええ、手首ではむりでした」
さわさわと夜風が当たる。気のせいか、傷が熱い。
「あなたをここまで動かしているのは何ですか」
「この先も傷つくことがたくさんあるでしょうに」
傷口から全身が、全身から周りの風景が、ザワザワと揺らぐ。
あれ?何だろう。
足の下には確かにコンクリートのひび割れた歩道があるはずなのに
その実感が薄まっていく。
たしかに、おれを動かしているのはかつてのみんなとの記憶だけだ。
心の中で叫んでいる声も。
そう、ただの声にすぎない。
ただの・・・声。
ヒレや、首が湿っぽい。
ピリピリした冷たい痛みが湧きだして、体の無数の傷から血が流れ出す。
周りの輪郭がぼやけてうねり出す。黒くて大きな波。
今、歩いているのか泳いでいるのか分からなくなる。
「あなたはもう戦わなくていいよ」
「わたしがつつんであげるから」
脈動に合わせて疼く傷に温かい手が乗せられる。
今日から昨日昨日から数か月前。
おれの戦ってきた記憶が白い光に包まれていく。
一年前、二年前・・・。
ただ白い、白い世界の雲が破れて、怖いくらいに青い空が現れる。
ここどこだっけ?
とても乾いた土地。
空が毎日青くて風が40℃以上あるのに
乾燥していてここちよくて。
ハンガーの丸く白い機体。修理中のレンジャーⅢ。
タキシーウェイを機体が進んでいく。
エプロンの給油所まで。
移動タイヤをテコで上げて人力で押していく。
みんないる。みんな、みんな。
おれも手伝う。
一緒に行く。
おれも。
その記憶まで白くなりかけたとき。
「嫌だ」
隣で誰かが叫んだ。ちいさいおれだ。
空港入口の粗末な建物。そのフェンスにちいさなヒレを絡めてみんなのいる方を
揺れる瞳でとらえている。
いつも泣いてばかりで実家に帰る時だけ元気になる。
変わらずにおれの中にいた小さいおれ。
「いやだ!」
眼がこちらに向く。
マズイ、これ、本物だ
いきなり冷静に頭の中の線が繋がった。
打ちのめされた。走った。教えあった。笑った。バカやった。ワクワクして、
怯えて。感動した。バケツで水を掛け合った。
「少なくとも、これだけは本物なんだよな」
首のバッグの中にそれはある。
さらにみんなへつなぐために取ってきたカードが何枚も財布の中に。
また道は違うけれどたしかに歩んできている。
止まってはいない。進んできている。
すべてが白くなり、おれだけが残った。
「あ、ちょっと気分悪いわ」
「お茶買わせて」
申し訳ないという感じで彼女に背中から降りてもらう。
駅の自動販売機にたどり着く前に彼女が走ってお茶を買ってきてくれた。
ピンと張った尻尾が小刻みに揺れている。
「たぬき・・・」
ん?さっきの変なのって、そういうことなんですか?忘れてたけど。
また、すこしだけ大きめの駅だけれど窓口は閉まり、スイカのタッチパネルと
乗車証明書発行機の赤ランプだけが切れかけた蛍光灯の下でともっている。
終電時間ももうすぐだ。
彼女は何も言わなかった。
ただ、横にいるだけだった。
列車が遠くの遮断機を鳴らすまで。
「ねえ」
「化かされたのは少し面白かったけど」
「さすがに血の演出はマズいよ」
彼女は伏せていた顔をゆっくりこちらへ向かせると
てへペロ をくりだした。
効果は抜群だ。
なに、その責め防御がかかった謝り方。
いや、謝ってないよねコレ。
「でも、何か大事なスイッチが入れなおせた気がする」
「さび付いて接触不良だったんだ」
「わけわかんないだろうけど」
「ありがとう」
車体がホームに入って来る。
二両どころか一両になってしまっている。
下げた頭を彼女はぎゅっと抱きしめた。
柔らかい毛並みの奥で鼓動が聞こえる。
「またあえますか?」
「運もタイミングも容量も悪いからなおれ」
「その少ない方に賭けて」
「また今度」
「お元気で」
ドアの閉まり掛け、彼女は笑顔で何かを振っていた。
葉っぱ・・・?
あれっ!?
さっきまで被っていた帽子がない!って、そういうことかい!?
「このっまたっ!」
車体の中から彼女を少し追いかけたがすぐに遠ざかっていく。
仕方なく、最後はヒレを振った。
「やられたっ!」
「あーああ~っ」
誰もいないのをいいことにボックス席でジタバタする。
弱い蛍光灯にてらされた駅舎が闇に消えていく。
そのまわりに信号灯が加わっていく。
つまり今日、半日近く化かされていた訳だ。
いまさら、そういえば名前すら訊いてなかったし、教えてなかったんだよな。
とか思い始める。
名前教えてたらもっと化かせるのかな?
でも、面白いやつだったな。
また、あえるかな?
とっくに、駅も見えなくなっていた。
惜しい気持ちと、少し満ち足りた気持ちと、あとなんだろう?
夜汽車はゴトゴトと湖の長い鉄橋を渡り始めた。
家に帰り、今日の試験の解答速報サイトを開く。
あれ?あれれれれ?
予想では△にしていた問題がことごとく・・・。
「はぁ、次は実技か・・・」
「この手でどうやって乗り切るか」
次の決戦は夏らしい。
干からびるなよ。おれ。
窓の外ではいつもに増して虫の声がにぎやかになってきていた。
おわり




