表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

八章

八章


 翌日の早朝、ヒューゴは大きな警報音で目が覚めた。退魔の刻印の兵が慌ただしく動き回る。その1人を捕まえて話を聞いたところ、帝国が攻めてきたと言う。現在確認できている敵戦力は船が数隻とドラゴンが数頭。

 ヒューゴは、結局昨日の間に父親であるヨハネスの作戦に協力することにした。

 ――予定通りなら、すでに魔王側に作戦内容は伝わっているはずだ。あの鳥が本当に信用できるんなら……。

 昨日、レーリエの部屋を後にしたヒューゴは、その足で再びヨハネスの許へと向かった。そこで彼が魔王側に作戦を伝える手段として持ち出したのが鳥だった。帝国では、鳩の帰巣本能を利用した伝書鳩というものがあるが、それに似たものである。ヨハネスが持ち出したのは、鳩ではなくエルダートに生息する鳥だった。その鳥の鳴き声は人間の口笛に似ており、訓練すればある程度意思疎通が取れると言う。それを利用し、ヨハネスはその鳥を魔王への通信手段とした。今現在技術が発達したエルダートでは、鳥を利用した通信はまずないため、警戒されることがないのだと言う。

 作戦は至極単純。6つの角宮にある魔力抑制装置を破壊し、退魔の刻印を制圧すること。

エルダートの中で帝国に攻め込むだけの覚悟と力を持っているのが退魔の刻印だけであり、彼らは帝国人の持つ魔術は脅威とし攻め込んだ。その大きな理由として、エルダートの中に帝国や魔族と国交を結ぶべきだと考える者がでてきたからだ。

ガルガントは、国交が結ばれれば今技術で勝っていたとしても、いずれ技術力は拮抗し魔術の使えないエルダートが劣りパワーバランスが崩れ、エルダートは帝国に支配されてしまうと考え、先に支配しようと攻め込んだ。

そのためこの退魔の刻印を制圧してしまえば、負ける可能性が大きく減ることになる。

ただしこの作戦は今後大きなリスクを負うことになる。いかなる理由があろうとも、帝国がエルダートに攻め込んだことは事実となり、それをエルダートが侵略行為と受け取れば、帝国とエルダートの間で戦争が起こることは必至。つまりエルダートがガルガントの帝国への侵攻をどう考えるかで大きく変わってくる。

それでもなお、この作戦が、帝国がエルダートに侵略されない唯一の方法だった。

そしてヨハネスがこの作戦を打ち立てたのは、死んだ妻の為、生きている息子の為、そして何より自分の信念の為だろう。

――作戦開始の合図は……。

 その時遠くから爆発音が鳴り響いた。皆、その音に一瞬硬直し、再び動き出す。

「何だ? 何があった!?」

 1人の兵の問いに正確に答えられる者はいなかった。しかし、答えずともヒューゴはそれが何なのか知っていた。

『まず僕がここの魔力抑制装置を破壊する。すぐにわかるはずだ。それを合図に作戦を開始だ』

 ヨハネスの言葉を思い返す。彼は自身の角宮にある装置を破壊したのだ。

 そしてそれを確認したヒューゴは動き出した。


「閣下。2.ヨハネス・カルゼンの角宮にある装置が破壊されたようです。それと同時に地下牢に捕えていた帝国人が逃げ出したと報告がありました。やはり、閣下の予想通り……」

 ガルガントの後ろに控えるエレノアが報告する。

「ああ、そのようだね。彼には期待していたのだが、残念だ」

「この後はいかがなさいますか?」

「彼の狙いは私だろう。ならば私はここで彼を迎え撃つとしよう。エレノア、君は自分の角宮に戻り、装置の守護に当たるんだ」

「わかりました」

 命令を受けたエレノアは、ガルガントの背後から姿を消した。


「何なの!?」

「今の爆発音はなんだ?」

 アイリスが軟禁されている部屋で、皇子や皇女が不安げに話す。窓のない部屋では外で何が起こっているのかわからない。そんな中大きな爆発音や扉から慌ただしい声が聞こえ、その不安は更に増した。

 扉の外には彼らを外に出さないための監視がいるので、扉を開けて確認することもできない。

「ぐぁ!」

 その時、扉の外、それもすぐ傍から声が聞こえた。次の瞬間金属でできた硬く重い扉は、音を立てながら開かれた。そこにいる者皆が、開かれる扉に注目する。そして現れたのは昨日、この場に姿を見せたヒューゴだった。彼はすでに絶命していると思われる扉の前に居た監視役の兵を引きずって中に入ってきた。アイリスはすぐさま立ち上がり、彼の許へと駆け寄る。

「ヒューゴさん、何が起こっているのですか?」

 鋼鉄の扉を一旦閉め、話し始めた。

「今、魔王と帝国の連中がここに攻めて来てる」

「魔王が……?」

「俺もあいつらに協力してこの組織を壊すつもりだ。だが、戦力が足りねぇ」

「私にも協力しろ、と言うのですね?」

「そうだ。だが強制はしねぇ。お前がもし帝国はこの国に支配された方がいいと思うなら――」

「協力します」

「いいのか?」

「帝国が戦っているのなら、ローゼンクロイツの名を継ぐものとして私も戦わなくてはならない。それが皇族としての責務」

「帝国が負けた方が今後のためになるかもしれねぇぞ?」

「だとしても、戦う我が国民に負けろなどと言えるはずもありません。動かぬ王に一体誰が付いてくると言うのですか」

「人を殺す覚悟は?」

「必要とあらば」

「わかった。なら、これを使え」

 そう言ってヒューゴが取り出したのは、形状こそは違えど、反った刃の付いた身の丈ほどもある武器だった。刃から峰の幅は通常の刀の数倍もあり、刃側からと峰側からの2か所から2本の柄が伸びており、刃側の柄の方が若干長い仕様になっている。

「これは……」

「この国の武器だ。形状はかなり違うが、使い方は刀とあんまり変わらねぇはずだ」

 ヒューゴはエルダートの武器をアイリスに渡す。

「……思ったよりも軽いですね」

「それにはいくつかの形態変化があるみたいだ」

 再び武器はヒューゴの手に戻り、彼が理解している範囲でそれを説明する。

「それとこれも使うといい」

「これは彼らが持っていた……」

「銃という武器だ。この引き金と言う部分を引けば、この先端の銃口から鉛の弾が発射される仕組みだ。射程距離、弾速、威力は優れてるが、弓などと違ってその分撃った時の反動が大きい。両手で構えて撃たねぇと下手すれば肩が外れる。まぁこの銃がそれほどの威力があるタイプのものなのかはわかんねぇが。それと俺達はこの武器の扱いは素人だ。当てるつもりで撃つならなるべく近くで撃て」

「わかりました」

一通りの武器の説明と加えて作戦を聞き、2人は部屋を出ようとした。

「アイリス! どこへ行くつもりなのよ!」

 後ろから皇女の1人が声を掛けた。それに対し、アイリスは静かに答えた。

「帝国のために戦うつもりです。お姉さま」

「あなたに何ができるのよ! やめなさい」

「確かに私に何ができるともわかりません。ですが、初めから何もしないよりいいと思います」

「いいから、やめなさい。あなたの事を心配して言っているのよ」

「お姉さま。嘘はいけません。貴女は私のことなど心配などしていないでしょう?」

「え?」

「お姉さまはただ皇族の中で最も戦える私に守ってもらいたいが為に、傍にいてほしいだけではないのですか?」

「な……あなた……!」

「それでは失礼します」

 姉皇女の言葉を最後まで聞くことなく、無視して部屋を出た。廊下には1人として人の姿は見当たらず、ただ遠くから声などが聞こえるだけだった。

「最後に1つ言っておくことがある」

 鋼鉄の扉が閉まったことを確認してから、ヒューゴは口を開いた。そしてアイリスの返事を待たずして続きを話す。

「この戦いに勝ったとして帝国に帰った時――」


退魔の刻印沖海上 数分前


「ロメロ様」

「リノか。どうした?」

 退魔の刻印に近づく船上でリノがロメロの名を呼ぶ。

「本当にあの手紙を信じるのですか? 罠の可能性も――」

 昨日の夜、退魔の刻印に向かっていた彼らの許に1羽の鳥が飛来した。その鳥には手紙が括り付けられており、そこには彼らの強襲を予見しそれに協力するという内通者からの作戦が書かれていた。

「今更信じるも何もないでしょう」

 リノの言葉に被せ返答したのはロメロではなく、彼女の背後から近づくハイネだった。

「例え罠だとしても僕達は、その罠ごと打ち破るしかない。それにその内通者は、味方でしょう。彼らがこの強襲を予見しているという事は、敵である天賊もまたこの強襲を予見しているという事。ならば、わざわざ僕達に警戒されるような手紙を寄越すとは考えにくい」

「しかし、そう思わせ油断させる作戦かもしれませんよ?」

「リノ。君は敵の根城に攻め込む時、油断するのか?」

「それは……」

「彼の言う通りだ」

 ロメロがハイネの意見に賛同する。

「その内通者が敵であろうと味方であろうとワタシ達は油断すべきでない。いずれにせよ、天賊の艇は魔力を抑制する障壁を発生させていた。その手紙に書いてあることが本当ならば、ワタシ達はまずその装置を破壊せねば勝機はない」

「しかしその装置を守護する者がいると書かれております。この作戦通りですと、恐らくロメロ様はワタクシ達が装置を破壊する前に敵の、元騎士団長であるガルガントと交戦することになります。魔力が抑えられた状態では……」

「リノ。ワタシの心配はいらない。キミは自分の役割を全うすることに集中するんだ。ワタシがガルガントに勝っても装置が破壊できなければ、この戦いは負ける」

「わかりました」

 リノは頭を下げ、それ以上の言葉を控える。

「それで誰がどこに向かうの?」

 船内から髪を結びながら現れたレティが皆に質問する。

「ドラゴンに乗って空から侵入するって言うんだから、大人数では行けないし。というか、敵の攻撃潜りながら行かないといけないないから、そこの小型のドラゴンに乗るしかないものね」

 彼らの後方で飛ばずに戦場に立っている鞍の付いた小型のドラゴン数頭を指して言った。

「ロメロは自力で行けるとして。ハイネはもちろんヒューゴのところへ行くでしょ?」

「ああ」

「私もちょっと昔の馴染みがいるから、そこへ行くわ。当然リノも行くんでしょ?」

「ええ」

「装置がある角宮と呼ばれる場所は6つ。内2つは内通者が破壊する。残り4つ。1つは私。2つ目はハイネ。3つ目はリノ。ロメロはガルガントの相手だから、1つ余るけど?」

「それはその時、戦える人が行った方がいい。この作戦に参加している者の中で、敵の隊長とまともに戦えるのは僕達だけだ。そうだろ? ロメロ」

「残念ながらその通りだ。魔王軍と名乗っていても、強い者ばかりではない。強い魔族は、ワタシの下に付くことを嫌がり、この作戦はおろか、参軍すらしていない。だから敵の隊長と相対できる者は、リノを除き軍の中にはいない。ワタシが装置を1つ破壊してもいいが――」

「それはダメだ。ガルガントに太刀打ちできるのはロメロだけ。そのロメロが他のことに注力し、隙を作ることは危険だ」

「ロメロはガルガントに集中し、僕達は装置の破壊に集中する。そうしなければ、この戦いには勝てない」

「……そうだな。思慮が足りなかった。では、残り1つの装置の破壊はキミ達に任せよう」

 その直後、彼らの会話は退魔の刻印の爆発と共に終了した。

「合図だ」

 それを見たロメロは、手紙に書かれていた作戦開始の合図と見なし動き出す。

 ハイネ、レティ、リノがドラゴンに乗り込み空に舞い上がると共に、ロメロも自らの翼で空へと飛んだ。


 多方面から慌ただしく声が聞こえる通路。そこをアイリスは、身を隠しながら進んでいた。

 彼女は、ヒューゴの指示により、6の角宮に向かっていた。しかし、彼女に架せられた使命はそこの隊長の排除ではなく、魔力抑制装置の無力化。できることなら隊長を倒した方がいいが、ヒューゴは皇女にそこまで期待はしていないし、彼女自身もそれを理解しており、自身がそこまでできると過信していない。

 そのため彼女は、敵に見つかることなく角宮に侵入し、装置のみを破壊することを目的とした。移動の最中、所々に点在する窓から外の様子を確認し向かっている先を確かめているが、どこも似たような造りで、加えて隠れながら進んでいるため、方向感覚が狂い今現在はほとんど勘で進んでいた。

 ――建物の構造が複雑すぎて、今私がどこにいるのかわかりませんね。ヒューゴさんは、迷ったら完全に突き当たるまで一方向に進んで左右のどちらかに行けば辿り着けると仰っていましたが…………。

「貴様何をしている!?」

 彼女の後ろから突然声がし、反射的にすぐさま振り返った。

 そこには肩からベルトで提げ、両手持ちの銃を構えた赤い服の男が立っていた。

 ――しまった……見つかった!

 額に冷や汗を流しながら、この状況の打開策を考える。

「貴様……その恰好……例の皇女か。貴様、何故ここにいる?」

 男はゆっくりとアイリスに近づきながら質問する。

 ――落ち着け。ヒューゴさんに言われた通りに……。

 アイリスは質問に答えることなく、先程ヒューゴから手渡された片手で持てる銃を男に向けた。その瞬間、男は横に動きアイリスの向ける銃の射線上から外れる。

 ――やはり……。

 アイリスの頭の中で復習するように、ヒューゴの言葉が繰り返される。

『いいか。この銃という武器は当たりさえすれば、遠距離からでも鎧を貫通する威力がある。そしてその威力を知ってる敵は、銃を向けられれば例え相手が素人で実際に撃ってこなかったとしても回避行動をとるはずだ。だからできるだけ相手に銃を向けろ。それで敵が逃げるか身を隠せば、その隙にお前が逃げるなりすればいい。もし相手が接近してくるようであれば、斬術で倒せばいい。そして――』

 男は向けられた銃の射線上から常に外れるように移動し、アイリスに向かって銃を向ける。

 ――そして、相手が銃を撃ってくるようであれば……。

 男はアイリスに向かって容赦なく発砲した。

「何!?」

 しかし、射出された銃弾はぎりぎりの所で躱され、後方の壁や天井に着弾する。

『そして、相手が銃を撃ってくるようであれば、銃口の向きと引き金に掛けられた指の動きを見て、予測して避けろ』

 ――予測して避けろ! 予測して避けろ! 避けろ、避けろ、避けろ!

「どうなってやがる、なんで当たらねぇ!」

 男はいつの間にか足を止め、棒立ちの状態で銃を連射していた。しかし、その銃弾は服などは貫通しても、彼女の体を傷付けはしなかった。そして、接近するアイリスが再び男に銃を向ける。男もそれを見て反射的に回避行動に入る。彼女はその瞬間を見逃さなかった。

 ――重心がずれた。右!

 アイリスは男の回避方向を見極め、それに合わせて斬撃を繰り出す。一瞬の出来事。男の体から血が噴き出す。

「……貴様……その目は…………」

 倒れた男は気絶したのか、絶命したのか、それ以上言葉を発しなかった。

 しかし、彼の最後の言葉を耳にしたアイリスは気になり、傍の窓で自分の目を確認した。そこには普段は金色の虹彩が、赤く染まった状態が映し出されていた。彼女はその姿に見覚えがる。たった今倒したばかりの男と同じ。黒い髪に赤い瞳。

「これではまるで……」

 彼女は長らく忘れていたことを思い出す。

――そう言えばお母さまは、瞳が赤かった。そしていつも顔を隠していた。特に公の場に出る時は。まさかお母さまは…………。

彼女の中で1つの可能性が浮かび上がる。しかし、その真偽は彼女にとって、重要視することでもないことに、すぐに気付く。彼女にとって母親は、尊敬すべき皇妃であり、戦いの師であり、自分を愛し育て守ってくれた女性なのだ。それがアイリスにとっての母親の全てだった。

彼女は瞳の色がいつの間にか普段の金色に戻っていることに気付き、我へと帰る。

そして再び彼女は通路を進み始めた。

「しかし、どうしましょう。先程の戦いで少し漏らしてしまいました…………」


「ここか」

 ヒューゴが辿り着いたのは、3という数字が大きく書かれた扉の前だった。その先に魔力抑制装置があり、それを破壊することが目的だ。しかし、それは同時に隊長との相対を意味する。

 扉を開き、中に入る。部屋の奥には透明な壁に囲まれた、緑色の光を放つ大きく複雑な形をした物があった。父であるヨハネスから聞いた話では、一目でそれだとわかるということだった。しかし、彼は目で見るよりも先に、それから発せられる魔力を抑える何かしらの力を感じ取った。そしてその装置を背にし、ヒューゴの前に立ちはだかる者が1人いた。

「……ルシオ」

 そこに立ちはだかるは、退魔の刻印、3.(ディン・ドライ)隊長のルシオ・エインズワース。

「やはり裏切ったか。ヒューゴ……いや、そもそもこっちに付く気なんてなかったんだろ?」

 広い空間にルシオの声が響き渡る。

「そんなことはねぇよ。ここの実力主義は帝国の階級主義に比べたら素晴らしいと思う。そんな国が帝国を支配するってのも悪くない事だと思ったさ。ただ、それでもお前と肩を並べるのが嫌だったんだよ」

「僕と肩を……? 笑わせるな。昨日、僕に負けた奴がよく言う」

「今日は俺が勝つかもしれないぜ?」

「昨日の今日で何が変わるというんだ。僕はこの9年間、ガルガント閣下の下で力を身に付けた。僕はもうお前より遥か高みにいる。肩を並べることなどできはしない」

「お前こそ面白いこと言うな。高み? 同じ床に立ってる奴が言う事じゃねぇな、阿呆」

「減らず口が」

 ルシオは腰に提げる鞘から剣を抜く。

「抜け。僕とお前とでは、比肩することなど永劫ないことを教えてやる」

 ヒューゴも腰に提げる刀を抜いた。そして2人の刃が交わる。


 自身は守護するはずの魔力抑制装置を破壊したヨハネスは、1.(ディン・アイン)のアーレスが守護する角宮へと向かっていた。

 その道中、黒い装束を纏い顔を隠した、数人の兵が彼の道を阻んだ。

「お待ちください。ヨハネス隊長」

 進路を塞がれたヨハネスは足を止める。

「どこへ行かれるおつもりですか?」

 数人の黒服はヨハネスに質問する。

 ――葬消部隊(アウシャルテン)か……。

  葬消部隊。退魔の刻印内で唯一同族に刃を向けるための部隊。その役割は、退魔の刻印内の不適正者の排除である。彼らは帝国領土内にも潜伏しており、かつて退魔の刻印から隠れて村に住んでいたヨハネスを見つけたのも、この部隊である。

「僕の角宮の魔力抑制装置が何者かによって破壊された。その為他の角宮の守護に向かう所だ」

「そうですか。しかし、あなたを抹殺しろとの閣下からの伝令です。申し訳ありませんが、死んでいただけますか?」

 黒服の部隊は各々2刀の短刀を構える。

「クソッ」

 ヨハネスもエルダート製の刀を構えた。その次の瞬間、横の通路から葬消部隊に向かって無数の弾丸が飛ぶ。葬消部隊の何人かはやられ、残った者はそれを察知し、後方へと飛び退き回避した。そして通路から弾を撃った人たちが現れた。

「無事か? 夜羽」

 ヨハネスの許へと駆けつけたのは、地下牢から逃げ出した村人だった。

「オーレン……それに他の皆も……」

「手筈通り地下牢にいた帝国人と倭国人は全員脱獄した。他の奴らもあちこちで暴れて敵を引き付けてる。だからここは俺達がやるぜ」

「しかし――」

「任せとけ。銃の使い方もバッチリだ。近接武器だってある」

「だが、ここでは――」

「魔術は使えないってか? それがどうした。辺境の村で育った貴族じゃねぇ俺達は魔術なんか端から必要ねぇんだよ。強ぇ魔物相手に戦ってきた村人の力ってもんを見せてやるぜ。おめぇはこの先に用があんだろ? だったらここは俺達に任せて先に行け。俺達をここに連れてきた償いの時だ。懺悔じゃなく行動で示せよな」

 ヨハネスはずっと悔いていた。自分のせいで村の者を退魔の刻印に連れて来ることになってしまったことを。そして自身の弱さを。

「……ありがとう」

 村の者にとってヨハネスは今もなお、村人の一員なのだ。

 意を決したヨハネスは、葬消部隊を避け、村人達が通ってきた通路から迂回する。

「行かせないッ!」

 葬消部隊が逃げる彼を追うとするが、それを村人達が遮った。

「この先には行かせねぇぜ」

「雑魚が……!」

「雑魚ォ? 皆、俺達が雑魚だとよ」

 オーレンが他の村人に言葉を投げ掛けると、その返答として声を上げて笑った。

「教えてやるよ。田舎もんってのはなァ、雑魚には務まんねぇんだよ!」

 彼らは一斉に剣を抜き、葬消部隊へと立ち向かった。


「ハッ……ハァ……」

 息切れの声が静かな空間に響き渡る。

「どうした? もう終わりか、ヒューゴ。さっきまで威勢はどこへ行った?」

 息を荒げるヒューゴに対して、ルシオは息一つ乱してはいなかった。

「すでに話には聞いている。お前はヨハネス隊長の息子らしいな。エルダートの血を引いているからか、多少なりとも魔力変換のイクシードが使えているようだが、それでも僕のそれには遠く及ばない。昨日は警戒して韋駄天を使ったが、今のお前は韋駄天を使うまでもないな。昔のお前は強かった。正直、嫉妬したよ。一能突出の強さに。昔のお前はそれだけに頼った強さじゃなかった。それが今はどうだ? 韋駄天を扱えるが故に、そればかりに頼り、斬術もそれありきのものに成り下がった。お前に勝つことを目的としてきた。それなのに、お前は韋駄天限定下での鍛錬をした。戦わずともお前が僕より弱いことがわかった。本当に残念だったよ」

「お前がそんな風に思ってたなんて知らなかったぜ。だったら、韋駄天ありの俺に勝てるか試してみたらどうだ?」

「挑発には乗らない。装置を止めるわけにはいかないからな。それに、例え魔術が使えたとしても僕が勝つことに変わりはない。……これで終わりだ」

 ルシオは剣を構え、ヒューゴに向かって突進する。ヒューゴも構えようとするが間に合わない。刃が彼目掛けて振り下ろされた。しかしその刃は虚空を斬り、そのまま床へと食い込んだ。

 ルシオはそれに特に驚くことなく、冷静なままその場から消えたヒューゴの行先へと目を向けた。そこには見知った顔の人物がもう1人立っていた。

「ハイネ……」

 その名を呼んだのは、ヒューゴだった。

 ハイネの視線がヒューゴへと向く。そして次に向けられたのはハイネの持つ、青紫色の魔力で形作られた刀身の鋒だった。

「ヒューゴ。君はどっちだ? 敵なのか、それとも味方なのか」

 膝を着いているヒューゴはゆっくりと立ち上がる。

「敵と思うか味方と思うかは、お前次第だ。ただ、少なくともそこの奴の敵だ」

 ヒューゴの指差す先に目を向ける。

「ルシオ……」

「お前も来たのか、ハイネ。閣下に斬られた傷はもういいのか?」

「閣下?」

「ガルガントのことだ。ここじゃあ団長じゃなく閣下って呼ばれてる」

 ハイネが知らないことをヒューゴが補足する。

「なるほど。ルシオ、その赤い服を着ているということは、やはり君は帝国を裏切ったのか?」

「裏切ったか。お前からすれば、そうなるな」

「そうか。僕にとって赤軍は敵だ。ヒューゴ、君はさっき彼とは敵だと言ったね。だが、君は昨日赤軍に付くと言った。今の君はどうなんだ?」

「俺は真実を知るためにここに来た。詳しく話せば長くなるが、真実を知った今、平たく言えば俺は赤軍の敵だ」

「かなり平たいね」

「お前も赤軍が敵だというなら、今俺達が争う理由はねぇよな?」

「そうだね。今はね」

「なら、一緒にあいつ倒すか。ここじゃあ魔術は使えねぇし、俺1人の斬術だけじゃあ勝ち目はねぇ。だが、気を付けろ。あいつはここでもある程度魔術が使える」

「わかった」

 ヒューゴとハイネの両者は刀を構える。

「いいだろう。お前達2人掛かりでも叶わないことを思い知らせてやる」

 先に斬り掛かったのはヒューゴだった。エルダート人特有のイクシードを使い、常人に比べて速い程度のスピードでルシオに斬り掛かるが、彼はそれを容易く受け止める。

「エルダート人とのハーフとはいえ、訓練もせずそれ程までイクシードを使えるとは大したもんだな。しかし――」

 目の前にいたルシオは後方へと下がり、次の瞬間ヒューゴの腹部に膝蹴りを入れた。

「ごはッ……」

「僕のそれに比べたら大したものではないな。消えろ」

 跪くヒューゴに向けて、魔術を放とうとした所に、横から鬼鎧を纏ったハイネがルシオに斬り掛かる。しかし、またしても彼はそれを軽く受け止めた。

「それが鬼鎧というやつか。だが、ここではその鬼鎧も大した力は発揮できないようだなッ!」

 ルシオがハイネの刀を弾く。

「くっ」

 隙ができたハイネに向けて手を構えたルシオは、無詠唱、思考呪文で攻撃魔術を放った。

 だが、その魔術は氷壁によって防がれた。

「氷ッ!?」

 その氷壁の向こう側では、刀を構えたハイネが氷壁に向かって刺突を繰り出す。すると、その氷壁から数本の氷柱が伸び、ルシオに向かって襲い掛かる。彼はその氷柱が伸びるよりも速く動き回避した。一方でヒューゴもその氷柱に刺さりそうになり、何とか避けた。

「何だ……今のは……?」

 ――ここでは訓練もなしに魔術は使えないはず。いや、鬼人だから使えるのか?

 ルシオはその氷がいかにしてできたのか考えを巡らせた。-

 氷壁と氷柱は崩れ、膝を着くヒューゴの許へと駆け寄る。

「大丈夫か? ヒューゴ」

「……ああ。もう少しで氷像の一部になってたがな。今のは一体何だ? お前ここで魔術が使えるのか?」

「この刀だよ。氷結能力を持った白漣集十二番、氷刀、蒼百合(あおゆり)。ロメロに借りた」

 ハイネの手にしている刀はいつの間にか青紫色の魔力で形成されていた刀身は氷へと変わり、その氷自体が刃と化していた。

「借りたって……」

「もちろん、後で返すさ」

「……別にそんなこと聞いてねぇよ。それよりそんなもん持ってんなら、なんで初めから使わなかった?」

「この蒼百合は、威力や攻撃範囲は絶大だけど、その分扱うのが難しいんだ。かつて帝国の隣国だったシュゼンベルグが滅んだのも、この刀のせいらしい。ロメロが蒼百合を使わないのもそれが理由らしい。尤も僕もロメロも、それだけの力は引き出せないけどね」

 ローゼンクロイツの隣に存在していた小国シュゼンベルグはある時突然雪と氷に覆われ滅び、その後帝国領となった。しかし、その地域は今もなお雪と氷に覆われており、人は住んでいない。物好きが氷の城を見に訪れる程度である。

「でも、何がきっかけでそうなるかわからない。だからあまり使いたくはないんだ。さっきみたいにヒューゴも傷付けてしまうかもしれないし、ルシオも殺してしまうかもしれない」

 その言葉を聞いた瞬間、ヒューゴの目付きが変わる。

「おい。この期に及んで甘ぇこと言ってんじゃねぇぞ、阿呆。いくら同期だからって敵であることには変わりねぇ。やるからには殺す気でやれ。加減するな。それで死なねぇ時だけ、生かしてりゃあいいんだよ」

「そいつの言う通りだ」

 離れた位置からルシオがヒューゴに同意する。

「殺す気で来なければ僕に勝てはしない。いや、殺す気で来ても勝てないがな」

 ルシオはヒューゴへと斬り掛かった。ヒューゴはそれを刀で受け止める。そしてハイネがルシオに氷の刃で斬り掛かるが、ヒューゴの刀を弾きそのまま蹴り飛ばし、その流れでハイネの氷刀を受け止める。

「ヒューゴを巻き込まないように、直接攻撃か? 温いな」

「どうかな?」

 ハイネの氷刀と鍔迫り合いになっているルシオの剣が接触している所から徐々に凍り始める。それに気付いたルシオはすぐさまハイネから離れた。

「なるほど。その刀身そのものに氷結能力があるのか。しかし、だから何だというんだ」

 ルシオは再び間合いを詰め、ハイネへ攻撃を仕掛ける。

「やはりな。どうやらその刀身に数秒触れてないと凍らないらしいな。だったら、接触時間を短くすればいいだけの話」

 素早い数多の斬撃をハイネは防ぐ一方だった。

「そう言えば、ハイネ。お前は斬術より打術の方が得意だったよな?」

「それがどうした?」

「いや、ただ、隙だらけだと思ってな」

 瞬間、ハイネの氷刀は空中へと弾かれた。その隙を衝いて、ルシオはハイネ目掛けて刺突を繰り出す。彼は素手で鋒の軌道を僅かにずらした。しかし、完全に避けることはできず、剣先はハイネの肩へと突き刺さった。

「ぐッ……」

 ルシオは剣を突き刺したままハイネの体を斬ろうと力を入れた瞬間、ヒューゴの攻撃に気付き、それを避ける為ハイネの体から剣を引き抜き、向けられた攻撃を躱す。

 空中へと投げ出された氷刀を上手く掴み取り、血が流れ出る肩の傷を厭わず再び構える。

「無事か?」

 ハイネの前に立つヒューゴが視線を向けることなく問い掛ける。

「……問題ない」

「そうか。なら、俺の言う通りにしろ」

 ヒューゴは手短にルシオには聞こえないように、作戦を伝える。

「本当に大丈夫なのか?」

「恐らくな。だが、それぐらいしねぇと勝てねぇ」

「……わかった」

 眉間に皺を寄せ、それしか方法がないことを悟り、渋々了解する。

 そして先に仕掛けたのはヒューゴだった。しかし、それは正面からの単純な斬り掛かりであり、ルシオはそれを受け止めることなく躱した。

「何やら話していたようだが、そんな遅い攻撃じゃあ、どんな作戦も意味ないな」

 イクシードで背後に回ったルシオは、ハイネを警戒しながら、ヒューゴを攻撃した。しかし、背中を切り裂くはずだった刃は、黒い刃に弾かれた。

「何ッ!?」

 ――さっきよりも反応が早い……。まさか、イクシードの使い方に慣れてきたのか?

「やるじゃないか」

 ヒューゴを馬鹿にしたように褒め、再び斬撃を仕掛ける。

 数回の斬撃を受け流したヒューゴだが、それがずっと続くことはなく数撃目で両者の刃が弾き合い、互いに隙を作った。しかし、この瞬間実際に隙ができたのはヒューゴだけだった。ルシオは柄を握らない空いた手をヒューゴに向け攻撃魔術を放つ動作へと入った。魔力抑制装置があるため、決して強くはないが、それでも相手を気絶させる程度の威力はある。

「終わりだァ!」

 勝利を確信したルシオは笑い、魔術を放つ。

「極夜皇!」

 ヒューゴが手に持つ黒い刀の名前を呼んだ瞬間、一切の光を反射しない漆黒へと移り変わる。そして撃たれた魔術がその黒き刀身へと触れた瞬間、暗闇に吸い込まれるように消えた。

「なッ……」

 それを見たルシオは一瞬動揺し、その動揺の隙を衝いてヒューゴが斬り掛かった。

「舐めるなァ!」

彼はすぐに切り替え、ヒューゴの斬撃を受け流した。そのまま彼の脇腹に蹴りを叩き込む。

 宙を飛び、身動きが取れないヒューゴに追い打ちを掛けようと飛び掛かった時、背後からの凍気に気が付いた。そこに目を向けると、後方でハイネが氷刀を構えていた。そこから発せられる凍気は今までとは違うものだとすぐに気付いた。しかし、すぐにハイネからヒューゴへと視線を戻し、彼との距離を詰めた。

 ――ヒューゴと戦っている間の隙を衝くつもりだったんだろうが、残念だな。僕を攻撃すれば、ヒューゴも巻き込むも同然。攻撃などできまい。

 しかし、依然と背後の凍気は消えず、それどころか更に増すばかりだった。それを危険と感じ取ったルシオは半ば本能的にハイネへと体を向けた。その瞬間、背を向けた先にいるヒューゴが背後から斬り掛かってきたが、それに対しても即時対応し、剣で刀を受け止めた。

「気付かないとでも思ったか? ハイネに攻撃動作を取らせ、それを警戒した僕を背後から斬るつもりだったんだろうが、そんなものはお見通しなんだよ」

「クソッ!」

 ヒューゴの刀は再び弾かれ、ルシオはその隙に向けて刺突の構えをとる。彼は完全にヒューゴを注視しており、後方で凍気を発するハイネのことは無視していた。

「気付かなかったようだな」

 ヒューゴの言葉。ルシオがその言葉で気付いた時にはすでに遅かった。彼の全身は背後から襲い来る氷の波に呑まれ、ヒューゴ諸共氷漬けとなった。

 そのはずだった。

 しかし、実際氷漬けとなったのはルシオだけだった。ヒューゴの周りから後方は切り裂かれたように氷が避けているようなっていた。氷に包まれていないヒューゴの背後から、その氷を放ったハイネが駆けつける。

「大丈夫か?」

「ああ、上手くいった……」

「そのようだね。僕がルシオを殺してしまったんだね……」

 氷の中で動かずに固まっているルシオを見て、悔いるように息を吐く。

「阿呆。そうだとしてもルシオは帝国にとって反逆者だ。騎士に戻ったお前は、いずれルシオを捕えるか殺すかしただろう。それが殺すことになっただけのことだ。罪を背負う必要はねぇ」

 ハイネが胸に付けている十字騎士章を見て、彼が再び帝国騎士となったことを察した。事実彼はアルヴィスの計らいで再び騎士となり、そして帝国騎士としてこの場に来た。それが意味することは、今ヒューゴが言った反逆者の捕縛或いは抹殺である。

「それでもルシオを殺してしまったことに変わりはない。だから僕は罪を背負わなければならない。誰の為でもない僕の為に」

「…………」

「それにしても、蒼百合の氷結攻撃をその刀で斬るだなんて、そんな無茶よく思いついたね?」

 暗かった声を少し明るくし、話を切り替えた。

「極夜皇は魔力を吸収する刀だ。なら、魔力を使って氷を生み出す蒼百合の攻撃を防げないはずはねぇ。もし魔力を介さず無限に氷を生み出す能力だったら、俺も凍ってただろうがな」

「まぁ、刀身から氷を生み出すなんて魔力でもなければ、できやしないからね。これならあの装置も破壊できるだろうね」

「ああ」

 2人は透明な壁の隅に設置されている扉から中に入り、装置の破壊をする。

 この国の技術は彼らにとっては未知なため、単純に凍らせるだけでは不十分と考え、蒼百合を突き刺し、内部から幾多の氷柱を発生させ物理的な破壊をした。それが効果的だったのかはわからないが、装置から放たれていた緑色の光が消えた。ヨハネスから聞いた話では、この光が消えれば装置は止まった事になる。

 彼らはそれを確認し、次の装置破壊のため別の角宮に向けて発とうとしていた。

「だけど、その前に教えてほしい。1度は赤軍に付いた君が何故また彼ら敵になったんだ?」

 ハイネの質問にヒューゴは自分が知る限りの村人消失事件の真相と自身の気持ちを告げた。

「ヒューゴのお父さんが……」

「そうだ。全てはガルガントの仕業だ。だから母さんは半ばガルガントに殺されたものだと俺は考えてる」

「じゃあ、これは復讐なのか?」

「そうだ」

「そうか……」

「止めないのか?」

「え?」

「お前のことだ。復讐なんて何も生まないとか、虚しいだけだとか、そんな甘いことを言うと思っていたんだが」

「確かに復讐なんて何も生まないだろうし、虚しいだけかもしれないけど、その考えを他人に押し付けるようなことはしないよ。もしヒューゴの立場だったら、僕も復讐するだろうから。それに僕が騎士を目指したのも半分は、父さんを追い出した帝国への復讐みたいなものだしね」

「……そうだったな。さて、もう行こう」

 2人は、次の装置を目指して歩き出す。しかし、ヒューゴは部屋を出る扉の前で足を止めた。

「どうしたんだ? ヒューゴ」

「…………」

 扉の先とは別の方向を黙ったまましばらく見つめるヒューゴ。

「お前は先に行け。俺は別にやることができた」

「できたって――」

 ハイネを言葉を聞かずヒューゴは1人走り出した。

「あ、ヒューゴ! ……君は一体…………」


「ここね」

 ドラゴンに乗って魔力抑制装置があるとされる角宮に辿りついたレティは、4と書かれた扉を開けた。

 扉を抜けた先には広い空間あり、その正面奥にそれらしい見慣れない機構があった。帝国でも技術者がどう使うのかよくわからないものを生み出したりするが、目の前にあるそれは自分が知るものよりも遥かに進んだ技術で作られたものだと直感した。

「あらぁ、あんたが来たのねぇ。ざぁんねん。キャハハハハ」

 聞き覚えのある声と舌で舐めるような語尾を伸ばした話し方。その声が聞こえた先、顔を上げ少しばかり高い所を見る。装置を守るように取り囲んだ透明な壁の上部に、初めからあったのかわざわざ作ったのか、椅子のように座ることができる場所に彼女は脚を組んで座っていた。

「イレーナ」

「はぁい。お久しぶりぃ。って言っても帝国に居る頃ちょこちょこ会ってたわよねぇ」

 彼女は高台から飛び降り、レティと同じ高さの床に立つ。

「あなた一体いつから帝国を裏切ってこちら側に付いていたの?」

「昔やった決闘の後ぐらいよ」

「そう。なんでこっち側に付いたの?」

「特に理由なんてないわよぉ。そうねぇ、強いて言えば面白そうだったからかしらねぇ」

「面白そう?」

「そうよ。って言うか帝国がつまらないのよぉ。あの臆病な皇帝だからさぁ、何もやろうとしないでしょぉ? 騎士階級を上げれば、少しは面白くなるかとも思ったけどぉ、周りは結局平和ボケした地位ばかりで力なんてないカスばっかだしぃ。そんな中で高みを目指したって何も面白くないじゃなぁい? あたしはもっと刺激が欲しいのぉ。だからここに来たって訳ぇ。ここは面白いわぁ。実力主義だから上に立つ者はそれに見合うだけの実力を持ってる。帝国とは大違ぁい。わかるぅ?」

「わからなくもないわ」

「ならあんたもこっち側に来たらぁ?」

「残念だけど、それは無理ね。私は騎士としてここに来たの。あなたを捕える為に」

「ふぅん。その十字騎士章……やっぱりそういう意味なんだぁ。でもぉ、捕える為なんて温いこと言ってるとぉ、あんた死ぬわよぉ?」

 瞬間、イレーナはレティとの距離を一気に詰め、彼女の胸目掛けて拳を放つ。レティはそれに対して間一髪のところで、装備してきた槍で防いだ。

「あらぁ、やるじゃなぁい」

 初撃を防がれたにも関わらず、それに一切の動揺を表すことなく、余裕を見せつける。レティは槍を振り、イレーナを後退させた。

「そう言えばあんた決闘の時も槍状のものを使ってたわねぇ。やっぱり槍術が得意なのぉ?」

「ええ。むしろ槍ぐらいしか真面に扱えないわ」

「あそ。それにしてもその槍、頑丈ねぇ。あたしの拳で折れないなんて。もしかして白漣集ぅ?」

 先端が三又になった彼女の身長のよりも長い緋色の長槍。

「ええ、そうよ。白漣集八十七番、緋華(ひばな)

「へぇ。それでなんであんたがそんなもの持ってるのぉ?」

「帝国が管理していたものを借りたのよ」

「よく貸してくれたわねぇ。あの皇帝がそれを許すなんて思えないけどぉ?」

「皇帝じゃないわ。アルヴィス騎士団長よ」

「そぉ。あの人団長になったんだぁ。まぁトップの2人が離反したんじゃぁ、階級的にあの人がなるのは当たり前かぁ。じゃあ、その槍の貸出しはあの人の独断って訳ねぇ。だったらあんた負ける訳にはいかないんじゃなぁい? 勝手に貸出しといて負けて敵に奪われましたじゃあ、首刎ねられるかもしれないしねぇ。でもぉ、いくら白漣集だからってそんな槍1本であたしに勝てると思ってるのぉ?」

「思ってるわよ」

 レティは緋華と言う名の槍を体の前で構える。

「そぉ。なら頑張って!」

 イレーナは再び拳を作り、レティへと向かう。彼女は槍の柄で拳を逸らし、そこに生まれた僅かな隙へと刀身の部分である穂を叩き込んだ。しかし、その攻撃は簡単に避けられ、イレーナは再び攻撃へと転じる。それでも先程と同じように彼女の打術は槍によって防がれ、今度はレティの槍が猛襲した。

「あんたってそんなに槍使えたんだぁ。でも、遅い遅ぉい。昔言ったじゃなぁい。あたしは接近戦が得意なのぉ。それに膂力が強いってねぇ。いくら槍術が優れてても、その程度じゃぁ、あたしには届かなぁい」

 イレーナは、器用にレティの槍による猛攻を避けながら話す。

「今だから教えてあげる。あたしの髪の黒色って実は倭国人じゃなくて、ここの、エルダート人の遺伝みたいなのよねぇ。瞳も赤いしぃ。だからぁ、素の身体能力も帝国人なんかより生まれながらにして上。しかもここで魔力を膂力に変えるイクシードの使い方を学んだからぁ、あんたの槍なんて当たらないのよぉ。顕現兵仗(エグジスタンス)だっけ? 魔力抑制装置のせいであれも使えないんでしょぉ? あれが使えないあんたなんてぇ、羽の無い鳥みたいに無力よぉ」

 振り下ろされる槍をあっさりと避け、いつでも攻撃することができたと言わんばかりに、レティの隙を衝いて腹部に拳を叩き込んだ。

「がはッ……」

 後方へと吹き飛んだレティは着地して転がる体を、床に槍を突き刺しそれに捕まることによって無理やり止まり、すぐに体勢を立て直した。それでもたった1撃の殴打で彼女の呼吸は苦しくなり、咳き込みながら息をしていた。

「どぉ? あたしの拳ぃ。効くでしょぉ? キャハハハハ」

 腹を抑えて苦しみながら息をするレティに、拳を見せつけながら笑う。

「んー、見た感じもう終わりねぇ。呆気なかったぁ。キャハハハハ。安心してぇ。あんたが負けた証としてぇ、ちゃんと裸にひん剥いてあげるからぁ。キャハハハハハハ」

「……はぁ……あなた……昔と変わってないのね…………」

 漸く呼吸が戻ってきたレティは立ち上がり、槍を構える。

「なぁに? まだやるのぉ? 無駄よぉ」

「無駄かどうか、試してみたら?」

「……そぉ、じゃあ……そうするわッ!」

 槍を構えているが、先程までの力強さが感じられないレティに向かって、再び殴り掛かった。しかし、レティはそれを狙っていたのか、イレーナが攻撃動作に入った瞬間に、槍を振りカウンターを仕掛けた。しかし、彼女は刃の付いているはずの穂を素手で掴み、槍の斬撃を止めた。

「無駄ってこういうことよぉ」

纏外魔装(エクストレミティ)ッ!?」

「そぉ。魔力抑制装置の範囲内でもこれぐらいの事はできるのよぉ」

「くっ……」

 魔力を纏った手に掴まれた穂を彼女の手から引き抜こうと槍を手前に引くが、彼女の握力はそれを許さなかった。

「さぁどうするのぉ? 槍が封じられた以上、もうあんたに攻撃手段なんてないんじゃなぁい? それともあたしみたいに殴ってみるぅ? キャハハハハハハ」

「……イレーナ、あなたはヒューゴより戦いやすいわ」

「はぁ?」

「ヒューゴって基本的に敵の攻撃は全て避けようとするから、私は相性が悪いの。あなたがヒューゴみたいでなくてよかったわ」

「何言って――」

「緋華!」

 レティが槍の名前を叫んだ瞬間、穂から炎が噴き出し、イレーナの体を包み込んだ。しかし、一瞬こそ炎に包まれたがすぐにその場から離脱し、ダメージを最小限に抑えた。事実、今の炎撃では彼女の服の端が少し焼け焦げ、多少の火傷を負った程度だった。

「クソッ……何よ、今の? ここじゃあそう簡単に魔術は使えないはずなんだけどぉ?」

「教えると思うの?」

「そうよねぇ。相手に手の内明かして戦うなんて馬鹿げたことするはずないわよねぇ。ま、何にせよあたしが勝つことには変わりないけど――ねッ!」

 イレーナはまたしても今までと同じように正面から殴りに掛かる。対してレティは槍の穂を彼女に向けて振り、斬撃を浴びせようとした。しかし、彼女は身を翻し、穂を避ける。斬られたのは彼女の服の一部だった。

 ――斬れた。だけど、さっきのような炎は出ない。さっき槍から炎が出たように見えたけど、気のせい? なら……。

 イレーナは振り抜かれる槍の穂ではなく柄を掴みとる。

「これならどぉ?」

「緋華ッ!」

 彼女が再びその名を呼んだ瞬間、柄も含めた槍全体から炎が噴き出した。それに反応したイレーナは咄嗟に手を槍から離し、後退して距離をとる。

 今の炎撃で若干手を火傷した彼女はその手を握りしめた。

「そういうことぉ。あなたがその槍の名前を叫べば、炎が出るってわけねぇ。火力はそれなりにあるみたいだけどぉ、すぐに離れれば大したダメージは負わなぁい。それに――」

 笑みを浮べたイレーナは、少し息を切らしているレティを見る。

「その炎って使用者も焼くみたいねぇ。槍を持つ手は纏外魔装で守ってるみたいだけどぉ。何ぃ、あたしの真似ぇ? キャハハ。よくできたわねぇ。まぁ、元々あたしとあんたって魔力の使い方が似てるから、できても不思議じゃないけどねぇ。でも疲れるでしょぉ? 慣れてないと魔力抑制下で魔力使うのって」

 イレーナの言う通り、レティは彼女の真似をして魔力をその身纏う纏外魔装を手と肘辺りまでの腕だけに使っていた。それは槍から放たれる炎から自身の手を守るためだが、彼女がその部分にしか纏外魔装を使うことができないからだ。元々はイレーナが持つ技術であり、彼女は真似をしたに過ぎない為、イレーナより劣るのは当然である。加えて、魔力抑制下での使用の為、纏外魔装が安定せずそれを安定させようと無意識的に出力を上げてしまう為、普段より魔力の消費が激しく、疲れるのが早かった。

 ――確かに問題。このままじゃ私の魔力切れで終わり。あの装置を破壊しない限り顕現兵仗も使えない。かと言って破壊しに行けば、後ろからイレーナに攻撃される。どうすれば……。

「近づいたら燃えちゃいそうだからぁ、遠くから攻撃してあげるぅ」

 その言葉に疑問を持った。イレーナは能力からして完全な近接戦闘型である。そんな彼女が遠くから攻撃などできるはずはない。そう考えたが、彼女の言葉の意味がすぐに分かった。

 差し出した彼女の両手から、歪ながらも魔力で作られたナイフのようなものが現れる。

「……それは……!?」

「そぉ。顕現兵仗。あんたの技よぉ」

「なんであなたがそれを……?」

「そんなに驚くことないでしょぉ? だってぇ、さっき言ったじゃなぁい。不思議じゃないってぇ。あんたがあたしの纏外魔装を使えるなら、逆にあたしがあんたの顕現兵仗を使えるって考えに至らなきゃぁ――ね!」

 イレーナの言葉が終わると同時に彼女じゃ手に出現させた魔力のナイフを投げ飛ばした。飛んでくるナイフが多いため、下手に避ければ被弾が多くなると考え、いくつも飛んでくるナイフを槍で叩き打ち消していく。

「キャハハハハ! どぉ? あたしの顕現兵仗はぁ? まぁ、あんたみたいに大きなものは作れないし、形も歪だけど、それでも傷付ける程度のことはできるのよぉ! ほら、ホラァ!」

 レティは徐々に振りが遅れ、無数に飛んでくる魔力のナイフに間に合わず、撃ち落とせなくなってきた。打ち逃したナイフがレティの体を傷つけ初める。

 ――このままじゃ……。仕方ない。

「緋華!」

 緋色の槍の穂を床に突き刺し抉ると同時に、槍の名を叫ぶ。すると、槍は爆炎を吐き、床を焼きながら炎がイレーナへと向かい襲い掛かった。

「そ。それを待ってたの」

 イレーナの声は今し方放った地を這う爆炎の横からした。レティ自らが放った炎が遮蔽物と化し、イレーナはその死角に隠れ接近してきた。反応が遅れたレティは彼女の蹴りを防ぐことができなかった。蹴り飛ばされた彼女は壁に叩きつけられる。

「キャハハハハ。やっぱりねぇ」

 壁に叩きつけられ、血を吐き倒れているレティに言葉を投げ掛ける。息切れしている彼女は返事をしない。

「纏外魔装で手を守ってるみたいだけどぉ、完全には防げてないみたいねぇ。だからその槍から炎を出した後は、痛みか或いは熱かで隙ができる。キャハハハハ。使用者も焼くってその槍、失敗作なんじゃないのぉ? キャハハハハ」

 黙ったまま立ち上がろうとするレティを見ながら、イレーナは言葉を続けた。

「最後にいいもの見せてあげる」

 そう言ったイレーナは、体の前で手を合わせる。すぐに手の隙間から光が溢れ出し、手をゆっくりと放す。すると両掌の間に魔力の塊が出現し、それが徐々に伸び始める。

「……それは…………」

 彼女の体の前に出来上がったものは、赤い魔力を槍状に押し固めたものだった。

臙脂焔(ブラッディ・インフェルノ)。って言ってもあんたの瑠璃焔(アズール・インフェルノ)の色違いだけどねぇ。すごいでしょ? いつかあんたを驚かせてやろうと思って練習したのよぉ。この魔力抑制下でも作れるようにねぇ。安心してぇ。あんたのみたいに爆発はしなからぁ。それでも突き刺さりはするけどねぇ」

 イレーナは魔力の槍を投擲する構えをとる。

「じゃあね」

 槍を投げようと力を込めた瞬間、一発の弾丸が槍を貫通し、そのせいで魔力の槍は形を保てなくなり霧散し崩壊した。

「何!?」

 銃声の聞こえた方向に目を向けると、部屋の入口の前に1人の少女が立っていた。

「あんたは……アイリス・ローゼンクロイツ」

 アイリスは手に持った銃をイレーナに向けて続けて発砲した。

 今まで使ったことのない銃を初めて使った為か、銃の反動で射線がずれ、弾丸を避けるのは容易かった。 連射された銃は十数発放つと、弾切れになり引き金を引いても反動もなくカチカチと音が鳴るだけだった。

「あ、あれ?」

 弾切れが起こることを知らず、無限に撃てるものだと思っていた皇女は動揺したが、銃が壊れたものだと思いすぐにそれを捨て、エルダート製の近接武器へと持ち替える。事前にヒューゴから説明されたことを実践する。それは武器の形態変化。と言っても、彼女が扱えたのは、いくつかある中の1つ。分離による双刀形態。

 しかし、イレーナは彼女の武器が分離し2本に変わったことに一切の動揺を示さず、接近し殴り掛かった。だが、次の出来事には一瞬動揺した。アイリスは彼女の初撃を避けたのだ。

 ――躱した!? 皇女が!?

 戦うことなどできない温室育ちの皇女だと思っていたため、彼女が攻撃を躱したことに驚いた。アイリスはその隙を衝いて双刀で斬り掛かってくる。

 ――だけど、遅い!

 すぐに戦える相手だと認識を改めたイレーナは、刃が自身の体に達する前にアイリスを蹴り飛ばした。宙を飛ぶ彼女に追撃を加えるため跳ぼうとした瞬間、後方で爆発が起こった。

 振り返れば、魔力抑制装置が炎に包まれ、大小の爆発を繰り返していた。

「あんた、まだ動けたの」

 破壊された装置の許にはレティが立っていた。

「でも、わかってるぅ? それ壊したってことは、あたしの魔力も解放されたってことなのよ?」

 先程蹴り飛ばしたアイリスは後方で倒れ苦しんでおり、放っておいても邪魔にならないと判断したイレーナは、レティに注意を向ける。装置が破壊されたことによって、彼女の纏外魔装は昔や今までとは比べものにならない程の魔力で彼女の体を覆った。

「言っとくけどぉ、あんたの顕現兵仗なんてもう効かないわよぉ? さっき見せたようにあたしもあんたと同じことができるの。だから相殺だってできるってことだからぁ。加えてこの纏外魔装。さぁ、どうするぅ?」

 黙ったままのレティに質問する。しかし、返ってきたのはその答えではなかった。

黒闇焔(ネロ・インフェルノ)

 彼女が口にした瞬間、今まで紅炎を出していた槍は、黒炎が噴き出し槍の全身を包み込んだ。それを見た瞬間、イレーナの背筋に緊張が奔った。

「な、何よ、それ……」

 彼女が扱う顕現兵仗には、瑠璃焔と白銀焔(シルヴェル・インフェルノ)の2つがある。しかし、目の前のその黒炎はそのどちらとも違う、異質の魔力。そこにあるだけで重苦しさを感じるような底知れぬ魔力の塊。

 しかし、彼女はそれ故にその黒い炎を警戒した。油断はない。動揺もない。隙もない。慢心もない。意識を張り巡らせ、どんな攻撃にも対処できる確信があった。

一瞬。

レティの槍とイレーナの槍がぶつかり合う。

 同時に互いの傷口から血が噴き出す。レティは倒れそうになる体を何とか支えた。そして先に倒れたのはイレーナだった。

「……あーあ。また……あたしの負けか……」

 意識を失い、彼女は自らの血溜りの中に静かに倒れた。その直後、彼女を斬ったレティもその場に倒れ込んだ。

 意識を失ったレティは、少しして目を覚ます。

「ご無事ですか?」

 傍にいたアイリスが彼女の目覚めに気付き、声を掛ける。

「……殿下」

「弱いですが、今私の回術で回復しています。動かないでください。しかし、何故貴女が倒れたのですか? 貴女が攻撃を受けたようには見えませんでしたが……」

「あの黒い炎は私の全魔力を使った技です。少しの間、攻撃力や速力などの全能力を爆発的に強化しますが、その強化に私の体が耐えられないのです」

「そういうことですか」

「殿下……イレーナは……?」

「イレーナ? あの女性ですか? あそこで倒れています。まだ息があるようですが、意識はないみたいです」

「殿下、私より彼女を助けて下さい。急所は外して傷も深くはないはずですが、あの技は私も加減できないので……」

「何故、彼女を助けるのです? 彼女は敵ではないのですか?」

「確かにイレーナは帝国に背き、この国に加担した反逆者です。彼女がどう思っているかはわかりませんが、それでもイレーナは共に騎士になった私の友人なのです。だから私は彼女を連れ戻す為にここに来ました。助けたらイレーナは私を恨むかもしれません。でも、私は彼女を見殺しにはできない」

「それほどまでして助けたい、大切なご友人なのですか?」

「……はい」

「わかりました」

 アイリスは一旦レティの許を離れ、イレーナの治療へと向かった。

「……あんた……何してんのよ……?」

 意識を取り戻し、目を覚ましたイレーナは自分に弱弱しい治癒魔術を使っているアイリスに話し掛けた。

「貴女を治しています。黙っていてください」

 目線を合わせず、ただひたすらに治療に専念する。

「なんで……あたしを…………」

「私ではなく、彼女の意思です」

 アイリスとは反対側に、傷付き疲れ切ったレティが座っていた。

「レティ……」

「殿下の言葉が聞こえなかったの? 黙っていなさい」

「最後のあれぇ、何よ。あんなの反則じゃなぁい……」

「黙っていなさい」

「ねぇ、レティ。なんであたしを殺さなかったのぉ? あんなに強い技なら殺せたでしょ?」

「……友達を殺したくなかったからよ」

「何それ、気持ち悪い……。あんたのことなんか……大ッ嫌いよぉ……」

「そうね……」

 再び目を閉じ、気を失ったイレーナに、レティは小さく返事をした。


 ヒューゴと離れ次の角宮へと辿り着いたハイネは、数年前に戦った人物と再び対峙していた。

「私の自宮にようこそ、ハイネ」

「ラスペル」

「貴様が来ることはわかっていたよ」

「やはり君も帝国を裏切ったのか?」

「裏切る? フフ。笑わせないでくれ。私はもとより帝国に忠誠など誓ってはいない」

「どういうことだ?」

「騎士になったのは、親に無理やりやらされたからだ。ただそれだけのこと。帝国なんてどうだっていい」

「なら君は完全にここの人間だと言う事か?」

「その通り。退魔の刻印、6.(ディン・ゼクス)隊長、ラスペル・グリンフィールドだ」

 自らを退魔の刻印だと名乗ったラスペルに、ハイネは手に持つ氷刀、蒼百合の鋒を向ける。

「わかったよ。武器を構えろ。君を倒し、反逆者として国へ連れ帰る」

「反逆者相手に武器を構えろとは面白いことを言うね」

 武器らしき物を一切携えていないラスペルは笑いながら答えた。

「例え反逆者になっても君は共に騎士となった仲間だったからね。一方的に倒したくはない」

「仲間か。残念ながら僕は1度たりともそんな風に思ったことはない。それに私を一方的に倒せると思っているとは自信家だね」

「いいから、早く構えろ」

「見てわからんかね? 私は構えるものなど持っていない。知っての通り、私が得意なのは打術だ。それに武器ならすでに構えている」

「……そうか。なら、行くぞ!」

蒼百合の魔力の刀身は一瞬にして氷に覆われ、虚空を切り裂く。そしてその刀身から、細長い氷の矢のようなもを無数に飛ばした。しかし、ラスペルはそれを造作もなく回避する。

「なるほど。それが氷属性を持つ白漣集、蒼百合か。どうやらそれには魔力抑制は効かないようだね。それだけの力を秘めた魔具は、白漣集以外ではそうあるもんじゃない。興味深いね」

 避けたラスペルを追うようにハイネは追撃を加えた。だが、彼は更なる追撃も躱してみせる。

「どうした? 当たっていないぞ? 私を殺さないように気を遣っているのかね? なら、やめた方がいい。その程度の攻撃では私を倒すなど永劫できはしない」

「それはどうかな?」

 その時ラスペルは自身の周りが氷の壁に覆われていくことに気付いた。その氷の発生源は今までハイネが飛ばした氷の矢であり、それが壁や床に刺さり広がっていったのだ。氷はあっという間にラスペルの周りを囲い、彼の動きを制限した。

「しまった……! これを狙って氷を飛ばしていたのか!?」

「終わりだよ。ラスペル」

「クソッ……」

 退路を断たれたラスペルに向かって、氷の矢が飛ばされる。その瞬間、彼は笑みを浮かべた。

「なんてね」

 氷の矢が彼の体に刺さらんとした瞬間、いきなり細かく砕け散り、攻撃能力を失った。

「何ッ!?」

 そして次は彼を囲っていた周りの氷も亀裂が入り砕け散った。

「どういうことだ……?」

 ハイネの疑問に対して、ラスペルの笑い声が返ってきた。

「フハハハハハハ。言ったはずだ。武器ならすでに構えている、と。私の武器はこの部屋全てだ。不思議に思わなかったか? 私がその蒼百合の名前を知っていることを。貴様がここに来ることは知っていた。貴様らとルシオの戦いは全て見ていたからな。だから、その蒼百合の能力はすでに把握し、無力化するように部屋に仕掛けを施しているんだよ」

「くっ……」

 ハイネは、氷による攻撃を幾度となく行うが、その全ては彼に届く前に砕け去った。

「無駄だよ。その氷はもう私には届きはしない。さて、先程の話の続きだ。知っての通り、私の家系には部位魔装がある。そのせいで一族は代々騎士でね、私にも騎士になるよう強要してきた。しかし、私は騎士に興味はなくてね、昔から物弄りが好きだった。だから、ここは私にとっては面白い場所だった。自分の知らないものが数多あり、興味が尽きない。実はね、この魔力抑制装置を作ったのは私なんだよ。尤もガルガント閣下が考えた理論に少し手を加えただけだがね。もうわかっただろう? 私は貴様の事を知っている。貴様に勝ち目はないんだよ」

 幾多と放たれる氷撃はラスペルに届かず、彼自身はその場から微動だにしなかった。

「諦めたらどうかね?」

「これなら……!」

 次に放った一振りからは多大な量の氷が放出され、ラスペルとその周りを呑み込まんとした。

「ほう。ここに来てまだ威力が上がるのか。しかし――」

 前に掲げられたラスペルの右手に半分以上の氷が吸われ、次の瞬間氷はハイネの方向へと向きを変え、放出された。自らに襲い来る氷撃をハイネはぎりぎりの所で防いだ。

「その程度なら私の部位魔装で跳ね返せる」

 彼の部位魔装は反射ではなく、一度相手の魔術を吸収し、そこに自身の魔力を上乗せして返すもの。吸収するというものは、例外はあるだろうがその全てが吸収限界量が存在する。彼の部位魔装もそうである。通常時の蒼百合の攻撃であれば、彼の部位魔装は通用しないだろう。しかし、彼の細工により蒼百合の力は大きく制限され、部位魔装で攻撃を防ぎ、切り返すことができるようになっている。

 ――しかし、一点集中なら……。

 ハイネは、蒼百合の氷を刀身の一点に絞る。それによって、攻撃範囲を犠牲にし、速度と威力を向上させる。加えて、ラスペルの持つ部位魔装の吸収限界量を超えることで攻撃の通用を狙った。そして刀を振り抜きラスペルに向かって放つ。

「無駄だよ」

 氷撃を行う瞬間、刀身を覆っていた氷が砕け散り、青紫色の魔力の刀身が剥き出しとなった。

「何だと!」

「残念だったね。もうその刀の能力は完全に封じた。氷結能力を封じれば、それは唯の刀に過ぎない」

「クソ……」

「そしてそれも消える」

 ラスペルが言った瞬間、魔力で形作っていた刀身すら消え去り、鍔と柄だけが残った。

「不公平だと思うかね? 卑怯だと思うかね? もし、そう思っているなら間違いだ。戦いとは戦場に足を踏み入れた瞬間から始まっている。例えその場に敵がいなかったとしてもだ。そして筋の動きから呼吸の1つまで全てが戦いだ。私の貴様への対策も全て戦いの一部だ。貴様はその戦いに敗れたに過ぎない」

「…………」

「諦めてだんまりか?」

「ラスペル。1つ間違いっている」

「何?」

「僕はまだ負けていない」

 鍔と柄だけになった蒼百合を紐で腰に提げ、素手の状態で構える。鞘はもとよりない。そして彼の周りに鬼のような形をした魔力の鎧が出現する。

「……そう言えば貴様は鬼だったね。それが鬼鎧というやつか。本物を見るのは初めてだ」

「2回目だろ?」

「ん? ……ああ、そう言えば決闘の時に見せていたね。あの時は角だけだったから、どうも同じ鬼鎧だとは思えなくてね。今は魔力抑制下でも体全体を覆える鬼鎧が作れるのか」

「行くぞ」

 ラスペルとの距離を一気に詰め、最も得意とする打術で攻撃を行う。彼はその猛襲を余裕ではないが、ぎりぎりの所で避けて行った。

「攻撃範囲こそ狭いが、迅いな。そして――」

 ラスペルも反撃としてハイネの脇腹に蹴撃を与える。しかし、当たっているはずなのに、それに対して全く怯むことはなかった。

「この防御力か……」

 汗を掻きながらも目の前の鬼鎧への興味を抑えられず、笑みがこぼれる。

「それだけじゃない」

 蹴撃を放ってきたラスペルの脚を掴み、ラスペルの顔面目掛けて拳を放つ。逃げられる状態での反撃にラスペルは素手で防御せざるを得なかった。しかし、鬼鎧を纏った状態での攻撃力は通常時のそれを遥かに上回る。そのため彼の体は後方へと大きく吹き飛んだ。

「攻撃力も高い」

 吹き飛び倒れたラスペルに向かって言い放った。

 しばらく経っても起き上がらないラスペルを見て、ハイネは勝ったと確信した。彼は鬼鎧を消して振り返り、装置へと1歩踏み出す。

 その瞬間、背後からの気配に気付き、鬼鎧を出して対応しようとしたが、間に合わず打撃を受ける。それはラスペルの攻撃だった。思わぬ反撃を受けたハイネは、後ろによろめく。

「咄嗟に体を後ろに引いてダメージを軽減したか。やるじゃないか」

「ラスペル……どうやって?」

「何も不思議なことはないだろう? 貴様は私の気絶、或いは死亡を確認しなかった。それになのに自ら背を向けたんだ。背後から攻撃されることに一体何の疑問がある?」

「違う。どうやって僕の攻撃を防いだのか、と聞いているんだ。僕の打撃は当たっていた。いくら腕で防いだところで、鬼鎧での攻撃だ。両腕が折れてもおかしないはず。それなのに――」

「それも同じことだ。何も不思議に思うことはない。貴様の鬼鎧は魔力抑制装置のおかげで弱体化している」

「だとしても――」

「だとしても何だ? 無傷でいられるはずがないと? 確かに。素手で受ければ、骨が砕けるだろう。そうでなかったとしても無傷ではいられない。しかし、これで受ければ話は違う」

 ラスペルが前に差し出した腕は、魔力で形作られた鎧のようなものに覆われた。

「鬼鎧……だと……?」

 ――鬼でないロメロも鬼鎧を出せた。しかし、それは彼が魔族であり、それだけの力を持っていたからだ。なのに、何故鬼の血を引かないはずの人間のラスペルが……。

「鬼鎧なんて仰々しい名前が付いているが、それは単純に鎧のような形に魔力を押し固め纏ったものに過ぎない。一番近いもので言えば、イレーナの纏外魔装だ。そしてその鎧を形作るというのは、レティアルの顕現兵仗に似ている。その両方を知り、イレーナの能力を研究した私がこの程度のこと、できないはずがないだろう? 尤も魔力量的に、体の一部しか鬼鎧を纏うことはできないがね」

「そうか」

 全身に鬼鎧を纏ったハイネは、一部だけに鬼鎧を纏ったラスペルに向かっていく。

 ――一部だけ。恐らくそれは腕だけとは限らない。脚、頭、胴体、どこでも可能だと考えるのが妥当。しかし、一部だけということは、そこに鬼鎧を纏っている間、それ以外の他の部分には鬼鎧はないということ。なら、ほぼ同時に数か所を攻撃すれば……。

 ハイネの鬼鎧による殴打を同じ鬼鎧で防ぐラスペルの隙を見つける。両拳による攻撃を両腕で防いだ瞬間、鬼鎧を纏っていない腹部に鬼鎧を纏った蹴りを叩き込む。 それは見事に命中したが、先程のようにラスペルの体が飛ぶことはなく、地に足を着いたまま耐えた。

「何ッ……!?」

 ――これは……僕の鬼鎧が……消えた……。

 今まで全身を覆っていたハイネの鬼鎧は跡形もなく消え去り、通常の足による蹴りをラスペルに叩き込んだに過ぎなかった。そして彼はその蹴りに耐えきった。動揺し隙の生じたハイネの胸部の中心に、鬼鎧を纏ったラスペルの指先が当たる。

 ――しまった……。

 胸の前で開かれていた手は瞬時に握られ、拳が彼の胸を突く。後ろへ飛んだハイネは膝と手を床に着き、胸を押え苦しむ。

「どうだい? 鬼鎧状態での僕のワンインチパンチは?」

「…………」

「息ができないかね? まぁ、そうだろうね。しかし、肋骨を砕き、肺と心臓を潰すつもりだったんだがね。一瞬だけ鬼鎧を出して防いだか。だが、次はもう出せないだろ?」

 胸を押えながらも立ち上がり、息苦しさを我慢して鬼鎧を出そうと魔力を集中させたが、それは出現しなかった。魔力抑制装置のせいと考えたが、違う違和感があることに気が付いた。

「気付いたようだね。そう。魔力抑制装置じゃない。私が封じた。さっきの蒼百合と同じようにね。鬼鎧の解析には時間が掛かったよ。だから、わざと攻撃を受け、直接触れ解析した。貴様の鬼鎧はもう使えない。さて、どうする? 魔術も使えない。蒼百合も使えない。鬼鎧も使えない。それでもまだ立ち向かってくるかね?」

「当たり前だ!」

 武器もなく己を守る鎧もない。それでもハイネはラスペルに向かって行った。しかし、生身だけの彼に勝ち目などなく、ラスペルから幾度となく攻撃を受け、結果彼は倒れた。

「言ったはずだよ。貴様に勝ち目はない、と。貴様は知らないだろうが、帝国に居る時からすでに貴様を研究していたんだよ。貴様だけではない。ヒューゴ、レティアル、ルシオ、イレーナ、可能なものは皆研究した。しかし、見聞きする程度の研究などたかが知れている。だから……これからは直接、貴様の肉体を調べるあげるとしよう。鬼と人間のハーフが一体どのようなものなのか。何、心配はいらない。私はマッドサイエンティストではないからね。殺したりはしないよ」

 地に伏しているハイネに近づく。そして彼を捕えようと手を伸ばした瞬間、ハイネも手を伸ばしラスペルの足首を掴んだ。

「まだ動けるのか……ん?」

 ――魔力の上昇!?

 一瞬ハイネの魔力が上昇したことを感じ取ったラスペルは、警戒し足首を掴む手を払い除け後ろに飛び退く。しかし、魔力が上昇したのは一瞬だけであり、再び彼の魔力は消えそうなほど、弱弱しいものへと戻った。

 ハイネは地に伏している。だが、意識はあった。少しだけ開いた目から見えるのは、自分の手。走馬灯と呼ばれるものなのかわからないが、今彼の頭には鬼である父親のことが思い出されていた。

『ねぇお父さん見て見てー。角が生えたよー』

 少年は自慢するように頭に生えた角を、角を持つ鬼に見せる。

『ハイネ。無闇に角を出すんじゃない』

『えー、なんで? 角出してたら僕、木だって倒せるんだよ。さっきもほらー』

 少年の指差す先には根元で折られ薙ぎ倒されていた。

『もしその倒した木で誰かが傷付いたりしたらどうするんだ? 例えばヒューゴとかが』

『それは……いやだな……』

『だろう。だからその力は何かを護りたい時、そして本当に力を使いこなせる時にだけ使いなさい。わかったね?』

『……うん』

『代わりに他の事を教えてやろう。今から教えるのは鬼鎧と言って――』

 ――何かを護りたい時、力を使いこなせる時、父さんはそう言った。僕は未熟だ。まだ力を使いこなせないかもしれない。今の僕はまだそれほどまでに護りたいとは思っていないかもしれない。でも負けてはならないとは思っている。だから……。

 ハイネは力を振り絞って立ち上がる。

「ほう……まだ立ち上がるか。だが、もう虫の息だろう?」

 ラスペルは立ち上がったハイネに向かって一気に距離を詰め、頬に殴打を与える。しかし、ハイネは全く仰け反ることなく、ただ視線だけがラスペルへと向いた。その瞬間何かを感じ取った彼は、すぐさまハイネから距離をとろうとしたが、体は彼の意思と反した状態で後方へと飛んだ。壁に激突し崩れた瓦礫に埋もれたが、それを跳ね除け中から姿を現す。

 ――何が起こった!? 何をされた!? 一体……

「何をしたんだ!?」

 先程と同じ位置に立ち尽くすハイネに質問を放つ。返答はない。そして彼に今までとの変化あることに気が付いた。

「な……何だ、それは……」

 ハイネの頭には鬼鎧とは違う、魔力で形成された角ではなく、実体のある黒い角が8本生えていた。

「八角……だと……?」

「そう。僕の父は八角の鬼だ」

 ――莫迦な……。鬼の強さは角の数で変化する。そしてそれは単純に角の数が多いほど強い。文献に記されているのは六角まで。ハイネは四角じゃなかったのか? 八角なんてあり得ない。

「何だ、その姿は……? 何だ、その魔力は……? そんなもの私は知らないぞ……」

 ――鬼鎧なのか……? いや、鬼鎧は飽く迄魔力そのもの。それがあれほどまで実物に近い角を形成するはずがない。あの角は魔力じゃない本物だ……。なら、あの姿は何だ? 鬼鎧じゃないとしたら一体何なんだ?

「これは鬼鎧じゃない。特に名前もない。これは鬼としても僕の真の姿。それだけだ」

 肌の色は黒くなり、髪は赤から白に変色し、伸びていた。顔を含めた肌には赤い紋様が刻まれ、その紋様からは煙のように漂う赤い魔力が漏れ出していた。

「そうか……そういうことか。フフ……フハハハハハハハハ。面白い。実に興味深い。研究の楽しみが1つ増えたよ!」

 ラスペルは構えた。

「構えなくていいよ」

「何?」

 今までラスペルに構えろと言っていたハイネが、それとは真逆のこと言う。

「構えたところで――」

 次の瞬間、視界からハイネは消え、いつの間にか自分は倒れていた。

「何も変わらないから」

 この刹那、何が起こったのかすら理解できないまま、意識を失った。

 ――何があった? 何故、私は倒れている? 私は奴の力を解析したはずだ。無力化したはずだ。それとは別の力なのか? それともそれすら撥ね退ける程の力なのか? 解らない。解らない。……ああ、実に……興味深い……。

 そしてハイネもその場に倒れた。


「どうやら装置を破壊するために、各宮で戦いが起こっているようだね。すでに5つの装置が破壊されたか。1つ作るのに結構な金と時間がかかるのだがね。しかし1つでも残っていれば、ここは魔力抑制下にある。それでも私と戦うかね? 魔王ロメロ」

「キミを倒せるのがワタシしかいないのであれば、そうするしかない。それに魔族を侮らない方がいい。魔力を封じた程度で倒せると思わないことだ」

 上空から見た時、6角形の建造物である退魔の刻印。その中心地点にあたる場所で、ガルガントとロメロが対峙していた。

「別に侮ってなどいないさ。十分に警戒している。何せ、魔王である君だけは全力の状態で直接戦うべきではないと考えていたからね。しかし、魔力抑制下ではまた別の話だ」

「それが侮りだと言っているんだ」

 ロメロはその身を武器としてガルガントに襲い掛かる。


 時を少し遡った所で、5の角宮でも事態が進行していた。

「何のつもり? レーリエ」

 エレノアは友であり上司である自分に銃口を向けるレーリエに対して質問した。

「ごめん、エレノアちゃん。でもボク、やっぱり諦められないんだ」

 震える手で銃を握り、エレノアに向けるレーリエは震える声で悲しげに答える。

「あの男の事?」

「うん」

「昨日言ったでしょう? あのヒューゴという男は、あなたを利用するためにあなたに近づいたの。今のようにね。だから、あの男はあなたの事など微塵も想っていないのよ。それが――」

「わかるよ! ……わかる。頭ではわかってる。エレノアちゃんの言ってることが正しいって。でも、ボクの心はそうじゃない。利用されてるってわかってても、ボクの心はヒューゴのことが好きなんだ」

「心なんて……」

 エレノアは呆れたようにレーリエに1歩近づいた。

「動かないで! ボク、エレノアちゃんを撃ちたくない。エレノアちゃんは友達だから……。だから、お願い。逃げて。ここから逃げて」

 銃を突きつけられ動きを止めたエレノアは、彼女を真っ直ぐ見て言い放つ。

「あなた、私を撃つ覚悟もないのに銃を向けてるの? そんな銃に私が屈すると思ってるの?」

「そ、それは……」

「レーリエ。私は裏切り者としてあなたを処罰しなくてはならない」

 腰に差している直剣を鞘から抜き、天に向けて構えるエレノア。

「残念だわ」

 掲げられた刃はレーリエ目掛けて振り下ろされる。彼女はその間、友達であるエレノアを撃つことはできず、涙を浮かべた目を閉じて向かってくる刃をただ待つだけだった。

 その瞬間、金属同士がぶつかり合う音が聞こえ、閉じていた目を少しずつ開ける。

 目の前にはエレノアの剣を受け止めるヒューゴの後姿があった。

「……えっ?」

 レーリエは何故彼がここにいるのか理解できなかった。

「……あなたッ…………」

 剣を止められたエレノアは、彼に向けて鋭い視線を向ける。ヒューゴは彼女を剣を弾き、脇腹に蹴りを入れようとしたが躱された。

「何故、あなたがここに居るのですか? 烏山向吾」

 彼から距離をとったエレノアが問いただす。

「居たらおかしいか?」

 無表情のヒューゴが静かに答えた。

「何で……? 何でここにいるの? ヒューゴ。何でボクを助けたの?」

 背後にいるレーリエも同じような質問をする。それに対して振り返らず答えた。

「好きな女を助けた。そこに何の疑問がある?」

「違う! そうじゃない。ヒューゴはボクの事――」

「利用していた、と?」

 レーリエ自身はそうとは認めたくないのか、肯定の答えを返さなかった。

「考えなかったか? 何故、お前なのか? 敵戦力を削ぎ、味方の戦力とするなら、強い奴の方がいい。隊長であるお前やイレーナのようにな。だがお前は、俺より弱かった」

 背後に立つレーリエに向けて、自身の意図を話す。

「それでもお前を選んだ理由。それは――」

「レーリエ! その男の言葉を聞いていはいけない!」

 大声で叫んだエレノアは、ヒューゴに向かって近づき斬り掛かった。

「お前が俺の好みだったからだ」

エレノアの剣は彼の刀によって止められ、それと同時に彼はレーリエを抱き寄せ、彼女に口付けをした。

――しまった。これで完全にレーリエはこの男を疑わなくなった。

 エレノアの次の攻撃が、止まったかのように思えたその一瞬を再び動かした。

 抱き寄せたレーリエをすぐに離し、エレノアを剣を捌き、それごと押し返す。彼らの間に再び距離が開く。

「ヒューゴ……」

 放心したように唇に指を置くレーリエだが、すぐに我に返りヒューゴに質問した。

「で、でもヒューゴの好みって貧乳ってだけでしょ? だったらボクじゃなくても、その……イレーナ隊長とか……」

「あいつは好みじゃない。もし、イレーナが俺の好みならとっくの昔に告白してる。それが成功していようが失敗していようが、今付き合ってない時点で味方に付けるのは不可能だ」

「本当にボクの事が好きなの?」

「昨日、すでに言ったはずだ」

「嘘だと思ってた……」

「俺は他人を利用する外道であっても、そいつらを簡単に捨てるような下衆ではない。それに昨日お前が正直に言えと言ったんだろ?」

「そ、そうだけど……じゃ、じゃあ、ボクの何が好きなの?」

「お前が俺を好きでいるとこ」

「え……なんかもっと具体的なことないの?」

「顔、声、黒髪セミロング、貧乳、太股、笑顔が可愛い」

「見た目ばっかじゃん! しかも、なんか一部変態くさいし!」

「そりゃあ、昨日あったばかりで、あんまりお前のこと知らねぇし。あ、もう1つあったな」

「何?」

「一人称がボクってことだな。女で自分をボクって言う奴に初めて会ったが、極めて良い」

「そ、そう? えへへ」

 エレノアはヒューゴの言葉を聞いて、昨日レーリエが言ったことを思い出す。

『女なのにボクという一人称はどうかと思のだけれど?』

『わかってないなーエレノアちゃんは。こーいうのが好きな人だっているんだよ? だからボクはこのままボクっ娘でいくよー』

 ――まさか、本当にそんな人がいるとは……。

 そう思った瞬間、何故自分はいつまでも傍観しているのかと我に返り、2人が話している隙を衝いて攻撃を仕掛ける。だが、彼は警戒を怠っておらず、エレノアの剣に反応し受け止めた。

「付き合い始めのラブラブカップルの楽しい会話を邪魔すんなよ」

「そんなもの笑ってないあなたには到底似合わない!」

「レーリエに先を越されて嫉妬してんのか?」

「言ってなさい。あなたを倒せばレーリエも目を覚ます事でしょう」

 彼女の剣は迷いなくヒューゴへと襲い掛かる。数回の斬撃を受け切り、レーリエを抱えて今度はヒューゴ自ら後退し距離をとった。

「俺を倒すか。なるほど。だが、残念だな。お前の相手は俺じゃない。そこの奴だ」

「なッ――にッ……!?」

 その瞬間、エレノアは背後から迫る気配に気が付き、振り向き対応した。背後から奇襲をかけてきたのは、下半身が獣の姿をした魔族の女だった。その鋭い爪による手刀を剣で弾き、その隙を狙って隠し持っていた小型の銃で彼女を撃ったが、銃弾が当たる寸前の所で躱された。

 ――この女は、確か魔王の側近の……リノ。

 エレノアは右にヒューゴ、左にリノと不利な配置に置かれた。

 ――まずい。挟まれた。レーリエも入れて3対1。流石に分が悪い。どうすれば……。

 3対1だけでさえ、不利であると言うのに、加えて挟撃される可能性が高い、自身の位置に焦りを覚える。しかし、そんな彼女を無視して、リノはヒューゴに話しかけた。

「何故ワタクシの存在を教えたのです? アナタが教えなければ、その女を殺せたというのに」

「そうさせねぇためだよ」

「やはりアナタ……」

「勘違いするな。その女のためにじゃない。この女のためにだ」

 隣に立つレーリエの肩を抱き寄せ、この女というのが誰の事を言っているのか指し示す。彼が現れる少し前から様子を陰で窺っていたリノは、ある程度彼の言わんとすることを理解した。

「では、アナタはワタクシにそのエレノアという女を殺すなと言うのですか?」

「そうだ。その女は敵ではあるが、同時にレーリエの親友でもある。親友が死んではレーリエが悲しむだろ? ましてやそれを知って助けなかった俺は、嫌われること必至だ。こう見えても初めての彼女だ。こんな所で別れたくねぇんだよ」

「アナタの都合で敵を見逃せと?」

「見逃せと言ってんじゃねぇ。殺すなと言ってるんだ。生かして捕えろ。生きているならどうとでもなる」

「ワタクシに指図するつもりですか?」

「別に指図してるわけじゃねぇ。ただ……人殺しのお前をロメロがどう思うか。それだけだ」

 ――お前がロメロを敬愛しているのは、言動から予想がつく。あまり戦いを好まないロメロだ。こう言えば、お前はエレノアを殺す事は出来ない。

「…………」

 ――こいつ、ワタクシのロメロ様への気持ち知って言ったのか。

「いいでしょう。その女を生かしたまま捕えることにします」

「ありがとう。俺は他にやることがある。ここはお前に任せた」

 ヒューゴはレーリエを抱きかかえて、その場を後にした。

「待てッ!」

 去っていくヒューゴ達を追おうとするが、リノが回り込み彼女の行く手を遮った。完全に部屋から出てしまった2人を追うことはできない。何故なら彼女に課せられた使命は、装置の守護であるからだ。

「あなた、あの男とあまり仲が良いように見えませんけど、彼に従うのですか?」

「ワタクシが従うのはロメロ様だけです」

「なら、何故私の邪魔をしたのですか?」

「理解が遅いですね。ワタクシはロメロ様の命でここに来ているのです。その障害となり得るアナタを妨害するのは当然でしょう。彼を逃したのもこの作戦を成功させる確立を上げる為」

「なるほど。しかし、いいのですか? 折角3対1で有利だったのに、彼と別れてしまって」

「ご心配には及びません。アナタ程度ワタクシ1人で充分です。そうでなければ、ワタクシにロメロ様に仕える価値はありません」

「私程度って甘く見過ぎでは? ここでは魔族と言えども魔術は使えないのですよ」

「アナタこそ甘く見ているようですね」

 そして、エレノアの剣とリノの爪が交わる。

「魔族は本来魔術を使う種族ではないのです」

「う……そ……」

 引き裂かれたエレノアは傷口から血を流しながら、意識を失い床に倒れた。

「殺しはしませんが、傷付けるなとは言われていない。皇女を偽りロメロ様に近づいた罰です」

 倒れたエレノアに語りかけ、リノはそのまま装置を破壊した。


 その頃、イレーナを背負ったレティは、アイリスと共に移動をしていた。大半の敵兵を魔王軍や脱走した帝国人などが引き付けている為、比較的安全に彼女らは移動することができた。

「……ここは?」

 レティに背負われているイレーナが目を覚ます。

「イレーナ、気が付いた?」

 先行して様子を窺うアイリスを見ながら、レティは言葉を返した。

「あんた……あたしをずっと担いで来たのぉ……?」

「言ったでしょ。友達だから見捨てられないのよ」

「甘いわねぇ……。もし、あたしが今あんたを襲ったらどうするのよぉ?」

「あなたはそんなことしないわ。だって今あなたの傷口は塞がっているだけで治ってはいないのだから。そんなのあなた自身がよくわかってるでしょ」

「そうねぇ。でも、襲わないなんて言い切れないんじゃなぁい?」

「きゃぁ!」

 突然の悲鳴に先行していたアイリスは、すぐに振り返りレティの許へを駆け寄った。そしてその光景を見て彼女は驚く。しかし、同時に呆れもした。

「な、何をしているのですか?」

 イレーナは肩の上を通してレティの胸へと手を伸ばし、思い切り揉みしだいていた。

「ちょ……っと、イレーナやめて……!」

「いいじゃなぁい。女同士なんだし。触り心地の良いものを触りたくなるものよ」

 その光景をしばらく呆然と見ていたアイリスは、再び同じ質問をした。

「あの、何をしているのです? お二人の関係をどうこう言うつもりはありませんが、だとしても、戦場では控えるべきかと――」

「貧乳は黙ってなさぁい」

 真顔で指摘してくる仮にも皇女であるアイリスに対して、貧乳呼ばわり、更には命令口調で言うイレーナ。

「ひ、貧乳!? 確かに私にはレティアルさんのような立派なものはありませんが、しかし私と大して変わらない貴女に言われたくありません!」

「だからよぉ」

「え?」

「自分にないから他人のを揉むんじゃなぁい? あんたも揉んだらぁ? (あやか)れるかもよぉ」

「そ、そうですか? で、では……」

「ちょ……殿下まで……戦場で控えるべきって言ったのは殿下じゃないですか!」

 迫りくるもう1つの手を回避する為、アイリスの先程の言葉を返す。自身の言った言葉を思い出した彼女は、目の前にある巨乳を揉みたいという欲求を抑え、我に返った。

「じょ、冗談です。お二人とも行きますよ。ここは戦場です。そういった事は後にしましょう」

 この時、レティは後の事が少し怖くなった。

 再び彼女達は歩き出す。その間ずっとイレーナはレティの胸を揉んでおり、揉まれているレティの方は彼女を止めることを半ば諦めていた。

 数十メートル進んだ時に、レティの足は止まり、彼女の胸を揉むイレーナの手も止まった。その事に気付いたアイリスは、彼女達に問い掛けた。

「どうしたのですか?」

 真剣な面持ちで2人は口を開く。

「レティ……気付いた?」

「ええ……ハイネの魔力が感じられない……」

 今まで傍にいると錯覚する程に、強大だったハイネの魔力。彼女達は彼の許に向かっていた。しかし、それが突然と消え、感じられなくなった。焦りを覚えたレティは、アイリスの質問に答えるのではなく、自分の意思を伝えた。

「殿下。急いでもらってよろしいですか?」

「急ぐ? どういうことです」

「訳は途中で話します。ですから――」

「わかりました」

 真剣に訴えてくるレティに対して、それを察したアイリスは彼女を言葉が終わるの待たずして、肯定の返事をした。


同時に、レーリエと共に第5の角宮を後にしたヒューゴは、その異変に気付き足を止めた。

「どーしたの?」

 お姫様抱っこをされたままのレーリエは、彼の顔を見る。

「……ハイネが…………」

 何か焦ったようにハイネの名を口にする。

「ハイネって、確か赤髪の人だっけ? あの人がどーしたの?」

 レーリエの質問にも黙ったまま答えなかった。しかし、彼女はその表情を見て、その真剣さをすぐに感じ取る。

 ――今まで魔力抑制のせいでわからなかったが、確かにハイネの魔力を感じねぇ。死んだのか? 莫迦な……。

 ヒューゴは更に集中してハイネの魔力を探した。レーリエはそんな彼をただ黙って見つめる事しかできない。そしてハイネの微かな魔力の気配を感じ取る。

 ――生きてる。だが、瀕死か? 敵は倒したのか? いや、まだ殺されてねぇってことは相討ちか。助けに行くか……? しかし、俺は……。

 ヒューゴには、他にやるべきことがあった。彼は決断し、抱えているレーリエを降ろす。

「レーリエ、お前に頼みがある」

「ボクに?」

「そうだ。お前にしか頼めないことだ」


「断る。そんなことが聞けると思っているのか?」

 第1の角宮。そこではヒューゴの父であるヨハネスと、かつてヒューゴの教官だったアーレスが相対していた。そしてアーレスはヨハネスの頼みを拒否していた。

「ここは通さない。ヨハネス、貴様が裏切り者だということは、()うに知れている」

 無数の傷口から血を流すヨハネスに向かって言い放つ。

 それでもなお彼は剣を手放さず、余裕を見せるアーレスに斬り掛かる。だが、すでに力の差は明らかであり、その刃を容易く受け止められた。

「ヨハネス、理解しているはずだ。俺は1.(ディン・アイン)。貴様は2.(ディン・ツヴァイ)。これが意味するのは、力の序列。つまり、貴様は俺より弱い」

 互いに両手に1本ずつの二刀だった。単純に見ればどちらも同じ手数のはずだが、剣速はアーレスの方が僅かに上であり、斬撃の応酬も長くは続かなかった。そしてヨハネスの左腕は肘の辺りで斬り落とされ、宙に舞った腕は剣を握り締めたまま床へと落下した。

 左腕を失ったヨハネスに追撃を与えようと更に斬り掛かるが、彼ら体を翻し刃を上手く避け、アーレスに蹴りを与えて距離をとった。

「左腕を失ってなお悲鳴を上げることなく、それほど動けるというのは大したものだ。しかし、片腕を失くしては、攻撃の手段も限られてくる。それでもまだ立ち向かってくるのか?」

 声には出さずとも左腕を斬り落とされたことによる激痛と、それまでの失血でかなり体力を消耗していた。息は上がり、脚は震え、視界は霞み、立ち上がる事さえ困難になりつつある。床の各所には彼の血が散乱し、それが出血量を物語っていた。

「それでも僕は屈する訳にはいかない。もう2度と失いたくないから」

 ヨハネスは力を振り絞り立ち上がる。

「何の為にそこまでする?」

「無論、家族の為」

「家族だと?」

「いや、すまない。今の僕に家族などと口にする資格はないな。訂正しよう。自分の為だ。僕はただ償いがしたいだけだ。許されなくてもいい。ただ償いたい。自己満足の我儘だよ」

「そうか。なら、残念だな。貴様はその最後の我儘を叶えることなく終わる。次は右足を貰う」

 アーレスは二刀を持つ手に力を入れ、1歩前と踏み出した。

「ああ、そこだ」

 1歩踏み出したアーレスの足は、何かに絡め取られ動きが止まる。

「何だ!?」

 次の瞬間、アーレスを中心にした魔術円陣が床に現れる。

「これは……魔術円陣! 莫迦な……エルダート人の貴様が何故魔術を……」

 魔力を放出する特性を持たないエルダート人は、それ故に魔術を使うことができない。それは例外であるガルガントを除き、全てのエルダート人に共通する事だ。しかし、エルダート人でも魔力を放出する方法が1つだけある。周囲を見渡したアーレスはそれに気付いた。

「貴様、自らの血を……」

 魔力を持つ生物は、その大半を血に含んでいる。だから、ヒューゴの持つ極夜皇は魔力を吸うと同時に血も吸い、その刀身を黒へと変色させた。つまり、魔力を放出する術を持たない者も血を流すことによって、それを強制的に引き起こすことができる。

「そうだ。エルダート人は魔力を持たない訳じゃない。ただ帝国人のように放出できないだけだ。だが、血を流せばそれは別。血を流し、術式さえ知っていればエルダート人である僕でも魔術は使える」

「こんなもの……ッ」

 自らの動きを封じる魔術から抜け出そうと抗うアーレス。

「無駄だよ。円陣を使った魔術は、完全詠唱の魔術より強力だ。抜け出せはしない。僕が何の為に傷を負い血を流したか、理解できるだろう」

 アーレスを取り囲む魔術円陣はヨハネスの血によって描かれ、先程斬り落とされた腕もその一部となっていた。

「ヨハネス……! しかし、残念だったな。貴様は俺の動きを止め追い詰めたつもりだろうが、追い詰められたのは貴様の方だ。貴様は自らの血を媒介とした魔術を使った。それは今貴様の中に流れる血も同じだ。つまり貴様はその場から動くことはできない」

 アーレスは2本の剣を地面に突き刺し、両手をヨハネスに向けて構える。

「俺は帝国人だ。貴様と違って魔術が使える。例え魔力抑制下であろうともな!」

 構えられた手から光が迸り、魔術が放たれる。それは真っ直ぐヨハネスに向かって飛んでいったが、彼に当たる直前でまるで壁に当たったかのように弾かれた。

「何ッ!?」

「無駄だと言った。この魔術は君を封じ込める為のもの。封じ込めるとはつまり、外界との接触を遮断すること。例え動けたとしても君の攻撃はもう僕には届かない」

「そういうことか。しかし、どうする? 縛術だけでは俺を倒すことはできんぞ? それに魔術に不慣れな貴様だ。いつまでこの魔術が持つかな?」

「これは縛術じゃない。攻防一体の魔術だ」

「攻防一体だと……?」

「そう。だから――これで終わりだ」

 アーレスの立つ地面は光だし、そしてすぐに円陣内に大爆発が起こった。魔術によって起こった爆炎はすぐにその姿を消した。同時に姿を現したのはアーレスだった。

「はっ……はっ……残念……だったな。不慣れな魔術で俺を倒せると思ったか」

「……そうだね。予想はしていた。やはりダメだったか。この魔術だけで君を倒せないとなると。もうこれしかないか」

 ヨハネスは、文字の彫り込まれた短剣を取り出す。

「それは……具現術式か?」

「そう。共有魔術の詠唱、術号、呪文を彫り込み、そこに血を流すことによって、言霊による詠唱、術号、呪文を無視して魔術を使うことができる。そしてこの短剣に彫り込まれているのは、神光天杖(しんこうてんじょう)。ガルガントに使うつもりだったが、もはや君を倒す術はこれしか残っていない」

 アーレスは、その魔術を知っていた。だが、実際にそれを見たことはない。

それはアレイスター・クロウリ―の創った共有魔術の中で、ただ1つ禁術と呼ばれるもの。

破術百番、神光天杖。それが禁術と呼ばれる理由は、1つ。術者の代償が死だからだ。過去の記録に残っている限りでは、使用者は例外なく死んでいる。その魔術を使ったものは、何故死ぬのか。アレイスター・クロウリ―は、何故代償として死が必要な魔術を創ったのか。多くの者が疑問を抱いた。しかし、その理由は単純なもので、アレイスター・クロウリ―自身は術の代償として死を与えるものとして、その術を創ったわけではないと判明した。

 この魔術が使用者に死をもたらす理由。それは術の使用に必要な魔力が莫大だということ。魔術を使う時、決闘でルシオが魔術を使った時、足りない魔力の代わりに体力が使われたことがあるように、それを使うのに必要な魔力がない場合、使用者の体力が消費される。そして体力もなければ、命を削って術は発動する。

破術百番、神光天杖は、その全てが一瞬で起こってしまう程、莫大な魔力を消費する。だから、死を恐れ、誰も使わない。それ故に現在は誰もその術を見たことはない。

「貴様……死ぬ気か!?」

「元より命を掛けた戦いだ」

 ヨハネスは斬られた左腕の断面に短刀を刺し込み、その刀身に彫られた文字に血を与える。引き抜かれた短刀の刀身には、文字の窪みに血が溜まり、文字が赤く浮かび上がっているようだった。そして、ヨハネスは詠唱を始める。本来、具現術式には必要のないことだが、それを加えることによって、より確実で強力なものへと昇華させるつもりだ。

「聳え立て神の杖 万象喰らいし終焉の鐘 死を喰らいてその心臓に刃を突き立てる 天高き楼塔は地の呼び声にて 大地と大空を繋ぎ留める」

「ヨハネスッ! 貴様ァ!!」

「アーレス。1つ間違っている。僕の名前はヨハネスじゃない。烏山夜羽だッ!」

「戯言をォ!」

「破術百番 神光天杖」

 呪文を唱えると同時に、短刀を地面に突き刺す。その瞬間、光の柱が全てを照らし、その場の全てを呑み込んだ。

 その光の柱は雲をも貫き、誰もがそれに目を奪われた。


「何だ……あれは!?」

 ヒューゴの行く先に突然光の柱が建ち上がる。直視できない程眩しく、強い光を放った柱はやがて光を弱め、数秒後には完全に消失した。

 何かを予感したヒューゴは、光の柱が建ち上がったその下へ急いだ。

 第2の角宮。床と壁は残っていたが灼けたように焦げ、ひび割れ崩れかかっていた。天井に至っては、完全に消滅しており、光の柱が貫通したことが容易に想像できた。角宮に置かれている魔力抑制装置もそれを守る透明な壁ごと鎔かし尽くしていた。光の柱の貫通によってできた空に浮かぶ雲の孔から日の光が差し込み、それは部屋全体を照らす。

 そこには1人の男が倒れていた。彼に近づくまでもなく、それが誰だかすぐに理解できた。

「親父……」

 足元の彼には、すでに息はない。

 涙はでなかった。掛ける言葉もなかった。ヒューゴはただ黙ったまま立ち尽くすだけ。

 遠くから再び戦火の音が聞こえ始める。

 しかし、ヒューゴの耳には、その雑音もすぐに聞こえなくなった。

 しばらくの静寂が続く。

 そしてヒューゴに向けられ放たれた魔術による攻撃を、手に握る刀で弾き飛ばすことで、その静寂は終わりを迎えた。

「よォ、久しぶりだなァ、ヒューゴォ!!」

 一部崩れた壁の上に立っていたのは、ハイネの蒼百合で氷に閉じ込めたはずのルシオだった。しかし、ヒューゴは彼の登場に一切の反応を示さなかった。

「僕をあの程度の氷で殺せたと思ったか?」

「……失せろ」

「何?」

「助かった命だ。無駄にしたくなぇなら失せろ」

「失せろ……だと? 下民風情がナメた口を利くな!」

 ルシオの構えた手から魔術が放たれる。ヒューゴはそれを跳んで避けた。床は破壊され崩れる。階下に落ち行く瓦礫と共に烏山夜羽の死体も落下していった。

「装置は全て破壊された。だが、それは僕も全力を出せるということだ。さぁ、決闘だ。僕とお前どちらかが死ぬまで!」

 空中へ跳び上がったヒューゴに向けて手を上げ、フィンガースナップの構えをとる。

「と言っても、もう勝負は着いているがな」

 そしてフィンガースナップで音を鳴らした瞬間、目には見えない異変が起こった。

 六障華で足場を作り、移動しようとしたヒューゴはそれができないことに気付く。

「無駄だ。今の攻撃でこの空間は僕の魔力痕で満ちている。覚えてるだろ? 僕の血統能力」

 ルシオの血統に遺伝する能力。周囲に散布した自身の魔力痕を使った遠隔魔術。誰もが真似できるが、ルシオの血統はその技術に秀でていた。

「今使った魔術は対抗呪文。三十番以下の破術と護術を全て打ち消す。つまり、お前の得意な六障華はもう使えない」

 笑みを浮かべるルシオは、空中で移動ができないヒューゴに向けて右手を構える。収束する魔力が光となり、構えた手の前に現れた。その時、標的であるヒューゴの刀が光も反射しない黒へと変わった。

「その刀は魔術を消すか吸収するんだろ? 1度見ればわかる。しかし――」

 ヒューゴを包囲するように全方向に、今ルシオが放とうとしている魔術の光が出現する。

「これならどうだ? 防げるものなら防いでみろ!」

 ルシオの手から放たれると同時に、ヒューゴを囲う魔術の光も一斉に彼を狙う。空中は、魔術の光が交錯し、その衝撃で崩れかかっていた壁の一部が崩れ落ちた。

 その瞬間と同時に魔術を放ったルシオの腕は宙を舞っていた。そして右腕に続き、左腕も切り落とされ、断面から血を流しながら空中へ放られる。両腕を失ったルシオの胸部に、刀の刃が突き刺さり、背中を突き破った。

「……な…………ぜ………………」

 口から血を流しながら、自身の胸に刃を突き立てたヒューゴを睨みつける。

「韋駄天は加速魔術じゃなく、加速移動魔術だ。ほとんど奴は勘違いしてるが、本来この魔術は一切の動作なしで移動ができる。理屈上、空を飛ぶこともできるだろう。俺もそれに気付いたのは2年前だ。だが、俺ができたのは落下時のみの移動だ。六障華ではなく、韋駄天を封じていれば、お前の勝ちだっただろうな」

 ヒューゴの話が終わる頃には、すでにルシオは絶命していた。

 刀を引き抜かれたルシオの死体は倒れた。


 壊れそうな屋上で翼をもがれ、腕を無くし、角を折られ、地に伏し倒れている無残な姿のロメロの前に立つのは、ガルガントだった。

「唯一警戒した魔王も、魔力を封じてしまえばこの程度。私は君を買い被り過ぎていたようだ」

 周囲に目を向け、魔力抑制装置が破壊されたことに気が付く。

「全て破壊されたか。もっと早くに装置を破壊することができたなら、君にも勝機はあっただろう。いや、君は装置が破壊されてから私に立ち向かうべきだったのかもしれない。いずれにせよ、もう終わりだ」

 ガルガントは剣を鞘から抜き、ロメロの首元に鋒を向ける。ロメロの体は再生を始めていた。

「無意味なことだ。君の体は傷付けば修復を始めるが、それによって失った体力までは戻らない。扱うだけの体力のない体には意味はない」

首筋に鋒を突き刺そうとした瞬間、ロメロはその場から消えた。しかし、ガルガントはその瞬間を捉えていた。彼らが移動した先に目を向ける。

「ロメロ様」

 そこには彼を抱えるリノがいた。

「……リノ……ワタシを置いて逃げるんだ……キミの勝てる相手じゃない」

 意識を取り戻したロメロは、力ない声で彼女に言った。そしてガルガントも彼女に向かって言葉を投げ掛ける。

「主君の為に命を掛けて護る姿は立派だが、君に用はない。彼を置いて下がるんだ」

 静かに響く声。リノはその声を聞くだけで恐怖する。ロメロのような優しさは一切持ち合わせていない、圧し潰されるような感覚。しかし、それでも彼女はロメロを手放さなかった。

「……残念ですが、それはできません」

「そうか。それなら君の腕事置いてもらうとしよう」

「申し訳ありませんが、それもできません。ワタクシはロメロ様を助けに来ただけ。アナタと戦う気はありません。ですから、ここはアナタに任せます――――ヒューゴ」

 ガルガントの背後に立つヒューゴ。彼女は彼にこの場を託し、ロメロを連れ離脱した。彼女としても、それは心苦しい判断だった。何故なら、彼女が以前ヒューゴと対峙した時、彼は彼女よりも弱かったからだ。そしてそれは、つい昨日の話。自分が勝てないと感じた相手を自分より弱い者に任せる。彼女にはそれが心苦しかった。しかし、それでも彼女が仕えるのはロメロであり、最も優先するのもロメロである。だから、彼女はこうするしかなかった。

「ヒューゴか。君は一体どうする? まさか私に勝てると思っている訳じゃあないだろう?」

 ガルガントは振り返り、薄ら笑いを浮かべた表情を向ける。

「ガルガント。あんたに訊きたいことがある」

「何かな?」

「あんたは何故俺をここに連れてきた?」

「言ったはずだよ。君に真実を教える為さ」

「こうなるとわかってか?」

「まさか。君は利口な子だ。真実を知れば、君は自身の為に動く動機が無くなる。そうなれば君は友人であるハイネの為に動くだろう。負ける側に付く程、君は馬鹿じゃない。ハイネの為に帝国を変えることのできる我々に協力する。そして君が協力すれば、ヨハネスも協力せざるを得なくなる。そう考えていたが、甘かったね。君を人質にすれば、ヨハネスは動けないと思っていたが、例え君を人質に捕ったとしても彼は動いただろう。大した決断力だ。君も予想外だったよ。私は君を評価していた。仲間を駒として扱う冷徹さがあり、戦闘技術に対する応用力にも長けていた。勝ち目のない相手には立ち向かわない、復讐などという愚かな行動はしないと思っていた。それが剰え今は私に刃を向けている。残念だ」

 ガルガントは静かに剣を突き出し、鋒をヒューゴへと向ける。

「私に勝てると思っているかい?」

「試してみようと思ってる」

「そうか。ではここは1つ、元騎士団長として手解きをしてあげよう」

「是非ご教授願おうか。極夜皇」

 黒い刀は更なる黒へと色を変え、シルエットだけとなる。次の瞬間、ヒューゴの眉間を貫く軌道で目の前に迫る鋒を横に回避する。虚空を貫いたガルガントも剣はその勢いを止め、今度はヒューゴの首を目掛けて刃が振りかざされる。向かってくる二撃目を韋駄天による超速移動で避け、ガルガントの背後へと回った。完全に背後をとったヒューゴは、彼がしたようにその首目掛けて刃を振り抜く。しかし、斬ったのはガルガントの初撃と同じ虚空だった。

「迅いね。流石は〝瞬人〟と言ったところか」

 ヒューゴの本来なら避けられる速度ではないはずの斬撃を容易に躱し、傷1つ負うことなく数メートルの間合いを開けた先にガルガントは立っていた。

「そんな風に呼ばれたことはねぇんだが?」

 瞬人などという異名か或いは称号かは、今そう呼ばれたヒューゴ自身も耳にしたことはない。

「君は知らないだろうが、騎士団院にいる頃から数名の上級騎士は君の戦い方に注目していた。本当だよ。恐らく、君ほど韋駄天を使いこなす者は現代にはいないだろう。だから君が騎士なってからは、陰では瞬人という名が君についていた。ちなみにハイネには鬼人の名が宛がわれた。彼はそのままだが、誇るべきことだ」

「そうかよ。そりゃあ、ありがたいね」

「今では騎士団院で韋駄天を使った超速戦闘術を教える程になった。君は自身の力で今までの在り方を変えたのだ。それで充分じゃないか。私と戦う必要などない」

「俺はその程度のことを変えたかったわけじゃないんだよ」

「そうか。しかし、なら今は誰の為に変えようとする? ヨハネス、いや烏山夜羽はもう死んだ。ハイネの為かね?」

「誰でもねぇよ。ただ自分の為、あんたを殺してぇだけだ」

「成程。やはり君は愚かだ。自身の我儘の為に戦争を起こすなど。わかっているのだろう? 帝国はエルダートに攻撃を仕掛けた。君達がここで勝とうが負けようが、戦争になる。今退けば私が国に掛け合い戦争を回避することが可能だ」

「それがどうした? 俺は別に帝国がどうなろうが知ったこっちゃねぇんだよ。」

「勝手だな」

「勝手で結構。その勝手で出来上がったのが国だ。なら、その勝手に付き合うのも国だろうが」

「皇帝のガルジャーノン・アル・ローゼンクロイツが、その勝手を許すと思っているのか?」

「思ってねぇよ。だが、近く帝国は、皇帝は変わる。戦争のことはそいつらに任せるさ」

「君は……」

「それよりあんた、銃は使わねぇのか?」

 腰に差している小型の銃に目を向け質問する。

「ああ、これかね。そうだな。使ってみようか」

 ガルガントは素早く銃を構え、ヒューゴの眉間に目掛けて発砲した。しかし、ヒューゴは銃弾が当たる直前に、それより速く移動して躱す。避けるヒューゴを追って銃口を向け、更に発砲する。それはすぐに彼の動きを捉え、自分が移動した先に銃弾が正確に飛んでくるようになり、避けられない状態になった。だが、ヒューゴは自らを捉えた数発の銃弾を全て刀で弾き軌道を逸らした。ガルガントの放った銃から排出される空薬莢が地面に落ちた後、ヒューゴの逸らした弾丸はどこかの壁や床に着弾する。

「わかったかね。私が銃を使わない理由が。銃は良くも悪くも一定の性能しか持っていない。命中率こそ差はできるが、同じ銃なら達人が持とうが素人が持とうが、射出されればそこに威力の差はない。そして隊長クラスは皆、銃弾を避けるなり止めるなり逸らすなりできる。今、君がしたようにね。だから銃を使うのはその方が力を発揮できる者か、銃が通じる相手にだけだ。だが、剣は違う。攻撃範囲こそ銃には及ばないが、速度、威力、手数、その全てが使い手によっては銃を凌駕する。そこに魔力が加われば、攻撃範囲も凌駕することだろう。だから、私や隊長クラスの者は銃より近接武器を使う。こんなものは雑魚の使う武器だよ」

 そう言ってガルガントは、銃を投げ捨てる。

「それに刀を使う相手に銃を使ったのでは、手解きとは言えないからね。剣で相手しよう」

 そして剣を構えないガルガントに、ヒューゴは容赦なく斬り掛かる。次々と繰り出される斬撃をガルガントは剣で受け止めていく。

「流石は白漣集の刀と言うべきか。剣ごと斬られてしまいそうだよ」

「なら斬られたらどうだ?」

「いや、遠慮しておこう」

「そうかよ」

 次のガルガントの一撃は空振りをした。受け止められることもなく、弾かれることもなく、避けられた。同時に、彼の首筋に黒い刃が近づいていた。それをぎりぎりの所で受け切った。

「おっと、危ない」

 だが、次の瞬間には受け切った刃はそこになく、逆の首筋を狙っていた。その次の一撃もぎりぎりの所で受け切る。その次も、その次も、体に刃が届く寸前のぎりぎりのとことで防いだ。

「すごいな。君の超速戦闘術は他と隔絶している。目で追うのも困難だ。さて、ヒューゴ。もう少しで私に刃が届きそう、と思っているかね? 違うよ」

 次のガルガントを狙った刃は、斬撃を放つ動きを見せる前に止まった。それはヒューゴが動きを捉え、彼に向かってガルガントが斬撃を放ち、それを受け止めざるを得なかったからだ。

「ぐっ……」

 攻守は一転し、ヒューゴがガンガントの剣による連撃をぎりぎりの所で受け切ることになる。

「不思議かね? 何故私が君の速度に対応できるのか。君ほど韋駄天を使いこなせる者は現代に居ない。それは私も含めてだ。君は1度魔王と対峙しているから、わかるだろう。彼は君よりも迅かったはずだ。そして彼の迅さは、魔力使ったものではなく、その身体能力から生まれるもの。それは魔力抑制装置の影響を受けない。それなのに何故、私は彼に勝つことができた?」

 ――!?

「気が付いたようだね。君の考えた通りだ。私の速力も身体能力から生まれるもの。そしてそれは君の韋駄天による速度をも上回る」

 刹那、今まで目の前にいたガルガントが視界から消え、背中に斬撃を受ける。傷口から血が噴き出すが、ヒューゴはすぐに振り返り刀を振った。だが、当然の如くそこにガルガントはおらず、空気を切り裂く音だけが響いた。

「もちろん、身体能力だけなら魔王には劣る。しかし君は知っているはずだ。我々エルダート人の力を」

 刀を振り抜いた方向とは逆側からガルガントの声が聞こえた。

「……イクシードか…………」

 息を切らせながら振り返り、答えを返した。

「そう。イクシード。魔力を自身の膂力に変換する能力。これは魔力を内包したままだから、抑制の影響を受けにくいのだよ。これを使えば、私は魔王の速度をも凌駕する。しかし今は装置が破壊され魔力抑制はない。つまり、魔王より遅い君が、今の私に追いつくことはない!」

 正面から距離を詰めてくるガルガントに刀を構えるが、反応する間もなく気が付けば彼は再び斬られていた。

 数撃受けたヒューゴは刀を地面に刺し、片膝を地に着く。

「君はルシオを倒したようだが、それで万が一、私に勝てるなどと思ったか?」

 血を流し、息を上げるヒューゴの返事はない。

「ルシオ。彼は強かった。才能もあり、決闘で君に負けたことで揺るぎ無い向上心をも手に入れた。そんな彼に君は勝った。恐らくは1.の隊長であるアーレスにも君は勝てるだろう。だが、1つ教えておこう。彼ら隊長全員の力を以てしても、私1人の力には遠く及ばない」

「何……だと……!?」

「馬鹿な話と思うかね。あり得ない話だと、戯言だと疑うかね。しかし、それが事実だ。君がどう思うか、真実か虚偽かは関係ない。あるのは事実という結果のみだ。もう1度訊こう。まだ私に勝つつもりでいるのかね?」

 地に着いた膝を上げ、地に刺さった刀を抜き、ヒューゴは立ち上がる。

「……ああ、試してみようと思ってる」

「そうか。残念だよ。しかし、その魔力を吸収するだけの刀で何ができるというのだ」

「確かに。魔力を吸収するだけなら、どうにもならねぇな。だから覚悟を決めねぇといけねぇ」

 ヒューゴは深く息を吸って吐き出した。


『貴方で何人目でしょうか。その答えに辿り着いたのは。望むならお教えしましょう。しかし、その前にご存知ですか。その刀が造られた理由を』

『理由?』

 ヒューゴの前に立つ白髪の女が薄ら笑いを浮かべながら話す。彼女が前に差し出した手に黒い刀、極夜皇が出現する。ここは夢の中。恐らくは、ここでは何でもできるのだろう。彼女は、刀を適当に振り回しながら話した。

『白漣集と言う名は誰が付けたのかは知りませんが、上手い呼び方だと思います。何故なら4つの〝しゅう作〟から成る1000本ですから』

『4つのしゅう作?』

『そう。900本の修作、90本の習作、9本の秀作、そして1本の終作。しかし、9本の秀作は、創られた時点では完成していなかった』

『どういうことだ?』

『9本の秀作は、刀身の長さから鍔の形、柄巻に至るまで全て同じに創られた。そしてその9本はあらゆる人の手に渡り、誰かを斬ってその魔力を啜り、心や魂に触れることによって形を変え完成するように創られた。なら、終作であるこの刀は何なのか。この黒い刀は魔力を吸収する能力を初めから持っていた。それはそのように創られたから。しかし、その能力は9本の秀作とはまるで別物。では、何故そのように創られたのか。それは再び白漣がこの世に蘇る為』

『蘇る……だと……?』

『そう。白漣集は全て自身が使う為に創られた刀。しかし、人間の寿命は長くても100年程度。しかし、9本の秀作が完成するには300年は必要だった。だから、白漣はこの刀で自身の胸に刃を突き立て肉体を殺し、精神と心、魂を封じ込めた。この刀は他人の手に渡り、あらゆる生命を斬り、魔力を吸収し、そしてそれを解き放ち持ち主の体を媒介として再び世界に顕現する。それが白漣集一番、終作である刀の役割。もうお分かりになったでしょう? この刀の魔力を解放すれば、貴方は絶大な力を手にできるが、それも一時。その後、貴方は死に、白漣は蘇る。それでも力が必要だと言うのなら、呼びなさい、私の名を。私の名は――』


「白漣」

 ヒューゴがその名を口にした瞬間、黒い刀から不透明な黒で目に見える程の密度をした魔力が溢れ出し、渦巻く球体状に変化して彼の体を呑み込んだ。その黒い魔力は、次第に血のような紅へと変わっていった。球体状の形になっていた魔力も形を変えていき、最終的に彼がまるで紅い炎を纏っているかのような形で揺らめいていた。黒だった髪の色も白く変わっており、少し伸びていた。そしてその手に持つ物は、先程まで黒い刀身だったとは思えぬ程に、美しく半透明な刀身を持つ白い刀だった。

「……すごいな。まだそんなことができたのか」

 先程とは似て似つかぬ程変わってしまったヒューゴを見ても、ガルガントは動揺することなく冷静でいた。

「これを見ても驚かねぇって事は、あんたはこの力を知ってたんだな」

「知りはしない。だが、予想はしていた。何せ、その刀を見つけ、帝都の市場に流したのは、我々なのだから。武器屋での値段を下げさせる為、コレクターの手に渡らせ、騒動を起こし、呪われているという噂を流した。買う者限られてくるが、それでも君のような者は呪いという噂を物ともせず買っていく。それが魔王を倒す力になると踏んでいた。しかし、これ程とは流石に予想以上だ」

「なら、その予想以上の力で倒してやるよ」

「試してみろ」

 ヒューゴの纏う紅い炎のような魔力が一瞬強く揺らめく。その瞬間、ガルガントは視界から彼の姿を失う。だが、自らに迫る刃をすぐに感じ取り、受け切った。

 ――迅い。先程より格段に。その身に纏う測り知れない魔力を韋駄天に無理やり注ぎ込むことで、韋駄天の使用魔力限界量を超え、本来出せるはずのない領域の力を出している。これはもはや必量超過(オーバーネセサリー)ではない。限点突破(オーバーバウンダリー)。しかし、それでもこの程度。なら、対応できる。

 ヒューゴの連斬を全て受け切り、僅かにできた隙に斬撃を入れる。しかし、刃はヒューゴの体を掠ることもなく、逆にガルガントの右胸が斬られ血が噴き出る。

「よく避けたな」

 肩から血を流し、地面に強く足を着くガルガントにヒューゴは言った。

 ――見えなかった……。反射的に半歩下がらなければ、私の右腕は肩ごと地面に落ちていたか。これはもはや韋駄天だけではない。奴自身の持つイクシードも、あの底知れぬ魔力によって向上しているのか。

「あんたの反射速度はわかった。次は躱せると思うなよ」

 そう言ってヒューゴが斬り掛かろうとした矢先、彼の足に光の杭が刺さり動きを止めた。

「これは……!?」

 ――縛術二十二番 絶尖(ぜっせん)!? 思考呪文か!

「どんなに強い力を手に入れても油断すべきではないよ」

「こんなもので…………」

 ヒューゴは力尽くで無理やり魔術から抜け出そうとする。

「わかっているさ。その程度で今の君を止めることなどできはしない。だから――縛術四十六番 黒白連鎖(こくびゃくれんさ)! 縛術六十二番 大天崩塔(たいてんほうとう)! 縛術八十七番 四扇城郭(しせんじょうかく)!」

 一瞬動きを止められたヒューゴに、黒と白が交互に連なった鎖が巻き付き、地面を砕き立ち上った光の柱が体を抑え付け、その周りを4枚の扇と6面の光の壁が囲った。

「ぐ…………」

 流石に絶大な力を手にしたヒューゴでさえも、4重の束縛魔術からはそう簡単には抜け出せはしない。彼が縛られている隙にガルガントは、詠唱に入った。

「幾度なる死を与える第一の等活(とうかつ) 焦熱なる(のこぎり)で切り裂く第二の黒縄(こくじょう) 鉄の巨象が踏み潰し第三の衆合(しゅうごう) 焱眼(えんがん)が弓射る第四の叫喚(きょうかん) 猛火の鉄室(てっしつ)に囚われる第五の大叫喚 極熱業火が焼き尽くす第六の焱熱 一切の焔はその身を灼く第七の大焦熱 二千年の先に待つ(ななつ)が幸福となる第八の無間(むけん) 百二十八の死屍門(ししもん)を超えた先 万象はただ灰燼(かいじん)に帰すのみ」

 ヒューゴの周りに炎のように揺らめく髑髏が8つ現れる。更にそれぞれの髑髏の周りに16本の炎の剣が、ヒューゴに先を向け出現した。それを見た彼は、すぐに理解し焦りを覚える。

――まずい! この魔術は……。

 自信を縛り付ける魔術から抜け出そうとするが間に合わず、ガルガントの破術が放たれる。

「破術九十九番二節 八爇焱獄断罪刃(はちねつえんごくだんざいじん)

 彼を囲い込む炎の剣が一斉に襲い掛かる。それと同時に8つの炎の髑髏も大口を開け、喰らい付く様に襲い掛かった。ヒューゴの体は爆炎に呑まれ、その姿が隠れる。

 ヒューゴを呑み込んだ爆炎は延々と燃え続けるのではないかと思える程の勢いがあり、凄まじい熱が辺りを覆っていた。その炎も次第に勢いを弱め、風に掻き消されていく。

「ほう」

 消え行く炎の中からは、防御魔術の六障華に囲まれ守れたヒューゴが姿を現した。炎が消えると同時に、彼を守る六障華も砕け散った。その時ガルガントは確信する。

 ――完全詠唱した九十九番の上級魔術を十二番の下級魔術で防いだか。破術は効かないと見た方がいいな。縛術も警戒された今、捕えることは難しい。そして彼の攻撃は護術で防げる程度のものではない。付術はイクシードに劣る。もはや魔術は無駄か。

 瞬間、ガルガントは斬られた。左肩から左脚の付け根に向かって大きな傷ができ、血が噴き出る。肺には達していないものの、それは肋骨を数本切り裂いていた。彼は反射的に後退したが、ヒューゴもそれを追ってくるのを捉えた。しかし、それも見失い咄嗟に背後に剣を振る。その刃はヒューゴの持つ半透明の刀身とぶつかり合う。

「何ッ!?」

 思わず口にしたヒューゴ。今の彼の動きはガルガントすら、その全て捉えることはできない。それは今し方ガルガントを斬ったことで確信した、それなのに彼はヒューゴの動きに付いてきた。それが不可解だった。ヒューゴは警戒し、ガルガントと距離を取った。

「不思議かね? 何故自分の動きに付いて来れるのか。簡単なことだ。経験則だよ。今の君は私より迅い。それは事実だ。しかし、次にどう動くかぐらいは予測できる。あまり騎士団長を舐めないことだ」

 大きな傷口から血を流しながらも薄ら笑いを浮かべたまま話すガルガントの姿は、彼を圧倒しているはずのヒューゴすら恐怖を覚えた。

「だが、どんなに経験則で予測しようと、捉えられなければいずれ対応できなくなる。それにその傷じゃもう大して動けねぇだろ」

 ガルガントから流れ出る血は地面を赤く染めていく。

「確かにこの傷では少々差支えが出るな」

 笑いながらそう言った瞬間、ガルガントの傷口が塞がっていった。

 ――再生!?

 ヒューゴはロメロの自己再生能力を思い浮かべる。しかし、それはすぐに否定された。

「安心したまえ、再生ではない。ただの回術だ」

「それだけの傷を……」

「例え腕が切断されようとも斬られた腕があるのなら、再びくっつけることができる。つまり、切り傷程度の治癒は造作もないことだ。しかし、回術いうものは魔力の消耗が激しくてね。このままでは、魔力がすぐに尽きてしまう。だから――」

 ガルガントは剣を体の前に突き出し、鋒を自らの体に向けた。

「君と同じことをしよう」

 自身の胸に鋒を突き刺した。しかし、その傷口から血は出ない。

 ――何だ! 何をしているんだ!?

 自害としか思えないその行動に動揺を隠せないヒューゴ。対してガルガントはなおも笑みを浮かべたままだった。

「……我が身に還れ」

 その時、ガルガントの魔力が跳ね上がるのを感じ取った。ヒューゴは意識を張り巡らせ、警戒し構えた。だが、彼が両手で柄を握る前に刀を持った左腕は吹き飛ばされた。

「な……にッ……!?」

「さて、第二幕を始めようか」

 その声は紛れもなくガルガントのものだった。しかし、その声が聞こえたのは、警戒の意識を向けていた前方ではなく、死角の後方だった。振り返った先には、ヒューゴのように目に見える程濃い魔力を身に纏ったガルガントの姿があった。

「何だ……それは……?」

「何も不思議に思うことはないだろう。言ったはずだ。その刀を見つけたのは我々だと」

――!?

「理解が早いね。いや、遅いと言うべきか。白漣集などという希少産物を見つけて我々がそれを研究したことに、今まで気付かなかったのだから」

 再び拮抗した攻防が始まる。ヒューゴは失った右腕を魔力で形作って腕とし、両手に魔力の刀を作り出して二刀で応戦する。

 ――浅薄。この国の技術力は俺達の遥か先を行く。なら、白漣集を調べればそれを模造することも可能。もっと早くに気付くべきだった。なら、この力が使いこなせないことに躊躇わず、全力で殺した。だが、俺はハイネ達がいることを考慮し、御しきれる範囲の力に抑えて使った。

「5年」

 攻防の最中にガルガントが口を開く。それは現在彼が圧している状態だったからだ。

「その刀を見つけて5年研究した。そして、その模造に成功した。それが私の剣だ。しかし、これは失敗作。吸収し蓄積できるのは、使用者の魔力のみ。それも初めに吸収した魔力以外は受け付けなくなる。そして1度魔力を解放すれば、また初めからだ。だから使いたくはなかった。だが、まぁいい。魔王の実力はわかった。今警戒するのは君だ」

「そうかよッ!」

 2本の魔力刀を振りかざし、ガルガントを切り裂く。しかし、傷付いたそばから彼の傷は治っていった。自ら傷付くことを厭わず、攻撃だけに専念し斬り掛かってくるガルガントの勢いは、身を案じ防御も行うヒューゴのそれより上だった。

「私がこの剣に込めた魔力は3年分だ。その総量は君の持つ刀の足元にも及ばないだろう。それなのに、何故君と対等に渡り合えるのかわかるかね」

 ガルガントは後退して距離をとるヒューゴに向けて魔術を放つ。それを咄嗟に六障華で防いだが、完全に止めることはできず被弾した

「クソッ……」

「それは君がエルダートの血を引いているからだよ」

「何だと……?」

「もし君が純潔の帝国人なら、その莫大な魔力を使って魔術で私を葬り去ることができただろう。しかし、エルダートの血を色濃く引く君は、魔術を使えたとしても3割程度の威力しか出せない。君に魔力を上手く扱う才能があれば君の勝ちだった。それともう1つ、君のその魔力は、元は他人の物。どんなに量が多くても扱いが難しいのでは、意味はない。だが、私の剣にあったのは全て私の魔力だ。量で劣っていようとも、それを凌駕するだけの質があるのだ」


「あそこで何が起こっているの……?」

 角宮の屋上から2つの大きな魔力の衝突を感じる方向を見レティ。その魔力の衝突は数百メートル離れた場所からも、衝撃を感じ、大気が震えるのがわかった。

「ヒューゴだ……」

 気を失い倒れていたハイネが起き上がる。その傍ではアイリスが回術で彼を回復させていた。

「ヒューゴが戦っている。僕も行かないと」

「無理よ、そんな体で!」

 立ち上がろうとするハイネをレティは抑え込んだ。

「ヒューゴなら大丈夫よ。あの魔力だもの。きっと勝てるわ」

「相手はガルガントだ。何をしても勝てるという確信はない。だから、助けに行かないと……」

 レティの制止を振り切り、立ち上がるハイネ。彼の背中に彼女は離した。

「何で……何で、そこまでヒューゴを助けようとするの!? あいつは1度あなたを置いて行ったのよ!? あいつは誰の助けも欲してない。誰も助けようとしない。自分の為だけに動いてるのよ! なのに……なんで……」

「それでもヒューゴは僕の友達だから」

「そんな――」

 ハイネはレティの言葉を最後まで聞くことなく、ラスペルを倒した時と同様の鬼の姿に変わり、ヒューゴの許へを向かった。


「はっ……はっ…………」

 片膝と残った左手を着き、息を上げているのはヒューゴだった。

「どうやらここまでのようだね。君はよくやった。私が見てきた中で最高の騎士だ。敵であったことが残念だ」

 掲げられた剣が振り下ろされようとした時、その剣と腕を氷が包み、動きを止めた。

「何だ? 氷?」

 振り返ればそこには氷でできた刀身の刀を持つ鬼がいた。ガルガントは見た瞬間、それが誰なのかすぐにわかった。

「ハイネ。邪魔をしないでくれるかな」

 自身の腕を覆った氷を自力で砕き、ハイネに向かって斬り掛かる。ガルガントの剣とハイネの氷の刀が刃を交える。

「それが君の本当の姿か。見違えたよ。しかし、君の力では私とヒューゴの戦いに割って入るには、足りない。下がっていてもらえるかな?」

「こっちはヒューゴを助けに来たので、それには従えません。それによろしいのですか? いつまでも僕に構っていても」

 ガルガントの背後にはヒューゴが構えていた。しかし、彼もそれにはすでに気付いており、ハイネを撥ね退け、ヒューゴへと体を向ける。

「わかっているさ」

 少し間合いを取った先にいるヒューゴは刀でも剣でなく、銃を構えていた。

 ――あれは私が捨てた銃か。しかし。

「残念だが、それは弾切れだ」

「知ってるよ」

 それでもなお、ヒューゴは構わず引き金を引いた。そしてガルガントに向けて銃口から射出されたのは、金属の弾丸ではなく、魔力の弾丸だった。

 ――魔力弾!? 魔術のように魔力をそのまま撃つのが難しい為、銃という射出機で撃つというイメージを固めたのか。

 数発の魔力弾はガルガントの目の前に迫る。

――銃のイメージに引っ張られ、弾速はそれ以上か? しかし、この程度なら、躱せる。

体を翻し、数発の弾丸の間を縫って全て避けた。それでもヒューゴは更に数発の魔力弾を発射した。そして彼がその弾を避けている間にヒューゴは跳び上がり、上空からガルガントに向けて更に撃ち込んだ。上から飛んでくる魔力弾に対して今度は避けるのではなく、剣で全て弾き飛ばす。それに動揺したのか、ヒューゴの手元は狂い、ガルガントの周りの地面を撃ち抜く。

「どうした外れているぞ? いや、もはや狙った所で意味はない。もうその弾速には慣れた。次は君に弾き返してみせよう」

 着地したヒューゴに自らの自信を言い放つ。

「あんたさっき言ったよな? 力を手にしても油断するなと。油断してるぜ? 阿呆」

 ガルガントの足を地面から生える魔力の手が掴み取る。

「な……これは、魔術か!? 莫迦な! 貴様がこんなことできるわけ……。ッ!? まさか!?」

 気が付いたガルガントは振り返る。そこには地面に手を着き魔術を使っているハイネの姿があった。同時にヒューゴも同様に地面に手を着き、ハイネの補助を行う。

「……響連(インクルード)か!」

 響連。自身の魔力を他の術者の魔術に合わせて供給する技術。

「そう。ヒューゴはあなたに魔力を撃ったのではない。僕に向けて撃ったんだ」

「そして空中からあんたの周りに、魔術円陣を描くように弾丸を撃ち込んだ」

「あとはヒューゴから撃たれた魔力と、円陣を利用して魔術を発動させた」

「あんたの言う通り。俺は魔力の扱いに劣ってる。この魔力も韋駄天とイクシードぐらいにしか使えてねぇ。だから使える奴に魔力を渡す。もっと早くに気付くべきだったな」

 次々と地面から伸びる手がガルガントの体中に掴みかかっていく。

「フッ。しかし、この縛術で私を捕えて一体どうする気だ? 疲弊した君達だ、長くは持つまい。これが破術であれば、私を倒せたかもしれないというのに」

「それは今からやってくる」

「何?」

 その時ガルガントの前方にレティが現れた。彼女はその手に黒い槍を持ち、身動きの取れないガルガントに向けて投げ放った。

黒闇焔(ネロ・インフェルノ)!」

 胸に黒い槍が突き刺さり倒れそうになるが、掴みかかる数本の手を振り払い、踏み止まった。

「こんなもので……こんなもので私が倒れると思うかァ!?」

 最後の力を振り絞って槍を放ったレティは、地面膝を着く。もう次の攻撃をする力は残っていない。槍で与えた傷も次第に癒えていく。

「最後の希望も潰えたな。彼女はもう動けない。君達2人も縛術を使っている以上動けない。しかし、解除すれば私を自由にしてしまう。さて、どうする?」

 自らの勝利を確信した笑みを浮かべる。

「最後に1つ教えてやる。レティはあんたを攻撃したんじゃねぇ。お前を封じる為に攻撃をしたんだ」

「何……だと……!?」

 次の瞬間、ガルガントの背後の虚空に亀裂が奔り、空間を引き裂いたような孔が空いた。

「何だ……これは?」

「この魔術は僕とヒューゴが子供の頃、勝てない相手を封じ込める為に創った固有魔術だ。1人では発動させることはできない」

「そして私を含めた3人で、より強力な術として発動できるよう洗練したのよ」

「縛術としては恐らく最高峰の拘束力だ。何せ対象者を閉空間へ閉じ込めるからな」

 虚空に現れた何も見えない暗い空間の孔からいくつもの手が伸び、ガルガントの体へと掴み巻き付く。

「くッ……」

「今までこの術が完全に成功したことはなかった。魔力が足りないからな。だが、今回その心配はない」

 ガルガントに絡み付いた手は、彼の体を閉空間への孔に引きずり込もうとする。

「こんなもの!」

 手を振り解いても次から次へと無数の手が再び彼に掴み掛ってくる。

「ガルガント。あんた、強すぎるんだよ」

「貴様らァ!」

「もう1ついいことを教えてやろう。〝貴様〟ってのは元々、目上の者に使う敬意表現だ。あんたは俺達を見下してたんじゃねぇ。見上げてたんだよ、阿呆」

「私は――」

 彼の体は完全に孔の中に引きずり込まれ、彼の言葉の終わりを待たずして、孔は閉じた。

「終わったか……」

「そうみたいだね」

「やった……」

 ヒューゴとハイネは立ち上がり、互いに距離を詰める。そしてハイネは蒼百合の氷の鋒をヒューゴに向けた。

「ヒューゴ。僕は騎士として君を捕えなければならない」

「ああ、わかってる」

「でも君は結果的にガルガントを倒し、帝国を救った。無罪にはならなくても減刑はされるはずだ。だから、大人しく捕まってくれ」

「ハイネ、決闘をしないか?」

「決闘? こんな時に何を――」

「俺も今捕まるわけにはいかねぇ。だから、決闘で勝った方に従うってことでどうだ? 時間は取らせねぇ。お前が勝てば一切の抵抗なく捕まろう。応じないならレティアルを殺す」

「……君が言うと冗談に聞こえない」

 ヒューゴはレティの許まで歩いていく。そして地に伏している彼女の背中を踏み付け、魔力で形成された右手から伸びる魔力の剣が彼女首を狙う。

「冗談じゃない」

 真剣な面持ちでヒューゴは言った。

「あんた何考えてんのよ!?」

「黙ってろ」

 頭のすぐ横の地面に刃が突き刺さる。

「よすんだ、ヒューゴ」

「なら決闘に応じるか?」

 しばらく黙ったままで返事がない間、ヒューゴの魔力の刃は彼女首へと近づいていった。そしてそれが首の皮に触れた瞬間、ハイネは返答した。

「わかった! 応じる。だから、レティから離れるんだ」

 了承を得たヒューゴは彼女から離れる。

「しかし、ここではレティを巻き込んでしまう。場所を移そう」

「必要ねぇ。レーリエ」

「はーい」

 今現在ヒューゴと恋仲になったレーリエが名前を呼ばれ現れる。

「その女を安全な所へ連れて行ってくれないか?」

「わかった」

 レーリエはレティを担ぎ上げ、その場を離れた。

「これでいいだろ?」

「ヒューゴ、君は一体何を考えているだ?」

「終わったら教えてやる。構えろ」

 互いに武器を構える。1人は氷の刃を、1人は魔力の刃を。

「決闘だ。互いに名乗るか?」

「……そうだね」

 ハイネは、笑みを浮かべ自らの名を名乗った。

「帝国騎士、ハイネ・フロストだ」

「元帝国騎士、烏山向吾だ」

 ヒューゴも僅かに口角を上げ名乗った。


瞬間、2人の魔力と刃が交錯する。


一撃。

その時放たれたのは、たったの一撃だった。2つの刃は重ね合い、周囲の魔力はおろか、大気も音も天を覆う雲も、全てを跳ね飛ばした。

 そして――決着。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ