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六章

六章


魔王城


「…………ここは……?」

 ヒューゴ、ハイネ、レティの3人がいつの間にか見知らぬ場所に移動し、周囲を見渡していた。そこは玉座の間らしい空間。

「ワタシの城だ」

 ヒューゴはロメロの翼のある背中を睨み付ける。

 ――俺たちは境界の谷の近くにいた。情報ではそこからさらに数日歩いた先に魔王城はあるはずだ。そこまで一瞬で移動した……。これが空間転移魔術か。人間でこれができるのは、極僅かな人数だけと聞く。それを……この人数……この距離を移動したのか……。

「お帰りなさいませ。ロメロ様、リノ様」

 羊のような角を持つ男が、2人を迎えた。

「ルイ、リノの腕を治してやってくれ」

「ワタクシよりロメロ様を先に――」

「ワタシの傷はもう治った。それよりもキミの力が必要だ。すぐに治すんだ」

「承知しました」

 ルイはリノの下へと歩み寄る。その背中にロメロはもう1つ要件を付け足した。

「それと彼らの傷も治してやってくれ」

「かしこまり――」

「ロメロ様!」

 ルイの承諾の意を遮り、リノが声を張り上げた。

「何故、奴らを治療するのですか!? 奴らはロメロ様の――」

「リノ。敵とは攻撃してくる者のことを言う。もはや彼らにその意思はないとワタシは思っている。そうだろう?」

 魔王の居城に連れてこられ周囲を警戒する3人に問い掛ける。

「その通りだ。皇女を攫ったのが魔王でないとわかった以上、僕達にその意思はない。僕達は飽く迄報酬のために動いていたからね」

「そうか。それと魔王はやめてくれないか。王を名乗っていても皆から王と呼ばれるほど偉くはない。ロメロと呼んでくれ」

「呼び捨ては彼女が許してくれそうにないけど?」

「リノ」

「ロメロ様が決められたことに、ワタクシは従うまでです。では、ワタクシの事もリノと呼び捨てで呼びなさい。そして彼はルイよ」

 羊のような角を持つ男が、礼儀正しく頭を下げて挨拶する。

「わかったよ、リノ。ロメロ。ルイ。じゃあ僕達も自己紹介ぐらいはしたほうがいいね。僕はハイネ・フロスト」

「私はレティアル・クリューレスよ。レティって呼んでくれて構わないわ」

「……レティ……」

 横で小さく呟くヒューゴ。

「あんたは余所余所しくレティアルって呼びなさい」

 ヒューゴに厳しく当たるレティに対して舌打ちで返す。

「俺は烏山向吾だ」

「あら、ヒューゴ・カラスヤマって言わないの?」

「黙ってろ、メロン」

「メロ――」

「さぁ互いに自己紹介も済んだことだ。これからのことを話そうか」

 若干2人が喧嘩になりそうな予感を察したのか、それを妨げるかのようにロメロが次の話題へと話を移した。

「奴ら……仮に赤軍(せきぐん)と呼ぶとしよう。赤軍の狙いは何だと思う?」

「私はロメロが狙いじゃないかなと思うけど」

「僕も『相討ちになってくれればよかった』と言っていた辺り魔王が狙いだと思う」

 自分の意見を述べるレティとハイネ。そして1人答えないヒューゴにロメロは訊ねた。

「キミはどう考える? ヒューゴ君」

「君付けはやめろ。馬鹿にされている気がする。馬鹿にしてるなら話は別だが……」

「まさか。キミは尊敬に値する。実力差がある中、ワタシにあれだけの手傷を負わせたのだ」

「褒められるなんて思ってなかったぜ。まぁいい。俺の考えでは、赤軍の狙いは恐らく戦争だろう。帝国と魔物との戦い、人魔大戦を再び起こす事。だが、それは手段であって本当に狙いはレティアルやヒューゴが言ったように魔王であるロメロ。あんたが狙いだろうな」

「何故、そう思う?」

「俺が偽皇女の正体に気付いた瞬間、奴らは俺達を取り囲んだ。どこかで見張ってたんだろう。単純に戦争を狙うなら偽皇女を使わないもっといいやり方もあったはずだ。だが、わざわざ偽皇女を使ったということは、そこに何かしらの意図があったはずだ。ロメロ、あんたはそれに気付いているんじゃねぇのか?」

「…………ワタシの孤立か」

「恐らくは」

「だとしたら、赤軍はワタシの性格も理解しているということだな」

「結果、奴らはそれに成功。そしてローゼンクロイツの皇帝が勇者を送り込むことも予想していたんだろうな」

「後はワタシと勇者をぶつけて」

「互いに疲弊したところを狙う。俺ならそうする。例え勇者と魔王の戦いでそうならなかったとしても、その後戦争になれば、その時を狙えばいい。それで失敗したとしても、本物の皇女を人質に皇帝を脅して、魔王側に仕掛けさせればいい」

「ならアイリス皇女殿下は赤軍の許にいるってこと?」

 横からレティが割って入る。その間にルイはリノの治療を終え、ハイネの治療に入っていた。治癒魔術、回術を使える者は多くなく、そのため共有魔術ですら回術は存在しない。

「だろうな」

「でもどうやって赤軍は皇女を攫ったの?」

「お前は奴らを見て、まずどう思った?」

「どうって……」

「お前は倭国人か、と言っただろ」

「!」

「阿呆にしては聡明だな。奴らは倭国人として帝国や倭国、この魔境にも潜入しているんだろう。魔王が皇女を攫ったと皇帝に証言した奴も恐らくは赤軍の人間だ」

「じゃあ今頃、皇帝は皇女を人質に脅されてるってこと?」

「さぁな。そこは皇帝がどう動くかを赤軍がどう予想するかだ。だが俺なら帝国を攻め落とす」

「なんで?」

「皇帝は臆病で我が身第一の畜生だ。皇女1人と自身の命を天秤に掛けた時、恐らく自身の命をとるはずだ。そんな奴を人質で脅すのは無意味だ。そんな奴は力で屈服させた方が早い。だから帝国の必要戦力を残しつつ蹂躙する――」

「ロメロ様!」

 玉座の間に大声を上げて1人の魔族が入ってきた。

「何だ?」

「報告します。先程境界の谷上空に巨大な(ふね)が現れたとのことです」

「空に艇?」

「はい。見た者は皆そのように言っておりました。信じがたいことですが、恐らく事実かと……。そしてその空飛ぶ艇は東に向かって移動したとのことです」

「東……帝都か」

「そこまでは……雲の上に隠れ姿を消したため、詳しい行先はわかりかねます」

「そうか、わかった。他には何かあるか?」

「いえ」

「では、キミは我が軍に魔境にある村町全てを守護するように伝えてくれ」

「城の守護はいかがなさいますか?」

「城などどうでもいい。民が最優先だ」

「かしこまりました」

 命を受けた男が引き下がる。

「少なくとも赤軍の狙いはここではないようだが、安全とも言えないな」

「まぁでも、すぐにあんたを狙いには来ねぇだろうな。あんただけを狙うなら、あんたがここを発った後、落城させてここで待ち伏せしておく方が効率的だ」 

「そうだな。しかし、空飛ぶ艇か……俄かに信じ難いな」

「そうでもねぇだろ。あいつらの武器、銃と言ったか、あの武器は俺達の知りえない武器だ。そもそも金属をあれだけ複雑な形に製錬する技術を持った者は数少ない。その武器1つだけを見ても赤軍の技術は俺達の遥か先を行っている。それを考えれば、艇が空を飛んだところで不思議じゃあない」

「確かにそうかもしれないな。あの武器、矢のような何かを飛ばしているように見えたが、何かはわからなかったな」

 彼がここで指した矢は、弓矢のような長いものではなく吹矢のような小さなものだと、誰もが理解していた。

「俺には何を飛ばしているかすら見えなかったな」

「ワタクシも同じです」

「私も」

「僕は何を飛ばしていたのか知ってるよ」

「何!?」

 ハイネの言葉に一同が驚いた。

「これだよ」

 そういってハイネは手に持っていたそれをロメロに投げた。彼もそれを片手で受けとる。

「これは……」

 ――ワタシには音と光が放たれるたびに発射されているように見えた。ならこれをあれだけの速さで連射していたのか?

「見たところ、金属の球っぽいね。潰れて変形しているところを見ると、相当な威力があるみたいだ。多分それが当たれば骨すら砕くだろう」

「お前これをどこで見つけた?」

 ロメロから今度はヒューゴにその鉄の塊は投げ渡された。

「僕とレティはずっと防御してたから、地面に落ちたのを1つ拾ってきたんだよ」

「そういうことか」

 ――あいつらは弓矢を放つような大きな動作は特にしてなかった。つまりただ構えて撃つだけで、誰でもあれだけの火力が出せるという事か。脅威だな。

 ヒューゴはレティにその塊を適当に投げつける。レティはそれを拾う為少しバランスを崩した。それと同時ハイネの治療を終えレティの治療をしていたルイが彼女も治療も終え、ヒューゴの許に移動した。

「さて、これからどうする? 俺はとりあえず帝都に戻るが?」

「私も帝都に向かうつもりだ。こうなったのなら現状を最大限利用させてもらう。帝国と協力し赤軍を退けたとなれば、多少なりとも関係の改善に繋がるはずだ」

「でも、どうやって帝都まで行くの? ここからだと馬で走っても1週間は掛かるぐらいの距離があるのよ」

「ここに来たように、ロメロの転移魔術があるだろ?」

「ああ、だがここへ戻るのと違って帝都へ転移するなら新たに座標を指定する必要がある。その場に行かない遠隔での座標指定には、3時間ほど掛かる。それまで休んでいてくれ」

 ルイがヒューゴの治療を終え、3人から離れた。

 そして癒えたヒューゴは、自分の体調を確認し、口を開いた。

「じゃあ、俺は先に帰るわ」

「はぁ? あんた何言ってんの? 3時間でロメロが転移魔術を用意してくれるのよ? なのになんで――」

「それより早く着けるのか?」

 理解に苦しむレティを遮り、ロメロがヒューゴに訊ねた。

「さぁな。だが、同程度の時間で着けるはずだ」

「待って。考えにくいけど、もしあんたの言ってることが本当だとしたら、それって帝都からここまで3時間程度で来れたってことよね?」

「それをしなかったのが不思議か?」

「当たり前じゃない」

「俺達はここまで来る間に強い魔物とも人間とも戦って経験を積んで強くなった。それでも魔王には歯が立たなかったが。だからここに来るまでの道のりは飛ばしていい程、価値のない物じゃねぇ。それに魔王城の詳しい位置もわかんねぇし、お前ら2人背負って移動できるもんでもねぇんだよ」

「それが理由?」

「そうだ。尤もお前のメロンがなければ、背負って移動できたかも知れねぇがな」

「だから、メロンじゃないわよ!」

 レティは自分の巨乳をメロンと比喩され怒る。

「キミがそれで早く着けるというのなら、先に行くといい。しかし、ワタシ達が先に到着しても恨むなよ?」

「あんたこそ」

 ヒューゴは踵を返し、城の出口へと向かう。

 が、この城の構造を知らない為、出口の案内をルイにしてもらった。


「帝都の方角はどっちかわかるか?」

 外に出た2人は城門の上に乗り、ヒューゴがルイに訊ねた。

「あちらです」

 丁寧に手でその方角を指し示す。ヒューゴもその指し示された方角を向く。

「しかし、どのような手段を用いて帝都まで向かわれるのですか? ここから帝都まで行くのは、全ての障害物を無視できる翼でもなければ難しいと思います。見たところ、ヒューゴ様には翼がないようですが」

「何も翼だけが空を駆ける手段じゃない」

 ヒューゴは空中に階段でも上がるかのように、足を踏み出す。足を前に出す度に、そこには6枚の花弁の形をした魔術障壁が足場として現れる。

「成程。それを足場になさるのですか。空を掛ける手段はわかりました。では、帝都まで移動する手段はいかになさるのですか?」

「見てればわかる」

 眼前に広がるは魔境の広大な土地。城のある山の麓には町が築かれている。

視線を帝都があるとされる遥か先、地平線へと向ける。

 そして1つの魔術の詠唱を始めた。

「銀色の支配 錫杖の先 天道の示す光 不可視の昊 消えゆく最果てへと駒は進む 傾く盃を以て 定点の深淵にその帰還を待つ 付術二十三番 韋駄天」

 その瞬間、辺りに突風を発生させ、ヒューゴはその場から消えた。ルイが気付いた時には、彼はすでに遥か先に点のようにしか見えなかった。

「成程。恐ろしい速度ですね」

 ヒューゴが発ったことを確認したルイは、城門から飛び降り城内へと姿を消した。

 ヒューゴは韋駄天という加速移動魔術に関しては、恐らく世界一の理解と実力を持っているだろう。それは韋駄天そのもの使う者が、限りなく少ないということもあるが。

 極めたと言っていい程の鍛錬を積み重ねてきた彼が、完全詠唱と必量超過(オーバーネセサリー)を併用して放った韋駄天は、彼にすら制御できない速度を生み出す。

 彼がこれを戦闘で使用しないのは、制御できないことに加えて、速過ぎて周囲の景色が見えないことと、ほぼ一直線にしか移動できないからだ。

 だが長距離で周囲が開けていれば、遠くの景色は視認することができ、ぶつかる物もなければ一直線の移動でも何ら差し支えはない。

 尤もこの速度では目を開けることも、息をすることも難しく、更には鳥や虫に接触するだけでも危険なため、常時前方に魔術防壁の六障華を展開しておく必要がある。


帝都 謁見の間


「皇帝陛下ッ!」

 1人の男が大声を上げて慌ただしく中に入ってくる。

「何事だ! 騒がしいぞ! 陛下の御前である、弁えろ」

 玉座に座る皇帝の横に立つ男が叱責する。

「申し訳ありません。しかし、早急にお伝えすべきかと思い――」

「何だ?」

「それが帝都上空に巨大な鉄の艇が……」


帝都上空


「エレノア様。帝都上空に着きました」

「そうですか」

 椅子に座り、部下からの報告を聞く。

「しかし、すでに帝都を囲む形で外壁から魔術障壁シェルが展開しております。解析しましたが、やはりこの艦、アクァラスの火力では突破できないようです。いかがなさいますか?」

「この大陸にドラゴンなどという生物が存在しさえしなければ、あのような大型魔術障壁など作らなかったでしょうに。外壁そのものを破壊して進入することは?」

「可能かと」

「では、最も近い南外壁門を破壊し、そこから白兵戦で攻め込むとしましょう」

「了解いたしました」

 そしてアクァラスは南外壁門へ向かって砲撃を開始する。彼女が南外壁門を狙ったのは、近いことに加え、門であるため設けられている門が他の外壁部に比べて薄いからだろう。

「破壊に成功しました」

「わかりました。では通信を」

「奴らは魔術による遠隔伝達術を有してはいますが、我々はその解析ができておりません。ですから奴らの遠隔伝達機に通信を繋ぐのは無理です」

「そんなことはわかっています。彼らは私達のような通信機器など持っていないでしょうから、ただの拡声器代わりです」

「わかりました」

 そして要件を相手に伝え終わり、彼女は次の指示をした。

「では、兵を降下させなさい。アクァラスは全方位に退魔シールドを展開し着陸。あとは、中の者に任せましょう」

「着陸するのであれば、下方にシールドを展開する必要はないのでは?」

「彼らの魔術を侮ってはなりません。私達は魔術についてまだ知らないことが多すぎます。警戒するに越したことはありません」

「わかりました」

「ねー」

 後ろから1人の女が割って入ってくる。

「何? レーリエ」

 エレノアはレーリエを見て問い掛けた。

「ボクも行っていい?」

「あなたが直接?」

「そー」

「必要ないわ。私の隊は優秀なのだから」

「それはわかってるけどさー。ボク、暇なんだよねー」

「…………好きにしなさい。その代わり他の者の邪魔はしないのよ」

「わかってるよ、ありがとー。エレノアちゃん、愛してるー」

 彼女はエレノアに抱き付くが、抱き付かれた本人は嫌そうに拒否した。

「やめなさい。女同士で……」

「もーエレノアちゃん、つれないなー。まーいいや。じゃあ、ボク行ってくるねー」

 彼女はエレノアから離れ、踵を返して出て行こうとする。

「レーリエ」

「何?」

「女なのにボクという一人称はどうかと思のだけれど?」

「わかってないなーエレノアちゃんは。こーいうのが好きな人だっているんだよ? だからボクはこのままボクっ娘でいくよー」

「そう……」


帝都


 南外壁門で突如爆音が響き渡り、外壁門は脆くも崩れ去った。

 その爆発に目を向ける者、それでも天に浮かぶ艇を見上げる者、何事かと慌てて外を確認する者、しかし帝都にいるほとんどの者が、それこそ皇族、貴族、平民、下民などの違いなどなく、その3つの行動の内どれかを選択した。

「何だ!?」

「どうした!?」

 騎士団内でも多くの者が、その爆音を確認しに行く。

「……何だ…………あれは…………」

 見れば南外壁門が粉々に砕かれ、炎と煙に包まれていた。そしてその上空には、1つの艇が浮かんでいた。

 そして恐らく南の空に浮かぶ艇から発せられる女の声が聞こえた。

「降伏しなさい。あなたたち勝ち目はありません。降伏しない限り、我々は攻撃を続けます」

 それ以上は何も聞こえなくなった。

「何なんだ! 魔物か!?」

「あんな無機質な魔物なんているのかよ!?」

「あんなの見たこと聞いたことねぇぞ?」

「いいから、とにかく準備しろ。味方じゃないのは確かなんだ!」

 帝国騎士団の中でも混乱は広がった。人魔大戦が休戦してから二十年近く経つため、仮初めの平和の中で生きてきた彼らにとって、こんな襲撃を受ければ混乱が生じるのは当然のことだ。

「……嘘だ…………こんなはずじゃ…………」

中にはこの一時の平和が永劫続くと思って、待遇のいい騎士団に入った者もいた。そんな者は震えながら出撃するしかなかった。

そんな中でも冷静な者ももちろんいた。

「ねぇ、ルシオぉ」

「何だ?」

 窓から壊れた南外壁門と空に浮かぶ艇を眺めるルシオの背中に、イレーナが話しかける。

 彼らは騎士団に入り、現在中級騎士となっている。

「あんた本当に行くのぉ?」

「愚問だ。お前こそどうするんだ?」

「キャハハハハ。それこそ、ぐもぉん」

「そうか。もう2度と戻れないかもしれないんだぞ?」

「別にいいんじゃなぁい? だって、ずっと平和なのも飽きたしぃ。ラスペル、あんたはどぉすんのぉ?」

 後ろに佇むラスペルに視線を向けて問い掛けた。

「私も行くよ」

「そぉ」

「わかった。……行くぞ」

 そして3人は部屋を出た。


南外壁門付近


 いち早く辿り着いた騎士団の数人が待ち構える。

破壊された南外壁門の周辺は燃え、炎から出る煙も、爆発で舞い上がった土煙もなかなか晴れずにいた。

「ちゃんと構えとけよ?」

「わかってるよ」

「でもさっきの爆撃また来たらどうする?」

「所詮魔術だろ? だったら魔術で防げばいいだけの話だ」

「でも本当にこっから入ってくるのか?」

「シェルはまだ消えてない。わざわざ防御の薄い外壁門を壊して穴開けたんだ。ここから来るに決まってるだろ」

 そして風が吹き、煙が流され、その中に薄っすらと幾人の人影が見えた。

「来たぞ! 撃てェ!」

 その合図と共に待ち構えていた騎士団数人が、一斉に魔術を放とうとした。

 だが、彼らが無詠唱で呪文だけ唱えて魔術を放つよりも早く、彼らは撃ち抜かれた。

 何にどう撃たれたのか、誰もわからなかった。ただ気が付けば、鎧を貫通し体に無数に傷穴ができていた。

 わかったのは、それが敵の攻撃だという事。まだ晴れきらぬ煙の中で、幾多に輝く光と何度も鳴り響く破裂音。そして自らの体にできた無数の傷。

 待ち構えていた騎士団の数人は為す術なく、撃ち抜かれ地に伏した。

「……一体…………何が…………」

 1人が薄れゆく意識の中、横で倒れている仲間を横目に、南外壁門があった煙の先を見る。

 中からは赤い服を身に纏った黒髪の人間が現れた。彼らは今まで見たことのない物を手に持っていたが、見たことないが故にそれが武器であるかどうかすらわからなかった。

「…………倭国……人…………なのか…………」

 黒髪という特徴から、襲撃してきたのは倭国人だと思い、彼は息絶えた。

「雑魚は殺して構わない! だが、奴らも貴重な実験材料であり、今後重要な戦力となる。殺し過ぎるな!」

 赤軍の1人が周りに指示を出し、皆が散開した。


「奴らの武器は未知だが、遠距離攻撃武器であることは確かだ。しかし、弓と違って高い連射性と矢速を備えている。近づくことは困難だ。各自、魔術障壁や物陰で身を守りつつ、魔術で応戦。負傷した者は回術部隊に回し、回復させろ。奴らをこれ以上、中へ進ませてはならない!」

 敵と交戦し、生き残って戻った者からの情報を得て、それをもとに応戦指示を出す。

 敵も少なからず損害を受けているが、それでも圧倒的な武器性能に騎士団は圧されていた。

 

 住民が退避した市民外で、騎士団の一部隊が孤立した女の敵を発見した。

「よし、味方部隊が交戦している隙に、あいつを囲み擬似響連(インクルード)で攻撃する。攻撃魔術は遠来黒雷墜だ。私が合図したら攻撃しろ」

「わかりました」

そこにはすでに他の騎士団の部隊が敵と交戦していた。それを好機と見なし彼らに援軍として加わるのではなく、彼らを囮として戦っている隙に周りを取り囲むように部隊長は指示した。

擬似響連は、相手の放つ魔術に完璧に合わせた魔力を送る響連とは違い、2人以上が同じ魔術を合わせて同時に放つことで1つの魔術を作り上げ、より強力に、或いは本来の実力では使えないはずの魔術を使うことができる技術である。本来の響連に比べれば、圧倒的に難易度は低く。相手のことを理解せずとも、大した訓練を積まずとも使うことができる。

「あはははははは。弱い、弱ーい。射的の的じゃないんだからさー、もっと動いてよー。もっとボクを楽しませてよー」

 魔術を駆使して交戦していた先の部隊は、女の敵に容易く全滅させられた。そして女が武器を下した瞬間を狙って部隊長は合図を出した。

「今だ!」

 そして彼女を囲む部隊が一斉に魔術を放つ。

はずだった。

しかし、魔術を放つどころか、呪文を唱える前、構えをとる前に物陰から頭を出した瞬間、1人の眉間を撃ち抜かれた。

その一瞬の出来事に動揺した他の部隊員は言葉を失った。

「あんた達がボクを取り囲んでることに、気付いていないとでも思ったー? ボクさー、耳が良くてねー。作戦丸聞こえー。てか、鎧の音うるさすぎー」

「ク、クソォォォォオオオオ」

 部隊員の1人が逸り、魔術を放とうとした。しかし、それでは擬似響連にならないため、部隊長は止めようと声を上げようとしたが、その暇もなく彼もまた眉間を撃ち抜かれ、そこに空いた穴から血を流し倒れる。

 そして気付かぬ間に他の者も次々と同じように倒れていく。

 残ったのは部隊長1人だけだった。

「後はあんただけだよ」

 片手で持て、1発で相手を死に至らしめる程の殺傷力を持った武器を部隊長の頭に向ける。

「ひぃぃ」

 部隊長は怯んだ。その怯んだ刹那、彼の中では何1つ希望が持てなかった。

 ――こんなもの……勝てるはずがない……。何なんだ、あの武器は……。これだけの距離があるのに……たった1撃で……こんなにも容易く…………。

「じゃーね」

 女はそう言って攻撃しようとした。しかし、その武器からは何も放たれることはなかった。ただカチッカチッと音を鳴らすだけ。

「あれーもしかして、弾切れ―? あと1人だって言うのに、やだー」

 怯えていた部隊長は、いつまで経っても攻撃されないことに気付き、1度は諦め絶望しかなかった心の中に希望が芽生えた。

「は、ははは。どうした? 撃ってこないのか?」

「うるさいなー」

「撃ってこないのなら、こっちから行くぞ! 破術四十六番 焦烈――」

 呪文を言い終え、魔術を放とうとした瞬間、構えていた部隊長の腕は鎧ごと斬り裂かれ宙に舞った。

「え…………うぎゃぁぁぁぁぁぁアアアアアアアア」

 両腕を失い、断面から多量の血を流しながら、尻餅を着いて地面に倒れる。

「腕がぁぁ、腕がぁぁぁぁアアアア」

「おバカだねー。ボクに腰にあるの、何だと思ってたの? 剣だよー、剣。剣持ってるのに、近接戦闘ができないとでも思ったのー? 銃だけしか撃てない、か弱い女の子だと思ったー?」

 今まである程度の距離を開けて立っていたはずの女が、今は彼を見下ろせるほど近くに立っていた。そしてその手に握られているのは、先程までの遠距離攻撃武器ではなく、腰の鞘から抜かれた剣だった。

「……ァァアア、うぁぁああああ」

 部隊長は両腕を失ったため、足だけでなんとか彼女から逃れようともがく。

「いつの間にこんな近くに来たのか気になるでしょー? でも、教えなーい」

 そして彼女の持つ剣の一閃が、部隊長の首を斬り落とした。

「あーあ、やっぱ雑魚じゃつまんないな。どっかにボクの相手してくれる強い人いないかなー?」

レーリエがそう言った次の瞬間、彼女の前方にものすごい勢いで何かが落下し、目の前の家が崩れ去った。

「うわーお、何―?」

 崩れた家から舞い上がる土煙を眺めるが、その後は何も起こらない。彼女は自ら近づいて確認しようと1歩踏み出した時、後方から男の声が聞こえた。

「やっぱこの移動は止まり方がねぇのが問題だな。どっかにぶつかって止まるしかねぇ」

 レーリエは声がした方向に視線を向ける。

 ――……いつの間に…………!

「赤軍の艇は確か南外壁門の外にあったな。行くか」

 そう言ってアクァラスに向かおうとする男に向かって背後から斬り掛かった。しかし、レーリエの剣は男の刀によって防がれた。

「ちょっとー。何、ボクのこと無視してんの?」

 こちらを見ることなく斬撃を防いだことで、彼女は彼を他の雑魚とは違うと認識した。男は斬り掛かった彼女へと視線を向ける。その男の顔を見た彼女は、少しばかり驚いた。

「え……キミ……」

「赤い服……赤軍の兵か。ちょうどいい。あの空飛ぶ艇まで一緒に来い」

 レーリエは一瞬の動揺を見せたが、すぐにいつもの調子に戻った。

「はー? おバカじゃないのー? 一緒に行くわけないじゃーん。てか、まず行かせないしねー。もし行きたいならボクを倒してからにしなよ。ボク、今暇だからキミみたいな強い人と戦いたいんだ」

「そうか。なら、俺が勝ったら一緒に来い、女」

「レーリエ。5.(ディン・フュンフ)副隊長、レーリエ・キャンドール。それがボクの名前だよ、よろしくねー」

「ディン・フュンフ・フクタイチョウ・レーリエ・キャンドールか。長い名前だな」

「名前はレーリエ・キャンドールだけだから!」

「俺は烏山向吾だ」

 そして剣と刀の刃が交わる。


ローゼンクロイツ城 地下通路


「陛下、こちらです」

「わかっておる」

 襲撃を受けた非常事態であるため、皇帝は地下通路を使って非難していた。皇帝と共に行く付き人は3人。彼らは皇族直属護衛騎士、十字騎士(クロイツェン)である。皇族が騎士団の中から自ら選んだ実力者だ。

その皇帝の十字騎士3人の戦力は他の皇族の十字騎士と比べても飛びぬけており、たった3人だけでもその戦力は帝国騎士団全体の戦力と同等かそれ以上とすら言われている。

皇帝を囲む形で3人が護衛し、長く続いた地下通路を抜ける。暗い中で今まで瞳孔が開いていた目が、いきなり明るい場所に出たことによって瞳孔が狭まり、明順応が起きる。次第に明るさに慣れ、周囲の景色が見えるようになる。

そこにはすでに1人が待ち伏せしており、明順応で姿をはっきり確認する前に、剣を抜いた。

「誰だ!?」

 十字騎士の1人が声を上げる。そして完全に目が慣れその姿をはっきりと捉えた。

「ガルガント……」

 そこに立っていたのは、現騎士団長であるガルガント・ガリオス・ガロッセンベルクだった。

「お逃げですか? 陛下」

 薄ら笑いを浮かべた白髪の男、ガルガントが問い掛ける。

「貴様、騎士団長だろう。何故、前線で戦っていない!?」

 言葉を返したのは、十字騎士の1人だった。

「私は皇帝陛下にお伺いしているのだ。君ではない」

「何ッ!? 貴様、一体誰向かって口を利いているのか、わかっているのか?」

「重々理解している。だからもう1度言おう。君達、十字騎士に用はない。失せるんだ」

「何だと――」

 刹那。彼ら3人の体から血が噴き出した。

「なっ……」

「聞こえなかったか? 失せるんだ」

 3人とも血を流しながらも、倒れはしなかった。だが、彼らには理解できなかった。いつ自分が傷を負ったのか。

 彼らは強い。それ故に皇族直属護衛騎士である十字騎士として選ばれている。現騎士団長とは言え、本来これほどの遅れをとるはずはない。

「流石は十字騎士だ。それだけの傷を負ってなお、片膝すら着かず、構えを崩さないとは。そして未だに皇帝陛下の盾となり続けるとは、実に立派な事だ」

「貴様……一体何をした!?」

「それに答える義務はない」

「裏切り者がァ!」

 十字騎士の1人が叫んだ瞬間、魔術を放った。放たれた魔術の矢は目にも止まらぬ速さで飛び、ガルガントへと襲い掛かった。だが、その魔術は片手で弾かれ、ガルガントの後方に着弾し、その着弾地点周辺の草木を消し飛ばした。

「……莫迦な…………」

 ――過去最強の騎士団長とは言え、十字騎士である私の破術を片手で…………!?

「皇矢后弓砲か。九十番台の無詠唱、思考呪文。しかし、それでも流石に痛いな」

 魔術を弾いた手を振りながら話す。

 一瞬の動揺を見せたが、彼ら3人は一斉にガルガントへと斬り掛かった。

 しかし、3人の振り下ろされた刃は、ガルガントに届くことなく止められた。

 彼らの刃を止めたのはガルガント本人ではない。

彼の前に立ち、その斬撃を受け止めたのは、ルシオ、イレーナ、ラスペルの3人だった。

「キミはさっき私を裏切り者だと言ったね」

先程、ガルガントに向かって『裏切り者』と叫んだ十字騎士に対して答えた。

「それは誤解だ。私は裏切ってなどいない。ただ初めから君達の敵だった。それだけのことだ」

「……何……だと…………」

「ルシオ、イレーナ、ラスペル。今の君達なら手負いの十字騎士程度なら倒せるはずだ。だが、殺してはいけないよ。彼らは今後利用価値のある貴重な戦力だ。それと私は陛下と話しがある」

「はい」

「はぁい」

 ラスペルとイレーナは返事をし、ルシオは黙ったままだった。

「そういうことだからぁ、あっちで戦いましょうかぁ? 十字騎士さぁん」

「私が陛下の傍を離れると思うのか?」

「キャハハハハ。おもしろぉい。あんたに選択権なんかないのにぃ」

 イレーナは十字騎士の男の手首を掴み、まるで石ころでも投げるかのように遠くへと投げ飛ばした。それを皮切り、ルシオとラスペルも対峙している十字騎士を、イレーナとは別の方法で各自別々の方向へと連れて行った。

 その場に残ったのは、ガルガントと皇帝だけだった。

「さて、では皇帝陛下。初めの質問に戻ります。お逃げですか? 陛下」

 護衛がいなくなり、1人残された皇帝は怯えていた。それでも声を震わせながらガルガントの質問に答える。

「に、逃げて何が悪い……?」

「いえ。別に悪いなどとは言っておりません。ただ取り残された国民も、前線で戦う兵も、まだ逃げていない我が子である皇子や皇女がいるというのに、皇帝である陛下が真っ先に逃げるのかと思いまして」

「く、国とは王だ。……王がいなければ国は成り立たない。だから余は死ぬわけにはいかない。余は国のために逃げているのだ」

「違うな」

「何?」

「陛下、嘘を言ってはいけませんよ」

「嘘だと……?」

「そう。君は国のために逃げているわけではない。ただ自分のために逃げているだけだ」

「……う…………」

「国とはただの概念だ。それは人の集まりでしかない。そして王は象徴に過ぎない。わかるかい? 例え王などいなくとも、国は成り立つ。例え1人だけだとしても、その1人が国を名乗れば、そこに国はできる。王など必要ない」

「貴様……」

「君はただ自分の命が惜しいだけだ。そして皇帝という支配階級を守りたいだけだ。国の事など欠片も考えてなどいない」

「だとして、何だというのだ! 国民は支配されてこそ初めて価値ある存在になれるのだ。だから余が支配してやっている。そのために余は死ぬわけにはいかないのだ」

「なるほど。だが確かに支配が効果的であることには同意するよ。だから君に価値を与えよう」

「…………?」

「我が軍門に降れ」

「……な……に…………」

「アーレス」

「はい」

 ガルガントが名前を呼んだ瞬間、一瞬にして横に現れた。かつて、薔薇十字騎士団院でヒューゴやルシオ達の教官として、教鞭を執っていた上級騎士アーレスだ。

 彼の横には人の背より大きい魔術の球体が浮遊していた。

「彼らは?」

「ここに」

 ガルガントの質問に静かに答える。ここと言って彼が指示したのは、右に浮く球体だった。皇帝もその言葉に釣られ、球体の中を見ようと目を凝らす。

「……なっ…………」

 その球体の中には、人が漂っており、中に入っている数人は全て、ローゼンクロイツ帝国の皇子と皇女。つまり、皇帝の子であった。

「私達は彼らを連れていく。君が我が軍門に降るのであれば、返すことを約束しよう」

「人質か……?」

「それは君がどう思うか次第だ。尤も王こそが国だという存意を持ち、国の事を考える陛下であれば、彼らは必要ないだろうがね。さて、終わったようだな」

 そう言った後すぐ、多少の傷を負ったルシオ、イレーナ、ラスペルの3人が戻ってきた。

「唯今戻りました」

「同じく」

「終わりましたよぉ」

「おかえり。ご苦労だったね」

「……まさか……十字騎士の3人を倒したのか…………?」

 傷を負いながらも戻ってきたのが十字騎士ではない3人だった事に、驚きを隠せなかった。

「では諸君。行くとしようか」

「皇帝はよろしいのですか?」

 ルシオがガルガントに問い掛けた。

「構わないよ。彼こそが国だ。彼がいなくなれば、ここは国ではなくなってしまうからね」

 どういう意味なのかルシオには今一理解できなかったが、放っておいていいとうことは理解できたため、皇帝に手は出さなかった。

 そしてガルガントを筆頭とした、アーレス、ルシオ、イレーナ、ラスペルの彼ら5人はその場から姿を消した。

 その場には腰を抜かし、地面にへたり込む皇帝がただ1人残された。


「どうした? 終いか? 女」

 片膝を地に着け、息を上げるレーリエをヒューゴは見下していた。

「……はぁ……はぁ……レーリエだって言ってんじゃん……かッ!」

 彼女は言葉を言い切ると同時に立ち上がり、ヒューゴに向かって剣を振る。しかし、それが彼の体に届くことはない。先程からずっとそうだった。そして遂に手にしていた剣が弾かれた。

「……あっ…………」

 その隙にヒューゴは彼女の腹部に刀の柄頭を叩き込む。

「がはっ……」

 レーリエは叩かれた腹部を両手で押さえ、地面に蹲る。

「げほっ……げほっ…………はぁ……」

 咳き込む彼女の頭の横に鋒を下す。少し突けば肩に刺さる距離。

 ――この男……ボクよりずっと強い。まさか、ボクが手も足も出ないなんて……。

「……はぁ……どーしたの? 殺せばー? ボクじゃキミには勝てないしね」

 ――あーあ、こんなとこで死ぬなんて、ボクかっこ悪いなー。

「……殺さないの?」

 いつまで経っても刀の位置は変わらず、傷付けられる気配がないため、再び問い掛けた。すると、予想外の回答が返ってきた。

「ああ、殺しはしない」

「はー? なんで? ボクは敵でしょー。だったら、殺すべきじゃないの? それともボクが女だから、手を出さないのー?」

「いや。女だからという理由で殺さねぇわけじゃねぇ。俺は男女平等主義だからな」

「じゃーなんでよ?」

「そうだな。お前が貧乳で好みの女だからだ」

「え……はー?」

「だから俺はお前を斬っちゃあいねぇだろ? 切り傷は残るからな」

 現にレーリエは斬られてはいない。受けた攻撃は全て打撃であり斬撃ではない。

「それに言ったはずだ。お前には俺と共に、あの艇まで来てもらう」

「ボクを人質にするつもりー? だったら無駄だよー。人質なんてものが通じるほど、ボクの組織は甘くないからねー」

「だろうな。だからお前には人質以外の役目を果たしてもらう」

「……何させる気なの?」

「来ればわかる」

 ヒューゴは刀を鞘に納め、彼女を抱きかかえる。

「え、ちょっと! 何してんの!」

「あ? お前が動けそうにねぇから、抱えて連れて行くんだろうが」

「だからって……これ、お姫様抱っこじゃないの!」

「何だ? 背負った方がよかったのか? なら、ほら」

 彼女を再び地面に下し、背を向ける。

「そーじゃない!」

「ッ。だったら黙って抱えられてろ」

 舌打ちをしながらも、再び彼女をお姫様抱っこで抱え上げる。

「……お姫様抱っことか、初めてされたんだけどー」

 少し顔を赤らめた彼女は小さく呟く。

「何だ? もう1度言え」

「……もう言わない」

「そうか。まぁ聞こえていたがな」

「…………」

 抱えられたレーリエはそれ以上何も口にすることなく、黙って抱えられていた。そして2人は、赤軍の艇がある南外壁門へと向かった。

 2人は少しして南外壁門へと到着した。

そこには先程、赤軍と戦った騎士の死体がいくつも転がっており、血の匂いが周囲を包んでいた。ヒューゴは、そんな死体には見向きもせず、南外壁門跡地を抜け、空を飛ぶ艇、アクァラスの前へと姿を晒す。


飛空艦艇 アクァラス


「エレノア様」

 椅子に座して待つエレノアに部下からの報告が上がる。

「どうしたのですか?」

「レーリエ副隊長が……」

「戻ってきたのですか?」

「いえ、あ、そうなのですが……その…………」

「何です?」

「敵に抱えられて戻ってきました」

 エレノアは黙ったまま、艦内からその様子を確認する。

「何をしているのですか、彼女は」

 そして更に目を凝らし、抱えている男の顔を確認した。

「……あの男は……」

 数時間前、見た顔であることを思い出した彼女は、踵を返す。

「エレノア様どちらへ?」

「下へ行って確認してきます」

 そう言って彼女は艦を出た。

 外で周辺の警戒を行っていた数人の兵が、レーリエを抱えたヒューゴに向けて銃を向けていた。その場へアクァラスから出てきたエレノアが現れる。

「そのまま構えていなさい」

ヒューゴに向けて銃を構える部下に対して、現状を維持するように命ずる。続けて敵に抱えられているレーリエに質問をした。

「レーリエ、何をしているの?」

「え、いや、エレノアちゃん。違うの。その、なんてゆーか…………てか、もー下してよー」

 ヒューゴの腕の中で抗うが、彼女を下すまいと更に力を強めた。

「ちょっとー」

それに対してレーリエは何もできず、抱きかかえられ続けた。

「彼女を人質にしても無駄よ」

「ほらーだから言ったでしょー」

 エレノアの言葉に抱えられたレーリエも同調する。

「人質にしているつもりはねぇ。貧乳の彼女ごと俺を攻撃するなら、むしろ守ってみせるさ」

「は? 何言ってんのよー。てか、貧乳って言うなー」

 ヒューゴの腕の中で呟く。そんな彼女の呟きが聞こえるはずもないエレノアは、ヒューゴに質問を続けた。

「では、何のつもり?」

「話がある。それだけだ」

「そう。いいでしょう。時が来るまでは聞いてあげましょう」


帝都 某所


 民家の屋根の上が突如強い光を発し、一瞬の閃光は周囲を包んだ。

 晴れた光の中からは、ロメロを中心にリノ、ハイネ、レティの4人が姿を現した。

「どうやらすでに、かなり攻め込まれているようだな」

 周囲を見渡せば、住民は見当たらず所々煙が上がっており、崩れた家などがあった。その惨状から帝国の現状を把握する。

 リノは感覚を研ぎ澄ませ、自身の探査能力の最大限を引き出す。

「南に例の空飛ぶ艇があります。ヒューゴもそこにいるようです。北から4……いや5人何者かが南に向かっています。内1人は相当な実力者かと。他にも帝都のあちこちで戦いが起こっているようです」

「皇帝はどこにいるかわかるか?」

「いえ、それらしい気配は感じられません。おそらく探査範囲外かと」

「そうか」

「悪いけど、僕はもう行くよ」

 ハイネは、屋根から飛び降り南へを走った。

「ちょっと、ハイネ!」

 その後をレティがすぐに追いかける。

「ワタクシ達はどうしますか?」

「まずは皇帝を探す」

「わかりました」

 彼ら4人は二手に別れ、別々に行動した。

 そして南へと向かったハイネとレティはやがて壊れた南外壁門を抜け、空飛ぶ艇の前に立つヒューゴの背中を視認した。

「ヒューゴ! 無事か?」

 物言わぬヒューゴの背中にゆっくりと近づく。

「加勢するよ、ヒューゴ」

 返事がない彼の肩に手を伸ばそうとした瞬間、ハイネは動きを止めた。

「……え」

 突然の出来事に動揺する。ハイネの後方にいたレティも同様だった。

 ヒューゴの持つ白漣集の終作である黒い刀の鋒が、ハイネの顔に向けられる。

「な、何のつもりだ……? ヒューゴ」

「見ての通りだ」

「何……だって……?」

「これでいいのか? エレノア」

「……ええ。彼らを倒したら、あなたを私達の仲間として迎え入れましょう」

 ヒューゴの後方でエレノアが静かに答える。彼女傍らには先程までヒューゴに強く抱えられていたレーリエも立っていた。

「え……赤軍の仲間……? どういうことなの……?」

 状況が理解できないレティが、ヒューゴに問い掛ける。しかし、それの答えに等しいことをハイネが口にした。

「赤軍に付くのか? ……ヒューゴ」

「そうだ」

「何故だ?」

「お前らに答える必要はねぇだろ」

 その言葉が本当だと証明するかのように、ヒューゴはハイネへと斬り掛かる。その斬撃が演技ではなく、本当に斬り掛かっている事をハイネも察し、レティのいる位置まで下がった。

「本気……なのか?」

「くどいぞ」

「だけど――」

 更に言葉を重ねようとした瞬間、ヒューゴの周りに幾多の鎖が出現し、彼を取り囲んだ。

「……レティアル」

 鎖を出現させたのは、レティだった。先のロメロとの戦いで彼女がその魔術を使ったことを覚えていたため、すぐにわかった。

 ヒューゴはすぐに攻撃してくると思い彼女を警戒したが、攻撃の対象は彼ではなかった。

「痛いっ!」

 ずっと動揺していたハイネは、レティに背中を蹴られ思わず叫んでしまった。

「しっかりしろ! あいつは敵になったのよ! 呆けてたら死ぬのはあなたよ!?」

「…………だけど――痛っ!」

 再び背中に蹴りを入れる。

「男がいつまでも動揺しないの! 認めたくないんだったら、あなたがあいつの目を覚ませてやればいいのよ。敵に付いたことを後悔させてやればいいのよ」

「レティ……」

「私も協力するから」

「……わかったよ」

 ハイネも覚悟を決め、構える。

「話は終わったか?」

「随分余裕ね? あんた、私の魔術に捕えられてるのよ?」

 ヒューゴを囲むように張り巡らされた幾多の鎖。

「この鎖は、確かロメロに使った奴だよな。あの時はロメロに悉く千切られてたな。そんなもので俺を捕えたと?」

 ヒューゴは鎖の1本に向けて刀を振る。しかし、刀は鎖を断ち切ることなく、逆に弾かれてしまった。予想外の出来事にヒューゴは驚く。

「無駄よ。鎖牢空囲の鎖は、全てを弾く。あんたの刀じゃそれは斬れないわ」

 ヒューゴの眼光がレティを睨み付ける。それを気にも介さず、言葉を続けた。

「それだけ鎖に囲まれてたら、流石のあんたも簡単には避けられないでしょう?」

 そう言って彼女は、手から蒼く光る魔力の槍を作り出す。

瑠璃焔(アズールインフェルノ)か」

「安心して。当たっても刺さらないようにしておくから。その代わり爆ぜるから痛いわよ?」

「この鎖は俺に勝つために編み出したのか?」

「そうでもあるし、そうでもないないわ。それはあんたのように高速で動く相手の動きを制限するためのものよ」

「完全な捕縛ではなく、動きの制限か。まぁ、確かに完全な捕縛魔術ってのは、そのほとんどは範囲が狭いからな。制限にすることによって、より広範囲の魔術としたのか」

「そうよッ!」

 レティは作り出した蒼い槍をヒューゴに投擲する。

 ――甘いな。確かにこの鎖じゃあ、韋駄天での動きは大きく制限される。だが、捕縛でない以上、攻撃を回避する程度の動きはとれる。お前のその技の欠点は攻撃範囲の狭さだ。真っ直ぐ飛んでくるとわかってるなら、少しの動作で避けれる。そしてその槍は着弾しない限り、爆ぜる白銀焔(シルヴェルインフェルノ)には移行できない。

 ヒューゴは少し体を傾け、飛んできた蒼い槍を回避する。槍は彼の体の横を素通りしていった。視線は、彼ら2人から離さない。

「言わなかったかしら? それは〝全て〟を弾く鎖だって」

 気付いた時には遅かった。彼の横を通り過ぎた槍は、鎖に当たり弾かれ跳ね返り、背後からヒューゴを襲った。背中に当たった蒼い槍は、着弾の瞬間に白く変わり輝きを増して爆発した。

「げほっ……げほっ……」

 爆煙の中に姿の隠れたヒューゴの、咳と苦しむ息遣いが響き渡る。

「……レティアル!」

「ハイネが出るまでもないわね。私が後悔させてあげるわ。私を敵に回したことを」

 レティは再び手から蒼い槍を出現させ、ヒューゴに向かって投げつけた。

 槍の先端が徐々に近づいてくる最中、彼は考えを巡らせた。

彼女の作り出す魔力の槍は、唯一使える防御魔術で防げるようなものではない。鎖を刀で斬れなかったことから、防御魔術のおまけ程度に付いてくる切断能力も役には立たないだろう。先程のように小さな動きで回避しても、この鎖の中から抜け出さなければ意味はない。飛んでくる槍を刀で直接斬ることも考えたが、着弾の瞬間爆発する槍のため、それも意味を為さない。

結局、それを完全に回避する方法は浮かばなかった。

――どうする……どうすれば…………。

 考えを巡らせている間、時間がとてつもなく遅くなっているように錯覚した。しかし、ずっと飛んでくる槍を見ていて彼は漸く気が付いた。

 ――……違う。止まっている。完全に……。

 次に、『どうなっている』と思う前に、空中で制止している槍の横に急に人が現れた。いつ現れたのか、わからない。まるでそこに初めから居たかのように、気付かぬ間に現れた。

「……誰だ」

 そこに立つ者は女。白く靡く長い髪。布の1枚すら身に付けていない白い肌を全て露出した完全な裸の女。そしてレティすら凌駕する巨乳を少し残念に感じるヒューゴ。

「誰、とは心外ですね」

 少し笑みを浮かべた口から出てくる、透き通るような声。

「私はずっと貴方といましたよ」

「何を言ってる……?」

 ――いや、それよりもこれはどういう状況だ? どうなっている? 時間が止まっているのか? 時間停止? こいつがやっているのか? そんな魔術があるのか? いや、それはもう魔術じゃねぇ。もはや神の操る魔法の領域だ。だが、俺は何で動けてる?

 一般的に生物が魔力を使って実現可能なものは魔術と呼ばれ、意図的に起こす実現不可能な奇跡を魔法と大別される。

 現時点で時間停止という概念は存在しても、それを実現した者は誰1人としていないため、魔法に分類されている。

「現状の把握に努めているようですね。しかし、そんなものは何の意味も為さない」

「……そうかよ。それでお前は誰なんだ?」

 女は黙ったまま静かに人差し指を向ける。指差す先はヒューゴではなく、彼の持つ刀だった。

 しかし、彼にはそれがどういうことなのか理解できなかった。いや、何となく理解したが、可能性としてはあり得ないことだった。

「わかっているのでしょう?」

「…………」

「そう。私はその刀。それそのもの」

「……刀の擬人化か? それとも刀の化身か何かか?」

「どう思うかは貴方の自由です。そこに意味などないのですから」

「そうかよ。で、その刀の化身様が一体何の用だってんだよ」

「いえ、ただ貴方が余りにも無様だったものですから」

「何だと?」

「貴方はその刀を使いこなせていない。刀の力を引き出せていない。ただ子供が遊ぶ様に振っているだけ」

「なら、お前が使い方を教えてくれんのか?」

「貴方はその刀が何故黒いか知っていますか?」

 ヒューゴの質問を堂々と無視して、逆に女が質問を返す。

「黒鋼でも使ってんだろ」

「違う。それは元々刀身は半透明でありそれ以外は純白の刀だった。それが人間、魔物問わず幾多の生物の血を吸い、そして時が経つことによって黒く変色したのです」

 それを聞いた瞬間、武器屋で初めてこの刀を手にしたときの印象を思い出す。

 重い。

 それは血を吸い続け、その鉄分が刀に定着したからだろう。

「しかし――」

 彼女は言葉を続けた。

「それはその刀に初めから備わっていた力です。正確には血ではなく魔力を吸う力でしょうか」

「魔力を……」

 そこで1つの合点がいく。魔力を有する生物が最もそれを含んでいるのが血液であるからだ。

「その力は次第に強くなった。そして何百人目かの刀の持ち主が、その刀に名前を付けた。その時からその刀は名を呼ぶことでより強い力を発揮するようになった」

「だったら、お前がその名前を教えてくれんのか?」

「私が教える必要はない。貴方はすでに知っているはず。その刀の名前を」

「何?」

 その時、魔王城へ向かう旅の途中、とある町の酒場で聞いた話を思い出す。


『にーちゃん、珍しいもん持ってんな』

『ん?』

 多少酒に酔った40代ぐらいの髭の男が、酒場でハイネ、レティと一緒に飲んでいるヒューゴに声を掛けた。

『そりゃあ、あれだろ。極夜の……極夜の……なんだっけな? まぁ、とりあえず白漣集の最後の奴だろ?』

『知ってるのか?』

『まぁ一応な。オイラはそこの村の出身だからな』

『そこの村?』

『極夜の村だよ。今は夜好きな奴しか住んでねーがな』

『極夜の村ってなんだ?』

『なんだ、知らねーのか。にーちゃん。結構有名だと思ってたんだがなぁ』

『倭国の辺境にある、朝が来ないずっと夜の村だよ』

 隣で飲んでいるハイネが割って入ってきた。

『昔、日の光を極端に嫌った強い魔術師が、その村を中心に空に日の光を遮る固有魔術を掛けたんだ。もう数百年前の話で、それ以来その村にはずっと日の光が差してないっていうよ』

『お! にーちゃん、よく知ってるね』

『まぁね』

 髭の男がハイネを嬉しそうに褒めた。その2人にヒューゴは、肝心の質問をした。

『それでその極夜の村とこの刀に、何の関係があるんだ?』

『そりゃあ、にーちゃん。その刀が黒いからだよ。極夜の村はずっと夜だからずっと暗い。だけど、その刀はその村の中でも周りより更に暗く黒い。それを王と指して、その刀に名前が付けられたんだよ。なんて言ったかなぁ? 極夜の……』


極夜皇(きょくやのすめらぎ)

 時間は元に戻る。

 ヒューゴに向かって飛んできていた蒼い槍は、2つに引き裂かれた。

 それを見て驚いたのは、それを放った本人であるレティだった。

 瑠璃焔は何かに触れれば、白銀焔に変わり爆発するようになっていた。しかし、爆発することなく、2つに切り裂かれた。ヒューゴの刀によって。

 そしてその刀に目を向けると、今まで少し違うことに気が付く。

 黒い刀身。黒い鍔。黒い柄。

 だが、その黒さが今までと比較にならない程、深いものだった。今までは黒いとは言え、金属である刀身は鈍く光を反射していた。そこに立体感があり、黒い刃であることを認識させた。

しかし、今のそれは違う。

まるで空間を刀の形に黒く塗り潰したかのように、まるでそこに刀の形をした穴が開いているかのような錯覚を起こすほど深い黒に染まっていた。光の反射など一切なく、立体感などまるでない。それが本当に〝物〟であるのかどうかすら疑いたくなるどの黒。

 極夜の村があるのは、倭国領内。そこで王と言えば、倭国の皇位、皇。少し考えれば容易に導き出せた答えだ。今まで彼がその答えに辿り着かなかったのは、単純に興味がなかったから。

 刀は武器であり、それより上でもそれより下でもない。

 そして武器の名前などあってもなくても意味を為さないからだ。

 今まさに彼はその認識を改めた。

 名前の持つ重要性。もちろん、全ての武器ではない。ごく一部の特殊な武器だけだろう。

 ヒューゴは手に持つ、吸い込まれそうなほどの黒をした刀に視線を落とす。

「なるほど。こういうことか」

 刀の化身と思われる裸の女はもういなかった。

 恐らくは精神的なものに刀が干渉したのだろう、と彼は予想を立てた。

 そして彼が次にとった行動は、自身を取り囲む鎖の排除だった。先程は触れただけで弾かれた鎖だが、今度は弾かれることなく容易き斬り裂くことができた。ほとんどの鎖は斬られ、ヒューゴの周りにはほとんど鎖は残っておらず、残っているものも本来の目的である動きの制限としても役には立たないだろう。

「何を……したの……?」

 何故瑠璃焔を斬ることができたのか、何故鎖牢空囲を斬ることができたのか、レティには理解できず、思わず聞いてしまった。しかし、返ってきた言葉は先程と同じものだった。

「答える必要はねぇ」

 そう返事をしたヒューゴに、今度はハイネが殴り掛かってきた。それをヒューゴは紙一重で避け、彼の背後に回った。

「ハイネ。何故、避けられるとわかっていて、俺に正面から突っ込む?」

 背後に回ったヒューゴに向かって振り向き様に攻撃を繰り出す。しかし、それも掠ることなく悉く躱された。

「俺への配慮か? お前の本気はそんなもんじゃあねぇはずだ」

「……ヒューゴ」

 彼らの攻防は続いた。刀の、極夜皇の本当の力を使えるようになったとはいえ、それは魔力を吸収するだけのもの。それだけ、ヒューゴ自身の実力が上がったわけではない。初めの内はある程度は拮抗していたが、レティもハイネも刀の特性に対処するようになり、更には2対1であるためか、やはりヒューゴが押されることとなった。

「はぁ……はぁ……」

 片膝を着き、息を上げ、肩で呼吸するヒューゴ。

「ヒューゴ、もうやめるんだ。これ以上、戦いたくない」

 勝敗の決した状況でハイネは彼を諭す。

「……甘いな。お前はいつも甘い。……本当に、理解で世界が変えられると思っているのか?」

「何?」

「確かに互いが理解し合い、世界を変えることができるのならそれは理想的だろう。だが、そんなことのできる奴なんて、お前みたいな甘い人間だけだ」

「ヒューゴ……だから、君は支配で世界を変えようと言うのか?」

「勘違いするな。俺は世界なんてどうでもいい。端っからな。俺はただ真実が知りたかっただけだ。だが、今の世界じゃ真実には辿り着けない。だから、俺は世界を変える。お前に協力していたのもそのついでだ」

「……真実って、13年前の……?」

「そうだ」

 13年前。ヒューゴとハイネの住む村で起こった、村人消失事件。畑を荒らす魔物がいるとして、その魔物を追い払う為に、ヒューゴの父を含む十数人の村人が退治に向かい、1人として帰ってこなかった。その調査を帝国騎士団に依頼したが、相手にしてもらえず門前払いを食らった。その真相を探る為、ヒューゴは自ら騎士となった。

「……だから…………」

 全身に力を込め、再び立ち上がる。そして完全な黒の鋒をハイネに向け言い放った。

「俺はお前達を倒す」

 その時ハイネとレティの背後に大きな気配が現れた。2人と対峙するヒューゴは、その姿を彼らより早く目にした。

「……騎士……団長…………」

 帝国騎士団最高位、騎士団長ガルガント・ガリオス・ガロッセンベルク。彼を目にしたこの時、ヒューゴの中にあった感情は絶望か恐怖か。それは彼自身すら知りえないものだ。しかし、少なくとも負の感情であることは間違いなかった。

 それは初めて魔王ロメロと対峙した時よりも大きなものだった。

 どちらの実力が上かは、2人より格下である彼が計り知れるものではないが、それだけははっきりと理解できた。

 それは彼が騎士団長ガルガントの実力を知っているからだ。いや、厳密には実力が計り知れないからだ。

 彼の戦いを見た時思った。

 化物だ、と。

100年或いは200年、それ以上鍛錬を積んだとして、騎士団長を超えることはできないと悟った。

 15歳で薔薇十字騎士団院に入り、僅か半年で卒業。そのまま騎士団に入った後は、たったの3年で騎士団長の座に就いた。当然過去最年少である。

 ローゼンクロイツ帝国開闢以来、1000年の歴史の中で、他を隔絶した超然たる力を有した歴代騎士団長の中で最強の騎士。

彼はいつしか無双騎士と呼ばれるようになった。文字通り、この世に双つとして並ぶ者の無しという意味だ。

ハイネとレティもその気配に即座に気付き、振り返った。

「……ガルガント騎士団長」

「どうやら――」

 薄ら笑いを浮かべたガルガントが声を出す。大声ではない。むしろ静かだっただろう。それなのに、ヒューゴ、ハイネ、レティは、ただその声だけ首に刃を掛けられていると錯覚するほどの威圧感を受ける。そしてそれほどの威圧感を持った彼の言葉は続いた。

「苦戦しているようだね。手伝おうか?」

 その言葉を聞いたハイネとレティは、再びヒューゴを向き直り、言葉を返した。

「その必要はありません。僕達だけで充分です」

 ――騎士団長に手出しされては、ヒューゴが死んでしまう。

 ヒューゴの身を案じての言葉。

 そしてそれに対しての返答は、2人が思いも寄らぬものだった。

 斬撃。

 本当にそうなのかすら疑いたくなるほど、気付かぬ内に斬られていた。

 悲鳴を上げる間も、瞬きすらする間もなく、何が起こったのかも理解できない。

「君達ではない。彼に言ったのだ」

 体から血を吹き出しながら倒れ行く2人の間を、悠々と歩き抜ける。

「……どういう……ことだ…………?」

 現状を理解できていなかったのはヒューゴも同じだった。

「烏山向吾。覚悟があるのなら、真実を求めるのなら私と共に来るといい」

 ヒューゴの横を通り過ぎるガルガントが、すれ違い様に口にした。その後に続いて前方に現れたルシオ、イレーナ、ラスペル、アーレスの4人が通り過ぎる。

「お帰りなさいませ、ガルガント閣下」

「ああ、迎えに来てくれて助かるよ」

「いえ」

 ガルガントに対してエレノアとレーリエが頭を垂れる。

「これからいかがなさいますか? 魔王が帝都に来ているようですが、迎え撃ちますか?」

「いや、やめておこう」

「何故です? 魔王を討つのであれば、今が好機かと思いますが」

「ここは帝都だ。もし騎士団が彼に協力でもしたら、今の我々の戦力では分が悪い。退魔の刻印(ヘクス・ツァイヒェン)に戻ろう」

「かしこまりました。すぐに準備致します。それと……彼はどうしますか?」

 倒れているハイネとレティを見下し佇むヒューゴを指して、指示を仰いだ。

「共に来るようであれば連れて――」

 言葉の途中でヒューゴが振り返り、ガルガントに向けて歩いてきた。

「俺も行く」

ヒューゴを連れてガルガントが飛空艦艇アクァラスに向けて1歩踏み出そうとした時、1人の男が叫んだ。

「待ってください、閣下!」

 異を唱えようとしたのはルシオだった。

「何故、そいつを連れて行くんですか!? そいつは敵のはずだ!」

 1人大声で叫ぶ。

「ルシオ、これは私が決めたことだ」

「しかし――」

「ルシオ」

 その言葉に全てを抑え込まれた。息がつまり、呼吸が乱れ、一瞬にして干乾びたと思えるほど喉が渇く。その一言にそれほどの威圧感があり、それほどの緊張が全身を覆う。

 出せる言葉は肯定以外ありはしない。

「……はい」

 そして彼ら全員がアクァラスに乗り込む。最期に乗ろうとしたヒューゴの背中に一声が響く。

「待て、ヒューゴ!」

 名を呼ばれた彼は振り返る。そこには地に伏せたまま、大声で叫ぶハイネの姿があった。

「本当に行くのか!?」

「ああ」

「帝都を階級差別のない国に変えるんじゃなかったのか!?」

「階級差別のない国か。残念だが、それはついでだ。お前のためのな。俺の目的は、初めから親父を探すこと。そのために世界を変えるだけだ」

「支配では何も変わらない。今と何も変わらないぞ!」

「違うな。それは支配者次第だ。安心しろ。俺が支配者となって、より良い国に変えてやる。お前が父親と暮らせるようにな」

 ヒューゴは再びハイネに背を向けた。それでもその背中にハイネは言葉を投げかけた。

「僕は認めない! ヒューゴォ! 僕は――」

 扉は閉まり、最後の言葉は彼には届かなかった。


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