四章
四章
現在 魔境魔王城
「こちらにおられましたか。ロメロ様」
部屋に入るなり、頭を下げる。人の形を保ちながらも豹のような脚と耳、尻尾を持つ女。
「リノか」
「ここは書庫です。本を読まれるのでしたら、書斎で読まれたらいかがですか?」
「本を読むだけならここでもできるさ」
「それはそうですが、王となったのならば王としての自覚を持つべきかと……」
「それが書斎で読書をすることか?」
「少なくとも書庫で立ったまま読書をするのは、王らしからぬことだとワタクシは考えます」
数段もある棚に本が隙間なく埋まっており、その棚が部屋の壁となっている部屋。その中で2人の言葉が静かに響き渡る。1つだけある大きな窓からは月明かりが差し込み、暗い部屋を明るく見せている。
「王と言ってもワタシが勝手に名乗っただけで、皆が認めているわけではない」
「しかし、多くの魔物、魔族がアナタの力を認めているからこそ、アナタはこの城を有し、人間もアナタを重要視しているのです」
魔物の中でも言葉を介するものを魔族として大別される。
「ロメロ様。今日はもう遅いです。お休みください」
「もう少ししたらな」
白い髪、白い肌を持ちながら、それとは相反する蝙蝠のような黒い翼に黒い角や尾を持つ男、ロメロ。彼の言葉にリノと呼ばれる魔族の女は反論する。
「ロメロ様。アナタは魔王です。魔物の長なのです。我々は決して一枚岩ではありません。アナタの力があって、何とかまとまっている状態なのです。アナタが倒れ、人間が攻めてくるようなことがあれば、再び戦争になりかねません。そうなれば再び多くの犠牲が出る。アナタはその犠牲を憂いて、魔王となり皆を束ね犠牲を減らした」
「そうだ。だからこそ、我々は互いをもっと知らねばならない。知らぬことは恐怖だ。だが、知れば分かり合うこともできよう。この世界では小さな紛争は数あれど、大きな戦争は少ない。ワタシたちは戦争を知らなすぎる。過去から学べない以上、自ら考えるしかない」
「ならば軍の増強をもっと優先すべきでは?」
「リノ。私は戦争をしたいのではない。戦争を終わらせたいのだ。今はワタシたちと帝国互いに消耗し、休戦となっているが、それも長くは続かないだろう。この一時の平穏を無駄にはできないよ」
「しかし、彼ら人間は我々を理解しないでしょう」
「それはワタシたちも同じだよ。人間に魔物が理解できないと決めつけ、人間を理解しようとしていない。まずは、ワタシたちが彼らを理解しようとしなければならない」
「ロメロ様はよく理解しておいでです。ですが、彼らは我々を恐れています。アナタがどんなに歩み寄ろうとも、彼らはその分下がり理解を拒みます。問題があるのは彼ら人間かと」
「リノ。人間と一括りにしてはいけないよ。倭国の一部は魔物と共存しているし、この魔境にだって少なからず魔物と共に暮らす人間がいる。決して全ての人間が理解を拒んでいるわけではない」
「申し訳ありませんでした」
「いや、いいよ。帝国の者たちに、魔物と共存する人間がいることを知ってもらうことができれば、現状を変えることができるかもしれないのだがな」
「いえ、恐らくはそれを知っていながら認めたくないのでしょう。ローゼンクロイツ帝国は差別国家だと聞きます。その意識が自分たちと魔物を同列視させないようにしているのでしょう」
「そうかもしれないな。皇帝に会い、私の意思を伝えることができればいいのだが……」
「難しいでしょう。例えアナタが1人で帝都に向かわれたとしても、十分な破壊の力を有している以上、侵攻してきたと思われる。かと言って他の者を向かわせれば、信用に足りないとなることでしょう」
「信用のある帝国人が私を信用してくれれば、少しは話も通じるかもしれないが、それもまた難しい話だな」
ロメロは手に持っている分厚い本を閉じ、もとあった棚に戻す。
「お休みに?」
「ああ、体を壊してしまってはよくないだろう?」
「ええ、その通りです」
ロメロは、足音なく歩き書庫を出る。
「キミも早く休めよ、リノ」
「はい。お休みなさいませ」
「ああ、お休み」
蝋燭が照らす薄暗い長い廊下。その先の闇にロメロは姿を消した。
残ったリノも書庫の扉を閉め、見回りを始める。蝋燭の灯りだけが照らす薄暗い廊下を抜け、多数の窓から月明かりが差し込む廊下へと入る。そこには誰もいない。
はずだった。
彼女の前方に人影が見えた。足音を立てずに向かってくる。
――侵入者!?
リノは、静かに後退し姿を隠す。まだ相手に気付いていないような素振りを見せながら。
月も雲に隠れ、廊下は暗闇に包まれた。
どんなに地の利が自分にあったとしても、奇襲をかけられては意味はない。先制攻撃は有利になるが、前方に見えているのがもしも囮なら、それは逆効果となり得る。
その可能性を考え、彼女は身を隠し、向かってくる相手を暗闇の中待ち伏せる。
そして人影が彼女の前を通り過ぎる瞬間を狙い、飛び出す。
狙うは首。だが、殺しはしない。侵入者であるなら情報を聞き出す必要があるからだ。
リノの鋭い爪が人影の喉元に迫る。
しかし、真っ直ぐと首を狙い伸びゆく爪は途中で軌道を変え、狙いを外した。
彼女の手首は相手に掴まれ、逆に自らの喉元に凶器を向けられる。
雲が晴れ、再び月明かりが廊下を照らし、その明かりで互いの姿が曝される。しかし、それより前に互いに相手が誰かを認知していた。
「ロメロ様……」
「リノ……」
ロメロの尾が彼女の手首を掴んでいた。巻きついていた尾は、彼女の手首を離れ、自由に振られる。そして自由を取り戻した手首を擦った。
「すまない。痛かったか?」
「いえ。ワタクシこそ申し訳ありませんでした。侵入者と思い、ロメロ様を攻撃してしまいました。何なりと罰をお与えください」
「何故、そんなことができよう。ワタシはキミのそういうところを信頼しているのだ。今、非があるとするならワタシの方だ。すまなかった」
「いえ、そのようなことは……しかし、何故ここにおられたのですか? お休みになられたはずでは?」
「ああ、そのことなんだが、リノ」
ロメロの視線が彼女の目を真っ直ぐ見る。その眼は、ほとんどの生物が白であるはずの強膜が黒であり、瞳の虹彩は金色をしている。
「今からワタシの部屋に来てくれないか?」
「え? そ、それは……」
「今すぐ来てほしいんだ。だからキミを探していた」
リノは頬を赤らめ、緊張から言葉を詰まらせながら答えた。
「あ、あの……お気持ちは嬉しいのですが、その……ワタクシのような者では…………務まるとかどうか…………しかしながら、ロメロ様がどうしてもと仰るのなら…………その……その…………」
「どうしてもだ」
ロメロは彼女の次の言葉を待たず、答えた。
色々と考えを巡らせながらも、ロメロと共に部屋の前まで来た。そして扉が開き、彼の後を付いて共に部屋に入る。
「彼女だ」
「は?」
ロメロの突然の単語に、思わず無礼に当たる言葉を吐いてしまった。
そして視線をロメロから彼が手で指し示す方へと向ける。
そこには自分が置くよう勧めたベッドがあり、それを自分以外の女がすでに使っていた。
「はぁ?」
再び口にする。
黒髪で歳は17、18ぐらいの人間の女が毛布を首まで掛け、顔だけ出して眠っていた。
「はぁぁぁぁああああ!?」
解しがたいその状況に大きな声を出した。
「何です!? 何なのです、あの女は!?」
「そうだ、彼女は――」
王であり仕えるべき主の言葉を遮り、リノは激しく続けた。
「ハッ! もしかして、ワタクシに見せつけたかったのですか? そうなのですか? だからって……こ、こんな夜の…………そんなものを見せつけなくてもいいのではないのですか!?」
「リノ! 静かに! 起きてしまうだろう」
「だから何です!? 起きて悪いのですか? どうせ今から起こすのでしょ? だったら――」
「リノッ!」
ロメロは彼女の両肩を掴み、顔を近づける。その思わぬ行動に面食らったリノは、顔を赤らめ言葉を止め、息を止める。
「よく聞くんだ。ワタシは彼女が誰なのか知らない。さっき休もうと思って部屋に入ったら、そこのベッドで寝ていたのだ。だから、キミを呼んだ。わかるか?」
赤い顔を縦に振り、肯定を示す。
ロメロの手は肩から離れ、彼女は胸を押え鼓動の音を漏らさないように努めた。
そして互いに黙り静寂の間が流れた。
「……つまり、その女は侵入者ということですか?」
「端的に言えばそうなる」
「ならば、その者を拘束します」
「待て」
女の寝るベッドに向かって1歩踏み出したリノを遮って止めた。
「彼女の目的は何だと思う?」
「断言はできませんが、もっとも可能性が高いものはロメロ様、魔王の暗殺かと……」
「しかし、ならば何故彼女は今ここにいるのだ? ワタシの寝首を掻くのなら、見つからぬ場所で息を潜めておくべきだ。わざわざ相手に姿を晒し、更には自らが眠りに落ちているというのは理に適っていない」
「或いはそのように思わせる作戦なのかもしれません。わざと姿を晒すことで敵意がないと相手に印象付け、確実に仕留められる距離まで近づき、隙を衝く」
「確かに。その可能性は否めない。だが、それならもっと上手いやりかたがあったはずだ。何故、彼女はこのような状態でここにいるのか……」
「真相は本人に聞いてみるとしましょう。しかしながら、今日はもう遅いです。彼女は拘束した上でワタクシが見張っておきます。明日、取り調べを行います。ですから、ロメロ様はお休みください」
「……そうだな…………では、キミに任せるとしよう」
許しを得たリノは再びベッドへと足を踏み出し、毛布を剥ぎ取り彼女に拘束魔術を掛けた上で抱きかかえる。
「では、ロメロ様、お休みなさいませ」
「ああ」
部屋を出るついでに蝋燭の火を消す。部屋を出たリノは、女を抱えたまま適当な空き部屋へと向かう。その途中彼女はあることに気が付いた。
――しまったぁー! ロメロ様のベッドのシーツ変えればよかった。今頃ロメロ様は、この女の温もりを感じながら寝ているの!? まぁいいわ。ワタクシはロメロ様の部屋の掃除をする時、ベッドの匂いを嗅いでいるのだから、ワタクシの勝ちよ。ロメロ様が少々この女の温もりを感じていようとワタクシは気にしない! ええ、気にしない。
後悔の念と優越感が交錯する心中を秘めながら、塞がっている両手の代わりに尾で空き部屋の扉を開ける。
空き部屋のベッドに女を横たわらせ、拘束魔術を解く。
女を警戒しながら後ろに下がり、彼女の寝るベッドを取り囲むように魔術障壁を作りだし閉じ込めた。
――腕の1本ぐらいならいいかしら…………。
そして夜が明けた。
「ん、んん」
女が目を覚ました。それと同時にリノは彼女に対し、拘束魔術を仕掛ける。彼女もそれに気付き声を上げた。
「何です、これは!?」
自らに架せられた拘束魔術を必死に振り解こうともがく彼女に対し、リノが告げた。
「申し訳ありませんが、アナタを拘束させていただきます」
「あなた誰ですか? なんでこんなことをするんですか?」
「ワタクシはリノと言います。危害を加えてくる可能性がある侵入者を取り押さえるのは、どこの世も同じだと思います」
リノを見た瞬間、顔色を変え、相手が魔物なのだということを女は理解した。
「……侵入者? …………私が……?」
辺りを見回して、再び彼女に視線を戻す。
「何かの間違いよ! ここはどこなの? 私をお城に帰して!」
「ワタクシに決定権はありません。アナタにも。ロメロ様が来るまでお待ちください」
「誰よ、ロメロって――」
「ワタシだ」
突然の男の声に2人は振り向く。声の先、扉の前には黒い角を頭から生やした白髪の男が立っていた。
「ワタシがロメロだ」
「あなたが……なぜ、このようなことをするのです?」
「それはキミが何者か、わからないからだ」
「私はアイリス・ローゼンクロイツ。ローゼンクロイツ帝国、第7皇女です」
「もう少し信憑性のある嘘を吐いてはどうです? アナタが皇女? あり得ません」
ロメロに対して言った言葉に横からリノが口を挟んだ。
「リノ。嘘かどうかは後で決めよう。まずは彼女の話を聞こうじゃないか」
拘束されたままの皇女アイリスを名乗る女は、2人にわかる範囲で説明をした。
「なるほど。昨夜、帝国の城の自室で寝て、起きたらここにいたと言うのだね?」
「そうです……」
「ロメロ様、嘘に決まっています。そのようなことがあるはずがありません」
「確かに信じ難いことだね」
状況を理解しても、そこに至るまでの過程がわからないため、信じるか疑うかで迷っていた。そこに皇女が言葉を言い放つ。
「信じ難いですって? あなたたちが私を攫ったのではないの?」
「この……ロメロ様に向かって、何と無礼な――」
「構わないよ、リノ」
「しかし……」
「リノ。私は構わないと言ったんだ」
「……はい」
「彼女が攫ったと思うのも道理だ。ワタシたちは魔物であり、彼女の国とは今、敵対関係にある。普通なら人質として敵国の皇族を攫うと疑うだろう。しかし――」
ロメロは皇女に向きを直し、言葉を続ける。
「ワタシは決してキミを攫ってなどいない。関係の悪化はワタシの望む所ではないからね」
「ならば、私を帝都の城に帰してください」
「お約束しよう。しかしながら、こちらからも1つお願いしたいことがあります」
ロメロは片膝を着き、頭を差し出した。
「ロメロ様ッ、何を!」
王たる者が自国で他に頭を下げるその所業、異を唱えようとするがロメロに止められた。
「アイリス皇女殿下。帰還した際、ローゼンクロイツ帝国、現皇帝陛下に取り次いでいただけないでしょうか?」
「何をです?」
「ワタシの意思と魔境での現状を」
問われた皇女は少し考えを巡らせ答えた。
「考慮しておきます」
「ありがとうございます。加えて了承を頂きたいことがあります。帝都まで転移魔術で移動することは可能なのですが、ワタシがいきなり帝都に現れたのでは、侵攻してきたと思われるでしょう。そうなれば殿下の安全を保障しかねます。更に殿下には先ほど言った魔境の現状を知っていただきたいのです。ですから、この城から殿下の居城まで徒歩で移動することになってもよろしいでしょうか?」
「そうするしかないのでしょう」
「理解が早くて助かります」
今の彼女は互いの本意はどうあれ人質という状況に他ならない。彼女もそれを察し、身の安全を確保するためには、彼の言葉に従うしかないのだ。
その後、帝国で皇女が攫われたため、勇者を募り皇女奪還と魔王討伐の2つが始まった、という情報を掴み、彼女が皇女だということがわかった。
「ロメロ様、本当に行かれるのですか?」
「ああ」
自室で軽い荷支度をするロメロに対して質問するリノ。
「これは罠です。話を聞く限り彼女は皇女でしょう。しかし、確証はありません。彼女が偽物である可能性もあります。恐らく何者かが、我々に皇女誘拐の罪を着せ、戦争を再開させようとしているものだと。もし、彼女が本物の皇女であるなら、尚の事です。帝国はロメロ様を信用しない。どうかもっと慎重に行動してください」
「もし彼女が本物であるなら、尚の事だ。彼女に、我々は戦いを望んでいないことを理解してもらい、平和への架け橋になってもらいたい。それに今まで慎重に行動してきて、一体に何が変わった? 仮初の平和が続いただけだ。これが永劫続くなら、それでもいいだろう。しかし、所詮は仮初。いずれ終わりが来る。だから、私はその仮初を長く続くものに変えるために行くのだ。いつまでも失敗を恐れ、動かなければ、何も変わりはしない。成功を求め、動くことが必要だ。今が好機とまでは言わないが、機を逸してしまっては意味はない。わかるね?」
「はい。しかし、護衛の1人も付けずに帝国領に向かっては――」
「これはワタシ1人だから意味があることだ。大勢で行っては、それこそ侵攻と捉えられる」
「でしたら、せめてワタクシだけでも――」
「リノ。キミにはこの城の守護を任せたい」
「しかし、その程度ならば魔王軍にもできましょう」
「キミを信頼しているから城を任せられる。城を任せられるからワタシは何も案ずることなく帝都に向かうことができるのだよ。理解してくれるかい?」
「…………わかりました。ここはワタクシが命に代えても守り通してみせます」
「リノ……。女性が命に代えてなんて言うものじゃあない。もし危険と感じたら逃げなさい。城など無くともワタシたちは生きていけるが、命がなくては生きてはいけない。わかったね?」
「…………はい」
リノは頭を下げ、自らの命を大事に扱ってもらったことに感激を覚える。
「では殿下、参りましょう」
「ええ」
城を出る2人の背中に頭を下げて見送る。最も彼女はロメロだけに対して頭を下げているつもりだった。
2人の姿が城門を抜け、その先に消えるのを確認し行動にでた。
「ルイ!」
「はい」
リノが名前を呼ぶと同時に、後ろに羊のような捻じれた角を持つ男が姿を現す。
「城はアナタに任せます」
「リノ様は?」
「ワタクシはロメロ様の守護に当たります」
「よろしいのですか? ロメロ様はリノ様に城のことを任せられました。加えてロメロ様は皇女殿下と2人で帝国まで向かうと仰っていましたが」
「ワタクシは後方であの女を警戒するだけです。皇女を名乗っているが、我々がその皇女を見たことない以上、確証はありません。警戒するに越したことはない」
「わかりました。城はボクにお任せください」
「頼みます」
リノは後のことを羊の角を持つルイに任せ、ロメロの後を追い城門を出た。
先程出立した2人の姿を前方に捉え、気付かれないように気配を絶ち、一定以上の距離を保ちながら後を付ける。
そして2人に近づき話しかける男女が現れた。女はロメロのように翼と尾を生やした魔族であり、男はそのどちらも持たぬ人間だ。
彼ら2人はロメロもリノも知っている人物で、城のある山から少し下った辺りにある恐らく魔境の中で最も大きな街の住人だ。
城ができる前から町はあり、それ以前は特に呼び名はなかったが、城ができてからは城下町とされている。
そしてその2人は夫婦であり、酒屋を営んでいる。
リノは元々可聴領域の広い耳で更に聞き耳を立て、夫婦2人との会話を聞いた。
「ロメロ様お出かけで?」
「ああ。重要な用事ができたからね。ところで酒の方はどうだ?」
「ええ、今年一番の酒ができたので今から城にお持ちしようとしていたところです」
「そうか。キミたちの造る酒は上手いからな。だが、すまない。彼女を帝都まで送らなければならないんだ」
「それが重要な用事ですか?」
「そうだ」
「ロメロ様自らお送りするとは、彼女は一体――」
「帝国の皇女だ」
「帝国の!?」
「上手く行けば帝国との平和を築けるかもしれない」
「そうですか。それは良いことです。子供には戦争のない世の中で育ってほしいですから」
男は横に並んで立つ魔族の妻の少し膨らんだ腹を見て言う。魔族の女はそれに応えるかのように腹を擦った。
「では、お酒はいかがいたしましょうか?」
「そうだな。ワタシは数日もすれば戻れるだろう。ワタシは帰ったら貰うとするよ。よければ先に城の者にくれてやってくれないか? 代わりに必要なものがあれば、ワタシから与えよう」
「そんな滅相もございません。ロメロ様の有する城から何か貰おうなどと」
「キミ達の造る酒でワタシたちは、一時の幸福を得られるのだ。なばら、ワタシたちはそれに見合う対価を返さなければならない」
「……わかりました。では、酒樽をいくつかいただけるでしょうか? 近々、造る酒を増やしたいと思っておりますので」
「わかった。なら、ワタシが戻った時、キミの酒場に樽を送ろう」
「ありがとうございます」
互いに別れの挨拶を済ませ、夫婦2人は城へ、ロメロと皇女の2人は城下町へと向かった。
リノは再び歩き出した2人の後を追い、会話を捉えた。
「先程の方たち、結婚しているのですか?」
「そうだ。もう5年程になるか。仲のいい夫婦だよ」
「帝国では、人間と魔物が結婚しているなんて考えられません」
「ここでは珍しくない。そして必ずしも人型の魔族と人間の組み合わせというわけでもない」
「そうなのですか。しかし、王が民に何か与える必要があるのですか?」
「誰かに何かをあげれば、自分に何かが返ってくる。文字通り互いに支え合っている。そこに王や民などと言う階級に違いはない。裕福もなければ貧困もない。それは王であるワタシとて同じ。王であるからと言って特別裕福なわけではない。昼間なら城の出入りも自由に開放している。生物の価値とは、生まれも育ちも関係なく皆押し並べて同じなのだよ」
「それがこの国の在り方ということですか?」
「ワタシはそう思っている。もちろんこれが永劫続く不変なものではないだろう。いずれ裕福や貧困などの格差が生まれるかもしれない。しかし、少なくともワタシが王である間はそうならないようにするつもりだ」
「それが国民にとって幸せだと?」
「それはわからない。しかし、格差があり差別がある帝国よりは、ある程度平等であるここの方がいいとワタシは考えている」
「あなたは帝国もここのようにするつもりなのですか?」
「いや、そのつもりはない。帝国には帝国の在り方があるだろう。そこを変えるのはワタシではなく帝国の民がすることだ。だからワタシは帝国の在り方を否定するつもりはない」
「しかし今、魔境と帝国は敵対関係にあります。帝国の在り方を否定しないのであれば、友好な関係が築けたのではないのですか?」
「そうかもしれない。だが、皇帝のやり方には賛同しかねる。皇帝は帝国の領土を広げる為、ワタシたち魔物を排除してきた。だからワタシたちは抵抗した。その結果、戦争になったのだ。帝国が領土を広げるにしても、魔物を排除しようとせずに共存する選択をしていれば結果は変わったかもしれない」
「しかし、魔物の中には人を襲うものもいる。それはあなた達魔物の願望論ではないのですか?」
「確かにこれはワタシの願望だ。だが、一部の魔物が人を襲うように、人も魔物を襲う。そしてそれは人と人、魔物と魔物の同族同士でも起こることだ。2つ以上の生命が存在する時点で争いは必ず起こる。だから、ワタシ達はそれ以上に互いを理解し、譲り合い、助け合わなくてはならない。ただ一方的に我を通していては、今までと何も変わらない。ワタシ達が変わる為にキミが必要なのだよ。だから――」
2人は今までと打って変わって一気に賑やかな空間に出た。
「ここをもっと知ってほしい」
「これは…………」
そこは石畳が敷かれ様々な店が立ち並び、皆が平等に住む町だった。
人間や魔物と言った差別はなく、互いが互いを認め合い、助け合い、支え合い、共に暮らす人々の姿。魔境であるためか、比率としては魔物の数が勝っているが、それでも帝国領内のように争いはない。
「ここはワタシが王となる前からあった町だ。彼らが自ら作り上げた町だ」
「これが差別のない町…………」
帝国とは違う。皇族も貴族も平民も下民もない。王を名乗るロメロすらも同じ地に立つ、皆が平等の世界。
平等であるが故に、皆が笑い合える。
帝国であれば、表情でその人の階級がわかると言われている。貴族は常に笑い、平民は時に笑い、下民は笑わない。
「ワタシは帝国とも、ここのように互いに共存できると考えている。だから理解を深めてもらうために今日1日はここで過ごしてもらいたい」
「私を帝都に送って下さるのではなかったのですか?」
「もちろん約束は守ろう。しかし、キミも皇帝に取り次ぐことを考慮すると言った。だから、その判断材料としてもっと知ってもらいたいのだよ」
「…………わかりました」
現状断る権利のない皇女はそれを理解し、ロメロの提案に乗った。
そしてその後方で隠れながら2人を追うリノ。
――これってまるで逢引じゃないのよ。ちょっと何ロメロ様の横を歩いているのよ! 女なら男の影を踏まないように3歩後ろを歩きなさいよ。ワタクシだってロメロ様と並んで歩いたことないのに!
そこには嫉妬に駆られる1人の女の姿があった。
そして日は暮れ、2人は宿屋へと入っていく。
――え、ちょっと……。なんでわざわざ宿屋に行くのよ! 城はすぐそこじゃない。近いんだから戻ってもいいじゃないの! まさか、あの女と同じ部屋じゃないわよね。
2人が同じ部屋を借りたことを窓の外から確認したリノは、速やかにしかし、決して気づかれぬように宿屋に入り店主に話し掛けた。
ロメロのいる部屋の上の部屋を借り、彼らと遭遇しないように素早く慎重に部屋に向かった。部屋に入るなり彼女は床に耳をくっ付け、階下のロメロと皇女が借りた部屋の音を聞いた。
しかしながら、そこから聞こえる声は今日あったこと、感じたこと、思ったこと、それを踏まえた上で今後どうするべきかなどの至極真面目な話であった。彼ら2人が眠りに就いてなおも、リノは聞き耳を立てていたが、終ぞ懸念した事態は起こることなく、そのまま夜が明けた。
朝を迎え、再び出立した2人の後を再び追いかけることにした。
彼らは魔境内の村や町を転々とし、数日が過ぎた。
そして現在、魔境と帝国領の境となっている境界の谷と呼ばれる、大きな渓谷に近づいてきた。ここまでで盗み聞いた話では、この境界の谷からはロメロが皇女を担ぎ、その翼で飛んで帝都近くまで行くという算段だったため、飛べないリノの尾行は終わりを迎えようとしていた。
ここまで彼女は2人の後をただ追うのではなく、護衛という体裁は守り抜くために、2人の進む先の安全や周囲の警戒を怠らなかった。
単純な戦闘能力はロメロの方が遥かに上ではあるが、周囲の警戒能力や探査能力に於いてはリノの方が上である。だからこそ、ロメロは彼女を側近として従えているのだ。
ここまでは何事もなく、2人の安全を確保できていたが、ここにきて遂に見過ごせない影を発見した。
その気配があるのはまさにロメロの進行方向だった。さらにその気配もロメロの方に向かって進んでくるのを捉えた。彼女は、進行方向の変更をロメロに進言しようと考えたが、それでは城の守護を任されたことを放棄したことが知られ、信用を失うと思い、警戒すべき気配の排除へと乗り出した。
彼女がその気配を危険だと思ったのは、殺意を感じたからだ。尤も如何に鋭い探査能力を有していようと相手の心を見透かすことはできない。この殺意も勘違いである可能性はあった。
しかし、それでも彼女は確信していた。これが殺意であるということを。そしてこれが魔王ロメロに向けられているということも。
――気配は3つ。人型。恐らくは人間。抑えてはいるが、相当な魔力を持っている。ロメロ様には遠く及ばないが、それでもロメロ様に牙を向く者は排除しなくては。
そして遂にその3つの気配を視認し、彼らの前に立ちはだかった。
相手も彼女の姿を捉え、警戒する。
「誰だ?」
先に口を開いたのは、相手の男だった。黒い髪に赤い目をした、黒い刀に手を掛けている男。
他2人も警戒し、構えをとる。
1人は、特徴的な赤い髪を有した男。この3人の中で群を抜いて高い魔力を有していることは、彼女からすれば一目瞭然だった。
もう1人は、白に近い薄く明るい金色の髪を持った女。服の上からでもわかるほどの巨乳。自分より大きな胸を持つ女に若干の嫉妬を覚える。
「ワタクシはリノと申します。申し訳ありませんが、ここから先の侵入は控えていただけないでしょうか?」
リノは構えをとらず、落ち着いた表情で丁寧に断った。なるべく戦いは避ける為に。
「俺達は、この先に用がある。悪いがあんたの指示には従えねぇ」
「それは皇女の奪還と魔王様の討伐でございましょうか?」
「知ってんなら話は早いな。だから――」
黒髪の男の言葉を遮って、赤髪の男が割って入った。
「君の言う通り、僕達はその2つを目的としてここへ来た。そして恐らく君は魔王を守るために僕達に止まれと言っているのだろう?」
「わかっておられるのなら話は早いです」
「皇女を渡してくれるのなら、僕達はこれ以上進まない。でも、そうでないのなら魔王の下まで行かなかなくてはならない。魔王の身を案ずるなら皇女を渡してくれないか」
「申し訳ありませんが、その要件を呑む事は叶いません。しかし、ご安心ください。魔王様は帝都まで皇女殿下をお送りすることを約束しております。上手く行けば、帝国と我々の平和が叶うかもしれません。ですので、どうかこれ以上の侵入を控えてはいただけないでしょうか?」
この言葉に赤髪の男と金髪の女は、顔を見合わせる。しかし、黒髪の男はその言葉を気にする素振りを全く見せることなく言い放った。
「わかってねぇな。今俺達が欲しいのは平和じゃねぇんだよ。皇女を連れ戻した報酬が欲しんだ。この先、あんたら魔物と帝国の永劫の平和が訪れようと、そんなもの俺には関係ねぇ。そんな平和じゃあ、俺達の世界は何も変わんねぇんだよ」
「…………」
リノは眉間に皺を寄せ、交渉決裂を予感する。
「だがまぁ、こいつの意見次第だな。ハイネ。お前はどうする? もし、こいつらと帝国の間で平和が結ばれるなら、お前の親父もまた村に住めるようになるかもしれねぇ。理解で世界が変えられるのなら、お前に従おう」
黒髪の男は、赤髪のハイネと呼ばれた男に向かって問い掛ける。
「確かに魔物との争いがなくなれば、それは実現するかもしれない。でも、帝国がそう簡単に変わるとは思えない。それに僕達はもっと根底から帝国を変えなければならない。その為の皇女奪還だ。僕だけの都合で引き下がるわけにはいかない」
それがハイネの答えだった。自分だけのことを考えるなら、ここで引き下がった方がいいだろう。しかし、彼はそれほどまでに自己中心的な男ではない。それをわかった上での黒髪の男の質問だったことを、彼らの何も知らないリノすら理解する。
それに彼らにとっては、このまま突き進む方が得策だった。この先、皇女奪還に失敗したとしても魔王が皇女を帝都に送り届け、その後平和が実現するのであれば、それはここで引き下がった結果と同義だから。
このまま進めば、少なくとも皇女奪還や魔王討伐の2つの可能性を維持できる。
そのことをリノは理解する。
「では交渉は決裂ということですね?」
「すまないが、そうなる」
赤髪の男ハイネは答えた。そしてまだ話が通じそうである彼に、無駄とわかりながらももう1つの提案をした。
「では、この先の侵入は止めません。ですがせめてあちらから向かってはくれないでしょうか?」
右手に見える細めの道を指示して言った。
「それぐらいなら……」
「私も別に構わないけど」
「どうするヒューゴ? レティはいいって言ってるけど。どのみちあの人はここを通してくれないようだけど……」
ハイネは2人の名を呼び、3人の名前が判明する。黒髪の男はヒューゴ、金髪の女はレティというらしい。
そしてヒューゴと呼ばれた黒髪の男は、少しの間を置いて1つの質問をした。
「あんた、なんでそこをそんなに通したくない」
「この道は多くの者が行き交う通りです。アナタ方が魔王様と接触すれば必然と戦いが起こるでしょう。しかし、その戦いに無関係の者たちを巻き込む道理はございません。ですから、周囲の被害を最小限に抑えるために、人通りの少ないそちらの道を行っていただきたいのです。心配はございません。そちらの道を進んでもいずれは魔王のおられる城に辿り着きます」
「…………解せねぇな」
「何の事でしょう?」
「被害を抑えるなら、あんたがここで俺達を止めればいい。それができないのだとすれば、被害が出ねぇようにあんたが道案内として誘導すればいい。それ以前に魔王の身を案ずるあんたが魔王のいる城への道を教えるのはおかしい」
「…………」
「俺にはこの先に魔王がいるから接触しねぇように、進行方向をずらさせようとしてるように見えるが、違うか? つまりこの大通りを進めば魔王と接触できるってわけだ」
「……………………」
――こいつ、話の通じないスカート男かと思っていたが、意外と賢い。
スカート男、それは正しくヒューゴを指しての言葉だった。彼が今着ている服が、上下が繋がり、足元が1つの筒状であるスカートのように広がったものだったから、そのように呼称したのだ。 これは彼が昔から着用していた袴がそのような形状をしているために、それに近い帝国の服を買ったことにある。 レティにもスカートなのか、と聞かれ真面目に答えた過去があるが、そんなことまでリノは知る由もない。
「お答えはできません。いずれにしても、アナタ方をこの先に行かせるわけにはいきません」
「なら、力ずくで通るしかねぇな」
ヒューゴは黒い鞘から黒い刀身を持つ刀を引き抜き、言い放った。
「戦うの?」
臨戦態勢に入ったヒューゴにレティが問い掛ける。
「なら、頭下げて通してもらうか? それができねぇからこうなってんだろ? 阿呆」
「それはそうだけど……」
「いいから構えろ、阿呆。3対1だからって確実に勝てると言えるほど、この先の魔物は弱くねぇはずだ」
そう言われて3人は構え、互いに緊張が奔る。
「どうしたのですか?」
今まで皇女に合わせて歩いていたロメロの足が急に止まる。
「いや、少し……」
「ぐ……」
鬼人化したハイネの打撃を右腕で防いだが、リノの体は後方へと飛ばされた。しかし、すぐに体勢を立て直すべく、体を捻り地に足を着いて勢いを殺しそうとした瞬間、再び大きな魔力に気が付く。
その方向へと目を向けると、リノが放った拘束魔術から抜け出し、詠唱を終え魔術を放とうと弓引く女の姿があった。
「破術九十三番 皇矢后弓砲」
矢は凄まじい速度で、地面を抉りながらリノへと迫る。
しかし、彼女は未だに赤髪の男から受けた打撃の衝撃で飛ばされている最中であり、地に足が着いてもその勢いをすぐに止められるはずもない。横方向に力を加えるも大して移動はできず、何より迫りくる矢の攻撃範囲から逃れるのは無理だった。
――……避けられ……ない……。
直撃を覚悟する。しかし、その矢は彼女に当たる前に消え去った。