三章
三章
1週間後 決闘場
ヒューゴが決闘を申込んでから2日後、アーレスから決闘の日時と場所の通達があった。
決闘の日は申し込んだ日から7日後、通達の日から5日後に決まり、場所は今まで幾度となく決闘場と使われてきた場所。歴史に残るような大きな決闘が行われてきた場所として有名で観光名所となっている場所だが、まだそこが決闘場として使用できることには変わりなかった。
そして決闘の噂が広がり、久しぶりに行われる決闘ということで、多くの観客が詰め寄せ一部では堂々と賭けが行われていた。
ヒューゴ、ハイネ、レティの3人は、控室で決闘が開始される正午を待つ。
「ちょっと、こんなに観客がいるなんて聞いてないわよ」
予想していなかった観客の多さに、レティは緊張を隠しきれずにいた。
「ふぁ……娯楽として見に来てる貴族どももいるんだ、目立っていいじゃねぇか」
ヒューゴは寝ころびながら欠伸をしながら言った。
「神経が図太いあんたは余裕でいいわね」
「緊張して6時間しか眠れなかったぜ」
「あっそ。ハイネ、あなたは緊張してないの?」
「緊張してないことはないけど、それ以上に楽しみかな」
「楽しみ?」
「今の僕の力がどれほど通用するのか、ね」
「あなたも少し変わってるのね」
そして横からヒューゴが茶々を入れる。
「お前が真面すぎるんだろ」
「……そうかもね!」
レティは怒ったように強く言い放った。そこに1人の男が決闘の始まりを知らせに来た。
「正午になる。決闘場へ来い」
3人は立ち上がり、その男の後を付いて控室を後にした。
決闘場にはすでに、ルシオを含めた相手の3人が待ち構えていた。
屋根はなく、真上の太陽が場内を隈無く照らし、砂の地面が白く輝くようで眩しかった。観客席は8割近く席を埋めており、一部分には平民から距離をとるように固まって貴族らしき人物たちが席を占拠している。
その中にルシオ達の親族もいることは噂に聞いていた。
「さて、どすうる?」
「何が?」
「3対3だ。誰が誰の相手するかって話だよ」
「協力して戦うんじゃないの?」
「お前は会って半月程度の相手と上手く協力できるのか? ましてや一瞬の判断で負けるかもしれないような戦いで」
「……そうね、わかった。じゃあ誰が誰の相手する? ヒューゴはルシオだとして――」
「それは相手の方が、すでに決めていらっしゃるみたいだよ」
中央で待ち構えている3人を、指さして確認するハイネ。
中央に着いた3人は、相手の3人と向かい合い対峙する。
「待ってたぜ、この時を! ヒューゴ、今日はお前のこの大衆の前で跪かせてやる」
「おっと、怖い怖い。怖すぎて震えが止まんねぇぜ」
ヒューゴの正面に立つルシオが、笑いながら宣言する。それに対しヒューゴは横を向き、目を合わせることなく無表情で無機質に答えた。
「あんたがあたしの相手ぇ? あたし、イレーナ・メイシ―。よろしくねぇ」
「よろしくお願いします」
貴族が持つ金髪を有しながら毛先は黒に染まっており、褐色肌の赤い瞳を持つ女、イレーナ。
「あらぁ、平民だからもっと乱暴で下品な言葉遣いかと思ったけどぉ丁寧ねぇ。何ぃ、貴族気取りぃ?」
「あなたは貴族なら、もう少しお淑やかにすべきだと思いますけど。あなたの方こそ下品に見えますよ? その服装も」
イレーナの、脚の8割以上を露出させている短いスカートを指して、侮蔑する。しかし、彼女はそれに引くことなく言葉を返した。
「ありがとぉ。あんたは爵位剥奪されて平民になったってぇ聞いたけどぉ、ホントみすぼらしい格好ねぇ。あたしの格好が羨ましいのもわかるわぁ。キャハハハハハハハ」
レティはそれ以上彼女に言葉を返さなかった。
「僕はハイネ。君は?」
「ラスペル。本来愚民に名乗る名はないのだが、一応決闘の礼儀だからね」
「よろしくラスペル。僕たちは互いにアシストとしての決闘だが、お互い全力を尽くそう」
ハイネは正面に立つ男ラスペルに、笑顔で握手を求める。
「は? 貴様のような愚民に呼び捨てにされると非常に不愉快だよ。それに何故、貴族である私が貴様のような愚民と手を触れなければならない。ふざけるな」
「そうか。それは悪かった」
ハイネは無表情に戻り、差し出した手を下げた。
「選手宣誓は終わったか?」
横から近づいてきたアーレスが睨み合う6人に対して言い放った。
6人は口を閉じ、彼の方を向く。
「さて、この決闘は私が監督者を務める。確認だ。決闘の内容は実戦型、魔術及び素手による打術のみで武器の使用は禁止。君達はそれぞれで団体戦をやる気の様だが、ルール上は飽く迄チーム戦だ。先に3人が降参するか、戦闘続行不可能になった時点で負けとする。決着後の必要以上の攻撃はルール違反とし負けと見なす。加えて相手を殺した場合も負けと見なす。以上だ。質問は?」
「教官」
「何だ?」
手を上げ、質問をしたのはルシオだった。
「観客への配慮は必要ですか?」
魔術での勝負となれば、観客席にそれが及ぶ可能性もある。ルシオにとっては重要な質問だった。しかし、その心配は杞憂に終わる。
「必要ない。ここと客席の間には、すでに魔術障壁を展開してある。君たちの攻撃は一切客席には届かない」
「わかりました。ありがとうございます」
「他にはないな?」
沈黙が流れ、それがそれ以上質問をないことを表した。アーレスがその場を離れ銅鑼の音を合図に、遂に決闘が始まることとなった。
6人はまず、1対1の状況を作る為、中央にヒューゴとルシオを残し、イレーナとレティ、ハイネとラスペルの対峙で3組は距離をとった。
「いいのか?」
「何がだ?」
ルシオの問い掛けにヒューゴが聞き返した。
「せっかくのチーム戦なのに、1対1の状態にしてよかったのかと聞いているんだ」
「何だ? 今から負けた時の言い訳の心配をしてんのか?」
「何だと?」
「1対1だと実力差の誤魔化しが効かねぇことを、心配してんのかって聞いてんだよ、阿呆」
「…………下民如きが、いつまでも余裕でいられると思うなよ。一瞬で終わらせてやる」
ルシオは両手をヒューゴに向けて構え、詠唱を始めた。
「渦巻く焦葬の平原に厳霊を落とせ 破術二十八番 天雷」
1週間前、魔術訓練で使った下級魔術。ルシオはその時、的に当てることはできなかった。しかし、今回は的確にヒューゴを狙って真っ直ぐに雷が進んだ。
その魔術の発動を合図にハイネとラスペル、レティとイレーナの戦いも火蓋を切る。
ルシオの放った天雷がヒューゴに向かって突き進む頃、ハイネの相手であるラスペルは欠伸をしていた。
「いいのかい? 欠伸なんかしてて。舌噛むよ」
「ふぁああ。私が愚民風情に負けると思うのかね?」
「試してみようか?」
「フンッ」
ハイネは手を構え、ラスペルに向かって魔術を放つ。
「破術三十五番 紅龍穿」
龍の頭のような形をした炎が、ラスペルに食いつこうとするが如く大口を開け迫る。
「無詠唱か。愚民のくせにやるね」
しかし、彼は避ける素振りを見せず、1歩たりともその場から動かない。その龍が彼の体を呑み込んだと思った瞬間、龍は踵を返したかのように反転し、その術を放ったハイネへと食らいついた。予期せぬ一瞬の出来事に動揺し、反応が遅れ避けることができなかった。
紅い龍は霧散し、その場を巻き上がった砂埃と赤い煙のような魔術痕が覆い尽くした。
風ですぐに煙は晴れ、中から左腕を火傷したハイネが姿を現す。
「どういうことだ?」
――僕の放った魔術が返ってきた? 反射か? いや、僕が放った時より強力になって返ってきた。単純な反射なら威力は変わらないはずだ。共有魔術に反射能力のあるものはない。なら、固有魔術か?
誰しもが扱うことができる共有魔術と違い、独自に編み出した魔術を固有魔術という。現在は一般的に固有魔術を作るには、高い魔術力と長い鍛錬が必要とされ、作った本人にしか扱えない為、固有魔術を完成させることができる者は少ない。しかし、その分詠唱や呪文もない術を作ることができるため、固有魔術を作ろうとする者は多い。
「驚いたかね? 考えているね、何が起こったのか。だが、わからないだろう? 教えないよ」
ラスペルは、舌を出してハイネを罵る。しかし、それを気にすることなく、構えをとり無詠唱で呪文だけ口にした。
「破術二十八番 天雷」
構えた手から雷が迸る。
「無駄だよ」
雷鳴を轟かせながら奔る稲光がラスペルに当たったと思われる瞬間、それは反転しハイネに向かって襲い掛かる。
「護術三十一番 参灯門」
ハイネの目の前に閂の刺さった光の扉のような魔術障壁が出現し、跳ね返ってきた天雷からその身を守った。この術は以前、ルシオの魔術からヒューゴを守るときに使ったものだ。
「やるじゃないかね。しかしその調子では、いつまで経っても私を倒すことはできないよ?」
「気のせいじゃなかったか」
「ん?」
「さっきといい今といい、威力が上がるだけじゃなく、速度も速くなって返ってきた」
「それがどうしたというのかね?」
「部位魔装かな」
「…………!」
「数十年、或いは数世代に渡り、体の一部に魔力を集中させ続け、その部分に何かしらの能力を半永久的に付与する。そしてそれは相当血が薄れない限り、遺伝し続ける。君が僕の魔術を返したのはそれだろう?」
ラスペルの余裕だった表情が消える。
「僕の魔術が当たるとき、君は右手を差し出していた。恐らく魔装部はその右腕。そして相手に返すとき一度吸収し、自分の魔力を上乗せして相手に返すから速度と威力が増す。違うかい?」
「……たった2回でそこまで見破るなんて、やるじゃないかね。だが、分かったところで君にはどうしようもない」
「なら、試してみようか?」
「やってみろ」
「番無き門 刻限無き閃 傷無き閂 頑なにそれを閉ざせ」
「参灯門か? 攻撃されてもないのに護術の詠唱なんてしてどうする?」
しかし、詠唱を終えてもハイネは魔術を放つことなく、続けて更なる詠唱に入った。
「番無き門 刻限無き閃 傷無き閂 頑なにそれを閉ざせ」
その詠唱は先程終えたものと全く同じ術の詠唱だ。
「多重詠唱!?」
――詠唱だけを続けざまに行って、2つ以上の魔術を連続して使う技術……。破術ならわかる。だが、護術の多重詠唱で何をする気だ。……いや、どんな魔術が来ようとこの部位魔装がある限り効かない。
その後、ハイネは6回同じ魔術の詠唱を繰り返した。
ラスペルはその部位魔装で魔術は防げても、打術や斬術を防ぐことはできない。そのため彼は近接戦闘の訓練を積んできており、特に打術を得意とする。しかしこの間、ハイネの企みを警戒し、近づこうとはしなかった。ハイネも打術を得意とし、魔術が効かないと知った今、近接戦闘に持ち込むための誘いであることを疑ったからだ。
そしてハイネは魔術を放つ。
「破術三十五番 紅龍穿」
だが、最初に放った魔術は詠唱を終えた護術ではなく、初めにラスペルに跳ね返された無詠唱の破術だった。
――何のつもりだ!?
ラスペルはハイネの奇妙な行動を不可解に思ったが、それでもやることは1つだと考え、右手を体の前に出し、敵であるハイネの破術を吸収した。今度は今までより更に魔力を乗せ、倍以上の威力、速度で返す。
彼が右手で破術紅龍穿を吸収し撃ち返そうと放った瞬間、ハイネは両手を地面に着け先程多重詠唱をした、呪文を唱えた。
「護術三十一番 参灯門」
その瞬間、ラスペルの周り上下左右前後の6面を取り囲み閉じ込めるように、防護魔術である参灯門が展開する。
ラスペルの手から放たれた紅い龍の形をした魔術は、参灯門によって閉じられた密閉空間内で弾け、その中を埋め尽くした。そして、その場に彼の体を覆い隠す紅い立方体が出来上がる。
その中でラスペルの体は焼けるような痛みに襲われていた。いや、実際に焼けていただろう。熱くて目も開けられず、呼吸もできず、動くこともままならない。それでも意識を失うことなく、何が起こったのか考えた。
これはラスペルにとって自爆に等しいこと。彼が部位魔装を使い、強力にして魔術を跳ね返すことを前提とした戦術。
焼け付く中、それでもなお彼は倒れなかった。まだ彼は諦めていない。魔術が効かぬはずの自分がそれを逆手に取られた。ならば残されたものは唯1つ。最も得意とする、打術。
――今、奴から私の姿は見えていない……。なら、奴が参灯門を解いた瞬間、この魔術痕が晴れる前に飛び出して、奴が反応する前に仕留める。
相手が何か罠を仕掛けているかもしれない。そういった可能性を含め、次のあらゆる展開をイメージし、この状況から勝つ方法を考えた。
そしてラスペルの周りを取り囲む、魔術障壁が解かれる。魔術痕に囲まれた彼からはその瞬間は見えないが、僅かに風の流れが戻ったことで解かれたことは即座に理解できた。
その瞬間、紅い魔術痕が風に掃われる前に自ら飛び出そうとした。しかし、それよりも早く彼は腹部に衝撃を受けた。
「ごはっ……」
彼は勢いよく後方に飛び、壁に背中を打ち付けた。
先に打術を打ち込んだのはハイネの方だった。
「……なぜ……貴様が先に攻撃してくるんだ。私が何か仕掛けていたかもしれないのに……」
うつ伏せに倒れ、重ねたダメージで立ち上がることもできず、その状態のまま薄れゆく意識の中、問い掛ける。
「その可能性は考えていけたけど、君が何か仕掛けていたとしたら、その時はその時で対応を変えたまでだよ。予め警戒さえしていれば、対応できないことはないからね」
「……なんだ、私と同じじゃないかね…………」
「違うよ。相手が多重詠唱した時点で、何か企んでいることはわかったはずだ。僕ならその後の攻撃は部位魔装を使わずに避けた。君もそうするべきだった。君の敗因はその傲りだ」
その言葉を最後まで聞く前にラスペルは意識を失った。
ルシオが放った天雷の雷鳴が戦闘開始の合図となった時、レティとイレーナも対峙していた。
「あたしたちはどうするぅ? メンドーだから戦いたくないんだけどぉ」
「でも決着が着かない限り、この決闘は終わらないのよ」
「わかってるわよぉ、そんなのぉ。だからぁ、あんた降参してくんない?」
「断るわ」
「あら、そう。ざぁんねん。じゃあ――」
イレーナはお茶らけた表情から一変して、狂気すら感じる笑みを浮かべた。
「ここで潰さなきゃねぇ。キャハハハハハハハ。あんたのそのみすぼらしい服ひん剥いて、無駄にでかい牛乳を晒してあげるぅ」
「あなた本当に下品ね」
レティの顔付きも変わり、女の言葉の争いは魔術の争いへと変化する。
「縛術八番 桜鎖」
レティの呪文を言い放つと同時に、イレーナの手足に鎖状に連なった花びらのようなものが絡みつき自由を奪う。
「何、これ……」
鎖に手足を引っ張られるイレーナはそれを振りほどこうとするが、レティの魔術によって更に自由が効かなくなる。
「縛術十六番 堅点梁! 縛術二十二番 絶尖」
彼女の両手首と地面を四角柱の光の柱が固定する。続けて太い光る杭のようなものが、両足を地面に縫い付けた。これによって彼女の四肢は全く動かない状態に固定された。
「クソッ」
「無駄よ。あなたのその細い腕じゃ絶対に破れないわ。それと女が『クソ』なんて、言うもんじゃないわよ」
レティは制止し、両掌を合わせ数秒集中する。すると、両掌との間から蒼い光が溢れ出し、両手を静かに離すとそこに揺らめく蒼い槍のようなものが形成された。
「瑠璃焔」
「何よ……それ……?」
自分に向かって歩いて近づいてくるレティに訊ねた。
「魔力を押し固めて作った槍よ。大別するなら固有魔術になるかしらね」
「へぇ、やるじゃなぁい」
「爵位を失くしても、もとは貴族。これぐらいのこと造作もないわ」
「そぉ。それでぇ? その槍で動けない私を突き刺すのぉ?」
「いいえ。そんなことをしてあなたに死なれたら、私の負けになるからしないわ」
「じゃあ、どうするのぉ? 刺されないとわかれば、脅しは無駄よぉ? キャハハハハハハ」
蒼い光の槍の鋒をイレーナの首に向ける。彼女は反射的に首を少し後ろに引いた。
「脅しもしないわ。ただあなたが降参するまで、服をひん剥いて、そのみすぼらしい水平線のような胸を晒してあげるだけよ」
「あんた下品ねぇ」
「あら、知らないの? 平民って下品なのよ」
レティは槍の鋒を天に掲げ、イレーナに向けて振り下ろした。しかし、その槍が彼女の服を刻む前に動きを止める。魔力を押し固めて形作ったとされる光の槍は、動けなかったはずのイレーナの手に掴まれたのだ。
「う……そ……素手で…………!?」
「驚いたぁ? でも、いつまで呆けてるつもりぃ? お胸が隙だらけよぉ」
イレーナの掌底がレティの巨乳の間を抜け、胸骨を圧迫し彼女の体を後方へと飛ばす。加えてその瞬間、掌底を加えた手で彼女の服を掴み手前に引っ張った。服には手前と後方の両方に力が働き、その力に耐えきれず引き千切れる。
後方へと飛ばされたレティは数メートル宙を舞い、着地してなお地面を転がりようやく停止した。地に手を着き、伏せる彼女は胸骨を圧迫されたことによって肺が衝撃を受け、呼吸が困難になり苦しんでいた。
「キャハハハハハハ。結局、服がひん剥かれたのはぁ、あんたの方だったわねぇ。どぉ? 恥ずかしいぃ? 恥ずかしいでしょぉ? 男どもはあんたの乳を見たがってるわよぉ? キャハハハハ。見せてあげたらぁ? 平民の女ってそうやってお金稼ぐんでしょぉ? キャハハハハ」
辱めを受けながらもレティは体を起こし立ち上がった。
――この女……何したの……?
掌底を受けた胸を押えながら考えた。
――人1人を吹き飛ばせるほどの腕力があの細い腕にあるはずがない。一体何をしたの……。
今まで布で覆われていた彼女の胸部は露わになっており、それを見た男性客は歓声を上げる。対してそれをみたイレーナは少し残念そうに声を漏らした。
「なぁんだぁ。あんた、キャミソールなんか下に着てたのねぇ。平民だから下着なんか着てないと思ってたわぁ」
手に持っている引き千切った服の残骸を地面に落とし、言葉を続けた。
「でもぉ、ブラは着けてないみたいねぇ。なんで着けないのぉ? もしかして大きすぎて合うサイズがないとかぁ? それともノーブラが好きとかぁ? やだぁ、変態さぁん。今度いいランジェリーショップ教えてあげましょうかぁ? あ、ごめんなさぁい。平民じゃあブラなんて高いもの買えないわよねぇ。金髪だからぁ、つい貴族と勘違いしちゃったぁ」
女性の胸部に宛がわれるブラジャーと呼ばれる下着は近年帝国にて開発された。しかし、それを作る為には高い縫製技術が必要とされ、誰にでも作れるほど簡単なものではない。そのため高価な下着とされ、貴族皇族以外で、それを身に付ける女性は少ない。
「……ハァ…………ハァ…………」
「苦しそうねぇ。でもぉ、安心してぇ。次はそのキャミソールも引き裂いてあげるぅ。そしたらぁ、恥ずかしさで苦しさなんて忘れられるでしょう? まぁ、あたしだったら恥ずかしくて死にそうになっちゃうけどぉ」
ようやく呼吸が戻ってきたレティは、ダラダラと話し続けるイレーナに質問した。
「あなた……どうやって私の縛術から逃れたの?」
見れば手だけでなく、動きと止めていたはずの足までもが、自由を取り戻していた。
「それにこの槍を素手受け止めるなんてことできるはずない。何をしたの?」
「知りたいぃ? まぁ別に隠してることでもないしぃ。てかぁ、お父様とかぁ弟子とってたりするしねぇ。あんたのその槍、魔力を外部に放出して押し固め、槍って形を形成して安定させてるでしょぉ? それとほぼ同じぃ」
「どういうこと?」
「私の髪って毛先が黒いでしょぉ? これって過去に倭国人の血が混じったからなんだってぇ」
「何よ、いきなり」
「まぁ、聞いてよぉ。それでぇ、その倭国人って打術がすごく強くらしくてぇ、それがなんでか知らないけど遺伝してんのねぇ。って言ってもぉ打術の技術じゃなくて、力の強さが遺伝してんだけどぉ。さっき不思議に思ったでしょぉ? あたしのこの贅肉の無い綺麗な細い腕で、吹っ飛ばされるはずがないってさぁ?」
「じゃあその腕力で私の縛術から抜け出したの?」
「ちっがぁう。て言うか、まだ話終わってなぁい。重要なのはここからぁ。倭国人の血が混じってから私の家系は腕力や脚力とかのぉ膂力っていうのかなぁ、それが強くなったのぉ。でも、その代わりに魔術の力が弱くなっちゃったのぉ。だからさぁ、あたしの曾おじい様は膂力と魔力の2つを掛け合わせた新しい打術を作り出したのぉ。それがこれぇ」
イレーナは握り拳を前に差し出した。そして彼女の腕が薄く光り始める。それは紛れもなく魔力そのもの。本来目に見えるはずのない魔力。しかし、その濃度が高くなれば視認することも可能となる。レティの光の槍が正にそれを体現したもの。
「どんなに膂力を持ってても、どんなに打術に優れていてもぉ、普通に戦えば魔術には勝てないからねぇ。もちろん、接近戦に持ち込めたら勝てるかもしれないけどぉ、大体近づく前にさっきみたいに縛術で動き封じられたりぃ、破術の攻撃を受けたりでぇ、なかなか近づけないしねぇ。わかるぅ? あんたは魔力を放出して押し固めて武器としたのに対してぇ、あたしは魔力を放出して体に纏ったのぉ。それであんたの魔術を焼き尽くして抜け出したってわけぇ」
「一時的な部位魔装ってことね」
「そうねぇ。だけどぉ、あたしのは即効性があってぇ、もっと実戦的ぃ。でも、その考えは正しいわよぉ。だってぇ、この技術ぅ倭語だと纏外魔装って言うからさぁ。あたしはクロイツ語のエクストレミティって呼んでるけどぉ。あんたのそれにも同じ名称使っていいわよぉ」
「纏外魔装。かっこいい名前ね。でも、ごめんなさい。あたしのこれ、もう名前があるの」
「なんて言うのぉ?」
光の槍を前に差し出しそれの名前をイレーナに教える。
「顕現兵仗」
「ふぅん。その槍ってそんな名前なのぉ。悪くないんじゃなぁい?」
「槍の名前じゃないわ。あなた同様、技術の名前よ」
「そぉ、それはごめんなさぁい。じゃぁあ、あんたのえぐじすたんすぅ? と、あたしの纏外魔装、どっちが強いか勝負しましょぉよ。あたしが勝ったらぁ、素っ裸にしてあげるから」
「私が勝ったら?」
「揺れて大変そうだからぁ、あんたのでか乳に合うブラを買ってあげるわ」
「そう。なら負けられないわね」
事実、顕現兵仗で作った近接戦闘武器を扱う時、動くたびに揺れる胸は本人も気にしていた。それは恥ずかしいとかではなく、その重りに少なからず体が引っ張られ思うように動けずにいることに困っていたのだ。しかし、平民となった彼女には高価な下着を買うお金もなく、過去にブラの代わりとして、倭国のさらしを巻こうとしたことがあるが上手くいかず、結果として下着はキャミソールだけとなった。
「まだ……」
「ん?」
「まだ名乗ってなかったわね」
「いいわよぉ。名前知ってるからぁ」
それでも彼女の言葉を無視して、自らのフルネームを告げた。
「レティアル・クリューレス。これからはレティって呼んでね。イレーナ」
「やぁよ」
そして2人の攻撃が交錯する。
それは単純な魔力のぶつかり合いか。
はたまた、意地のぶつかり合いか。
傍目には、女同士の醜い喧嘩に見えたかもしれない。
それは彼女たち自身も思っていたことかもしれない。
ただ2人に共通して言えることが、1つだけあった。
――負けたくない!
そう思い至る過程は、それぞれ違うだろう。それでも結果として同じ気持ちを彼女たちは抱いていた。
彼女たちの攻防は一進一退を繰り返すほどに拮抗していた。
「あんた、その槍出してから一度も魔術使ってないわねぇ」
「それが?」
攻防を続けながら、問答も繰り広げる。
「使えないんでしょぉ? 魔力を固定させるって難しいことだもんねぇ」
「それはあなたも同じじゃないの? イレーナ」
「キャハハハハハ。そぉよ。あたしも纏外魔装を使ってる最中はぁ魔術使えないのぉ」
「なら公平な闘いね」
「何言ってるのぉ? 不公平よぉ」
「どういうこと?」
「だってぇ――」
その釣り合った攻防もすぐに終わりを告げた。
レティが光の槍でイレーナを薙ぎ払おうとした時、その槍は彼女の手に掴まれた。
「あんたってその武器しかないじゃなぁい。でもぉ、あたしはこの体全てが武器よぉ。素手で対応できる武器なんて使いづらい手足みたいなものよぉ。相性悪かったわねぇ」
「くっ……」
レティは槍を力強く引っ張り彼女の手から引き抜こうとするが、握力を腕力では天地の差があり、逆に体を引き寄せられる。
「無駄よぉ。絶対に離さなぁい。この槍諦めて、次のを出したらぁ? できるんならねぇ」
「……ッ!」
「2本以上出せないんでしょぉ? 気付いていないとでも思ったぁ? しかもぉ、1本出すのに数秒掛かるってのも知ってるんだからぁ。だからぁ、もう終わりぃ」
「……離してッ!」
「だから、やぁよ」
「そう。じゃあ、そのまましっかり掴んでて」
槍は強く光はじめ、次第に蒼から白へと徐々にその色を変化させていく。
「何……!?」
「白銀焔」
白く輝く槍は2人を巻き込む範囲の爆発を起こした。その瞬間、爆心地を中心に目を眩ますほどの閃光が広がる。実際、観客の中には何人も目を眩ました者がいた。
そして光が消え、その爆発が起こった地点から2人の女が姿を現す。1人は2足で地に足を着き、1人は手足4本を着き地に伏していた。
「……はっ…………はっ……っ……」
地に伏し、苦しげに息をしていたのはイレーナだった。
「あんたぁ……何をしたのぉ…………?」
「……はぁ……は…………言ったでしょう。瑠璃焔は大別すれば固有魔術。……はぁ……大別する理由は固有魔術を途中で止めたものだからよ…………」
「……途中で止めたものぉ……? じゃあ、今の爆発が本来の固有魔術ってことぉ…………?」
「……そうよ」
「じゃあ、なんでぇあんたまでダメージ受けてんのよぉ…………?」
「簡単なことよ……。まだ……扱い切れないから」
「そんなもの使うなんてぇ、馬ッ鹿じゃないのぉ? 自爆同然じゃなぁい」
「そうね。でも、膝を着いているのはあなたよ」
「……キャハハハハ。ちょっとびっくりして膝を着いただけよ。わからない? あんたの槍を纏外魔装で止めることができたのよ? なら、それで全身を覆えばぁ、今の爆発のダメージも軽減できるのぉ」
イレーナは手と膝を地からは離し、立ち上がる。
「そうみたいね」
「わかったぁ? あたしはまだ戦えるのぉ。そしてあんたの槍は無くなったぁ。次の槍は出させないわよぉ。つまり、あたしの勝ちってことぉ」
「……でも、体へのダメージは軽減できても、服へのダメージは軽減できてないみたいね。丸見えよ」
「え?」
イレーナは自分の体を見て驚愕した。衣服の半分以上が燃えてなくなり、残った部分も穴が開いており、下着と肌大きく露出していた。
「きゃぁ!」
彼女は咄嗟に体を手で覆い、その場にへたり込んだ。
「可愛い声ね。それに下着」
「…………」
顔を真っ赤に染めたイレーナが、ニッコリと笑うレティを黙って睨み付ける。
「あなた、ブラ着けてるのね」
「…………だから、何ぃ?」
「いえ、着ける必要がどこにあるのかと思って」
「な…………」
「ふふふ。じゃあ、これで最後よ」
そう言ってレティは、詠唱を始めた。
「果て見えぬ壁が別つ盤上 光射す最果ての地 駒立つ盤裏の柱 落ち行く駒は連なり始終を繋ぐ 縛術四十六番 黒白連鎖」
呪文を唱え終ると同時に、イレーナの体全体に白と黒が交互繋がれた大きな鎖が巻きつく。
「……クッ……こんなもの…………」
「さっきみたいにそれから逃れるのは勝手だけど、今のあなた裸同然よ?」
今、黒と白でできた鎖が巻きつくことによって、彼女の下着と肌を隠している。そのことに気付き、魔術を撃ち破ることをやめた。
「助けたつもりぃ?」
「いいえ。でも、あなたは助かったと思ったでしょう?」
「…………」
「この勝負、私の勝ちでいいわね?」
「…………ええ……降参よぉ」
負けを認めたイレーナに近づき、顔を寄せる。
「ふふふ。じゃあ、今度一緒にお買い物に行きましょ。あなたの奢りで私の下着を買いに」
「…………イヤな女ぁ」
レティは立ち上がり、ハイネとヒューゴの様子を見る。ハイネはすでに戦いを終えており、未だに戦っていたのはヒューゴだけだった。
「何故だッ! 何故当たらない!?」
声を荒げたのはルシオだった。そして続けざまに詠唱と魔術を唱え攻撃を行う。
「降り注ぐ大隊の矢 影落とす刃の群列 頂に至りて侵略の烽火を上げよ 破術四十六番 焦烈渦」
1週間前にヒューゴの背中に向けて放たれた中級破術。炎の渦が熱風をまき散らしながらヒューゴに向かって襲い掛かる。しかし、その渦が当たりそうになった瞬間、彼は数歩の距離を一瞬にして移動し、寸前で攻撃を躱してみせた。
「何故なんだ! どうしてそうも簡単に避けれるんだ!?」
この会話から彼らはすでにこれを幾度か繰り返しているのだろう。
「阿呆。今のお前の魔術じゃ、天地が引っ繰り返っても俺には当たらねぇよ」
「だから何故避けれるんだ!?」
「何故? さっきから何故、何故と面白いことを言うな。いい加減、気付かねぇのか?」
「何?」
「なら聞くが、お前はチェスで、どの駒をいつ、どこに、なんで動かすのか、戦略戦術を全て相手に教えて勝てんのか?」
「どういうことだ?」
「まだわかんねぇのか? お前は次の手を全て俺に教えてんだよ。詠唱が始まった時点で何の魔術かわかるし、例え無詠唱でも呪文を唱えた時点で何の魔術かわかる。更に、魔術は呪文を終えたら発動することがわかってれば、いつどのタイミングで攻撃が来るのかもわかる。加えて言えば、手を構えた時点でどこに向けて攻撃するのかもわかる。それだけの情報を相手に教えといて、躱せねぇはずがねぇだろ?」
「ぐ…………」
「しかもだ、俺は加速移動魔術の韋駄天が使える。目に見えて飛んでくる攻撃を避けるのなんて、訳ない」
「でも、お前は一度も詠唱も呪文も唱えてないじゃないか!」
「別に唱えなくても魔術は使えんだろ」
「……無詠唱……思考呪文…………」
「そうだ。詠唱なしで、頭ン中で呪文唱えれば、それで魔術は使える。俺の持論だが、術名乃至技名を口にしていい場合は3つある。1つは口にしなければ、発動できねぇ場合。思考呪文が使えねぇなら、これに当てはまる。2つ目は口にすれば、威力が増す場合。詠唱がこれに当たるな。3つ目は、漫画や小説などの演出のために口にする場合。これはまず現実的じゃねぇ。3つ目は、まぁいいとして、1つ目と2つ目に関して言えば無詠唱、思考呪文ができるようになって、尚且つ実用レベルの威力が出せるようになるまで鍛錬しなければ、実戦ではあまり役に立たねぇ。魔術の多くは遠距離で放つことができる。それすなわち後方支援を前提としたものだってことだ。今のお前の魔術は理に適ってない」
「クソがァァァァ! だったら次も避けてみろよォ!!」
ルシオの叫びと共に、彼の周りやヒューゴの周りにいくつもの光が集まり始める。
「何だ……?」
「破術二十八番 天雷」
ルシオが呪文を唱えた瞬間、周囲に集まったいくつもの光から同時に雷が迸る。そしてそれは全てヒューゴに向かって落ちた。しかし、1つ1つが正確にヒューゴに向かったわけではなく、いくつかの雷は対象の周りに落ち、地面を破壊した。
「フハハハハハハハハ! 僕の血統は、周囲の魔力痕を使ってあらゆる場所から同時に魔術を撃てるんだ。今まで無駄に魔術を撃ってたわけじゃないんだよ」
地面が割れ、砂煙を撒き散らし、焦げ臭い臭いが漂う、ヒューゴの立っていた場所に向かって意気揚々と舌を回す。
「お前が避けるんだったら、それができないような攻撃をすればいいだけだろ。ハハハハハハ」
「……なるほど」
「ッ!?」
まだ土煙が晴れぬ中から、ヒューゴの声が静かに響く。
「阿呆にしては、狙いは良い。だが、思慮が足りねぇな」
風が吹かずなかなか土煙が晴れない為、ルシオは簡単な魔術で風を起し、ヒューゴの周囲を取り囲む土煙を吹き飛ばした。それによって中から彼が姿を現す。先ほどと一歩も動いていない位置に彼は未だに立っていた。そして彼の前には、6枚の花弁を持った花のような形をした魔術障壁があり、2人の間を隔てていた。
「………………嘘……だろ…………。なんでそれで防げるんだよ……!?」
ルシオが放った天雷の術号は二十八番。対してヒューゴの放った六障華は十二番。破術は百番まであり、護術も同様である。そして護術は基本的に同じ術号の破術以下――六障華で防げるのは本来、同じ十二番以下の破術――しか防ぐことができない。
そうと知っているルシオは、防げるはずのない攻撃をそれで防いだことに驚いていた。
「言っただろ。思慮が足りねぇってな。俺が韋駄天と六障華しか使えねぇから、二十八番の天雷を撃ったんだろ? だが、お前は気付くべきだった。俺が無詠唱と思考呪文を使えると知った時点で、その可能性に」
そう言われてルシオは初めて気づいた。
――共有魔術には、全て最低限必要な魔力量が設定されている。これは誰も変えることができない。そしてこの必要な魔力量は、最も簡単に共有魔術を使用するのに適した量。それは術号が大きくなるほど、強力な魔術になるほど量は多くなる。しかし、それは飽く迄最低限必要なもの。それをその量を超えて、共有魔術を強化する方法…………。
「…………必量超過か……」
「わかってんじゃねぇか」
「しかし、何故だ。無詠唱も思考呪文も必量超過も簡単にできるもんじゃない。なのに、何故下民のお前にそんなことができる!?」
目の前にある6枚の花弁を持つ花を消しながら、答えた。
「確かに俺は下民で、たった2つの魔術しか使えねぇ。対してお前は大魔導師ローゼンクロイツの血を引く貴族で、俺と違いありとあらゆる魔術を習得してる。魔術に対する才能の差は天と地ほども隔たってる。田舎で実戦経験があるからつっても、その才能の差は埋まらねぇ。ただそれでも、その天地の差を埋める方法はある」
「……なんだ、それは?」
「お前より鍛錬すること」
「鍛錬だと……? 馬鹿な! ありえない。そんなもので才能の差が埋まるはずがない。僕も鍛錬は怠らなかった。そして現に、僕はお前より多くの魔術が使える。それなのに――」
「それだよ」
「何?」
「お前は俺より多くの魔術が使える。対して俺は2つしか使えねぇ。例え話だ。お前が10個の魔術を10年間、鍛錬したとしよう。単純計算で魔術1つに付き、1年だ。その間、俺は2つの魔術を10年間、鍛錬した。単純計算で魔術1つに付き、5年だ。この差は才能の差を遥かに上回る。わかるか? お前が色んな魔術を習得し鍛錬してる間に、俺は唯2つの魔術をひたすら鍛錬してきた。大きな差だ。さっきお前は鍛錬を怠らなかったと言ったが、俺の使える2つの魔術に関しては実用性皆無と吐き捨て、鍛錬を怠ったんだよ」
「なっ……」
「1つ良いことを教えようか。努力しない才能は、才能のない努力に劣る。それはお前も同じだ、レティアル」
すでにイレーナとの戦いを終え、傷付いた体を休めながら横でヒューゴとルシオの戦いを観戦していたレティに言葉を投げかける。
「お前も少なからず、貴族の持ちえる才能に胡坐を掻いてる。努力を怠ってなければ、先週の魔術訓練で的を外すことはなかったはずだ」
「それは…………」
「対して才能を持ち、努力を積み重ねてきたハイネは見事、的を撃ち抜いた」
自分の名前を出されたハイネは、少し照れくさそうに頭を掻く。
「理解したか? ルシオ。だからアーレス教官は、今のお前では俺達に勝てねぇと言ったんだ」
「だが、僕の方が魔術も斬術も打術も全てお前より上。それなのに――」
「確かに個々の技術はお前の方が上だろう。だが、三戦術の個々の技術が低くても、使い方次第で総合的な戦闘力はその上を行く。個々の技術が上だからって、お前が俺より強ぇ理由にはならねぇんだよ。阿呆」
「……ただ速く動けるだけのお前に、僕が劣っているというのか……」
「確かに、俺はただ速く動けるだけだ。それ以外は全てお前に劣るだろう。だが俺は戦闘に於いて速力は、最も重要な要素だと思ってる。相手より速く動ければ、どんな攻撃も躱せる。相手より速く動ければ、どんな攻撃も当てられる。教官も言ったことだ。どんな攻撃も当たらなければ意味はねぇ。逆に言えば、どんな攻撃も当てることができれば意味はある」
「だが、決定打にならなければ、どんな攻撃も意味はないだろう!?」
「本当にそうか?」
次の瞬間、ルシオの視界からヒューゴが姿を消し、背中に何かが当たる感触があった。恐らくはヒューゴだろうと疑い、振り向き様に拳を振り抜いた。しかし、その拳は当たることなく虚空を通過した。
振り向いた先にヒューゴは立っており、彼に問い掛けた。
「何のつもりだ?」
ヒューゴは一瞬、ルシオの背後をとった。それなのに攻撃を加えずに後退した。
「今、お前は俺を殴ろうとしたな?」
「それがなんだ? 当然だろう」
「いや、殴ろうとしたことに疑問を感じてんじゃねぇ。何故、素早く振り抜いた?」
「お前が言ったんだろう? 当たらなければ意味はない、と」
「それだけじゃないだろう?」
「何が言いた――ごはっ…………」
再びルシオの視界から消えたと思ったヒューゴは、その次の瞬間にはルシオの腹に打撃を加えていた。
腹を押え倒れ込むルシオ。咳き込み、苦しそうに呼吸をする。その横でヒューゴは、彼を見下し言い放った。
「さっき俺はお前の背中を殴った。ゆっくりとな。そして今度は勢いよく殴った。どっちが苦しい? ……聞くまでもないな。わかるか? ただのパンチですら、スピードが乗るのとそうでないのでは雲泥の差がある。斬撃もただ当てるだけでは薄皮1枚も斬れないが、素早く振り抜けば骨をも断ち切る。これだけで十分な決定打になりうる。だから速力は最も重要な要素だ」
地に伏し苦しむルシオは手を伸ばし、ヒューゴの足を掴もうとする。それに気付き、すぐさま後方へと下がり距離をとった。
「何をしようと避けてしまえば意味をなさねぇ。防御は回避できない場合のみに、することだ」
「…………そうか……そういうことか…………。わかったよ、ヒューゴ。色々とヒントをくれてありがとう…………」
下を俯き、呟くルシオ。
誰しもがこの瞬間、決着が着いたと思ったが、ルシオだけはまだ終わっていなかった。
「縛術二十二番 絶尖」
ルシオが呪文を唱えた瞬間、杭のようなものがヒューゴの両足と地面と固定する。
「ッ!?」
「まだだ。縛術十番 裂転」
続けて放った魔術で、両腕は背後に回り、赤い包帯のようなものが巻き付き固定された。
「……ぐ…………」
「躱されるなら、避けれないようにすればいい。防がれるなら、護れないようにすればいい」
「……クソッ…………」
「お前みたいな下民に僕が負けるはずがないんだよッ!!」
ルシオは両手を動けないヒューゴに向け、詠唱を始めた。
「降り注ぐ大隊の矢 影落とす刃の群列 頂に至りて侵略の烽火を上げよ 破術四十六番 焦烈渦」
彼の手から放たれた炎の渦は、容赦なくヒューゴの体を呑み込んだ。その後もその場所に向けて無詠唱、思考呪文で魔術を色んな撃ち続けた。彼も下級魔術程度であれば、思考呪文を使うことができる。
「ハハハハハハ。僕に説教して油断したな!」
ヒューゴがいるであろう場所の地面が砕かれ、土や砂、魔術痕の粉塵が巻き上がる。それでもなお、ルシオは攻撃を止めなかった。
「どうしたァ? 降参か? 聞こえねぇと降参と認めてもらえねぇ――」
「どうした? 当たってねぇぞ? いつまでそっちを狙ってる? 阿呆」
声を荒げるルシオに対し、静かに響く声が背後から聞こえた。咄嗟に振り向き、魔術の攻撃を後方へと放った。
しかし、その攻撃魔術は6枚の光の花弁に阻まれた。
「どうした? 届いてすらねぇぞ?」
ルシオは目の前の光景を理解しながらも、そこに至った過程を理解できずにいた。
「何故だ! 何故そこにいる! ヒューゴォ!」
叫び声が闘技場全体に響き渡る。その先には若干のダメージを受けたヒューゴが立っていた。彼はルシオの叫び声に反比例するかのように、静かに答えた。
「言ったろ? 韋駄天があれば避けれるし、六障華があれば防げる」
「違う! お前はさっき俺の縛術で足を封じた。動けなかったはずだ。そして腕も封じた。六障華で防げるはずがない!」
「それは偏見だ。知ってるか? 六障華には発動から展開し終るまでの短い間、ちょっとした切断能力があんだよ。更に鍛錬を重ねれば六障華を足から放つこともできる」
「それで縛術を切って抜け出したっていうのか?」
「そうだ。広く浅く魔術を学び鍛錬してきたお前じゃ、知る由もねぇことだ」
「ふざけるなァ! 破術五十三番――」
両手を構え、術号を口にした瞬間、息を止めしまった。
「どうした? 撃たないのか?」
間に十数歩の距離があったはずのヒューゴが、刹那の速さで距離を詰め、ルシオの前に立ちはだかったからだ。
目の前に現れたヒューゴに対して、反射的に腕を振り抜いた。だが、今度は一瞬にして十数歩の距離を開けられ、いとも容易く避けられた。
――勝てない……。
ルシオは膝を着く。
全ての手を打ち砕かれたことに絶望した。
しかし、それでも負けを認めたくなかった。ここで負けを認めてしまえば、貴族である自分が平民に劣ることを認めてしまうことも同然だからだ。彼は貴族であることに誇りを持っていた。その誇りを自らの手で捨てることは、今の彼にはできなかった。
膝を持ち上げ、再び2本の足で立ち上がる。
「突き砕く罪過の咆哮 虚空に咲きし贖罪の謳」
ルシオは小さく呟いた。周りには何を言っているのか聞こえない程、小さな声。
「切り裂かれるは懺悔の悲鳴 断頭台より黒き獣が世界を見下す」
闘技場の上空に黒い雷のようなものが迸り始める。
「ヒューゴ! 上だ!」
その場にいる全員の中で、それに真っ先に気付いたのは、ハイネだった。彼の言葉に反応し、ヒューゴは空を見上げた。
「何だ、あれは……」
すぐにそれがルシオの魔術だと気付いたが、彼は心の中で――遅かった――と思った。彼やハイネなど魔術を使う者、少なくとも魔術師や団院生は全ての共有魔術の詠唱と呪文を暗記している。下級魔術や中級魔術なら実際に目にしたこともある。しかし、その目で見た事ある上級魔術は少ない。精々魔術書の絵で見たことがあるくらいだ。
そしてルシオが今まさに放とうとしている魔術は、見たことのない物だった。
だから、それが何なのかを把握するのに少しばかりの時間を要した。
だから、反応が遅れ、間に合わなかった。
「破術八十七番 遠来黒雷墜」
呪文を放つと同時にルシオは倒れ込んだ。
八十番台、上級魔術。例え才能に恵まれていようとも、例え完全詠唱で放とうとも、今の彼に扱えるものではない。 上級魔術はただでさえ多量の魔力を消費する。ましてや、すでに幾多の魔術を放ち、魔力を相当に消耗している彼が放てば、足りない魔力の分、体力が使われるため気を失うのは当然であった。
しかし、例え術者が気を失おうが、命を無くそうが、一度放たれた魔術が止まる事はない。
上空に現れた黒い雷は次第に量を増し、大きく膨れ上がる。
闘技場全てを呑み込む規模の魔術であることは、闘技場にいる全ての者が理解した。
そしてそれに真っ先に気付いた観客の1人が、叫びながら逃げようとした。それを皮切りに他の観客も悲鳴を上げながら、慌ててその場を離れようとし、パニックがその場を包む。
絶望していたのは、何も観客だけではない。
未だ体を白と黒の鎖に巻かれたイレーナは、空を見上げながら今から逃げても無駄だと理解していた。
意識を失っていたラスペルは、意識を取り戻したが状況が理解できずにいた。
衣服の胸部の布を失い、下着であるキャミソールが見えているレティは、それを隠そうとすることも忘れるほどに、どう行動すべきか考えがまとまらずにいた。
監督を務めていたアーレスは、周囲の魔術師に強力な魔術障壁を張るように指示していた。
指示を受けた魔術師たちは、指示通り魔術障壁を張るが、無詠唱の魔術障壁で完全詠唱のそれが防げないことを知っていた。
ルシオが最後に放った魔術は、術者が意識を失った為、発動するまでに時間が掛かっていた。
――発動が遅い……。
ヒューゴは考えた。次とるべき行動を。
――これなら……。
ハイネは考えた。自分がすべき行動を。
2人は、それを防ぐための方法を考え、同時に思い至った。
「ハイネッ」
「わかってる」
ヒューゴは加速移動魔術である韋駄天を使い、ハイネの下まで駆け寄った。ハイネは天に向け両腕を掲げ、その背中をヒューゴが片腕で支える。
「ちょっと、何する気よ!?」
それを見たレティが声を上げた。それにハイネが答える。
「護術で防ぐ」
「無茶よ! あんなの防げるはずがない。私たちも逃げましょ」
しかし、2人は逃げる素振りどころか、その場から動こうとしない。
「本気なの……?」
レティが期待と諦めを込めて呟いた。
「ヒューゴ、七十二番だ。無詠唱で放つ」
「わかった」
そしてハイネはその呪文を口にした。
「護術七十二番 守天千刃」
刹那、闘技場の空を覆い隠すように、無数の白い刃が円を成すように現れる。
次の瞬間、轟音が鳴り響いた。
空に出来上がった黒い雷の魔術が遂に完成し、落ちてきたのだと誰もが理解できた。
しかし、その黒い雷は空に浮かぶ千の白い刃によって、その大半が防がれた。それでも刃と刃の隙間から黒い雷が無数に落ちてくる。
「阿呆! 何してる! 防げ!」
ヒューゴがレティに対して言い放った。自分の頭の上で起こっていることに、呆気にとられていたレティはその言葉で我に返り、すぐさま護術を放って、隙間から降ってくる雷を防いだ。
他の魔術師たちもレティと同じように無数に落ちてくる黒い雷に対処した。
数秒それが続き、ようやく雷が止んだ。
黒く覆われていた空に浮かぶ白い刃の隙間から、日の光が差し込む。そして白い刃も空から消え、天の青が目に入った。
惨事を免れたことを悟り、目線をハイネに向けたレティは言葉に詰まった。
「……え」
観客を含めた多くの者も安堵し、目線を下げてそれに気付いた1人が大きくこう言い放った。
「鬼だ!」
その言葉に反応して、一気にその場がざわめきに包まれた。再び別の恐怖が場を覆い尽くす。
レティも同じ感情に駆られる。
「……ハイネ…………あなた、角があるわ…………」
ハイネの頭から4本、半透明の赤い角が生えていた。しかし、その角はすぐに姿を消した。
「あなた……鬼……なの?」
「……父親がね」
鬼。倭国に伝わる、最強の魔族と言われる存在。それは同胞である他の魔族ですら畏怖の対象であり、過去に鬼に対して恐怖を拭う為、多くの魔族が集団で鬼を殺したという。
「じゃあ……鬼人なの?」
「……そうだね。どころで、レティ。怪我はない?」
ハイネが手を伸ばし、一歩踏み出したと同時にレティは一歩引いた。
それを見て手を下ろし、踏み出した足を戻した。レティも、自分が何をしたのか気付く。
「何を恐れる? レティアルもハイネも」
2人の間に口を挟み、割って入ったのはヒューゴだった。
「確かにこいつは半分鬼だ。こいつの父親である鬼は、村が帝国領に入ると知って村を出て行った。何故だか、わかるか? お前たちがそう反応したように、帝国は魔族を受け入れない。村が鬼を匿っているとなれば、村人全員殺されていたかもしれねぇ。だから、村のことを想ってこいつの父親は村を出た。そしてこいつは、鬼であろうと共に人間と暮らせるよう、国を変える為に騎士を目指してる。村を想い村を出た父親を持ち、その父の為に帝国を変えようとするハイネが、それほどまでに恐ろしいか?」
「……それは…………」
「ハイネ、お前もそうだ。自分が鬼の血を引いてるからと言って、それで他人との接触を恐れるな。理解し合えることが、国を変えるというのなら、それを証明してみせろ」
「……そうだね」
ハイネの言葉を聞き、ヒューゴは大声、闘技場にいる者全員に聞こえるように叫んだ。
「問おう! 何故、君達は今生きている? 何故、君達は傷を負ってない? 何故、君達は助かった? 誰が助けた? ここにいるハイネだ! 彼がいなければ今頃、あの落雷に焼かれ死んでいたことだろう。彼は君達を守ったのだ! それでも彼が怖いか? それでも彼が恐ろしいか? どうだ!?」
闘技場内に響き渡る残響も消え、静寂が訪れた頃、観客の一人が静かに拍手を始めた。
その後彼に続き、観客の殆どが拍手を始め、地面が揺れていると錯覚するほどの大きな音へと変わった。
決闘の決着は、ヒューゴ達の勝利で幕を閉じた。
「すごいわ、ハイネ。あれを止めるなんて」
控室へと再び戻ってきた3人は体を休めていた。先程まで抱いていた恐怖は、もはやレティの中にはなく、今まで通りに話し掛けていた。
「僕だけじゃないよ。ヒューゴがいたからさ」
「え?」
「確かに鬼の力を使ったけど、それでも無詠唱の魔術で防げる程、あれは弱いものじゃない」
「じゃあ、どうやったの?」
「響連だよ」
「もしかして、ヒューゴが?」
「そう」
「でも、あれって――」
「うん。相手の魔術に合わせて、相手に魔力を供給する技術。魔術を使う側は特に何もしなくていいけど、響連を使う側は全て相手に合わせないといけないから、かなり技術が必要になる」
「それをヒューゴがやったの?」
「そう」
「あいつってそんな才能があったんだ」
床で寝ているヒューゴを横目に少し感心する。
「確かに才能かもしれない。でも、ヒューゴが言ったように、どんな才能も努力しないと意味はない。だから、才能という言葉だけで終わらせていいものじゃない」
「…………そうかもね」
嫌いな相手を認めたくないが故の少しの沈黙。
「クソッ!!」
控室に戻り意識を取り戻したルシオの第一声が部屋に響き渡る。
「僕が……あんな下民如きに…………」
「ルシオ…………」
心配するイレーナが声を掛けようとするが、ラスペルに止められた。
「1人にしてあげよう」
2人は静かに控室を後にした。
「許さない……絶対に許さない…………」
1人部屋に残されたルシオは、やり場の憎悪の矛先を壁に叩きつける。
「強くなりたいか?」
突然の声に顔を上げる。先ほどイレーナとラスペルが部屋から出て行ったことには気づいている。その後、扉が空いた音はしていない。
部屋全体を見渡しても、人の姿はない。
「誰だ!?」
「こっちだ」
声がした方向に目を向けた。そこには1人の男が佇んでいた。
「あ……あなたは…………」
「もう1度訊こう。強くなりたいか?」
男の再びの質問。
「…………はい」
ルシオは肯定を答えた。
「貴族の座を棄ててでもか?」
「ッ!? ……僕は下民であるヒューゴに敗北しました。もはや貴族の誇りなど持っていません」
「それでも君は貴族だ」
「……はい。でも僕はあいつに勝ちたい。勝てるほど強くなりたい。そのためなら貴族などと言った着飾りは棄てる覚悟はあります」
「そこまでする理由はなんだね?」
「単純な事です。ただ……屈辱だからです」
強く鋭い眼光が男の顔を見上げる。
「ならば、私と共に来なさい。更なる高みを与えよう。世界を変えるほどの高みを…………」
決闘の結果、ヒューゴはルシオに何かを要求する権利を得た。
その権利を使って、今後一切自分にちょっかいを出さないことを誓わせた。