影武者
「ただいま、帰りました」
私は、玄関の引き戸をガラッと音をさせながら、中に入る。学校と寮長には事情を話して、出てきている。
昔ながらの家屋で、あっちこっち至るところにがたついている。
道場も母屋の隣に有り、板張りの廊下で繋がっている。
日本庭園を思わせる庭は、お爺様が業者を呼んでまで、手入れしているのだ。極たまに、入ってはいけないところまであったりする。
お弟子さんが、床を鳴らしながら早足で迎えてくれた。
「幸矢さん。急にどうかされたのですか?」
驚いた声でそう訪ねられた。
そりゃあ、そうだろうな。
本来なら、学校に居る筈の私が、目の前に居るのだから…。
「父さんとお爺様にお話がありまして」
私は、真顔でそう返したのだが、そのお弟子さんは挙動不審になっていて。
「そうですか…。今、お二人共お出掛けになられていますが…」
そう答えられた。
そっか、居ないのか…。
タイミングが悪かったみたいだ。
まぁ、仕方がないか。勢いで来ちゃったんだからな。
肩を落としてる私に。
「幸矢。どうしたの急に…」
母さんが、玄関まで出てきた。
「ただいま、母さん。体調はどう?」
そんな母さんに声をかけた。
顔色が、少し悪いみたいだけど、起きてはいられるって事は、それ程でもないってことかな。
母さんの顔に焦りの色が滲む。
何か、いけないことでも起きた?
私が首を傾げてると。
「おっ、幸矢。ちょうどいいところに帰ってきた」
父さんが、奥の部屋から出てきた。
あれ、さっき出かけてるってお弟子さん言ってたよね。何で居るのに居留守?
「今、ちょうど幸矢に連絡しようと思ってたんだよ」
父さんが、ニコニコしてる。
へ?
何で?
「いいから、早く上がってこい」
父さんの言葉に靴を脱ぎ、家に上がる。
父さんが、私の前を歩き出す。
私は、その後ろを黙って付いていく。
そして、一番奥の部屋に辿り着いた。
「父さん。幸矢が却って参りました」
父さんが、お爺様に声をかける。
「入れ」
七十を過ぎてるのに威厳があって、張りのある声。
どうやったら、そんな声が出せるのか?
いまだに不思議だ。
許可がおりたので、襖を開けて。
「失礼します」
父さんが、先に入っていく。
「失礼します。お爺様、ただいま帰りました」
私は、部屋に入る前にお爺様に挨拶する。
「あぁ、幸矢。お前も入って、そこに座りなさい」
お爺様に言われて、部屋に入って襖を閉めると、お爺様の前に正座して座る。
私の横には、見知らぬ男が座っていた。
良くみてみれば、何処と成しに私に似ていた。
「幸矢。明日から、学校に行かなくてもよい」
突然のお爺様の言葉に。
「どういう事です。お爺様?」
そう聞き返していた。
「言ったままだが…。お前の代わりにそこに居る幸矢が行くことになったからな」
なったからって、ハイそうですかとは、言えない。
「幸矢はお前であってお前ではないのだ」
それって…。
「お前は、賢い奴だから、全部話さなくてもわかるだろ」
お爺様は、それだけ言って部屋を出ていく。
「あぁ、これで俺も金持ちの息子ってことだ」
さっきまで黙っていた男が喋りだした。
「幸矢。今から学校に戻れ」
父さんの言葉に。
「はい」
と返事をすれば。
「お前じゃない、そっちだ」
父さんが指したのは、私ではなくて隣に座る、男の方だった。
なっ…。
「おまえは今から"綾小路幸矢"として学校に行くんだ」
父さんが、それだけ言って部屋を出ていった。
「初めまして。綾小路幸矢ちゃん。俺も綾小路幸矢って言うんだ。宜しくな」
からかうように言う。
そいつは、口許は緩ませているだけで、目は笑っていなかった。
「そんじゃあ、俺は、お前の代わりに学校にいかないといけないで。準備するか」
嫌な笑みを浮かべて、部屋を出ていった。
一人の残された私。
えっ…。
私は、綾小路幸矢じゃなくなるの?
じゃあ、私は誰なの?
暫くの間、そこから動けなかった。




