第6話 蛇と刃
爽やかな朝陽を浴びながら、御津池 マリーは美しい顔をどんよりとした色にしていた。
「うう、グロはもういやあ」
昨日、朗々と皆の前で宣言したマリーmk.2への大進化は、あえなく頓挫したのだ。
「しかも、寝坊したし。ああん、もう。集合に遅れちゃうぅう」
寝坊のうえに、いろいろと準備をしていたから、既に集合時間の9時になろうとしている。このまま歩いていれば到着は30分後、大遅刻だ。かといって、空を飛ぶのも乙女であるマリーにはきつい。覗かれた時には恥のあまり、悪くも無い相手を呪い殺してしまいそうだ。
しかたなく連絡を入れようと、蛇の人形をつけた携帯を取り出す。そして、その異様な気配に感づいた。
「これって、あれかしら。昨日の私が戦闘でダメダメだったから舐められてるのかしら?」
目の前に出て来たのは、真昼間から日本刀を2本担いだバカである。さらには時代劇に出てくるような編笠と和服を纏っていた。和服姿の自分に合わせたのだろうか?
「一応聞くけど……。貴方も人工魔術師?」
「切る」
ただそれのみを告げて喜色を浮かべた男が切りかかって来た。2本の刀を手足のように操って、責め立てる。
たいして動揺もせずに、 マリーは潜りこむようにしてして避けながら対策を考える。二刀は全く当たる様子も無い。
「切る」
「ほいほいっと。かるい、かるい。なーに? 刀を振るうだけ? 魔術はどうしたのかしらん」
ひょいひょい避けながら、嗜虐的な笑みを浮かべる。御津池家の鍛錬に比べれば、ぬるいぬるい。静の魔刃はもっと鋭かったし、重吾の鉄拳は並みの凶器以上に厄介だった。
余裕綽々である。
その瞬間男の体から新しい腕が生えた。しかも4本。なにゆえか日本刀も握られている。
「ごめん、さっきの言葉無し!」
6本腕を自在に操り突進する男。危険とみて、大きく後ろへ飛んだ。緊急事態、先ほどは否定した飛行術を使うことも視野に入れる。近接しかできない敵だ。被害は出るだろうが、一度逃げてから昨日のように複数囲んでしまえばいい。
多分その甘い考えがいけなかった。男が間合いでもないのに刀を振る。その軌跡に沿って青い衝撃波がとんできた。
驚愕しながらも体をそらし、間一髪で避ける。いや、避けたと思っていた。
「あ、あ、あああー!?」
和服の一部が切れている。袖にスパッと切れ目が入っていた。彩音ちゃんに目を奪われていた静の目を引こうと、時間をかけて選んだ一番のお気に入りだったのに!
黒い殺意が脳髄を支配した。視界が怒りで紅く染まる。逃げるという選択肢は消えた。こいつには自分が何をしたのか、絶対に思い知らせてやる。
袖口から鈍く光る鈴を取り出す。持ち手に三匹の蛇があしらわれた【金銅蛇身鈴】は、かつて、この地を恐怖の下に支配した呪われし魔術の名家、御津池家の家宝の数々の一つであり一級の魔術具だ。後継者でないマリーに渡された、唯一無二の術具である。
「もう謝っても、絶対ぜったい、ゼータッイ許さないんだから」
鈴を振る。あたりに清廉な音が鳴り響いた。とはいえそれだけで何も起こらない。
「切る」
何も気にすることも無く、ヨダレを垂れながら男はただそれのみを口に出し、その異形の肉体を動かす。
「うう、静とか鬼道とか見た感じ普通なのに、なんで昨日のも今日のも人工魔術師は肉体系なのよ。グロすぎよん」
愚痴を叩きながらも一定のリズムに乗せて、鈴を鳴らし術式を続ける。
距離を保ち、六本ある刀の軌跡を観察する。実のところマリーの体術は、体格差を無視すれば重吾の少し下といったところ、静とは勝ったり負けたりで、けして苦手と言う訳ではないのだ。見習いとはいえ、御津池家の娘。かつては呪殺を生業にして、数々の魔術師と渡り合い、この地に絶望の圧政を強いた歴史ある魔術師の血筋、その末である。冷静になれば成り立ての人工魔術師一人、捌くのはたやすい。
舞うように剣風を避ける。あの一撃以降は全ての攻撃を見切っていた。胸中の怒りが、自分の集中力を増している。この程度の敵に負ける道理はない。
そうしている間に衝撃波があらぬ方向に向かい始めた。こうなれば、もはや避ける必要すらない。
家伝汎用式"鈴虫"。その効果である。初期の段階では、あらゆる感覚をずらすのがこの術だ。本来は前衛の後ろで使う術である。時間はかかるが、効いてしまえば勝利は約束されたも同然。が、しかし。
「切る、きる、Kill、切る切る切る切る!!」
「て、うわあー!? また増えたぁー! ぐ、グロイよう」
今までは、まだ体の横、腕の付け根あたりから生えていたのが、もはや構わぬといってるように、各部位からウジャウジャと生えている。身体に腕がついているというよりも、腕に身体がくっついていると言った方がよい状態だ。しかもそれぞれ刀を持っているため、一見醜く歪んだハリネズミのように見える。
「な、なんでこんがらないの」
何本あるかもわからない腕は、さして難しさを感じさせぬ動きで、当たれば良しと言った具合に刀を振るい続けている。最早、攻撃は全方位に向けられていた。これでは感覚をずらす"鈴虫"の効果も半減だ。
「彩音ちゃんバリアー!!も、貰っててよかった。ありがとー、彩音ちゃん。嫉妬してごめーん!?」
昨日彩音ちゃんから貰っていた護符に頼って切り抜ける。護符が発生させた障壁は、衝撃波を受け止め続けている。しかしそれも限界だ。鈴を鳴らしつづけながら、民家の影に隠れこんだ。
「もう少し、もう少し」
これが効かなければ独自式の封印を解かなければならない。使い勝手の良い重吾と違って、マリーや静の独自式は、街中で使って良いものではないので、できれば避けたい。
かつて男であったハリネズミの射線から隠れるように、家々の影を渡り歩く。その度に瓦礫が巻き上がるのを申し訳ない感じで見ていた。
ハリネズミの瞳に光が、灯る。
その時凄まじい魔力が吹き上がるのをマリーは感じた。
「ちょ、ちょっと。今でもヤバイのに、これの先があるの?」
男が刀を捨てて行く。濁流のように手からも手が生え、それらは捻れながらも合わさり、一つの形をかたどろうとしていた。
……巨大な腕だ。地面から腕が生えているように見える。さらには、刀は刀で融合を繰り返し、巨腕にふさわしいサイズになっていた。そして、ズイッと巨腕が刀を手に取る。
「ま、まさか街ごと薙ぎ払うつもり!?」
巨腕は力を溜めている。地脈から魔力を吸っているのだ。マリーの目には、周辺一帯を破壊する程の力が映っていた。
「これ、ま、まず」
そして巨腕は、……巨腕は崩れ落ちた。その全身からおびただしい血が吹き出している。腕は徐々に消滅し、後には全身の穴という穴から血を吹き出した、痩せた全裸のおっさんが横たわっていた。死んではいないが、生きているだけといった様子である。
家伝汎用式 "鈴虫"の面目躍如であった。
「き、きいた。効いたよー。よかったよう」
グスングスンと、涙を浮かべて勝利を確認する。緊張は安堵に変わり、思わずしゃがみそうになった。
「と、いけない」
まだ敵が潜んでいないとも限らない。周囲の魔力を丹念にさぐり、目視でも確認する。敵はいない。いないようだが……。
「ひどい、家がめちゃくちゃ」
衝撃波を受けた幾つもの民家はズタズタになっていた。昨日の比ではない被害だ。その割には怪我人がいない。どうやら今回も人払いの結界が貼られていたようだ。それだけは、犯人に感謝してもいいかもしれない。
「て、そうだ電話、電話」
流石に周りから野次馬が湧き出そうとしている。
朝の珍事はこうして終わりを告げたのだった。