第5話 共鳴と融合
第5話 融合と共鳴
支部のロビー。窓から見える景色はオレンジ色に染まっている。もうすぐ、深い紺に色が変わるだろう。
「どうします、獅童さん」
「報告も終了しましたし、あの女性は治療班にまかせました。今日はここまでにしましょう。明日は朝の9時にロビーに集合で」
「あ、それじゃ私、先に帰らせてもらうわ」
「気をつけろよ?」
「平気。重吾、送ってくれる?」
「バイトも無いから大丈夫だ。まかせとけ」
マリーと重吾は実家住まい。自分は支部長の家をでて、寮で生活している。
「できればお二人とも支部に泊まって欲しいんですが……」
心配気に二人を見上げる彼女。
「あー。獅童さん。多分大丈夫だと思いますよ。この二人の家代々魔術師の家系ですから。実家は要塞化されてます。」
遊びに行くたびに思うのだが、古い魔術師の家は凄まじい。
とくにマリーの御津池家は別格だ。代々の当主が術をかけまくっていて、家そのものが超一級の魔術具といってもいい。下手をしなくとも防御は支部と同等以上だ。下手な要塞よりも堅固な作りである。
「それでしたらこれだけでも」
そう言って彼女が取り出したのは三枚の護符だ。うわ、かなり強力な防御結界だこれ。
「おう、もらっとく」
「重吾、礼くらい言いなさいよ。彩音ちゃん、ありがとー」
「ありがとさん」
「いただきます」
「いえ、そこまで強力なものではないのが、申し訳ないのですけど」
……これで強力じゃないのか。格の違いにちょっと落ち込む。
「あはは、それじゃあそろそろ。今日は情けない所見せたからねん。恐怖を克服したマリーちゃんmk.2。乞うご期待」
何か考えついたのか、大海の色をした眼をキラキラと輝かせて、大きな胸を張っている。絶対アホなことだな。
震えてた時は女の子らしくて可愛かったんだがなあ。
「なにするつもりだ」
「モチ、ホラー映画一気見による超鍛錬よん」
「……失敗に一票」
「二票」
「えっと、三票?」
「彩音ちゃんまで!? 酷いぃ。絶対、mk.2になってやるんだからね」
それじゃあねー、とマリーと重吾は帰って行った。
「静君はどうします?」
「うん、多分この時間だったらいると思うんで、ちょっと正魔術師の先輩の所へ行って来ます」
「私もついていっていいですか」
小首をかしげて尋ねる仕草が愛らしい。
「もちろん、いいですよ」
役得と思っておこう。
ドンドンと扉を叩く。
「典膳せんぱーい! 起きてくださーい!」
「あ、あの静君。そんな大声だしたら」
「るっさいわ、ボケェー!!」
ドカンと扉が蹴破られた。予想していたのでヒョイと避ける。
「貴様、何の用じゃ。わしは大事な睡眠時間だったのだぞ」
言ってくるのは幼い少女、いや幼女の姿をした何かだった。
「先輩、他にお客さんいるんで何時ものペースはやめてください」
「お前がペースに巻き込んだんじゃろうが! ってこちらの愛らしい少女はどちら様かな?」
「え、えっと」
うむ、獅童さんはペースについて来れてないな。
「先輩、こちら獅童高等魔術師です。こうとうまじゅつし。獅童さん、こっちは典膳先輩。治療術式の専門家。うちの支部でも最強最悪の化物」
「高等魔術師?」
そのまま獅童さんを見つめたと思えば、ポンと手を叩いた。
「ははあ、わしのご同類か」
「先輩、失礼なこと言わないでください。獅童さんは新鮮な17歳です。不老処理してるオバさんとは違うんです」
「オバさん言うなあ! って17歳で獅童高等魔術師ってことは……。成る程。獅童広報部長の娘さんですか?」
「あ、はい。そうです。獅童彩音と申します」
広報部長?
疑問が顔に出ていたのか、先輩が説明してくれる。
「会報を読んでおらんのか? 獅童広報部長は、魔術師協会の情報発信を一手に担う高等魔術師だ。月毎に発行されとる会報の編集も担当しておる。後はまあ、魔術犯罪の一般への情報操作も仕事じゃな。獅童家は協会設立にも関わった名家で他にも一族から何名か高等魔術師を輩出しておる」
へー、知らなかった。会報は読むがその編集者にまでは興味を持ったことはない。いろんな所に情報はあるもんだな。それにしても情報操作はなんか物騒な感じがする。
「先輩、ちょっと怪我したんで背中見て欲しいんですけど」
「ふむ?」
「あれ、マリーちゃんに見てもらったんじゃ」
「ああ、そりゃいかん。どれ見せてみよ」
部屋に入って上着を脱いで、背中を見せる。
あ、獅童さんが目を隠してる。しまった、脱ぐ前に断りをいれるべきだった。……ま、いいか。
「ふーん。意外にもちゃんと治っておる。マリーめ、なかなかやりおる」
「あ、ほんとですか」
「えっと、マリーちゃんそんなに信用ないんですか」
その疑問に先輩が答える。
「あの小娘、資格とったの2週間前じゃからな。流石に心配するわ。しかも結構既存の治療術式を弄りまわしとる。もっと熟練してからの方がいいと思うが……。まあ、見た感じ効果はあるようじゃな」
「マリーの治療術、めちゃめちゃ辛いのはどう矯正したらいいんですかね」
「諦めろ」
先輩と顔を見合わせてため息を吐く。
「あと、先輩。そーいうワケで、治療用の魔法薬いくつか下さい」
言うと先輩は獅童さんを見た。そして頷く。
「荒事のようじゃな。分かった持ってけ」
そう言って小瓶を何本か渡してくれる。
こういう気前の良さが、この人のいい所だ。
礼を言って部屋を出ようとする。
「獅童高等魔術師」
出ようとしたら話しかけてきた。
「はい、何でしょう」
「そこの小僧を私は結構気に入っとる。どうか守ってやっておくれ」
「……はい!」
嬉しいが、目の前でやられると何とも恥ずかしい。そう言う訳で、思わず照れ隠しをしてしまうのだった。
「典膳先輩」
「おう」
「研究班見習いの史郎くん、ロリババアはちょっと、って言ってましたよ」
「何でじゃあ!? ロリじゃがババアではないわ!」
「ぶっちゃけ史郎くん、15歳なんで手出さないで下さいね。流石に30歳差は犯罪です」
「まだ35歳じゃ!! ぬう、アラサーには自由恋愛も許されんのか」
そこでハッと気づく先輩。かなり引いた目で獅童さんが見ていた。
「あああ、頼れる大人を演出したのに」
ずずーんと落ち込む先輩。
「まあ、さっきの言葉には感謝します。大丈夫、無事に済みますよ」
「静……」
「後、史郎くんは彼女います」
「……寝取りってありじゃね?」
「どんだけ本気なんですか、あなた」
ジト目で見ると、目を逸らされた。
「……何だか濃い人でしたね」
「2年くらい前まで、普通に年取ってたんですけどね。いきなり幼女に進化したんで、みんな見て見ぬ振りをしています。まあいい人ですよ。恋する相手が10代の少年だってとこに目をつむれば」
「……結構ダメな人ですね」
「いや、魔術師としては凄いんですよ? 不老化を自力で成し遂げてますし。この支部から次に高等魔術師になるとしたらあの人です」
そう話しているとグーと小さく彼女の腹がなった。
赤い顔をして恥ずかしがってる。うん、これはこれでいいものだ。強力な魔術師だが、確かに彼女は同年代の少女であった。
「獅童さん、お腹減ったんでご飯いきません? まだ食堂開いてると思うんで」
「は、はい。行きましょう」
ドンと大盛りのカツ丼セットをテーブルに置く。重吾ほどではないが、まだ成長期は続いている。体格もだんだんと大人に近づいて来た。気付けば支部長の目線が同じ高さにあったのには、すこしショックを受けたものである。
見渡すと食堂にはチラホラと人が残っていた。研究班なんかは、泊まり込みも少なくないと聞くし、夜の食堂も利用者は多いようだ。
あっ、史郎君が先輩に絡まれてる。……見なかった事にしよう。
「静さん、いっぱい食べるんですね」
そう言う彼女は野菜天うどんの小を啜っている。見た目通り少食のようだ。
「将来は魔術犯罪対策室希望ですから。体も鍛えてるんですよ。……まあ、重吾には負けますけど」
「重吾さん大っきいですもんね」
小柄な獅童さんを見る。身長はともかく質量なら3倍以上あってもおかしくない。ていうか間違いなくある。
「あいつは独自式が独自式ですから。上背もありますけど、肉をつけるのに凝ってるんですよ」
「静さんの独自式はどんなのなんです?」
「うーん。召喚術式なんですけど制御が甘くて実戦でお披露目するには早い感じなんですよね。そのせいで支部長にOKもらえるまで緊急時以外は封印されてます。」
効果は高いが制御できない現状では無差別すぎる。
「そうなんですか。そういえば支部長のことはお父さんとは呼んでないんですね。あっ、すいません。家庭の事を」
わたふたと慌てている。何だか子リスを眺めている感じで、微笑ましい。
「一応同じ組織に属してますから。外では支部長と呼ぶように言われてるんです。まあ、結構家族仲はいいほうですよ」
「そうですか」
あからさまに、ホッとした感じだ。今の彼女は最初に会った時よりも表情を見せてくれている。それが嬉しいとともに、昼間の追い込まれたような顔を悲しく思う。
暫し、会話は絶え、食事の音だけになった。
「静さんは」
食事を終えて熱いお茶を啜っている時だった。
「静さんは、私と鬼道のこと、聞かないんですね」
「なんかあるってのは、分かってます。でも、言いたくないならいいですよ」
一つ首を横に振る彼女。
「すいません。一晩待って下さい。考えをまとめます……」
「そうですか」
彼女がそういうなら従おう。
「さて、ご飯も食べたことだし部屋まで送りますよ」
暗い雰囲気を振り払い、明るい声で告げると、クスリと笑ってくれた。
部屋まで歩く。どちらも無言であったが、それは心地よいものだった。
「それじゃあ、今日はお疲れ様でした。また明日」
「はい、また明日」
今日が終わる。しかし、静にはその前に寄る場所があるのだった。
「はあ、今日は自信なくしたわ」
「……おい、支部長室でそんな辛気臭い顔するな」
獅童さんと別れた後、支部長室にやって来た。来客用のソファが、疲れた体を柔らかく眠気を誘う。
「いや、獅童さんや鬼道のやつが魔術使うの見てたらさ」
獅童さんは同い年だし、鬼道の奴も年上だが魔術師に成ったのは、同じ11年前のことである。であるのに、術の精度には大きな開きがあった。
「才能ないのかなあ、俺」
「もっと努力しろっ! と叱りたいトコだが、ありゃあっちがおかしいんだ。お前ら三馬鹿も同年代の見習連中じゃ、二三歩抜けてるんだ。何度か実践経験を積めば直ぐに正魔術師をやれるレベルだ」
「慰めてくれるのは嬉しいんだど。何処で差がついたのやら」
はあぁ、と深い溜息をつく。もう少しできるところを獅童さんに見せたかったのだ。
「面倒くさいなあ。最初だろ、最初。お前は図太すぎるんだよ」
? 今の義父の言葉に違和感がある。眠気を振り払い訊ねた。
「最初ってどういうこと?」
「まあ、お前も17歳だ。11年前の事も受け止められるだろ。ほれ、きちんと座れ」
義父はこれまで11年前の事を話すのは、故意に避けていた。自分を気遣っての事だろう。こっちも別にいいかと聞かなかったのだが……。事、ここに至っては聞かなければならないだろう。
応接用のソファーに寄りかかる。
「俺はビール、お前はソーダでいいだろ。男同士、酒を飲み交わすのは3年後だ」
「……仕事場に酒って」
「こんな事、酔わんと話してられん」
そういいながらもう飲んでいる。こちらも仕方ないとソーダに口をつけた。冷たさと甘さが体を癒して行く。今日はいろいろあった。自分で思ってる以上に疲れていたみたいだ。
「11年前、あの事件は酷いもんだった。俺の部隊が駆けつけた時に見たのは文字通りの地獄さ。焦げた地面に、奇妙な笑い声をあげる狂った子供たち。もう動かなくなった幼子。強力な魔力の残滓」
自分が気絶した後の話だ。
「とにかく救助したものの、当初は全滅したと思ってた。予想は外れたがな。何しろ4人も成功例がいた」
「うん、確かにあれは地獄だった。でもまあ義父さんが助けてくれたのは覚えているよ」
必死の声で、呼びかけられたのを覚えている。だから養子の話が来たとき、それを抵抗なく受け入れたのだ。
「ふむ、本題はそこじゃない。4人がどうやって魔術師になったかだ」
「どうやってって。炎が降って来て、変な光が体に入って」
「それだ。その変な光、何だと思う?」
「なんだって……、魔力じゃないの?」
単純にそう思い込んでいた。
「正確にはその一種だな。後に検証した結果、こう結論づけられた。あれは魔術師の魂、その一部をちぎり取って、術で加工したものだ」
そのおぞましさに血の気が引ける。胃に入ったカツ丼を吐きたくなった。
「つまり、あの事件のために被害にあった魔術師がいるって事か」
「いや、違う。使われた魂はあの事件の犯人のものだ」
「……魂引きちぎって大丈夫なん?」
「大丈夫なワケないだろう。考えついた時点で狂っているが、実行に移した時、完璧に狂ってるはずだ」
笑顔の老人。なぜそこまでして魔術師を作ろうとしたのか。
「そしてこの魔術は二段構えの術式だということも判明している。一段目は共鳴。魔術師の魂との共鳴により魂にスイッチが入り魔術師に変容し始める。スイッチというのは分かりやすくしただけで、本当はもっとややこしいようだが。さらに二段目の準備でもある」
「準備?」
「本部の研究者が言ってたことだがな。実際共鳴に成功すれば二段目はいらんと思うのだが、犯人はワガママだったらしい」
「その二段目ってのは?」
「融合だ。中に入った魂が溶け込む。それによって、一段目で変容し始めた被験者を一気に覚醒させる。そして一段目と違いリスクが高い。拒絶反応も強く出る」
「亡くなった子や目覚めない子はそのせいで?」
「だろうな。そんでもって静。お前、その光が入って来た時どう思った?」
あの時自分は何を思ったのだろう。できれば思い出したくない記憶の扉を開ける。
「怒ってた。こんな事をする相手に。……あと入ってくるなっ、て考えたような気がする」
「やはりな」
「やはり?」
「静、お前の場合、術式は一段階で終わってるんだ。気が強い所があるからな、お前は。共鳴によって魔術師に目覚めた時点で本能的に異物を排除しようとしたんだろう。そのため二段目の融合を弾いたんだ」
「てことは、力の差が生まれたのは」
「力があっても狂人の魂に寄生されるのは願い下げだろ? ま、自分の図太さに感謝するんだな。お前、救助された1週間後にはケロリとして遊んでたし」
「ああ、見舞いに来た支部長に罠しかけて遊んでた」
「……花瓶はやめろ。普通魔術犯罪の被害者ってのは、立ち直るのに時間がかかる筈なんだが」
「ふっふっふっ、恐れ入ったか」
アホウといって支部長はビールをあおる。
鬼道の言っていたことが腑に落ちた。強いが弱いってこういうことか。もっと概念的なことかと思えば、力そのものを言ってたんだなあの野郎。
「ま、そんなワケで力の差があるってことだ。といっても、追いつこうという努力は怠るなよ。一応私の後継者なんだからな」
「わかってますって。誰かさんのスパルタ修行のせいで、訓練習慣が身についてますから」
「ふん。……ビールがぬるくなってやがる」
いながらも一気にあおる。
こちらも少しぬるくなったソーダを飲み干した。
「じゃあこっちはもう寮に帰るよ」
「もひとつ聞いてけ。あの時、魔術師に変容した子供。その最後の一人は女の子だ。お前と同い年のな。私が何を言っているのか、わかってるな」
「ああ、うん。多分明日にでも話してくれると思う」
長い黒髪の女の子。月の下のダンスの記憶。後半の記憶は不快なだけだが、前半のそれは確かに大切なものだった。
「……雰囲気に任せて襲うなよ?」
「襲うかっ!?」