かくれんぼ(5)
「あれ?」
『リリー・ローズ』の入り口に下がっているプレートが『OPEN』になっている。
時刻は正午近く。
お盆を過ぎてもなお強い日差しは容赦なく店前の狭い路地にまで降り注いでいる。
夜の営業がメインの『リリー・ローズ』は日中は基本的に店を開けない。
ただ、エレナさんの気が向いたときはたまに喫茶店として営業していたりする。
要するに道楽商売だ。
来る客は精々商店街の知り合いか身内くらいのものだろう。
「こんにちは」
特にこれといって予定の無い私は店に入った。
自分が働いている店なので、タダで涼める。
しかもエレナさんの機嫌が良ければ冷たいアイスココアを奢ってくれるかもしれない。
「あ〜! カンナちゃん好!」
「よう! 良いところに来たな!」
入り口から足を踏み入れた瞬間に奥のテーブル席から大声で呼ばれた。
早くも私は職務時間外の店に来たことを後悔しながら声のした方に向かった。
「こんにちは、アリスさん。イミナさん」
「うーん! カンナちゃんは相変わらずクール&ラブリーだねっ! ささっ、私の膝の上が空いてるよ!」
紺色の旧型女児スクール水着に身を包んだ黒髪の変態女性を無視して私は奥のテーブルに一番近いカウンター席に腰掛けた。
水着姿にも関わらずアリスさんは白いニーソックスを着用していた。
「丁度今な! アリスがこの間の話を聞きてぇってんで話してたんだよ」
イミナさんはいつもと同じデニムパンツとシャツの野暮ったい格好だ。
かなり二人で盛り上がっていたのか普段に増してテンションが高い。
「幽霊をナイフで退治してきたんでしょ? 格好いい勇ましい雄々しい猛々しい痺れる! 私も連れてって欲しかったなぁ〜!」
「バッカ。お前、夜は寝てるだろ? それにクリスは店番してたしな。そういやぁよぉ! クリスの奴バーテンダー姿サマになってたぜ。あいつウチに固定で働かせちまうか!?」
「あははは! 嫌がる! 絶対嫌がるけどきっと断れなくて結局やらされる! 見たい見たい!」
「だろぉ? ひゃはははは!」
「あははははは!」
真っ昼間からアルコールも無しにテンションが天元突破している二人はきっと何か法に触れる薬を使用しているに違いない。
そうであって欲しい。
そうでもなければ私の胃に穴が空く。
「付き合いきれません。あの事件の話はでぶ猫にでも聞いて下さい」
「えー! つまんないー! カンナちゃんから聞きたいのに〜! あれ? そういえばでぶ猫ちゃんはどうしたの?」
「でぶ猫なら多分商店街のどこかに居るんじゃないですか? ピンピンしてますよ」
あの後、ハーレーという帰りの足を失った私達は夜通し歩いて帰る羽目になった。
私とイミナさんの財布が運悪くハーレーに積んだままだったからだ。
何とか夜明けには商店街に着くとでぶ猫は私の足を爪で一掻きしていくと路地裏に逃げていった。
「あいつはな、前に一度悪さした時にバーサの奴と約束してたんだよ。罰としてカンナの仕事を一回だけ手伝うってな」
「そうだったんだー! 私今度でぶ猫ちゃんにお魚あげに行こうかな!」
「あんな無愛想な猫に餌なんてあげなくてもいいですよ。……そりゃ、何度か助けられはしましたけど」
「おいアリス! このバギーなんてヤバくねぇか? 世紀末っぽいだろ!」
イミナさんは何やら車のカタログを広げていた。
この間の報酬で廃車になったハーレーの代わりを探しているかもしれない。
「わぁ凄い! じゃあトゲ付きの肩パットとモヒカンのカツラも買わないと!」
「ヒャッハー!!」
泥酔者同士の戯言のように混迷する会話に私はこめかみを押さえて耐えた。
暫くしてキッチンで軽食を作っていたエレナさんが戻り、食事をとるという共通の指針によってなんとか場は収まった。
物を食べている時『だけ』静かなアリスさんに私は事件の概要を話した。
これはどうせ後で話す羽目になるならば騒がしくなる前にという考えだが。
こんなことだからアリスさんに「カンナちゃんって結構人付き合い良いよね!」などと言われてしまうのだ。
屋根裏部屋から爆風で吹き飛ばされ、気を失っていた私は小一時間ほどで目覚めた。
起きた私の目に入ったのは燃え盛る炎によって殆ど骨組みだけになっていた洋館だった。
私がポカンとしているとイミナさんが歩み寄ってきた。
「お。生きてたか」
悪びれもせず話し掛けるイミナさんは心なしか服や髪が乱れていた。
「生きてたか……じゃないですよ! どういうことなんですかこれは」
よろめきながら立ち上がって服の汚れを払う。
どうやら怪我は無いようだ。
でぶ猫ももっさりと起き上がった。
「どういうことか、を説明する前にお前の報告をしろ。見たところガキは死んでたみたいだが」
「あ………」
言われて私は少し離れた場所に運び出してあった大介少年の亡骸を見た。
私は感傷を押し殺し、報告すべき事柄を端的に伝えた。
イミナさんはポケットからタバコを取り出して片手で火を点け、黙って聞いていた。
「………そうか。ガキの幽霊を殺したのか」
「はい……」
「俺は言わなかったか? 手に負えない奴が出たら逃げろってよ」
いつになく真面目な口調でイミナさんは私を詰問した。
「でも……」
「でももクソもねぇ。ガキなんざ見捨てりゃ良かったんだ。お前、この仕事を人助けか何かと勘違いしてんじゃねぇか?」
イミナさんの剣幕にでぶ猫が逃げ出した。
タバコの灰が地面に落ちる。
「確かに今回の依頼はガキの保護だ。危険を冒すに見合う報酬も出る。だが、いつ私が『命懸けで』ガキを保護しろと言った」
俯く私にイミナさんの言葉が刺さっていく。
「俺がお前に仕事を教えるのはガキのお前に生きていく術を教える為だ。だが、お前が今回のようにクソみてぇな理由で命を懸けるってんなら……そこらで野垂れ死ね」
吐き捨てるように言うとイミナさんはタバコを投げ捨て踏み消した。
一息あって、肩を落として黙り込む私の頭にイミナさんは乱暴に右手を乗せた。
「お前を死なせたら『ノーネーム』に顔向け出来ねぇんだよ。人生には命懸けにならなきゃならねぇ場面もあるが、命を懸ける場面を間違えるんじゃねぇぞ?」
わしわしと髪の毛を揉まれる。
ふらつきながら見上げるとイミナさんはそっぽを向いていた。
ひょっとしたら照れ隠しなのかもしれない。
「ごめんなさい……」
「おう。わかればいい」
いつもと同じ「ひゃはは」と品の無い笑い声を上げるイミナさんは満足そうだった。
私はこっそりと溜まった涙を拭ってイミナさんに話を振ろうとした。
「そういえば結局どうしてハーレーが―――」
「ええ話のとこ悪いがタバコのポイ捨ては禁止やでぇ? 火事になってまうからなぁ」
私の台詞を遮った人物は唐突に現れた。
見晴らしの良い丘で私は話し掛けられるまでその女性の存在に気付かなかった。
「………てめぇ」
「なんやのっけから無愛想やな! これでも話が終わるまで待っといたったんやで?」
現れた関西弁の女性……須藤刑事はからかうように笑いながら答えた。
「何の用だ」
「何の用、だぁ? アホ言え! 言われた通り二時間経ったさかい様子見に来たら家がボーボー燃えとるやないか! 後始末する方の身ぃにもなってみんかい!」
胡散臭い関西弁でまくし立てる須藤刑事に対し、イミナさんは右手で耳を塞いで聞こえない振りをしていた。
「はぁ……まぁええわい。もう殆ど燃え尽きとるけど消防車呼ぶで?」
「好きにしろ。あぁ、それとな。そこに行方不明んなってたガキの死体あっからそれも回収しとけよ」
「あぁ、死んどったんか。……まぁええわい」
須藤刑事は心底面倒臭そうに無線で連絡していた。
人一人死んでいるというのに全く動じない彼女の様子に、刑事として踏んできた場数を感じさせられた。
「聞くまで無いと思うが、ホシは片付けたんか?」
「あぁ。厄介なバケモンだったが無理矢理帰らせた。あの野郎苦し紛れに俺のハーレーぶん投げてきやがった」
何やら物騒な話が聞こえた。
何だろう、私が洋館の中で追いかけっこ(いや、かくれんぼか?)をしている間に外で一悶着あったのだろうか。
嫌な予感がするのであまり聞きたくないな……。
「ったく……あのガキ厄介なモン呼びやがって。なぁおい、あのハーレー保険降りると思うか?」
「ふざけんな、ホンマなら放火でしょっぴく所やで。自然火災にするさかいハーレーなんて『なかった』に決まっとるやろ」
「マジかよ!」
イミナさん達はぎゃあぎゃあと言い争っていたが、暫くすると消防隊がやってきたのでその場から退散した。
別れ際、唐突に須藤刑事が私の肩に寄りかかりながら小声で話しかけてきた。
「なぁ嬢ちゃん。あんたなんであないな魔女とつるんどるんや?」
「え……? それは、その」
「どんな事情があるか知らんがやめとき。あんたはまだ若いんやからまだやり直せるで。なんならウチんトコで面倒見たるさかい……」
私が答えに詰まっていると須藤刑事はここぞとばかりにまくし立てた。
その眼は真剣……に、見えるが。どうにも胡散臭い。
このわざとらしい関西弁のせいだろうか。
「『極東の魔女』に関わって長生きした奴なんかおらんのやで! ええか、あいつはな……」
「おうコラ、誰に断って人の昔話をしてやがる。古ぃ名で呼びやがって」
「なんや、今ウチは非行少女の更正で忙しいんや。ま、いいわ。んじゃ……せいぜい野垂れ死ねよー」
刑事とは思えない捨て台詞を残して須藤刑事は去っていった。
しかし非行少女とは私の事だろうか?
確かに私は学校にも通っていないし、しばしば悪い仕事もしている。
もっとも勉強はたまにエレナさんが教えてくれるし、悪い仕事といっても人を殺したりはしない。
私は今の生活を別段悪いとは思っていない。
そりゃあ、今回みたいな事件に巻き込むのは勘弁して欲しいが。
身寄りの無い私を拾ってくれたイミナさん、幼い私に勉強を教えてくれたエレナさん。
そして私に生きる術を教えてくれた師匠。
とても返しきれそうにない恩だけれど、少しずつで良いから返していきたい。
その為にも、早く大人にならないと!
背伸びしながら歩く私の前には不揃いな影がひとつ。
錆びた街頭の灯りに映し出されたその影は器用に片手で煙草に火を灯す。
それはかつて『極東の魔女』と呼ばれ、恐れられた悪女。
そして今は………。
煙草をくわえて私に笑いかける、『隻腕の魔女』と呼ばれる、私のお母さんだ。




