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黒い手(2)

「ぷぎゃん?!」


「あ。ごめんね」


考え事をしながら歩いていたら黒いでぶ猫の尻尾を踏んでしまった。

歩きながら聞き込みで集めた情報を纏めようと思ったのだが、猫にとってもこの暑さは堪えるらしく商店街の日陰は野良猫に占領されている。

時刻は午後3時。昼食でも夕食でもない時間……あまり今月は金銭的に余裕が無いのだけれど、仕方ない。

手近な喫茶店の扉に手を掛けると軽い鈴の音色と共に全身を涼しい風が優しく包んだ。


「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」


「はい」


すぐに給仕服を着た女性店員が近寄ってきた。明るくてお洒落な店内はそこそこの客入りのようだ。


「ではこちらにどう――」


「あぁ~! カンナちゃん発見! 直ちに確保します!」


席に案内しようとする店員の声を掻き消すような頓狂な声が店内に響いた。

突然の大声に驚いた店内の視線が窓際の席に集まる。

ブラインドで日光を調節された窓際の席には黒髪の美しい女性が座っていた。

彫りの浅い日本人的な顔立ちは完全なる左右対称。

絹のような美しく白い肌は化粧を必要とせず、一切癖の無い長髪は墨で染めたような漆黒。

まさに大和撫子といった日本の美はしかし、その服装と態度によって全てぶち壊されている。

あろう事かその女性はこの暑い中、分厚い生地の長袖に長ズボンを着ている。艶やかな黒髪と明らかにミスマッチなベージュの皮ジャンに焦げ茶色のスラックス。

ボロボロの厳つい革靴を履いてベルトには何故か丸めた鞭が下げられている。おまけに頭にはカウボーイハット。


「…………はぁ」


溜め息を一つ吐いた私は驚いたまま固まっている店員の横をすり抜けて、子供のように「こっちこっち!」とはしたなくテーブルを叩く女性の向かい席に腰掛けた。


「こんなとこで会うなんて珍しいね! 何しに来たの? あ、はい! メニューどうぞ!」


ごしゃっと、テーブルに載っていたノートやら辞書やら参考書やらを邪魔だとばかりに片腕で床にまき散らした女性は嬉しそうにメニューを広げて見せてくる。

彼女は「迷惑」や「後先」などという言葉とは無縁の存在だ。


「じゃあ、オレンジジュース下さい。あと適当にケーキを3つ」


「か、かしこまりました……」


笑顔を引くつらせた店員が下がって行くのを見送ってから私は向かいの女性―――アリスさんに話し掛けた。


「こほん。あー、こんにちはアリスさん。私は少し考え事をしたくてここに来ました。私はアリスさんの手伝いはいりませんしアリスさんが何をしているかにも興味はありませんし忙しいのでなるべく放っといてもらえますか?」


私は一息で相手の手札を潰した。こうしなければ彼女は延々とまくし立ててくるからだ。


「ひどーい! もっと構ってくれたって良いじゃない! 論文つまらなくて終わらなくて暇なのに~」


がたがたとテーブルに突っ伏して足で下からテーブルを揺らしている。


「論文が終わらないならそれは暇じゃないと思います。それからいつも言っていますが物は大切に扱って下さい。それから……その服装は何の意味が?」


床に落ちたノートや辞書を拾いながら冷静に切り返す。するとアリスさんは嬉しそうに身を捩った。


「きゃっ! カンナちゃんったらツンデレなんだから! 素敵!」


アリスさんは被っているカウボーイハットの先端を指で弾いて口笛を鳴らした。

何かの決めポーズなのだろうか。ちらりと拾ったノートを見ると『古代エジプトの黒いファラオに関する歴史とその遺産』というタイトルが付いていた。

どうやら考古学の論文のようだが……まさかその格好は某戦う考古学者を真似しているのだろうか。

アリスさんはいつも形から入る。


「満足頂けたならどうぞお静かにお願いします。ほら、ケーキあげますから」


丁度運ばれてきたケーキを全てアリスさんに献上すると、アリスさんは黙々とケーキを食べ始めた。

アリスさんがケーキを1つ食べるのに掛かる時間は3分。

ケーキ1つが400円だから私は考える時間を9分1200円で買ったことになる。

大赤字だが……アリスさんの食費は店の経費で落ちるので私のお小遣いは減らない。度を過ぎるとエレナさんに怒られるが。

今のうちにと、オレンジジュースを飲みながら情報を纏めだした。





『手』の出没時間は午後6時から7時に集中していた。所謂『逢魔が刻』である。

目撃者は主に商店街の店主や近所の子供。

子供はまだ学校に居る時間なので商店街に居た主婦達から「子供が見たと言っていた」という話だけを聞いた。これは足を掴まれて転ばされたなどの悪戯が2件。

又聞きであるうえ所詮子供の話なので信憑性はかなり低い。

また、商店街の店主からは商品を盗まれたという話を複数件聞いた。

主に魚や肉などの食べ物が多く、金目の物は盗られていない。

こちらは実際に被害を受けた店主の話であるので信憑性は高い。

これらはいずれも黒い『手』がどこからか伸びてきて事を済ますと引っ込んで消えるとのこと。

また、魚屋の店主は一度その黒い手を捕まえようと咄嗟に手で掴んだらしい。

すると不快なほど毛深いその手応えに驚いて離してしまった隙に逃げられたらしい。

逢魔が刻に現れて悪戯や盗みを働く毛深い黒い手……。

確かに怪談じみた話だ。

しかも胡乱な都市伝説と違い実在の目撃情報や被害情報がある。これは―――。


「何何? 妖怪退治!? すごーい!」


気が付けばケーキを食べ終わったアリスさんが私の手帳を覗き見していた。


「ちょっと……覗かないで下さいよ。これでも一応仕事なんですから」


私からの非難の視線を向けられてもアリスさんはどこ吹く風で更に私に質問を投げかけた。


「またイミナさんに頼まれたの? いいなー、私も手伝って良い? 妖怪って一度捕まえてみたかったんだよね!」


腰に下げていた鞭を解いて手元でパシンパシンと鳴らすアリスさん。鞭で妖怪を捕まえる気なのだろうか。


「いえ。アリスさんはその論文をやらないといけないのではないですか? クリスさんにまた怒られますよ」


「あ、それなら着替えないとね! あれ、でも妖怪退治って何着ればいいのかな? 銀色の服に掃除機は幽霊退治だし~」


「聞いて下さい!」


「あったぁ!?」


メニューの角でアリスさんの頭を強かに叩く。

かなり痛がっているが大丈夫、きっとこれ以上は悪くならないだろう。


「はぁ………本当に静かにしてくれませんか? 今日も夜からお店がありますからなるべくそれまでに片付けたいので。大体妖怪が鞭や掃除機で捕まえられるわけないでしょう」


とは言った物の、私としても妖怪退治などは経験が無い。

幽霊と違ってお坊さんを呼べばそれで済む話ではなさそうだ。

そもそも私自身妖怪などという存在には懐疑的だ。

子供の悪戯と考えた方が筋が通る。

昔何かの本で読んだことがあるが、幽霊は死んだ人間の魂であり、妖怪は人間の恐怖心が産んだ存在らしい。つまり妖怪は昔の人の妄想の産物なのではないだろうか。


「じゃあカンナちゃんは結局どうやってその妖怪を捕まえるの?」


立ち直りの早いアリスさんは何事もなかったかのように聞いてきた。


「そうですね。犯人が妖怪かどうかはともかく、待ち伏せして捕まえられそうなら捕まえてみます。妖怪というものが触れるのかどうか知りませんが」


「え? 触れるでしょ? だってその妖怪って食べ物盗んだりしてるんでしょ?」


アリスさんはさも当然のようにそう言った。


「私もイミナさんほどそっちの話は詳しくないけど、向こうが触れるならこっちだって触れるのが当たり前じゃん!」


「それも、そう、ですかね」


確かに、妖怪であれ何であれ食べ物を食べるのであればそれは『生き物』だ。

相手が生き物であるならば物理的手段で捕獲出来るはずだ。

普段は頭のネジが5、6本抜けているアリスさんはたまに柔軟な発想をする。

うん。これなら何とかなりそうだ。

夕方までここで涼んでから被害の多かった店に向かおう。


「じゃあ着替えてくるから待っててね! すぐ戻るから!」


「論文書いて下さい」


私は呆れながら荷物を全て置いたまま走り去ろうとするアリスさんの服の裾を掴んだ。

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