《第一章》 ヒト喰いの噂 第4話
「辻雪君も、ペット探し?」
「まぁ……そんなとこっす」
場所を最寄りのファミレスに移し、彩人は微かに眉間にしわを寄せる夏切美智留と向かい合っていた。
時刻は七時二十二分。
国道を走る自動車のテールランプが今日の業務の終わりを告げるかのようにのろのろと尾を引いている。
ピーク時かと思ったのだが予想していたよりかは来客は少なく、彩人たちは難なく窓際の禁煙席に座れた。愛想たっぷりの店員からメニューを受け取ると『お姉ちゃんはアイスココアがいいんだって。あ、私はいいからね』とトランクケースの方からこっそり聞こえ、美智留は理路整然と「ラズベリーソースのパンケーキとダージリン」。最後の最後になって「塩バニラパフェを一つ」と彩人が注文する。メニューを見て何となく気になっていた。
「君はまぁいいとして……そっちの子、誰? 妹さん? 全然雰囲気違うけど」
「妹じゃ……ないっす。えっと、遠い親戚……の」
自分で言っておいてなんだが、遠い親戚という言葉の胡散臭さは尋常ではない。
思い付く限りの嘘を並べに並べ彩人はどうにか誤魔化そうと試みた。
「……そんな歳でコスプレしてる親戚の子と一緒に路地裏で歩いてるなんて、下手したらそっちの方が通報モノじゃない?」
彼女の白髪やゴシック衣装はコスプレという相当に無理のある説明でゴリ押した。その所為なのか真横から冷気のようなものをひしひしと伝わってくる。琥珀の足元のトランクケースがコトコトと微かな音を立てる。中で瑠璃がけらけらと笑っているのだろうか。これ以上下手なことを言うと後が怖い。
「な、夏切先輩は猫探してるんでしたよね。小太りの、三毛猫……っしたっけ?」
「あれ、何で知ってるの? 君にはこのコト話してないわよね」
「友達から聞いたんす。ソイツも、先輩の猫のこと探してくれてるみたいっすよ」
「ふぅん……誰かしら」
そうこうしているうちに注文したメニューが運ばれてくる。琥珀の頼んだアイスココアが最初で、次いで美智留の頼んだパンケーキと紅茶のセットが届く。……塩バニラパフェはもう少々お待ちくださいとのこと。
「……“ヒト喰い”の噂が流行ってるってのに、路地裏なんてうろついて大丈夫なんすか? 危ないんじゃ」
「それを言うなら君たちだって同じでしょ。っても、そんな得体の知れない殺人鬼なんだかバケモノなんだか知らないモノにそこまで怯えないわよ」
美智留の訝しげな視線が琥珀と彩人と交互に見据える。
琥珀は軽く身動ぎする以外はほぼ無反応、彩人は少々ぎこちなく見つめ返す。茶道部の部長とは聞いていたが、こんな状況だからか彼女の話し方に少々棘がある。切れ長の瞳にピシッと伸びた背筋、女性としては相当に凛々しい印象。美少女ではなくどちらかと言えば美人で、一つ年上とは思えない大人びた雰囲気は十二分に魅力的である。
「つか、俺の名前知ってるんすね。ちょっと驚きました」
「辻雪君って意外と有名なんだよ。名前とその特徴ぐらいは私も聞いてたし。……改めて見ると、ホントに大きな眼帯ねぇ」
こんな場所で自分のネームバリューを知り、改めてこの眼帯の存在感を思い知る。だが、面識のない人間と話すに際しこういう小さなとっかかりはありがたいものである。
ややあって、ようやく塩バニラパフェが運ばれてきた。彩人はバニラアイスに突き刺さっていたウェハースをかじりながらそれとなく訊ねた。
「それで、先輩の方は見つかったんすか?」
「……ご覧の通り。この辺で見掛けたって話は聞いたんだけど見当たらないの。そっちは?」
「俺の方も手掛かりはあったんすけどね」
嘘は言っていない。
というか、そもそも探しているのがペットではなくペットの死体である。動き回っている生き物よりかは探すのが楽かもしれないが、もしあの場で見つかっていたら変な誤解を招くのは必至だったはず。
ふぅ、と大きく溜息し美智留はパンケーキをフォークで突きながら明後日の方向を見上げた。
「……ここ最近、どうも良くないことが続いてるのよね。事件もそうだけど、知ってる? ペットの不法投棄とかさ」
新聞の端っこの小さな記事を偶然見かけたのだと美智留は話す。
自身も猫を飼っているからこそ適当な場所に捨てるという行為自体が理解できなかった。ペットは決してモノではなく家族の一員。葬るのであれば丁重に埋葬してあげるべき。そもそも、生き物を“捨てる”という言い方が非常に気に食わなかった。
「うちのコも、変なことに巻き込まれて無ければいいけど」
甘いはずのラズベリーソースに浸したパンケーキを苦い顔を浮かべて頬張る美智留。それを見て、彩人は居た堪れない気持ちになっていた。バニラの塩っ気がやけに舌に染みる。
「そういえば、辻雪君のトコは何を飼ってるの? 私と同じ猫なの? それとも犬とか?」
「うぇっと……今は、犬を探して」
「今は?」
「い、犬と猫と両方飼ってるんす。今回は紐を繋ぎ忘れて……うっかり」
「……ふぅん」
半眼で見つめられ彩人の胸がぎくりと跳ねる。彩人の人生の中でここまで嘘に出鱈目を重ねたのは初めてな気がする。慣れないことをしている所為で顔に何か出ていなければいいが。
「で、でも犬もそうですけど、猫だってそこそこ賢いから自分で家に帰ったりするんじゃないんすか? 自分の家を忘れたなんてのは」
「家を忘れて野良になることもないわけじゃないけど……まぁ、言いたい事はわかるよ。でも、私は自分で探したいの。なるべく、早く……ね」
「何か事情でもあるんすか?」
言ってから、流石にプライベートな部分に踏み込み過ぎてしまったかと思ったが、彼女はシニカルな笑みを浮かべて返してくれた。
「最近ね、弟が……元気ないのよ」
「弟? 先輩って、兄弟がいるんすね」
「五つ下の弟が一人ね。優しくて良い子なんだけど……ちょっと大人し過ぎて虐められてるんじゃないかって心配なんだけど」
ほんの僅かに美智留の頬が緩みいくらか場が和んだような気がする。店内も徐々に客が増え始め周りの喧騒や食器の音が大きくなっていく。
「その弟がさ、最近私と顔を合わせてくれないんだよね。その、完全に引き籠ってるってわけじゃなくてさ。ご飯とかそういう時になると、それを持って部屋に戻っちゃったり、私とすれ違う時も何となく避けられてるような気がして」
年頃の男子が姉を避けている。
それだけ聞くと、彩人の中では一つの答えが自然と浮かび上がる。
「そりゃ……反抗期、ってヤツじゃないっすか?」
年頃ともなれば誰しも必ず訪れるのが反抗期。
彩人だって同じ時期にやたら両親に言う事を無視して荒れ気味に振舞っていたこともあるし、美智留の弟とやらの場合は年上の姉という“異性”の存在もある。反抗期+アルファといったところだろうか。小学校高学年ともなれば色々と成長の時期だから、心の何処かで気恥ずかしさや複雑な何かを抱いているのかもしれない。
……というか、夏切美智留ってブラコンなのだろうか。
「そういうんじゃないと思うの。……多分、なんだけど。ハッキリした証拠とかがあるわけじゃないんだけど」
「心配し過ぎじゃないっすかね……ん? それと猫とどう繋がるんすか?」
「ウチの猫、“ミツ”って言うんだけどね。弟の幸太が拾って来たの」
とある雨の日。
普段から寄り道をしないでまっすぐ帰ってくるはずなのに、その日に限って幸太の帰りが遅かった。
心配になって玄関を飛び出した時、ダンボールを小さな両手で守るようにして抱えて立ち尽くす幸太を見つけたのだという。飼うと言い出したのも『ミツ』という名前をつけたのも弟の幸太によるものだと懐かしみながら美智留は語っていた。由来は三つの毛並みで『ミツ』だそうだ。
「ミッちゃんが見つかれば元気になってくれるんじゃないかなぁってね。我ながら幼稚だと思ってるけど、これ意外いいアイディアが思い浮かばなかったの」
「……そうだったんすか」
冷めたティーカップの縁をなぞりながら寂しそうに俯く美智留。零れた前髪に憂い気な雰囲気とが重なって彩人は少々ドキリとしてしまった。
……そういえば、当初の目的から脱線しまくっているような。
時計を見上げると、気が付けば八時半を過ぎていた。
「あぁ、ゴメンね。変な話に付き合わせちゃって。親戚のお嬢さんも退屈だったでしょ?」
「…………」
口も身体もピクリとも動かない。気難しい子、とでも受け取られたのか美智留は小さく肩をすくめるだけだった。
「今日はそろそろ失礼するわ。……またね、辻雪君」
「あ、はい。それじゃ……」
レジを通り過ぎる美智留の姿を見送ってから、彩人はソファに思い切り寄り掛かった。
……緊張した。
まさか彼女に会うとも思わなかったし、あんな話を聞かされるとは思えなかった。
彼女の猫は……恐らく、既に『ヒト喰い』の餌食になってしまっている。それを目の当たりにしてしまった自分。
事実をそのまま伝えることなど出来なかったし、彼女の事情を聞いた所為で余計に話し辛くなった。
「……うわ、何か胸糞悪い」
『そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? 続きしようよ続き!』
トランクケースの中からそんな陽気な声が聞こえてくる。
彩人は重い腰を上げてレシートを拾い上げた。
そういえば、少し前にデニーズに行って6段重ねのパンケーキ食べました。
その高さおよそ15センチ、一緒に連れてきたウチの神姫とほぼ同等の高さ。
美味しかったんですが、もうちょいクリームやらシロップやらが欲しかったです……(笑)
次回更新は5月22日。
では、待て次回。