《第一章》 ヒト喰いの噂 第3話
正式名称を『陽詠坂公園』と知ったのは今日が初めてだった。
昨日、あの黒いイワクツキと戦闘を繰り広げていた公園は相も変わらず全くもって人気がなく、彩人たちが到着した時もビルとビルとの間から吹き荒れる隙間風が虚しいばかりだった。
「犯人は現場に戻るって今もたまに聞くけどさ、そりゃ普通の人間の話だよな……」
現状において『ヒト喰い』に関する手掛かりは主に二つ。
一つは新聞の三面記事にあったペットの不法投棄。そしてもう一つは街で消えゆく動物の死体。前者はともかくとして、後者に至っては情報の出所が噂蒐集SNSという信憑性に欠けるものなのだが、可能性があるなら突くしかないと瑪瑙は言っていた。
そして現在、彩人たちは前回の交戦場所の調査と併せて不法投棄に関する“噂”を調べていた。どうも瑪瑙が言うには、つい最近ここで大型犬種の不法投棄を目撃したという人物がいたらしい。
『でも、おにーさんもモノズキだよねぇ? 私たちと一緒に来るなんて』
「これは……アレだ、乗り掛かった船、ってヤツだ」
琥珀の傍をてくてくと歩く瑠璃が不意にくるりと振り返り、好奇心たっぷりの純粋な瞳で見上げてくる。自分の眼のことが気になるとはいえ、彼女の言うとおり何も自分から厄介事に首を突っ込むのはどうかと今になって思う。しかし、自分の言の通り『乗り掛かった船』。ここまで付き合ってしまった以上は、事の顛末を見届けたいとも思っている。命の危険に関しては――この時はそこまで気が回らなかった。
「そういえば、少し気になってるんだが……」
『? なぁに』
「……なんで琥珀はお前のことを『瑠璃』って呼ばないんだ?」
無言で前を往く琥珀に向けて投げかけたのだが、彼女は彩人の声などまるで相手にせず公園中央を横切っていく。無視された、というか思えば琥珀と面向かって話したことは今まで一度だって無い。
「……なぁ、おい?」
彼女の前を彩人が遮ると琥珀の足が止まる。くい、と上がった冷淡な眼差しが彩人を見据える。ある種の威圧感すら感じさせる彼女の表情は「友好的な感情は一切無い」とキュッと結んだ唇が物語っている。
「あー、その……俺の話、聞いてる……よな?」
「……」
ピクリとも動かない眉間に加え、鉄面皮の上に更に仮面を被せたかのような何の色の見えない硬過ぎる顔。ガラスの切片のような触れたら怪我をしてしまいそうなほど鋭利な容姿。加えて終始彩人だけが一方的に喋っているというこの状況。
彩人としては、初めて接するタイプの人間だ。
普通は、どんな人間だって話しかけられれば多少なりと反応を見せるはず。そういったコミュニケーションが苦手な人間も中にはいるだろうが、極端な人を除けば多少なりの返事くらいは期待出来るはず。
琥珀は、未だ微動だにしない。
ただただ無言のまま冷たい視線だけが彩人に向けられている。気まずいを通り越して、声を掛けた彩人の方が緊張してしまう。
「や、やっぱいいわ。変なこと聞いて悪かった」
結果、彩人の方が折れることになった。
このまま黙って見つめ合って色よい返答があるとは思えなかったし、オマケでついてきている自分が時間を無駄にしては迷惑な存在でしかなくなってしまう。琥珀はといえば、彩人の話を歯牙にもかけていない様子だったが。
「……で“噂”の調査だが、この辺りで犬の死体が見つかったって話だよな?」
『そーみたい。おっきい犬って何だろ? アイリッシュセッターかな? それともオールドイングリッシュシープドッグとかかな?』
「お……おう。ゴールデンレトリバー……とかなんじゃないか?」
というか、彩人はそれ以外大型犬種なんて知らない。
見に行くのが元気に生きているものならはしゃぐ理由も分からんでもないのだが、既に死んでいる可能性しか残っていないのに瞳を輝かせるだなんて真似は彩人には出来そうになかった。
公園を通過し、彩人たちは北側に抜ける路地へと向かって歩き出す。情報ではこの奥にある雑居ビルのゴミ捨て場で目撃情報があったのだという。“最近”という言葉がどれくらいのものなのかは分からないが、あの掲示板の通り既に誰かが片付けてしまったのではと彩人は思っていた。
先頭を元気よく進んでいく瑠璃、次いで彼女を操るべく右腕を伸ばしながら歩く琥珀、そしてしんがりを彩人。……傍から見たらとてつもなく奇怪な連中に見えるのではないだろうか。
「……」
『え、そこ? おにーさん、こっちだって』
琥珀の細い指がある箇所を指差す。
かすれた表札が並ぶ雑居ビルの脇、近隣の住民が共同で使っているらしいゴミ捨て場が見える。カラス避けのネットが設えられていて、中にはゴミが詰まった小さな袋が二つだけ。それ以外は特にこれといったものは見当たらなかった。
「至って普通のゴミ捨て場だよな」
『血の匂いも何にもしなーい。ホントにココなの?』
「……ガセネタ、ってヤツか?」
所詮“噂”は“噂”に過ぎない。
何処かの幼馴染が可能性を秘めてるだのどうのと熱弁していたが、それもあくまで“そうであるかもしれない”という可能性に過ぎない。
当事者には大型犬種の不法投棄に見えたのかもしれないが事実は違った。そして、その曲解した事実を彩人たちのような第三者から見れば信憑性という言葉すら意味を成さないほどにあやふやで、とどのつまりは無駄足を踏まされたということになる。
『あららー、ざーんねん。これでフキダシに戻っちゃったね』
「ふりだし、だよな」
一応ツッコミを入れてみると、突然瑠璃がくるっと彩人の方へ振り返る。何故か、ぷるぷるっと小刻みに震えながら物凄く嬉しそうな顔をしていた。
「どうした?」
『私のボケに反応してくれたの、おにーさんが初めてだったから嬉しくって!』
「……さいで」
そんな程度のことで満面の笑みを浮かべんでも。
『だってお姉ちゃんじゃゼッッッッッッッッタイ反応してくれないもん! 私が面白いコト言ってもお姉ちゃんは無反応だし、お兄ちゃんは私の声聞こえてないから論外だから、おにーさんにそうやって反応してもらえるのが何か新鮮なんだぁ』
ニパッと屈託のない笑顔を浮かべる瑠璃。そういえば、瑠璃の声とやらは姉である琥珀と彩人以外には聞こえていないらしい。彩人と出会う前までは琥珀としか会話が出来なかったという。そりゃあ、お喋りするとなればキチンとした反応をしてくれる人物の方が嬉しいだろう。……冷静に考えれば、人形と会話している彩人は少々危うく見えるのではないだろうか。
『およ、よよよ?』
妙な声を上げたかと思うと、瑠璃は彩人に向き合ったまま反対方向にふらふらと歩き出す。琥珀が操っているようなのだが、彼女は右腕をサッと引いて瑠璃を手繰り寄せたかと思うと、彩人たちが来た方向と逆方向に彼女を向かわせる。ちょうど路地の曲がり角に止めて、向こう側の様子を窺わせているらしい。
「……《ラピス・ラズリ》」
『うん、女の人がいるよ。おにーさんと同い年くらいの』
「俺と同い年くらいの女の人?」
彩人と同い年となると高校生ぐらいということか。
しかし、時刻は午後七時を回ろうとしている。街灯が並ばないこんな路地裏に女子高生が一人でうろつく理由などあるものだろうか。『ヒト喰い』の噂だってあるのに。琥珀はサッとヴェールを取り出して顔を覆った。
「何してるんだ?」
『えっと、うぅん…………探し物かなぁ。建物の隙間に顔突っ込んでる』
こんな時間にこんな場所で……人のことを言えた義理でもないような気はするが何とも珍妙な高校生である。彩人も瑠璃と同じように、曲がり角からゆっくりと顔を覗かせてみる。
瑠璃の言うとおり、そこにはビルとビルの隙間に頭を突っ込んでいる女子高生の姿があった。スクールバックを路地に転がし、腰元まで伸びたポニーテールが身体を動かすたびにゆらゆらと揺れている。やがて、女子高生はゆっくりと身体を引いた。
「え……や、でもあの人……って」
「だ、誰!? 誰かいるの!?」
「しまっ……」
無意識のうちに言葉が漏れてしまった。そして、漏れ出てしまった声に女子高生が鋭く反応し勢いよく振り返り、彩人とバッチリ目が合ってしまった。
「……あなた、そこで何してるの?」
「え、えっと……」
彩人としても予想外の人物。
同じく興涼高校の女子制服に身を包んだ少女は、つい先刻友人たちとの話題に上っていた――夏切美智留だった。
超お久しぶりな更新。
改稿やら別のお話に浮気やらと色々ありましたが今日からまた更新再開です。
まだまだ未熟者ですが、どうぞよろしくお願いしますm(__)m
次回更新は15日を予定しております。
では、待て次回。